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2007年11月12日 (月)

土曜日のデモ

10日土曜日、クアラルンプールでかなり大規模なデモがあった。

デモ隊はマスジッド・ジャメに集まってムルデカ広場に向かい、私は行き当たらなかったが、催涙弾が飛び放水車が出動するかなり派手なものだったとか。マスジッド・インディア周辺のインド人商店が催涙ガスの被害を受けて店じまいを余儀なくされた。

新聞によればこの10年来最大規模のデモだったとか。10000人くらいが動員されたらしい。(AFPの報道では30000人規模のデモ)。

デモを呼びかけたのは複数の野党で、中国人政党からイスラム政党のPasまで含まれているよう。

新聞の写真を見る限りデモ参加者は色黒のマレー人ばかりに見える。

機動隊がかなり上手に鎮圧したようである。つまり死者は出さなかった。催涙銃の水平撃ちぐらいはしただろうが、実弾は撃たなかったようである。実弾を撃っていたら欧米メディアが大騒ぎしただろうが、特にそういう報道はない

早くもウィキペディアに記事が出ている。

http://en.wikipedia.org/wiki/2007_Bersih_Rally

 
デモ参加者がなぜか揃いの「黄色いシャツ」を着てイスタナ・ヌガラに押しかけ国王に直訴したというのが気になる。

黄色いシャツを着て国王に直訴、ってのはどこかの国のようだ。

たまたま黄色いシャツを着ていたデモに関係ない人も警察にしょっ引かれることがあったとか。

しかし警察はデモ隊がイスタナ・ヌガラに直訴状を提出することは認めたらしい。国王はその日(機転を利かせて?)クアラ・トレンガヌを訪れていて不在だった。

http://iscariot.cocolog-nifty.com/times/2007/11/post_c9e8.html
 

 
東南アジアの国のこの種の大衆デモはたいてい権力闘争がらみで偉いさんに動員されたものだと思う。

だって、個人が、ないんだから。

良くも悪くも。

民主主義は自由主義に奉仕するものというのが、「立憲主義」の枠だと思う。

つまり立憲的な民主主義は、「自律的な個人の意思の自治」を土台としつつ究極においてそれに奉仕するためのものということ。

なぜ個人の意思の自由、個人意思自治にそんなに価値があるのかというと、結局はキリスト教の話にならざるを得ない。

集会、結社の自由は、このような個人によって構成される市民社会が「国家となろうとする試み」(ヘーゲル)を、保障するものということになるかと思う。

いずれにしても民主主義の理念は、そういうかなり特殊な宗教の文脈から生じた「個人」の理念を前提としている。

しかし、制度として現に各国で応用されている「民主主義」は、その由緒を問わず、応用自体にそれなりの価値があるといえるだろう。

いろいろな妥協の上で各国の土壌に移植された民主主義を、その宗教的・歴史的・あるいは体験的(「自ら闘いとった」云々の)基礎がないからといって無価値だとしたり、現に応用されている制度を否定して「本質」を求めていくようなことは適切ではない。

民主主義の理念に文字通り忠実であろうとするなら、あらゆる集会・結社・表現の自由は無条件に容認されなければならないと思う。

しかし、ほとんどの社会は、その民主主義理念が前提としているような禁欲的な理想的な「個人」によっては構成されていない。

飲んだくれで(酒を飲まなくても)情動によって動き、祭りがあればソワソワして自分も何かしたくなる、というのが群集というもの。ほとんどの人間は、集団になればそういう群集になる。

集会結社の自由ということを無条件に認めることは、日本が白人外国人にハロウィーン騒擾で容認したような乱痴気騒ぎを常に無条件に認めていくという意味である。

「普遍的」な自由人権は国籍を問わないし、その内容を問うてから認めるのでは自由とはいえない。

だから集会結社の自由は人権だというなら、他者の別の人権を害しない限り、無条件に認めるのが筋になる。(これが人権の理念にもっとも忠実な「公共の福祉」の解釈だろう)。

しかし他者の別の人権を害することになるかどうかは「やってみなければわからないこと」である。

 
今度のデモの参加者がカネもらったかどうかは定かではないが、タイのタクシン派のデモなんかは結構いいバイトなんだろう?

それでも東南アジアのデモは、偉いさんがバックについているので(欧米がバックについていることもあるだろうが)、やらせておいてもそんなにひどい騒乱にはならないのだろう。

問題なのはむしろ、何のバックも人的なつながりも宗教的な縛りも持たない無機的な個人たちがなんとなくいっしょに暮らしている日本のような国で、そういう無秩序が果てしなく進んでいくことのほうだと思う。
 

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