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2006年1月 7日 (土)

スピルバーグ監督の「ミュンヘン」めぐり論議噴出 NYのユダヤ人社会で

【アルジャジーラ特約6日】巨匠スティーブン・スピルバーグ監督がテロ問題を取り上げた最新の話題作「ミュンヘン」をめぐり、ニューヨークのユダヤ人社会で今、さまざまな論議が飛び出している。

 同監督自らが「平和への祈り」と評する「ミュンヘン」は、2005年に公開された作品中の「ベストテン」に入る秀作ともされている。

 「ミュンヘン」はカナダ人ジャーナリスト、ジョージ・ジョナス氏が1972年9月5日の西ドイツ(同時)・ミュンヘンで開かれた五輪大会中に起きたイスラエル選手団襲撃事件をテーマに著した「報復」(仮題)を基に映画化された。

 パレスチナゲリラ「ブラック・セプテンバー(黒い9月)」が起こした同事件では、イスラエル選手団の11人、パレスチナ人5人、地元警察官2人の計18人が死亡した。

 「ミュンヘン」は同事件発生を伝える白黒テレビの報道場面で始まるが、その事件直後に、イスラエルのゴルダ・メイア首相(当時)が同国の秘密諜報機関モサドに、欧州地域に逃げ込んだ襲撃犯人らに報復、パレスチナ人11人を殺害するよう指令したことはだれも知らなかった。

 自らもユダヤ人である同監督は93年に、ナチによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)を扱った「シンドラーズリスト」を発表、ユダヤ人社会から大きな評価を受けた。

 これに対し今回の「ミュンヘン」には酷評から絶賛までさまざまな評価がなされ、作品をめぐる論議も多様にわたっている。

 厳しい意見の代表が「イスラエルの五輪選手たちとパレスチナ人への暗殺を同列に扱っている」というもの。

 ニューヨークに本部を持つ全米シオニスト連盟のメイア・ジョロビッツ理事長は「作品は本当に起きたことを描いていない。監督は創意にあふれすぎている」とし、さらに「パレスチナ国家建設の唯一の手段はユダヤ人抹殺とするアラブ・テロリストを人間的に描きすぎている」とも批判した。同連盟は「ミュンヘン」の鑑賞ボイコットを呼び掛けている

 また、襲撃事件で命を落としたイスラエル選手の遺族たちの間からは、作品を賞賛する声が上っている中、イスラエルの駐ロサンゼルス総領事もラジオの取材に対し「スピルバーグ監督は(イスラエルとアラブとの)均衡をはかろうとしずぎている。実際にはそうした均衡はあり得ないのだ」と鑑賞後の印象を語った。

 当のスピルバーグ監督は最近、米紙シカゴ・トリビューンに掲載されたインタビュー記事の中で、「この作品が描くモラルの均衡をやゆする者たちは、外交がモラルの均衡の場としたり、戦争が唯一の解決策とする者たちと同列」と厳しく批判。その上で、同監督は「テロが起きる背景を探ることが重要だ」と強調した

 当然、同監督擁護派もおり、広報会社に勤めるカウスマン氏は「素晴らしい作品。感情豊かな演技から、テロがどうして起きるのかが見事に描かれている」と賛辞を送っている。

 また、ワシントンの中東研究会のスカム博士も「この映画はユダヤ人にイスラエルとパレスチナ紛争を再検討を促す機会をもたらすと同時に、ユダヤ人社会が対応を迫られている現実問題を突きつけている」と指摘、「ミュンヘン」に高い評価を与えている。(翻訳・ベリタ通信=志岐隆司)


2006年01月07日00時06分 アルジャジーラ

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1611181/detail

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テロがなぜ起きるのか、ということには私もたいへん関心がある。
日本ではこの問題についてほとんど論じられていないように思う。政治経済的な背景や、宗教的な関係については解説されるが、なぜテロという手段でなければならないのか、ということや、テロを行う者やそれに共感し支持する者たちの人間的な背景についてはほとんど語られていないように思われる。

抑圧されていると感じているものたちがいるとしても、伝統的な争議や住民運動やあるいは一揆や内乱、という手段をなぜとらないのか。それらの手段によっては満たされないもの、満たしえない何かがあるのだろうか。

不満分子が少数派だからだろうか。自分たちが絶対的に少数派であると自覚した少数派は通常、なんとか多数派と協調し、彼らの秩序に順応しようとするのが合理的である。しかしけしてそうならないのはたんに宗教的規範ゆえであろうか。

多くのテロリストが自爆テロを選択するが、なぜ自爆という形を取らなければならないのだろうか。日本の極左が多用してきた自らは生き残るような時限発火装置テロでは満たされない何かがあるのだろうか。イスラムテロでも、タイ深南部では時限爆弾が主流のようである。

イスラム教も一般的には自殺を禁じていると思う。自爆テロの歴史はさほど古くはないと思う。自爆覚悟のテロの源流は、日本赤軍のテルアビブ空港乱射事件にあるという話も聞いたことがある。これは日本人がやったことだが、中東世界のど真ん中で行われた反イスラエルテロだから、イスラムテロリストへの影響力は小さくなかったと思われる。もっとさかのぼれば、カミカゼアタックはそれまでだれも思いつかなかった闘争手段でありエポックメイキングであったかもしれない。

なぜ自爆でなければ満たされないのかという問いに対し、「利用しているものと利用されているもの」がいる、あるいは「洗脳」だと答える人は多い。しかし、そのような西洋的回答には、「神風特攻隊員は麻薬漬けにされて強制されて自殺攻撃をして」いたと解説する「ロンリープラネット」と同様、ほんとうの説得力は少しもない。いわば開き直りであり、自らの性根の卑しさをさらけ出して「どうせお前も俺と同じレベルだろう」と言っているだけの理屈である。

自らが生き残る攻撃によってはけして満たされない何かがある。敵を殺すとともに自らも殺してしまわなければ決して癒されない傷、回復できない尊厳、というものが、人間にはありうるのだ、という理解が必要になっているのではないかと私は思う。

日本について言えば、近代日本の学問では完全に埒外におかれてしまった歴史的エピソードについて、真剣に考えてみることも必要なのかもしれない。たとえば、土方歳三はなぜ五稜郭で「自爆攻撃」を選んだのか(生き残って官軍に帰順した榎本武明は逓信大臣にまでなったのに)、というようなことについて

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