a.カンボジア

2007年12月18日 (火)

タイとカンボジア 共通ビザ発行へ

12月17日18時0分配信 時事通信

 【バンコク17日時事】タイとカンボジア両国は17日、いずれかの国のビザ(査証)を取得した外国人に両国の入国を認める協定に署名した。観光業の振興が目的で、それぞれの国内法を改正後、「共通ビザ」が発行されるという。
 カンボジアのホー・ナムホン副首相兼外相とタイのニット外相は同日、プノンペンで行われた協定の署名式後、将来、ベトナムやラオス、ミャンマーの3カ国も共通ビザに加わる可能性を指摘した。

 

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2007年11月17日 (土)

41歳ロシア人男が少なくとも19人の女児を性的虐待 プノンペン カンボジア

6人の女児の性的虐待の告発により先月逮捕されたロシア人ビジネスマン、アレクサンダー・トロフィモフAlexander Trofimovが、少なくとも19人の女児を性的に虐待していたらしいことがわかった。他13人の女児らの被害の申し立てによって明るみに出た。これにより、トロフィモフのケースはカンボジアで過去最悪のぺドフィリア捜査となった。
17日付マレーシア紙New Straits Timesの報道。

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2007年11月 3日 (土)

61歳のドイツ人男が14歳の少女と寝ているところを逮捕 プノンペン カンボジア

今週木曜日、毎度おなじみの人身売買担当Keo Thea警部補配下の警察官たちがケルン出身ドイツ人男(61歳)のホテルの部屋に突入し、男が14歳のカンボジア人少女と寝ているところを逮捕した。

そのときこのドイツ男はパンツ一丁で眠っていたらしい。一緒に寝ていた少女は服を着ていた。

そのせいかこのAP通信の報道では男の名前は伏せられている。少女は男と何度かセックスしたという証言をしているが、男がこのあと見え透いた否認を続けることは明らかだと思う。それが白人のアジアでの行動様式である。

男が英語教師かどうかは不明。(ドイツ人などでも「英語教師」としてカンボジアなどでこのような活動をしているものは少なくない)。

カンボジアでは16歳以下の子供とセックスなどをするとdebauchery(遊蕩)という罪で最高20年の刑に処せられる。

フランス人の人権団体はこの男を何度も目撃していたという。それによればこの男は、逮捕されたときにいっしょにいた少女を含めた二人の10代の少女とうろついているのが目撃されており、別の少女とも淫行をしていた疑いがあるということ。

今年の3月には2人のドイツ人男に10歳から14歳までのベトナム人少女を虐待して合計40年の懲役の判決を受けており、4月にはシュトゥットガルト出身のドイツ人Walter Muzeが13歳の少女とセックスして訴えられた。先月はロシア人ビジネスマンが複数の少女と淫行して逮捕されているということ。とにかくドイツ人が多い。

白人がアジアでこういうことを平気でやる心理とハロウィーンで山手線で裸になる心理との間にはそう大きな隔たりはないと思う。彼らは何かを「越えたい」のだろうが、本国では許されないことでもアジアなら白人の特権として許されるはずだという意識があると思う。

ゴーギャンがタヒチで幼女少女とやりまくりそのポルノ絵を描きまくって「自由」と「自己実現」を求めた心理と同じである。モームは「月と6ペンス」でその白人遊びを賛美しアジア太平洋での白人遊蕩に理念さえ与えている。

日本に来ている白人英語教師が日本の女子小学生と堂々遊蕩交際し東京の町を練り歩くひも近いだろう。

警視庁や日本の政治家は白人が「日本は自由ですばらしい国です」とか褒めてやればそれだけで喜んでどうぞどうぞ自由にやってくださいとなるのである。

http://www.iht.com/articles/ap/2007/11/02/asia/AS-GEN-Cambodia-Child-Sex.php

Police arrest German on child sex abuse charge in Cambodia

The Associated Press           Published: November 2, 2007

PHNOM PENH, Cambodia: Police caught a German man in bed with a 14-year-old girl in the Cambodian capital and arrested him on debauchery charges, police said Friday.

Police raided the suspect's Phnom Penh hotel room Thursday and discovered him with the teenage girl, said Keo Thea, deputy chief of a unit that investigates human trafficking.

Keo Thea said the suspect would face formal charges in a court, but he did not specify the charges.

However, a police officer who asked not to be named because he was not authorized to speak to the media, said the suspect, 61, came from Cologne, Germany and was arrested for debauchery — a legal charge used for the sexual abuse of children under the age of 16 — which is punishable by up to 20 years in jail.

He said police officers burst into the German's hotel room and found him, dressed only in his underwear, lying asleep on the bed with the fully clothed girl.

The girl later told police that she and the man had sex several times before the raid. It was not immediately clear if she also faced any charges.

A French child rights group said it had kept the suspect under surveillance for some time. Investigators for Action Pour Les Enfants saw the man spending time with two teenage girls, including the one whom he was with during the arrest, said Samleang Seila, the group's director in Cambodia.

The detention of the German is the latest in a string of arrests of Westerners suspected of child sex offenses in Cambodia.

Poverty and lack of education in countries like Cambodia make it easy for pedophiles to operate, said Christian Guth, an official of the U.N. children's agency UNICEF, who works as an adviser to Cambodia's Interior Ministry on human trafficking.

"Cambodia is still very weak. Money is very important here, and with money you can do whatever you want," he said, referring to the method often used by pedophiles to lure children.

In March, the Phnom Penh Municipal Court sentenced two German men to a total of 40 years in prison for sexually abusing ethnic Vietnamese girls aged 10 to 14 years.

Then in April, the same court charged Walter Muze, a 62-year-old German from Stuttgart, with debauchery for allegedly having sex with a 13-year-old Cambodian girl. Last month, a Russian businessman was arrested and charged with debauchery for allegedly having sex with six girls in Cambodia. Both are in detention awaiting trial.

 

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2007年10月11日 (木)

国際手配の児童虐待容疑者(白人男)、カンボジア警察が捜査開始

こういうのが氷山の一角のさらに一角であることはすでに何度も述べてきたとおり。

それでもカンボジアはタイよりはまじめに児童買春に向き合っていると思う。タイではやるほうもかばうほうも「プロ」。白人世界には小児性愛を目的とした秘密結社が存在しており、アジアでの「宣教活動」に取り組んでいる。

「民族浄化」のために意図的なレイプが行われることからもわかるように、性的搾取はその被害を受ける民族集団、人種の文明的な活力を根底から破壊し再起不能にする効果があるために、白人による有色人種に対する性的搾取活動と白人優越主義の文明運動とは内的な結びつきをもつ。

現実にタイ北部山岳地域などでは白人ミッショナリーと児童虐待性犯罪とが組織的に結びついていることが多いようだ。すなわち、白人キリスト教ミッショナリーが「未開人」の「文明化」手段としてミッショナリーやその周辺の白人によるレイプや児童性虐待、および混血児作り、を容認しむしろ奨励しているというのが彼らの実態である。

http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2295867/2228078

2007年10月10日 21:19 発信地:プノンペン/カンボジア

【10月10日 AFP】カンボジア警察は9日、国際刑事警察機構(ICPO)の要請を受け、同国内で児童を性的に虐待しているとみられる白人男性の逮捕に向けて捜査を開始した。

 男は計12人の男児に性的暴行を加える自身の写真、約200枚をインターネット上に掲載したとみられ、ICPOが8日、国際指名手配した。写真が撮影された犯行現場は、ベトナムかカンボジア国内と考えられている。両国で盛んな「買春観光」産業は悪名が高い。

 ICPO初のカンボジア支部の副ディレクターKeo Vanthan氏は、AFPの取材に対し、カンボジア警察はこのような汚名を払拭すべく捜査への協力を惜しまないとしながら、現時点では容疑者を特定するには情報不足だと語った。
 
「逮捕にはまず容疑者の特定が必要だ。特定できないままでは、捜査は非常に困難だろう」(Vanthan副支部長)

 ICPOはウェブサイト上で、問題のサイトに投稿された加工画像から復元した容疑者の顔写真を公開している。これによると容疑者男性は30代から40代の白人男性で、暗褐色の頭髪は薄く、ひげはない。

 カンボジアでは児童買春が長らく放置されてきたが、取り締まり強化に伴い、2006年には前年の2倍に当たる10人の外国人が児童に対する性的虐待で逮捕された。(c)AFP
 

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2007年7月14日 (土)

シエムレアプ 2

7月9日。

クアラルンプル行きの航空券を買った旅行代理店が紹介してくれた「アンコールST」というホテルに入る。一泊20ドルの約束。

シエムレアプのネット環境はよくない。ネット屋は多いがポイペトより遅い。

ポイペトのネット屋はタイのサーバーを使っている。だからタイ政府が規制しているサイト、Youtubeなどは見られない。2ちゃんねるのエロ広告にも規制が入る。

シエムレアプではエロ広告も規制されないので、カンボジアのサーバーを使っているのだろう。しかし遅くなる。

シエムレアプはなるほど朝鮮人が多い。確かに、やはり、うざい。私はタイではツーリストの集まるようなところは避けて旅行するので彼らに出会うこともほとんどなかった。チェンマイに長居していたときも彼らにかち合うことはほとんどなかった。ツーリストの多い「いかにも」な場所、風紀の悪い場所、夜遊び、酒場、ギャンブルなどを避けていれば彼らにぶつかることはあまりない。たまにイサーンを一人で放浪している若い韓国人バックパッカーに出会ったくらいである。

どこにいても、いくら避けようとしても避け切れないのが白人であり、だれも来そうのない場所をことさら探し出して抉るように入ってきてマーキングしたがる白人のほうが頭痛の種だった。

しかしシエムレアプはすこし事情が違うようだ。ここは全体がツーリスト基地、そしていまは白人密度より東アジア人ツーリスト密度のほうが高いかもしれない。

中国旅社はどこにでもあるが、ハングルの看板が目立つ。もちろん場所による。

ネット屋にグループで乗り込んでくる若い挑戦人。ビーチサンダルならまだいいが、トイレ用プラスチックサンダルみたいなのをつっかけて、歩き方から表情からまるでチンピラのようである。

あれも嫌これも嫌ではだめなので、有色人種を叩くのは気が進まないのだが、まあシエムレアプはそういう場所だということ。

出発は一週間先である。ここでのんびりするのもいいだろうと思って出発日を一週間先にしたのは自分なのだが、ちょっと町を見渡してみるとこんなところに一週間もいるのかと思うと気が重い。

アンコールは数年前に一度見た。遺跡趣味でもないので何度も見たいとも思わない。近くの屋台レストランに毛唐が群がっていて乞食少女にちょっかいを出していた。

観光基地なので物価は高いし、ぼるのが基本のようである。なにごともポイペトのマーケットのようなわけには行かない。

おいしいコーヒーというのもなかなかありつけない。ありついてもホットコーヒー2000リエルとか。ここもアイスコーヒーが基本になりつつある。

ポイペトで毎日食べていた孵化しつつある卵や口の中が痒くなるミックスジュースなどはちょっと見た感じではありそうにない。ミックスフルーツシェークは一応ある。いくつか試してみたが、ホンモノのクメールミックスジュースとはいえない。

ホンモノのクメールジュースの要件とは何か。まず、ドリアンが入っていなければならない。ドリアンとジャックフルーツを惜しみなく入れることで口の中が痒くなるのである。そして硬いコンデンスミルクを惜しみなくぶち込む。さらに卵黄を入れる。氷でごまかさないこと。ジュースがグラスの3分の1になってもなおストローが立つこと。

しかし、ここは大きな建物もなく、ごちゃごちゃした感じもなく、緑が多くて南国の雰囲気があり、まあ環境の良いところだといえる。物価は高い。

ホテル「アンコールST」の人たちはみな親切でよくしてくれる。旅行代理店の紹介で来たからかもしれない。旅行代理店で何も買わなかったとしても、代理店を通したほうが飛び込みよりは安くなったり扱いがよかったりするのかもしれない。代理店としては恩を売ることにもなるから紹介だけでもしてくれるだろう。まあ、どうでもいいようなことではある。

タイ人のように、作り笑いの裏にねっとりとしたタメ、屈託、屈折、見下し、嫉妬などが渦巻いている・・・・ということはカンボジア人にはあまりない。

小間使いなど土人的ぶっきらぼうというのはどこにでもある。ポイペトのゲストハウスの掃除のおばさんが異常にぶっきらぼうなので何か怒っていることでもあるのかと思ってみていたが、そういうことではないようだった。

シエムレアプはネット環境は悪いが店によって速度が違う。店がたくさんあるのでうるさい毛唐などを避けようとすれば避けられることが多い。毛唐は公共の場所で必ず大声でしゃべる。それが彼らの支配確立の儀式なのかもしれない。

白人は自分たちが黒人以外の有色人種からも嫌われているという自覚がまったくない。彼らにはほかの有色人種たちからも迷惑がられているのだということを教えてやったほうがいいと思う。黒人に憎まれている自覚はさすがにあるようだ。だからマレーシアでも黒人客のいるところには白人は寄り付かない。なお、マレーシアにいる黒人は不法滞在であっても土方ではない。一般のマレーシア人よりも英語がよくできるような教育のある連中が多く、ペーパーワークのバイトをしている。

シエムレアプは観光基地だが、タイの町にはない健全な明るさがある。

空が開けていて緑が多い。町には清潔感があり空気も良い。植物の発する香を感じることのできる町である。

土人売春婦連れの毛唐はいないわけではないが、思ったよりは少ない。「観光客」が多い。タイ女がカンボジアに行きたがらないからだろうか、タイ女風のはわりと少ない。

(タイ売春婦は毛唐について「先進国」に行きたがる。ヨーロッパに長期売春旅行をしたことがあるがアジアには行ったことがないと自慢する馬鹿なバービア女もいた)。

「イサーン女」を連れているのはあまり見かけない。

しかし50も若そうな色黒の女を連れている白人爺もいた。

この町の人、カンボジア人は、ツーリストからボルことはあっても「媚びる」という感じは少ないように思う。これもタイとの大きな違い。

ツーリストも受け入れているローカルレストランでのツーリストプライスは標準装備。本当にローカルな店は、一見の外国人がドカドカ入っていきにくい感じがする。これもタイとの違い。まっとうなことである。

ホテルに近い裏通りで「孵化しつつある蒸し卵」の店を2件見つけた。英語を話すほうはぼろうとする。蒸し卵の味はポイペトと同じだが、フルーツシェークのはどこも薄味。ドリアンも入れてはいるがほんのちょっと申し訳程度に入れてるだけ。

数年前にポイペトで毎晩飲んだ「グラスの3分の1になってもストローが立ち口の中が痒くなる」フルーツシェークをもう一度飲んでみたい。ドリアンとジャックフルーツと硬いコンデンスミルクを入れなければならないので日本で作るとたいへん高いものになりそうである。

それほど目立つわけではないが、在住フランス人もかなりいるようだ。今でも特権的地位を維持しているようで植民者然としている。

ポルポト時代が終わるのを待って、それ見たことかとばかりに舞い戻ってきたのだろうか。

白人は植民地主義の時代に獲得した特権を決して自ら手放すことはない。

そういう在住フランス人の子弟らしき子供がネット屋にも来ていたりする。日に焼けているのか地黒なのか、色黒だが明らかに白人との混血とわかる中学生くらいの女の子が(小学生かもしれない)二人、小さな声でグズグズブツクサとフランス語を話している。

白人は、白人意識を持つ以上何代しても白人としての母語を忘れることはない。ヨーロッパの言語こそ文明人の言語である、という強い確信がある。これはいろいろな古典を読むと普通に出てくる思想である。

しかし、言葉を忘れないことは華僑、印僑も同じ。

一代のうちにも母国語を忘れて現地同化してしまうのは日本人くらいである。

地元水準から見るとこぎれいな格好をしてフランス語でおしゃべりしネット屋で暇をつぶす白人混血の女の子。これだけ見ると特権的な白人の子供という感じである。

しばらくしてネット屋が満室になったところに、突然アメリカ直輸入のような白豚デブメスが二匹、100メートル先にいても聞こえそうな英語を話しながら乱入してきた。

暇つぶしのようなことをしていた二人の植民地混血の女の子は、まるで指図されたように席を立ち、でかい白豚メスに追い立てられるようにそそくさとネット屋を出て行く。

その場面は明らかに、これまで東南アジアのいろいろなところで見てきた「白人に追い立てられるアジアローカル客」の図だった。

シエムレアプのローカルカフェは「テレビカフェ」が多いようである。わりと閉鎖的な感じの広めの店に3台ほどテレビが置いてあり、アメリカのプロレス、中国のチャンバラ、カンボジアのドラマを放送している。そのうちのひとつ、真ん中においてあるテレビがメインで、大きなボリュームになっている。客はみんな同じ方向に座りテレビを見ている。ホットコーヒーはない。アイスコーヒーのみ。大体こんな感じである。

この辺はまだ家庭にテレビが普及していないのだろうか。そんなこともなさそうに思うが、日本にも公共の場所でみんなで同じテレビを見たという時代があったと思う。黙ってテレビを見ているだけだが、彼らは毎朝この薄暗いカフェに集まってくることである種の社交感を得ているのかもしれない。

ついたすぐはアジア系観光客がウザイように思ったが、しばらくいるとやはり白人が一番目障りであることを再確認する。アジア系は諦めが早い。どんなところでもさほど長居しないのである。

これに対して白人は、国籍・民族を問わず長引く。自分の空間支配へのローカルたちの「承認」を得ようとして、名残惜しそうにうろちょろしちょっかいを出す。用が済んでもさっさと消えないのだ。大声、無駄話、ガン飛ばしが白人の得意技であることはいうまでもない。

占領した土地で息を潜めて隠れている少女を探してあちこちかぎまわりなかなかバラックに引き上げようとしない白人兵そのものである。

旅先を選ぶときは、海外でも国内でも、白人ツーリストが来ないところを上手に選ぶことが大切である。多くの日本人がそういう意識をもつようになれば、受け入れる側も考慮するようになるだろう。

白人とじゃれあいたい馬鹿は白人国家にいって水ぶっ掛けられたり石投げられたりしていればいいのだが。

案外要注意なことだが、タイに行ってタイにはまってしまう者には海外一人旅はタイが初めてだったという者が多く、また他の国はほとんど行ったことがないという者が多い。そして、彼らが繰り返しタイに通った動機のひとつに、タイに白人がいっぱいいるから、というのがあったりするのである。

外国で白人とじゃれあいたいが欧米に行くのは経済的にも語学力からもしんどい、タイなら白人ツーリストがいっぱい来ていて下手な英語でも相手にしてくれるような気がする、白人とフレンドリーに英語でおしゃべりする機会も多いような気がする、ということでカオサンあたりに沈没を決めこむ若い白雉日本人が少なくないように見える。

そして彼らは、白人がこんなにいっぱいいるタイは日本よりずっと「国際的」で、「タイのルールはグローバルスタンダードに近い」と思い込むようになったりするのである。

在タイ日本人には幼稚な白人崇拝者が多く、いつまでたっても目が覚めない人が多いが、ひとつにはこのような成り行きによるものだろうと思う。いろいろな国からタイに掃き寄せられてきている最底辺の白人たちを日ごろ目の当たりにしながら、「白人=英語ができる人」、と本気で信じている(ほど英語が聞き分けられない)者も異常に多い。

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2007年7月 9日 (月)

シエム・レアプ Siem Reap カンボジア

頭にタオルを巻いて「シェムリ、シェムリ」と連発しているバックパッカーを見ると(どこの国のとは言わないが)その場で透明人間になりたいくらいに恥ずかしいものである。

私が聞き取った限り、現地発音は「スィエム・レエプ」に近い。「スィ」に強調がくる。ポイペトの人たちはシエムレアプ出身という人を含めてそんなふうに発音していた。

ただツーリズム関係者は「リアップ」みたいに発音することが多いようである。シエムレアプに近づくほど「シエムリアップ」みたいに発音する人が増えるように感じた。

スィエムとは「タイ」「シャム」のこと。カンボジアではいまもタイのことを「スィエム」と呼ぶらしい。

タイの馬鹿な女優が「アンコールワットはタイのもの」という発言をして政治問題になったことは記憶に新しい。このあたりまでシャム領(アユタヤ朝)だったことはあるが、アンコールの時代でないことは言うまでもない。シャムの主要部分がクメール国家の領土だった時代の方が長いだろう。

7月9日。

ポイペト、Long Senglyゲストハウスをチェックアウト。午前9時すぎの乗り合いタクシーでシエムレアプに向かう。Long Senglyの無愛想な男が車を呼んでくれる。特にぎゅうぎゅうづめというわけではなく、普通の日本車に5人乗り。他の客はカンボジア人の女の人ばかりだったので助かった。

ポイペトには17日間も滞在してしまった。

ポイペトからシソポンまでの道は悪い。かつてはここをピックアップトラックの荷台に乗って行ったりしたが、今では地元の人もそんなことはしないようである。

途中、"Absolutely against child sex tourism"という大きな公共広告の看板があった。

「コンドームをつけましょう」よりはかなり進歩したといえる。

地雷原の標識も見なくなった。地雷はほぼ撤去されたのだろうか。牛が出ますという絵入りの標識はある。

1時間以上かけてようやくシソポンを通過。

本当に道が悪い。いい加減なコールタール舗装が却って道を悪くしている。

シソポンは役場や学校が少しあるだけの小さな町。通り沿いにゲストハウスも何件かある。

シソポンを過ぎると舗装はなくなるが、道はかえって良くなる。車はスピードを上げてくるので揺れることには変わりはない。

11時半ごろ休憩。レストランなどしょぼいがツーリストずれしていて英語でぼってくる。韓国人ツーリストを2、3見かける。

カーステレオがカンボジアの歌謡曲を流している。どこかで聞いたような曲も。「イタコノイタロー・・・・・」というのをゆっくりに編曲してカンボジア語の歌をかぶせたものだった。もちろん日本の歌などという認識はないだろう。初めてポイペトに来たころ、バラックのカラオケ屋で「北国の春」をがんがんかけていたのを思い出す。ポイペトのマーケットの祭日の夜のステージショーでは「ルージュ」モドキで歌って踊っていた。「ルージュ」を編曲して現地語の歌をかぶせたのは、カンボジアでもミャンマーでもチェンマイのプールバーでもよく聞いた。フランス語の歌詞をかぶせた「ルージュ」というのも聴いた記憶がある。

午後1時ごろシエムレアプに入る。急に道がよくなる。

立派なホテルが並んでいる。ハングル文字の看板が目立つ。病院の前には大きなデング熱の警告看板が立っている。

シエムレアプに来るのは5,6年ぶりの2回目。今回はガイドブックも地図も持っていない。車を降ろされたところはどうもシエムレアプという感じのしないところだった。

まずマレーシアに戻る航空券を買ってしまおうと思い、旅行代理店を探すが見当たらない。適当なホテルのフロントで聞くと、親切に教えてくれた。「ダウンタウン」のほうに行けば旅行代理店がたくさんあるということだった。地図ももらう。

バイタクで適当に「ダウンタウン」を目指す。ダウンタウンと言っても通じないので、適当に指であっちの方と指図する。

予想したとおりだが、「ダウンタウン」はあちこち毛唐だらけ。といってもチェンマイほどではない。そしてハングル文字だらけ。

安くてよさそうな場所、感じのよさそうなゲストハウスなどには必ず毛唐がご主人様然とふんぞり返っている。観光地だけに、タイのクズ毛唐とも一味違ったエラブリがある。

泊まるところを決める前に旅行代理店に入って航空券を買う。

クアラルンプル行きのチケットを手続きしている間に、若い中共中国人のカップルが入ってきた。赤い星のついたそろいの帽子をかぶっている。愛国無罪丸出しといった体。

若い女のほうが横柄な口調の慣れた英語でどんどんと突っ込んでくる。タイ国王がぶら下げているような大きなカメラを首から提げている。

ダサい百姓といった感じの連れの男ともども「チャンコロ丸出し」なカップルである。

クンミン(昆明)までの航空券を買いたいらしい。自信たっぷりの英語だがしゃべることは知れている。

「いくらだ」、(店の人が金額を提示)、「負けられないのか」(とにかく口調が攻撃的)・・・

店の人はむっとした顔で否定。すると諦めよく出て行った。

中国人らしい割り込みだが出て行くのも早かったので助かった。いつまでも場をひっぱって長居しないだけ毛唐よりは実害が少ないといえるかもしれない。

クアラルンプルまでの片道チケットを買うのに少し難儀した。国籍にもよる。最初は往復か帰り旅券がなければだめだといっていた。しかし、マレーシアにはいつも片道で行っているとしつこく言うと航空会社に問い合わせてくれた。

日本人であることをパスポートで確認し、航空会社(マレーシア航空)に電話で旅券番号などを伝える。旅券のコピーもとる。結局、空港で500ドル提示すれば片道でも可、ということで片道チケットを売ってくれることになった。

店の人は最初、KLまで145ドルという数字を出していたが、135ドルに負けてくれた。こちらからは負けろとはひとことも言っていない。向こうのほうからニコニコと負けてくれた。135ドルが良い値なのかもしれない。余っているタイバーツで払う。バーツ両替レートはなんと1ドル30バーツ。135ドルで4050バーツである。このレートはちょっと良すぎる。今1ドル35バーツ弱だろう。

いずれにしても、あの英語の達者な大陸中国人カップルはこの店で相当邪険に扱われたようだ。英語も日本語も(タイ語もインドネシア語もネパール語も)片言しかしゃべれない日本人の私との扱いの差が顕著であることに驚いた。

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2007年7月 8日 (日)

カンボジアのムスリム 「イスラム・チャンパ」

カンボジアにはムスリムも多い。

プノンペンからバッタンバンを通るルートをバスで行くと、バッタンバンに近いあたりで窓から見る人はみな厳格なムスリム装束をした人、ムスリムのサロンをはいた人ばかりという地域に差しかかる。文化の落差を感じることがあった。

タイ政府はカンボジアのムスリムがポイペト=アランヤプラテートからタイに入国し、深南部のテロを支援していると主張している。

しかし、タイ政府のこの種の主張にはたいてい根拠がない。いい加減な思いつきであることが多いと思う。私がそう思うのにも特に根拠があるわけではないが。

ポイペトのロータリーに近い方のマーケットにはムスリムの食堂もある。「ハラール」のアラビア語表示を出しているところもあるが、ただのベトナム料理屋でそれとはわからないところもある。

ただのベトナム料理屋台と見える店。色白で目のパッチリした昔は美人だったろうと思われるおばさんがいて、カフェ・クダウというと冷め切ったホットコーヒーを平気で出す。

焼きそばを食べていたら色黒の若い男がタイ語で因縁をつけてきた。因縁といっても危ない感じのものでなく、コーヒーを一杯おごれとか言ってたと思う。

するとおばさんが「コンタイじゃない、コンチンだ」といってかばってくれた。箸の持ち方がタイ人とは違ったのだろう。スプーンを使わず箸だけで食べていた。

中国人にみられるのはイヤなので、「チンじゃなくてジュポンだ」というと、おばさんは自分はムスリムだと自己紹介してタイ語でいろいろ話しかけてきた。

それまでムスリムレストランだとは気がつかなかった。これはハラールなのかと聞くとそうだという。今の焼きそばにはいっていた肉は何の肉だろうと思っていたが、牛のようだった。どうせ豚だろうと思って食っていたが豚臭くなくてうまかった。

カンボジアあたりにいるムスリムのことを「イスラム・チャンパ」というそうである。なかなか由緒ありげな良い呼び方だと思った。

おばさんは切々と「イスラム・チャンパ、マイ・ミー・プラテート」(イスラムチャンパは国家がない)と嘆くように訴え続ける。

イスラム・チャンパはカンボジアにもベトナムにもラオスにもいるが、国をもたないという。

おばさんの嘆き節をひとしきり聞かされてからお勘定をすると、しっかりぼられていた。

イスラムチャンパは商売はベトナム式なのだろう。

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2007年7月 7日 (土)

白人は突然身体的な攻撃を加えてくる - 非常に危険! (東南アジアでは警察はもちろん白人の味方)

今日あったことである。

あまりに腹が立つので詳しいことは書かないが、ポイペトのネット屋で。

いつもここにたまりこんでいる禿白人男にいきなり両手で突き飛ばされる。

とにかくみんなにちやほやされたい、ちやほやされないと不満だ、あるいは不安になるというのがアジアに来る白人の特徴。

彼らにとってはローカルも日本人も変わらない。

よく顔をあわせていながらいつも無視を決め込んでいる私のようなやつがこういう毛唐には一番気に障るらしい。

このハゲはネット屋にいつもたまっているが、ネットをやっているわけではない。へらへらしてくれる英語を話すカンボジア男や女たちと喋るだけ。

トイレに行く道をふさいで座っている。

私がそこを通ろうとして、手で合図する。

その前にもちょっと言いあいをしたのでこの白人は根に持っていたらしい。

するとこの禿げ白人は英語教師然として、excuse meと言え、sorryと言えなどと、道をふさいだままネチネチとかぶさってきた。

どうやらこいつはこの辺のNGOか何かで在住らしい。おそらくミッショナリーの英語教師でここに集まってくる英語を話す女の子たちはその生徒のようだ。

そこで私が、「あんたが道をふさいでるんだろう。俺はお前の召使じゃない、奴隷でもない、よく覚えておけ」などというと、英語教師らしく、こちらの英語の発音を茶化し始める。

あれこれ言い合っていると、突然この白人は両手を使って私を突き飛ばした。

そして平然としている。

私はもちろん何もしていない。

もちろん猛抗議するが、このハゲの奴隷のカンボジア男も白人を擁護する。なんなら警察を呼べと開き直るがカンボジアでもどこでも警察は白人の味方に決まっている。

その奴隷男の方がネット屋のオーナーらしく、ハゲ白人は金を払わず自由に丸一日でもネットを使っているようだった。金を払うところを見たことがない。

ハゲは店に入ってくるとき英語教師然として「Hello,everybody」などと客みんなに向かって呼びかけ、その場所における自己の特権的地位の公認を取り付けようとする。

この段階で完全に無視する、冷ややかな無視の空気を発散させるだけで、この種の蛆虫は気分を害される。

あまり書いても仕方がないが、こんなやつはシナ人にも朝鮮人にもあまりいないだろう。

アジアでは日本人専用の場所、少なくとも白人禁止の場所が絶対に必要である。

ポイペトもこういう白人が居つくようになった。不便で汚いが毛唐にあらされていないカンボジアだったポイペトはもうない。

白人が現実に信仰しているのは「ゲバルト」だけである。彼らの言葉や理屈はこのゲバルトに付随する飾り物に過ぎない。

白人の社会的行為は暴力に始まり暴力に終わる。彼らは暴力抜きには生きられない。何千年かにわたって争闘と殺戮のみをこととして勝ち残った人種である。そういう遺伝子なのだ。

いまのポイペトはカンボジア人が怖いところではない。白人が怖いところになりつつあるようだ。

白人が一人でもいればそこは危険地域である。

白人は異常な攻撃的遺伝子を承継しているのだから、彼らが種として絶滅しない限り、現実問題としてこの世界に平和が訪れることはなかなかないように私は思う。

(2007/07/05)
      

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ポイペト(Poi Pet) カンボジア

6月22日。

午前9時半ごろアランヤプラテートの旅社、「アランガーデン2」をチェックアウト。フロントにトゥクトゥクを呼んでもらう。本当はバイタクがよかったが呼んでくれなかった。

トゥクトゥクでボーダーまで60バーツ。バイタクも同じくらいらしい。しかし、以前の経験だと国境近くに来ると勝手にトゥクトゥクにしがみついてくるカンボジア青年が必ずいた。ガイドをしようとしているのか、ただ単にちょっと無料タクシーとして使っているのかよくわからない感じだった。

今回は取り付いてくる青年はいなかった。カンボジアは近代化が進んでいるようだ。経済成長も。

しかしポイペトボーダーの前に来ると、この辺はオスマックOsmachあたりより貧しいところだという印象を受ける。乞食の子が多いだけでなく、乞食の子の身なりもすごい。

人力で引く大八車は少なくなったがまだ健在である。顔のつぶれた人もいる。

付きまとうガイドは少なくなり、あまりしつこくなくなった。

タイのイミグレは冷房入り。

張り紙に、

「ノービザで再入国するときは帰りのチケットかトラベルドキュメントを提示するか、または、30日以内に出国することをconfirmしなければならない」

とある。

orが多くてどうとでも解釈できそうな文章。

30日以内にタイを出国することを"confirm"できればいいのだから、必ずしも帰りのチケットが必要というわけではないということになる

confirmの方法に条件はついていないから、「この人は30日以内に出国する」という心証が得られれば良いということになり、要するに担当役人次第ということ。

実際の適用も役人の胸先三寸なのだろう。

当然、白人には甘く日本人には厳しく、という運用になる。

案の定、タイ猿役人は愚かにも、私のパスポートの過去の履歴をじろじろ検分し、 タイを出国しようとしている私に対して、

「エアチケットは持っているか」

と聞いてきた。

どこからのエアチケットのことなんだかw。

すぐに「シエムレアプからベトナムに行き、ベトナムから日本に帰る」と適当に言うと、OKOKといってお開き。

どうせならベトナムなんていわないで「シンガポール」と言ってやればよかった。

今度タイに行くときは、ミャンマービザとシンガポールのスタンプがいっぱいのパスポートを持ってきてやろうか、などと思う。 

長年ルースな入管行政でセックスツーリスト・セックス滞在者を国内に集める政策を採ってきたのはほかならぬタイ国家自身なのだ。

ポイペトはますます近代的になり、数年前の独特の雰囲気は今はまったくなくなっている。

2年ちょっと前はまだ強かった「ポイペトの臭い」、ポイペトの町全体を覆っていた「これがダイオキシンの臭いか」としみじみ思うような臭いも、今はほとんどしない。

気まぐれなツーリストにとっては淋しく感じることだが、カンボジア国民にとってはいいことなのだろう。

以前泊まったことのあるLong Seng Lyゲストハウスがまだあった。1階の窓なしファンの部屋(200バーツ)に入る。さすがに古くなっていた。廊下も汚くなった。コンクリート作りの1階なので窓なしでも暑くはない。天井が高く、換気扇もついていて、以前は快適なところだと思って長居したことがある。今は臭いが少し気になる。

カンボジア風の強くてうまいコーヒーを出す店もほとんどなくなったようだ。ロータリー右端にあったバラック食堂の怖い感じの兄ちゃんの入れるカフェが好きだった。2年ちょっと前はまだかろうじて残っていたが、いまはもうない。

コーヒーがあるところでも「カフェ」が通じないことがある。前はどこでも一言で通じていた。バラックレストランでカフェを飲む人がいなくなったのかもしれない。 ホットコーヒーを飲む人が少なくなったのか、大きな店は当然のようにアイスコーヒーを出してくる。

ホットコーヒーを何とか出してもらってもタイコーヒーやラオカフェほどではないが濁っていることが多い。アイス用のコーヒー。通り沿いの店ではそれで20バーツもする。

奥(シエムレエプの方)に向かって右側にあるマーケットの一番奥の汚い食堂が昔ながらの透明感のあるカンボジア風カフェを出してくれた。5バーツ(500リエル)。英語を話す兄ちゃんがいる。

ポイペトの魅力はやはり夜の屋台。蒸し卵とストローが立って口の中が痒くなるフルーツシェーク。ドリアンも入る。

ロータリーの周りのフルーツシェークは都会的?な薄味になっている。奥の方に入るとまだ一応口の中が痒くなるのがある。しかし数年前よりは薄味になったようだ。以前は卵の黄身も入れていたが今回は入れているところを見ない。

蒸し卵は中が黒いので数年前始めて食べたときはギョッとした。腐っているのかのかと思って、屋台の人に「コレハ何ダ」と言ってしまった覚えがある。食えるんだよといわれた。

孵化しつつある卵(当然有精卵)を蒸したものらしく、ものによって孵化の度合いが違うようである。

真っ黒いところが多いのは小さな骨が出てくることがある。魚の骨ほどの細さだが鳥の足の骨の形をしていた。

黒い塩(黒胡椒入りの塩)とライムをかけて食べる。奥の方の屋台は香草もついてくるが、ロータリーの屋台ではつかなくなった。

しかし、奥の方のある屋台では、2個食べると15バーツなのに一度に3個食べると25バーツ取られる。4個食べると33バーツだという。この計算は理解できない。2個ずつ2回食べて香草もレモンも2倍もらった方が安いということになる。

いつも2個15バーツで食べていたのに、あるとき3個食べたら25バーツだといわれた。22バーツか23バーツでいいでしょ、といってもどうしても負けてくれない。こんなボリ方はないので、本気で言っているらしい。わけのわからない価格設定である。

しかしポイペトの屋台の女の子たちはみんなニコニコしている。ジャワほどではないが、かわいい子もいる。

数年前ポイペトにいっぱいいた獰猛な目をした男たちは見なくなった。

最初に来たときは彼らの目を見ただけで本当に怖くてゾクゾクした。「殺気」としか表現できないものをひしひしと感じ、ちょっとしたカルチャーショックだった。彼らはまだ戦争をしてるんだという印象を強く受けたことを思い出す。

2、3年前に来た時にがらっと変わっていた。舗装されて街燈も整備され夜歩きも普通にできる雰囲気になっていた。(「安全」かどうかは知らない)。

今も砂埃がまきたち雨が降ればぬかるみキレイとはほど遠いが、2、3年前はまだあった独特の臭気もなくなり、マーケットからも「殺気」は消えて平和な雰囲気になっている。

白人はシエムレエプに行くツーリストが通るぐらいだが、ネット屋にはやっぱり自分ひとりで天下を取っているようなのが来ている。

ネット屋は2件ほどあり、安い方(奥に向かって右側)は毛唐やツーリストも来る。日本語が書けるPCは2台だけ(ひとつは私がインストールした。しかし良くあることだがココログにはサインインできない。Mozilla Firefoxをダウンロードしようとしたができなかった)。

日本人ツーリストが「ポイペトの置屋」を検索したらしい恥ずかしい形跡も。彼らはなぜそういう跡を残すのか。履歴を消すことも知らないのだろうか。

高い方(奥に向かって左側)のネット屋は地元の人が電話を使うのが中心だが、普通のページへのアクセスは遅いがグーグルドキュメントが開けるとか(安い方はほとんど開けない)多少違いがある。日本語が書けるのは一台だけ。

数年前は怖かった「マーケット」付近に遊園地のような施設ができ、夜も子どもが遊んでいる。近くに警察の派出所もできてそのあたりにたくさんあった売春宿(「置屋」)は姿を消した。

マーケット近くでようやく「ル・パン」(フランスパンサンドイッチ)を見つける。ロータリーの近くからは姿を消した。「カンボジア的」というイメージがあるからだろうか。しかし、あの甘すっぱい野菜(酢漬け野菜?)は入っていなかった。

数年前は今はカジノの敷地になっているボーダー近くのドブ上にあった屋台(チャオファヤゲストハウスの斜め前の店)でもフランスパンに生野菜やらソーセージやら挟んだ、なぜか「とてもおいしい」サンドイッチが食べられた。板を無造作にドブの上に渡しただけのような床で、ごみは板の隙間から下に落とす。

ドブの上の汚い屋台でほおばる生野菜たっぷりのフランスパンサンドは、当時の私にはフグを食うような深い味わいがあった。

2年前に来たときは店は残っていたがコンクリートの床になっていた。タイ麺だけになってフランスパンはやめてしまっていた。

ポイペトの屋台はどんどんタイ的になっているように見える。

しかし数年前よりはカンボジアリエル紙幣をよく見るようになった。前はほとんどバーツだったように思う。

ポイペトはどうしても愛着のある町だとあらためて思った。今度来るときはシエムレエプからポイペトに直行しタイには入らずシエムレエプからマレーシアに戻るという旅行をしてみようと思う。ポイペトはいまも存在感のある町であり、タイの付属品ではない。

カンボジアが、豊かな国なのに自国の娘を毛唐に売り飛ばして恥じることのないタイのような土人売春国家になることなく、実のある経済成長をして良いところを残して発展できるといいと思う。カンボジアには海底油田もある。

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50バーツ札を出したら81バーツのおつりが来た

日ごろから行いが良いと時としてこのような僥倖が訪れることがある。19バーツの買い物をして50バーツ出したら81バーツのおつりが来た。

買ったのは7バーツのヤクルト(タイでは6バーツだがポイペトでは7バーツ)と12バーツのリポ。(リポは学生時代からの友達である。しかしこの辺のはなぜか甘い)。

私とて、小さな屋台だったら黙ってお釣りを受け取ったりはしないだろう。ポイペトロータリの羽振りのよさそうなコンビニ兼ゲストハウスの女主人が出してきたからありがたく頂戴しておくことにした。カンボジアである以上、現金は手にした者の勝ちである。

それに、50バーツ札を渡したと思ったのは私の勘違いかもしれない。

本当は100バーツ出していたのかもしれない。実際その可能性がある。私は20バーツ払ったつもりであの紛らわしい50バーツ札を渡してしまったことがある。

しかし、私が本当に50バーツしか渡していない可能性もあると思った。

その日はひやひやだった。もしあのおばさんが気がついて、後でなにか言ってきたらどうするか。

気がついて?

わたしは100バーツ渡した。確かに100バーツ渡した。

後で認める?

ありえない。私はあくまで100バーツ渡したと信じているから釣りを受け取ったのだ。実際私は100バーツ渡した。

私はまだその宿に泊まっていて毎日おばさんの顔を見て買い物をしている。

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2007年6月29日 (金)

カンボジア遺跡「プレア・ビヒア」の世界遺産申請、タイが横槍〔半島クオリティ〕

2007/6/29 (01:03)| トップニュース  社会

【カンボジア、タイ】タイ国境に近いカンボジアの山上にあるクメール時代のヒンドゥー遺跡「プレアビヒア」をめぐり、カンボジアとタイの関係が再度緊張している。カンボジアが国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録申請したことに対し、タイが「国境問題が解決していない」として、横槍を入れたため。6月下旬に行われた世界遺産委員会はプレアビヒアの認定を先送りし、カンボジアで反タイ感情が高まっているという。英字紙ネーションが報じた。

 カンボジアでは03年に、タイ人女優が「アンコールワットはタイのもの」と発言したという報道をきっかけに、大規模な反タイ暴動が起こり、プノンペンのタイ大使館やタイ企業のオフィスが焼き打ちに遭うなどした。

 タイは文化や言語の相当部分をカンボジアから輸入したが、こうしたことは一般的にはあまり知られておらず、カンボジアを見下す傾向が強い

http://www.newsclip.be/news/2007629_012166.html

           
やっぱりという感じのニュース。

「あまり知られておらず」ではなく、学校でまったく教えていないだろう。まさに小中華主義国家。

「プレア・ビヒア」をめぐる法的な決着はついており国際的にカンボジア領であることは確定しているし、事実上の占有もカンボジアがしている。

【プレアビヒア寺院】
◇[英]Preah Vihear Temple
○カンボジア北部、プレアビヒア州(Khett Preah Vihear)北西
部のタイ国境の山上にある古代クメールの寺院遺跡。
 9世紀に創建。
 タイ語では「カオ・プラビーハン(Khao Phra Viharn)」と呼ば
れる。
 カンボジア側から見ると標高657メートルの絶壁の上に立っ
ていて、寺院へ入り口はタイ領シーサケート県(Changwat Si
Sa Ket)から入らなければならない。
1962(昭和37)国際司法裁判所がカンボジア領と裁定
 カンボジア内戦時、ポル・ポト派が拠点とする。
 1998(平成10)一般公開。
http://www.cnet-ta.ne.jp/p/pddlib/japanese/fure.htm

2、3年前に行った。

同じころ行ったタイのクメール遺跡パノム・ルンのほうはしょぼかったため忘れてしまったが、「プレア・ビヒア」の方は印象に残っている。

英語とクメール語で

「われわれはクメールであることに誇りを持つ」

という表示が大きく掲げられていた。

付きまとってくる物売りの女の子に「あれはなんて読むの」と聞くと、クメール語で神妙に読んでくれた。

しかしそのとき持っていた日本のガイドブック「地球の歩き方・タイ」は、この遺跡の名前を「カオ・プラ・ヴィハーン」と書いていた。そのため私もそっちの方で名前を覚えてしまった。

日本のタイ関係者・東南アジアツーリズム関係者には、タイの半島的民族主義に醜く翼賛し、なんでもタイ標準にあわせてみせて喜んでいる馬鹿が多い。

わざわざ「バンコク都」とやっている日本外務省・在タイ日本大使館を含めて。

タイ女優の「アンコールワットはタイのもの」妄言騒動のときにタイにいたが、たまたま入ったチェンマイのバービアのタイ猿ねーちゃんはえらい剣幕だった。

私たちはこんなにカンボジアを援助してやってるのになんだ。私はパスポートのカンボジアビザを破り捨てる!」なんて叫んでいた。

その女のカンボジアビザというのは、この土人タイ猿女が毛唐の荷物持ち兼抱き枕としてパトロンのノービザ滞在更新をかねてカンボジアについて行ったときのものらしかった。(じっさい毛唐が連れているタイ女は男の方よりも大きな荷物を担いでのそのそ後ろからついていくことがある)。

タイがカンボジアにいくら援助してるか知らないが、援助してるとしても、そのカネはほとんど日本などから出ているものだろう。

しかしタイ猿は自分たちがずっと援助してもらっていることはまったく知らないか忘れてしまったようである。

タイ文字の由来も教えずカンボジアを見下し、自国内のクメール系、モン系、山岳少数民族を見下し、シャム政府が勝手にフランスに売り払ったラオスを見下し、ビルマ人に対しては「歴史問題」のねたみからバンコクのトランジットでも思い切り嫌がらせをし、日本人には何とか見下せるところを探し回り、白人には奴隷猿土人丸出しでこびへつらい、それをまた日本人へのあてつけとする・・・・

タイ人のこういう卑しい精神性と共振する精神の持ち主だけが、タイを好きになることができる。

対タイODA(在タイ大使館サイト)
http://www.th.emb-japan.go.jp/jp/oda/index.htm#enjo

対カンボジアODA
http://www.jica.go.jp/cambodia/activities/pdf/act_ODAcambodia.pdf

プレア・ビヒア寺院事件
http://www.mekong.ne.jp/directory/politics/preahvihear.htm

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2007年5月29日 (火)

チョンジョム(Chong Chom)=オスマッチ(Osmach)、カンボジア

5月26日。

スーリンのSang Thong(セントーン)ホテルをチェックアウト。昨日と同じチョンジョム(Chong Chom)行きのミニバスに。

バスターミナルで毛唐に出くわす。交通機関や役所やレジなど逃げられないところで毛唐とかち合うのは本当に嫌である。毛唐が多い場所ももちろん嫌だが、毛唐がいなさそうなところに入り込んでいるのを見るのはさらに不快。

とくにタイで(タイだけではないが)毛唐と同じ列に並ぶ以上は、さまざまな屈辱的な扱いを受けることを覚悟しておかなければならない。

しかもこの毛唐、同じくチョンジョム行きのバスチケットを買った。

ミニバスで毛唐と一緒は嫌だ。チベットツアーを思い出す。

スーリンの毛唐状態は、タイとしてはましなほうだった。

不幸中の幸いというべきか、チョンジョムに行く毛唐は一人だけなので、イミグレではこいつの姿が完全に消え去るまで待とう。

毛唐は意味もなくうろつきまわる。

しかも、バスの時間に遅れる。イミグレでも手間取るだろう。

毛唐はあらゆる手続きで必ずゴタゴタして手間取るが、その上最優先だからなおさら迷惑なのだ。

ミニバスは超満員で毛唐入り。最後列の座席に座ったのもまずかった。毛唐も最後列に来る。あとから乗り込んでくる人たちはみな最後列のシートに割り込む。

毛唐はバスに乗り込むやいきなり私にタイ語で何か聞いてきた。excuse meにあたる言葉の一言もない。私は客引を無視するように完璧に無視。

その態度はいかにも見下すように横柄で、毛唐特有の(タイ語をマスターしようとアジアに何年いようと白人である以上決して変わることのない)「貴族が民草にあわせて付き合ってやっている決まりの悪さ」あるいは「地元民たちが白人である自分に一目置き、あるいは憧れていることを互いにわかっていることの決まりの悪さ」を示唆するようなシニカルな「ニヤケ」があり、自分が常に周囲からさまざまな特別の配慮を受けることを当然と思っている様子が一見してよくわかる。

この毛唐は若いがバックパッカーのような格好ではなく、荷物はデイパックひとつ。しきりに携帯で誰かと連絡を取り合っていた。おそらくビザなし滞在で何か仕事をしているのだろう。タイに長く住んでいるようだが、イミグレで目に入った国籍はUSA。

毛唐入り超満員のバスに乗っていると気分が悪くなってきた。本当に気分が悪い。デング熱以来、快適だったことはほとんどない。

やがて外は嵐になる。

プラサートにつくまでに嵐は上がっていた。プラサートPrasatでは一人しか降りない。毛唐が降りてくれるかもしれないという淡い期待はやはり甘かった。

午後2時ちょうどチョンジョム着。スーリンから1時間半。

タイの出国地点名はKap Choeng。

カンボジア側の町の名前はOsmach(オスマックなのかオスマッチなのか、よく聞き取れなかった)。タイ側にいるうちからカンボジア式にガイドがつきっきりで世話をする。特に拒絶する必要もない。一人に一人完全にガイドがついてすべて指図するので(指図されなくても国境越えの経験のある人ならすぐにできるようなことばかりだが)、ラノンイミグレとちがい毛唐優先という感じにはならなかった(カンボジア人に白人崇拝がないわけではない。ビエンチャンのカンボジア大使館員など、白人ツーリストと有色人種ツーリストとで猿のように態度を変えていた。が、カンボジアはタイほどではない)。

毛唐もここは初めてのようで、やはりうろうろと手間取り、ガイドがつきっきりでものろのろしていた。

この毛唐はビザを取り国境を越えてすぐにタイに戻ったようだった。

カンボジアのイミグレ役人は仕事は遅いが丁寧で、礼儀正しかった。

ビザ代は1000バーツ。ドルでなくバーツで請求された。バーツが高くなっているからだろう。ビザを見るとFee欄は空欄になっている。普通はここに30ドルとか書いてあるのだが。

前日タイイミグレ役人が言っていたマルチプルビザが取れるというのはウソだった。シングルエントリー30日のみ。写真が一枚必要(なくてもいいかもしれない)。たまたまいつ撮ったかも忘れた古い写真をもっていたのでそれを出す。

何もないところにぽつんと立つ真新しいゲストハウスに、タイ側からずっと付きっ切りのガイドにバイクで案内されて入る。モトサイ代いくらかと聞いてもup to youというので、結局20バーツやる。毛唐(とくにネパールに来るやつなど)にはこういうときに完全に開き直ってほとんど払わないというのが結構いるようである。ネパールではガイドから直接そんな苦情を聞いた(オランダ人だったといっていた)。ちなみにタイでは買春代金を踏み倒す毛唐も多いとか聞いたことがあるが・・・・。「若いとき(禿げる前)はタイ女なんかほとんどタダでやれたものさ」なんて自慢話をする禿げ毛唐がいたが、あれもたんに踏み倒していただけなのかもしれない。

ゲストハウスにはたいへん美しくて笑顔の優しいクメールの少女が二人、下働きで働いていた。私が汗だくでゲストハウスに入っていくと、珍しいものを見に来る蝶々のように(そんなものがあるかどうか知らないが)、フワーっという感じで2人現れて、なんとなく近くに寄ってきた。適当な距離になんとなくいる。

浅黒い肌にリラックスした瞳。かすかにインド系の混じった顔立ちと姿勢、背筋のライン。柔らかい物腰。色白つんつんに憧れ「治療」さえするというタイ人には理解できない美しさだろう。

ゲストハウスの名前はChhay Na。国境近くのマーケットまで歩いて10分ぐらいかかる。ファン300バーツ、エアコン500バーツ。

オスマッチは整地はしてあるが舗装はない。砂嵐は今のポイペトよりひどいだろう。ただ、ポイペトのような変な臭いはない。

ところどころにカンボジアらしいマーケット・集落がある。

しかし、カンボジアの楽しみであるカフェー(タイやラオスのよりは透明なホットコーヒー)もフランスパンサンドもこの町にはない。「カフェー」を注文したら当然のようにアイスコーヒーが出てきた。

しかし、「ストローが立つ」フルーツシェークはあった。といってもポイペトのように濃くはない。ドゥリアンも入っていない。

27日。

オスマッチからシエムレアプへはタクシーしかない。一人だと2000バーツだという。朝は客が多いので乗り合いタクシーがあるそうだがそれも9時まで。

シエムレアプへの道はすべて未舗装でかなりキツイ道のりのようである。

結局、軟弱にもタイに舞い戻ることにする。

カンボジアイミグレは結構丁寧な照合をしていたが、タイイミグレは難なく通過。「帰りの航空券提示」なんてこともない。

カンボジアイミグレを過ぎたところでタイのセキュリティチェック(兵隊)になんとなく道を聞いたら荷物検査をされた(何で道など聞いたのか自分でもわからないが)。

タイのイミグレを通過して、別のタイ役人の詰め所の前でパスポートを荷物にしまっていたら、どこに行くのかと聞かれる。プラサートだと答えると、バンコクかだとか。はじめから結論が決まっていのなら聞かなければいいのに。

役人には極力近づかないのが無難である。ヤクザと同じ。

10時半ごろのバスでプラサートPrasatに向かう。

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2007年4月12日 (木)

ドイツ人62歳ペド男、正式に起訴される カンボジア (続報)

前記事: 62歳のドイツ人男が13歳の少女を買って逮捕される プノンペン カンボジア 2007/04/09

ドイツ警察からの情報で捜査したようだ。ドイツでも前科者、札付きの炉利だった可能性あり。共犯者や他の被害者がいる可能性があるので捜査を続けているという。

犯人Munzは警察に対し、ストリートチルドレンを助けるボランティであるかのように主張している。

貧しい国の白人NGOや白人ボランティアにはよっぽど気をつけて監視したほうがいいということだろう。

しかし、プノンペンの川沿いで乞食をしていた母と娘に近づいて「英語を教えてやる」などといったようだ。

このように、白人はどんな偽善も臆面もなく口に出せるし、どんな見え透いた開き直りも平気である。もちろん、そんなことをいって近づいてくる毛唐を信用したという母親も疑わしいが。

German formally charged with child-sex crimes in Cambodia 

Apr 11, 2007, 8:47 GMT

Phnom Penh - A Cambodian court formally charged a German man with child-sex crimes after two days of questioning and remanded him in custody, police said Wednesday.

Phnom Penh deputy police chief of anti-trafficking Keo Thea said Walter Munz, a 62-year-old tourist from Stuttgart, had been sent to Prey Sar prison awaiting trial. Under Cambodian law he can be detained for up to six months while police investigate the case.

He was formally charged with debauchery - the Cambodian legal term covering a wide range of sex crimes but most often applied to charges of adults having sex with minors.

'We acted on information provided by the German police, and we are still seeking possible associates of this man,' Thea said, adding that police believed there may be more victims yet to come forward.

Munz was arrested Sunday in a raid on a local guesthouse. Police allege he was found in a state of undress with a 13-year-old girl in his room.

Thea said police had confiscated a number of photographs during the raid depicting street children in various poses, some of them pornographic.

'He had claimed he was an aid worker helping street children, but the German police informed us he should be watched, and we investigated and arrested him,' Thea said.

He said Munz had befriended the alleged victim and her mother when they were begging on the city's busy riverfront.

He said Munz had won the mother's trust by claiming that he wanted to give the girl tuition, but the girl claimed that instead he had repeatedly sexually molested her, and threatened her if she told anyone about the abuse.

If convicted he faces 20 years in prison and is liable to considerable compensation payouts to victims.

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2007年4月10日 (火)

カンボジアの経済成長

かつては放任状態だったといわれる児童買春・幼児買春が最近熱心に取り締まられるようになったことも、カンボジアが国家としての自信を取り戻しつつあることを示すものなのかもしれない。

http://cambodiahomesweethome.blogspot.com/

どうせやるなら中途半端でなく、外国人相手の売春や外国人と現地女との「恋愛」自体をマレーシア並みに取り締まったほうがいいと思う(あからさまに取り締まらないとしても、事実上そういう関係を抑制する方法はいろいろあると思う)。

隣にタイという救いがたい国があるだけに、それをやるだけでもカンボジアの国家イメージは著しく良くなるだろう。

カンボジアの海底油田の話題はマレーシアの新聞でもたまに報じられる。欧米メジャーが食指を伸ばしているが、カンボジア政府のほうも慎重になっているという。

マレーシアでは、最近増えてきたカンボジア人メードの評価が高く、インドネシア人メードより賃金が高いのだとか。まじめで訓練も受けているということで。インドネシア人メードは、すぐに逃散(ちょうさん)する、炊飯器・掃除機等の使い方を知らない、結核にかかっていながら子供をあやしていた・・・・などいろいろなことがいわれている。

マレーシアがタイより豊かなのは、別に人間が立派だからでなく(タイ人ほどのクズは少ないことも事実だが)、なにより石油が出るからだろう。ペトローナスという国有石油企業がその利益を確保しているから。

カンボジアも資源を欧米に横取りされないようにすれば、だめだめなタイより豊かになれる可能性がある(かも)。夢のような話だが、そうなったときのタイ人の吠え面が見てみたい気がする。

しかし、成長中の繊維業などを仕切っているのは中国人ばかりのようだ。

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62歳のドイツ人男が13歳の少女を買って逮捕される プノンペン カンボジア 2007/04/09

ほとんど同じタイトルの記事を何度見たかわからないほどなので、昔のニュースかと思って日付を確認したら最新のニュースだった。

このブログに載せただけでも「ドイツ人男」「カンボジア プノンペン」「13歳(12歳)の少女」というニュースが何件あったか。

これは最近増えたというのではなく、ようやく問題にされ多少本気の取締りを受けるようになり、報道されるようになったというだけのこと。

東南アジアで児童、幼女とセックスをしているのは昔も今も(何百年も前から)、圧倒的に白人たちである。

(記事)

http://www.voanews.com/english/2007-04-09-voa22.cfm

Cambodian Police Arrest German Man on Child Sex Abuse Charge

09 April 2007

Cambodian police say they have arrested a German man on charges of sexually abusing a 13-year-old Cambodian girl.

A police official says the 62-year-old German tourist from Stuttgart, Walter Munz, was detained Sunday in the capital, Phnom Penh. The official says police raided the man's guest room and found him with the girl.

The German was charged with sexual offenses against a minor, a crime that carries a prison term of 10 to 20 years.

Cambodia has long had a reputation as a haven for pedophiles, although police have recently stepped up action against offenders.

Some information for this report was provided by AFP and AP.

カンボジア警察がドイツ人男を児童性的虐待で逮捕

2007年4月9日

カンボジア警察は、ドイツ人男を13歳のカンボジア人少女を性的に虐待した罪で逮捕したと述べました。

警察当局者は、ヴァルター・ムンツというシュトゥットガルト出身の62歳のドイツ人ツーリストが、日曜日、首都プノンペンで拘束されたと述べました。当局者は、警察がその男の宿の部屋を手入れして、男が少女と一緒にいるところを見つけたと述べました。(前には二人の少女といるところを見つけたとか、裸でいるところを見つけたというのもあった)。

そのドイツ人男は、児童に対する性的犯罪行為で訴えられました。この犯罪は10年から20年の懲役になる罪。

カンボジアは長らく幼児性愛者の安住の地・避難所としての声価が高かったが、警察は最近、侵犯者に対する取締を強化しています。

他の報道によると、男はこの少女とその両親に英語を教えてやるといって近づいたらしい。

debaucheryもカンボジア警察の買春担当警部補Keo Theaさんもすっかりおなじみになってしまった。

Phnom Penh - A German man has been arrested for alleged sexual abuse of a 13-year-old Cambodian street girl, an anti-trafficking official said on Monday.

Walter Munz, a 62-year-old tourist from Stuttgart, was detained on Sunday after police raided his guesthouse room in the capital Phnom Penh, said Keo Thea, deputy chief of the municipal anti-trafficking police.

When officers burst into the room, they found the German man in his underwear with the girl, Keo Thea said.

Munz was arrested on charges of debauchery - a statute covering a broad range of sex offences that carry possible jail time of between 10 and 20 years.

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2007年3月16日 (金)

セックスツーリズム法

読者からのメールです。

関連するWikipediaの項目です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Sex_tourists
これによると、カナダでは2004年からこの法が試行されている
ようです。同様の法については、オーストラリア、アメリカの
名前も挙がっています。

ニューヨークには次のような会社もあるみたいです。
Big Apple Oriental Tours
http://en.wikipedia.org/wiki/Big_Apple_Oriental_Tours

まずこちら。

http://en.wikipedia.org/wiki/Sex_tourists

The World Tourism Organizationによる「セックスツーリズム」の定義は、

The World Tourism Organization, a specialized agency of the United Nations defines sex tourism as "trips organized from within the tourism sector, or from outside this sector but using its structures and networks, with the primary purpose of effecting a commercial sexual relationship by the tourist with residents at the destination".[1]

ということだそうである。

つまりセックスツーリズムといえるためには、「ツーリズムセクター」の中から組織されるか、その外からツーリズムセクターの機構やネットワークを使って組織された、いずれにせよ、オーガナイズされた旅行でなければならないようである。

そうだとすると、オーストラリアやドイツやオランダやスウェーデンから来た白人がタイ北部なりプノンペンなりにフラッとやってきて、そこに居ついている他の白人のところに行き、「一緒に住めるような山岳少数民族の少女」やカンボジア(ベトナム)炉利を世話してもらうというようなケースには当てはまらないことになってしまうだろう。

また「英語教師」としてやってきて「英語教師」仲間と連絡しあい幼女を調達するというような、最近カンボジアで事件になり、タイでも以前から問題になっている事例にも当てはまらない。

つまり、ほとんどの悪質な白人買春者はこの定義のセックスツーリズムからは漏れることになる。そのかわり、日本の農協さんは定義のど真ん中にバッチリ的中してしまうことになる。

また、comercial sexual relationshipに限定されるということだから、「恋愛ツーリズム」は除外されてしまう。

しかし白人ツーリストたちが最も愛好し得意とする長期契約売春(レンタルワイフ契約、契約同棲)をしているほとんどの白人たちは、相手に金を渡しながらも互いに「ボーイフレンド」「ガールフレンド」と呼び合って半ば本当に恋愛している意識になっているのであり、買春をしているという自覚はない。

白人側の言い分は、「たまたまレッドネック・バーで出会った娘と恋愛しながらたまたま経済的に困っている相手に援助もしてやっているだけだ」ということである。女の側もその線に沿ってj分たちの関係を考えるのが通常である。自分は売春しているのだと思っているよりはその方が気分がいいから、この枠組みを容易に受け入れるのである。

したがって、commercialに限定して定義する以上、白人がもっとも愛好し、しかも地域の伝統文化・風俗・性的規範意識に対する破壊効果が実はもっとも大きい契約同棲すなわち継続的契約売春(レンタルワイフ契約)は、「セックスツーリズム」から除外されることを意味する。

これまでも見てきたように、英会話教師をしながら幼女を世話してもらって同棲している白人たちは、「俺たちは愛し合っているんだ、彼女は俺を愛しているのだ」(60代の男と12歳の少女)と法廷でさえ平然と主張し買春容疑を否認するのが常態なのである。

ここでもまた、もっとも悪質でしかも白人がもっとも得意とし執着しているところのセックスツーリズムの典型的形態が、この定義からは漏れてしまうことになる。

また、セックスツーリストの目的地は、

National destinations for sex tourists include Thailand[4], Brazil[5][6], Dominican Republic[7][8], Costa Rica[9][10], Cuba[11][12], Germany,The Netherlands[citation needed], Argentina[citation needed], and Cambodia[citation needed]. In many of those destinations, sex tourism is still only a small percentage of overall prostitution, with most prostitutes serving local men.

An individual city or region can have a particular reputation as a sex tourist destination. Many of these coincide with major red-light districts, and include Amsterdam in the Netherlands, Bangkok, Pattaya and Phuket in Thailand.

ということだが、白人が必ず強調するのが次の点である。

In many of those destinations, sex tourism is still only a small percentage of overall prostitution, with most prostitutes serving local men.

According to the Cambodia minister for Woman's Affairs, it is not tourists who are the prime culprits of pedophillia in her country, but the locals.[17] For example, it is a popular local superstition in Thailand that an older man sleeping with a young woman will thereby renew his virility, if not his aging vigour, and one consequence is the drive-in love-motel where few questions are asked.

Lonely Planetなどにも必ずといっていいほどこういう記述が出てくる(こういうのはみんなJoe Cummingsが一人で書いているのではないかと思うくらいである)。

上にあるsuperstitionというのもともとタイのものではなく中国人の道教(仙道)の考え方である。この資料もいい加減なものだということがわかると思う。

白人は白人への非難を回避する理由をこのように常に血眼になって探してくるのだが、しかし、タイの今日のセックスツーリズムを形成したものはまずもってベトナム戦争であり、帰休米兵たちであることを否定できないだろう。

カンボジア・スワイパー幼女買春の機動力はもともと「国連」のみなさんである。

これまでにも何度か書いたように、タイのように大量の白人が社会の隅々まで浸潤し、やりたい放題のことをやり、昼間から契約売春婦をローカルな店にも連れまわし自己を演出するような状況になるとその社会の倫理的な防波堤が破壊されてしまう。

そして、いったん性に関するモラルなり規範なりが破壊されてしまえば、もうなにも押しとどめるものがなくなり、かつてならそんなことはしなかった地元の人までが欲望に任せて野放図に行動するようになる。

東南アジアは全体にもともと性に関しては保守的で堅い地域である。カンボジアもそうであり、チャイルドセックスツーリズムで悪名をはせるようになってからも幼女を売っているのはベトナム人の親が中心であった。そのベトナム人というのが本当のベトナム人かというと必ずしもそうではなく、日本に来た「ベトナム難民」と同じく、サイゴン陥落とともに周辺に散らばったベトナム華僑であることが多いはずである。彼らは植民地時代には白人の手先になり徴税や住民弾圧に手を染めてきたのでベトナムに残ることはできなかったのだが、金のためなら娘を売るくらい平気である。

東南アジア全般について言えると思うのは、まず白人の手先を本分とする中国系が伝統的な倫理規範を破壊して糸口をつける。そしてさらに彼らは、白人セックスツーリストを歓迎しローカルからも少女を調達する。そうしていくうちに、伝統的な規範は破壊され地元民も外国人に競って買春するようになるということ。

タイの場合はもう少し複雑で見えにくくなっている。タイ族もまた雲南出身の中華系民族であり中国人と異質とはいえないし、他の国より華僑との混血も進んでいるからである。タイには潮州(広東省、ただし民族的には福建に近いそうである)系の華僑が多い。タクシンが華僑だといっても、それは中国系の血がより純粋でタイ語より中国語のほうが得意だ、という程度の意味であって、血から言えばタイ国王も華僑なのである。

つまり現在、量的にローカル買春客のほうが多いとしても、それは白人の免罪理由にはまったくならないということである。規範の破壊という意味で質的に見れば、白人買春のプレゼンスが圧倒的である。

「セックスツーリズム法」。名前までさらされている。

In 2004 Canada started to prosecute individuals under the sex tourism law. The first individual charged in Canada under this law was Donald Bakker. Australia has long done so: with a comviction in 1996 after enactment of legislation in 1994.[16] Its Government has, for example, caused an international political incident in pressing for the extradition of suspended Solomon Islands Attorney-General Julian Moti, an Australian citizen, to face possible charges over alleged offences dating back to 1997.

こっちのほうはわかり安すぎて面白くない。http://en.wikipedia.org/wiki/Big_Apple_Oriental_Tours

マクドナルド的。

忙しいアメリカ人より、オーストラリア人やドイツ人やオランダ人やフランス人のほうが、個人買春・バカンスセックスツーリズムが得意だということだろうか。

Big Apple Oriental Tours is a travel agency based in New York that is at the center of a campaign against sex tourism operators in the United States.

The company was founded in 1993 and offers all-inclusive trips to Thailand, the Philippines and Cambodia "for the single male.” Their advertising brochures highlight the erotic atmosphere and easy availability of women in these regions. Tour guides would meet the men upon arrival, explain everything, and transport them to the local bars and brothels.

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2007年3月15日 (木)

カナダ人男が、カンボジア、コロンビア、フィリピンの子供とセックスしてカナダで逮捕される

Imgp3101 Vancouver: A Vancouver-area man has been charged under Canada's "sex tourism" law for incidents involving children in three countries, police said on Tuesday. Kenneth Klassen was arrested after a 2 1/2-year investigation that identified victims he had allegedly recorded having sex with in Colombia, Cambodia and the Philippines.

New Straits Times 3/15

【バンクーバー】 バンクーバー地域の男がカナダの「セックスツーリズム」法により、3つの国の子供たちを巻き込んだ事件で訴えられていると、警察が火曜日発表しました。

Kenneth Klassenは、2年半の捜査により、彼がコロンビア、カンボジア、フィリピンの各国でセックスしたのを記録したとされる被害者を特定されて逮捕されました。

これらの国の現地ではまったくお咎めなしで通ってきたということのようである。

記録(record)というのはビデオなのか日記なのか、とにかくべドフィリアは自分の行為の記録を残すのが好きらしい。おそらく同好の仲間たちかネットで自慢していたのだろう。

児童買春で逮捕される事例は複数の幼い児童をホテルやゲストハウスに連れ込むなど、派手にやっている者がほとんどである。

逆に言えば、これらの国々でこっそりやっている謙虚な連中は今も逮捕されていないということになると思う。

反日英字紙にもかかわらず、日本人男性の児童買春事件が報道されるのを見ない。日本のマスコミで報道されたスワイパーの置屋でビデオ撮影して日本で逮捕された男の話もNSTには載らなかった。置屋で幼女を買った男まで報道していたら、白人ペド犯罪の実態が際限なく表に出てきてキリがなくなるからだろう。しかし、あの時は産経新聞系列までが、カンボジアで児童を買っているのは日本人ばかりであるかのように報道していた。

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2007年3月10日 (土)

10歳から14歳の幼女を性的虐待したドイツ人「英語教師」2人に児童買取買春・人身売買で有罪判決  プノンペン(カンボジア)

見た目が白人である限り、日本を含むアジアでの「英語教師」は、折り込み広告の白人下着モデルよりはるかに容易に手に入れられる「白人業」(白人でなければ非常に不利で白人であれば誰にでもできる職種)である。

白人の児童買春が事件になって表沙汰になるのは、この例のように何人もの幼女を性的虐待していたり児童の母親などカンボジア人が周旋したりする悪質なものだけ。

アンコールワット近くにいる物売りの女の子を誘惑してちょっとやったくらいではつかまらないのが現状なのだろう。とにかく、これは氷山の一角である。

白人は「売春宿」(brothel)が嫌いで野蛮なものだとみなすらしいが、「恋愛」は大好きである。彼らが一様に容疑を否認して胸を張るのも、(10歳の少女と60男が)恋愛をしただけであり「恋愛の自由」は絶対だという白人の宗教教義に依拠している。

もちろん、自分たちで撮影した自分の本番ビデオまで押収されているにもかかわらずそのように開き直れるのは、アジアを根本から見下しているからでもある。この意識は、アジアに来るすべての白人に多かれ少なかれ共通するものである。日本に来る者も同じである。彼らが「日本は物価が高い」といって不平を言うのは、「アジアの癖に」という前提があるからである。

カンボジアであれ日本であれ、国家の尊厳を守るためには、白人に対する国境の敷居はできるだけ高くしなければならない。

アジアの国が白人に敷居を低くするということは「買春どうぞ」という意味である。マレーシアのように買春には厳しい国であっても「白人様、買春はできませんが、植民地リゾート気分でどうぞ偉そう振舞ってください」と誘っているという意味には変わりはない。

いまでも日本の田舎では夜もカギをかけないところが少なくないだろう。白人はいったん入ってもいいとなったらどんな田舎にでも押しかけていく。

そして、「日本の文化はもともとフリーセックスだ」などという理屈をつけて納得し、カギもかけてないのなら入り込んで娘をレイプしていいと本気で思い込んだりするのである。

現にタイの山岳少数民族に対して、白人ミッショナリーやNPO活動家らはたとえば「アカ族はフリーセックスだ」というレッテルを貼り、自分たちのレイプや少女とのセックスを合理化している。

また、そのような白人の宣伝する誤った観念をそのまま受け売りしている日本人が多いことも情けない。

アカ族に関して言えば、ポリガミーの習慣があるとか伝統的に初婚年齢が低い(12歳くらいから)ということであって、セックスや婚姻に関する法やタブーがないわけではない(そのような社会は存在しない)。

しかし、白人にとっては、自分たちの習慣から少しでも外れているならば、そこには文明も法も存在しないということになる。当然のように、「何をやってもかまわない」ということになり、本気でそのように信じ込む。そしてその信念にもとづいて法廷でさえ堂々と争うのである。これが白人である。

なお、ドイツ買春男より甲斐性なしで無教養な日本の買春ツーリスト(つまり2ちゃんねる「危ない海外」板などにへばりついている買春タイヲタ)のなかには、カンボジアは売春ぐらいしか金儲けの手段がありえないと思い込んでいる者が多いようだが、それは間違いである。

カンボジアには実は海底油田が眠っている。それをどうやってカンボジアの国益に結びつけるかということを、彼らはいま必死になって考えているところである。というのは欧米の大手石油資本が猛烈にアプローチしており、ちょっとでも油断すると貴重な資源を安い金で全部持っていかれることになるからである。カンボジアは海底油田に関して外資に対して慎重な姿勢を保っている。

ローカルが受けた17年と15年の刑に比べて、オイゲンの12年は短すぎる。

記事

Cambodia jails Germans for child sex abuse

Imgp3095_1 Phnom Penh: Two Germans who worked as English teachers in the country were among five people sentenced yesterday to prison terms for sexually abusing four girls, a crime that one of the girl's mothers was an accomplice to.

  The Municipal Court here sentenced Karl Heinz Henning, 61, to 28years in prison on charges of human trafficking and debauchery - a legal term for sexual offences against minors.

  Police arrested Henning after they observed him bringing the girls, aged 10 to 14, to his apartment here. While police were searching the apartment, he tried to escape by jumping from his balcony to the ground, some four metres below, but crashed into a metal canopy and was arrested.

  The court also handed a 12-year prison term to Thomas Sigwart Eugen, 42, on debauchery charges, Eugen was arrested after police saw him having sex with two of the girls on a videotape confiscated from Henning.

  "The two Germans committed the crimes because they figured Cambodia is a poor country and that they could just use their dollars to buy sex to fulfil their urges," judge Ke Sakhan said. "These are illegal acts Cambodia cannnot tolerate."

  Both men worked as private English teachers here.

  The Germans denied sexually abusing the girls during their trial March 1. Henning said the four girls had com to his house to learn English and computer skills from him.

  A couple  that acted as sex brokers for the Germans received 17-year prison terms each on charges of human trafficking.  The couple worked with one of the girl's mothers, who was sentenced to 15 yeras in jail, also on human trafficking charges.

  Anti-human trafficking police arrested the two Germans in separate raids on their rented apartments here in August.

 Eugen said he was "quite shocked" by his sentence.

  On Tuesday, the same court sentenced a Swiss man to 11 years in prison for sexually abusing a 12-year-old girl. - AP

【プノンペン】英語教師として働いていた2人のドイツ人を含む5人が昨日、4人の少女を性的に虐待した罪で懲役の判決を受けた。5人のうちのの一人は少女の母親であった。

 当地の市裁判所は、カール・ハインツ・ヘンニング(61歳)に、ヒューマン・トラフィキングとdebauchery(遊蕩:未成年者への性的虐待をさす法律用語)で懲役28年の判決を下した。

 警察は、ヘンニングが10歳から14歳までの少女をプノンペンの自分のアパートに連れ込むのを認めたのち、彼を逮捕した。警察がアパートを捜索している間に、ヘニングはバルコニーから約4メートル下の地面に飛び降りて逃げようとしたが、金属の天蓋にぶつかり逮捕された。

 同裁判所はまた、トーマス・ジクヴァルト・オイゲン(42歳)にもdebaucheryの罪で12年の刑を言い渡した。オイゲンは、警察がヘンニングから押収したビデオテープの中で彼がその少女たちのうちの2人とセックスをしているのを確認したのちに、逮捕された。

 「2人のドイツ人は、カンボジアを貧しい国だと考え、ドルを使って自分たちの欲望を満たせると思い描いたがゆえに、これらの犯罪を犯したのである。」とKe Sakhan裁判官は述べた。「これらはカンボジアが我慢することのできない違法な行為である。」

 2人のドイツ人は当地で私的な英語教師として働いていた。

 ドイツ人たちは3月1日の審理のなかで少女たちを性的に虐待したことを否認した。ヘンニングは、4人の少女たちは彼の家に、彼から英語とコンピュータを教わりに来たのだと陳述した

 ドイツ人たちのためにセックスブローカーとして働いたカップルは、ヒューマン・トラフィキングの罪で17年の懲役刑を受けた。このカップルは少女たちの母親の一人と一緒に働いており、その母親もまたヒューマン・トラフィキングで15年の懲役を宣告された。

 人身売買対策警察は2人のドイツ人を、別々の手入れで当地の彼らの賃貸アパートで8月に逮捕した。

 オイゲンは「判決に大変なショックを受けた」と語った。

 火曜日には、同じ裁判所が12歳の少女を性的に虐待した罪でスイス人の男に11年の懲役刑を宣告している。

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2007年3月 7日 (水)

キャンディ売りの12歳の少女を買取り買春していた68歳のスイス人の男に11年の刑  男はいまなお「援助してやっただけ。虐待などしていない。彼女は俺を愛していて喜んで俺と暮らしていた」と開き直り中 【カンボジア】

Imgp3086

Hurni Hans Ulrich, 68,said yesterday he never molested the girl and that she feels love for him. - AFP picture

PHNOM PENH: A court sentenced a Swiss man to 11 years in prison yesterday for sexually abusing a12-year-old girl.

 Hurni Hans Ulrich, 68, from Basel was found guilty on Friday of debauchery, a legal term for sex offences involving minors.

 Municipal court judge Chan Madina handed down the sentence yesterday and ordered Ulrich to pay five million riels(RM4.390) in compensation to the girl's parents.

 She said Urlich had paid the girl and her parents to serve his "sexual lust" and that his act was damaging to Cambodia's traditional values.

  Urlich denied the charges against him, saying he had never mistreated the girl and had spent more than US1,000 to help the family and provide for her school expenses.  " I have never abused her. She was happy to stay with me," he said outside the courthouse, adding that the child "feels love" for him.

  He said he plans to appeal the verdict.

  Ulrich was arrested in September, when police received a tip and raided his hotel room here where they found him naked with the girl. Urlich had met the child during a visit a few years earlier when she was selling candy. - AP

 裁判所はスイス人の男にたいし、12歳の少女を性的に虐待した廉で、11年の刑を宣告しました。

 バーゼル出身のフルニ・ハンス・ウルリッヒ(68歳)は、金曜日、Debaucheryで有罪の評決を下されました。Debauchery(遊蕩)とは、児童を巻き込む性的犯罪を意味する法律用語。

 プノンペン市裁判所判事Chan Madina(女性)は昨日判決を言い渡し、ウルリッヒに500万リエル(4390マレーシアリンギ≒15万円くらい)のを少女の母親に賠償として支払うことを命じました。

 判事は、ウルリッヒが少女と両親に金を払って彼の「性的肉欲」に奉仕させており、彼の行為はカンボジアの伝統的な価値を損なうものであると述べました。

 ウルリッヒは、彼に対する論難を否認し、自分は決してその少女を虐待しておらず、1000ドル以上(ペドにはタダのような額だが)も彼女の学校の費用のために支弁していると述べました。「俺は決して彼女を虐待なんかしていない。彼女は喜んで俺と一緒にいるんだ」と、彼は裁判所の外で述べました。さらに少女が自分に「愛を感じている」とも付け加えました。

 彼は評決に上訴するつもりだと述べました。

 ウルリッヒは9月、警察が密告を受けてホテルの彼の部屋を手入れしたところ、少女と裸でいるのが見つかり、逮捕されました。

 ウルリッヒは2,3年前に来訪中、少女がキャンディを売っていたときに彼女と出会いました。

(New Straits Times 3/7)

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「カンボジアの伝統的な価値を損なうからいけないのだ」、というところが重要である。

「個人の自由」を何より尊重し、「個人意思自治」を絶対視する「自由主義」を徹底させるなら、(意思能力とか行為能力の問題を除外すれば)12歳であろうが本人が十分納得し合意しているのなら、つまり「インフォームド・コンセント」さえあれば、レンタルワイフ契約であれ女奴隷契約であれ、他人が横槍を入れて否定する理由はないということになるだろう。現に少女は今男と楽しく暮らしており無理に引き止めているわけではないならなおさらである。

この男の厚顔な開き直りを支えている「理由」(主張)もそこにある。

伝統的な社会倫理規範を否定し、「個人の意思」を絶対とする考え方は、このような行為をして「どこが悪いんだ」と平然と開き直る、それを見ている人もなんとも感じない、という感性を蔓延させる。

この犯罪も、密告があって摘発された。しかし、人々が何も感じなくなれば密告者も出なくなる。タイはそれでずっと女を売ってきた国である。その意味でカンボジアはまだマシな国である。

アンコールワットの物売りの少女に白人がつけ込んで買い取っているという噂は以前からあった。

チェンマイの薔薇売りの少女少年は、日常的に、レッドネックバーにたむろする白人たちから買春や援助交際や「恋愛」やの申し出を受けている。6歳くらいから15歳くらいまでの子供。これが恋愛なんだよこれがLoveなんだ、と白人セックス宣教師からもっともらしく言われれば、そうかもしれないと思う者がでるのは不思議ではない。

12歳くらいの現地の幼女を「妻」のように囲い、「愛し合っているのだ」と開き直る白人は決して珍しくない。

少し前まではそういう白人はタイ北部などにはいたるところにいたはずである。北部を地盤とし買春ツーリズム嫌いだったタクシン首相になってから多少厳しくなった。タクシン失脚後また「寛大」になる可能性もあると思う。

問題なのは少女のほうが本当にそういう生活に慣れてしまい男になついてしまうことが多いらしいことである。それが彼女の大人の世界にはじめて足を踏み入れた経験であり、僻地で生まれ育ち親に言い含められてもいるので、そういうものなんだと思ってしまう。別に特別嫌いというわけでもない。嫌いも何も、比較のしようもない。反抗期も経ていないような段階である。日本の12歳の少女とは違い見るからに幼い子供である。隣のおじさんが特に嫌いでないように、自分を買い取った男が特に嫌いというわけでもない。あるいは貧しい両親をいたぶり自分たちを邪険にする感じの悪い同族(やタイ族)の嫌な大人たちよりはマシに見えるかもしれない。言葉も通じないので言葉の暴力は無いし、身体さえ弄らせてセックスさえ我慢していればやさしくしてくれる。男に買い取られたおかげで自分も親も豊かになった。男との生活に慣れ、まだ少し痛いセックスにも慣れて、それが普通になってしまえば、その安定した生活にも一緒に暮らす男にも愛着がわくだろうし、男に対して批判を経ない愛情のような感情を抱くこともあるだろう。

私は4、5年前、タイのチェンマイで、「17歳まで5年間」つまり12歳から5年間、ファラン(白人)の「ボーイフレンド」とランプーンで暮らしていた、というアカ族の女の子に会ったことがある。彼女はローカル食堂を出すほど援助されていたようだが、男と別れた後はもとの一文無しに戻ってしまった。私が会ったときは、そういう生活から完全に足を洗っていたかどうかはわからないが、偽善的なタイ族インテリが経営するNPO風の健全タイマッサージ屋で働いていた。20歳ぐらいだったが、瞳に光がない。何かに感動したりはしゃいだりしているのを見ない。料理が得意で仕事もマジメそうだったが、とらえどころのない虚無的な雰囲気がつきまとっていた。

彼女は自分がファランの「ボーイフレンド」と生活していたことを普通のことのように苦もなく語る。自分の生い立ちが不幸だとはまったく思っていないように見える。もちろんそう思ってしまったら自分の全人格を、後天的な部分に関してほとんど否定することになってしまうだろうから、そんな風には考えられないのだろう。

「ボーイ・ゴーゴーを見に行くのが好きだ」と平然と言うのでゲッと思った。「ボーイ・ゴーゴー」というのは一言で言えば、男の踊り子がステージの上でアナルセックスなどして見せたあと客席に向けて射精して決めるショーである。

彼女は正規に働いていたが、永久的なIDカードは持っておらず高い金を警察に払って更新しなければならなかった。IDの更新が遅れている間に故郷のあるチェンライに往復した際バス内でタイ警察にチェックされ、さらに1万円の罰金を請求されたという。警察はバスに乗り込んでくる警察官は全員をチェックするわけではない。白人などはどんな汚い格好をしていても(たいてい汚い格好だが)チェックされているのを見たことがない。服装や容姿から貧しそうなもの、山岳少数民族らしいもの、ミャンマー人らしいもの、および気に入らない日本人などを選んでチェックするのである。タイではすべての人間がIDカードを持ち歩かなければならない。タイ族は自動的に永久IDカードを取得できるが、山岳民族はそうではない。自分の村にいる限りは不要だが、村から出て移動するためにはタイのIDカードを高い金を出して買わなければならない。もともと焼き畑農業などで移動の生活をしてきた山岳民族が貧しい山村の割り当て地域に縛り付けられることになった。オピウムの栽培も禁止されるようになった。「王妃の事業」(あの醜悪な王妃シリキットの偽善事業である)などで山林が王室や国家に囲い込まれる。移動の生活ができない現在、山村にいては自給自足さえ困難で現金収入の道もない。しかし合法的に町出て働くにはIDカードが必要である。違法でも町(チェンマイ、チェンライなど)に出て働く以外に生計の道はない。そういう人たちをタイ警察は狙い撃ちするのである。タイの山岳少数民族は、タイ国家の支配の下で義務を負いながら国民としての権利はまったく認められていない。

タイ警察は山岳民族のIDカード不携帯を見つけても違反切符を切ってすぐに正規の法的手続きに移行させるわけではない。

待ってはくれる。つまり、その後ねっとりと何度もやってきては「私的に」ゆするのである。しかし山岳民族の少女にそんな金の相談ができる親兄弟や仲間がいるはずもない。

彼女のような明らかに貧しい山岳民族の少女に、何度も何度も売春しなければ絶対に払えない金額を平気で要求し、なんども強請りに来るというのはどういう感覚なのだろうと改めて思う。しかしそれがタイ人なのである。

タイ人にとっては山岳民族、貧しい者、ひいてはタイ族以外の有色人種は人間のうちには入らないのである。

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2007年1月 3日 (水)

59歳のアメリカ人男がチャイルドセックスで逮捕 11歳と12歳の少女とプノンペンのホテルで カンボジア

59歳のアメリカ人男が11歳と12歳のカンボジア人少女とプノンペンのホテルにいるところを警察に逮捕された。月曜日、元旦のこと。

これは児童買春というより、幼女奴隷といったほうがいいのだろう。

白人の場合、同時に二人の幼女と性行為をすると逮捕される確率が高いようである。このケースは男が2人の幼女と一緒にホテルにいるところを逮捕されている。身を隠そうとする形跡すらない。

このケースの被害者はベトナム人少女でなく、カンボジア人少女のようである。(なおさら悪質性が高いように感じられる。ことさら幼女を求めて貧しい家庭と交渉したことが考えられる。というのは、ベトナム幼女の人身売買には「市場」があるが、カンボジア人幼女の人身売買には市場がないからである)。

最近のカンボジアでも、白人が逮捕され報道されるケースはこのようなエゲツナイものばかり。

幼女を連れて歩いているくらいでは逮捕もされないのだろう。

孤児援助のボランティアだ、NGOだ、ミッショナリーだなど、白人にはどんな言い訳でもして開き直る用意がある。実際、その手のボランティア、NGO、ミッショナリー等が、白人のチャイルドセックス、児童性奴隷、人身売買の温床にもなりカバーにもなっているのである。

Imgp2955 An American held over child sex
An American citizen has been arrested for alleged sex offences involving two Cambodian girls aged 11 and 12, a police official said yesterday. Roger Dale Green, 59, from Tenessee, was in the company of the two girls when police raided his Phnom Penh hotel room and arrested him on Monday.- Agencies (マレーシア紙New Straits Times1/3)

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2006年11月 1日 (水)

14歳のベトナム人少女を性的虐待して捕まっていたアメリカ人警察官が、カンボジアの拘置所でピストル自殺

【プノンペン】警察は昨日、14歳の少女を性的に虐待したかどで告訴されていたアメリカの警察官が自殺したと述べました。

サンフランシスコ出身のDonald Rene Ramirezが「口の中に2発の弾丸を撃ち自殺した」と、プノンペンの人身売買対策警察の長、Keo Theaは述べました。

彼は、ある警察官が火曜日の(当地時間)午前6時ごろバスルームに行くあいだ自分の小さな銃を放置していたと述べました。

そのアメリカ人は箒を使い、警官が寝るのに使っていた絨毯の下から銃を引き寄せてそれを自殺に使った、とKeo Theoは述べました。

プノンペンの警察副長官、Pol Phitheyは、この死亡の調査をするために裁判所と警察の役人からなる委員会が設立されているところであると述べました。

ある合衆国大使館スポークスマンは、死亡した男がRamirezであることを確認しましたが、彼の死に関するコメントを断りました。

「われわれはアメリカ市民が警察拘留中に自殺したという報告を聞いており、その問題について調査しているところである。今の時点で発表できる詳細は何もない」とJeff Daigleは述べました。

Keo Theaの部隊は先週木曜日にRamirez(50歳)を逮捕し、14歳のベトナム民族の少女とセックスをした罪で告訴しました。

Ramirezは、日曜日に正式に訴追されました。-AP 

New Straits Timesより)

口の中にピストルを発射して自殺したのに2発発射しているというのは変ですね。

これはカンボジアの野蛮な「代用監獄」制度が生み出した重大な人権侵害事件かもしれません。

日本の人権家もこのアメリカ人の不審な死の真相にもっと関心を持つべきでしょう。

Imgp2726

http://webcenters.netscape.compuserve.com/celebrity/bigpic.jsp?cap=Donald%20Trump&id=4

かつてタイ(メーサイ近郊)に住んでいたあるアメリカ人の消息によると、彼はこのRamirezという男を知っており、バンコクのFBIは以前からRamirezをマークしていて、彼のところにこの男のことを聞きにきたことがあるという。消息主はFBIに「Ramirezはメーサイで少女たちをレイプしている」と答えたが、FBIはRamirezが警察官なので手が出せずダメージコントロールだけをしていた、ということである。

そういうメールをもらった。どこまで本当かはわかりませんが。FBIやCIAがタイで普通に活動していることは公然の秘密というほどでもない誰もが知っている事実。タイが独立国なんて笑わせる。今も昔も独立国の形式をとった白人の植民地にすぎない。北朝鮮の機関ももちろん大いに活動している。タイは北朝鮮と国交があり、数少ない友好国のひとつ。当然総連関係者もいると思う。カオサンにはいろんな国のインテリジェンスが屑ファラン(や沈没日本人?)を装って潜行してるという噂も。

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写真の右側も関連記事。http://www.afpbb.com/article/1034747

カンボジアで「性奴隷」に売られたことのある女性が、いまは「フランス系」の女性救済NGOのようなところで活躍していてGlamourというマガジンのWoman of The Yearに懸賞されたというニュース。(AFECIPはこの人が設立したことになっているようだが、事実上フランス人のコントロールの下にある)。

かつてカンボジアを搾取し、現在も植民地支配に執着し、謝罪や反省どころか一切の内省すらなく、いまも南太平洋の植民地支配にしがみつき核実験をして罪の意識も何も感じないフランス人が、一方で「性奴隷解放」のNGOなどのキレイゴトを派手に展開しているようである。

カミュの「異邦人」という小説にはアルジェリア人に対する人種差別的な取り扱いがあったと記憶するが、あの部分が進歩的なフランスの論壇で批判されたことがあるのだろうか。もし、あのアルジェリア人を朝鮮人に置き換えたような小説を日本の小説家が書いていたら、すぐに発禁になっていただろう。(聞くところによれば、あのカミュの子孫だか親戚だかという人間がいま日本に来て、日本人の自虐趣味に訴えて、日本を冷笑し白人の優越性を示唆するというだけの芸で金を稼いでいるそうである。そういう芸を喜ぶ日本人が多いのである)。

カンボジアの貧困や内乱を引き起こした原因がフランスの植民地収奪であるという意識もなければ、日本が仏印を解放した後も日本の敗戦後ただちに再植民地化戦争を始めたフランスという国に対する批判は一切出る余地がない。

白人の「植民地支配」は、単に支配しているのではない。日本のように持ち出しで投資するのでもない。「有色人種搾取、植民地収奪」そのものなのである。

白人が「白人」と「有色人種」という「区別」を創作したのは、そうすることがこの収奪のために便宜だったからである。むしろこの「区別」が搾取の法的根拠にもなった。「欧米近代奴隷制」を例にとって見れば明らかであろう。

有色人種搾取収奪によって十分に資本を蓄積してしまった白人は、やがてこの「区別」を必要としなくなる。すでに十分強力な富者にとっては、「区別」のないボーダーレスな「自由市場」のシステムのほうが有利である。

ボーダーレスな自由市場のルールにおいては強いものがさらに強くなれるだけでなく、世界全体にボーダーレスを強いることによって、世界の隅々からあらゆる価値を貨幣に換えて吸い上げることができるのである。

「性奴隷」談義で槍玉に挙げられるのはいつも、幼女を売る親、置屋のお客になるローカルやアジア人男性である。

インドシナ近辺に巣くって幼女を囲って長期逗留し、外道の限りを尽くして来た大量の白人男たちが非難されることは決してない。

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2006年10月23日 (月)

アメリカ人男が幼女性的虐待と人身売買の罪で逮捕される プノンペン カンボジア

Imgp2641 裁判所は昨日、アメリカ人の男をヒューマントラフィキングと二人のベトナム人幼女を性的に虐待した罪で告発した。(カンボジアは糾問主義)。Myron Maboris(46歳)が、水曜日、当地のゲストハウスの彼の部屋を手入れされたあと逮捕されたと、市の人身売買対策警察の副長官、Keo Theaが語った。警察は、Maborisが13歳と14歳の2人の少女と部屋にいるのを見つけた。彼は彼女らとセックスをしたとされる。(マレーシア紙New Straits Times10/23より)

白人が起こすこのような犯罪は、3日に一回ぐらいの割合で報道されている。このアメリカ人男も白人でないとは考えられない。タイ近辺では、黒人は道を歩いているだけで犯罪者扱いされ警察の尋問を受けることが多い(マレーシアを除く。マレーシアはタイとは逆で人種差別がタブーというのが国是の国で、黒人はのびのびしている〔ただし白人崇拝がまったくないわけではない〕)。

日本人男性がこのような事件を一件でも起こしたならば、(産経新聞も含めて)日本の新聞は大きく紙面を割いてスキャンダラスに報道するだろう。そしてその報道がまた世界中にフィードバックされて復唱されるのである。

しかし、こちらで3日に一度のように報道されている白人の性犯罪は白人世界のメディアではまず報道されることがないだろう。彼らにとってはこのような事象は「ない」ということになる。白人セックスツーリズムの醜態についても具体的には報道されることはないのではないか。

カンボジアでクズなドイツ人が逮捕されてもドイツの新聞が報道するということはないだろうし、アメリカ人でも同じ。

当地の新聞で報道されるものも、起訴に至ったものばかりであるし、それもすべてかどうかわからない。実態と比べれば、氷山のほんの小さな一角である。

東南アジアの国々の警察は(マレーシアも含めて)白人に対してはきわめて及び腰である。タイはいうまでもないが、カンボジアのような弱小国ならなおさらであろう。もしも白人を誤認逮捕でもしたら欧米メディアにどれだけたたかれることか。賠償を請求され、重要な資源である観光のイメージを悪くすることか・・・・。よほどの目にあまる確証(たとえば近所の人間は誰もが知っているとか、白人NPOからの通告とか、白人からの密告とか)がない限り、なかなか強制捜査に着手できないのではないだろうか。この事件の犯人も、2人のローティーンの少女を同時に、ゲストハウスの自分の部屋に連れ込むという、おぞましくも不用意な男である。

underageというのが何歳からになっているのかわからないが、新聞で報道されるのは女の子が15歳未満の場合ばかりである。

日本のように17歳と援助交際で逮捕されて名前を晒されるということはない。17歳の少女を堂々とレンタルワイフにしている白人男は東南アジアにはいくらでもいるだろう。

つまり、underageでない年長女子との同棲や事実上の人身売買は大手を振ってまかり通っており、そのような白人は自国メディアでの倫理批判を受けることもなく開き直っているということである。

児童買春カテゴリーを見てほしい。白人の児童買春犯罪がいかにすさまじく性懲りもないことか。

私は常に新聞をチェックしているわけではないし日本にいるときもあるから、これらは報道されたものの中でも氷山の一角、つまり氷山の一角のさらに一角なのである。

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2006年10月20日 (金)

ドイツ人男が児童性的虐待で10年の刑 シアヌークビル カンボジア

Imgp2632裁判所は、7歳もの若さの4人のホームレスの少年に性的虐待をした36歳のドイツ人の男に10年の刑を言い渡した。男の名前は、Watrin Alexander Moritz。火曜日、シアヌークビルの地方裁判所により、debauchery(遊蕩):これは当地の当局が使う性的虐待を意味する言葉、の罪で有罪の宣告を受けた。(マレーシア紙New Straits Times記事10/20)


「プノンペンの置屋にたむろする日本人」を批判する産経新聞の記事を前にあげたが、白人流のやり方の一端がこの事件に現れている。ホームレスの少年と直接交渉したようである。白人はフィールドを好むようだ。

アンコールワットの近くにあるレストランなどにも多くの白人ツーリストがたむろしている。

そして、実にかわいらしい(カンボジアの子供はたいていかわいらしいが)幼い少女たちが、彼らのところに笛を売りに来る。白人男たちはまず買わないが、物売りの幼女たちと会話を楽しんでいるようだった。

4年前に私が見たのはそこまでであるからそれ以上のことは言えない。

しかし、3,4年前のタイで。「チェンマイの花売り少女」は8歳ぐらいから20歳近いのまでいた。多くは山岳少数民族の女の子たちで、ロイクローの売春バーにたむろする白人酔客たちのところに行って薔薇を売っている。(チェンマイのバーは売春バーでもオープンバーで花売りが自由に客のところまで行ける)。客は花を買ってバーの女(多くが売春婦で少数民族の少女が多い)にやるのである。

花売り娘たちは夜更けまでチェンマイの街中をうろついていた。中にはかわいらしい12歳の少女で、なぜか英語が上手すぎる子もいた。

NGOのようなところに出入りしていた14歳のアカ族の少女は、バーの白人客から500バーツでホテルに行こうと持ちかけられたことがあると言っていた。彼女は学校には行っていなかったが英語が話せた。キリスト教ミッショナリーに侵食された村の出身らしく、自分もクリスチャンだといっていた。英語は村の教会(高床式の村の中でひときわ目立つけばけばしくペンキを塗りたてた小屋など)で教わったようだった。

タイの山岳少数民族はお金に困ることが多い。彼女らのほとんどが「永久IDカード」は持っていなかった。タイ族なら無条件にIDカード(=タイ市民権)が交付されるが、山岳少数民族には難しい。町に出てきている山岳民族の多くが期限付きのIDしか持たず、その更新をするには警察に大金(私が聞いたときは4000バーツ)を払わなければならない。(IDカードなしでも自分の村には住めるが、移動の自由はなく町に出ることができない。彼らは本来山岳地域を移動しながら焼き畑農業などをしてきたので、移動を禁じられることは自給自足の生活さえ脅かされることを意味する。また貨幣経済の浸透により、現金収入も必要になっているからどうしても町に出ざるを得ない。一方ミャンマーではすべての山岳民族が永久IDを与えられる。山岳少数民族の市民権に関する扱いではタイよりもミャンマーのほうがより「人権」に配慮している)。

彼女たちにとって4000バーツは気の遠くなる大金である。このような状況に陥った少女たちに対してファラン(白人)の「援助」の手が差し伸べられることは、大いにありそうなことであろう。

東南アジア全域で、花売りや物売りや乞食の少年少女(幼女)に「援助」を持ちかける白人男は数え切れないと思われる。

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2006年10月18日 (水)

カンボジアで少女買春 パソコン講師を逮捕 兵庫県警

日本人もやっているのは確かでしょうが、白人はもっと狡猾にひっそりと、かつインテリジェンスを駆使してやっています。人数で言えば(人口比で言っても)、この種の犯罪は圧倒的に白人男が多い。たとえば、タイ人と結婚して定住している白人に、彼らは平然と「少女の紹介」を頼む。男のほうも怒らないらしい。これは白人から直接聞いた話である。

また、山奥定住白人が、自分が経営しているゲストハウス(単に自分の家の離れのバンガローに白人ツーリストを泊めてやっているというだけの、看板も何もないところだと思う)に「母親役」のタイ人女性と小学生くらいの女の子という偽装家族で泊まりに来た白人男を追い払ったことがあるという話も当人から聞いた。追い払われた偽装家族は、別の白人が経営するバンガローに泊まり、部屋に篭って顔も見せず少女をscrewしていたという。(白人は「個人主義」のせいか、自分のポリシーは守っていても他人のやることには口出ししたりしないようだ。特にアジアにいる白人同士で密告することは白人世界のタブーのようである)。

私もタイの田舎を回っているとき、不自然な3人家族を見かけた。「父親」の白人とタイ人の「母親」、そして白人にはまったく似ておらず母親とも口を利かない娘が、黙ったままホテルに泊まり、すぐに移動していく。

そういう甲斐性がない、政治力も情報力も組織力も市民的相互扶助の精神もない日本人が、メディアで騒がれるようになってから闇雲に「スワイパーの9番館」に殺到したりしているだけである。

この記事のように、日本人だけがやっているかのような、あるいは、主として日本人がやっているかのような誤解を生む書き方は産経らしくない。白人のほうがもっと悪質なことを、大量に、長く、そして決して諦めることなく、続けているのである。

というのは、白人にとってこれらのことは、東南アジアを植民地にしていたときにはごく普通の白人の権利としていくらでもやれていたことだからである。植民地支配を一度も自己批判したこともなく、それを迫られたこともない白人たちがアジアを見る視線は、当時と何も変わっていない。むかしはゴーギャンも堂々と植民地で子供とセックスをして立派な芸術を残した。どうしてして今われわれはやれないのか、彼らにはそっちのほうが不条理に感じるであろう。。「チャイルドアビューズ」といっても、白人児童を虐待することとアジアでの子供買いとでは、当事者男性だけにとってでなく女性も含めた白人世界全体における評価がまったく違うものなのである。

さらに、キリスト教ミッショナリーによる子供の性的搾取がある。現実には、子供とセックスをしたい者がミッショナリーになって辺地に出て行くことが多いと思われる。キャリアにもならずマラリアの危険もあり白人女と仲良くなれるわけでもない辺地に定着し、現地の子に英語を教えたり聖書を読ませたり、子供に英語名をつけて民族名を捨てさせ西洋風の習慣を仕込む仕事をするミッショナリーにあえてなろうとする若者には、それ以外の強い動機がなければならない。真に敬虔なものは理屈抜きでこのようないかがわしい仕事は避けるだろう。ミッショナリーは白人キリスト教徒の寄付も多く、かなり儲かる事業のようである。経営者側も、ミッショナリー志願者が来ないよりは子供とセックスをしてもたくさん集まったほうがいいのである。アメリカやヨーロッパから彼らに金を出している人たちは、アニミズムの未開の村の子供たちが洗礼を受けて英語名をもらい英会話を覚え賛美歌を歌い先祖崇拝などの「野蛮な風習」を捨てているいうことだけで「良いことをした」と満足するのである。彼らの活動にはアメリカ大使館の支援もあり、アメリカ言いなりの「仏教国w」タイ政府も山岳少数民族の村でのミッショナリーの活動には大いに協力的なようである。

しかし、カンボジア、まだやっていたのかという感じもする。

この記事に「ゲストハウス」とあるのは、「ゲストハウス」の名誉のために言えば、スワイパー村のバラックの「置屋」のことだと思われる。

[産経記事]

カンボジアで少女買春をしたとして、兵庫県警少年育成課と兵庫署などは18日、児童買春・児童ポルノ禁止法違反の疑いで、福岡市早良区のパソコン講師、原一生容疑者(28)を逮捕した。原容疑者は少女を買春した際に撮影し、画像が入ったCD-Rを現地で製造。国内に持ち込んでホームページ(HP)にも掲載していたという。

 買春からHP掲載まで一連の行為が明らかになるのは珍しく、県警は原容疑者の背後関係などについても捜査を進める。

 調べでは、原容疑者は平成15年12月、プノンペン市内のホテルで、当時15歳のカンボジア人少女が18歳未満であることを知りながら、わいせつな行為をするなどした疑い。

 原容疑者は数年前からカンボジアの首都・プノンペン市郊外にある「売春村」と呼ばれる地域や、タイなどにたびたび渡航。買春行為をカメラで撮影し、自身開設のHPには、この少女以外の複数の少女の画像も掲載されていたという。

 昨年10月、原容疑者が開設するHPに東南アジア系の児童ポルノ画像が掲載されているのを県警の捜査員が見つけて犯行が発覚した。

                  ◇

 ■売春村、日本人たむろ

 カンボジアやタイ、ベトナムなど東南アジアで日本人が少女買春をしたり、撮影したわいせつ画像を国内に持ち込むケースは後を絶たない。

 カンボジアで児童支援活動を展開するNPO法人によると、同国の買春の被害者は約1万5000~2万人に上り、5歳くらいの女児も含まれているという。

 同法人関係者は「売春村ではゲストハウスの1階に日本人がたむろし、少女を品定めする姿が日常茶飯事。買春目的の日本人は後を絶たず、『15歳の子供を買った』と自慢げに話す男性もいる」と打ち明ける。

 警察庁は少女買春に対し、今後も厳しい姿勢で臨む方針で「海外の捜査機関とも連携し、積極的に摘発したい」としている。

(産経新聞) - 10月18日16時19分更新

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2006年8月25日 (金)

ドイツ人男2人が14歳未満の少女との「遊蕩」と人身売買の罪で告訴される やっぱり「英語教師」 プノンペン カンボジア - AFP

Imgp2359 まだがんばっていたんですね。さすがはドイツ人。買春と幼女が何より好きな民族。

裁判所は昨日、ドイツ人2人とベトナム人3人とを未成年者の性的虐待とヒューマン・トラフィキングの容疑で告発しました。(カンボジアは糾問主義のようです。裁判所が告訴告発も行い、捜査を指揮する)。

「女を買う」だけでなく、人間をも買っていたようです。つまり少女を物として買い取っていた。

ドイツ人カール・ハインツ・へニングKarl Heinz Hening(61歳)が、「遊蕩」Debaucheryと、未成年の少女をセックスのために買ったヒューマン・トラフィキングの罪で、同じくドイツ人、ミュンヘン出身のトーマス・ジグヴァルト・オイゲン(42歳)Thomas Sigwart Eugenが「遊蕩」Debaucheryの罪で告訴されました。

Debauchery(遊蕩、放蕩、遊興)は、当地の当局が性的虐待の意味で使う用語。

42歳のオイゲンEugenのほうは、私立大学の英語教師でした。(どこの私立大学かは不詳。オイゲンの学歴も不詳。しかし白人なら誰でも「英語教師」になれそうな雰囲気)。

性的虐待を受けた少女のうちの一人の母親も、月曜日、他の2人のベトナム人と一緒に逮捕され、ヒューマントラフィキングの罪で告訴されました。三人はブローカーとして働き、へニングHenningに少女を斡旋していた。

プノンペン首都裁判所の検察官Ngeth Sarahは、訴訟を維持する十分な証拠があるとしいう。有罪になれば彼らは、10年から20年の懲役に服することになるという。

警察はヘニングを家宅捜索の後日曜日に逮捕したが、ヘニングの借家からは全員14歳以下の4人のベトナム人少女が発見されました。(児童ポルノが見つかったのではなく、実物の少女が見つかった。4人監禁して幼女ハーレムにしていたようです)。

警察はまたこのドイツ人が子供たちとオーラルセックスをしているビデオを押収しました。1000枚ほどの児童ポルノも見つかった。

オイゲンは、ヘニングのビデオの中で2人の少女とセックスしているのが見つかり、翌日逮捕された。(こいつらはドイツ人同士で幼女セックスの写しあいをしていたんですね)。

ヘニングは警察から逃げようとして2階の窓から飛び降りて怪我をしたため現在入院中である。

2003年、カンボジアでは約24人の外国人が児童買春で逮捕されたり追放されたりしている。カンボジアはいま、幼女性愛者の溜まり場というイメージを払拭しようと努めているということです。-AFP 

(タイの特定の地域を何でもありにして、東南アジアの他の地域でのあらゆる形態のセックスツーリズムを取り締まる、というのがアセアン全体の利益のためにはいいかもしれないと思う。)

写真に写っているのはオイゲン。マレーシア紙ニュー・ストレーツ・タイムスは、この手の容疑者の写真をよく載せてくれます。

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なお日本の白人英語教師はオイゲンよりは多少マシみたいです。日本の白人英語教師のサイト。
http://www.flyservers.com/members5/nanpasensei.com/

上のサイトは次のような企画
Send us your pictures. Taken from your keitai, digi cam (preferable) of the lovely Japanese ladies you have gotten busy with.  No need to mosaic, blur or block out anything.  Since we will directly email all photos to all members

しかし
a) No kiddy porn or sex with animals. Other than that pretty much anything goes.

ということです。No virus pleaseとも書いてあるけど、こういうところにウィルスを送ってやるのは罪でしょうか。

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私が言いたいのは、これらの根っこは同じだということです。根っこにあるのはアジアでの「白人セックスツーリズム」という文化なのです。

さらにその根底にあるのは、白人のレイシズム、植民地支配者意識です。

日本人男が一人でも、ヨーロッパの片田舎でこのドイツ人と同じようなことをやったら、白人世界全体の日本人に対する怒りがどんなに凶暴に荒れ狂うだろうか考えてみてください。しかし、彼ら白人は自分たちがアジアで何をしてもまったく何も感じない

アジア人レンタルワイフを雇っているような白人が100人いるから、一人の児童性虐待者・児童監禁者が紛れ込む余地が出てくるのです。

児童買春が他のセックスツーリズムと無関係なわけではない。とくに家を借りた長期監禁型の児童性搾取や児童人身売買は、白人が愛好する「レンタルワイフ・バカンス」形式の買春文化と密接な関係があるということによく注意する必要があります

これらの児童性愛白人たちには、目的達成のための特有の情報ネットワークがあり、欧米伝統の(白人同士の)「隣人愛」「助け合いの精神」に支えられていることにも注目すべきです。

したがって、これらの白人セックスツーリストを写真に撮りその顔をネットで晒すことは、同義的にもなんら悪いことではないと私は信じています。

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2005年12月13日 (火)

子供に笑顔と生きる希望を=「世界の医療団」、カンボジアで15周年式典

第一線の医師を開発途上国に約2週間派遣し、戦争で顔に傷などを負った人に形成外科手術を施す「スマイル作戦」。国際医療支援団体「メドゥサン・デュ・モンド」(世界の医療団、本部パリ)が展開するこのプロジェクトが今年、15周年を迎え、発祥の地カンボジアで記念式典が行われた。1996年から参加している開業医の与座聡さん(50)=東京都=は「子供たちに本当の笑顔とともに、人間としての尊厳と誇り、生きる希望を取り戻してあげたい」と話している。 

(時事通信) - 12月12日15時0分更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051212-00000057-jij-int

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2年半ほど前カンボジアで見た女の人の顔がいまも忘れられない。
目と目の間の普通はくぼんでいるところが、おでこのように大きく盛り上がって、逆に鼻のところがくぼんでいた。まだ若いようだった。国境の町ポイペトで毎日のように見かけた。いつも誰かに守られていて、大八車に乗っていることもあった。
ポイペトではほかにもいろいろな障害のある人たちを見たが、去年の暮久しぶりに行ったときにはすっかり雰囲気が変わっていて、そういう人は見かけなくなった。

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2005年9月20日 (火)

2004年12月タイ、イサーン周遊

2004年
【パノムルン遺跡・プラコンチャイ】
12月3日。
アランガーデンホテルをチェックアウト。アランチャプラテートのバスステーションからブリラム行きのバスに乗り、バンタコで降りる。途中、感じの悪いタイ警察がまたしつこくパスポートをチェックしてきた。ロンジをはいてアカ族のショルダーバッグを提げているからだろう。
バンタコでモトサイを雇い、パノムルン遺跡を見に行く。大きくはないがなかなか立派な神殿。中心にシヴァリンガがある。クメールのヒンドゥ神殿。そのままモトサイでプラコンチャイという町に行き、「プラコンチャイリゾート」というホテルの150Bの部屋にチェックイン。モトサイは250B。プラコンチャイリゾートの近くには何もない。マーケットまで数キロ。夕方ホテルのオーナーの自家用車でマーケットまで乗せてもらう。食べ物を買って持ち帰って庭で食べる。
【スーリン】
4日。午前9時ごろチェックアウト。ホテルのバンでバス停まで送ってもらう。スーリンに行くエアコンバスに乗る。1時間ちょっとでスーリンに着く。このあたりクメール系の顔も目立つが表情や振舞いはタイ的。クルンスリホテルの140Bの部屋にチェックイン。
午後バスに乗り、シーコーラプーム遺跡を見に行く。5分で見終わるようなもの。どこまでが本物でどこからが再建なのかわからない。
スーリンの町は、2年半ほど前に来たときにはうらぶれた感じの静かな町だったが、今は妙に活気がある明るい感じの町になっている。
【プラサート】
5日。午前11時ごろチェックアウト。バスステーションから立派なエアコンバスでプラサートに行く。プラサートはけっこう大きな町。バスステーションの近くのHotelとだけ表示のある旅社にチェックイン。150B。スーリンのクルンスリより清潔な感じ。
バスステーションからソンテウでカンボジアボーダーの方に向かう(カプチューン)。途中でモトサイに乗り換え、チョンチュムのボーダーへ。スタンプなしでタイを出るが、カンボジア側で300B要求される。オスマチOsmachというマーケット。掘立小屋の小さな集落がある。オスマチのマーケットでカフェを2杯飲む。カンボジアの味。コンデンスミルクをかき混ぜるまでは透明で舌がしびれる刺激。
プラサートのマーケットは閉まるのが早い。午後8時には半分くらい店じまいをしてしまう。バスターミナルとマーケットと役所だけの町。
6日。引き続き名もないホテル(旅社)に滞在。プラサート・ヒン・バンプルアンを見に行く。その近くに住んでいる人の世話になる。ところがいいところに、パタヤにファランのボーイフレンドがいるという若い女がやってきてぺらぺらとしゃべりまくりうんざり。雰囲気ぶち壊し。しょせんここはタイだと再確認。
バンプルアンからプラサートに戻ってバス停近くのマーケットをぶらぶらしていると、バンプルアンに行くソンテウにたまたま乗り合わせて少し話しをした姉妹の姉のほうに声をかけられた。ソンテウの中で教えた私の名前を覚えていたのに驚く。スーリンの自分の家に戻るところだというのでスーリンへついていく。スーリンで一緒にバーベキューを食べて帰ってくる。姉のほうが23歳でオームといい、妹は20歳でオーという。母親がクメールで父親がクイ族だという。クイ族はスーリンあたりに昔からいる象使いの部族。
今日会った人たちはみなクメール系だが、本人たちはタイ族のつもりらしい。家庭ではクメール語を話すが、それはただカンボジアが近いから話しているだけだといっている。しかし、たとえカンボジア国境近くに住んでいても、クメール系以外の人がクメール語を話すということはないだろう。
【シーサケット】
7日。10時半ごろ発ってスーリンに行き(プラサトからシーサケット行きは2本のみ)、スーリンでバスを乗りかえる。
スーリンのバス停近くのコーヒー屋台のおばさんに最後の挨拶。このおばさんは英語を話す。この人の話によれば、イサーンには(方言として)3つの言葉が存在するという。一つは、固有のイサーン語で、スーリンやブリラムなどで話される言葉。この言葉も標準タイ語とは外国語といっていいくらいに違う。第二は、ラオ語で、コーンケーンやウドンターニの方で話される。タイ語と同系の言葉。第三はクメール語で、クメール系の人たちが話し、タイ語とはまったく違う。
シーサケット行きの途中で降りてサカンペンヤイ遺跡を見る。これもどこまでオリジナルでどこからが補修かわからない。彫刻も新しそうで、クメール風の顔のものは風化している。バスを拾い、シーサケットへ。鉄道駅前で降りてサムロー(リクシャ)でThai Siam Thaiホテルへ。180Bの部屋にチェックイン。シーサケットはスーリンより小さいくらいの町だが、町の人の感じはスーリンよりとげとげしい。
【カンタララク・カオプラヴィハーン遺跡】
8日。シーサケットの町は感じが悪いのですぐに出る。何も面白いことのない町。ローカルコーヒーもない。バスステーションに行くと、ちょうどカンタララク行きのバスがあったのでそれに乗る。昼ごろカンタララクに着。バス停の向かいの飯屋のオヤジの車でカオプラヴィハーンに向かう。その前にホテルを見つけてもらう。300Bでファンの良い部屋にチェックイン。新しいこの辺でナンバーワンの宿だそうだ。英語看板はないが、First Service Roomというところ。カオプラヴィハーンの前でタイ側の公園事務所に200B払わされる。そのあとイミグレのようなところでパスポートのコピーをとらされ、カンボジア側の事務所でも200B払う。カンボジア領に近づくにつれて風景は荒れ野のようになってくる。耕地が少なく木がまばらに生えている。地雷危険の標識に囲まれた道を行く。神殿は毀れているがなかなか立派なもの。敷地に入るとキーンと耳がなるような感じのところ。行き止まりは絶壁で柵も何もない。曇りがちの天気で展望は良くなかった。最初からずっとついてくるカンボジア人の物売りの女の子がいた。「私たちはクメールであることに誇りを持つ」という意味の言葉がクメール語と英語で大きく掲げられていた。あれはなんて読むのと聞くと、クメール語で読んでくれた。
【ウボン・ラーチャターニ】
9日。10時ごろにFirst Service Roomをチェックアウト。カンタララクを出る。バスで2時間ぐらいでウボンに着く。バスターミナルは北の方。インフォメーションが親切にソンテウの番号を教えてくれる。すべて5バーツ。最初、トーキョーホテルを見るが部屋が狭いのでやめる。次に乗ったソンテウがワーリンまで行ってしまう。もう一度戻り、シーイサンNo.2の160バーツの部屋にチェックイン。ツインベッドで広い部屋。安旅社だが臭くなく静かそうな環境。
ウボンの国立博物館を見る。施設も展示も貧弱。職員は怠惰におしゃべり。ふざけた態度で応対している。見るべきものもあまりない。クメールの仏像も風化して顔がよくわからなくなっているものばかり。管理もずさんで、古い文字の刻まれた石板が直射日光にさらされている。館内にある年表などによれば、タイ(ラオ)族がこの地域に侵入したのは18世紀になってかららしい。それ以前数百年はクメール、その前はモン(ドヴァラヴァティ)が支配していたとなっている。
【ピブーンマンサハン】
10日。朝シーイサンホテルの近くの通りでソンテウを拾い、ワーリン市場へ行き、そこからローカルバスでピブーンマンサハンに向かう。ピブーンは小さな町だが、かなり大きなマーケットがある。サムローでホテルへ。Phiboonkitホテル。英語はまったく通じない。大きなツインルームで280バーツ。宿にバッグを置いて、チョーンメックに向かう。一時間以上かかる。タイ側イミグレーションでラオスのアライバルビザが取れるかどうか聞いてみると、取れるということだった。
ピブーンにもどり、コンチアム行きのトラックバスに乗る。橋のところから出る。1時間ぐらいでコンチアムに着。ゲストハウスが2軒ほどあり、薄汚いファランも見かけた。コンチアムに着いたのが午後5時ごろで、もう帰りのバスがなくなっていた。ファラン宿のババアは私を完全に無視しやがった。バス停前の強欲オヤジの白タクで300バーツ払ってピブーンに戻る。車で飛ばすとほんの30分の距離。
【パクセ】
11日。ピブーンキットをチェックアウト。ソンテウでチョーンメックへ。アライバルビザを取る。土曜日ということで、ビザを取るにもスタンプを押すにもいちいち賄賂を要求される。ビザで1ドル。スタンプで70バーツも。しかも一ドル50バーツというでたらめな計算で、ビザ代をバーツで払うと1500バーツだという(普通は一ドル40Bくらい)。パクセまでトラックバス。パクセのラオチャルンもサラチャンパもほとんど満室。タイ人団体客がはいっているらしい。ポンサヴァンという汚いゲストハウス(3ドル)に入る。このあたり、タイ側よりラオス側のほうが白人ツーリストが多い。
【チャンパサク】
12日。サヴァナケットに向かうバスに乗るが、12時ごろから4時ごろまでずっとパクセ周辺のバス停をのろのろまわっていてまともに走ってくれないので、うんざりしてバスを捨てる(2.5ドル)。トゥクトゥクを拾い、チャンパサクの手前の渡しまで500Bで行く。渡し舟ででメコンを渡り、チャンパサクのAnouxa(アヌサ)ゲストハウスというところにチェックイン。5ドルでホットシャワー付の部屋。こんなところにもやっぱり毛唐がアジア女連れで来ている。
パクセは寒いが、チャンパサクは暖かい。パクセの夜はほんとうに寒い。
【ウボン・ラーチャターニ】
13日。10時ごろアヌサをチェックアウト。チャンパサクを出る。パクセでソンテウ(ピックアップトラックバス)を乗りかえて、ヴァンタオ(チョーンメック)まで行き、タイに入る。
ラオスのトラックバスのうしろにぶら下がって車掌をしていたラオス人の若い女の子とタイ国境前の食堂で食事をする。いい女だった。ラオスのトラックバスはタイのソンテウとは違い、車掌がうしろにぶら下がって乗客の世話をする。ピブンマンサハンでソンテウを乗りかえウボンラーチャターニーへ。シーイサン2にチェックイン。160B。
【ムクダハン】
14日。シーイサンをチェックアウト。ウボン工業技術大前のバス停から立派なバスに乗り、アムナートチャルンに向かう。アムナートがあまりに小さな町で何もなさそうだったので、そのままムクダハンへ。ウボンから3時間でムクダハン着。バントムカセム(Banthom Kasem)ホテルにチェックイン。英語看板はない。150B。
ラオスのパクセは寒かったが、ウボンは暖かかった。北へ向かったが、ムクダハンも暖かい。ムクダハンは川湊のある小さな町で、マーケットもさほど活気があるわけではない。ファランはときどき見かける。ラオスから入ってくるやつや、タイ女を連れたやつ。
町の人はウボンやシーサケットに比べて穏やかな感じがする。
15日。バントムカセムの居心地がいいのでもう一泊した。宿の人の感じが良い。同じ150Bでホットシャワーのあるいい部屋に変えてくれた。ムクダハンは小さな町だがケーキ屋がいくつかあり味もいい。ファランが少ないのが何よりいい。バントムカセムは英語表示のない商人宿で静か。商人宿だが旅社の雰囲気はない。床も板張りで外人向けのゲストハウスみたい
だがファランは見ない。ムクダハンは衣料品などの市場が充実していて、ウボンなどよりずっと品揃えが豊富。昨日米軍の迷彩シャツを買った。人は少ないのに、品数は充実している。
【ナコーンパノム】
16日。バントムカセムをチェックアウト。タートパノムへ行くがまともな旅社もない。流水のないようなところだけ(溜め水)。泊ろうかと思ったが、蚊の多さに閉口し、ソンテウでナコーンパノムに向かう。ファーストホテルにチェックイン。160B。近所が一晩中うるさい。
パノムというのはプノンペンのプノムと同じで、クメール語で丘という意味だそうだ。地元の人はパノムよりプノムに近い発音をする。
【ウドンターニー】
17日。サコンナコンに向けて出発。サコンナコンに着いたのがまだ11時ごろだったので、ウドンターニまで行くことにする。2時半ごろウドンに着。バス停前のSri Trakarnという安旅社にチェックイン。140B。ぼろいがそんなに汚くはない。ウドンはかなりの大都会で、ロビンソンデパートもあり、女連れのファランが目立つ。タイマッサージ屋も多い。
【アランヤプラテート】
18日。9時ごろバスでウドンを出て、コーンケーンへ。コーンケーンで降りてから、急にアランヤプラテートに行きたくなり、コラート(ナコンラチャーシーマ)行きに乗る。コラートで乗りかえ、アランヤプラテートに向かうが、アランヤプラテートだと思って降りたのがカビンブリだった。5時ごろ。運転手に聞いて降りたが、でたらめにそうだと言っていたようだ。結局、乗りかえてアランヤプラテートまで行く。50Bの損。アランガーデン2は満室で、アランガーデン1の道側のうるさい部屋。200B。
19日。アランガーデン2の300Bの部屋に移る。道側だが交通量も多くなくわりと静かで安眠できる。ファランも少ない。高いからだろう。
【ポイペト】
20日。ポイペトに出る。タイのイミグレにずいぶん時間がかかる。カジノ目当ての異様な雰囲気の白人団体が並んでいた。ドイツ人のようだったが、ふつうのツーリストと雰囲気が違う。顔立ちからしてなにか異様。ガタイが大きく、肌が荒れていて、みな無表情で黙っている。東ドイツの農民という印象。農協のカジノツアーなのかも知れない。ほかにはフィリピン人も多い。
ロータリーのロンセンリLong Seng Lyゲストハウスの一階の窓のない部屋にチェックイン。200B。天井は高く換気扇があるのでさほど閉塞感はない。
21日。ロンセンリに連泊。
23日。毎日ドリアンを食べる。シーズンではないと思うが甘い。窓のない部屋の居心地もまあまあ。
ポイペトは悪くない。ネットカフェもある。
25日。下痢で寝込む。熱もある。ドリアンの食いすぎと思われる。
26日。インド洋津波。部屋のテレビで知る。
注:インド洋津波に関する報道は偏っていた。多くのタイ人売春婦や「レンタルワイフ」が犠牲になったはずだが、そのことはまったく報じられない。白人の死や行方不明のみが報じられる。スウェーデン人少年が病院から行方不明になったことで欧米メディアは大騒ぎし、kidnapされた疑いもあるなどと連日報じていたが、ローカルが何人不明になっているかにはまるで無関心だった。伝え聞くところによれば、タイ人救助隊による救助の場面においてさえ、ツーリスト(=白人)が最優先され、アジア人被害者は後回しにされていたという。
28日。ずっとロンセンリに沈没。毎日やることも同じ。ポイペトは空気が悪いほかは居心地が良い。毎晩、道に並ぶ屋台をうろつき、殻ごと焼いた卵を食べたり、ドリアンやジャックフルーツの入った濃厚なカンボジア風フルーツシェイクを飲んだりするのが楽しい。これは一口飲むと口の中が痒くなる。
【アランヤプラテート】
31日。ロンセンリをチェックアウト。タイに入国。入国カードに、タイでの滞在先としてバンコクのタイペイホテル(台北大旅社)とを書いたら、女のイミグレ官にこれはどこだとしつこく聞かれた。バンコクだというとバンコクのどこだというので、ヤワラーの近く7月ロータリーの近くだといっても要領を得ない。知らないようだった。

2005年
【ブリラム】
1月1日。アランガーデン2をチェックアウト。ブリラムに向かう。ブリラム行きと教えられたバスに乗るとまったく別方向のチャンタブリ方面行だった。途中でバスを乗りかえ、午後4時過ぎようやくブリラムに着く。2年半前に一度来たはずだがまったく覚えがない。リクシャで適当なホテルに行ってもらう。「タイホテル」という安旅社の220Bの部屋。
ブリラムは死んだような町だが、売春婦連れ白人が溜まっている大きなバービアがあり、タイホテルにも売春婦連れが入っている。
【ナコンラーチャシーマー(コラート)】
2日。タイホテルをチェックアウト。11時の汽車に乗る。鉄道駅が近かったので汽車に乗ったのがマチガイだった。三等しかなく、満席で立ち。しかも込み合っている車両を3分おきくらいに物売りが大きなバケツを提げて乗客を書き分けて通る。駅だけでなく、走行中も頻繁に売りに来る。何を考えているのか、タイ人の頭の中はわからない。ナコンラーチャシーマ駅で降り、旧市街のほうに歩く。チュムポルホテルにチェックイン。240B。

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2005年9月19日 (月)

2004年11月ラオス~カンボジア周遊

2004年
【チェンコーン】
11月1日。メーサイのスリラートレストランをチェックアウト。9時ごろ出る。2番目のセブンイレブンの前からチェンセン行きのソンテウに乗る。チェンセンまでは30バーツ。わりと早くつく。チェンセンでソンテウを乗りかえてチェンコーンへ向かう。チェンセンからチェンコンまでが長かった。あちこち回る。一度乗りかえさせられる。25バーツ×2=50バーツ。メーサイからの合計80バーツ。チェンコーンのメコン河沿いにあるBaan Faiという小さなゲストハウスにチェックイン。ホットシャワー付150バーツ。チェンコーンに着いたのは午後1時ごろ。このBaan Faiというゲストハウス、日本人がたくさん泊っているようだ。
【フエサイ】
2日。午前10時頃Baan Faiをチェックアウト。この宿の人はタイリュTai Lu(uウムラウト)らしい。宿の人の感じは悪くないが、蚊が多く、よくわからない虫の糞らしきものがシーツに。
イミグレーションでスタンプを押し、ボートでフエサイに渡る(20バーツ)。イミグレは社会主義の役人らしく偉そう。イミグレに近いManirathゲストハウスというがらんとした大きな宿にチェックイン。宿の人は感じがよい。140B(35000キップ)。イミグレのところで1000バーツをキップに両替。大変な札束になる。1ドルが10000キップ。
フエサイの町の雰囲気はタイとは違うが、人の感じはタイに近い。タイ人よりツンとした感じだが、白人にへつらうときはよりストレートかもしれない。自然の成り行きとして、毛唐が偉そうにしている。とくにフランス語を話す連中が今も植民地であるかのように振舞っていた。町にはとくに見るべきものはない。ラオスといってもここはラオカフェはあまりなく、あってもタイコーヒーのようなもの。トゥクトゥクでマーケットまで行ってみたが閑散としてつまらなかった。
【ヴィエンポーカー】
3日。9時ごろフエサイのマニラートをチェックアウト。ソンテウでバス停へ。役所のようなチケット売り場で、ルアンナムタ行きのチケットを買う。シエンコックへ行きたかったがスピードボートをチャーターするのに4000Bもかかるというのでやめた。ルアンナムタ行きのバスは、舗装してあるようなないような道をのろのろ走る。隣に座った変なインド人が大騒ぎ。白人数人と若い日本人ひとりもいた。こいつは頭をちりちりに編んでいるが、口をいつも半分開けている。英語がしゃべりたいのか、隣の白人にしきりにぶつぶつと小さな声でしゃべりかける。休憩で外に出るとしょうもない白人にやたらすりよってしきりに話しかけている。全体にアホ丸出し。
タバコを吸う毛唐が多い。イスラエル女とみえるやつなんか車内でも吸う。
チケット売りの役人はルアンナムタへ7時間と言っていたがウソ。午前11時に発車して、午後7時過ぎに半分くらいのところにあるヴィエンポーカーという町に着く。もう暗い。他の連中はまだ乗っていたが私はここで泊ることにする。バス代は45000キップ(180バーツくらい)。バス停近くのゲストハウスにチェックイン。山小屋風のつくりで2万キップ(80B)。
【ルアンナムタ】
4日。午前9時、ヴィエンポーカーのマーケットのところにある「バス停」からピックアップに乗り、未舗装の道をルアンナムタに向かう。砂ぼこりがひどい。肌寒いのでウィンドブレーカーを着てフードを頭にかぶせて行く。4時間ぐらいでるアンナムタに着く。途中橋のない川を何度か渡った。丸太だけを何本か渡しただけの橋も。ルアンナムタに近づくとコンクリートの橋が目立つようになる。ルアンナムタは特徴のない、まとまりのない町で、閑散としている。マーケットもあまり活気がない。バックパッカーが目立つ。タバコをくわえて歩く毛唐も。
バスターミナル近くのチャルーシンゲストハウスというところに入る。コールドシャワーで2万5千キップ。ルアンナムタは中国色がやや濃い。
5日。朝チャルーシンゲストハウスをチェックアウト。近くにあるバスステーションゲストハウスのホットシャワーのある部屋に移る。4万5千キップ(180B)。水圧が低くて他の部屋が水を使うと湯沸かし器が働かなくなる。ルアンナムタのカフェラオは良い。インターネット屋は一分400キップ(2.4B)だから7円くらい。かなり高い。マーケットのカオソイは旨い。フランスパンも。今日は金曜日だからか、夜中までバスステーションで大音響の音楽。すべてタイ音楽のようだ。ルアンナムタは中国に近いせいか漢字も目立つ。
【ムアンシン】
6日。午前11時ごろバスステーションゲストハウスを出て、ピックアップでムアンシンに向かう。15000キップ。道は舗装あり。1時間半くらいで着。ムアンシンは道が一本あるだけの宿場町という感じ。Daen Neuaとかいうコンクリート造りのゲストハウスに入る。マーケットはしょぼい。マーケットの近くのタイラム族という人たちの市で、小さなマフラーを買う。
【ルアンナムタ】
7日。午前Daen Neuaゲストハウスをチェックアウト。ムアンシンのバスステーションは少しわかりにくい。食品などを売っている小さいほうのマーケットの近く。11時のマイクロバスでルアンナムタに戻る。バスステーションゲストハウスの別の部屋に入る。
8日。バスステーションGHをでて、チャルーシンGHに移る。
【ウドムサイ】
9日。正午のバスでルアンナムタをでて、ウドムサイに向かう。でこぼこ道を4時間ちょっと走りウドムサイに着く。Vongprachitゲストハウスというところの4万キップの部屋に入る。バス代は2万6千キップ。ウドムサイにもインターネットがあり、一分700キップ。
10日。ヴォンプラチットGHはしょっちゅう水を止める。昨夜は一晩中止められた。今日も昼間水を止めていた。女主人は「ウドムサイは8時から5時まで断水する」などとウソばっかりついていた。今日白人が数人入ったら、すぐに水が出るようになった。ひどい宿。
【ルアンパバン】
11日。午前11時のミニバスでウドムサイを出る。5時間ぐらい走ってルアンパバンに着く。ルアンパバンのバス停からソンテウで5000キップ。パ・ファイという寺の前にあるパ・ファイゲストハウスという木造の簡素な宿に入る。ルアンパバンは確かにこぎれいな町
だが、人工的な感じがする。欧米人観光客のために作った町という感じ。若いバックパッカーやカップルが多いが、中にはタイ売春婦を連れた白人爺も迷い込んでいる。町の中心部はローカルな店がほとんどないといっていい。
ナイトバザールはHmong族の服飾品が目を引く。
ネット屋も何軒かあり、一分200キップ。ルアンナムタが600キップ、ウドムサイが700キップだったから安い。タイより安い。タイは普通一分1Bでミニマム10Bとかだが、ここはミニマムがない。ローカルなラオカフェが飲めるところがまったくない。ファランカフェで飲むと旨くないのに5000キップもする。
ルアンパバンのネット屋で、地元の中学生か高校生のグループがフランス語でおしゃべりをしていた。訛ってはいるようだが、自分の言葉としてごくふつうにフランス語でしゃべくっていた。
【バンビエン】
14日。バス停まで30分ほど歩いて行き、12時発のバスでバンビエンに向かう。7時ごろ着。車内には自動小銃を持った私服の若者が一人乗っていた。軍隊なのか警察なのかはわからない。銃は目立たないように持っていて、最初は気づかなかったが、休憩で外に出るとき背中に背負っていた。席に戻るとまた目立たないように脇に隠した。ほんとにまだ幼さの残る少年だったが、目立たないように控えている感じだった。国道13号線は強盗が出るともいうが、見晴らしもよく一見して危険な感じではない。不思議な形の山々が見える。
バンビエンのバス停近くのSimoなんとかというゲストハウスに入る。ホットシャワーつきで40000キップ。バンビエンは最悪な町。不良白人の巣窟。カオサンとチェンマイを足して10で割って埼玉の田舎に移したようなところ。
【ビエンチャン】
15日。午前10時ごろSimoなんとかゲストハウスを出て、12時半発のバスでビエンチャンに向かう。ビエンチャンの目抜き通りから少し川のほうに入ったミミゲストハウスというところ入るが、うるさい。イスラエル人なのかインド系のようにも見える連中が夜遅くまで騒いでいる。ベニヤ板の壁。タイ売春婦を連れた白人オヤジも泊っている。バストイレ共同で3.5ドル。以前ビエンチャンに来た時はラオカフェもよく飲んだ記憶があるが、今回は見当たらない。
16日。朝ミミをでて、川沿いのJoeゲストハウスという小さなところに移る。やや高い(55000キップシャワー共同)が、きれいで感じのいいところ。どこも同じくファランばかりだが、ここは夜は静かだった。午前中にトゥクトゥクでカンボジア大使館に行き、ビザを申請する。エキスプレスで30ドル。本日中。USDしか受け付けない。タイバーツもダメ。
メコン河沿いのインターナショナルクリニックに行く(マホソート病院)。
ラオスはタイ以上に白人優先が徹底している。いろいろな受付でも後から来た白人を平気で先にすることが多い。タイ系の民族ということもあろうが、後進国はみんな基本的にはそうなのだろう。
【タケーク】
18日。Joeゲストハウスをチェックアウト。正午のバスでパクサンPakxaneヘ向かう。パクサンに着いたのが午後3時。そこでバスを乗り継ぎ、タケークThakhekというところまで行く。7時ごろ着。まともなゲストハウスが見つからず、バスステーションの中の汚いモーテルにはいる。3万キップ。出発には便利。同じところに流水がない宿もある。流水があるほうに入った。ここまで来ると人の感じが柔らかく親切な人が多い。タイとはもちろん北部やビエンチャンとも違う。
【サヴァナケート】
19日。正午ごろのバスでタケークを出て、サヴァナケートに向かう。すごく感じの悪いフラ公爺が二人乗っている。2時間ほどでサヴァナケートに着く。ここはタイの町のような雰囲気。Leenaゲストハウスといところに入るが、白人とかちあい、またまた露骨な白人優先・白人へのへつらいを見せつけられる。自分が入ったときは、部屋がひとつしかないと言っていたのに、直後に来た白人にはしっかり窓二つのいい部屋をあてがっていた。ババアの笑顔からしてまったく違う。金を払ってしまったが、不愉快だったし暗い部屋だったので、他のゲストハウスに移る。Savasoukchaiとかいうところ。3万5千キップ。Leenaに払った4万キップはドブに捨てた。サヴァナケートはメコンが近いだけで、面白くない町。メコンのせいか夜は肌寒い。
【パクセ】
20日。正午ごろ発のバスでパクセPakxeに向かう。午後5時ごろ着。ラオチャルンLao Cha Leunホテルにチェックイン。奮発して10ドルの部屋に。
パクセまで来ても夜は肌寒い。エアコンを入れていて窓を開けたら、外のほうが涼しかった。パクセは雰囲気のある町。
21日。Lao Cha Leunホテルをチェックアウトし、向かいにあるSalachampaホテルに移る。ミャンマーのモーラムヤンで泊ったホテルに少し似た感じの木造で大きな造りの部屋。植民地風の建築。植民地時代の建物なのかもしれない。
パクセは白っぽい植民地風の建物がひしめきあっている。人通りは閑散としている。フランス植民地時代はこのあたり(いまのラオス南部)の中心都市・植民地行政の中心として栄えたそうだ。今は人口が少ないわりに建物がたて込んでいて、ちょっとゴーストタウンのような独特な雰囲気がある。新しい建物も古いものにあわせた白い植民地風の形式になっている。風が強く、夜は寒い。人気のない通りに強い風が吹き、砂ぼこりが立つと荒涼とした雰囲気が増す。
【カンボジアボーダー・メコンの中洲】
22日。サラチャンパホテルをチェックアウト。昼ごろ、パクセから8キロ離れたバスステーションに行く。英語はまったく通じない。アタプーに行こうかどうか迷ったが、アタプー行きのバスは午後3時ということだったので、Vaem Khamのカンボジアボーダーに向かうことにした。最初から頼んでおいてVaem Khamにいちばん近いというところでバスを降ろしてもらう。そこに一人だけ待ち構えていた素人バイタクでボーダーまで2ドル(2万キップ)。5時を過ぎていた。ボーダーは何もないところで泊るところもないので、カンボジアにいかざるを得ない。ラオスのイミグレは時間外だといってスタンプを押すだけで2ドル取る。川を渡ってカンボジアのイミグレ(小屋)に行くのに舟代2ドル。カンボジアのイミグレもまた時間外と言って5ドル取ってくる。(「マイタイム」だ、なんて言っていた。私的時間に公的仕事をするという変な話。)ボートを借り切って40ドルでいちばん近い町へ行けると聞く。明日行くなら25ドルだという。どうせなら今日行ってしまおうと思ってボートを借りたのが間違いのもと。ボートは夕暮れのメコン河をすごい勢いでとばしていく。少し暗くなりかけたころ案の定、座礁して浸水。中洲で動けなくなる。船頭が携帯電話を持っていて、何度も通話を試みる。電波状態が悪く、中州の立ち木に登ったりしてようやく少し通じたようだが、今夜はもう船は来ない。通過していく船はたまにあるが、助けに来てはくれない。結局メコンの中州で一夜を過ごすことになる。船頭がビニールシート敷く。タイ語を話す若いカンボジア人の男。寒いと言うので私の厚いシャツをひとつ貸してやる。この船頭と2人きり、ビニールシートをかぶり砂まみれになって寝る。この男がどういう人間かわからない。はじめて今日が最後の日かもしれないと思った。
【スタントレン】
23日。結局無事に砂の上で夜明かし。船頭の携帯が通じたらしく、朝7時半頃小さなモーターボートが来る。それで一時間くらいかけてスタントレン(Stun Treng)に着く。金は昨日前払いした40ドルだけで、追加料金なし。船頭が悪人でなくて良かった。スタントレンのリバーサイドゲストハウスというところにチェックイン。中国人の経営。スタントレンのマーケットはほとんどタイやラオスと変わらない。カフェもない。地図がないので、ローカル本屋でカンボジアの地図を買うがあまり良くない。
両替レートは10000キップ=3500リエル、1B=97リエル、1ドル=4000リエルだった。(リエルを買うとき)。
スタントレンのレストランで、たいそう洗練されたアメリカ黒人と話をする。彼はレストランの主人とフランス語で話をしていた。そのレストランのカンボジア人の主人はフランス語は話せるが英語はまるで話せない。そのアメリカ黒人は長くヨーロッパやアフリカに滞在してフランス語を覚えたと言う。旅先にフランス語が必要な国が多いから便利なのだと言う。コンピューターの仕事をしながら旅をしているそうで、一番大切なものだといってパソコンなどの入った重そうなデイパックを肌身離さず持ち歩いていた。フランス語圏のアフリカ人がアメリカ人を騙っているのとは違うようだった。
【カンポンチャム】
24日。午前7時半の大型ボートで出発。白人たちはいつも船のデッキに乗りたがる。私は船室の椅子に座る。
船の中で隣に座っていた英語を少し話す若いカンボジア人が昼飯を分けてくれた。そのためにわざわざご飯をもうひとつ買ってきてくれた。
午後1時過ぎにカンポンチャムにつく。日本の援助で作ったらしい大きな橋が目印。マーケットを目指して歩いていると日本語を話すガイドがタダでバイクに乗せてくれた。
マーケットの近くのNavaゲストハウスというところにチェックイン。トイレシャワー付3ドル。広い部屋。
【プノンペン】
25日。10時過ぎ、近くでミニバスに乗る。プノンペンへ。3時間半ぐらいで着。キャピトルゲストハウスのシングルに入る。2年半前に来たときとはずいぶん感じが変わっている。乞食も少なくなり中途半端にこぎれいになってきた。
【カンポンチュナン】
26日。11時ごろチェックアウト。Psar Thmey(セントラルマーケット)の前でカンポンチュナン行きのバスに乗る。6000リエル。バスの窓からムスリムがいっぱいいる地域を見た。白い帽子と白いシャツにピカピカのカラフルなルンギをはいている男たちがいっぱい道を歩いていた。2時間ぐらいで着く。バス停やマーケットのあたりには泊るところが見あたらない。バイタクでPhkay Proeukゲストハウスというところに行きチェックイン。5ドル。
【プルサート】
27日。午前8時ごろガソリンスタンドの近くでピックアップを拾いプルサートへ向かう。10時過ぎに着く。ピックアップはシート席1万リエルでぎゅうぎゅう詰め。New Than Sourというホテルにチェックイン。5ドル。
【バッタンバン】
28日。8時過ぎ橋の近くでピックアップを拾いバッタンバンに向かう。プルサートからバッタンバンへの道は景色がとても良い。地平線まで農村風景が続いている。11時ごろバッタンバン着。Mohatepというゲストハウスに入る。水シャワーだけの汚いツインルーム(TV付)で5ドル。オーナーはクメールと中国人の混血で感じの良い爺さん。中国風の白いコンクリートの建物。バッタンバンは小さな町だが毛唐が目立つ。グループできている連中の他に売春婦を連れたやつも。自転車に乗ったミッショナリー(こいつらが最悪)など。驚いたことにこのゲストハウスのTVにはNHKの衛星放送が映る。ただし画質は悪い。
【ポイペト】
29日。12時少し前にバッタンバンをバスが出る。途中シソフォンを過ぎたあたりから道が悪くなる。ポイペトには2時ごろ着。
ポイペトはすっかり変わってしまった。ロータリーも舗装され、ニタゲストハウスはなくなっている。ニタには泊ったことがなかったが、日本語を勉強している双子の兄弟がいた。新しいビルがどんどんできていて、大きなクレーンで工事をしている。自分の記憶の中にあるポイペトはすっかり消えてしまい、すこしがっかりした。
2年半前にはじめてポイペトに来たときはショックだった。当時ポイペトにはまだ「戦後」があった。降ればぬかるみ、照れば砂嵐、夜は何が起きるかわからない恐るべき町だった。舗装もなかったし、マーケットへ行く道には街灯もなかった。人力で引っ張る木製の大八車、馬車、赤いターバン(?)を頭に巻いたクメールの女、汚いぼろをまとってぬかるみに立つ美少女、獰猛な目をしたバイタク・・・・それらもろもろがロータリーを中心に凝縮されて飽和していたが、そういう印象はいまはほとんど消えていた。
ロータリーに面したLong Seng Lyゲストハウスにチェックイン。2年前いつも泊っていたChav Pha Yaゲストハウスはもうなくなったように見えたが、よく見ると大きなカジノの敷地の中に残っていた。その前の未舗装だったぬかるみの路地もすっかり舗装され、チャオファヤの前にはインターネットができていた(ただし異常に高く機械も2台しかない。マーケットに行く道にあるネット屋のほうが安い)。周囲の様子もすっかり変わった。
その路地に並んでいた高床式バラックの店は、残っているものもあるが床はコンクリートになっていた。以前は板張りで板の隙間からゴミを捨てていた(道の横のドブの上に道と同じ高さの高床がある形式)。毎日のようにフランスパンサンドを食べていた店もコンクリート床になっていたが、いつも不機嫌そうな足の悪いお姉さんはいまもいた。しかしフランスパンサンドは私が来たちょうどこの日を最後にやめてしまった。フランスパンサンドイッチはカンボジア「ローカル」な食べ物なのかもしれない。2年半前、最初にこの店の生野菜たっぷりのフランスパンサンドを食べたときは少し勇気が要った。
チャオファヤを覗くと受付のおばさんはあいかわらずだった。
ロータリーの周りの屋台はすっかり数が少なくなった。ロータリーの南側に2軒あったバラックのカフェレストランも一軒はなくなり、残っている一軒は床がコンクリートになっていたが以前の活気はなくなっていた。オーナーのたくましい兄ちゃんが淹れるカフェー(カンボジアコーヒー)の味だけは変わらない。
30日。午前8時ごろ。Long Seng LyをチェックアウトChav Pha Yaゲストハウスに移る。
歩く人の顔つきも変わった。以前は獰猛なまなざしをよく感じたが、いまはそういうことはあまりなくなった。マーケットへ行く道も舗装されて街灯がつき、夜でも一人で歩いてマーケットへいけるようになった。マーケットの中も明るくなった。何よりコンビニがいくつかできた。イミグレ・ロータリー周辺だけでなくマーケットのほうにもコンビニやレストラン、ゲストハウスができている。
ニタゲストハウスは、マーケットに近いほうに移転していた。双子の兄弟はあいかわらずいたが日本語はもう勉強していないようだ。

【アランヤプラテート】
12月2日。午前9時ごろチャオファヤをチェックアウト。タイに入国。
モトサイでアランヤの町に行き、アランガーデン2にチェックイン。ファンの大きな部屋。300B。

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2005年9月12日 (月)

2002年タイ、カンボジア、ネパール

2002年
【チベット・ネパール】
1月1日、再び人民医院へ、酸素吸入。なぜか30元
(明細が前日が材料費、この日は治療費)。
4日、人民医院へ、酸素吸入と薬。
7日、ネパール領事館へ行きヴィザ申請。
「西蔵中国国際旅行社」に行き、ランドクルーザーを予約。
8日、ヴィザ発給。旅行社にランクル代3080元のうち2080元を支払う.。残りはボーダーで。
9日、10時ラサ発。7時ごろラツェ着。「ラツェ賓館」泊。
10日、ダムの税関を越え友誼橋の手前で残金支払い。白タクを拾い、カトマンドゥ着。

【日本】
2月13日帰国。

3月13日成田発、バンコクへ(エアインディア)。ワットチャナソンクラムのゲストハウス泊。                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

【ノンカイ】                                                              3月15日、タイ航空でウドンターニーへ。ウドンターニーからバスでノンカイへ。メコンゲストハウス泊。ベニヤ板壁。隣の部屋の白人が夜タイ女を連れ込む。まる聞こえ。
17日、Mut-meeゲストハウス。このあたり白人のコロニーのよう。
18日、リムコンゲストハウスへ。    
20日。シーチェンマイへ。ティムゲストハウス泊。ダニエルというスイス人の経営。ダニエルはそこにはいない。ダニエルの昔のタイ人の妻?がティムだったが、ティムと別れて後にくっついたのがいま(そのとき)の女主人(暗い閉じた雰囲気のある女)。この町出身で以前は貧しかったという。ゲストハウスにいるインド人顔の小さな娘はダニエルとティムの間の子。女主人に良く似た男は兄弟。以上は町のタイ人男の話。サウジに出稼ぎ経験があり英語を話す。
24日ノンカイへ。
26日、ビエンチャンへ。
29日ノンカイへ。

4月6日、夜行列車でバンコクへ。                                                【カンボジア】
16日、モーチットマイ(北バスターミナル)からアランヤプラテートへ。アランガーデンホテルⅡ泊。
17日、トゥクトゥクでカンボジアボーダーへ。アライバルビザをとり、ポイペトへ。ChauPhaYaゲストハウスにチェックイン。400バーツ。ポイペト滞在。
21日、シエムレアプへ。フレッシュエアゲストハウス。
22日、アンコールへ。
24日、プノンペンへ。船旅。アンコールトムゲストハウス。
26日、キャピトルゲストハウス。
27日、シエムレアプへ。フレッシュエアGH。
28日、「クメール伝統織物研究所」見学。
29日、バスでポイペトへ。チャオファヤゲストハウス。

5月1日、アランヤプラテートに出る。アランガーデンⅡ泊。
2日、ブリラムへ向かう。タイホテル。
3日。スーリンへ。クルンスリホテル。
4日、コラートへ。エクナコーンホテル。163バーツ(なぜかこんな半端な数字)。コラートではホットコーヒーを飲めるところが見当たらない。インスタントコーヒーすら出すところがない。スーリンではわりと簡単に見つかった。カンボジアから離れるにつれてコーヒーの文化がなくなっていくのか。
5日、バスでバンコクへ。台北大旅社。薬屋で「大活絡丹」を10箱買う。
7日、ワットチャナソンクラムRoof Garden泊。
8日、カオサンBarn Thai泊。
9日、マンゴゲストハウス泊。

【日本】
5月11日、エジプト航空で帰国。

6月26日成田発、エジプト航空、マニラ経由、23:05バンコク着。台北大旅社泊。

【チェンマイ】                                                                 7月1日、ホアランポーン駅よりノンエアコン2等寝台(下段)でチェンマイへ。
2日、チェンマイ。グッドウィルゲストハウス泊。
4日、(日記から)「昨夜ははす向かいのハゲ白人が深夜に女を連れ込んだ。このゲストハウスにはわざわざPlease do not bring "the lady"from outside.という貼紙があるのだが、夜12時ごろに圧し殺した声で入ってきて、2時ごろまでヒィーヒィーハーハーというのを3回戦ぐらいしたようだった。シャワーの音もずっと聞こえていた。2時ごろ女が帰る気配がして、近所の犬がいっせいに騒いだ。・・・このグッドウィルゲストハウスはなんかしっくりこない」 
5日、タぺー通りのソイのRama2ゲストハウスに移る。
8日、フィットネスクラブに行く。夜11時ごろタペー通りにあったバス停に耳の聞こえないかわいい女の子が座っていた。客をとってるようだった。
14日~18日、タイマッサージスクール。
20日、ノンエアコン寝台車でバンコクへ。
21日、台北大旅社。
22日、ワットチャナソンクラム、Merry5ゲストハウス泊。                                         【ポイペト】
24日、モーチットマイからバスでアランヤプラテート。ポイペトへ。チャオファヤゲストハウス。
29日、顔が怪物のように変形した女の人がトラックの荷台に乗っているのを見た。
30日、アランヤプラテートへ。昨日見た女の人がボーダーを越えたところの橋の上で子供を抱いていた。目が合ってしまった。目と目の間の普通はくぼんでいるところが、おでこのように大きく隆起してふくらんでいる。当然目の位置はずれていて、鼻もほとんどないようだった。大変恐かったが、赤子を抱いているのだから、ここでは生きていけるのだろう。アランガーデンⅠ泊。
31日、エアコンバスでバンコクへ。台北旅社。                                

【チェンマイ】
8月1日、ノンエアコン寝台でチェンマイへ。
2日、ラーマⅡ泊。
5日、ロイクロー通り、「オープンハンドスペース」のボスにタイ語を習い始める。
7日、シュガーシャックというバーでサウードというオマーン人の男と知り合う。
9日たまたま再開、一緒に夜遊び。ゴーゴーバー、ディスコ、ファランバーなどをはしご。チェンライ、メーサイ。
28日ポイペトへ出る。
31日タイに入る。

9月29日、バンコク発、ネパールへ(ビザ期限30日:同年2度目の滞在のため)。

【バルパック】                                                              10月29日ネパールビザ延長(30日)、
11月28日ビザ延長(30日)。

12月24日出国。この間、バルパック滞在など。マオイストの支配する村。

【タイ】
12月24日、ネパール発、タイへ。
12月31日、寝台車でバンコク発、チェンマイへ。

2003年1月1日、チェンマイ着。                                                  
20日メーサイ~タチレク、デイリターン。
2月17日メーサイ~タチレク、デイリターン。
3月2日、夜行チェンマイ発。
3日、バンコク着。
【日本】
3月5日帰国。

補遺:①どこかでエルフとメーサロン
②ヒルトライブの村をまわるトレッキング。バナナゲストハウス
のツアー。日本人の女の子と二人だったが、タイ人ガイドが最悪。
行くはずの村をいくつかスキップし、使うはずの車を使わず、
ひどい藪の中を歩かされる。
村をスキップするのはカネを浮かすため。
訪れる山岳民族の村はすべて観光村で、ガイドが村にお金を払う。
高床式の家が並ぶ村をまわって目に付くのは、けばけばしいペンキ
を塗りたくった場違いな教会小屋。ピンクのハートマークを描いた
キリスト教の集会所など。ミッショナリーが建てたものと思われる。
白人との混血の孤児も。

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