「ニノイ・ナ・カー」in KL!夕方托鉢に来るタイ人尼僧。 タイ人托鉢僧と売春婦を消してほしい
夕方托鉢に来るタイ人僧は「偽坊主」である。決してカネを恵んではいけない。
上座仏教(小乗仏教)では、早朝、朝飯前に托鉢に回るのが基本。
僧が托鉢で得た食物はその日のうちに消費するのが本来の姿。蓄えをしてはいけない。午後は食事もしてはいけない。だから夕方托鉢するなど本来ありえない。
遅い時間〔時ならぬ時間〕の托鉢はスッタニパータかダンマパダで釈迦牟尼自身が諌めていたと記憶する。
午後はそもそも出歩くべきではない。「やたらうろつきまわるな」とも書いてあるはず。
ところがそれにもかかわらず、三宝と善逝のあらゆる教えを踏みにじり、黄色い糞掃衣をまとったタイ人仏教僧が、マレーシアの首都ここクアラルンプルのど真ん中で、毎日のように、夕暮れ時にカネをせびりにやってくる。
夕方から深夜にかけて中華街をうろつきまわり、非ムスリムのアジア人と見ると、ひとが日本語や英語を読んでいる鼻先に鉢を突きつけてうるさく声をかけカネの無心をする。
白衣の尼僧もしつこく来る。
人の読書を中断させて、しかも、このマレーシアの首都で「ニノイ・ナ・カー」だと。頭がおかしいのだろうか。
このとき私がコーヒー屋で読んでたのは英字紙で、タイ語じゃない。ここはタイじゃない。私はタイ人顔じゃない。色も黒くない。
穢れた手で触れられたような気持ちになった。
タイ土人はどこに行っても自分中心に世界が回っていると思っている。
白人には頭が上がらないから、白人の溜まり場を遠巻きにして媚びるように控え、お恵みを待つ。
毛嫌いしているムスリムには近づかない。
しかし、それ以外の世界では自分たちがいつも中心にいると信じている。
私はいつも「私はムスリムだ」と言って追い返している。
タイ人売春婦とタイ人乞食坊主・尼僧は、東南アジアの精神汚染の元凶である。
タイ人坊主は、ネパールやインドの(インチキ)サドゥーとはまったく違う。小乗タイ坊主には、ヒンドゥーのサドゥーたちのような愛嬌もしなやかさも謙虚さもない。(同じインチキレベルを比較してもである)。
というのは、サドゥーたちは、たとえフィクションであっても、何も持たないこと、無一物であること、執着を持たないこと、などを直接の拠りどころとし自らの立場としているのであり、したがって、自分は「ただの乞食」との社会的な区別はないことをむしろ身上とするものであって、現実に、ひどく罵られて追い返されることも珍しくない。(釈迦の時代もそうであったことがスッタニパータの記述からもうかがえる)。
これに対して、タイ坊主たちは国家権力とも結びついた上座仏教教団の社会的「権威」を背景に、喜捨しないことに対するアジア民衆の後ろめたさや迷信的な感情に直接つけこみながら、カネをゆすりとっている。彼らにとっては、拒否されないことが当然のことであり、彼らがタイ世界にいる限り罵られることなど想像もできず、(因果に関する)宗教的な思想からというよりも、むしろ、自分たちの社会的立場のもつ世俗的な「力」ゆえに、敬意をもって遇されるのが当然であると考えているのである。
大げさな話でなく、タイ人だけは日本に入国させてはいけないと私は信じる。
彼らは重大な犯罪を犯さないかもしれないし、政治的な反日運動に加担しないかも知れない。
しかし、彼らタイ人は、彼らががどこへ行っても周囲に撒き散らしている穢れた「タイ精神」(=土人売春婦精神、外国でも平気でタイ語で割り込んで来られる乞食坊主精神)によって、見えない形で日本の風土を汚染し、精神の土台を侵食するに違いない。
この「タイ精神」は、HIVのように有効な抗体ができにくく、しかも精神生活の免疫力である「マトモな感性」を根底から、しかも静かに破壊していくのである。だからなおさら危険なのだ。
きつい言葉のように見えるかもしれないが、実際はそうでもない。なぜなら、日本人からこんなことを言われてもぜんぜん悔しくないというのがタイ精神の本領だからである。
「白人がこんなにボクたちをかわいがってくれてる」「白人はタイが一番好きだ」という事実を示すことによって、あらゆる有色人種に対抗できると本気で思っているのがタイ人である。
もしもタイ人が「精神汚染を撒き散らす土人」と軽蔑されたくないと思うのなら(そう思わないから救いがないのだが)、まず以下の三つのものを、目立つところからだけでも一掃してみればいい。
①土人売春文化(白昼堂々たる売春婦とレンタルワイフ文化、貧乏でもないのに永久に「オンリー」をやっている白人占領文化)。
②危険極まりない街中の野良犬。
③隣国にまで出稼ぎに行き、夕方カネをせびりに来る上座仏教坊主。あろうことか「占い」で金を稼ぐ上座仏教坊主。昼過ぎてから物を食う上座仏教坊主。コカコーラの2リットル入りペットボトルを列車の中でラッパ飲みする上座仏教坊主。売春婦を寺に住まわせる坊主。これら上座仏教僧の世俗的諸特権および政治への口出し。
タイ人はすでに結構な金持ちなのだから、その意思さえあれば一掃できるものばかりである。
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