白人植民地と化した日本の公共交通機関 山手線ハロウィーン騒動 Stupid Gaijin train Yamanote Halloween 2 (Nullさん提供)
JRは毛唐に媚びてこういう「治外法権遊び」を演出したようである。
鉄道警察隊もこのような危険行為に何の手も出さなかったようだ。
http://www.youtube.com/watch?v=h99S44TRAXY
日本の役人たちは「日本が白人植民地になればいいな」、と思ってるんだろうか。
シナや朝鮮よりは良い?そのわりにはシナにも十分すぎるほど寛容である。
第一、白人の植民地になったからといって、つぎにシナに転売されないとは限らない。
むしろその可能性のほうが強くなるのだ。
シナ人(タイ族を含む)はアジアにおいて、「白人の奴隷たちのボス」(いわば牢名主)としての歴史的経験を積んで来ている種族であり、そのような立場の処世にもっとも習熟している連中なのである。
白人植民地になった国で現在まともな独立国として立っている国はない。比較的豊かなイスラム国であっても例外ではない。マレーシアにいればそれがわかる。
マレーシアの新聞を見てみれば、くだらないイギリスのゴシップのようなどうでもいいネタを自分たちのニュースのように大々的に扱う。日本に関するニュースはイギリス系通信社経由のネガティブなものばかり。マレーシアではエリートほど「イギリス植民地のレガシー」にすがり付いているのである。なお、マレーシアの大臣が投資勧誘のために日本を訪問したことは日本のメディアでは報道されたようだがマレーシアではまったく報道されていない。
つまり、いったん白人に「空間の支配」を許してしまったら、どんな国でも「白人絶対が大前提の国」にならざるを得ないのである。
白人に対してそれを拒めば「戦争」しかないことは十分見てきたところである。
日本人には「毛唐に媚びるアジア人ほど醜いものは歴史的にない」という認識がなさ過ぎる。
カンボジア人もミャンマー人もインドネシア人も、心ある人は「毛唐に譲ってしまったら後はまた奴隷しかない」という自覚を強く持っていると思う。これはアジア人である以上、日本人であっても変わらない原則である。
なんでも喜んで毛唐に譲っている日本人やタイ人は、喜んで白人の女奴隷になりたがり自分だけちょっといい思いをしようとしている醜い植民地アジア人の典型ということになる。
(法的に植民地にならなかったところに事実上の植民地が温存されることはこのブログで何度も述べてきた)。
われわれは、自分の人種を前提にして振舞わなければならない。日本という国を考えるとき、まずその構成人種を考えなければならない。
人間はその人種によって生まれながらに世界に立つ位置が変わってくるというのは厳然たる事実である。
日本人が白人に媚びれば媚びるほど、白人からはさらに舐められ蔑視されるとともに、さらに警戒されもするのである。白人に媚びることで国益になるかのように思い込んでいる日本人は勘違いもはなはだしいというほかない。
白人は日本人ほどナイーブな歴史観・人種観を持っていない。
教育のある白人は自分たちに有色人種から憎まれる理由があることを自覚しているし、それを大前提に出発している。だから、不必要に媚びるやつほど結局は不信を買うことになる。媚びられてうれしいのは人の常だが、それは一時的なものである。
白人に媚を売りながら白人の「完全な奴隷」であることを認めようとはしない有色人種に対して、白人はやがて強い不信と不満を抱くようになる。
たとえば白人はタイで、役人からも民間からもこれ以上ない特権を与えられ特別なホスピタリティを享受していながら、それにもかかわらず上のような理由で、しばらくするとタイ人に対して強い不満をもらすようになるものである。
白人が有色人種から憎まれる理由があることを自覚してはいるとしても、しかし、彼らは何があっても、数百年の収奪の闘いによって築いてきた白人の世界的特権を譲り渡すわけにはいかない。それは白人のアイデンティティを放棄せよというに等しいことだからである。
だから、白人が白人である以上、そして世界に有色人種が存在する以上、有色人種が白人の「完全な奴隷」としてあらゆる面で白人に屈服しない限り、白人の有色人種に対する戦い、人種戦争は終わることはない。
また、山手線でこういう「白人祭り」を許した以上、同じく山手線で「シナ人祭り」や「朝鮮人祭り」を同じような形で許可しないという理由はない。
白人祭りはだめでシナ人祭りや朝鮮祭りはダメというのは人種差別であろう。
そう訴えるものが出てきたとき白人はどう反応すると思うか?
白人甘やかしの勘違い日本人が期待しているようなものは何も出てくるはずがない。
白人は例外なく、「そうだそうだ、そのとおりだ。人種差別だ。シナ人祭りも朝鮮祭りもやるべきだ」と主張するに違いない。
白人にとっては日本および日本民族が弱体化しそうなことなら何でも良いのである。白人にとって朝鮮人など物の数でないことは言うまでもなく、シナ人とて数は多いが本気になれば敵ではないことはわかっている。
白人にとって本当に怖いのは日本人が目覚めることなのだ。白人にとっての悪夢は、アジアが「日本」を受け入れて「日本化」することである。
白人がいつか絶対に潰さなければならないと思っているのは日本なのである。シナに働きかけて日本を潰させるくらいのオプションは考えているはずである。
国境付近すなわち「辺境」のあいまいな地域で属国を白人とトレードするということは中華国家が昔からやってきたことである。たとえばタイ(シャム)の辺境の、パッタニとクランタンはいずれもマレー人のスルタンのスルタン国家だったがシャムから見れば属国という位置づけだった。それだけのことで、シャムはイギリスとトレードを行い、パッタニのシャムへの併合を確定させるとともにクランタンはイギリスに割譲するという領土処分を行った。
これと同じようなトレードを、日本の全部または一部について、シナが白人世界と行わないという保証はない。白人世界としても大歓迎であろう。
白人世界がいま日本に求めているのは日本が蓄積した富を吐き出させることだけである。
日本の富を白人世界に向けて吐き出させる自由市場のシステムさえシナが保障すれば、日本に対するシナの主権を認めることに障害はないだろう。
白人世界は、タイのような国でさえいまだ民主主義国と認定しているのである。
白人世界はタイ国家に極めて同情的であり、タイの辺境問題、少数民族問題にはまったく無関心である。
シナがタイ程度の「民主主義」の体裁を具え、白人に従順に振る舞いさえすれば(日本などに「白人租界」を認めることを含む)、白人世界はよろこんでシナの東アジア宗主権を認めるだろう。
日本をシナの属国と認めさせたうえで日本に白人の治外法権を設定することは、シナにとって何の痛痒もないことである。
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コメント
概ねあなたの感じ方・考え方に共感する者です。しかしクアンタンさんは生粋の日本人なのでしょうか?だとしたら、何故ムスリム風の名前を語って居られるのでしょう?
それはさて置き、私は「黄色人種」という表現を日本人が積極的に使うのに辟易しています。この国に住む普通の幼稚園児にお絵描きをさせて、友達の顔を黄色のクレヨンで塗り潰す子供なんて滅多に存在しませんよね?異人種によって勝手に植え付けられた先入観・カテゴライズを鵜呑みにする大人達に、教育を施され育つ子供達は不幸です。
ただ、もしあなたが人種主義に対抗する手段が人種主義しかないとおっしゃるのなら、それにはまだ賛同し兼ねます。そうしたら、最後には憎しみ合いと戦争しか残されていませんよね?博識な方と信じればこそ、もう少しこのブログに建設的な姿勢と明快な政治思想を期待したいのですが……。
投稿: t.t. | 2007年7月21日 (土) 09時37分
>t.t.さん
あなたと同じような理由をつけて「賛成できない」とわざわざメールをくれたりする人もいて面倒なのですが、そしてそういう人に限って最初は「あなたに賛成です」ではじまり、肝心のところを曲解するか読まずに批判しているものです。・・・・
私はすべての人が賛成してくれることはもちろん、多くの人が賛成してくれることさえ求めてはいません。
このブログは私の個人的な発信です。
コメント内容から推察してあなたはこのブログをあまり読んでもいないと思いますが、賛成できなければ賛成できないで良いでしょう。
あなたが賛成できないサイトは世の中に掃いて捨てるほどあるはずです。日本のサイトはまだマシなくらいでしょう。
だから、賛成できないブログは見ないことです。
私が「人種主義に対抗するのに人種主義しかない」と主張しているのではないかという指摘についてですが、私は「人種主義に対抗するのに人種主義しかない」などということは一言も言っていません。私は「人種主義」には立ってはいません。私はわれわれが「人種主義」にどう対抗するかということしか述べていません。
また、私は「人種主義」という言葉を、通俗常識的な意味ではなく、特別の意味で使っています。過去記事を参照してください。
「人種主義」は誰でも任意に抱きうるような形式的な観念ではなく、固有の歴史と実質を持つ歴史的な概念であるということを、私は再三にわたって述べています。日本人が「人種主義」に立つということは原則的に不可能だということも説明しています。
「人種主義」は任意に反対したり賛成したりできるものではなく、われわれに対立する歴史的現実です。だから、それに対して政治的にどう対抗できるか、それをどう攻撃できるか、ということだけが問題なのであり、賛成か反対かとか好きか嫌いかなどということは問題にならないのです。「人種主義」はただの自由な観念ではないのです。
カテゴリー「人種差別に対する考え方」や右欄の「このブログの掴み所」にあげたエントリーなどを熟読していただくようにお願いします。
わたしは最大限「建設的」な議論をしているつもりです。ただ、足して2で割るようなこと、水で薄めるようなことは建設的ではありません。そういう議論は無効だからです。力のない議論は「建設的」ではありません。
自分は「誰とでも仲良くできる水のように中立的な存在でありうる」と考えるのは日本人の陥りがちな妄想です。
しかし、そんな風に考えるのは世界的にみると「驕り」でさえあります。
私の見た範囲でも、世界の諸民族はそれぞれの「宿命」を受け入れて生活しています。
地球上の多くの人種・民族には、「生まれながら絶対に相容れない敵」というものが客観的に存在しています。それは通常何世代にわたっても変わらないと考えられるものです。
自分の好みでどんな文化にでも染まりうるのだと妄想してるようなのは日本人くらいではないかと思います。実際、外国に出てしまうと、現地文化に率先して同化してしまい、日本人としてのアイデンティティを跡形もなく捨て去ってしまう者が少なくないのも日本人の特徴です。当然のように、そのような者は現地でも尊敬されることは少ないでしょう。
私は、日本人にとって一番大事なことは、日本人としての「宿命」を受け入れること、有色人種であり、アジア人であり、しかも大変特異なアジア人である「日本人」に生まれてきたという「宿命」を直視し、受け入れることだと思います。
白人の空間支配が「戦争と憎しみあい」しかもたらさないのは事実です。事実である以上、この事実は事実として受け入れなければなりません。それは白人がもたらす事実なのであって、われわれの選びうる事実ではないということです。
白人にいったん空間を許してしまったら、奴隷か戦争かしかないでしょう。だから白人に空間を許してはいけないのです。
「憎しみあい」自体は何も悪いことではありません。人間の世界は昔から普通に「憎しみあい」で成り立っています。憎い連中と何とか折り合っている状態が「平和」です。日本以外の国は普通にそうなっていると思います。
異質な他者は身近にいるだけで目障りで嫌なものです。それが意に沿わないことをすればさらに憎しみが募る、というのは正常な感覚です。これは世界共通の人間の感覚です。
そう思わなくなっている、あるいはそういうふうに思ってはいけないと思いこまされている今日の日本人の常識のほうが異常なのだと思います。
目障りな他者の生存を認めながら決定的な衝突を避けるために、賢い人々は「すみわけ」ということをするのです。マレーシアはそれをある程度成功させているようです。
また、「憎しみ」をしっかり持つことはエネルギーの要ることです。「節度」のない者に「憎しみ」を維持することはできません。
自分は憎しみを持たない、持ちたくないという日本人はたんに怠惰で節度を失っているだけではないかとも思われます。
つぎに「戦争」ですが、戦争は白人の本業とでも言うべきものであって、彼らにとっては数千年に及ぶ彼らの歴史の常態でさえあります。
それ以外の諸民族にとっても「戦争」はひとつの現実的選択であって良いとか悪いという問題ではありません。
戦争を頭から「悪」として排除する理由はこの世界にはないということです。
どんな経緯があれ異民族が侵入して勝手気ままに略奪強姦を始めたら、武力で排除する以外に方法はありません。しかしそのときでは遅いのです。
白人の「空間の支配」の衝動は、かならず「憎しみあいと戦争」をもたらします。それはわれわれが望んだことではなく、白人が最も積極的に自ら決めて進めていることなのです。このことは世界のニュースを見ていれば普通に理解されることではないかと思います。「最後は戦争・・・・」というのはどこの世界の話か知りませんが、戦争は今も普通に行われています。
「憎しみあいと戦争」をもたらしているのは「私の思想」ではなく、「白人の現実」なのです。この点をスリ替えないでほしいと思います。
Kuantanについてですが、Kuantanは別にイスラム風の名前ではありません。地名を借りているだけです。それに、こういうものはハンドルネームといって適当に決めるものなのです。たとえば「大阪」というハンドルネームもありうるわけです。
「生粋の日本人ですか」という読むも恥ずかしい愚問について答えますが、私は生粋の日本人です。
しかし、私の「人種主義」を批判するというあなたにとって、私が生粋の日本人であるかどうかにどういう意味があるのか、教えてほしいですね。「白人批判して朝鮮批判しないのはKuantanが朝鮮人だからだろう」というほうがまだわかりやすいくらいですが。
私はムスリムでもないですが、「生粋の日本人」にもムスリムになる人はいるでしょう。インドネシアではそういう日本人の話を聞きました。
「黄色人種」という言葉についてですが、日本人は「黄色人種」という言葉を事実上受け入れていると思います。日本語では黄色は特別悪い意味を持つわけではないのでどうでもいいことです。
しかし、英語のイエローという言葉には悪い語感があるそうです。
だから、「アジア人に理解を示す」フリをする白人の中には、日本人に向かって「君たちブラウンピープルは・・・・」などという表現を使うのがいました。イエローよりはブラウンのほうが語感が良いそうですが、彼らにとっては日本人もタイ人もインドネシア人も「ブラウンピープル」で一括されるわけです。
白人世界では「カラード」という言葉もかなり禁忌のようですが、「有色人種」という分類を作ったのは彼らであり、その分類自体は今の世界でも生きています。
彼らが「イエロー」や「カラード」の言葉を禁忌とするのは彼らの現実の人種主義を隠蔽するものでしかないと思います。
私は、「黄色人種」分類を受け入れながら、クレヨンの「肌色」は人種差別だ騒ぎたてるような、日本内部の議論が一番ゆがんだものに思います。
なお、このブログはよくある政治ブログではありません。ここは「政治思想」を開陳するための場所ではありません。私はよくある政治ブログというのがあまり好きではないのです。
このブログはあくまで一旅行者の日記ブログであり、「匿名で公開できる範囲で公開する日記」です。
メールなどで「博識ですね」とかいう人がたまにいますが、本気で言っているとしたら相当教育のない人といわなければなりません。
「博識な方と信じればこそ、もう少しこのブログに建設的な姿勢と明快な政治思想を期待したいのですが……。」というあなたのコメントには耐え難く気持ち悪いものがあります。あなたはそんなに「博識」が好きですか?「博識な方」が好きなら大学へ行ったらいいでしょう。「建設的な姿勢と明快な政治思想」を持った人も大学にいっぱいいるでしょう。「明快な政治思想」を好むような人間にろくなのはいないと私は信じていますが。
繰り返しますが、ここは政治思想の場所ではないので、「戦争と憎しみあいに反対する、建設的で明快な政治思想」を読みたければ朝日新聞でも読んだらいいと思います。
いきなり「何を専門にしてますか」と聞いてくる人もたまにいますが、何が「専門」だったか(ようするに大学で何を勉強したか)は言葉遣いでわかる人にはすぐにわかってしまうと思います。(文学とか、哲学とか、政治学とか、専門外の人がその言葉をすぐに借用するような学問ではないということです)。しかしそれもすっかり忘れています。
ついでに「日記としてのブログ」ということについて普段思っていることを少し書いておきます。
日記ブログが嫌いだという人のなかには「日記を公開する」ことに違和感があるという人がいます。しかしながら私は、「日記は自分だけが見るものであって他人に見せるべきでない」という考えのほうが、近代日本(あるいは戦後日本)の特殊な文学的風土から生まれた根拠のない固定観念ではないかと思います。昔の人は洋の東西を問わず、他人がいつか当然見るものとして日記を書いていたはずです。日記と日誌に区別はないと思います。中世の日本なら日記は(面白ければ)当然のように筆写されて回し読みされるものだったわけです。書いた人の顔など一部の人しか知らない。実名にも興味はない。あだ名や誰の娘の日記として流通していたわけです。それは今の匿名ブログのようなものでしょう。つまり、今日の日本の匿名日記ブログの形式は、日本の日記文学の伝統的形式を受け継ぐものとさえいえるくらいだと思います(あくまで形式がそうだというだけで、実質がそうなっているということではありません)。
投稿: 管理人 | 2007年7月21日 (土) 12時15分