a.ラオス

2006年5月15日 (月)

ラオス人を嘲笑するサッカーコメディー映画【タイ】

Laotians angry over Thai football film

BANGKOK: A Thai comedy about football in Laos has drawn complaints from its neighbour that the movie makes fun of Laotians and contains "inappropriate" scenes,local media said yesterday.
The movie, which tells the story of a Thai coach who leads the Laotian football team to the World cup,sparked angry responses from audiences when it previewed in Laos theatres this week.
Thailand's Foreign Ministry officials planned to meet with the producer of Mak Te (Football) amid concerns that the film could strain relations between the two countries.
Kiattikhun Chartprasert, the ministry's deputy spokesman, said:"We are concerned that the film might jeopardise the long-established relationship between Thailand and Laos. We plan to call for a meeting with the movie producer possibly on Monday."
The film depictid some Laotian players dyeing their hair to "look like Western football stars" and the team practising "in a freezer containers" to get used to cold weather, said The Nation, a Thai English-daily newspaper.--AFP  

NEW SUNDAY TIMES, MAY14.2006

自分たちが格下とみなす者をさらにいたぶって嘲笑し、気を紛らわせるという、タイ人らしい賎しい「笑い」といえます。タイ人以外が見ると少しも面白くないのが特徴。

「タイ人コーチが指導するラオスチーム」の選手を白人選手に似せて茶髪か金髪にさせ、冷凍コンテナーの中で練習させるというネタは、タイ人自身の人種的コンプレックスと「暑さ」コンプレックスを、「もっと土人な」(とタイ人がみなす)ラオス人をネタにして噴出させたものなのかもしれない。

「ラストサムライ」に出てくる日本人俳優を見て意味もなくげらげら笑っているタイ人なので(これを私はタイの劇場で見た)、笑いのセンスも独特なのでしょうが、日本人の茶髪選手もきっと笑われていることでしょう。ただ、金持ち国に対してはマスメディアで公然と嘲笑できないので白人バーやディスコなどでクズ白人といっしょにJapを連発して罵倒したりしているようです。タイのディスコのDJが”Kill Jap”を連発して白人と盛り上がっていたという話も聞く。

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2006年1月27日 (金)

パクセへの国際バス運行サービス開始

ウボンラチャタニ県と南ラオスのパクセタウンを繋ぐ国際バス運行サービスの調印式が25日に行われた。関係者は、「両国間で、より一層友好が深まることを期待する」と述べた。来月から40席のエアコンバスが1日あたり4往復、片道138キロメートルの道のりを走行する。料金は片道200バーツと発表されている。

2006年01月27日18時37分 バンコク週報

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1668350/detail

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ラオス南部のパクセは、通りに白っぽい植民地様式のビルが並ぶゴーストタウンのような趣の町だった。建物が立て込んでいるのに人通りがほとんどない。風が吹くと通りに砂が舞い上がり、いっそう侘びしい感じになる。晩秋のパクセは北部より寒かったが、のんびりできる雰囲気があった。

タイとの交通が便利になることで、タイ売春婦を連れた白人や、行儀の悪いタイ人観光客がわんさと押しかけることになるのだろうか。そうだとすれば残念である。

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2005年9月22日 (木)

ラオスに鉄道建設へ タイが援助 (読売新聞)

鉄道のないラオスと隣国タイを結ぶ国際鉄道の建設構想が動き出した。実現すれば第2次大戦後、ラオス初の鉄道となる。まず12・5㌔の区間でスタートするが、将来は経済成長が続くインドシナ半島と中国南部を結ぶ大動脈に育て、自国の発展につなげようとラオスの経済関係者たちは期待している。・・・・・・・タイ側にも思惑がある。ラオス経由で中国との結びつきを強めようとの経済的な動機に加え、東南アジア諸国連合(ASEAN)の盟主を自認する立場からラオスに対するベトナムの圧倒的な影響力を薄めたいとの思惑も見え隠れする。それを裏付けるように、タイ外務省のシハサク・プアンケトコー報道官は「鉄道計画はラオスとの間の最優先課題」と強調している。(読売新聞2005年9月22日)

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2005年9月19日 (月)

2004年11月ラオス~カンボジア周遊

2004年
【チェンコーン】
11月1日。メーサイのスリラートレストランをチェックアウト。9時ごろ出る。2番目のセブンイレブンの前からチェンセン行きのソンテウに乗る。チェンセンまでは30バーツ。わりと早くつく。チェンセンでソンテウを乗りかえてチェンコーンへ向かう。チェンセンからチェンコンまでが長かった。あちこち回る。一度乗りかえさせられる。25バーツ×2=50バーツ。メーサイからの合計80バーツ。チェンコーンのメコン河沿いにあるBaan Faiという小さなゲストハウスにチェックイン。ホットシャワー付150バーツ。チェンコーンに着いたのは午後1時ごろ。このBaan Faiというゲストハウス、日本人がたくさん泊っているようだ。
【フエサイ】
2日。午前10時頃Baan Faiをチェックアウト。この宿の人はタイリュTai Lu(uウムラウト)らしい。宿の人の感じは悪くないが、蚊が多く、よくわからない虫の糞らしきものがシーツに。
イミグレーションでスタンプを押し、ボートでフエサイに渡る(20バーツ)。イミグレは社会主義の役人らしく偉そう。イミグレに近いManirathゲストハウスというがらんとした大きな宿にチェックイン。宿の人は感じがよい。140B(35000キップ)。イミグレのところで1000バーツをキップに両替。大変な札束になる。1ドルが10000キップ。
フエサイの町の雰囲気はタイとは違うが、人の感じはタイに近い。タイ人よりツンとした感じだが、白人にへつらうときはよりストレートかもしれない。自然の成り行きとして、毛唐が偉そうにしている。とくにフランス語を話す連中が今も植民地であるかのように振舞っていた。町にはとくに見るべきものはない。ラオスといってもここはラオカフェはあまりなく、あってもタイコーヒーのようなもの。トゥクトゥクでマーケットまで行ってみたが閑散としてつまらなかった。
【ヴィエンポーカー】
3日。9時ごろフエサイのマニラートをチェックアウト。ソンテウでバス停へ。役所のようなチケット売り場で、ルアンナムタ行きのチケットを買う。シエンコックへ行きたかったがスピードボートをチャーターするのに4000Bもかかるというのでやめた。ルアンナムタ行きのバスは、舗装してあるようなないような道をのろのろ走る。隣に座った変なインド人が大騒ぎ。白人数人と若い日本人ひとりもいた。こいつは頭をちりちりに編んでいるが、口をいつも半分開けている。英語がしゃべりたいのか、隣の白人にしきりにぶつぶつと小さな声でしゃべりかける。休憩で外に出るとしょうもない白人にやたらすりよってしきりに話しかけている。全体にアホ丸出し。
タバコを吸う毛唐が多い。イスラエル女とみえるやつなんか車内でも吸う。
チケット売りの役人はルアンナムタへ7時間と言っていたがウソ。午前11時に発車して、午後7時過ぎに半分くらいのところにあるヴィエンポーカーという町に着く。もう暗い。他の連中はまだ乗っていたが私はここで泊ることにする。バス代は45000キップ(180バーツくらい)。バス停近くのゲストハウスにチェックイン。山小屋風のつくりで2万キップ(80B)。
【ルアンナムタ】
4日。午前9時、ヴィエンポーカーのマーケットのところにある「バス停」からピックアップに乗り、未舗装の道をルアンナムタに向かう。砂ぼこりがひどい。肌寒いのでウィンドブレーカーを着てフードを頭にかぶせて行く。4時間ぐらいでるアンナムタに着く。途中橋のない川を何度か渡った。丸太だけを何本か渡しただけの橋も。ルアンナムタに近づくとコンクリートの橋が目立つようになる。ルアンナムタは特徴のない、まとまりのない町で、閑散としている。マーケットもあまり活気がない。バックパッカーが目立つ。タバコをくわえて歩く毛唐も。
バスターミナル近くのチャルーシンゲストハウスというところに入る。コールドシャワーで2万5千キップ。ルアンナムタは中国色がやや濃い。
5日。朝チャルーシンゲストハウスをチェックアウト。近くにあるバスステーションゲストハウスのホットシャワーのある部屋に移る。4万5千キップ(180B)。水圧が低くて他の部屋が水を使うと湯沸かし器が働かなくなる。ルアンナムタのカフェラオは良い。インターネット屋は一分400キップ(2.4B)だから7円くらい。かなり高い。マーケットのカオソイは旨い。フランスパンも。今日は金曜日だからか、夜中までバスステーションで大音響の音楽。すべてタイ音楽のようだ。ルアンナムタは中国に近いせいか漢字も目立つ。
【ムアンシン】
6日。午前11時ごろバスステーションゲストハウスを出て、ピックアップでムアンシンに向かう。15000キップ。道は舗装あり。1時間半くらいで着。ムアンシンは道が一本あるだけの宿場町という感じ。Daen Neuaとかいうコンクリート造りのゲストハウスに入る。マーケットはしょぼい。マーケットの近くのタイラム族という人たちの市で、小さなマフラーを買う。
【ルアンナムタ】
7日。午前Daen Neuaゲストハウスをチェックアウト。ムアンシンのバスステーションは少しわかりにくい。食品などを売っている小さいほうのマーケットの近く。11時のマイクロバスでルアンナムタに戻る。バスステーションゲストハウスの別の部屋に入る。
8日。バスステーションGHをでて、チャルーシンGHに移る。
【ウドムサイ】
9日。正午のバスでルアンナムタをでて、ウドムサイに向かう。でこぼこ道を4時間ちょっと走りウドムサイに着く。Vongprachitゲストハウスというところの4万キップの部屋に入る。バス代は2万6千キップ。ウドムサイにもインターネットがあり、一分700キップ。
10日。ヴォンプラチットGHはしょっちゅう水を止める。昨夜は一晩中止められた。今日も昼間水を止めていた。女主人は「ウドムサイは8時から5時まで断水する」などとウソばっかりついていた。今日白人が数人入ったら、すぐに水が出るようになった。ひどい宿。
【ルアンパバン】
11日。午前11時のミニバスでウドムサイを出る。5時間ぐらい走ってルアンパバンに着く。ルアンパバンのバス停からソンテウで5000キップ。パ・ファイという寺の前にあるパ・ファイゲストハウスという木造の簡素な宿に入る。ルアンパバンは確かにこぎれいな町
だが、人工的な感じがする。欧米人観光客のために作った町という感じ。若いバックパッカーやカップルが多いが、中にはタイ売春婦を連れた白人爺も迷い込んでいる。町の中心部はローカルな店がほとんどないといっていい。
ナイトバザールはHmong族の服飾品が目を引く。
ネット屋も何軒かあり、一分200キップ。ルアンナムタが600キップ、ウドムサイが700キップだったから安い。タイより安い。タイは普通一分1Bでミニマム10Bとかだが、ここはミニマムがない。ローカルなラオカフェが飲めるところがまったくない。ファランカフェで飲むと旨くないのに5000キップもする。
ルアンパバンのネット屋で、地元の中学生か高校生のグループがフランス語でおしゃべりをしていた。訛ってはいるようだが、自分の言葉としてごくふつうにフランス語でしゃべくっていた。
【バンビエン】
14日。バス停まで30分ほど歩いて行き、12時発のバスでバンビエンに向かう。7時ごろ着。車内には自動小銃を持った私服の若者が一人乗っていた。軍隊なのか警察なのかはわからない。銃は目立たないように持っていて、最初は気づかなかったが、休憩で外に出るとき背中に背負っていた。席に戻るとまた目立たないように脇に隠した。ほんとにまだ幼さの残る少年だったが、目立たないように控えている感じだった。国道13号線は強盗が出るともいうが、見晴らしもよく一見して危険な感じではない。不思議な形の山々が見える。
バンビエンのバス停近くのSimoなんとかというゲストハウスに入る。ホットシャワーつきで40000キップ。バンビエンは最悪な町。不良白人の巣窟。カオサンとチェンマイを足して10で割って埼玉の田舎に移したようなところ。
【ビエンチャン】
15日。午前10時ごろSimoなんとかゲストハウスを出て、12時半発のバスでビエンチャンに向かう。ビエンチャンの目抜き通りから少し川のほうに入ったミミゲストハウスというところ入るが、うるさい。イスラエル人なのかインド系のようにも見える連中が夜遅くまで騒いでいる。ベニヤ板の壁。タイ売春婦を連れた白人オヤジも泊っている。バストイレ共同で3.5ドル。以前ビエンチャンに来た時はラオカフェもよく飲んだ記憶があるが、今回は見当たらない。
16日。朝ミミをでて、川沿いのJoeゲストハウスという小さなところに移る。やや高い(55000キップシャワー共同)が、きれいで感じのいいところ。どこも同じくファランばかりだが、ここは夜は静かだった。午前中にトゥクトゥクでカンボジア大使館に行き、ビザを申請する。エキスプレスで30ドル。本日中。USDしか受け付けない。タイバーツもダメ。
メコン河沿いのインターナショナルクリニックに行く(マホソート病院)。
ラオスはタイ以上に白人優先が徹底している。いろいろな受付でも後から来た白人を平気で先にすることが多い。タイ系の民族ということもあろうが、後進国はみんな基本的にはそうなのだろう。
【タケーク】
18日。Joeゲストハウスをチェックアウト。正午のバスでパクサンPakxaneヘ向かう。パクサンに着いたのが午後3時。そこでバスを乗り継ぎ、タケークThakhekというところまで行く。7時ごろ着。まともなゲストハウスが見つからず、バスステーションの中の汚いモーテルにはいる。3万キップ。出発には便利。同じところに流水がない宿もある。流水があるほうに入った。ここまで来ると人の感じが柔らかく親切な人が多い。タイとはもちろん北部やビエンチャンとも違う。
【サヴァナケート】
19日。正午ごろのバスでタケークを出て、サヴァナケートに向かう。すごく感じの悪いフラ公爺が二人乗っている。2時間ほどでサヴァナケートに着く。ここはタイの町のような雰囲気。Leenaゲストハウスといところに入るが、白人とかちあい、またまた露骨な白人優先・白人へのへつらいを見せつけられる。自分が入ったときは、部屋がひとつしかないと言っていたのに、直後に来た白人にはしっかり窓二つのいい部屋をあてがっていた。ババアの笑顔からしてまったく違う。金を払ってしまったが、不愉快だったし暗い部屋だったので、他のゲストハウスに移る。Savasoukchaiとかいうところ。3万5千キップ。Leenaに払った4万キップはドブに捨てた。サヴァナケートはメコンが近いだけで、面白くない町。メコンのせいか夜は肌寒い。
【パクセ】
20日。正午ごろ発のバスでパクセPakxeに向かう。午後5時ごろ着。ラオチャルンLao Cha Leunホテルにチェックイン。奮発して10ドルの部屋に。
パクセまで来ても夜は肌寒い。エアコンを入れていて窓を開けたら、外のほうが涼しかった。パクセは雰囲気のある町。
21日。Lao Cha Leunホテルをチェックアウトし、向かいにあるSalachampaホテルに移る。ミャンマーのモーラムヤンで泊ったホテルに少し似た感じの木造で大きな造りの部屋。植民地風の建築。植民地時代の建物なのかもしれない。
パクセは白っぽい植民地風の建物がひしめきあっている。人通りは閑散としている。フランス植民地時代はこのあたり(いまのラオス南部)の中心都市・植民地行政の中心として栄えたそうだ。今は人口が少ないわりに建物がたて込んでいて、ちょっとゴーストタウンのような独特な雰囲気がある。新しい建物も古いものにあわせた白い植民地風の形式になっている。風が強く、夜は寒い。人気のない通りに強い風が吹き、砂ぼこりが立つと荒涼とした雰囲気が増す。
【カンボジアボーダー・メコンの中洲】
22日。サラチャンパホテルをチェックアウト。昼ごろ、パクセから8キロ離れたバスステーションに行く。英語はまったく通じない。アタプーに行こうかどうか迷ったが、アタプー行きのバスは午後3時ということだったので、Vaem Khamのカンボジアボーダーに向かうことにした。最初から頼んでおいてVaem Khamにいちばん近いというところでバスを降ろしてもらう。そこに一人だけ待ち構えていた素人バイタクでボーダーまで2ドル(2万キップ)。5時を過ぎていた。ボーダーは何もないところで泊るところもないので、カンボジアにいかざるを得ない。ラオスのイミグレは時間外だといってスタンプを押すだけで2ドル取る。川を渡ってカンボジアのイミグレ(小屋)に行くのに舟代2ドル。カンボジアのイミグレもまた時間外と言って5ドル取ってくる。(「マイタイム」だ、なんて言っていた。私的時間に公的仕事をするという変な話。)ボートを借り切って40ドルでいちばん近い町へ行けると聞く。明日行くなら25ドルだという。どうせなら今日行ってしまおうと思ってボートを借りたのが間違いのもと。ボートは夕暮れのメコン河をすごい勢いでとばしていく。少し暗くなりかけたころ案の定、座礁して浸水。中洲で動けなくなる。船頭が携帯電話を持っていて、何度も通話を試みる。電波状態が悪く、中州の立ち木に登ったりしてようやく少し通じたようだが、今夜はもう船は来ない。通過していく船はたまにあるが、助けに来てはくれない。結局メコンの中州で一夜を過ごすことになる。船頭がビニールシート敷く。タイ語を話す若いカンボジア人の男。寒いと言うので私の厚いシャツをひとつ貸してやる。この船頭と2人きり、ビニールシートをかぶり砂まみれになって寝る。この男がどういう人間かわからない。はじめて今日が最後の日かもしれないと思った。
【スタントレン】
23日。結局無事に砂の上で夜明かし。船頭の携帯が通じたらしく、朝7時半頃小さなモーターボートが来る。それで一時間くらいかけてスタントレン(Stun Treng)に着く。金は昨日前払いした40ドルだけで、追加料金なし。船頭が悪人でなくて良かった。スタントレンのリバーサイドゲストハウスというところにチェックイン。中国人の経営。スタントレンのマーケットはほとんどタイやラオスと変わらない。カフェもない。地図がないので、ローカル本屋でカンボジアの地図を買うがあまり良くない。
両替レートは10000キップ=3500リエル、1B=97リエル、1ドル=4000リエルだった。(リエルを買うとき)。
スタントレンのレストランで、たいそう洗練されたアメリカ黒人と話をする。彼はレストランの主人とフランス語で話をしていた。そのレストランのカンボジア人の主人はフランス語は話せるが英語はまるで話せない。そのアメリカ黒人は長くヨーロッパやアフリカに滞在してフランス語を覚えたと言う。旅先にフランス語が必要な国が多いから便利なのだと言う。コンピューターの仕事をしながら旅をしているそうで、一番大切なものだといってパソコンなどの入った重そうなデイパックを肌身離さず持ち歩いていた。フランス語圏のアフリカ人がアメリカ人を騙っているのとは違うようだった。
【カンポンチャム】
24日。午前7時半の大型ボートで出発。白人たちはいつも船のデッキに乗りたがる。私は船室の椅子に座る。
船の中で隣に座っていた英語を少し話す若いカンボジア人が昼飯を分けてくれた。そのためにわざわざご飯をもうひとつ買ってきてくれた。
午後1時過ぎにカンポンチャムにつく。日本の援助で作ったらしい大きな橋が目印。マーケットを目指して歩いていると日本語を話すガイドがタダでバイクに乗せてくれた。
マーケットの近くのNavaゲストハウスというところにチェックイン。トイレシャワー付3ドル。広い部屋。
【プノンペン】
25日。10時過ぎ、近くでミニバスに乗る。プノンペンへ。3時間半ぐらいで着。キャピトルゲストハウスのシングルに入る。2年半前に来たときとはずいぶん感じが変わっている。乞食も少なくなり中途半端にこぎれいになってきた。
【カンポンチュナン】
26日。11時ごろチェックアウト。Psar Thmey(セントラルマーケット)の前でカンポンチュナン行きのバスに乗る。6000リエル。バスの窓からムスリムがいっぱいいる地域を見た。白い帽子と白いシャツにピカピカのカラフルなルンギをはいている男たちがいっぱい道を歩いていた。2時間ぐらいで着く。バス停やマーケットのあたりには泊るところが見あたらない。バイタクでPhkay Proeukゲストハウスというところに行きチェックイン。5ドル。
【プルサート】
27日。午前8時ごろガソリンスタンドの近くでピックアップを拾いプルサートへ向かう。10時過ぎに着く。ピックアップはシート席1万リエルでぎゅうぎゅう詰め。New Than Sourというホテルにチェックイン。5ドル。
【バッタンバン】
28日。8時過ぎ橋の近くでピックアップを拾いバッタンバンに向かう。プルサートからバッタンバンへの道は景色がとても良い。地平線まで農村風景が続いている。11時ごろバッタンバン着。Mohatepというゲストハウスに入る。水シャワーだけの汚いツインルーム(TV付)で5ドル。オーナーはクメールと中国人の混血で感じの良い爺さん。中国風の白いコンクリートの建物。バッタンバンは小さな町だが毛唐が目立つ。グループできている連中の他に売春婦を連れたやつも。自転車に乗ったミッショナリー(こいつらが最悪)など。驚いたことにこのゲストハウスのTVにはNHKの衛星放送が映る。ただし画質は悪い。
【ポイペト】
29日。12時少し前にバッタンバンをバスが出る。途中シソフォンを過ぎたあたりから道が悪くなる。ポイペトには2時ごろ着。
ポイペトはすっかり変わってしまった。ロータリーも舗装され、ニタゲストハウスはなくなっている。ニタには泊ったことがなかったが、日本語を勉強している双子の兄弟がいた。新しいビルがどんどんできていて、大きなクレーンで工事をしている。自分の記憶の中にあるポイペトはすっかり消えてしまい、すこしがっかりした。
2年半前にはじめてポイペトに来たときはショックだった。当時ポイペトにはまだ「戦後」があった。降ればぬかるみ、照れば砂嵐、夜は何が起きるかわからない恐るべき町だった。舗装もなかったし、マーケットへ行く道には街灯もなかった。人力で引っ張る木製の大八車、馬車、赤いターバン(?)を頭に巻いたクメールの女、汚いぼろをまとってぬかるみに立つ美少女、獰猛な目をしたバイタク・・・・それらもろもろがロータリーを中心に凝縮されて飽和していたが、そういう印象はいまはほとんど消えていた。
ロータリーに面したLong Seng Lyゲストハウスにチェックイン。2年前いつも泊っていたChav Pha Yaゲストハウスはもうなくなったように見えたが、よく見ると大きなカジノの敷地の中に残っていた。その前の未舗装だったぬかるみの路地もすっかり舗装され、チャオファヤの前にはインターネットができていた(ただし異常に高く機械も2台しかない。マーケットに行く道にあるネット屋のほうが安い)。周囲の様子もすっかり変わった。
その路地に並んでいた高床式バラックの店は、残っているものもあるが床はコンクリートになっていた。以前は板張りで板の隙間からゴミを捨てていた(道の横のドブの上に道と同じ高さの高床がある形式)。毎日のようにフランスパンサンドを食べていた店もコンクリート床になっていたが、いつも不機嫌そうな足の悪いお姉さんはいまもいた。しかしフランスパンサンドは私が来たちょうどこの日を最後にやめてしまった。フランスパンサンドイッチはカンボジア「ローカル」な食べ物なのかもしれない。2年半前、最初にこの店の生野菜たっぷりのフランスパンサンドを食べたときは少し勇気が要った。
チャオファヤを覗くと受付のおばさんはあいかわらずだった。
ロータリーの周りの屋台はすっかり数が少なくなった。ロータリーの南側に2軒あったバラックのカフェレストランも一軒はなくなり、残っている一軒は床がコンクリートになっていたが以前の活気はなくなっていた。オーナーのたくましい兄ちゃんが淹れるカフェー(カンボジアコーヒー)の味だけは変わらない。
30日。午前8時ごろ。Long Seng LyをチェックアウトChav Pha Yaゲストハウスに移る。
歩く人の顔つきも変わった。以前は獰猛なまなざしをよく感じたが、いまはそういうことはあまりなくなった。マーケットへ行く道も舗装されて街灯がつき、夜でも一人で歩いてマーケットへいけるようになった。マーケットの中も明るくなった。何よりコンビニがいくつかできた。イミグレ・ロータリー周辺だけでなくマーケットのほうにもコンビニやレストラン、ゲストハウスができている。
ニタゲストハウスは、マーケットに近いほうに移転していた。双子の兄弟はあいかわらずいたが日本語はもう勉強していないようだ。

【アランヤプラテート】
12月2日。午前9時ごろチャオファヤをチェックアウト。タイに入国。
モトサイでアランヤの町に行き、アランガーデン2にチェックイン。ファンの大きな部屋。300B。

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