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2006年4月 4日 (火)

ドゥマイ(Dumai,スマトラ島) インドネシア

3月某日

ドゥマイの港に着くと、すぐに「公認ガイド」に付きまとわれる。「外国人」の中でも私だけはこの「公認ガイド」の案内で別室に呼ばれ、入国手続きをする。このフェリーに白人客はいなかった。

「公認ガイド」はイミグレの事務室まで入ってきて、手続きの間中ずっと私の横についている。応対したイミグレ役人に、彼は何だと聞くと、公式ガイドだから彼に何でも頼みなさい、ということだった。イミグレのボスが来るまでかなり待たされる。

ようやくボスが来て、アライバルビザの手続きが始まる。「ボス」は、ハッとするような、びっくりするような美人だった。日本人のようでもありアラブ人のようでもある。物腰は日本人のようで肌もきれいだが、顔立ちはややコーカソイド系のよう。ただし、昨日や今日の混血という感じではなく、よく「こなれている」印象を受ける。とても安定感のあるバランスの良い美貌だった。

これほどの美人はその後スマトラで見なかったし、マレーシアでも見たことがない。しかも若い。それがイミグレのビザ発行責任者で、彼女が来ないと手続きが始まらないのだった。思わず、写真を一枚撮らせてくれといいそうになったが、美人は写真には良く写らないものだし、間抜けなことを言ってバカをさらすだけになりそうだったので抑えた。

アライバルビザの期間は一ヶ月で延長不可。25ドル。

ここの女性は誰もスカーフをしていないなと思った。確かにスマトラはマレーシアよりはちゃんとしている人は少ない。

ドゥマイの港に降りると油の匂いがした。

「公認ガイド」は「外はメニーヤクザ」だなんていい加減なことを言っていたが、初めてのスマトラなので逆らわずにこの男についていく。あまり遠くないホテルまでバイクで5リンギ。

City Hotelというところの13万5000ルピアの部屋ににチェックイン。

礼儀正しくハンサムな若いフロントクラークが応対する。3分もしないうちに「女性を呼びましょうか。ショートタイム20万ルピア、オールナイト・・・・」と慇懃に申し出てくる。「健全なツーリスト」である私は一応断っておいた。

そのフロントはなかなかの好青年だった。現在28歳だが、19歳のときこのドゥマイで同じ19歳の日本人の女子学生と会ったことがあるという。その出会いの思い出をしみじみと語っていた。この美男子が遠くを見つめるようにして語るその日本の女子学生はどんな女だったのか・・・・・その出会いの「内容」がどんなものだったのか、について彼は語ろうとしなかった。

その話が出る前に、彼は私に対してすでに「ジキジキ」という言葉を使っていたので、私も「ジキジキはできたのか」と聞いてみた。しかし、彼は「シークレットだ」といって教えてくれなかった。

彼にとっては本当に大切な思い出なのかもしれない。その女はその後北海道で教師になったという。しばらくは消息があったらしいが、今は音信も途絶えているという。

「シティホテル」からも、油井から立ち上る炎が見える。ドゥマイには製油所がある。

この町の匂いは、カンボジアのポイペトの匂いにすこし似ている。野焼きの臭い。ポイペトほど強烈ではない。ポイペトのはビニールなどを焼く臭いなのだろう。

ドゥマイはマレーシアより物価が高い印象を受ける。コピスースー(コンデンスミルク入りコーヒー)がローカルな店で4000ルピアもする。2リンギ近い。安いところで3000ルピア。コピスースーはコーヒーの色があまりしない。白っぽいコーヒー。

ドゥマイでは「テータリク」は通じない。コピオは通じる。ローティ・チャナイも通じない。ローティは通じるようだが、あまりない。インド人は少ない。

ドゥマイにはリクシャが多い。リクシャ運ちゃんはしつこく下品に見えるが、自分が経験した限りではわりと誠実でとくにぼったりはしなかったと思う。物見遊山のツーリストがたくさん来るところではないので、特別にぼったくってやろうという発想はないのかもしれない。

両替レートは、1万ルピア前後が1ドル。ルピアを買うときは1ドル8000ルピアくらい。ドルを買うときには12000ルピアくらいのようだ。

1万、10万、100万という金額のイメージをつかむのは難しい。とくにインドネシアルピアは、1万、5万、10万という高額紙幣があるので混乱しやすい。最初、1万ルピア札と10万ルピア札、5000ルピア札と5万ルピア札をよく間違えて混乱した。両替のときなど10万ルピア札を10枚ホッチキスで閉じたのを渡される。これを次に使うとき、100万ルピアの札束を10万ルピアと間違えて渡したこともあった。ホテルだったので、向こうが注意してくれた。インドネシアは、10年位前にバリに行っただけ。

「地球の歩き方」には、両替レートなどいちいち気にせず、インドネシアの相場を覚えようなんて書いてあったが、旅行者にそんなことを要求するほうがどうにかしている。インドネシア人の金銭感覚といっても、金持ちと庶民とでは一桁も二桁も違うだろう。

バリで第二夫人になろうという人ならともかく、普通の旅行者が(自分の予算や旅行スタイルに見合った)その国の金銭感覚を「肌で」身につけることなど土台不可能なことである。

したがって、為替レートはしっかりと頭に叩き込んでおくべきだと私は思う。細かいところまで考える必要はもちろんないし、正確なレートである必要さえない。

どうせいろんなところでズレはおきるし、買いレートと売りレートも大きく違う。客観的に正確なレートが存在するわけではないので、自分なりのレートでいいと思うが、レートに関して「定見」を持っておくことがとにかく必要である。そうしないと、桁違いのミスをしかねない。

私は1ドル10000ルピアと決めておいた。1ドル何ルピアですかと両替屋やホテルで聞けば8000ルピアくらいと言われると思う。しかしそれは、相手がドルを買ってルピアを売ることを念頭においているからだと思う。

私は、1リンギを売って2400ルピアほどだから(ホテルならもっと安い)、10000ルピアぐらいが1ドルと決めた。4リンギが1ドル。1リンギが10バーツと決めておく。

ドゥマイのATMはシティバンクのキャッシュカードも使えるが、100万ルピアまでしかおろせなかった。特別の料金を取るような表示も。一回100万ルピアということは一回100ドルしか下ろせないということ。

翌日。

フロントに出ると昨夜のハンサムな男はいなくなり、制服を着た無愛想なおばさんが3人くらい並んで座っていた。これがまた、なんというか、インドネシアの政治家のような、スカルノプトリを怒らせたようなしぶい顔の貫禄のあるおばさんばかりで、何か怒られるのかと思った。

怖い顔のおばさんに両替屋の場所を聞く。両替屋は、シティホテルからジェティ(桟橋)の方にすこし行ったコンフォートホテルの2,3件先にある。

因みに宿泊料は、「コンフォートホテル」はスタンダード17万ルピアくらいから。「シティホテル」は13万ルピア台から。

両替屋は、やはり中国人の女がいて、このときは1リンギ2450ルピア。ムラカのジェティとあまり変わらない。

近くで見つけたインド(風)レストラン(インド人はいない)でテーを飲む。「テータリク」は通じないが、「テースースー」は通じた。うまくはない。コンデンスミルクたっぷり。あのシンガポール製の固いコンデンスミルクは安くはないと思うが・・・・ミャンマーでは入れるコンデンスミルクの種類によってラペイエ(ミルクティー)の値段を変えているところもあった。上等なほうはシンガポール製コンデンスミルク入り・・・・

「テースースー」を注文したとき周りの人に、お前テースースーなんか飲むのかという感じで笑われた。こちらではブラックティー(砂糖入り)を飲む人が多い。

コピオはインドネシアでは「コピ・パナス」。

ミャンマー式に注文しないお菓子を並べて食べた分だけ払うという店もある。この方式はKLのインド人街にもある。インド式なのかもしれない。

昨日見かけた立派なマスジッド(モスク)を見たいと思い、リクシャを雇うが、いくら言っても違うところばかりに行ってしまう。結局遠く離れた小さなマスジッドまで来たところでリクシャを捨てる。そのマスジッドでごろごろしていた英語をすこし話すおじさんと話をする。いきなり宗教は何かと聞かれ、「シントーだ」と答えると、知っているようだった。

結局、昨夜見たマスジッドはホテルのすぐ近くにあった。夜見たのでライトアップで立派そうに見えただけだった。ごく普通の実用的なマスジッドだった。

同じ階に部屋を借りている売春婦から何度も内線電話がかかってくる。この子は、ホテルに部屋を借りて、そこを売春オフィスにして、宿泊客に営業しているようだった。

最初部屋を決めるときに、ホテルのボーイが案内した部屋はこの子のオフィスの正面の部屋だった。そのときは売春オフィスだとわからなかったが、扉を開け放しているので、うるさい中国人がいるかもしれないと思い、そこから離れた端っこの部屋にしてもらった。

それでも通りがかるたびに手招きするので、夜ちょっとそのオフィスに立ち寄って彼女と話をした。

念のために強調しておくと、私は彼女の客になったのではない。私はあくまで健全な旅行者である。私は最後まで彼女の客にはならなかった。

彼女とは扉を開け放したまま、けっこう楽しく会話した。客がないらしく、暇をもてあましているようだった。

英語をすこし話す。ハイスクールで4年間英語も習ったという。かなりの高学歴である。白人客から教わったというのではなさそうで、しゃべるときはよくしゃべるが、ありふれた単語が出てこないこともある。客家語もすこしはなす(ハッカといったから多分客家のことなのだろう)。これは客から教わったのだろう。

なかなかよい子だと思った。まともな感じの子で、人をリラックスさせる術を心得ているし、下品な感じではなかった。何も要求してこない。暇をもてあましているようなのに、客になれとも言わない。

バンドゥン出身で、本当は21歳だが、24歳と騙っているといっていた。健全なこの国では、21歳の女性は単身でホテルに泊まれないらしい。毎日収めなければならないホテルのデポジットを稼ぎ出さなければならない。昨夜フロントの二枚目が呼んでやるといった女がこの子なのかどうかわからないが、彼は20万といってた。この子は25万でやっていると言っていたから、違う人なのかもしれない。

「バンドゥンに17歳の妹がいて、彼女にはこういう仕事はさせたくない。アカデミーまで出してやりたいから・・・」なんて、泣かせどころもちゃんと心得ている。話し方が自然なので、率直な気持ちという感じで、そんなに嫌味もなかった。

各地のホテルを転々としながら営業しているらしく、2,3日のうちにメダンに行くといっていた。一箇所に長居すると何かと差しさわりがあるのだろうか。

彼女は時に貴婦人のように振舞った。どういう関係かわからないが、ヨボヨボな感じのほとんど口をきかないおじさんが一人彼女の周りにいる。そのおじさんに雑用を頼み、そのたびにさっと1000ルピア札のチップを渡す。

その振舞い方がまったくさりげなく、手馴れている感じで、自然で、跡を引かない。これは日本人の若い女にはできないことだと思った。私も難しい。

このおじさんは本当に貧しい感じで、おとなしくほとんど目を上げないような人だったが、携帯電話を持ち歩いていた。彼女が何か頼みたいことがあると携帯で呼び出して指図する。

私は彼女の勧めで彼女の部屋で食事をしたが、そのときも携帯でおじさんに近くの屋台で飯を買ってくるように指示した。バナナの葉っぱに包んだ飯と簡単なおかず。

私が代金のほかに1000ルピア札を一枚おじさんに渡そうとすると、彼女は、この屋台はすこし遠いところだから2000渡さなければだめだと私に教えてくれた。

日本人旅行者もアジア旅行をするときには、倹約ばかりするのではなく、下僕や目下の者をスマートに使い、チップの関係で上手に付き合うことを勉強してみるのもいいのかもしれない。

三日目。

大通りをはさんでCity Hotelの向かいにある旅行会社でプカンバル行きのミニバスチケットを買う。70000ルピア。高くない。この旅行会社は英語がまったく通じない。飛び切りの美人がいて大変感じの良いところだった。

バス時間に合わせて2時チェックアウトにしてもらった。

今日ドゥマイに来て初めて毛唐を見た。本当に大きな声を出す。

昼頃、例の売春婦からまた内線電話がかかってきた。行ってみると、ひたすら髪を染めていた。例のように扉を開け放したまま彼女としゃべっていると、その向かいの部屋、つまり最初私が案内されて断った部屋に、中年の毛唐が一人入るところだった。ベーリーグッド、ベーリーグッドと大騒ぎしている。

次にその毛唐は私たちを見つけた。私たちは、部屋の椅子に並んでいて、まあカップル然としていたのだが、その毛唐はいきなり女のほうに声をかけてきた。

こういうことはアジアではよくあることである。これが初めてではない。彼ら白人にとっては、アジア女はみな売春婦と同じであり、彼らが常に優先権を持つモノでしかないのである。東南アジアで日本人の女と知り合って話していても、毛唐は平気でずかずかと割り込んできて女に話しかける。毛唐の目には、日本人女も、バービアにたむろして客をあさっているタイ売春婦と同じようにしか見えない。そして売春婦に対してさえ、一緒にいる有色人種の男よりも白人である彼らが優先権を持つのが当然だと思っている。

日本人女性が白人男性と結婚して、一緒にタイのビーチなどに遊びに行ったら悲惨なものであろう。周りの白人たちがニヤニヤして男のほうに聞くだろう「いい女だな。どこで拾ってきたんだ。月いくら払ってる・・・・ヒルトライブの娘か?俺にもひとつ紹介してくれないかな」。(白人に「いい女」といわれたらあなたは相当なゲテモノということなのだが。)

こんなちょっとしたことでも何度も経験し、その「意味」がわかってくると大変気に触るようになる。その意味がわかって平気でいられるのは奴隷である。白人とわれわれとの対等な共存ということは、原理的に無理である。せいぜい、「穏当な住み分け」が可能なくらいである。

アメリカに批判されていたアフリカのどこかの国の大統領が、「ライス(国務長官)は、白人が黒人の友にはなりえないことをわかっていないのだ」と言っていたが、彼は正しい。白人は非白人の友にはなり得ない。白人が非白人と対等な関係を築くことは、原理的に不可能である。白人には「気づく力」がないからだ。彼らは自分たちが教わってきた教義を確認したり、ときには否定してみせたりしているだけで永久に「気づく」ということがない。

ホテルのテレビでは、さかんに「ポルノ反対運動」のデモのニュースを流していた。一緒に見ていた売春婦もI hate pornoと言っていた。彼女もムスリムである。

室内でやることと外にさらすこととはまったくの別物である。社会倫理規範は万人にとって現実に重要なものであり、生きるための「よすが」でもある。倫理規範を失うと本当に生きることができなくなる。人格が歩くたびにぼろぼろ崩れ落ちるように。倫理的にデタラメな社会では、本当に息をするのも苦しくなる。それが人間の本来の性質である。

私は長い間そのことがよくわかっていなかったが、この売春婦はわかっているようだった。

実に最も立場の弱い売春婦も、そういう社会規範によって容認された範囲で稼業しているのであり、倫理の否定の上に立ってやっているのではない。この点われわれは勘違いしがちである。

ホテル売春が儲かるからといって一箇所に長居し、堂々と名前を売って看板を出すような真似をしてはならない・・・周囲に知れ渡る前に移転すべきである・・・等々。

あなたが買春するとしても表通りに売春婦を連れまわすような事はしてはならない。それは白人の文化である。白人の真似をしてはいけない。必要ならコソコソ買うのが正しい。そして買春話を人にしてはならない。

白人が売春婦を好んで連れ回すのは、性欲というより「倫理規範破壊欲」のゲームであり、獣欲ゲームである。彼らはもちろん狂っている。室内でやっていいことなら何でも外にさらしてもいい「はず」だ、「真理」は暴露されるべきであるという狂信は、社会倫理規範の全否定、すなわち人間性の全否定であり、狂った思想である。彼らのさらす脛毛すら、狂気の発露として文化破壊の尖兵となる。

そういうわけで、ドゥマイを出て、プカンバル(Pekanbaru)に向かった。彼女は、芯にマトモなところがある良い子だったが、良い子とは別れなければならない。

シティホテルの向かいの旅行代理店の前からミニバスに乗る。乗客は私を含めて二人だけ。

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