小倉清子「ネパール王制解体」(NHKブックス)
タメルのある日本人経営レストランに誰が作ったのかこの本の「全部コピー」(違法)が置いてあったので、コーヒーを飲みながらざっと目を通した。
どちらかといえばマオイストにシンパシーを持っていると思われる著者だが、マオイストの原郷ともいうべき(特定の)山村地域への体当たり取材に基づいたレポートで、引き込まれる面白さがある。
「民衆」という手垢のついた言葉を無造作に使った副題からもわかるように、私には全体として「カースト」の観点が弱すぎるように感じられる。
しかし、マオイストの原動力となった「主体」は決して、単なる「民衆」や「抽象的に虐げられている貧困層」なのではなく、またその動因はどこにでもある「悪い権力」でもなく、ネパールの「特定の歴史」に基づくものだ、ということははっきりと描かれている。
すなわちマオイスト運動の原点は、モンゴロイド系マガル族という「特定のカースト」=民族の「ある山村」なのであり、彼らの闘いの根本の動機は、何をおいても数百年に及ぶアーリア人による侵略、支配収奪にほかならない。つまり彼らの闘いの原点はアーリア人侵略者とマガル族を中心とするモンゴロイド系諸民族との闘いだったのである。
ネパールの山村地方住民たちが共産主義思想を容易に受け入れた背景であるという、マガル族の伝統的な原始共産制的コミューンに関する著者の記述はあまりにナイーブで、美化されすぎていて、性悪説の私には受け入れがたい。
しかし、アーリア人のネパール侵入が、旅行ガイドブックが描くような牧歌的なものではなく、虐殺、強姦、略奪、奴隷化をともなう旧約聖書的な侵略のプロセスであったことも具体的に示唆される。また、モンゴロイド系カーストに文明がなかったのではなく、彼らの独自の歴史はアーリア人によって意図的に消し去られているのであり、現在も書かれることがないということ。
インドやヨーロッパにおいては神話時代にほぼ完了したと思われるアーリア人による侵略が、ネパールにおいてはほんの300年ほど前に行われた。
だから、歴史が消されたとはいえ、モンゴロイド系カーストの人々に語り継がれて伝えられ記憶に残っている事実も多い。
ネパールとアーリア人の歴史をたどることは「アーリア人」という種族の「悪性」を考える材料にもなると思う。
それはアーリア系の種族が、なぜ現在、世界支配の座についているのか、という問題をとく手がかりにもなると思う。
世界史は、普通の日本人の想像をはるかに超えて、民族皆殺し、輪姦、女奴隷狩り、民族丸ごと奴隷、民族丸ごと女奴隷、支配民族は村で見つけた良い女をその場でレイプOK・親兄弟は指をくわえてみてるだけ・誰も文句言えず、・・・・ということの連続だった。
そういう「自由競争」の舞台に参加する気力のないような民族は本当に消されてしまうか、女だけ残されて性奴隷にされるか、力のある種族がわざわざ来たがらないような山奥や離島に逃れるしかなかったのだろう。
数千年にわたる世界史のこのような血なまぐさい舞台でほぼ勝利を収め、現在、奇麗事支配の座についているのがアーリア人であり、その系統のコーカソイド、つまり白人である。
マガル族の原始共産制的コミューンにおいては、共同体の全構成員が農民であり労働者(といっても山仕事だが)であり、兵士であったという。アーリア人がヒンドゥ主義をもちこむまではマガルは牛肉も食べていた。
マオイストたちはもちろん宗教も来世も否定するが、「しっかりした思想があれば死は怖くない」というのだという。
これは洗脳だと思われるだろうが、長時間密室に閉じ込めて音楽を聞かせたりして洗脳するわけでもないようだ。
ネパールのモンゴロイド系カーストにとっては伝統的に死を恐れずに闘うことがモラルであったのであり、「グルカ兵」(この通称の由来はアーリア系の現王室=ゴルカ王朝だが)の戦闘力の中心も彼らモンゴロイド系諸民族出身者である。日本軍と闘ったイギリス軍・英印軍の主力でもあった。彼らは「デューティのため」に命を捨てることを惜しまない。
(なお英軍グルカ連隊は現在も存在し、ネパールで傭兵の募集もしている。難関でなかなか合格しないようだが、いまでも応募者・合格者の多くはモンゴロイド系のようだ。ミャンマーのネパール人のほとんどは日本軍に当てられたグルカ兵の子孫および男子のためにネパールから呼んだ同じカーストの嫁さん)。
そういう土壌がなければ、ただの「思想」だけでは、死を恐れず「国家」や「階級」のために戦うマオイスト兵士もなく、マオイストの勝利もなかっただろうと思われる。(日本以外の国のたいていの左翼は、「国」のために命を捧げて闘うというものである)。
マガル族のコミューンを原点としアーリア人侵略者=支配層との闘いを動力として急速に興隆したマオイスト(ネパール共産党毛沢東主義派;ネパールの共産党にはマオイストのほかにロイヤルコミュニストと呼ばれる王党派共産党などいろいろある)だが、現実には党官僚エリートの大部分をバウンやチェトリなどアーリア系知識層が占めているという矛盾にも触れている。
つまり、「しっかりした思想(=その中核にはモンゴロイド系山岳民族の原始共産制コミューンの懐かしい理想郷イメージがあり、また、アーリア人の横暴に対する積年の憎悪があるはずだ)があれば死も怖くない」と断言でき、現に戦い、現に命を落としていくジャナジャーティ(下位カースト)出身のマオイスト兵士たちと、彼らの上に立ち、銃弾の来ない安全なところで一般民衆に比べればはるかに良い生活をし、難しい理屈を言ったり勇ましい号令を出したりして素朴な民衆たちの崇敬を集め、子息をイギリスの一流大学に留学させたりしているバウン(ブラーマン)やチェトリ(クシャトリア)などアーリア系のマオイスト指導者たちとの矛盾である。
また、マオイストは近年になって、(毛沢東主義派という名にもかかわらず)中国共産党式の一党独裁を批判し(欧米世論にこびるような)複数政党主義、議会制民主主義などを打ち出しているということである。共産主義者でも全体主義者でもない者から見れば、それ自体結構なことといわざるをえない。しかし、「毛沢東主義」という看板を掲げながらの方針転換である。日共のような調子のよさ、党官僚の既得権温存のためなら何でもやるという姿勢の現われ、というように見えなくもない。
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