タイ王室の由緒
中西輝政著「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」(PHP新書)より引用。
タイの現王朝はチャクリ王朝(バンコック王朝ともいう)といって、日本でいえば天明の頃、18世紀後半に誕生しています。ですから、二百数十年の歴史しかないわけです。その前は、いまバンコクの北にあるアユタヤというところのアユタヤ王朝で、こちらは400年近く続いています。いまのタイの王様もアユタヤの王様も中国の雲南省近辺からやってきた外来人による王朝であり、いまの王朝は鄭という名の華僑の出身です。外からやってきた王様というわけです(ただし、そもそも現在のタイ国民の大半も過去400年~500年の間に中国南部の雲南省などからやってきたシャム族です)。歴史から何から、日本とは出自の異なる王国ではあります。
それから面白いのが、タイの王様は商人の代表も努めるということです。主力産品であるお米を外国に売るための商業連盟をつくって、その連盟の代表者として対外貿易を差配する。日本でいえば江戸時代の「札差」の元締めが、200年ほど前に王に成り上がっただけ、といえば失礼ですが、それが事実です。たしかに「お米と王様」という関係だけは、ちょっと日本とも似ていますが。
そういう違いはあるにしろ、タイの国王と日本の天皇に共通するのは、いずれも国民の尊敬が非常に篤いということです。 (163頁~164頁)
米だけじゃなくてオピウムの元締めもしていたんだが・・・・
この本の第三章「日本人にとっての天皇」は必読です。
(ja.wikipediaより)
チャクリー王朝
・・・・・・・ラーマ1世が即位したとき、他のアジアの王朝同様、当時の中国政府清に建国の報告をした。その後中国から返ってきた答えは「シャム国(タイ国)の新しい王鄭華は、父タークシン王の意志と遺領を受け継ぐことを認める」となっていた。これは中国側の勘違いであるのか、チャックリー王朝側あるいは中国側の意図であるのかは分からないが、とにかく当時中国との貿易や華人勢力が台頭していた時期にあって非常に重要なことだった。この後も中国の公文書にはある時点までチャックリー王朝を鄭姓で記録している。
その後チャックリー王朝の中国への朝貢船は無税、無制限で荷物を輸出することが許され、チャクリー王朝は大いに利益を得た。
当時中国は急激な人口増加に食料生産が追いつかず、特に人口増加の激しかった華南では主に東南アジアにむけて多くの中国人が流出し、タイにも、中国から多数の移民がやってきた。タイ語の言語構造は中国語とよく似ており、華人の定着が非常に進み、米精製から米輸出まで幅広く手がけ、食料供給に手を焼いていた中国へ輸出した。これはタイ国内に大きな利益をもたらし、タイ国内ではこうした華人の中で台頭してきた勢力が無視できない存在になっていた。そのため、歴代のチャクリー王はラーマ5世までを中心に、華人に対して官位を与え、優遇する動きをみせた。なかでもラーマ2世の正室の一人は、華人であり、その後の王もこの人の血を引いているため、タイは華人国家という側面が多少含まれている。
しかし、ラーマ6世の時点に状況は一転した。ラーマ5世の末期に起きた人頭税増税に反対する華人のゼネストにショックを受けたラーマ6世は華人を東洋のジュー(ユダヤ人への蔑称)と称し、しこたま儲けてさっさと帰る華人、中国人はどこで生まれても中国人、などと活字上では激しく批判したが、一方で華人のタイ人への同化を奨励した。
この後のタイ華人の歴史については、タイの華人を参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E7%8E%8B%E6%9C%9D
>人頭税増税に反対する華人のゼネストにショックを受けたラーマ6世は華人を東洋のジュー(ユダヤ人への蔑称)と称し
自らを当然白人の下位の存在として貶めへつらいつつ、白人世界の人種主義をそのまま学習し内面化してしまうという、タイ人独特の文化、タイ的白人至上主義・タイ的人種主義がよく表れていると思う。
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コメント
「タイの事典」には、ラーマ5世(キングモンクット)が「王家の祖先は、ナレースワン大王が戦勝時にビルマから連れて来た貴族の末裔であると語った」とされていました。雲南省でしょうか?ビルマでしょうか?
投稿: ONO | 2007年4月12日 (木) 00時49分
その「タイの事典」というのも知りませんが、タイ族が雲南省あたりから来ていることは確かでしょう。
王室にも実際はいろんな血が混じってるんだと思いますが。
しかし、もしタイ王室にビルマ人の血が混じっているなんてことになったら、やばくないですか?
タイ人のビルマに対する差別意識+怨念は相当なものみたいです(坊さんは別でしょうが)。ミャンマー人がバンコクの空港イミグレを無事に通過することは難しいと聞いています。日本からのトランジットでさえタイ役人に現金を要求されたビルマ人に会ったことがあります。
一方、王室にモンMonの血が流れているなんてうわさはありますよね。Monはバンコクあたり(ビルマからタイ中部にかけて)の先住民だから、これはむしろ多少混じってたほうが純粋雲南よりは収まりがいいかもしれません。だから、そのビルマからつれてきたというのはモンのことなのでは?
でもタイ人は「自分たちはもともと中国から来た」と強調して自慢するし、タイヤイやタイルを尊敬(または憧憬)していると聞きました。色が白いからかもしれませんが。
「われわれタイ人はもともと中国から来た」という自慢話を何度聞いたことか。
それを強調する裏には、「自分たちはモンやクメールやマレーみたいな色黒の土人とは違うんだ」、という含みがあるようで嫌味でした。
「中国人」ブランドなら日本人より上にもなりうるわけです。
投稿: Kuantan | 2007年4月12日 (木) 03時05分
現王朝は臣下の乗っ取りから始まったみたいですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E7%8E%8B%E6%9C%9D
ラーマ8世
この顔はやっぱり中国系では?
辻政信が暗殺したなんていってる毛唐がいる。悪いことは何でも日本人のせい。
つまりは現国王自体、かなりいかがわしい背景で即位しているということ。まあネパールのギャネンドラみたいなものだね。
そして現国王即位の原点が、戦後の反日・媚白人だってことだと思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%9E8%E4%B8%96
パタニ王国の歴史も平行してみると面白そうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%90%9B%E4%B8%BB%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.83.91.E3.82.BF.E3.83.8B.E7.8E.8B.E5.9B.BD.EF.BC.88.E3.83.9E.E3.83.AC.E3.83.BC.E4.BA.BA.E3.81.AB.E3.82.88.E3.82.8B.E7.8E.8B.E6.9C.9D.EF.BC.89
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%8B%E3%83%B3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%BF%E3%83%8B%E7%8E%8B%E5%9B%BD
これはマレー半島に限定した場合だと思う。イスラム教の伝播はスマトラが一番初めだし、マレーの起源もスマトラ。マレーシアのヌグリ・スンビランの王族はスマトラのパダンの辺から来たという(9人兄弟で来て割拠したからスンビランなんだとか)。
もっともタイの学者は、シュリービジャヤ王国(東南アジア最古の文明)はスマトラでなく、現在のタイ領内にあったと主張しているらしい。
ほとんど「ウリナラ最高」の半島クオリティ。
シュリービジャヤはスマトラのいまのパレンバンを中心に栄えたというのが通説。
(おまけ)
タイ王国 歴史 第二次世界大戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E7%8E%8B%E5%9B%BD
投稿: Kuantan | 2007年4月12日 (木) 15時04分