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2008年6月 2日 (月)

ダランDharan ネパール

宿の夜番のバウン(ブラーマン、アーリア系)の男にダランのほうに行くと言ったら、ダランはネパール人の間では「女で有名」なんだと言っていた。

「女で有名」というのは風俗遊びがあるという意味ではなく、美女が多いことで有名という意味らしい。

私はもう何度かダランを訪れている。女性の着物はなるほど色鮮やかで美しいと思ったが、「美女が多い」という印象はなかったので、彼の言っていることの意味が良く分からなかった。

そこで彼に、どういう美人が多いのかと聞くと、「ライ族とか、日本人みたいな顔した女がきれいらしい」ということ。

それなら確かに日焼けした垢抜けない日本人みたいな女はいっぱいいたような・・・・。

東ネパールで日本人がよく似ていると言われるカーストはリンブー族だが、ライ族もリンブーと同系の民族で、一括してキラトと呼ばれている。(Kirantと書いてだいたいキラトと読む。なおラリグラスのローマ字表記はLaliguransh)。

アーリア系ネパール男にとっては「日本人女みたい」ということは美人と同義なのか?

キラトの容姿の特徴は、私には、顔が扁平で両目の間が間延びしたように広がっていることのように思われる。

ダランのバスパーク近くの美容院の看板 モデルはモンゴロイド系というより日本人モドキのような。昔郵便受けにいっぱい入っていたピンクチラシをちょっと思い出した。カトマンドゥなどの美容院の看板はインド人とも白人ともみえるアーリア系の女の写真または絵が多いと思う。

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下)ダランの金持ち住宅街 グルカ兵などでお金持ちになった人が住んでいるという。

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ダランはネパールのファッションの発信地でもあるという。日本人のような女の子は日本風のファッションをしていることもある。たとえば、クルタスルワールの代わりにスパッツのようなパンツをはきその上にスカートをはくとか。

こっちのほうで見るアーリア系の女はきれいである。私にはそれのほうが魅力的だった。肌が黒く、輝いている感じ。山のアーリア系や白人のように険しい目でにらみつけたり蔑むような目つきをしたりもしない。リラックスした目で前だけ見ている。何か原始的な生命力が沸いてきているように見える。この人たちと比べるとモンゴロイド系民族はみんなどこか洗練されていて、文明によって作られた種族という印象を受ける。

マイティリまたはマデシと思われる女性たち、つまりタライ平原系の色黒アーリア人の女性には、私の目には文句なしの美人と見える人が少なくない。なぜか、どこか日本の美人女優のニュアンスがあると思った。日本で美人女優になる人には白人風というよりインド風味の人が多いのかもしれない。肌色は違うがこの人は確かに日本のテレビで見たことのある女優さんにどこか似ていると思うような人がいる。午後1時半ごろからフジテレビでやるヨロメキドラマで主役をはりそうな、名前はさほど売れていないが確かにキレイな女優という感じの人。

ダランは色気のある町だと思う。

もちろん風俗産業があるという意味ではない。セックス産業はない。外国人(白人)はほとんど見ない。ミッショナリーはかなり来ているはずだが白人はあまり見かけない。

大きすぎず小さすぎず、緑が豊かで町の色彩も豊か。標高が低いせいかベンガル地方に近いせいか、濃厚な空気を感じる町。地図を見るとここからバングラデシュは近くである。交通の便さえ良くなれば、カトマンドゥ、ポカラに次ぐツーリスト基地になる可能性があると思う。インドへのアクセスもカトマンドゥよりは良い。

タイのチェンマイにセックス以外にもツーリストをひきつける何かがあるとしたら、ダランは十分にツーリズム拠点になる条件を備えていると思う。

つまり、セックス目的以外でチェンマイに行く人間の大部分は、何かを見るためというよりも、チェンマイ自体を見てチェンマイに滞在すること自体を目的で行くのだろう。彼らはたぶんチェンマイにいると言うことだけに何か意味を見出そうとするのだと思う。

そのように考えてみると、ダランはチェンマイ以上にそういうタイプのツーリズムの条件を備えていると思う。

ダランは空気のやわらかいしっとりとした町で、宿さえ整っていれば落ち着けるところだと思う。インドに近い町にありがちなガサガサした埃っぽい空気はない。ダランの人間はもちろんチェンマイのようにスレきっていないししかめっ面もない。チェンマイよりははるかに「夢の中の東南アジア」という雰囲気の町である。

ダランの色気の源はベンガルに近い気候もあるだろうが、おそらく背景に控えているチューリア丘陵‐ヒマラヤに連なる美しい丘陵地帯‐から供給される生命力だと思う。あえてチェンマイと比べてみたのは、このあたりにある共通性と異質性とを探ってみようと思ったからである。

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2008年5月31日 (土)

峠から カトマンドゥ盆地

街道の峠からみたカトマンドゥ盆地。ここを越えると急に都会になり、あっという間に市内に入る。
カトマンドゥにいると田舎に行きたいと思うが、ここを越えて市内に入るときにはいつも懐かしいようなホッとしたようななんともいえない気持ちになる。いまは魅力の少ないろくでもない町になっているが・・・・。

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ここは重要な地点なので当然武装警察が配置されているが、いまはそれほど厳重ではない。

ちょっと前AFPの日本語訳者がKathmandu Valleyを「カトマンドゥの谷」なんて訳していたが、どう見てもこれは「谷」ではなくて「盆地」。
 

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ナラヤニ川 ナラヤンガート ネパール

ナラヤンガートNarayangarhは私の好きな町のひとつ。
広々としていて、活気があり、しかも人はそれほど多くない。
インド人も多く、インドの雰囲気もあると思うが、町は比較的きれいで殺伐とはしていない。
ネパールの辺境の町へ行くときには、カトマンドゥから長距離バスに乗るよりもここから乗ったほうが早くて安い「こともある」。

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ここはカトマンドゥからは4時間ほど。
遠い町に行くときには、デイバスでここまで行って一泊してから行ったほうが、カトマンドゥから直行するより楽でスムーズなことがあると思う。
たとえばジャナクプルへ行くとき、カトマンドゥから夜行バスに乗るよりも、ここに泊まって翌朝のデイバスでジャナクプルに向かうほうが、費用は多少高くなるとしても旅行としては快適。バンダBandhがあれば話は別。
カトマンドゥの出入りは峠を越えるので平野の道より遅くなると思う。
 

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2008年5月30日 (金)

新500ルピー札 ネパール連邦共和国

5月28日に王制廃止が確定するずっと前から、国王写真のない新札は流通していた。いまはもうくしゃくしゃのもある。

右が故ビレンドラ元国王の旧札、左上がギャネンドラ、左下が人物の代わりにエベレストとラリグラス(赤い石楠花)をあしらった新紙幣。

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右系のブログなどを見ていると、「ネパールは共産主義国家」とか「中国の手先になった」とか、そんな書き方が目立つ。

しかし私は、ちょっと違うような気がする。

国王は王宮を追い出されるが、ギロチンにかけられるわけでも資産を没収されるわけでも国外に追放されるわけでもない。これからも大金持ちのビジネスマンとしてネパールで活動する予定。

マオイスト支持者やマオイスト活動家もたいてい商売には熱心で、私有財産制度を否定するような話はまったく聞かない。田舎でオルグ活動をしていたマオイスト活動家は「共産主義とはバランスということだ」なんて言っていた。

こういう国を共産主義国家とは言わないしこの王制廃止を共産主義革命とも言わないと思う。いまのところ、たんに共産党が与党の国ということ。

いちばん「共産主義者」らしいのはジャングルでコミューン生活しているマオイスト兵士たちだろう。兵士と町の党員活動家とはまったく違うものを見ているかもしれない。

中国や北朝鮮の工作員が自由に活動してる(だろう)ことはいままでも同じ。

これはタイなんかもっとひどいだろう。

インド人はいままでどおり自由に入ってきて商売している。インドルピーはカトマンドゥでも普通に通用する。国家高権のひとつである通貨高権がインドに事実上侵されているような状況は変わっていない。

そもそも、いまの中国が、「マオイスト」を掲げ社会的な公平にこだわる共産主義政党が近隣国で躍進することを本当に喜ぶかどうか。

中国共産党が外国の共産党を喜びブルジョワ政党を嫌うだろう、というのは、いかにも子供じみた連想のように思われる。

たとえば、日本の共産党が額面どおり「覇権主義」を批判して「日本民族の独立」を強く主張し、自民党がいままでどおりなあなあでシナにも白人にもいい顔をしているなら、中国は当然自民党を絶賛して共産党を糾弾するだろう。

また、共産主義組織というのはいつも、「ブルジョア政党」より、自分たちとちょっと意見を異にする他の共産主義組織をいちばん目の敵にするものである。

ネパールのマオイストと同系のマオイスト(毛沢東主義ゲリラ)は、ネパールよりもインドにたくさんいる。

いずれにしても、中国にとって都合がいいかどうか、中国の手先といえるかどうかは、中共による政治的コントロールが可能かどうかに尽きるのであって、共産党であるかブルジョワ政党であるかなどイデオロギーは関係がない。

ネパールのマオイストは、官僚組織よりも下からの武装した細胞組織が強いと思う。その意味でかなりイデオロギー性が強く、上から官僚的にコントロールしやすい組織ではないと思う。彼らのエネルギーの源は山村でありジャングルである。現在はプラチャンダのカリスマ性で統制を保っているが、プラチャンダと理論的指導者 であるバブラム・バタライとの確執、分裂騒ぎもあった。いまでもいつ分裂するかもわからないような組織だと思う。もし分裂したらゲリラはますます元気になりそうである。

インド、ネパールの農山村で進化を遂げた毛沢東主義のようなラジカルな共産主義思想が中国の農山村に逆輸入されるようなことになったら、いちばん困るのは中国共産党じゃないのか?

私は政治情勢の話題は苦手で勉強もしていないので、見当はずれであるかもしれないが、賢明な読者はどう思うだろうか。
 

それにしても、「クライン孝子」は本当に○ホ。だと感じるんですが。

この人「カタカナ○子」であること以上に何かあるの?

小池百合子が防衛庁長官になったときこれ以上ないくらいに絶賛してたかと思ったら、襤褸が出た後でしきりに叩きまくってたよね。あとづけで叩くなら誰だってできるじゃん。

こういう無定見な人が「右」を称しているのでは、「右」のほうが迷惑でしょう。

だいたい、毛唐とくっつくような日本女にそうそうマトモなのがいるはずもなく、ましてまともな愛国者や保守派でありうるはずがないわけで、こんな人に頼らなければならない日本の右派、保守派の状況は本当に情けないものだといわなければならないと思う。
 

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2008年5月28日 (水)

ネワール族3 ネパール

ネワールはカトマンドゥ盆地の「先住民」だが、先住民といっても、「ゴルカ王朝のアーリア人が侵入する前からカトマンドゥ盆地に住んでいた人々の総称」という程度の括りのようである。

ベースはモンゴロイド系らしくネワール語はビルマ語系ということだが、古くからインド人が来ていたので顔立ちや肌色はいろいろ。ネワール族固有のカースト制度はインドからブラーマンをわざわざ招いて真似して作ったのだとか。

シュレスタというカーストがいちばんありふれているが(おそらく商業カースト)、シュレスタの中にもいろんなカーストがあるのだという。バジラチャリヤ、カルマチャリヤ、シャキャ、などが祭司カーストだと聞いた。

モニタ・シュレスタ ダランDharanで。私はこの人はマイティリかマデシか、とにかくタライ平原のアーリア系の人かと思った。

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カリスマ・シュレスタ
ちゃん チョウキChuakiで。この記事の下の写真の女の子が化粧をとったところ。普通に言って、かわゆいですね。

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チョウキChaukiからヒマラヤを望む

4月19日

チョウキChaukiの丘から見えたヒマラヤ。この時期はほんのたまにしか見えません。赤いのはラリグラスの花。

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2008年4月29日 (火)

チャインプルChainpur ネパール

チャインプルChainpurはネパール東部サンクワサバ地区のネワール族の町。住民によれば、住民の99パーセントはネワールだという。

チャインプルの出入りには未舗装の車道はあるがバスはない。いちばん近いバスのある町(Mude)まで行くのにでこぼこ道を乗り合いランドローバーで3時間(地元の人も300ルピア)という苦行に耐えなければならない不便な場所にある。

ぎゅうぎゅう詰めのランドローバーではきっと吐く人が出る。ネパール人は乗り物酔いに弱いのである。それでも、ランドローバーは吐く人のために止まってくれるからバスよりはましかもしれない。バスの場合は隣の人が足元や膝の上に吐いてしまう場合がある。

MudeからバサンタプルBasantapurはローカルバスで1時間半ほど。

チャインプルからこの辺一の都会であるバサンタプルまで、ランドローバーとバスを乗り継いで(待ち時間を含み)約6時間はみなければならない。

それにもかかわらず、チャインプルは清潔で美しい豊かな町である。

町というより都市といったほうがぴったりする。人の出入りは少なくひっそりしているが、やっぱり都市である。

このような都市を作り出すのはネワールの「本能」のように思われる。

ネワールを10家族、日本の山の中の不便で何もないところに誘致して自由に住まわせたとしたら、たちまちそこにネワール都市を建設してしまうだろう。(もっとも地震で一瞬にして倒壊する可能性も高いが)。

なおチャインプル周辺を戦場とする、アーリア人(ゴルカ王朝)による「リンブー王国」侵略戦争の歴史については、http://en.wikipedia.org/wiki/Limbuwan_Gorkha_War。アーリア人の白人的卑劣さがだまし討ちなどに表れている。

チャインプルの町並み。

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ラリグラスジュース チョウキChauki ネパール

ラリグラスジュースを作るチャンドラカラチョウキChaukiで。

チョウキ辺りは4月の半ばごろがラリグラスの最盛期だった。

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前記事「チェトリの少女 チョウキChauki ネパール」で「サンドラカラ」と書いたが、正しくはチャンドラカラだった。本人や周囲の人の発音がサンドラカラ(というより「ソンジョコラ」)に近かったのでそういう名前なのかと思ったが、都会帰りの人のが発音するのを聞いたら「チャンドラカラ」だった。

チャンドラカラはチェトリだが、「痛いから」という理由で鼻ピアスをしていない。親たちもそれを許しているようである。

ラリグラスジュース。妹のミトラカラ

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ラリグラスジュースはチョウキやパンチポカリのいろいろな家でそれぞれ作っていた。自分でラリグラスの花弁を取ってきて絞るだけ。味も家によってまちまち。自然に醗酵してアルコール分が2,3パーセントありそうなのもあった。醗酵の結果、自然発泡しているのもあった。味はややすっぱくて苦味がある。ちょっとワインのような味。そのままでは甘くないので、砂糖を入れている。グラス一杯15~20ルピー。

 

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仕事場のラクシミ バサンタプル ネパール

仕事場で。

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見合いでダランの人と結婚するらしい。

前記事:「ラクシミ
 

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リンブー族2 ネパール

ネパール東部を歩いていると、日本人はリンブーに似ているといわれることが多い。

ネパールではどんなにすごい田舎でも日本人を見たことのある人が多い。JICAやNGOやトレッカーなど、さまざまな日本人が訪れている。救世軍(サルベーションアーミー)の日本人が来るなどということもあるそうだ。
(アジアではよくあるパターンだが、開発から取り残されたネパール東部の山村は、キリスト教ミッショナリーの宗教的文化的収奪の格好のターゲットになる。リナはクリスチャンを毛嫌いしていた)。

リンブーの男たちは見るからに卑屈そうでしょぼくて風采が上がらない感じ。日本人もこういう風に見られているのかと思うとがっくりくる。

リンブー族のカースト的な地位は低い。ライ族より低いかもしれない。モンゴロイド系ではヒンドゥ教色の強いマガルやグルンが威張ってる感じがする。タマンは仏教色が強いが大カーストである。
 

たしかに、こんな感じの女の子は日本にもいそうである。

顔立ち以外にどこか似ているところがあるのを確かに感じる。他のモンゴロイド系カーストとは一味違う雰囲気があるように思う。

日本発祥と思われる「茶髪」はネパールの山村でも見かける。たいていはモンゴロイド系の女の子がしている。アーリア系の女の子は黒髪のままか全体をほんの少し赤っぽくするくらいでこういう茶髪にしているのは見なかった。

アムリタ・リンブー、15歳。グファポカリGufapokhari、スケバザールSukebazarで。ここは標高2900メートルくらい。

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関連記事:

リンブー族の人たち

ジリキムティJirikhimti
 

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ネワールの子供たち2 チョウキChauki ネパール

この子たちもネワール。カトマンドゥでネパール人にこの写真を見せたら、グルンだろうといっていた。
ネワールは他のカースト以上にいろんな顔立ち(顔の形)があるが、共通した何かを持っていると思う。特にカトマンドゥで見ると、それがはっきりと容姿にも現れているように見える。顔立ち自体はアーリア風であってもモンゴロイド風であっても、角が少なく柔和な感じの瓜実顔、どこか都会的で洗練された雰囲気、悪く言えば京都人みたいな閉じた都市住民のたたずまい・・・・という感じで、一見してネワールとわかることが多い。
ネワールの女性は鼻ピアスをしない。

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下の子は他の子たちにリンブーニ(リンブー族の女)とからかわれていたが、ネワール。

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関連記事:「ネワール族の人たち
 

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バウニ2 バウンの女性 ネパール

グファポカリGufapokhariで。

マヤ・ダハル、22歳。
ネパールのバウン(ブラーマン)の女性のひとつの典型のような顔立ち。はっきりいって、私にはこの人と見分けがつかない顔の人を、カトマンドゥでもどこでもいっぱい見かける。もちろんプライドは非常に高い。
ダハル姓にはバウン・ダハルとチェトリ・ダハルがあり、自分はバウンであってチェトリではないことを強調していた。バウンにもチェトリにもダハル姓があることはこの人に教えてもらった。
5歳と3歳の息子がいる。旦那もバウンだが、この5年間ずっとドバイに出稼ぎに行っている。もちろん3歳の子供ができたときにはネパールに帰っていたのだが。

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息子たち。

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関連記事:

バウンの女の子 カトマンドゥ
 

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2008年4月28日 (月)

チェトリの女の子2 ネパール

ネパール東部、グルビセGhurbiseで。

グルビセの村。

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ビニタ・ダハル、16歳。
「ダハル」という姓にはバウン・ダハルとチェトリ・ダハルがあるということ。この人はチェトリのダハルだという。(なお、プラチャンダ(プスカ・カマル・ダハル)はバウン)。
若いが髪の生え際に赤いのを入れているので既婚らしい。

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その場に3人いた姉妹たちの中で、容姿が白人風なのは彼女だけだった。姉たちは肌色ももっと黒くすこし東南アジア風の顔立ち。アジア風の容姿の姉たちは表情もアジア風だった。
ビニタは、英語その他外国語など一言も知らないし欧米を知っているわけでもないのに、なぜかちょっとした表情や目つきなども白人風に見える。つんとした表情やお高くとまったような感じ。それは他の姉たちには見られない。やはり遺伝的な情報の中にそういう要素まで含まれていて、ビニタの場合それが表に出てきているのかもしれないと思った。
しかし決して欧米人を意識しているわけではない。本人も姉たちも「彼女が欧米人に似ているからどうこう」という意識はまったく持っていないように見える。そんな話はまったく出なかった。
ちょっと話すとまったくネパール人そのものだった。立ち居振る舞いも村のネパール人そのもの。私がバウンみたいな顔だというと、彼女は少し困惑したような表情を浮かべた。どのカーストもそれぞれに強いアイデンティティの意識を持っているのだろう。
村の子供たちは私を見て「アメリカ人か」とか言っていた。

姉たちもビニタはきれいだというが、どういう風にきれいかというと、ムナに似ている、ということだった。彼女たちも当然のようにムナを知っていた。ムナはもちろんモンゴロイド系。どこがムナに似ているのかというと、頬が赤いところだという。

日本で、誰かがちょっと白人風だとか外人みたいだからどうだとか言っているのは視野の狭さを暴露するものにほかならず、卑屈で滑稽なものであることがわかると思う。

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インドでの遺伝的な調査によると、高いカーストのインド人ほど遺伝的に「現在の」東ヨーロッパの人に似ているということである。
しかし、だからといって、アーリア系のインド人が東ヨーロッパ方面から渡ってきたということにはならない。ちょっと考えればわかることだが、共通の祖先を持つというだけでは、その祖先がどこに住んでいたかの答えにはならない。
これは当然のことだが、多くの日本人が錯覚しがちな点でもある。
日本には、白人はヨーロッパ起源のもの、ヨーロッパは白人のものという固定観念があるように思う。

なおヒンドゥ教徒の大部分は、アーリア人はインドが発祥だと考えているようである。
カトマンドゥで出会ったイラン人も、(自分たち)アーリア人はもともとはインドから来たんだと思う、と言っていた。インド周辺の人々には、インドは良いものも悪いものもすべてを生み出す母なる国というイメージがあるように見える。

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以上、グルビセ。 
 

パンチポカリPanch Pokhariで。

パンチポカリの村。

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次の4枚の写真を見て、あなたはどんな印象を持つだろうか。
この子たちもチェトリ、アーリア系のネパール人である。

日本の子供たちよりも「容姿に関して」かわいいと思うだろうか、そう思わないだろうか。より美しいと思うだろうか、そう思わないだろうか。そう思うとしたらそれは何故か。

私は、この子たちは日本の子供たちよりも「容姿に関して」より美しいと思った。
なぜそう思ったかを自己分析してみると、やはり彼らの容姿が「白人的だから」だと思う。

「なぜ私は白人的な容姿をより美しいと感じるのか?」、と問うて見る。
考えられる答えは、

①この世界に容姿の美というものが客観的に存在していて、白人の容姿がそれにより適合している。
②われわれの感覚に「先天的な美の基準」があり、白人的な容姿がその基準により適合している。
③後天的に、教育や環境や宣伝によって、白人的な容姿を容姿の本来あるべき形(「整った容姿」など)と教え込まれ、洗脳を受けている。

①と②の立場は実は、神が人間を創造したときに神自身に似せて作ったが、神にいちばん似て作られたのが白人で、出来損ないが他の人種であると言っているに等しい。あるいは神は白人を特に選んで自分に似せて作り、他の人種は白人に奉仕させるために作ったのであり、そのために神の容姿とは少し違うものにして作った、というのでもいい。実際多くの欧米白人は意識の根底にそれに類する確信を持っていると思う。

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ネット上には「アーリア人は容姿が整っていた」などという「事実」を平気で記述しているサイトもある。

では一体「容姿が整っている」とはどういうことか。「整った容姿の理念」を彼らはどこから受け取ったのか?

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私がこの子たちが日本の子供たちより容姿に関して美しいと思ったのは、やはり、この子達の容姿が「白人的」だったからだと思う。そして「白人的だからより美しい」と感じたのは、上の③の理由によると思う。つまり洗脳である。

そしてほとんどの日本人は同じような洗脳を受けているのではないかと思う。しかも、自分たちが洗脳を受けていることにも気づかず、客観的な容姿の美の基準が存在するかのように思い込んでいるのではないだろうか。

私自身を振り返ってみると、小学生のころ家にあった美術全集をよく見ていた。ギリシャ彫刻や、ルネッサンス絵画、白人に描かれたマリアやコーカソイドである十字架上のイエスの像など、これらが知らず知らずのうちに、われわれの意識下に美のモデル、美の理念型、美の範型と言うものを植えつけてきたのではないかと思う。もちろん外国映画、白人が出演するCMなどもあるだろうが、私個人に関して言うと、美術全集のルネッサンスの裸体画を見て初めてエロい気持ちになったと言うのが大きい。小学生のときはエロ本代わりに美術全集のルネサンスのところを見ていた。白人を理想的に描いた絵で初めてエロい気持ちになると言うのは、洗脳効果も高いといえるだろう。

「美の模範」による洗脳は必ずしも直接的なものとは限らず、通俗的なさまざまなメディアで俗化されて再生産される。たとえば手塚治の漫画など。そしてそれがさらに模範になってより俗なものが果てしなく再生産される。

確かなことは、江戸時代の浮世絵師は、彼らが描く美人画の顔だちを女性のもっとも美しい容姿と感じて描いていたということである。あれが当時の日本の「美しい容姿」だったのであり容姿の美の基準だったのである。

美は権威である。権力が美を作る。美ほど強力な心の支配手段はない。ということをよく認識する必要があると思う。

逆に言えば、美の基準を作れない程度の権力(たとえば日本国家、日本政府など)は、たいした権力とはいえないのである。

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関連記事:

「アーリア人は容姿が整っていた」という言説について

「白人コンプレックス」論  美意識は先天的か


この子達もチェトリ。チョウキChaukiで。

ポルジャタ・カトリ、13歳。

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ポルジャタの妹、エルナ。

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2008年3月31日 (月)

ネワール族の人たち ネパール

「ネワール」は、カトマンドゥ盆地の先住民というより伝統的にカトマンドゥ付近に住んでいた人々の総称。アーリア人が攻めてくる前からネパール(カトマンドゥ盆地)にいた人々のこと。そのころは山岳部などは「ネパール」とはいわなかったらしい。ネパールが訛ってネワールになったのだとか。

しかし東部の辺境にもネワールはいる。チョウキから近いところではチャインプルChainpurがネワールの町。

ネワール語はチベット・ビルマ語系。

ダランで。

右がアンジュ・シュレスタ、左がロビナ・シュレスタ。

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上)男のほうは母親がネワールで父親はライ族。彼女たちの従兄弟にあたる。
 

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タマン族の人たち ダランDharan

タマン族はネパールのモンゴロイド系の大カーストのひとつ。カトマンドゥで見ているとグルンやマガルに比べて少し卑屈な印象を受けることがある。インドのダージーリンからカトマンドゥに出稼ぎに来ているタマンに会ったこともある。インド国籍なのでネパールには自由に出入りして働けるのだとか。

ダランで。

この店で一度バフスクティを食べたらブラックティーをタダでつけてくれて、その晩たまたま店の前を通りがかると呼び止められてスクティ付ダルバートをただで食べさせてくれた(それが目的で店の前を通ったわけではない)。翌朝も翌々朝もお茶のお金を取らない。かえって行きづらくなる。
今日来たばかりの外国人にどうしてそんなに親切にしてくれるのか本当にわからなかったが、ツーリストが珍しいということとネパールのモンゴロイド系カーストはモンゴリアン同胞意識が強いので、「同じモンゴリアン」でしかも成功している国の人間ということで歓迎してくれたのかもしれない。
ダランでみるタマン族の人たちは外見はタイ人に似ている感じではある。もちろん性格はまったく違う。

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下)左の子がムナの従姉のビマラの娘(タマン族)。右の子はネワール。
ジリキムティで。

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チェトリの少女 チョウキChauki ネパール

チョウキChaukiで。

サンドラカラ 12歳。

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チェトリということだが、私のもっていたチェトリのイメージからはそれらしくない容姿と雰囲気。
この子の魅力を私の写真で伝えることは難しい。写真はいつもそうだが、実物はもっと細面。
たまに見せる笑顔がすばらしい。なにより澄みきった瞳。
家の仕事は何でもてきぱきとこなす。料理やお茶入れはもちろん炉の周りの掃除、家畜のえさ炊き、指図されなくても自分で判断してすべてやっている。両親がいるが親にあれこれ言われているところを見なかった。
まだ12歳。「学校に行かないの?」と聞くと、自然な虚無感を漂わせて「ラグダイナ」と小さく答える。「虚無感」といっても(日本のガキのように)斜に構えて虚無を気取ったり仕事もしないで引きこもっているというのとはまったく違うもの。日本の不登校とはいうまでもなく別次元の話。
しかし彼女の家は決して「貧しい」わけではない。両親も健在。立派な牛も持っているし、この贅沢なチョウキの村の目抜き通りに質素とはいえ食堂兼ロッジを構えている。

自家牛の世話をするサンドラカラ

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お母さんと

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妹のミトラカラ

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この写真を母親に見せたら、「かわいくない」といっていた。美意識は本当に人それぞれ、文化や社会によってまったく異なるものなのだと思った。

お父さん

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2008年3月28日 (金)

ムナの葬儀 チョウキChauki ネパール

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3月11日。

午前9時過ぎにYakホテルをチェックアウト。村の外に出たらたいへんな霧になっていた。視界10メートルくらい。ムナを悼むような冷たい霧だなどと感傷に浸りながら歩く。

宿に忘れ物を取りに帰ったり道に迷ったりして10時ごろデウラリDeurali着。(本当は30分ぐらいの道のり)。バサンタプルをデウラリの方に出たところにセメントで固めた用水路がある。それに沿って歩かなければならない。

デウラリは本当に小さな村。標高2475メートル。

東南アジアの腐った水に浸かりすぎて心身ともに堕落しているのを痛感する。ちょっと歩いただけでヘトヘトになりヨロヨロ足で11時ごろようやくグルビセGhurbiseに着く。ここもたいへんな寒村。板葺きの家が数軒。茶店2,3軒。

タイを代表選手とする東南アジアが軽蔑されるのは貧しいからでも後進国だからでもなく、別の理由によると思う。

つまり、清清しい要素、禁欲的な要素がないからだ。

マレーシア人に「ネパールに行く」というとみな口をそろえたように「貧しい国だ」と言ってしかめっ面をする。彼らはその程度の基準しか持ち得ない。

東南アジアの国々が土人国としてさげすまれるのは、貧しいからでも後進国だからでもない。それはちょうど、売春産業が栄えるのは貧しいからでも後進国だからでもないのと同じである。

貧しさならネパールのほうがずっと貧しいしずっと後進国といえるが、ネパールがタイのように世界中のマトモな人々から軽蔑されるということはない。

タイよりずっと貧しいネパールで、タイのような売春産業が盛況を極めることも(いまのところ)ない。

いまだにタイの売春産業を貧しさや途上国であることのせいにする人がいるが、それは全く見当はずれである。

タイで売春産業が栄えるているのは、タイ人自身がそのような自分が好きで、それを選択しているからである。

グルビセGhurbiseの茶店で30分休憩。本を何冊も持ってきたので荷物が重い。

30分ほどのろのろ歩くとパンチポカリPanch Pokhariの村に着く。ここは少し大きめの村。今度歩いたルートではいちばん標高の高いところ(2850メートル。グルビセのPathibhara Mandirの丘を除く)。近くにラリグラスが咲いている。せっかくなのでまた休憩。茶店でチヤを飲む。白人のような子供たちが遊んでいる。タイの山岳少数民族の村ではないので、毛唐が生ませた子というのではないのだろう。茶店のアーリア系の女はチヤを注文しているのにコーヒーかコーヒーかと何度も念を押す。どうやらツーリストズレしているらしい。そして何度もチヤ、ドゥッチャ(ミルクティー)だと言ったのにインスタントコーヒーを出してきた。ミルクコーヒーなので見た目はわからない。もちろん拒否。

パンチポカリを出るとちょっと険しい道になる。濡れた岩が滑りやすいので注意が必要。道に迷うところもあるので探しながら行かなければならない。

3時半近くになってようやくPhediに着く。

4時半過ぎにチョウキChauki着。ロッジ「ラリグラス」は閉まっている。

どこに泊まろうかとウロウロしているとどこからともなくYanziが現れた。彼女は私を早々と追い越してチョウキに来ていたのだ。どこで追い越されたのかもわからない。道は狭いのに彼女に会っていない。パンチポカリの手前でYanziの弟に会った。弟は姉はもうチョウキに行ったというのでキツネにつままれたような気がした。まず彼がYanziの弟であることに気づくのに時間がかかった。Yanziはチョウキに行くようなことはひとことも言っていなかった。

ムナの葬式はまだ続いていて「ラリグラス」は営業していなかったが、Yanziに連れられて裏口から入るとムナの姉妹たちに出迎えられた。

数年前にここに来てムナたちに連れられてジリキムティまで歩いたことがあると言うと、ムナのいちばん末の妹モヌ(マヌ)に「あなたはゲストだ」といって迎えられ、お茶を出される。モヌはダランの学校に通っていて英語を話す。

モヌによれば、ムナはニューモニア(肺炎)でダランの病院に11日間入院したあと、10日ほど前に亡くなった。

入院するまで体の調子が悪いことをひとことも言わなかったという。ムナはダランで火葬された。享年は、ある人は28歳だというが30歳くらいのはず。

モヌはいま18歳。この日はモヌとYanziが私の世話をしてくれた。

タマン族の葬儀は12日間続き、今日が11日目。モヌたち親族は今夜、外の芝地にしつらえられている祭壇の前で徹夜の儀式をする。ラマの説教を聴いたり礼拝したり。

数年前、ムナとムナを姉のように慕っているチェトリの少女プジャと一緒にチョウキからテルトムまで歩いた。途中のジリキムティにはムナの従姉のビマ ラがやっているロッジがあり、そこで1,2時間休憩した。そのあとテルトムで二人と別れ、ジリキムティを経てラスネまで一人で戻った。しかし、そのときの ことはもうぼんやりとしか覚えていない。本当に思い出せるのは、ムナとプジャと一緒にジャングルの道を歩いたこと、風になびくムナの長い髪が異様に美しかったこと、プジャがしきりに話しかけていたことくら い。テルトムやジリキムティがどんなところだったかもまったく覚えが無い。

たった1,2時間立ち寄っただけの私をジリキムティのビマラが覚えていてくれた。私はこの人に会ったことも全く思い出せない。

プジャは当時14歳と聞いたはずだが、みんなが言うにはいま22歳でロンドンに留学している。彼女は当時から英語が流暢で歩いている間ひっきりなしに無駄口をたたいていたが、アーリア人によくある高飛車なところはなく、チェトリは嫌いでタマンが好きだと言っていた。ムナを本当に慕っていて尊敬もしていたようだった。ムナが死んだあとモヌと国際電話で話をしたとき、プジャはムナの死を信じず、モヌの話に怒り出し、やがてたいそう泣いたということ。今もまだロンドンにいる。

ムナはチョウキの学校で英語の教師をしていた。学業は17年目まで修了していて、まだ続けていた。「ディグリー」をとったら結婚するといっていたという。品行方正でタバコや酒はもちろん肉も食べなかった。ミルクティーさえ飲まず、いつも白湯(タトパニ)を飲んでいた。なんで病気になったのかわからないとみんないう。白湯は体に悪いという珍説を唱える人もいた。

そこで徹夜の読経や礼拝が行われる祭壇にはラリグラスの花が捧げられていた。

私も参列した。葬式が12日も続いたおかげで、私もムナの葬儀に参加することが出来た。

チョウキChaukiの村の目抜き通り 左端の青い家が「ラリグラス」。

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チョウキはこのあたりでも美しい村でロッジが数件ある。村の入り口にはバサンタプルのよりも詳しいトレッキング地図が掲げられている。

ムナの髪の美しさは姉妹たちの共通認識にもなっていた。

プジャがロンドンに留学できたのはあるイギリス人ツーリストがプジャの両親と知り合いになり、その人が全面的に援助してくれたかららしい。以前はプジャの親は医者だと聞いていたが、「ラリグラス」の正面にある小さな家が彼女の家。父親はツーリズム関係の仕事をしていたとも。

日本人はやはりカネを惜しみすぎているかも知れない。個人で自分の財布から個人を援助すると言うことも必要である。その方が印象は強くなる。

私は眠くもなかったので深夜まで付き合って外で起きていた。18歳のモヌはときどき休憩して飲み食いするラマたちや客たちの接待に大童だったが、ずっと私に気を使ってくれた。ミルクティーをついでくれたり、ときどき何か不足なものはないかと聞いたり、ここにいるようにと言ったかと思うと自分たちは起きているが眠くなったらいつでも寝てもいいといってくれたり、明日は帰らないようにと言ってくれたり。まるで親戚のような扱いをしてくれた。もちろん他の姉妹たちがどう思っていたかはわからない。

モヌは東南アジア風の美しいルンギをはいていた。

家族の雰囲気はそんなに悲しそうには見えなかった。ときどき笑い声も聞こえる。悲しい気持ちを紛らわすために12日間もこんなに盛大な葬式を続けるのかもしれないと思った。

祭壇の前に立つムナの遺族 左から3人目の赤茶色のルンギをはいている女性がモヌ。

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Yanziによれば、タマンの仏教はチベット人の仏教とはかなり異なるということ。チベット僧は本来妻帯しないがタマンのラマは妻帯する。(もっとも、ヒレのゴンパロッジのチベット人オーナーは坊主のはずだが妻帯しているようだが・・・・)。

やがて会衆はロクシーやらチャンやらを好き放題に飲み始めた。トランプに打ち興じている連中は何しに来ているのかわからない。

Yanziは午前1時ごろに寝た。早朝また起き出して手伝わなければならない。

11日目の夜に灯された108のバッティ(灯り)

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翌朝も祭壇の前でラマの太鼓に合わせた親族による礼拝が続く。祭壇をしつらえてあるのは「ラリグラス」の裏の丘の片隅。

モヌは昨夜は一時間しか寝なかったという。昨夜灯された108つの灯明の前でたった前の礼拝が続く。

ラマのデンデン太鼓の音頭にあわせて時々みんなが祭壇にラリグラスの花を投げる。

葬儀の最後の日である。

昨日はきわめてクールに振舞っていたYanziが、今日はうしろの席に座ってポロポロ涙を流している。隣にいた私が何か声をかけようとしても相手にしてくれない。祭壇の前でたったまま礼拝している姉妹たちもみんな泣いていた。ムナとの最後の別れの儀式だったのかもしれない。

葬儀はクライマックスを迎えていた。昨日は白くて美しかったモヌの顔が重労働と睡眠不足と悲嘆のためか、腫れ上がっている。

別れの儀式は午前中3,4時間続いた。祭壇のまわりはラリグラスの赤い花びらであふれている。

私もムナとの「儀式的な別れ」をしたいと強く感じた。しかしそれは私には許されないことだった。というより彼らの儀式の流れを理解していなければ、そして、「その時」が別れの時点だということを信じていなければ無理なことだった。

Yanziは昨晩、タマンの仏教とチベット人の仏教との違いを強調していたが、今日は完全に儀式の流れの中にいた。

日本の葬式と違い、祭壇に遺影が飾られることもない。参列者が一人ずつ焼香するという儀式もない。個人的に別れを告げる機会が設定されていないので、少し物足りなさを感じる。しかし個人的な別れの儀式をしないのは祭壇の前の聖域に入っている遺族も同じのようだった。

生前のムナの写真を見たかったが葬儀が全て終わるまで見せてもらえなかった。すぐに出せるところには一枚もなかった。

そのかわりモヌが携帯で撮った火葬前のムナの死に顔写真を見せてくれた。モヌは死に顔写真を撮ることや見ることに何の抵抗も感じていないようだった。確かに美しい顔といえた。4年前より美しくなっていたかもしれない。しかしやはり死に顔だった。

午後に行われた最後のセッションは、親族だけのものだったが、私も参加させてもらった。Yanziも参加しなかったから、かなり特別な扱いをしてくれたのだと思う。ラマから薬の入った水を一人ずつ手に受け取り少し飲んで残りを捨てる。ラマの投げる米粒と水を手のひらに受ける。米粒を投げながら祈る、などの儀式を聖域の中で行った。

葬儀は午後4時半ごろにすべて終わった。

葬儀がすべて終わったあと若いラマによる余興のダンスが行われた。ボスラマが音頭を取る。

ムナの姉妹のなかでもいちばん悲嘆していた次女のバンダナはそれを見たがらず、家に下がってしまった。

葬儀のあともお客さんの接待は続く。むしろ葬儀が前部終わった後が客の接待のクライマックスのようだった。ただ飲み食いするためだけの客がたくさん入ってくる。

バウンやチェトリの男が数人ズカズカと入ってきた。ムナの母親に何かぎゃあぎゃあと不平を言っている。彼らは相伴にあずかろうとお茶を飲みにきたのだが、ビスケットがないとかなんとか言っていた。食堂でビスケットを食べお茶を飲むとすぐに出て行ったようだ。もちろん仏教徒でもない。焼香という制度もないから、ムナ(ホトケさん)に哀悼を捧げるようなことは形さえしない。ただ飲み食いするだけで行ってしまう。それが普通のことのような振る舞いだった。

それでも家の娘たちは通りがかる人たちに誰かれなく声をかけてお茶に誘っている。

昨夜の徹夜組には当然ながらバウンやチェトリは一人もいなかった。

ロッジ「ラリグラス」 ムナの家

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下)ムナが英語を教えていた学校

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チョウキは標高は2690メートルの丘にある村。

  

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ラリグラス ネパール

ラリグラスという言葉が不思議な呪文のように迫ってくる。ラリグラスといわれただけで、心の中にある「何か」を言いあてられたような気がする。

ラリグラスとは何のことか長い間はっきりわからなかった。花の名前らしいことはわかっていたが、それ以上の特別な意味があるのだとずっと思っていた。

「ラリグラス」という言葉を口にする人はみな、心を言いあてたときのような控えめな笑顔を作る。バサンタプルで「ラリグラス」というと、ニコっとして「チョウキ」という答えが返ってくる。

私は「チョウキ」という地名をすっかり忘れてしまっていた。しかし「ラリグラス」だけはよく覚えていた。

あの時と同じ場所に行くために、ここからどちらへ歩けばいいのかを聞きたかった。

バサンタプルの村はずれのチベット人の娘からすぐに答えが返ってきた。同じように人を見透かすような微笑と一緒に。

長い黒髪が異様に美しいタマンの娘がいたロッジの名前も「ラリグラス」だった。

チョウキは普通の地図には載っていない。

 
以上のようなタワゴトを日記帳に書いたときには、私は何も知らなかった。ラリグラスはまずネパールの国の花だった。4年半前に来たときはラリグラスの季節ではなかったので、私はラリグラスの花を見たことが一度もなかった。

3月11日。

バサンタプル、Yakホテルの同宿者たち(うるさいネパール人たち)は午前6時ごろに起き出してバタバタと出て行った。

7時過ぎに外を歩いてみても茶屋がほとんど開いていない。開いていても客にお茶を出していない。

薪が積んであるところを通るとサンダルウッドの匂いがしてくる。

「ラリグラスのタマン」と言っただけで誰のことを言っているのかわかってしまったらしい。朝村はずれのチベット人の娘(Yanziという)の家の前のベンチに座って話していると、ネパール人の女の子が割り込んできた。

Yanziがにっこりして「(私が)ラリグラスのタマンのところに行きたいらしい」とそのネパール人の娘に言うと、彼女はいきなり私に向かって大きな声で「彼女は死んだ。10日前。テンデイズ・バヨ(ネパール語と英語の混交)」と言う。

私はこのネパール女に何も聞いていないし言ってもいない。私はきのう一回だけYanziとの会話の中で「ラリグラス」と「タマンのロッジ」という言葉を使っただけなのだが、Yanziにはただちにすべてわかってしまい、それを聞いたネパール人の女にもわかってしまった。

Yanziも彼女が死んだことは知っていたようだったが、それまで何も私に言わなかった。あのタマンの娘には姉妹が何人かいたはずだが、私が誰のことを考えているのか彼らには全部わかっていた。

念のために「髪の長い娘」というと、Yanziはわかっているというふうに笑った。

10日前ダランDharanの病院で、Yanziによれば「ダイファイト」で死んだという。

たった10日前に亡くなっていた。彼女の名前はムナ。ムナ・タマン。

チョウキはここから遠いのだが、彼女たちには付き合いがあったようである。そして髪のこともよく認識されていたようだ。

11日間入院して「鼻から血を出して」死んだ。入院するまではまったく元気だったという。

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バサンタプルBasantapur ネパール

カトマンドゥのバサンタプルではなく、ネパール東部テルトム地区のバサンタプル。標高2288メートル。

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3月10日。

9時前にヒレのホテル・ヒマーリを出る。警察屯所前からバサンタプルに向かうローカルバスに乗る。バスはのろのろとあちこちに止まりながら行く。止まる理由がわかるないこともある。ローカルバスなのに長い食事休憩を取ったりしている。運転手の食事か。

バサンタプル近くに教会ができている。こんなところまでキリスト教ミッショナリーの侵食が進んでいる。

22キロほどの道のりを2時間以上かけ、ようやくバサンタプルに着く。

4年半前に来たときには侘しい感じの静かな寒村だった。くすんだ板葺き屋根の家屋ばかりで、心がずんと落ち込んでいくような気がしたのを覚えている。しかし今はそういう感じはまったくなくなっている。ほとんどの家がトタン葺きの屋根になっている。チベット人が経営しているらしい立派なロッジもある(タプレジュンホテル)。人の姿も多くあちこちで音楽を鳴り響かせている。カトマンドゥの悪趣味な風俗がそのまま反映しているような気もするが、全体に相当豊かになっている印象を受ける。

Yak Hotel & Lodgeの100ルピアの部屋に入る。チベット人の宿なので値下げ交渉はしない。そこで食事もあまりしないだろうし、嫌な顔をされるだけ。

村の入り口には以前からトレッキング地図が掲げてある。バサンタプルは標高2288メートルの丘の峠にある村。

ヒレもそうだったが、ここでも村の入り口あたりに多すぎる武装警官がたむろしている。以前来たときもマオイストが武力闘争をやっている時期だったが、警官や兵隊は見なかったと思う。選挙が近いからかもしれない。今は以前あったローカルバスの検問はなくなっている。

バサンタプルはヒレよりさらに寒い。夜のために薄いセーターとマフラーを買う。

Yakホテルの屋根裏部屋は昼間から外よりも寒いので外をうろついて過ごす。

デウラリ、チョウキ方面に向かう道の村はずれでチベット人の少女と知り合う。よく見ると気づくような小さな店をやっていた。中に迎え入れてくれて炉にあたらせてくれ、ブラックティーをおごってくれた。しばらく話をする。チベット人のわりには穏やかな感じの子だった。苗字はLamaだがチベット人のLama(という苗字)とタマン族のLama(という苗字)とはまったく違うんだということを強調していた。ソルクーンブのシェルパとも言葉はまったく違うという。「シェルパはカネカネだね」、というとそうだといっていた。あとでわかったことだが、彼女も「シェルパ」は「シェルパ」だった。ただしダライラマ亡命後にネパールに移動したチベットのシェルパである。シェルパは単に「東の人」という意味。

たしかに昨日会ったライの青年に比べるとこのチベット人の少女の方が賢そうに見える。英語はあまり話せないが理解力はしっかりしているように見える。

チベット語はほとんど話さず読み書きはできない。親との会話もネパール語。チベット語ができるのはカトマンドゥのチベット人地区(ボーダなど)のチベット人だということ。彼女はチベット人の伝統的な主食ツァンパ(彼女はチャンバと発音していたが)をはるばるカトマンドゥのボーダまで買いに行くという。家畜のえさに混ぜると育ちが良くなるのだとか。

私は「優しさ狩り」の旅もセックスツーリズムに等しいと思っているので、「人の暖かさ」などを求めて田舎に踏み込むようなことを戒める。それは「特別な待遇」を求める旅に過ぎない。

私がここまで来ているのは、静かな場所を見つけたいのと、この丘陵地帯にうまく表現できない魅力を感じるからである。

ラリグラスの季節は4月で、今はまだ咲いていないという。

ここでネパール人たちが話しているのを聞くと、とくに「モンゴリアン」系の人たちはしきりに韓国を話題にしていることが多い。いまは韓国人が「モンゴリアン」の星のように見られているところがあるように思う。

あるモンゴリアン系の食堂で、地元の人たちが「コリアコリア」の話題でもちきりだった。私が日本人とわかるまで彼らは私をネパール人だと思っていたらしい。日本人だとわかると、よくわからないが「モンゴリアンどうこう・・・」とカーストあるいは人種の話に入っていったようだった。彼らのアーリア人に対する敵意は相当に根深いように見える。そして、モンゴリアンは日本人であろうと韓国人であろうと、あるいは中国人であろうと良い人々で自分たちの同類のように考えたがっているようにも見える。

日本のネトウヨなどが、日本人には「コーカソイドの血も混じっている」からチョンコなどとは違うんだ、といったタワゴトを唱えることがあるようだが、世界的な位置づけでいえばコーカソイドの血が混じったモンゴロイドは女奴隷または売春婦の子にすぎず、賎民カーストということも多いと思う。タマンにもグルンにも日本人の基準でいえばコーカソイド風の容姿の人は少なくないが、自他共に認める「モンゴリアン」である。太宰治の有名な小説の中の「外人みたいだから」という恥ずかしいせりふが忘れられない。くだらない小説で、他のところは全部忘れてしまったが。日本の幼児的な人種観の水準を示していると思う。

バサンタプルでは本当にいろんな人の親切にしてもらった。あまり外国人慣れ、ツーリストずれしていないせいか、いろんな人にチヤホヤしてもらった。男は尋問口調の質問を連発してくることが多かったが(これは内紛の影響か)、女の子に構ってもらえるのはうれしい。ラクシミに出会う。

宿で働いている娘たちにも「デレ・ラムロ」などといわれてチヤホヤされた。私がチヤホヤされるのだからたいていの日本人はここにくれば同じような経験をするだろう。

ヒレでもバサンタプルでも今回は白人を見ない(白人そっくりのアーリア系の少女とかは見るが)。この点も大きいだろう。

同じチベット宿でもヒレのホテル・ヒマーリとバサンタプルのYakホテルとでは雰囲気がかなり違う。もちろんYakのほうがのんびりしていて良い感じである。

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ヒレHile ネパール

ガイドブックにはHilleと書いてあると思うが、地元のローマ字表記はHileが多いようである。4年半ぶりの訪問。

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3月8日

カトマンドゥ、タメルのゲストハウスをチェックアウト。歩いてナヤバザールまで行きミニバスでナヤバスパークへ。10ルピー。ナヤバスパークまで10分くらい歩くところで降ろされる。人に聞きながらナヤバスパークへ。

ヒレ行きのバスは「午後2時30分発」というナイトバス。チケット1750ルピー。チケットは外にいるブローカーたちを相手にせず、中の窓口で買う(そうすると安いのかどうかは確認していない)。

午後3時20分になってようやくバスにエンジンがかかる。しかし2時ごろバスに乗り込んだときには席の半分くらいは埋まっていた。前の方の席から埋まっていく。商用らしく大きな荷物を持ち込む人も。満席にならないせいかなかなか発車しない。

バスというものはたいてい後ろのほうの席にゴロツキが集まるものだと思う。

インド人らしいサドゥーが二人乗ってきた。

ローカル乗客のマナーが良くなっているのに驚いた。ラジカセをならすのはいたが、タバコを吸うのはあまりいない。もちろん噛みタバコの臭いはしている。

2時間後に食事休憩があり、その後はひどいでこぼこ道が続く。

夕方の休憩場ではまずいチヤが10ルピーだったが、明け方の休憩場では少し濃いのが5ルピーだった。

9日。

午前7時40分ごろヒレに着く。ホテル「ヒマーリ」Himaliに入る。ホテルといっても板壁のロッジ。この辺でホテルというのは普通はレストランのこと。

ヒレは大きな町になっていた。しかし町中で薪の匂いがしている。チヤは美味くて5ルピー。ミルクがおそらく生で濃い。薪の香りがお茶にも移っている。

町を歩き回るが3年前にあった人は見当たらない。毎日通ったタマンの未亡人の茶屋もなくなっていた。

以前ホテル・ヒマーリにいた足の悪い娘はもういなかった。あの子は家の娘のように見えったが。チベット人経営の宿で食堂はチベット形式。

ヒマーリの部屋は一番いい部屋で150ルピー。トイレ共同。水浴びをすると20ルピー取ると英語で書いてある。下働きにアーリア系の娘が一人いる。バウンかと思ったらチェトリだった。トッゥクパはまずくて高い。カトマンドゥのチェトラパティのチベット食堂のほうがずっと美味くて安い。

午後、町外れの街道を歩いているとライ族の学生につかまった。韓国語のテキストを抱えている。若いのに妻と幼児がいる(これは普通)。ネパール人がわれわれにしゃべることはだいたいいつも同じこと。英語を良く話せるようなほとんど話せないような、どっちか良くわからない感じだった。英語はかなりできるようだが、英語の問題以前に理解力自体が不足している印象を受けた。

一緒にお茶を飲むと「アーリアンは嫌いだ」と繰り返す。最初から、私が「モンゴリアン」だから声をかけたと言っていた。彼にとっては日本人も韓国人も中国人も「モンゴリアン」で同じ、と言う口ぶりだった。

田舎に行くとアーリア人と「モンゴリアン」(モンゴロイド系)との対立をより強く感じることがある。カトマンドゥにはネワールという土着の権威が第三項として強くあるからかもしれない。ネワールは人種的にはいろいろ(どちらかといえばモンゴロイド系)のようだが言語的にはチベット・ビルマ語系、しかしボテ(モンゴリアン)とは言われない。アーリア系の有力者たちも好んでネワールの女と結婚しているという。ネワールが不動産を持っているからかもしれない。

彼が泊まっているライ族の汚い宿屋(もちろん看板などない食堂)に誘われる。妻も子もそこにいた。

「ネパールはアーリアンが来る前はモンゴリアンの国で平和だった。アーリアンが来てから争いが絶えなくなった」と言うようなことを何度も繰り返す。

確かにそのとおりだろう。アーリア人が来てからすべてがおかしくなった。アーリア人の問題はアーリア人がいる限り続くであろうことも確かである。

ネパールは世界の縮図のようでもある。アーリア人は好戦的で合理的であり、人間が思いつく感性的な目的を達成する能力に他の人種よりも長けているのだろう。その意味で彼らはなるほど優秀な種族である。そのようにして現にネパールでも世界でも、アーリア人は支配的な地位を占めている。問題は彼らが思いつく目的を人間の普遍的な目的とみなしていいかどうかであろう。

しかしながら、より現実的に考えてみると、ネパールにもしアーリア人が来ていなかったらネパールも今タイのような国になっていたかもしれないとも思う。(あそこまでひどくなる国はまたとないと思うが、ラオス程度になっていたかもしれない)。

今は「モンゴリアンマンセー」を繰り返す彼だが、ひとたび現実にぶち当たったら、転向して(タイ人ほどではないにせよ)醜く白人に媚び始めるのに3分もかからないような気がする。

現に「ソルクーンブのシェルパ」の白人への媚びぶり、世界中で白人の周りをくるくる回っている亡命チベット人の醜悪な身振りは、どんなアーリア系ネパール人にも見られないものである。(「シェルパ」といっても「ソルクーンブのシェルパ」は特別である。他のシェルパとは言語も違い、性格もかなり違う。ネパールにいる他のシェルパはチベット動乱後に移住した人が多いが、「ソルクーンブのシェルパ」は以前からそこにいた人たち)。

彼はマオイストも嫌っていた。戦闘も見たらしい。(この辺の人はみんな見ているが)。

ホテル・ヒマーリは、働いている女の子たちはみんな愛想が良いが、チベット人女主人の金銭欲がヒシヒシと伝わってくるので素泊まりで(ホテルのレストランで食事をしないで)泊まるのはちょっときつい感じである。

「ソルクーンブのシェルパ」はもっとはっきりと食え食えと要求してくる。ネパールの山村の非常にローカルな宿には宿泊料は取らずやや高い食事代だけというところが多いが、ソルクーンブの宿は宿泊料もしっかり取る。その上に食え食えである。食わないと本当に嫌な思いをするから結局食うことになる。

ソルクーンブのトレッキングをしたとき、どこかの宿で食い物が口に合わず胃を悪くしているというイラン人の女の子がいた。(あるいは宗教上の理由で食べたくなかったのかもしれない)。彼女があまり食事を注文しないでいると、宿のシェルパの婆がやってきて、「食え食え、何で食わないんだ、あんたも金が惜しいかもしれないが、私も金が要るんだ」というわけのわからない説教を延々としはじめた。そんな気まずい場面に出くわしたことがある。まあ、シェルパ(ソルクーンブのシェルパ)というのはそういう連中であり、ソルクーンブというところはそういうところだということ。ソルクーンブには山自体以外に良い要素は何もない。人心の荒廃しきったところである。ネパールにおける白人ツーリズムのメッカでもある。

ソルクーンブのシェルパほどではないにしても亡命チベット人の感覚もだいたい同じだと思う。

現に存在する仏教が、上座仏教からチベット仏教にいたるまでどれも現世利益宗教にすぎないからだろう。

夕方になると濃い霧が立ち込めてくる。日が沈むと霧が晴れている。今ヒレからヒマラヤはまったく見えない。その上寒く、良いとこなしである。

丘があちこち削られていてごみが目立つ。以前ここに来たときに感じたような不思議な雰囲気はもうない。

ホテル・ヒマーリはチェトラパティのチベット食堂なら30ルピーで食べられるバフトゥクパが45ルピーもして味付けは異常に塩辛くバフ肉も少なくてまずい。このあたりのロッジはどこもなじだが、壁は板一枚張っただけだから、話す声はもちろん飲み食いする音、いびきなどすべて筒抜けである。宿にいる限りカトマンドゥよりうるさい。しかし、昼間町の外を歩くと今でもとても静かな瞬間がある。

バウンの夫とタマンの妻の茶店は今でもあった。正面に武装警察の屯所ができている。このあたり、のんびりした雰囲気ではなくなった。バウンの夫は気さくな人だったが、タマンの妻のほうは前と同じく白人とくっついたアジア女のようにツンとしている。幼い娘はかわいい。寄り目は母親に似、長い鼻は父親に似ている。鼻が大きいのは必ず遺伝するように見える。全人類が乱交していけば、みな同じような長い鼻をもつ人間になるかもしれない。

ヒレの丘はずたずたにされている。丘をほとんど削ってホテルを作ったりしている。鼻をたらした少女に会ったのもあの丘だった。
 

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ラクシミ バサンタプル ネパール

バサンタプルではもてもてだった。男は警察やマオイストから教わったような尋問口調で何時も同じことをあれこれ質問するのであまり付き合いたくないが、女性に付きまとわれるは大歓迎である。

ラクシミ 18歳。

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道を歩いていたら猛烈に付きまとってきた。ネパール語一本で際限なく話しかけてくる。一時間くらい放してくれなかった。英語はほとんど知らなかった。英語を話すと不機嫌そうにするので、出来るだけネパール語であわせていく。しかしそのネパール語の語り口が妙に面白くて、意味はわからなくてもどんどん引き込まれていく。

外人と話すときはこうあるべきだという見本を見せてくれているような気がした。お茶もおごってくれた。

自分はネワールだといっていた。顔立ちもネワール風だと思った。その辺の田舎者のネパール人のしゃべりとは一味違う洗練されたしゃべりはさすがネワール、都市文化の香りを感じさせる、などと納得していた。

しかし彼女がネワールだといったのはウソだった。彼女はバサンタプルの目抜き通りで仕立て屋をやっている家の娘だった。当然のように仕立て屋カースト(ダマイ)だった。ヒンドゥ秩序では仕立て屋カーストは被差別カーストである。

誰に聞いたのでもない。そういうことをわざわざ、しかも嬉しそうに教えてくれる人たちがいるのである。Yanziリナも。

彼女が私に接近したのは、私がカースト外の人間で、仕立て屋が被差別カーストだなどと思いもよらないであろう外国人だったからかもしれない。ネワールだといったのもカトマンドゥから来た外国人には自分の容姿がネワールに見えると思ったからかもしれない。

彼女が被差別カーストに属することを私が知らされたことに彼女が気づいたと思われる時節から、彼女は私に距離を置くようになった。ポンポンと際限なく話しかけてきた調子は無くなり、顔をあわせても遠慮がちにしか話してくれないようになってしまった。

いままで付きまとってくれていた女の子が急によそよそしくなったのが当然のように寂しい気がしたし、自分が他の人たちと同じカースト意識を共有していると思われたくもなかったので、私のほうから積極的に声をかけて誘い出すようになった。誘うと付き合ってくれる。行く場所も決めてくれた。「マティ」へ行こうということで「マティ」で撮った写真。

そもそも私がヒンドゥ秩序に特有のカースト意識を共有していようはずがない。

カースト自体について、私はカースト(制度)が全く悪だとは言い切れない。文明とはそのようなものかと思う。

現にネパールにあるカーストを完全廃止して全ての人間をただのアトム的な「市民」に還元すべきだとは思わない。そういうことを建前にする白人文明が、もっとも凶悪で陰湿な人種カースト制度を言葉によってではなく事実と暴力とによって守り抜く決意を示している。カーストなど存在しないかのように語りながらもっとも悪質なカースト制度を全世界に展開しているのが白人「市民」文明である。

またこれまでにも述べたことがあるように私は、「日本人」がこの世界においてひとつの「カースト」として自己を確立すべきであるとも常々思う。

異なる文化や生き方を有する人々は、互いにどうしても理解しあえないところがあるということを互いに認め合った上で、別々に滞在し、節度ある「住み分け」をするのが良いと思う。カースト自体を全て破壊せよというのは固有の文化を破壊することであり、ひとつの強力な特殊文化を普遍文化として全ての人間に受け入れさせろということである。

しかしながら、私も、被差別カーストが作った物は食べない、被差別カーストの人間が泉や水場に近づくことを許さないといった差別、人に「不浄」のレッテルを貼るような差別については理屈抜きの強い怒りを感じる。

数年前にカトマンドゥで知り合ったタマンの男は、市の委託を受けて町の掃除やごみ集めをしているカーストの人たちを指して、自分たちは彼らが作ったものは食べないのだなどと自慢げに語っていた。

人が人に「不浄」のレッテルを貼りたがるときの「不浄」の観念について、正面から研究している者が日本にどれだけあるのだろうか。左翼は左翼システムによって自動的に全てが解決されるくらいに思っているだろう。同和団体の「糾弾」について私は詳しく知らないが、人に「不浄」のレッテルを貼る意識のメカニズムをどれだけ解明し克服しえているだろうか?黙り込ませることがこの種の問題の解決であるはずがないと思う。

天皇や皇族貴族が存在するから、対称的に「下」への差別があるのだというような図式主義には与し得ない。仮に「上」を廃止したとしても、「下」へと向けた差別、「下」を作る差別は十分生き残るだろうし、むしろいっそう陰険で悪質なものになっていくに違いないと思う。共和主義、民主主義を理念とする白人および白人世界の人種的差別意識が、世界でもっとも陰湿かつ悪質であることからもこの成り行きは明らかだろうと思う。

同様に、天皇(制)を支持肯定するから当然のように伝統的な被差別グループに対する差別意識をも肯定するのだというようなネトウヨ式の右翼主義をも排する。

なお、私がここで彼女の所属カーストについて述べたことが、彼女の秘密の暴露に当たるとは私は考えない。彼女はネパールの田舎の村の仕立て屋の娘であることは彼女を知る人全てが知っている。それ以上に、彼女の苗字を見るだけでヒンドゥ世界の人には誰にでも彼女の所属カーストはわかってしまう。この世界では姓を見れば所属カーストは明らかなのである。この点はカースト制度が日本の被差別部落(問題)とは趣を異にするところである。ヒンドゥ秩序においては「破戒」のような小説は成り立たないと思う。

日本語を使う世界において、彼女がヒンドゥの被差別カーストに属することについて「不浄」と感じるものがあるだろうか。彼女が仕立て屋カーストに属することがネガティブな要素だと思うものがあるだろうか。私はそうは思わない。

話はそれるが、ヒレでバウン(ブラーマン)の男がヤギを露天で解体しているのを見た。この人は4年前から知っている人で、「アーリアン」であることを自慢にしていた。素手でヤギの臓物を腑分けし、腸を裏返して中を素手で洗う、その手をちょっと水で洗っただけできれいな肉まで触るのであまり清潔な作業とはいえなかったが、ヒンドゥ世界では肉の解体や食肉処理自体が「不浄」という観念はあまりないようである。私に脳みそを見せてここが一番うまいんだとか言っていた。屠殺を彼がやったかどうかはわからない。他の人が持ってきたヤギを彼が解体してその場で売り、400ルピーの売り上げを持ち主と半々で分けるのだと言っていた。
 

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2008年3月27日 (木)

リンブー族の人たち ネパール

「リンブー族の土地を返せ」というスローガン。リンブー族のマオイストによればこれは分離運動ではなく地位向上にちかい自治権要求のようである。この地域でのこの種の運動はすべてマオイストと連動しているようである。

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リンブー族はライ族などと並んでネパール東部に多いモンゴロイド系カースト。

弱小な山岳少数民族といってもいいと思う。もしタイだったら徹底的に差別され収奪されていただろう。もちろんネパールでもカースト的な地位は高くない。ジリキムティというところでであったリンブー族のマオイスト専従活動家によれば「4番目」ぐらいということ。彼の意見ではどちらかといえば被差別カーストだということである。

ネパールはどんな田舎に行っても日本人を見たことがある人が多い。そして私はこれまで東部の田舎のネパール人から「日本人はリンブーに似ている」という意見をたびたび聞いた。そのたびにがっくりきたものである。リンブー族は身体が小さい人が多く、なんとなく存在感がなく、とくに男は貧乏くさく、はっきり言って卑屈な感じがする。たまにお前はグルンに似ているといわれるとホッとしたり。

しかし今回リンブー族の女性たちに会う機会があり、なるほど日本人に近い雰囲気だと納得した。

顔形がどうこうというのではなく、たたずまい、立ち居振る舞いになんとなく「日本的」なものを感じる。雰囲気がやわらかく、外に主張していくよりは内にまとまろうとする感じ。他のモンゴロイド系カースト以上になぜか懐かしい感じを受ける。

ちなみに韓国人はチベット人に親和性を感じるらしい。チベット人も韓国人に同属感覚をもつようである。彼らはどっちも骨ばっていて、態度が大きく、堂々としている。チベット語を話しているのを聞くと確かに韓国語に似ている感じがする。大げさな話が好き、ホラ吹きなところもまた、チベット人と韓国人に共通する性格であるように見える。Yanziは静かな性格だったが。

私の写真では「たたずまい」までは表現できないが、顎のあたりに注目すると(チベット人韓国人を含む)他のモンゴロイド系カーストよりも日本人に似ている感じがするのではないかと思う。

ラスネLasuneで。

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ジリキムティJirikhimtiで。

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リナ バサンタプル ネパール

リナ・ライ 21歳。4年半前からの知り合い。4年半前にバサンタプルに滞在していたときに毎日のように話をし、彼女の家の店でチョウミンを食べたりタダ茶を飲ませてもらったりした。

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彼女の家はバサンタプルのバス停の近くにある。4年半前はそのあたりも板葺きの家が多い「寒村」という感じだったが、今ではすっかり町になってしまった。

彼女の家もコンクリートに建て替えられ、以前のローカル食堂は廃業し、いろいろなものを扱う雑貨屋になっていた。

彼女はバサンタプルで看護婦をしているそうだが、学校も続けていてビジネスのディグリーをとることをめざしているのだとか。私が今度の小旅行で出会った人の中でいちばん英語のできる人になっていた。

4年半前に彼女とよく話したことは覚えていたが名前は忘れてしまっていた。それに当時の彼女は17歳の女子高生で、ぽっちゃりしていたので、今回彼女から声をかけられてもしばらくの間彼女だということが分からなかった。ライ族と聞いてようやく思い出す。

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ライ族はネパール東部に多いモンゴロイド系のカースト。モンゴロイド系の人のことをネパールでは「モンゴリアン」と普通に言う。モンゴリアンは普通の英語だがネパールでよく使われる言葉。「アーリアン」の反意語のように使われる。アーリアンAryanも普通に使われる。なお英語のモンゴリアンには「蒙古症」(ダウン症)の意味も普通にあり、差別語ともみなされていないらしい(英語のことは詳しくないが辞書に「差別的」というような注意書きがない)。

リナには今回もタダ飯を食わせてもらった。「ローティ(チャパティ)が食いたいけどこの村には作っている店がない」といったら自分で作ってくれた。結構うまかった。タルカリもカトマンドゥのローカル食堂などよりずっとうまい。キャベツなどの生野菜サラダ付だった(酢で和えてあったがネパールの田舎ではあまり見ない)。

勝手なことを言わせてもらえば、リナの「タダ飯」の良さは、有形無形のあるいは現在または将来の見返りを期待する感覚が全く感じられないこと。

彼女は自分の家族が勤勉と倹約によってこの数年で豊かになったことを誇っている。その上で私をまだ歓迎してくれた。

旅先でタダ飯やタダ茶にありつけると大変ありがたい気持ちになるものである。

ローマ字表記ではReenaとしていたが、発音は日本語風にリナ。
   

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ヤク

ヤクの写真もたくさん撮った。全部お見せしたいが、今はこの一枚だけ。

チョウキChaukiで。

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ヤギ

ヤギの写真はいっぱい撮った。

全部お見せしたいが、カトマンドゥのネット環境(写真を吸い上げるのに大変時間がかかる)やネット屋環境(ウィルスの脅威:メモリーにウィルスが感染して破壊されることがあるので、一応安心できるネット屋でしか作業ができない)のためにいまはすべてあげることができない。

チョウキChaukiで。

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2008年3月26日 (水)

Yanzi バサンタプル ネパール

バサンタプルの村はずれに住むチベット人の女性ヤンジ(20歳)。今回の旅行ではいちばん世話になった。綴りはYanziでもYangiでもいいというので、ヤンギにならないようにYanziのほうにする。

Yanziとお父さん
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炉はYanziの手製。

Yanziはカレッジを出たといっていたが、学校に行った年数は12年だった。
ネパールでは年数で「ディグリー」を表現することが多い。そして、ネパールでは10年でハイスクール卒業、最低12年で大卒になるらしい。だから、日本の基準では高卒でしかない人が大卒として「ディグリー」をもっているということになる。
Yanziの毎日は楽ではない。「ジャングル」へ薪を伐りに行き担いで持ってくるのも彼女の仕事。芋ほりや家畜の世話もある。

チョウキChaukiの「ラリグラス」のベランダから。YanziImgp4027
ベランダの鉢植えはムナが大切に育てて世話をしていたもの。
   

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2008年3月 6日 (木)

ダルバール広場 カトマンドゥ

写真はお寺の台座から。

ダルバール広場(旧王宮前広場)は、数年前世界遺産に登録されるまでは外国人も無料で自由に入れることができた。そのころはカトマンドゥにいる間、毎日のようにここにやってきて寺の台座に座って何をすることもなく時間をつぶしていた。ヨガとかヴィパッサナとかに凝ってたころだったので、何もしないで座っていると自動的に瞑想に近い状態になっていくのが楽しかった。当時のカトマンドゥの人たちは今よりずっと無邪気でフレンドリーで白人にも日本人にも幻想を抱いていて、しばらく座っていれば必ず誰かが話しかけてきた。多くは客を探しているガイド(売春婦ではない!)だったが、外人や日本人などと話すこと自体が楽しい、あるいは話しをしたい、という感じだった。今はそういう人はあまりいない。

右側が旧王宮

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ガルーダの像

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奥に見えるのがカスタマンダップKasthamandap寺院
ここでいちばん古いお寺。他の寺院と作りが違い、吹き抜けになっていて日本の寺社を連想する。「カトマンドゥ」の語源はカスタマンダップだという。

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この広場でいちばん高いお寺

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バサンタプルを望む

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今回のネパール旅行ではじめて牛を見た。タメル近辺ではまったく見なくなった。

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段ボール箱であやされている物売りの子供の写真を撮る白人ツーリスト。
この辺の小商人、屋台、物売りなどの写真を片っ端から撮っていた。

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下の茶髪の白婆(毛唐)もローカル住人をまったく物としか思っていない。
ここで商売している人たちは自分たちが観察して写真に撮るために供されている物だくらいにしか思っていないようだ。この女も小さな商店や屋台の人たちの写真を片っ端から撮っていた。

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2008年2月29日 (金)

仏塔と共産党 カトマンドゥ

マオイストのバナーと仏塔を供養する人。

マオイスト(マオバディ)はネパールの「いろいろな共産党」の中のひとつ。ネパールの政党の大部分が共産党のようで、今も議会の過半数は「いろいろな共産党」が握っているということ。4月に行われる選挙でも「いろいろな共産党」が過半数を占めることはほぼ間違いないらしい。

ストゥーパ(仏塔)が赤いのは共産党が荒らしたからではなくて、「供養の痕」。

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デジカメのメモリーがウィルスに感染し開けなくなってしまった。

タメルのネット屋でデジカメやUSBメモリーなどを使う人は要注意。

パソコンに詳しいあるネット屋(「ちくさ」のはす向かいのネット屋)でウィルス除去してもらったが、すでに撮った写真は開けず、メモリーもフォーマットしないともう使えないようだった。

結局フォーマットすることにし、かわいい女の子たちの写真もブログに上げたもの以外は消えてしまった。この4枚の写真はカメラ本体に残しておいたもの。

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2008年2月28日 (木)

Now available "Foreigners in Japan" カトマンドゥの本屋にて

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どんなことが書いてある本なのかまったく知りませんが、この手の本には日本にとっていいことは書いてないんでしょうね。

日本ネタなら中傷と歪曲と嘲笑で固めれば白人は喜んで読み、他のアジア人(タイ人などを含むことに注意)も満足する。そうなってないとかえってあちこちから苦情が殺到するという仕組み。
 

ところが「タイ」が相手の場合、白人の言論の態度はまったく変わる。

経済を含むあらゆる場面で白人優先主義の接待を全身にたっぷりと受けて多少は後ろめたさを感じるのか、下半身の恩を受けすぎているせいか、なにより東南アジアの野蛮な後進国としてはるか下方に見下しているからか、白人はタイに関しては外国人に「フレンドリー」で「自由」なすばらしい「微笑の国」ということしか書かなくなる。
  

ネパールやタイだけ行って「アジア」を「理解」してしまうという白人が非常に多い。

「ロンリー・プラネット」などの影響力も決して馬鹿にできない。若い白人ツーリストの大部分が持ち歩いているガイドブック。

こういう本屋に並ぶ本から白人のアジア観、日本観が形成されて行くと考えてしまっても、あながち的外れなことにはならないと思う。

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2008年2月27日 (水)

ストリートチルドレン カトマンドゥ

タメルの横のトリデヴィマルグで。

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10年以上前始めてネパールに来たとき、夜カンティパトなどの歩道で数人の子供が犬と一緒に固まって寝ているのを見て新鮮な驚きを感じた。そのころも堂々とアンパンやりながらその辺歩いている子供は見た。

しかし当時はなぜか不潔感は感じなかった。あまり臭わなかったように思う。ネパールの乞食は日本のホームレスよりきれいだと思ったものである。そのころは家があっても本当に襤褸をまとってるような子供をカトマンドゥでも普通に見た。

当時に比べると、ホームレスの子供が汚くなったように思う。この辺を通るだけで日本のホームレスとまったく同じ強烈な臭いがしてくる。逆に家のある子供はまったくこぎれいになった。

小学生中学生くらいの子供がタバコの火を借りに前記事の茶店にやってくる。

あのディディ(お姉さん)も平気でろうそくの火を渡す。

 

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2008年2月11日 (月)

バウンの男 カトマンドゥ

一見してバウンBahunとわかる男。バウン以外の何者でもない顔。この顔ならバウンかチェトリかなどと迷うこともない。日本人女が結婚したがるのもこの手が多い。

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小さいころから親や周囲に言い聞かされているので(われわれは最高位カースト・ブラーマンであり浄である、それ以外は不浄である、と)特権意識が大変強い。もったいぶった振る舞いをしている。この人は英語はあまり話せない。しかし、チェトリもそうだが、英語が話せるとまた別の意味で厄介なことになる。必要以上に理屈っぽく、「いちいちくどい言い訳」をさんざん聞かされるからである。

彼らは「言い訳」の理屈を上手にこねることこそ、優れた頭脳ゆえに高位カーストに位置づけられているアーリアン(高貴な者)の証だと思い込んでいるようである。この辺はアーリア人の末裔であるらしいヨーロッパ白人の発想と一脈通じるところがあるかもしれない。

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しかしこの人言っては悪いが頭のほうはまったく空のようだった。

ネパール人なのに、なんと、「国王の所属カースト」を知らなかった!

私はちょっとこずるい方法だが、自分が知っていても何も知らないような風に質問を始めていく。

まず「バウンとチェトリは違うの?」と聞いてみた。即座に違うという答え。どう違うのと聞くと、英語は出てこず身振りで「バウンのほうが上」という意味らしいしぐさをする。

そこで「国王はチェトリだよね?」と聞いてみると。

なんと「いやバウンだ」という答え。

さらに、「国王のカースト(ジャティ)は“サハ”だよね?サハはチェトリじゃない?」と突っ込んでみたが、よくわからないという顔をするばかり。

要するにこの人は「偉い人はみんなバウン」だと思ってたようである。

今まで私が出会ったバウンはあまり尊敬できないようなのが多いが、国王がバウンだと思っている人はさすがにいなかった(と思う)。

なんか自信がなくなってきたが、現王室は「サハ・タクリ」のはず。だから4分類で言えばチェトリのはず。そもそも国王は武家なのだからクシャトリアであるのが当然。

ネパールのカースト秩序は非常に複雑怪奇だが、私の知識でいうと、アーリア系のカーストは、バウン、チェトリ、バイシャ、スードラ、に大きく分類され、近世になってネパールを征服したアーリア人の支配階級がバウンやチェトリに納まり、モンゴロイド系の諸民族やカトマンドゥの先住民ネワール(ビルマ語系だという)は基本的にバイシャに位置づけられた。しかし、ネワールのカトマンドゥ盆地における権威もクマリなどの形で存続している。ネワール内部の司祭カーストも、アーリア系のバウンのような特権意識を持っているように見える。バジラチャリア、カルマチャリアなどという苗字が有名。ネパールでは苗字を聞けばカーストがわかってしまう。モンゴロイド系山岳諸民族の中にも複雑なカーストがある。グルン内部にも細かいカーストの区別があるようで、お互いに自分たちのほうが上だと思っているようだ。モンゴロイド系山岳民族はたいてい仏教系だが、マガルはヒンドゥ教色が強いといわれる。プライドも強いらしい。同じくモンゴロイド系のライ族は、長くマガルの隷民だったとか。しかし、いずれにしても、アーリア系から見れば、「ティン」(よくわからないが第三階級という意味か?)とか「ボテ」(チベット人)で一括のようである。

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2008年2月10日 (日)

女子高生たち カトマンドゥ

左の子はマガル族。右の子はネワールだという。(右の子は私の抱いていたイメージではネワールとは思えなかった)。ここで「族」というのはすべて民族でもありカーストでもある。

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左の子のかわいい表情を見せるために右の子を犠牲にしてこの写真を選んだ私の如何わしい心根を、このブログの読者は理解してくれるものと思う。
  

次の二人はグルン族。私はチェトリかと思った。

この子の名前はラクシミ。このグループのリーダー的な存在らしく、みんなが何かあると「ラクシミ」と呼びかけて、この子中心にまわっている感じだった。他の子の名前が呼ばれるのを聞かなかった。

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この子はラマ(タマン)。

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最初、顔立ちから判断して「タマンか?」と聞くと、強く否定してラマだと答えた。タマン族内部の上級カースト(僧侶カースト)ということなのだろう。
 

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タマン族の少年とグルン族の少女 カトマンドゥ

チェトラパティのチベット食堂で働いているタマンの少年とグルンの少女。

タマンの少年。実物はもっと少年風。これでもすごくポーズを作っている。

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(下)グルンの少女。写真に撮るとおばさんに見えるがまだ20歳ぐらいの少女。
タマンの少年とは対照的で、照れて動き回るので何枚撮ってもいいのが決まらなかった。

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先に少年の方を撮っていたのでこの後で少年の写真を見せると、うらやましそうな顔をして「カスト・ラムロ!」と言っていた。

今まで出会った人たちの印象から言うと、タマンはふにゃふにゃした感じで志があまり高い印象を受けないが、グルンの方が骨がある感じはする(どうしょうもない馬鹿や、政治家になっていて権力を振り回したがる男もいたが・・・・国会議員だが私のようなツーリストと話す機会があったのだから、まあネパールはのどかな国というか、こじんまりした国)。



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2008年2月 9日 (土)

今日はLhosar ネパール

「ロサル」だが「ノサル」に聞こえることも。チベット仏教のお祭り。
その辺のネパール人に聞いても、ある人はチベット人とタマンの祭りだといい、ある人はブータンの祭りだという。

今日はカトマンドゥも春らしい陽気になった。

2、3日前からタメルの街にはチベット仏教の旗(?、チベット仏教に限られないのかもしれない)がかけられている。

タメルチョーク付近

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下もタメル。
昔「味のシルクロード」があった通り。
「味シル」はさすがに潰れて、「おふくろの味」という日本料理店になった。
(この道をまっすぐ北に行った右側にある「ふる里」とオーナー(ネパール人)は同じなのだという。しかし料理人が違うので味が違うと断言する。「ふる里」と同程度なら外国の日本料理店としてはまあまあではないかと思う。ふる里で働いていたビジェイという男はいまは「おふくろの味」にいる)。

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ここを先に進むとタメルチョーク、左にずっと行くとチェトラパティ。うしろに行くとタヒティ。

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2008年2月 8日 (金)

茶店で働くタマン族の少年 カトマンドゥ

12歳ぐらいだろうか。この子はネパールでもちょっとかわいいほうだが、珍しい美少年というわけではない。
モンゴロイド系の仏教徒カースト、タマン族の少年。
この店の子ではなく、児童労働である。この店のオーナーはタパ(アーリア系、チェトリ)。
タマンにはこういう女性的なやわらかい感じの少年が多いと思う。
こういう美少年(もう少し成長したの)を目当てに日本人女性セックスツーリストがネパールに殺到する。

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ネパール人と結婚したがる日本女性はアーリア系のバウンやチェトリを好むようだが(ネパール人がそう言っていた。ニヤニヤしながら、「何で俺と結婚したがるのかわからない、でもこれですぐに日本に行ける、この鼻がいいらしい」とはっきり言うバウンの男にも会ったことがある。古典ギリシャ彫刻風の顔立ちだった)、日本女性のセックスフレンドにはかわいくて優しいタマンの男が人気のようである。

昨日会ったタマンの男は片言の日本語で「恋人が日本人」と言っていた。その恋人はネパールにいるのかと聞くと、日本にいるという。去年ちょっと来てちょっとセックスをしただけの間柄を「恋人」と言っているようだった。

ポカラ方面に多いグルン族もモンゴロイド系カーストだが、もっと男性的なごつい感じが多い。

ダージーリン出身のインド国籍のタマンにもカトマンドゥで会ったことがある。インド国民はノービザで自由にネパールに入ってほとんど制約なく働けるようだ。

タマンはやわらかいが卑屈な感じを受けることがある。

モンゴロイド系のネパール人はヒンドゥ教色が弱くなるほど(仏教色が強くなるほど)卑屈になるように見える。

日本人はリンブー族に似ているというネパール人がいた。その後、東部のほうでリンブーを何人か見てがっくり来た。体が小さく顔がちまちました感じでどこか貧相で印象の薄い人が多かった。あるアーリア系ネパール人によると私はグルン風だそうである。しかしグルンから見るといかにも日本人的に見えるらしい。

ネパール通の日本女性の中には、ネパール人の悪いところをいっぱい知っている人がいて、いろいろ聞かせてくれたりする。昔会ったある人はネパール人の悪いところを散々並べた上で「・・・でも子供がかわいいから」と締めくくっていた。

さすがに日本人の男性には男児目当ての買春旅行をするのは少ないと思うが、白人男の場合、アジアの児童に対しては子供の性別を問わず目がないので本当に油断も隙もない。

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2008年2月 7日 (木)

Pussy Cat Dance Bar with Shower, Thamel

Pussy Cat Dance Bar私は英語屋ではないのでこの言葉の語感まではわかりませんが、なんか淫らな感じがするんですが。with showerまでついている。

この場所はタメルに近いジャータJyatha通りの外側。3年前に来たときは、ここを入ったところにネパール人専用の質素な「キャビンレストラン」があった。基本的に外人は入れないところだった。

ところが政情不安でツーリストが少なかったはずの3年の間に、タメルのあちこちにこの手のいかがわしいDance Barが林立するようになった。普通のツーリストは減ったがアジアの国の政情不安に付け込むような目的を持った特殊なツーリストは増えていたのだろうか。あるいは少なくなったツーリストから多くの金をもぎ取るための工夫だろうか。

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いずれにしてもこれがゴーゴーバーの真似であることは明らかだろう。タイの腐敗堕落文化が、ネパールの政情に関係なくアジア全体に拡散浸潤している証拠だと思う。

タイ人が一昨年のタイ国王戴冠60年式典に来たブータン皇太子が色白なのを見てブータン旅行に押しかけているというニュースがあった(現場では白人でもない小国の皇太子をたいへん粗略に扱っていたのだが)。タイ人がこちらの方面への旅行に興味を持った結果がこの腐敗文化の拡散なのかもしれない。

このようなプロセスを経て白人がアジアを欲望処理の手段とし、さらにアジア人を下位身分に位置づけて見下すためのシステムが、この国にも植えつけられていく。

風俗店に外人を入れない、特に白人を入れない、ということは、まじめな国際政治的な意味で非常に重要なことである。

そういう小さなことがアジアの国にとっては死活問題になることを忘れてはならない。。

外国人による性の搾取は精神の深奥の搾取であり国民の文明的な力の根本を破壊するものである。

それは、「第一チャクラ」=ルートチャクラ=生命力のチャクラの収奪だといっても過言ではないと思う。

そして混血はさらに危険なことで、国民のアイデンティティの崩壊を来たす。

イギリス人は特権意識が強すぎて現地人との混血を好まなかったことは、マレーシアにとって幸いだったといえるだろう。

フィリピンや中南米のように国民全体が白人混血のようになり、白人遺伝子濃度によって階級が分かれるような国になってしまうと、もはや民族としてあるいは国民として誇りを持って立ち直る力はなくなってしまう。
 

ところで今朝、タメルの中心で格別ひどい白人を見た。

大男でもういいオヤジだったが、ネパール人にレストランのビラを差し出されると、それを払いのけるというよりも大げさでな痙攣的な動作で殴りつけるように差し出された手をはたきつけていた。

現地人に対してこんなことをする人間をネパールで見るのははじめてである。

いくらタメルだといってもこれはひどすぎる。アジア系ツーリストがこんな振る舞いをするのを見たことはない。

その白人が何人かはわからないが私の勘ではドイツ人のように思われた。

一瞬のことだったのでビデオに撮ることはできなかったが。

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2008年2月 6日 (水)

幼女を連れ歩く白人男 カトマンドゥ

どういう事情かは知りません。いろいろと事情はあるのでしょう。孤児と遊ぶボランティアというのは普通にあるようだし。
この男が白人で女児の方がモンゴロイド系のネパール人であることはほぼ確か。白人男の方はこざっぱりしていたが少女の方は薄汚くて身なりもみすぼらしかった。つまりまだ知り合って間がないということだろう。

今日はこのほかにもう一人タメルのど真ん中で白人にべったりくっついた小学生くらいの色黒の児童をみた。性別ははっきりしなかった(どっちにしてもかわいい子だった)。近くに警官がいたので追いかけて動画を撮る勇気が出なかった。アジアでは警官は常に白人の味方だからである。

タクシーに乗ろうとしているところ。

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動画に設定しているつもりで撮っていた。

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白人がアジアですることは昼夜を問わないということは、このブログの読者の方々は理解していると思う。

ネパールでは児童の人身売買は昔から盛んだったが、おもにインドに売られるといわれていた。しかしこういう市場に白人が食い込む余地はもちろんある。

東南アジアに比べれば監視の目も厳しくない。(貧しすぎ汚すぎて普通の感覚からは少女たちに性的魅力が感じられないことがあるかもしれないが、児童性愛者にとってはどうでもいいことだろう)。
「ボランティア」の中にも児童性愛目的がたくさんいる、ミッショナリーならなおさら、という前提で警戒し疑わしい事象を監視する必要があると思う。立派なことをしていて監視されて悪いことをしているわけではないなら何の問題もないだろう。

動画を撮っているつもりで追跡してみたがカメラを風景写真設定にしていて失敗。
  

ところで昔はどうだったのか記憶があまりないが、ネパールでもはっきりとタイ的な人種差別接客をするところが増えてきた。

「カトマンドゥゲストハウス」から東に入ったところの右手、「フォーシーズンレストラン」のグランドフロアにあるインターネット屋は大変感じが悪い。

この店は速いこともあるのだが、いつもいるネワールらしい女主人(風の女)は、アジア系の客はほとんど無視で口も利こうとせず、賎民でも扱うような接し方をする。白人には元気に挨拶。アジア系客には一言も声を出さない。挨拶はもちろんしない。店に入ってきても無視していて、どれを使えという指示さえろくにしない。その上アジア系客が気に入らない場所に座ると、口さえ利かず、代わりにいらだったようにテーブルを指先でカンカンたたいて他に移らせる。まるで犬でも追い払うようである。彼らは乞食にももっと丁寧に接するだろう。白人客に対しては、まったく打って変わって、来るときも出るときも「ナマステ」「シーユー」「サンキュー」を笑顔で連発。

ネワールは一般的には外人に心を開かない感じだが、もともと東南アジア系の民族なのか、白人ずれしたやつの媚び方はタイ人に近い。人種序列意識も似かよっているのかもしれない。

感じは悪いが、そこまではまだ我慢できる範囲かもしれない。しかしどうやらこの店は、アジア人客を調子の悪いPCに誘導し、調子の良いPCを優先的に白人に使わているようだ。私など何度も来ているのに、写真の吸い上げがうまくいかないPCにちゃんとできるといって座らせた。結局30分以上無駄遣い。

私が写真吸い上げを試みている間、韓国人客らしい若い男がずいぶん怒って何か抗議していた。

確かにいま韓国人客は多いし、無礼でうるさいのも多く、私も苦手だが、それでは白人ツーリストが行儀が良くて現地感情を重んじ静かにしているかというとまったくそんなことはない。

チョンコが嫌われていい気味だとか、チョンコがいるから迷惑なんだとか、チョンコに間違えられたんだろとか、そういう2chネトウヨ、タイヲタウヨ的な自慰妄想は、まったく見当はずれで有害なタワゴトである。

あの店はほとんどが白人客ばかり。ネパール人客も少ない。白人が多くなれば必然的にああいう店になる。店は客の求めるものを提供しようとするのであり、白人がアジアで求める「フレンドリーな接客」とは白人の白人ゆえの優先優遇だからにほかならない。

白人だって上等な連中は、オーストラリア人、オランダ人、ドイツ人などを快く思っていないのが多いだろう。しかし彼らが、ある白人が白人であるがゆえに有色人種から不利益を受けたということを聞いたなら、その白人が豪人であろうとオランダ人であろうと黙ってはいないだろう。無条件に徹底抗議し「人権問題」にするのである。彼らが有色人種との関係でそういう努力を怠らなかったからこそ白人世界全体が現在力を維持できているのだと思う。

日本が負けたとき、小笠原にいたドイツ系日本国民は特別に優遇されアメリカ移住の選択も許された。日本国民でドイツ人なら、理屈から言えば二重に適性種族のはずだが、白人世界の論理はそういうふうにはなっていないということである。
 

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2008年2月 4日 (月)

【写真】カトマンドゥ

マレーシアに何ヶ月かいても風景写真など撮ってブログに載せようという気にはなかなかならない。タイも同じ。幼女虐待現場の告発写真ぐらいか。
ネパールにはもう何度も来ていて写真もたくさん撮っているが、まだまだ写真を撮って日本にいる人たちに見せてみたい気持ちになる国である。

国際空港

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タレジュー寺院

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まだたくさんありますが、停電があるほか、ネット環境自体が非常に悪く吸い上げに大変時間がかかるのと、ネット屋が毛唐だらけで気分が悪いので今日はこの辺で。あまりネット屋には来たくないですね。

海外に日本人専門の場所があることを悪いことのように言う日本人がいますが、現実にはそういう場所はぜひとも存在すべきです。

いま実際そういう場所はどんどん少なくなってきていまする。日本人目当てでできた店でも良いところには白人がどんどん入って来て必然的に白人優先の場所になります。韓国人ツーリストが大声で騒ぎ立てたりしてるのも、ネパールに来るような日本人が求めるリラックスの感覚とは違いますね。

どこの国の人たちも外国で自分たちの文化にどっぷり漬かってホッとできる場所を外国には用意してるものです。日本人はこういう観点から海外に日本 人専門の場所を作ることを怠って来たように思います。(駐在員が日本の企業文化の延長で振舞える場所のようなところは多いんでしょうが)。
 

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2007年11月24日 (土)

キムタク ブキ・ビンタンで クアラルンプル

東南アジアではキムタクはあまり受けないだろうと思っていた。

東南アジアではあの手の顔は珍しくないし、なにより「色が白いこと」が男女を問わず美形の条件とされる。男でも浅黒い肌はそれだけでマイナスらしい。

 

色さえ白ければあとはさほどどうこうということはないかのようだ。目の大きな人間、顔の小さな人間はありふれているので、日本ほどそれに飛びつくということはない。

しかしブキッ・ビンタンにキムタクの広告写真があった。

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「色白崇拝」は上流階級におもねり貧乏人を蔑視する土着の感性の表現ともいえると思う。東南アジアの金持ちは外で汗を流して働くことをもっとも賤しむ。

外で働く仕事は賤しまれることに比例して賃料も安い。外で働かなければならない人間は当然色黒になる。

タイ人の場合は、召使(家内奴隷)をコキ使いながら自分は昼間からダラッと寝転がって何か飲み食いしているような生活が立派だと思っている者が多い。

タイなら中国系タイ人、中国系、白人混血、マレーシアなら中国系や中東系混血などに金持ちが多いのだろう。また上流階級は当然のように少しでも「色の白い」者を配偶者に迎えようとする。

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2007年11月16日 (金)

KLモノレール クアラルンプル

おのぼりさん、というか百姓丸出しでやってみた。

ブキッ・ナナス駅からブキッ・ビンタンへ。

ジェットコースターみたいで楽しいんですが。

このビデオは音がうるさいです。

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2007年11月14日 (水)

ディーパヴァリの日のヒンドゥ寺院 クアラルンプル

@Niftyビデオ共有というのができたので、手元にあった動画を試しにアップロードしてみた。

使っているデジカメはペンタックスの一番小さいやつ。このデジカメで動画が撮れるなんて最近まで意識したこともなかったが、Youtubeなどを見るようになって興味を持ち始めた。もちろん試験的段階。

手ぶれしまくりで、そのうえカメラの動きが素人撮りエロ動画のようにいやらしくさまよっている。

門の左右にある椰子はお祭りの日だけの飾り。

@Niftyビデオ共有の削除基準はいろいろ試してみないとわからないだろうと思う。

Youtubeでも「沢尻エリカの舞台挨拶」がしつこく削除されていたと思う。

「白人のいる風景」問題でニフティが私に言って来た「登場人物すべてのココログ掲載許可がなければならない」という基準を適用していては、こういう素人動画サービスはほとんど成り立たっていかないのではないかと思う。

上の動画も寺院に出入りする人にとっては一種の盗撮動画のようなものかもしれない。もちろん顔の映っている通行人一人一人の撮影許可があるはずもない。

今日の技術ではチラッと映っている顔から相当正確な肖像写真を再構成することも、その気になれば可能なようである。

しかしこれを不可とすれば、旅行で撮った動画などはほとんどネットにあげてはならぬということになる。

Youtubeでも本来の趣旨は自分を表現しましょうということなのだろうが、実際はそういう動画のほうが少ないだろう。自分を撮っている動画で他人が見て面白いというのがむしろ少ないと思う。

 
特殊な場所に行ったら、特殊な「風景」をビデオに撮って、ビデオ共有やYoutubeにアプロードしてからブログにあげる、というのがいいかも。

上げたところで動画が削除されていなければ、それはすでに社会的に共有され一般に公開されている情報だということである。ブログはそれを転載しただけである。

公開されている動画の転載を理由にそのブログ全体を閉鎖するというようなことは、ブログ提供会社に一片の理性があるならしないだろう。そんなメールでも来たらさらにお笑いの種が増えるということになる。

問題は、動画は下手クソが際立ってさらに見苦しくなるということ。
 

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2007年7月 7日 (土)

ポイペト(Poi Pet) カンボジア

6月22日。

午前9時半ごろアランヤプラテートの旅社、「アランガーデン2」をチェックアウト。フロントにトゥクトゥクを呼んでもらう。本当はバイタクがよかったが呼んでくれなかった。

トゥクトゥクでボーダーまで60バーツ。バイタクも同じくらいらしい。しかし、以前の経験だと国境近くに来ると勝手にトゥクトゥクにしがみついてくるカンボジア青年が必ずいた。ガイドをしようとしているのか、ただ単にちょっと無料タクシーとして使っているのかよくわからない感じだった。

今回は取り付いてくる青年はいなかった。カンボジアは近代化が進んでいるようだ。経済成長も。

しかしポイペトボーダーの前に来ると、この辺はオスマックOsmachあたりより貧しいところだという印象を受ける。乞食の子が多いだけでなく、乞食の子の身なりもすごい。

人力で引く大八車は少なくなったがまだ健在である。顔のつぶれた人もいる。

付きまとうガイドは少なくなり、あまりしつこくなくなった。

タイのイミグレは冷房入り。

張り紙に、

「ノービザで再入国するときは帰りのチケットかトラベルドキュメントを提示するか、または、30日以内に出国することをconfirmしなければならない」

とある。

orが多くてどうとでも解釈できそうな文章。

30日以内にタイを出国することを"confirm"できればいいのだから、必ずしも帰りのチケットが必要というわけではないということになる

confirmの方法に条件はついていないから、「この人は30日以内に出国する」という心証が得られれば良いということになり、要するに担当役人次第ということ。

実際の適用も役人の胸先三寸なのだろう。

当然、白人には甘く日本人には厳しく、という運用になる。

案の定、タイ猿役人は愚かにも、私のパスポートの過去の履歴をじろじろ検分し、 タイを出国しようとしている私に対して、

「エアチケットは持っているか」

と聞いてきた。

どこからのエアチケットのことなんだかw。

すぐに「シエムレアプからベトナムに行き、ベトナムから日本に帰る」と適当に言うと、OKOKといってお開き。

どうせならベトナムなんていわないで「シンガポール」と言ってやればよかった。

今度タイに行くときは、ミャンマービザとシンガポールのスタンプがいっぱいのパスポートを持ってきてやろうか、などと思う。 

長年ルースな入管行政でセックスツーリスト・セックス滞在者を国内に集める政策を採ってきたのはほかならぬタイ国家自身なのだ。

ポイペトはますます近代的になり、数年前の独特の雰囲気は今はまったくなくなっている。

2年ちょっと前はまだ強かった「ポイペトの臭い」、ポイペトの町全体を覆っていた「これがダイオキシンの臭いか」としみじみ思うような臭いも、今はほとんどしない。

気まぐれなツーリストにとっては淋しく感じることだが、カンボジア国民にとってはいいことなのだろう。

以前泊まったことのあるLong Seng Lyゲストハウスがまだあった。1階の窓なしファンの部屋(200バーツ)に入る。さすがに古くなっていた。廊下も汚くなった。コンクリート作りの1階なので窓なしでも暑くはない。天井が高く、換気扇もついていて、以前は快適なところだと思って長居したことがある。今は臭いが少し気になる。

カンボジア風の強くてうまいコーヒーを出す店もほとんどなくなったようだ。ロータリー右端にあったバラック食堂の怖い感じの兄ちゃんの入れるカフェが好きだった。2年ちょっと前はまだかろうじて残っていたが、いまはもうない。

コーヒーがあるところでも「カフェ」が通じないことがある。前はどこでも一言で通じていた。バラックレストランでカフェを飲む人がいなくなったのかもしれない。 ホットコーヒーを飲む人が少なくなったのか、大きな店は当然のようにアイスコーヒーを出してくる。

ホットコーヒーを何とか出してもらってもタイコーヒーやラオカフェほどではないが濁っていることが多い。アイス用のコーヒー。通り沿いの店ではそれで20バーツもする。

奥(シエムレエプの方)に向かって右側にあるマーケットの一番奥の汚い食堂が昔ながらの透明感のあるカンボジア風カフェを出してくれた。5バーツ(500リエル)。英語を話す兄ちゃんがいる。

ポイペトの魅力はやはり夜の屋台。蒸し卵とストローが立って口の中が痒くなるフルーツシェーク。ドリアンも入る。

ロータリーの周りのフルーツシェークは都会的?な薄味になっている。奥の方に入るとまだ一応口の中が痒くなるのがある。しかし数年前よりは薄味になったようだ。以前は卵の黄身も入れていたが今回は入れているところを見ない。

蒸し卵は中が黒いので数年前始めて食べたときはギョッとした。腐っているのかのかと思って、屋台の人に「コレハ何ダ」と言ってしまった覚えがある。食えるんだよといわれた。

孵化しつつある卵(当然有精卵)を蒸したものらしく、ものによって孵化の度合いが違うようである。

真っ黒いところが多いのは小さな骨が出てくることがある。魚の骨ほどの細さだが鳥の足の骨の形をしていた。

黒い塩(黒胡椒入りの塩)とライムをかけて食べる。奥の方の屋台は香草もついてくるが、ロータリーの屋台ではつかなくなった。

しかし、奥の方のある屋台では、2個食べると15バーツなのに一度に3個食べると25バーツ取られる。4個食べると33バーツだという。この計算は理解できない。2個ずつ2回食べて香草もレモンも2倍もらった方が安いということになる。

いつも2個15バーツで食べていたのに、あるとき3個食べたら25バーツだといわれた。22バーツか23バーツでいいでしょ、といってもどうしても負けてくれない。こんなボリ方はないので、本気で言っているらしい。わけのわからない価格設定である。

しかしポイペトの屋台の女の子たちはみんなニコニコしている。ジャワほどではないが、かわいい子もいる。

数年前ポイペトにいっぱいいた獰猛な目をした男たちは見なくなった。

最初に来たときは彼らの目を見ただけで本当に怖くてゾクゾクした。「殺気」としか表現できないものをひしひしと感じ、ちょっとしたカルチャーショックだった。彼らはまだ戦争をしてるんだという印象を強く受けたことを思い出す。

2、3年前に来た時にがらっと変わっていた。舗装されて街燈も整備され夜歩きも普通にできる雰囲気になっていた。(「安全」かどうかは知らない)。

今も砂埃がまきたち雨が降ればぬかるみキレイとはほど遠いが、2、3年前はまだあった独特の臭気もなくなり、マーケットからも「殺気」は消えて平和な雰囲気になっている。

白人はシエムレエプに行くツーリストが通るぐらいだが、ネット屋にはやっぱり自分ひとりで天下を取っているようなのが来ている。

ネット屋は2件ほどあり、安い方(奥に向かって右側)は毛唐やツーリストも来る。日本語が書けるPCは2台だけ(ひとつは私がインストールした。しかし良くあることだがココログにはサインインできない。Mozilla Firefoxをダウンロードしようとしたができなかった)。

日本人ツーリストが「ポイペトの置屋」を検索したらしい恥ずかしい形跡も。彼らはなぜそういう跡を残すのか。履歴を消すことも知らないのだろうか。

高い方(奥に向かって左側)のネット屋は地元の人が電話を使うのが中心だが、普通のページへのアクセスは遅いがグーグルドキュメントが開けるとか(安い方はほとんど開けない)多少違いがある。日本語が書けるのは一台だけ。

数年前は怖かった「マーケット」付近に遊園地のような施設ができ、夜も子どもが遊んでいる。近くに警察の派出所もできてそのあたりにたくさんあった売春宿(「置屋」)は姿を消した。

マーケット近くでようやく「ル・パン」(フランスパンサンドイッチ)を見つける。ロータリーの近くからは姿を消した。「カンボジア的」というイメージがあるからだろうか。しかし、あの甘すっぱい野菜(酢漬け野菜?)は入っていなかった。

数年前は今はカジノの敷地になっているボーダー近くのドブ上にあった屋台(チャオファヤゲストハウスの斜め前の店)でもフランスパンに生野菜やらソーセージやら挟んだ、なぜか「とてもおいしい」サンドイッチが食べられた。板を無造作にドブの上に渡しただけのような床で、ごみは板の隙間から下に落とす。

ドブの上の汚い屋台でほおばる生野菜たっぷりのフランスパンサンドは、当時の私にはフグを食うような深い味わいがあった。

2年前に来たときは店は残っていたがコンクリートの床になっていた。タイ麺だけになってフランスパンはやめてしまっていた。

ポイペトの屋台はどんどんタイ的になっているように見える。

しかし数年前よりはカンボジアリエル紙幣をよく見るようになった。前はほとんどバーツだったように思う。

ポイペトはどうしても愛着のある町だとあらためて思った。今度来るときはシエムレエプからポイペトに直行しタイには入らずシエムレエプからマレーシアに戻るという旅行をしてみようと思う。ポイペトはいまも存在感のある町であり、タイの付属品ではない。

カンボジアが、豊かな国なのに自国の娘を毛唐に売り飛ばして恥じることのないタイのような土人売春国家になることなく、実のある経済成長をして良いところを残して発展できるといいと思う。カンボジアには海底油田もある。

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2007年6月22日 (金)

プラサート Prasat 2

6月11日。

スーリンのバスターミナルから10時20分のミニバスで、再びプラサート(Prasat)に向かう。

バスターミナルに入るとことのきれいな理髪店の待合室に中年の毛唐が大きく空間を取って座っていた。

店の前を通りかかっただけで敏感に反応し、ガラス越しにギロっとにらみつけてくる。白人の異質者・侵入者に対する動物的な敏感さ。そして強烈な自意識。これらに改めて驚かされる。 常に敵を警戒していなければならない毛唐の歴史的な本能なのだろう。彼らの父祖の侵略と植民の歴史を内面化しているように、「よそ者」(彼ら自身もよそ者なのだが新たに入ってくるよそ者)に対して、このあたりの犬以上に敏感である。

白人には、彼らがモノとしか見ておらずなんら脅威も感じていないローカル原住民以外は、すべて白人であるべきだ、という譲りがたい信念がある。

白人でないものはツーリストではないはずだという確信がある。「ツーリスト」であって白人でないものに対して、彼らはほとんど本能的な敵意を抱く。

なぜなら彼らにとって「ツーリスト」とは「植民者」の意味でもあるからだ。

このことは毛唐の多く泊まる日本の安ビジネスホテルでも体験できる。

白人ツーリズムは現代の植民地主義の一環だが、もっと端的に、白人の「植民地ごっこ」「大航海時代ごっこ」でもある。もちろん「ゴーギャンごっこ」もある。

午前11時ごろプラサート着。

炎天下を3キロ歩いて前回と同じホテル「トーンペカ」ทดงเพกาへ。550バーツの部屋にチェックイン。 

この「トーンペカ」は不便な立地だが、清潔で静かでのんびりできるところである。

毛唐さえ目に入らなければだが・・・・。 

今回はあいにく土人売春婦連れの毛唐が泊まっていた。

ほんとに黒くて小さな土人女だが、毛唐と一緒にいるのでたいそう偉そうにしていて、毛唐のように一直線に突進してくる。15歳くらいに見えるが、18くらいなのかもしれない。

今回はその後も何組か土人女連れ毛唐オヤジを見る。ここに来る毛唐はなぜかみな同じような風采。 

6月12日。

午前プラサートバス停前のセブンイレブンに歩いて行く。レジの前に白人の混血の若い女が2,3人たむろしていた。

タイ語を話しているが、空間の取り方、身振り、など、普通のタイ人とはまったく違う。

挑むような視線、常に自分が優位にあり、この場所の最優先者であるという確信のことさらなる顕示。これらは日本にいる白人混血にも共通しているのだろう。

毛唐がレンタルワイフ(期限決めの売春婦)に生ませた子だろうが、下層の広範なタイでは十分にセレブである。

タイでは売春婦も簡単に客の子を生む。そして生んでしまうと、このような田舎にいる父母または祖父母などに子供を預けてまた仕事を続ける。

そのうち、肌色が日本人のように白くて瞳が黒く「テレビドラマに出るタイ人」的な顔立ちの女のほうは、挑戦的にファランの視線を周囲に飛ばしてレジ前に空間を作っていた。最初見たときは普通の白いタイ人かとも思ったが、身振り手振りが完全にファラン。

肌色が浅黒く、瞳が灰色で顔立ちが白人風の女のほうがおとなしく、色黒のタイ男に傅かれていた。

白人でも日本人でも「タイにガールフレンドがいる」「タイの女に子供を産ませてしまった」などといっているのは十中八九、ただの売春婦とのつきあいである。

バービアはいうまでもなく、「健全なタイマッサージで知り合った」というのは「健全なタイマッサージ屋」で客をあさっていた潜在的な売春婦との売春契約が成立したという意味である。

タイマッサージをするような女のほとんどは潜在的な売春婦であり、決して日本に引き入れてはいけない外国人である。

(どこの世界でもそうだが、中流以上の人間が他人の体を触って奉仕するような仕事につくことはない〔医者を除き〕)。

日本への入国に関しては、タイ人の女性はよほどの貴顕かエリートでもない限り、すべて「潜在的な売春婦」と見たほうが無難だと思う。そういう文化なのである。

婚姻を装った国際的な人身売買も多いので、日本人と結婚していても危険性は変わらない。

タイの女を日本に引き入れることは、日本に(さらに)「人身売買支援国」の不当なレッテルを貼る白人側の口実を増やすことに他ならない。

現にタイ国内で貧民や少数民族の女性の人身売買が普通に行われており、外国(シンガポールなど)に移送される例も報道されているが、その問題でタイ国家が国際的な批判にさらされることはなぜかほとんどない。

アメリカがタイを批判しないのは、アメリカとタイとの特別の関係(下半身的な関係)によると思われる。 

タイと日本とでは伝統的な倫理観がまったく違う。倫理観がまったく違うということは文化がまったく違うということである。

伝統的な日本の感覚では、売春婦が客の子を生むようなことは恥だろう。ましてや毛唐客の子を生むなど死ぬほどの恥だったはずである。

日本のこの伝統的な感覚が変化したのは、いうまでもなく占領による。

現在、日本のポップカルチャーの一部(表層)やドラマがタイに受け入れられていることを安易に喜ぶ者がいる。

(最近読んだニュースでは、日本のドラマの海外輸出に関しては、台湾とタイ以外はほぼ絶望的だということだった。中韓は反日で駄目。その他のアジアも華人系が多いところは駄目。欧米ではさらに無理ということ。その理由はデーブスペクターによれば「欧米人は日本人を1時間見続けるのはつらい」からだそうである。インドネシアでも日本のドラマを香港や韓国のドラマと平行して放映していた。インドネシアは華人の力が弱い国。前回行ったとき「一リットルの涙」をやっていた。ただし香港、韓国などと不公平にならないように同じ時間だけ平等に放映するようだ)。

しかし、私にはそれが手放しで喜べることだとは思えない。

現代日本の文化にタイと共通するものがあるとすれば、それは戦後『白人に占領されて「女奴隷」にされた部分』から生じた「負の文化」だと思う。理念もなく倫理もない、毛唐の口マネをし毛唐にこびへつらう流れの部分に過ぎないと思う。

根底において、タイの「レンタルワイフ文化」と日本の「肉便器文化」とが共振しているだけといってもいい。

伝統的な日本の規範意識にタイと共通するようなものは一切ない。

「仏教がある」などという人がいるだろうが、日本の大乗仏教とタイ仏教(上座部仏教のタイ的な歪曲、タイ式小乗仏教)とはまったく別の宗教である。

今語られうる日本とタイとの文化の共通性なるものは、「白人に精神的に占領されたアジアの国」の負の文化なのであり、精神的なものを含む広い意味でのレンタルワイフ文化に由来するものである。

(白人に政治的に占領された、つまり植民地化されたアジアの国々は、却って精神面での独立性を維持することに意識的に努めていることが多いと思う。一方で、白人は現代になってアジア支配の戦略を政治的な支配から精神的占領へと変えてきているように思われる)。

日本にいる白人との混血者を見るとき、父親が白人なのか母親が白人なのかを区別することが大切である。それは政治的な力関係をも示している。タイの白人混血はほぼ100パーセント「父親が白人」である。このことが何を意味するかはいうまでもない。

 
このホテル「トーンペカ」は良いホテルだが英語がまったく通じない。(本人たちは話せると言い張っているがMakeはもとよりCleanの一言も通じない。Roomさえ通じていないかもしれない。Makeは結構難しい英語だった)。

それでも毛唐たちは来る。もちろん必ずタイ女奴隷の通訳を連れてである。

タイ人に英語がまったく通じないというときは、単に言葉が通じないということではない。タイ人には相手の言うことを理解しようという感覚がまったくない。

いったん言葉が通じないとなると一切相手を思いやろうとしなくなるのが彼らの特徴である。何度か書いてきたが、これがタイ人の性格である。

インドネシア人などには(地域にもよるがおおむね)いくら言葉が通じなくても相手の意向を理解しようという姿勢がある。タイ人の場合は、耳に入ってきて自分が自然に理解できること以外は一切受け付けようとしないというのが基本になっている。

言葉が通じないとなると相手の用件を一切斟酌しようとしない。言葉が通じなければ心も通じようがないという信念があるのかもしれないが、「何かしゃべっているのは何かいいたいことがあるからだろう、それを想像してみよう」という、われわれには普通に思える常識感覚が存在しない。

同じく言葉がまったく通じないジャワ人とタイ人とがいるとして、どちらが意思疎通しやすいかといえば、文句なくジャワ人だろう。

タイは全国に外国人旅行者・滞在者を誘致しているにもかかわらず、地方に住むような一般国民にはほとんどまったく英語を教育していない。英語力は日本人以下である。日本人なら、少なくとも簡単な英語を紙に書かれれば理解できるだろう。タイでそんなことをしてもますます理解不可能になるだけである。

このホテルのように、タイの田舎ではかなり立派なホテルで一言も英語が通じない。

それにもかかわらず多くの毛唐が来る。通訳兼女奴隷のレンタルワイフを連れて泊まりに来る。タイ人はそれが大歓迎である。

このことはすなわち、外国人はタイ国内を旅行するときはレンタルワイフを連れて旅行しろ、というタイ政府の意向だと理解していいのだろう。

タイに来たらまずしかるべきところでレンタルワイフを調達し、国内はそれを連れて旅行してくれ、それで救貧政策にもなるという、タイ国王の思し召しだということだ。

タイツーリズムが売春と不可分であることは否定のしようがないことである

13日。

ホテルの一階ロビーにパソコンが一台だけあり、インターネットに接続している。客が少ないこの宿ではほとんど自由に使うことができる。ウィンドウズXPのCDを使って日本語IMEを入れることができた。

午前中、インターネットをしていると土人売春婦連れの毛唐がチェックアウトして来た。フロントの黒い女の白人へのへらへらぶりはやはりここでもタイ猿である。

(写真1)

プラサートの学校の前にあるクメールの残骸。新しい煉瓦やセメントで補修しまくりで原形はまったくとどめていないが、ここにクメール文明が栄えていたことをしのばせるだけのもの。

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(写真2)

プラサートのコーヒー屋台のクメール女性。(コーヒー屋台といってもホットコーヒーはインスタントのみ)。

タイ国民だがタイ語は「少し」しかできないという。

いつもニコニコしていて飾らないが非常に色っぽい。ここにはいつも警察官が溜まっていていて。タダで飲み食いしていく。タイのお巡りはヤクザなので彼女はいつも大変な気の使いようだ。(タイは警察がヤクザを兼ねているため日本のような組織暴力団は存在しないようである。最大のマフィアは王室だが)。

しかし、この女性はお巡りに気を使いながらその分余計に私にも気を回してくれる。そういうところがタイ族との大きな違い。

写真ではただのおばさんだが、実物はたいへんな魅力、というより「呪縛力」を感じさせる女性。つかまったら地獄まで連れて行かれそうである。

クメール帝国はいまもこの土地の地下に息づいていることを感じさせる。

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2007年6月20日 (水)

パノム・ルン遺跡(Phanom Rung) プラコン・チャイ(Prakhon Chai)

6月16日。

朝ロビーに出ると今度はファランがネットを占領していた。

昨日はタイ猿のガキだった。金持ち大学生がアホ面下げて飯もホテルの庭のレストランから持ってこさせて5時間も6時間もインターネットゲームに熱中している。

正午ごろプラサートのバスターミナルへ行き、プラコンチャイを通るバスに乗る。

どんな町か日帰りでちょっと見てみようと思っただけである。以前パノム・ルンに行ったときに通ったはずだがまったく忘れてしまった(パノム・ルンもどんなだったか忘れた)。

バスは大型のエアコンバス。プラコンチャイまでは37キロ。30分ちょっとで着く。

プラコンチャイは何もないところ。

着いてみるとやはりパノムルン遺跡を見ておきたくなった。以前見たことがあるはずだが記憶から消えてしまっている。

プラコンチャイからパノムルン遺跡へはバイタクかソンテウしかない。ソンテウは乗り合いでなくタクシーという名目でバイタクよりも高い。法外な値段を吹きかけてくる。

タクシーだといっていても本当に自分一人だけしか乗せないか保証はない。途中でずるずると乗り合いになり料金だけは最初の言い値を払わなければならないということもありうる。

往復(待ち時間込み)300バーツのバイタクにする。これも最初は500バーツとか言っていた。

パノム・ルンPhanom Rungへは40分ぐらい。

Phanom=Phnomはクメール語で丘。プノンペンPhnom PenhのプノムPhnomも。

確かにこれは丘の上にある。

人家もないジャングルの中の坂道をずっと登っていく。空気は良い。

ジャングルといっても「熱帯のジャングル」のイメージではない。低木の林と藪。しかし日本の山道のようなすがすがしさがある。

  
パノムルンは小さい遺跡だが、いかにも観光地という感じ。

タイ国境カンボジア領のカオ・プレ・ヴィヘアとは雰囲気が違う。ほとんど補修で作り上げられたという感じだ。(カオ・プレ・ヴィヘアは記憶にある)。

タイのクメール遺跡はどこもそうだが、タイ人が好き勝手に補修してしまい、どこまでがオリジナルかわからないようになっていることが多い。

タイ人にとって大事なのはオリジナルを保存することでなく、「今の見栄え」である。

パノムルンはヒンドゥ遺跡のようである。仏教遺跡ではない。仏像はない。(仮にあったとしてもタイ族があとで付け足したものだろう)。ナーガの像はある。しかしこれも補修されているだろう。

なお、タイの歴史学、考古学はかなりトンデモな半島クオリティのようで、「シュリーヴィジャヤ仏教王国はタイにあった」と主張する学者もいるそうである。

古代の仏教国だからタイにあってほしい=タイにあった、ということ。

普通はシュリーヴィジャヤ王国はスマトラ島の現在のパレンバン付近にあったといわれている。

あるいは、シュリーヴィジャヤの位置がどこかはわからないが、とにかく「タイ」であったという主張かもしれない。だから、シュリーヴィジャヤのあったところまではタイは領土を主張する権利がある、仏教徒は現在イスラム教徒に占領されている元の仏教地域をレコンキスタする権利がある、クダーやクランタンなどとうぜんタイのもの・・・・というような意味合いなのかもしれない。

  
タイのこういう場所はやはり土人売春婦連れの毛唐が多い。

レッドネックバーの売春婦と契約同棲している毛唐がクメール遺跡を見て何の意味があるのか、売春婦をクメール遺跡に連れてくることにどういう意味があるのか、は、よくわからない。

とにかく行けるところには売春婦を連れて行って自分の勝利の踏み跡を残しておきたいという白人の犬のような本能からのようである。

土人売春婦連れ毛唐が、タイ人僧侶を菩提樹の木の前に3人立たせて写真を撮っていた。

立派な糞掃衣を着た僧侶がカネのために売春婦連れ毛唐にポーズを取る。

タイ坊主は売春婦と等価であるということだ。

その後も土人売春婦連れ毛唐がぞろぞろとやってくる。

  
タイ猿に占領されたクメール遺跡。各所ででたらめな修復が現在も進行中のようである。

若いタイ人グループがたくさんきていた。大学生のように見える。

タイ語を話しているが肌も白く中国人と変わらない。

神殿を見上げるのに一番いいところを占領して白痴なポーズをとって記念撮影している。白痴ポーズが終わるまでそれに付き合って待っていなければならなかった。

こういう場所で良い地点というのはちょっとした角度で決まる。いったん逃すともう戻れない。

2ちゃんねる「海外旅行」板などを見ると、ヨーロッパの小国のスレッドなどで、「美しい町並みなのにアジア人が目に付いてがっかり。美しい白人だけがいてほしい」などと臆面もなく書き込んでいる気違いがいる。

「お前がいちばん醜いだろうが、お前がまず消えろ、この世からナ」と言いたいところだが、観光地ではこれに似たようなことを感じることがあるのも事実。

クメール遺跡なら、ジャングルの中に忘れられた誰もいない廃墟か、伝統的なクメール人だけがいてほしいというような。

  
遺跡そのものよりも周囲の自然がよかった。

特に帰り(下り)の風景が美しいが、バイタクではほとんど目を開けていられない。タイのバイタクは運ちゃんはフルフェイスのヘルメット着用だが、客はメットなし。

周囲の風景を楽しみたい人は高くてもタクシー(ソンテウ)を借り切ったほうがいいかもしれない。高い場合には他の客を乗せないことをよく念押しする必要がある。

プラコンチャイのバスターミナルに戻ると、毛唐が上半身裸をさらしていた。毛唐はどこでも裸になる。写真を撮る。

エアコンバスでプラサートに戻る。

(写真)

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2007年5月15日 (火)

ハジャイ 鉄道駅 07年4月

4月21日、夕方6時過ぎにハジャイの駅に行ってみる。明日の夜行切符を買うつもりだった。応対した女職員は非常にタイ的で、感じが悪い。マレーシアのようなたんなる役人的無愛想ではない。タイの接客にはプラスアルファの嫌味がある。ネットリした膿を無理に飲まされているような感じがしてきわめて後味が悪くなる接し方。白人客だったら決してこういう接し方はしないだろうと思われる。有色人種旅行者を頭から見下すタイのスタンダードがひしひしと感じられる。

要するに窓口は6時に閉まったところだった。最初からそれだけ言えばいいのにハァ?ハァ?とタメが多い。 

Imgp3184_222日午前。あらためて鉄道駅に行く。翌日以降のチケットは、1階のチケット売り場ではなく2階のAdvance booking officeで買わなければならない。男の職員もネットリしている。

2階チケット売り場の姉ちゃんはさらっとして愛想もよく説明も親切だった。下の窓口にいるのは警察身分の役人で上にいる姉ちゃんはそうではないとか?

これまでバンコクのフアランポーン駅で地方都市に行くチケットを買う場合はたいてい翌日のチケットが買えた。ところが、今回は一週間近く先しかない。エアコン寝台の下のベッドはなかなか空いていない。結局28日夜のチケットを買う。夕方6時ごろ発で、翌朝10時半着という予定だが、もちろん1時間ぐらいずつ遅れるだろう。バンコクまで905バーツ。飛行機でいくのとあまり変わらないかもしれない。タイ滞在期限間近のバンコク到着となる。

昼のハジャイ駅構内は警戒が物々しい。あちこちに警官がいたが、尋問や手荷物調べはなかった。夜は汽車がないせいかほとんど警戒していないようだ。

チケットを買ってしまったあと思い直してみる。

この汽車に乗るとするとあと一週間近く無為にハジャイで過ごさなければならない。もっともその間にソンクラーでもパッタニでも行ってみてもいいが、短い期限付きの往復旅行をする気力が出ない。これは長旅の結果身についた怠惰な癖でもある。しかし実際むやみにうろつきたい気持ちにならない。

ハジャイは、とくによくもないが悪くもない。泊まっているホテルNew Worldもまずまず快適である。

2,3分考えて、やっぱりキャンセルすることにした。

汽車の日までハジャイ近辺で無為に過ごすよりは、ローカルバスで一週間かけてバンコクに向かったほうが良い。5月3日までにはどこか外国に出なければならない。同じ道をマレーシアに戻るのもつまらない。違う道(パッタニ経由)で戻るのは、この時期、テロが怖いより検問で不愉快な思いをさせられそうで嫌だ。そうすると、ミャンマーのマレー半島部か、カンボジアのポイペトが近い。南部のミャンマー国境には行ったことがない。ラノーンのところから出られるのだろうか。ミャンマー情勢はどうなっているかわからない。イミグレーションが第三国人に開いているかどうかも定かではない。

もう6時過ぎていたので翌日キャンセル。

23日。朝早く駅の2階オフィスに行き昨日と同じさっぱりした姉ちゃんにキャンセルしてもらう。キャンセル料は出発日の3日以前なので20パーセントだった。3日を過ぎると半額ぐらいになるようだ。720バーツほど戻ってくる。200バーツの損だが、この辺はへたくそなタイマッサージでも300バーツなので、まずまずである。移動中は安い宿に泊まる気になるかもしれない。

ナコーン・シー・タマラートへの行き方を聞く。汽車にはエアコンはなく、どうもバスのほうが早くて快適そうである。

どうしても「ナコーン・シー・タマラート」を「ナコーン・ラチャ・シーマ」(コラート)と言い間違えてしまう。コラートには何度か行ったことがある。

ホテルにはもう一泊して明日出ることにした。ホテルの若い感じの良い姉ちゃんにバスターミナルへの行き方を聞く。モトサイしかなく、30バーツだという。

ホテルの姉ちゃんもナコーン・シー・タマラートをナコーン・ラチャ・シーマと言い間違えていた。バンコク近辺出身なのかもしれない。

(07/4/22)

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ハジャイの風景 Haadyai 07年4月

2007年4月

「熱海?マッサージ」なる「マッサージ」店。

外を通っただけです。中には入っておりません。

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6512

(下) 
娯楽コンプレックスでもあるホテル。
堂々たるものである。
しかし、テロに狙われやすいのもこういうところ。特に役人や政治家が遊びに来てるときなど要注意。

C475


夜、売春クラブの前にたむろする売春婦たち。

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東南アジアでは「カラオケ」は売春施設の代名詞のようである。おそらく外人たちは「カラオケ好きな日本人」=「買春好きな日本人」と解釈しているだろう。

) 
ハジャイの街中の娯楽施設(売春用施設)の壁。
売春姉ちゃんの見本写真と、畏れ多くも国王陛下の写真とが対称に並んでいる
これは公然たる現実。タイ人自身が白昼堂々とやっていることであって、コラボではない。念のため。

F494

こういうことを容認しているだけでなく、誰も違和感も感じていないように見える。国民が日頃からそういう感覚でいながら、時に思い出したように不敬不敬と騒ぎ立てても説得力はない。

(2007/04/08)

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いまタイでグーグルYoutubeのページを開くと 07/4/8

 こういうポップアップが出て・・・

http://www.parliament.go.th/parcy/sapa_db/sapa_cons/popup.htm

こんな写真の画面が出る。

http://202.47.227.23/law.htm

ข่าวเด่นวันนี้

ศาสตราจารย์ ดร. สิทธิชัย โภไคยอุดม รัฐมนตรีว่าการกระทรวงเทคโนโลยีสารสนเทศและการสื่อสาร (ไอซีที) พร้อมด้วย นายซิคเว่ เบรคเก้ ประธานเจ้าหน้าที่บริหาร บริษัท โทเทิ่ล แอ็คเซ็ส คอมมูนิเคชั่น จำกัด (มหาชน) เข้าพบพล.อ. ...

อ่านต่อ...

それにしてもこの毛唐はなんだ。

1808_wab_6

(2007/04/08)

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2007年4月26日 (木)

【犯罪】 東南アジア某所にて 2007年4月26日撮影 [crime] White Sex Tourists in S.E.Asia [Tourism of Thailand]

 
コメントのしようがない。

これでもまだ「東南アジアで児童買春しているのはほとんど日本人」などと言い続けるつもりだろうか。それは自虐というよりむしろ「うぬぼれ」といったほうがいいくらいである。

Imgp3244

Imgp3245

いま東南アジアでこんなことをしている日本人はまずいないだろう。もちろん最近急に白人がこういうことをやり始めたのでないのは言うまでもない。

白昼堂々とこのざまである。この刺青したごろつきたちは「孤児と遊ぶボランティア」だとでもいうのだろうか。

東南アジアの児童買春は今なお非常に深刻である。かつて日本人などアジア系セックスツーリストが児童を買っていた「置屋」での児童買春の取り締りがすすみ、「子供を買っているのが白人ばかり」という状態になったことによって事態は却って深刻になっている、とさえいえるだろう。白人がやる悪事は有色人種の悪事と違い、マスメディアにさらされ強く批判されることが少ないからである。

被写体の「ココログ掲載」許可あり。

ウソだと思うなら本人たちに聞いてみればいい。

くだらない難癖つけてこないように。

づくづく思うのは、もしもこの海兵隊野郎がモンゴロイド系か黒人で、手を引かれて連れて行かれていく少女が白人だったとしたら、世の中どんな大騒ぎになっていたことだろうかということ。想像してみて。場所はヨーロッパの最貧国でもいい。

もしそのような現実があるとしたら世界中の白人メディアが殺到するだろうが、その前にただちに権力が動くだろうから(もしその国の権力が動かないときはアメリカのゲバルトが)、そのような現実がおびただしく展開するということはほとんど考えられない。

しかし、こういう(肌色逆の)写真一枚が流出したとしたらどんな大騒ぎになるか。そういう写真一枚で白人メディアは連日の狂騒を引き起こし、国際的な公的機関を動かすに十分だろう。

植民地主義時代以来の世界の枠組は今もなお健在である。

これらについて少し想像力を働かせてみれば、「人権」も、「女性の権利」も、フェミニズムも、「子供の人権」も、(子供の)「性的自由」も、なにもかも、これらのお題目は「白人の世界支配」という構造の中でのみ存在し機能しうる、白人イデオロギーに過ぎないということがわかるはずである。

http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2007/05/ranon_kaw_thaun_2b26.html

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2007年4月 9日 (月)

タイの人気掲示板サイト、当局指示で「板」閉鎖

タイの2ちゃんねるみたいなものなのでしょうか。しかし政府批判はもとより、白人の悪口もダメ、叩いていいのはラオス人、カンボジア人、ミャンマー人、山岳少数民族、モン・クメール・・・って感じか?

2007/4/ 8 (06:18)| ヘッドライン  政治

【タイ】タイ屈指の人気掲示板サイト、パンティップ・ドット・コム(PANTIP.COM)は7日夜、タイ情報通信技術(ICT)省の指示を受け、「ラーチャダムヌン(民主記念塔がある通り)」に関する掲示板を閉鎖すると発表した。また、全サイトが閉鎖される恐れがあるとして、サイト会員に対し、閉鎖した掲示板の話題を別の掲示板で論じないよう求めた。詳細は明らかにしていないが、掲示板で王室やクーデターへの言及があったもようだ。

 タイ軍事政権は昨年9月のクーデターで政権を奪取して以来、テレビ、ラジオを統制下に置き、ネットの検閲強化も進めている。非政府団体(NGO)のフリーダム・アゲンスト・センサーシップ・タイランド(FACT)によると、1月末時点でアクセスが遮断されていたウェブサイトは、ポルノやタクシン前首相関連など1万3000以上で、タクシン政権時代の5倍以上。4月からは「プミポン・タイ国王を侮辱する内容の動画が投稿された」として、動画投稿サイト、ユーチューブへのタイ国内からのアクセスが遮断された。

それにしてもこの毛唐はなんだ。

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2007年3月26日 (月)

絶句 マレーシアKL中華街で炉利・・・・!

これはひどすぎる。

まさかいくらなんでもと思い、しばらくそこに突っ立って見ていた。しかし、見てのとおりまわりは空席だらけ。この2人が偶々相席する理由は見当たらない。

女の子の「保護者」らしい人もこの男のほかには見当たらない。

テーブルの上に何もないのが変だが、白人はマクドナルドでも店員に注文を出して自分の席まで持ってこさせることがある(自分の国のマクドナルドでどうやってるかは知らないが)。このときレジ前にいた客は地元の若い女の子グループだけ。この少女の保護者らしい者は本当に見当たらなかった。

この2人は同席しているにもかかわらず、終始気まずそうだった。どう見ても実の娘には見えないだろう。

「養女」か?もしそうならそれもまたある「典型」を示し、問題を含むのだが・・・・。

白人による幼女援交事件が頻発している東南アジアで、ここまで疑わしい振る舞いをする以上、「無実」の立証責任はこの男のほうにあるだろう。

私はこの狭い店に入ってきて注文もせずしばらくそこにたって写真を撮り観察していたが、それを見ていたマクドナルド店員も私をとがめるような顔はせず、むしろ納得したような表情でこちらを見ていた。私の意図を理解しているように見えた。(レジはすぐ左にある。)

女の子のプライバシーについては悩むところだが、これは密室の盗撮ではない。マレーシアの首都クアラルンプールのど真ん中のマクドナルドで公然と行われていることなのである。

女の子のまなざしや所在なさそうなしぐさも見てもらわなければこの状況のリアリティはつかめないと思い、あえて公開することにした。

【写真】

http://ibrahim.blog49.fc2.com/blog-entry-116.html

http://journal-ibrahim.blogspot.com/2007/03/kl.html

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2006年12月22日 (金)

チパナスのラニちゃん

チパナスのラニちゃん。これもココログに載せられない写真。

http://kuantan.blog74.fc2.com/blog-entry-119.html

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こっちもよろしく。

http://ibrahim.blog49.fc2.com/blog-category-1.html

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バンドゥンの少女

ココログには載せられない写真

http://kuantan.blog74.fc2.com/blog-entry-118.html

この写真のデジカメの画像を見せたら、女の子は明らかにがっかりした表情を見せた。

実際、実物とはぜんぜん違う。こんなに汚くない。

ぜんぜんかわいくてピカピカと光っていた。

伝統舞踊の発表会でもあったらしい。

女の子はどんなに幼くても、おめかしをして晴れの場所に立つと、すっかり大人になってしまうようだ。

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2006年12月21日 (木)

バナナの花 チパナスで

バンドゥン近郊のチパナスで(たまたまチパナスで写真を撮ったというだけで、南方ではどこでも見られるもの)。

実るほど頭をたれる稲穂かな、というが、

バナナは、実りもしないのに頭下げっぱなし。

Imgp2898

紫色の花の根っこにちょこちょこっとついているのがバナナの実。

Imgp2891

バナナの花も野菜として生で食べられる。

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2006年10月20日 (金)

「白人専用の場所」をもっともっと作ってほしい

どの国にも白人しか入れない場所があると思うが、そのこと自体は悪いことではない。

それぞれの人種、民族、宗教的・文化的な集団が、自分たちだけでリラックスできる場所を持つということは、昔からずっと行われてきたことである。文化の継承という意味もあり、すべての人間の権利とさえ言える。

危険なのは、最近の白人諸国のリーダーの発言に見られるように、(キリスト教白人から見て)「特殊」の文化あるいは「普遍的でない」文化を持つこと自体にたいする嫌悪を公言し、「普遍的な現代の価値」つまり西洋白人キリスト教徒の価値を強要しようとする動きであると思う(これこれ)。

私の見るところ、(キリスト教)白人は、どこに行ってもこのような働きかけをやめようとしない人種のようである。白人の本能とも見えるこの「啓蒙」の衝動は、おそらくキリスト教の宣教主義を基礎とし、十字軍の遺伝子を継承したものなのだろう。

彼らは帝国主義時代に作っていた「白人コロニー」を否定する代わりに、今日では「グローバリズム」の名の下に、異人種の異教的な空間、エスニックな空間にためらわず飛び込んでいき、そこでも自己の「普遍的原理」を展開しようとする。

彼らが定式化した市場原理(「市場」自体は世界中どこにも昔からある)と帝国主義の遺産である共通言語である英語および英語によって伝えられる生活様式、美意識、価値観が「普遍的である」という思想を武器に、彼らは異教的空間の「特殊性」を踏みにじり、解体させ、彼らのシステムの中で消費できる流動性ある「資源」に変えていく。物質のみならず、文化や精神までもこのやり方で搾取するのである。

彼らは普遍性だけではなく「倫理的優位性」をもよりどころにして乗り込んできているのであるから、われわれはこの際、彼らに正面から「お願い」するほかないのかもしれない。

どうか分を知ってほしい。つまり、白人世界の原理は大変優れているかもしれないが、普遍的とは限らないことを認めるところまで譲歩してほしい、と。

そのかわりレストランでも公共施設でも、「白人専用の場所」、白人しか入れない場所を、アジアのいたるところにもっともっと作ってほしい

そして、白人はなるべくその空間にとどまるようにしてほしい。白人はその空間内では十分に満足できる待遇を受けられるようにし、それ以外の場所には出てこないようにしてほしい。

白人と有色人種」という区別は、白人自身が数百年かけてこの世界に打ち立ててきた、すでに客観的に存在する枠組である

彼ら白人は(自称リベラルに多いが)、このような区別自体を抽象的に批判することが多い。しかしそのような批判は却って、白人文明の普遍化に帰するほかはなく、今日の世界においては結局は白人を利するものでしかない。このような批判は多くの場合、(「白人」という区別を立てて)白人を批判する有色人種側の言論に対して、「それは(白人に対する)人種差別である」という反批判として表明される。

この本についてのアマゾンのカスタマーレビューも、幼稚なものだがその手の批判に属する(「白人(グローバル)スタンダード」という新たなる侵略 )。しかし言論を評価するときは、そのような言論によって現実に一番利益を受けることになるのは誰かというところに注目することが大事だろう。

「白人と有色人種」という区別を立てること自体を批判する者たちは、この区別を現実に強いてきた白人の歴史的行為を根底的に批判することは決してないのである。なぜなら、論理的には、「白人」という区別を立てること自体を禁じているのだから「白人の歴史的犯罪行為」という論自体が成り立たないからであり、本質的には、白人が現在、世界の隅々で白人ゆえに享受している多くの特権は今なお、この「歴史的犯罪行為」の土台の上に直接築かれているものだからである

この区別は現代の白人諸個人が好むと好まざるとにかかわらず、否応なく機能せざるを得ない。それはあたかも客観法則のように、アジアの白人がいる場所では、自動的に機能するのである。その機能の様態や程度はさまざまである。タイでは白人優先は王室崇拝の次に来る国是といえる。しかし、それ以外のアジアの国でも多かれ少なかれ白人と有色人種との扱いは異なる。

アジアの国々では白人がそこにいるだけで有色人種にとっては不快なことがあるのである。それには理由がある。

アジアのローカルな空間に白人が一人入って来るだけで、その場の空気は一変することが多い。2,3人の白人が常駐することで、その場所が完全に白人最優先の場所になってしまうことも決して珍しくない。

レストランでも旅行代理店でも公共施設でも、白人客と有色人種客とが同時にいれば、ホスト側は多かれ少なかれ必ず白人客を上客として扱うだろう。

このこと自体、有色人種客にとって屈辱であるが、ホスト側の人々もアジア人であるということから、2重の屈辱を感じることになる。つまり、アジア人客にとっては、アジア人ホストが醜く白人に媚びる行為を目の当たりにすることによって、アジア人がこの世界において白人に劣る2級市民と評価されているということを確認させられる屈辱が加わるのである。

このような意識の枠組は、残念ながらアジアに深く定着している。一朝一夕に人々の意識が変わるわけではない。かといってこのような状況を放置すれば、白人主導のグローバリズムの勢いに乗ってこの意識はさらに拡大再生産されることになるだろう。

この流れを少しでも抑制するために、アジア各地に白人専用の場所を増やしてほしい。そして白人には自己の「特殊性」を受け入れるところまで妥協してほしいと思う。「白人は優れているが、特殊である」ということを受け入れてほしいのである。

それは白人にとっても必ずしも困難なことではないはずである。彼らも本来は白人だけの空間を好む。それは良い。しかし同時に彼らは、「グローバリズム」や「平等」主義を盾に、もっともローカルな空間にも殴り込みをかけることを好む。そして、その場所にも白人流儀の「普遍的原理」がまかり通ることを要求する。これはヴァンダリズムというほかはない。一方、彼らは同時にその場所で白人に対する「特別の尊敬」が払われることも必ず要求する。これは身勝手というものである。

東南アジアの公共の場所で椅子に座っていたとき、白人のグループや家族連れがやってきて、真剣な顔で「退け」と指図されるということは、タイでもマレーシアでも何度か経験している。

先日ちょっとトラブルがあって警察にレポートを提出したときのこと、ロビーの長いすに私と中国系のマレーシア人たちが座っていると、日に焼けたクズなオランダ人の家族連れがどたどたと入ってきていきり立った顔でわれわれをにらみつけ、「どけ」と手で払うようなジェスチャーをしてわれわれに席を譲らせようとした。その後もこのオランダ人は当然のように列に割り込み、自分の苦情が先に受け付けられるのが当然だという態度であった。オランダ人のマナーは本当に中国人以下である。

彼ら白人にとっては白人以外は「白人に奉仕するための人間」としか見えないのである。

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この写真の中心に写っている後ろ姿の若い白人は、この中国食堂(コーヒーショップ)にいきなり入ってきてトイレだけ借りて平然と出て行った。店の中国人オヤジは奇声を上げて彼を歓迎しトイレに案内したのである。
Imgp2617





面白そうな本がいっぱい。

白人とは何か?―ホワイトネス・スタディーズ入門

侵略の世界史―この500年、白人は世界で何をしてきたか

「白人(グローバル)スタンダード」という新たなる侵略
   

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2006年10月18日 (水)

今日のHaze 10/18 クアラルンプル

新聞に載っているようなスモッグのすごさがはっきりわかる写真がなかなか撮れないが、今日あたりかなりひどかった。100メートルくらい先がややかすんでいる感じ。おもてに長くいると確かにのどをやられる。

インドネシアのスマトラ島とカリマンタン(ボルネオ)の野焼きが原因。KLあたりのHazeはスマトラ島から吹いてくるもの。

パサル・スニ駅のプラットフォームから。  Imgp2605

パンタイ・メディカル・センター(クリンチ)に行ったとき。(側溝に落ちたときの傷が治りきらず、まだ足の腫れが引かない。)Imgp2607

Imgp2613

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2006年10月10日 (火)

本日の毛唐 10/10 ラマダン中のKLで

ラマダン中であろうが葬式中であろうが、アジアに来る毛唐と、毛唐が引き連れてくるタイ土人売春婦にとっては関係のないことである。

食う、酒を浴びる、セックスする、寝る、糞をして水を流さない(なぜか毛唐は水洗の共同トイレで糞をしたあと流さずに平気で出てくることが多い。毛唐社会には水洗便所がないらしい)、身体を洗わない。これが白人ツーリストのすべてである。

(写真)
http://ibrahim.blog49.fc2.com/blog-entry-42.html

http://journal-ibrahim.blogspot.com/2006/10/1010.html

私はここのところあまり毛唐を見なかった。

ラマダン中でもあり、インドネシアから吹いてくるHazeもひどい。酒を飲むところも少なく、手ごろな女をつかまえるところもなく、薬もやれないマレーシアは、特にこの時期、毛唐にとってあまり面白くないところなのかと思っていた。

しかし、今日は毛唐をやたら多く見た。

白人は来るとなると集団でどっとやってくる

「個人主義」というプラカードを掲げて、あらゆる非白人を敵として踏みにじり、疫病を撒き散らしながら行軍する「武装したパックツアー」こそ白人市民社会の正体である。

「白人ツーリズム」こそ、白人市民社会の要約であり、現代の植民地主義の目に見える発現形態に他ならない。

デンマークのような人種主義国家に守られながら、世界中に配信されることを意識しつつ公然とマホメットの戯画を描くような行為によって、自分が「闘っている」かのように錯覚し、偉くなったように思い込んで快感に浸り、さらに酒を浴びバーでつかまえたばかりのタイ売春婦にI love youと囁きながら抱く(Ye-s,Ye-s,Ha,Ha,Ha,Ha,Ye--ssというのも多いが)、というのが毛唐の流儀である。

白人の「人権」主義、「ヒューマニズム」、「自由」とは、弱い相手に向かって、あるいは相手が抵抗できない状況で、立派な啖呵を大げさに切って見せ、非白人文化をを踏みにじり、破壊する快感に浸るということに他ならない。

「バンダリズム」こそ、白人の「自由」と「人権」の名実共なる故郷なのである。

中国系でさえ、ムスリムの前で飽食することを遠慮するこのマレーシアで、刺青をしたタイ土人売春婦をつれて道端に座り込み、イギタナクむさぼり食うのが毛唐。

白人ツーリストはやたらにジベタに座りたがる

乞食以外はめったに地べたに座らないここKLで、どうして毛唐は地べたに座りたがるのか。ちょっと不思議である。

毛唐の文化は地べたに座る文化だったのか?

おそらく、アジアで地べたに座っている毛唐は、地べたに座るのが「東洋的」だと思っているのだろう。

そして、彼らの思い込んだ「東洋」を親しげに見下す視点で、彼らは、彼らの思い込む「東洋」人の真似をして見せるのである。こういうことはタイで顕著である。これも毛唐ツーリズムに現れた毛唐のオリエンタリズムの一端なのである。

私は地べたに座っている毛唐は気づかずにつまずいたフリをして蹴飛ばすことにしている。

日本に来るカネさえないクズ白人=ほとんどの白人、にとっては、タイこそ東洋であり、タイさえ見てその便利さと限界と劣等性とをつかんでしまえば、彼らは東洋を理解したと思いこめるのである。

このあたりに、土人売春国家にして買春白人支援国家のチャンピオンであるタイを問題にすることの思想的な意味があるのだと思う。

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2006年9月29日 (金)

またカバンを買う/本日の毛唐・土人

またカバンを買ってしまった。KLCCの伊勢丹でデイパックをひとつ。250リンギくらいだった。

今回日本を出るとき、バッグを二つ持って出た。私は、重い荷物を入れるバックパックのほかにサブザックをひとつ持って行き、パスポートやおカネはほとんど入れて普段から持ち歩くという流儀。

(つまり、貴重品の分散所持はせず宿にも預けない=これをなくしたらもう終わりという覚悟=注意力を分散させないようにする=危なそうなところに近づくときは「カネやパスポートよりも命が大事だから」と自分に言い聞かせる)。

その普段持ち歩くサブザックが悩みの種である。

旅行を始めたころはショルダーバッグを襷がけにしていた。が、しょっちゅう身につけていると臭くなる(ような気がする)。見た目もいかにもツーリストという感じがしてださい。というような理由で、2,3年前からデイパックに変えた。

ショルダーバッグのほうがひったくられやすいという説もある。通りがかりのバイクに無理やりひったくられそうになり引きずりまわされて怪我をした事例もあるとか。

私はデイパックに貴重品を全部入れ、金目の物は何も入っていないように無造作に扱い、ぜんぜん気にしていないふりをしてレストランやコーヒーショップの隣の席にぞんざいに置いたりする。実際は大事なもの全部入っているのだが。

今回日本を出るときに、今まで使っていた一昨年KLで買ったサブザックをやめて、それを使い始めるまで使っていたサブザックを復帰させた。

なんかいつも使っているうちに臭くなったような気がしたからである。

復帰させたほうは日本で買ったもので、女性用のような生地でぺらぺらだがけっこう高かった。どちらかといえば実用よりもファッション重視のもの。

ところが再び使ってみると、これが使いにくい。なぜか肩からずり落ちやすい。小さすぎて物が入らない。物の出し入れがしにくい。地の肌触りが気に入らない・・・・。

それで結局、また新しいのを買うことになってしまった。そのためにKLCCへ出かける。

今回はスニーカーも持ってきたので、サンダルをスニーカーに履き替え、西友で買った3,000円弱の長袖シャツを着て、おしゃれして行く。

当地の気候には薄めの長袖シャツ一枚というのが一番良いかもしれない。冷房が効いている場所も多いし、電車などで汗ばんだ腕が触れ合うのは気持ちの悪いものである。また、男女を問わず肌を露出している毛唐ツーリストを見ると、とても無作法に感じるので、むやみに肌をさらさないほうがいいと思う。

模様替えしたパサルスニ駅 

ちょっと模様替えしただけで初めてのところに来たような感じがして、私は方向感覚を失う。

Imgp2431


白人のいる風景

本日の毛唐/本日の土人

ラマダン中は外道な毛唐もすこしはおとなしくしているだろうと思ったのだが、甘かった。KLCCで、あいかわらずタイ売春婦丸出し女を引き連れた毛唐を見る。

これ→http://ibrahim.blog49.fc2.com/blog-entry-39.html

http://journal-ibrahim.blogspot.com/

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2006年9月28日 (木)

クアラルンプルへ (ラマダン中)

日本往復チケットの帰路でKLに向かう。

チケットは1ヶ月のフィックスで、帰り(KL行き)の日程もいちおう決まっているが、リコンファームは必要(だと思う)。1週間前に東京のマレーシア航空支店に電話して確定させる。

午前7時13分日暮里発の京成スカイライナーで成田空港第2ビル(第2ターミナル)へ。1時間ほどで空港に着き、スムーズにチェックイン。

マレーシア航空機に乗る。日本人乗務員はさすがに全日空だけあって(?)ちゃんとしているが、マレーシア人スッチー(女性客質乗務員のこと)はつっけんどん。その差があまりにも対照的なので、同じ制服を着ていてもまったく違う世界の人間が一緒に働いているという印象を受ける。

それでも全体的に見て、タイ航空よりはまし(TGの男のクルーは特にひどい)。タイの差別接客にうんざりすると、つっけんどんで無愛想のほうがまだよく感じるようになる。

タイの人種差別接客は「花粉アレルギー」のようなもの。

最初のうちは、そんなものかなとかそういう国なんだろうと思ってそれほど気にしないでいられるが、自分の中で一定の容量を超えると、微量でも過敏な拒否反応を引き起こすようになる。

タイ式にうんざりして、マレーシア人のつっけんどんのほうがいいと思っていたが、日本から来るとやっぱり違和感がある。

日本人クルーとマレーシア人クルーとの波長が合っていない感じだった。どうみても、醸し出している雰囲気が違う。

マレーシア人クルーはインド系に近いの感じの人(もろインド人ではなかった)とマレー系のような人。しかし、民族衣装の制服も日本人スッチーのほうが似合っていた。

スッチー(女性客質乗務員)の制服は、マレー人のバティク衣装とチャイナドレスを折衷したようなデザイン。マレー人女性の着るクルタには普通はついていないスタンドカラーが中国風だと思った。

私の感じだが、マレーシア人スッチーは日本人スッチーをよく思っていないかもしれないという印象を受けた。

ANAとの共同運航便といっても、基本はマレーシア航空である。日本人スッチーだけが一生懸命にサービスを引っ張り上げている感じを受ける。声の出し方ひとつでも、そこに表れる心の使い方は違うと思う。

私は、日本の街で見かける日本人女性には、近頃ほとんど魅力を感じない。跡見女子大の元気な白人先生のような気分にさせられることがない。しかし、スッチーだけは日本人が好きなんだということがわかった。

飛行機はマレーシア時間午後4時半ごろ(日本時間5時半ごろ)クアラルンプルに着く。KLIA(クアラルンプル国際空港)からKLIAエクスプレスでKLセントラル駅まで行き、PUTRA-LRT(電車)に乗り換えてパサルスニへ。

ラマダン中のせいか、行きつけの中国人コーヒーショップも閑散としていた(コーヒーは一般に中国人の店のほうが味が濃く、あらかじめ混ぜてしまわないので甘さを調節できてよい。コンデンスミルクや砂糖はカップの底に沈んでいる)。この店の客はマレー人やインド人も多い。日暮れ前なのでムスリムはまだラマダン中のはず。

パサルスニ駅に近いレストラン・ハミーズ(Restoran Hameed's)は、ムスリムインド人の店だが、日暮れ前から開いていた。

この店は、何ヶ月もかけて徐々に安くなる。つまり、何ヶ月か通っているとちょっとづつ安くなる。

セルフサービスで盛り付けて勝手に食べ始めると、会計係の店員がテーブルの脇に来て盛った現物を見ながら値段を計算し、レシート(紙切れ)を皿の縁に挟んでいく。帰る時に自分でキャッシャーにその紙を持って行って支払いをするというシステム。

かつては4.5リンギだったこともあるものを同じ量盛っているのに今夜はたった3リンギ。ご飯にチキンカレーのチキン無し(スープだけ)と野菜一種類とテータリク。

いつも仏頂面で話さない会計係が、どこに行っていたと聞く。日本だというと嬉しそうにしてくれた。すぐに、日本の総理大臣が新しくなったね、と楽しそうに言ってくれた。

NEW STRAITS TIMESにはよく「日本軍が占領中にインド系を弾圧した」というネタが載るが、一般のインド系マレーシア人の日本に対するイメージは必ずしも悪くないと思う。新聞がそういうネタを載せるのは日本という敵を出汁にしてマレーシアの国民統合を図ろうという意図なのかもしれない。しかし、華人系にしてもマレーシア人が一番癪に触っているのは日本でもイギリスでもなく、豊かな隣人で「裏切り者」のシンガポールだろう。シンガポールのThe Straits Timesが反日を煽れば煽るほど、マレーシアは別の道を行こうという気持ちになるかもしれない。New Straits Timesはもとは同じ新聞。

ショッピングセンターも昼間は閉まっている(パサル・スニ駅近く。右がプラザワリサン)

追記:これはたんに早い時間だったので閉まっていただけだった。プラザワリサンはラマダン中も通常通り10時過ぎに開く。

Imgp2428

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2006年9月 6日 (水)

吉兆! ニシキヘビが妊娠したヒツジを丸呑み クアンタン マレーシア

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New Straits Times(マレーシア紙)

MORE THAN IT COULD CHEW...: This python seems to have bitten off, or in this case swallowed whole, more than it can chew. Having attacked and swallowed a pregnant ewe in Kampung Jabor, Kuantan at 8am yesterday, the six-metre reptile weighing 90kg was too laden to even move, making it easy for firemen to capture it. In a desperate bid to escape, the snake expelled the carcass of the ewe after it was brought back to the Gebeng fire station. However, it could not escape as it had been tied down. Picture 1 shows the 'full' python, the python regurgitating the ewe (2), and the carcass of the ewe after it was expelled (3). — NST pictures by Azmaidi Abidin.

動けなくなって消防に御用となった6メートルのニシキヘビ。

上から反時計回りに、①飲み込んで動けなくなった姿、②吐き出しているところ、③無事放出して秋の空のように清清しいさま。

(ロイターの写真)

2006090600000391reuentview000

予備
http://melaka-journal.blogspot.com/2006/09/blog-post_06.html

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2006年8月31日 (木)

東京

8月30日マレーシア時間午前11時発のマレーシア航空で成田へ。

生真面目に3時間前に空港に行ってみたがちょっと早かった。「ランダムチェック」なるものがあった、引っかかってるのは私のほか出稼ぎ風のアジア人旅行者ばかり。

ふらふらして出発ロビーに戻ると日本人だらけ。夏休みをこちらで過ごしたらしい学生がいっぱい居た。ビーチサンダルで飛行機に乗る女の子もちらほら。脛から上はわりとこざっぱりしているのだが。とはいえ私もテ―ヴァのサンダル。彼女たちは私の知らないマレーシア(ランカウイとか)を楽しんできたのだろう。

KLIA(クアラルンプル国際空港)は、東南アジアでは今のところ私の一番好きな場所かもしれない。新しくてなかなかキレイなところである。

KL中華街からは、パサルスニ駅から旧「プトラLRT」(現在はKelana Jaya Lineというらしい。ちなみに「スターLRT」は現在Sri Petaling Line)でKLセントラル駅へ行き、「KLIAエキスプレス」に乗るのが穏当な手段。プトラでNilaiまで行きバスに乗るとかの方法もあるが、タイ沈没組ならともかくマレーシアに来て飛行機に1000円ケチるのもあまり意味がないと思う。

そのKLIAエクスプレス(「京成スカイライナー」みたいなもの)のなかで最後の最後にこんなのを見せられる。

http://img130.imagevenue.com/img.php?image=54844_IMGP2390_122_530lo.JPG

http://img136.imagevenue.com/img.php?image=55213_IMGP2391_122_432lo.JPG

http://img131.imagevenue.com/img.php?image=55240_IMGP2392_122_316lo.JPG

http://img7.imagevenue.com/img.php?image=55258_IMGP2394_122_514lo.JPG

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最近マレーシアの新聞ではKLIAでの出発の遅延が話題になっていたが、飛行機はほぼ時間通りに出発する。マレーシア航空と全日空との共同運航便。

乗客の半分くらいは日本人のようだった。そのほか、インド系がわりと目立ち、マレー語の新聞を読んでいる客、髭のアラブ人客も居た。

エコノミーにスッチー(女性客室乗務員のことをいう)は4人。3人は日本人で、そのうちの2人はここ久しく見たことのない美人だった。

ところが、私の席のあたりには3人もいる日本人スッチーはぜんぜん回ってこない。来るのはマレー人スッチーだけ。しかも食事のときくらいしかこないので水も頼めない。マレー人によくあるガサガサ肌のねーちゃんだった。

マレーシアにしてもタイにしても、女性の肌がどうしてひどくやられているのか。食い物のせいなのか、食品の規制がゆるくて合成物質をたくさんとっているからかなど、いろいろ原因を考えてみたが、やっぱりいちばん大きいのは四季がないことではないかと思う。つまり年中似たような気温なので、同じストレスが肌にも年中加わっていることになる。

日本時間7時過ぎに成田に着く。8時ごろの京成スカイライナーで日暮里へ。

今回、東京の印象は良かった。電車などの独特の臭い(長年の酔っ払いとゲロの臭いが鉄に染み込んだような臭い)がちょっと残念ではある。マレーシアの都心や電車など歴史のない場所にはこういう臭いはない。

しかし何よりもやはり、きれいで便利な場所なのに白人がいないところがあること。これは東南アジアではほとんど考えられないことだと思う。東南アジアでは(シンガポールについては行ったことがないので知らないが)、きれいな場所、便利な場所では、程度の差はあれまずもって白人が一等の客である。便利でこぎれいな場所なのに白人を見かけないということはまずない。

東京はとても静かな都会だった。私鉄の最寄駅から10分以上歩く私の住所に近づくと、文字通り耳を圧する静寂にうろたえるほどである。私がこれまで旅で歩いた場所では体験したことのない感覚である。チベットにもネパールの山の中にもこの感覚はない。便利なところはどこもうるさくガサガサしていて人心も落ち着きがなくたいてい毛唐がのさばっている、静かなところは不便で危険である、というのが多くの国では普通ではないだろうか。

半年ぶりに自分の町に帰って、以前と同じ店が営業していて同じ店員が同じように働いていることにちょっと感動を覚える。タイではもちろん、マレーシアでも人の移動、店の廃業はもっと頻繁である。一ヶ月ほかを回って戻ってみたら自分のお気に入りの店や心安い店員が消えていてがっかりするということがよくあった。家の近くのコンビニに入ると昔からいるおばさんがまだいる。この人は10年も前からここにいて、苦手なのだ。テレビをつけると半年前と同じ芸能人が顔を並べていていた。

いつも逃げ出すような構えで日本を出るので、帰ってきたあとはいろいろと大変である。

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2006年8月28日 (月)

ソドミズム

私が今泊まっているKL中華街の中国系安ホテル「楽安酒店」は、形式はほぼタイの旅社とほぼ同じだが、清潔で一応門限もある(毛唐は平気で破って宿の人間をたたき起こすが)。この辺では比較的健全な宿である。エアコンホットシャワー付きで一泊50リンギとマレーシアの宿としては値段もお得。

その「楽安酒店」下の中国コーヒーショップで。朝、タイ人風のなよなよした男を連れた、目つきのギラギラしたタイファランそのものの男。タイで覚えたらしく箸を器用に使う。昨夜はこの宿に泊まったようだ。

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翌朝もまたいた。やっぱり「楽安」に二人で泊まったようだ。この毛唐は目つきがひどく悪い。私が写真を撮ったからではなく、最初に入ってきたときからだった。

日本でもそうだが、グループで固まっている白人ツーリストは自分たちの領域に侵入するアジア系ツーリストを敵意のこもった目でにらみ付けることがよくある。こいつもその目つきでしつこくにらみつけてくる。私がローカルでないことを敏感に察知したようである。ある人は白人のこの「にらみつけ」について、彼らがguiltyと感じているからそういう目つきになるのだと説明したが、この説明にはあまり説得力はないと思う。

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2006年8月20日 (日)

本日の毛唐 20 AUG 06 KL Malaysia

本日の毛唐/本日の土人

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白人メディアも認めざるを得ない「アジアでの英語教師職は性犯罪者の隠れ蓑」-AP通信(ジョンべネ事件)

[記事の概要]アジアの英語教師の世界は、旅行中に簡単に現金を稼ぎたいバックパッカーや海外での経験を作りたがっている新卒者、そして、何か隠し事があって絶えず動いている連中の、浮動的なネットワークである。

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機会と成功と同視されるこの言語を学びたい人が多い地域では、多くの国で、ネイティブの英語教師の需要が供給をはるかに上回る。

多くの英語学校では教師の転職率は高く、審査は最小限のものである。インチキの認定書を持ってくる者や、-このJohn Mark Karrのように-本国で教師を辞めさせられた者にも、アジア中で広く門戸を開き、彼らを教室に招き入れている。

10年前の事件のときに「ジョンベネと一緒にいた」ことを自供している容疑者Karrは、2001年以来ドイツ、オランダ、コスタリカで教師をしており、同年4月カリフォルニアで児童ポルノ所持で逮捕され6ヶ月の服役の後、姿を消した。

その後、Karrは、2002年に韓国で数ヶ月、2005年にホンジュラスで、そして今年6月、「厳しすぎる」という理由で解雇されるまで2週間、バンコクの一流の学校で教えていた

Convicted sex offenders from various countries have popped up in Asia as English teachers.

性犯罪の前科者たちが英語教師としてアジアにひょっこりやってくる。

"It's a very traditional paedophile strategy,""If you want to sexually abuse children what better job would there be."

これはたいへん伝統的な小児性愛者の戦略である。もしあなたが子供を性的虐待したいなら、これよりいい仕事があるだろうか。

犯歴のある外人教師が、ばれないようにするのは簡単である。前歴や素性に関する情報が国際的に共有されることは容易ではないからである。もっとも格式の高い英語学校でさえ審査は困難である。

とくにタイのような観光国家では、英語能力に対する需要が大きく、これが教師の欠員をすぐに埋めなければならないプレッシャーになっている。

アジアではニセの教師証明書も安く手に入る。仕事はいくらでもある。たとえば、昨年度日本では4500の外国語学校があり14000人近い教師がいた。韓国では12000のネイティブスピーカーが私立学校で教えている。

(ニセでもOK仕事はいくらでもあるときて、いきなり日本の数字が挙げられている。いずれ、日本の女が英語教師名目の白人性奴隷を買いあさり虐待している、とか批判されそう。その通りなら仕方がないが・・・・)

世界中の国の学校がネットで求人広告を出しており、教師たちが、仕事を見つける前に短期で働き、すぐに次の仕事に移ることが容易になっている。これが逃亡中の性犯罪者のための完璧な隠れ蓑をセックスツーリズムで悪名高い地域に提供している。・・・・・・・・・・・

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こんなことはいまさらくどくどというまでもないこと。

中卒のオーストラリア人でも白人でさえあれば英語教師の口はすぐに見つかると思う。オランダ人、ドイツ人や北欧人でも英語が話せればOKではないだろうか。しかし、アジア系や黒人だったらアメリカの一流大学を出ていてもタイの民間語学学校で英語教師の仕事はまず無理だろう。

現在大量の一般白人ツーリストたちがタイを中心とする白人セックスツーリズムセンターにおしよせいるにもかかわらず彼らがそこで何も見ていないということはありえない。

みんな十分知っているはずなのに、白人メディアは、Karrの事件のような言ってみればくだらない「失踪白人女性症候群」的な騒ぎがおきて初めて教科書的な能書きを披瀝している。

この記事に出てくる白人NGOなども、東南アジアなど行ったことのない人間向けのお上品な言い訳の仕事をしているに過ぎない。

白人はただセックスバカンスにいそしんでいるだけでなく、チャイルドセックスツーリズムを憂いているんです、というところだが、日本人などが何かしたときの彼らの反応に見られるような高飛車な非難の態度はまったくなく、ひたすら「憂う」のみ。

今回は「英語教師」がターゲットなので、白人は逃げられない。アジアの「英語」産業が、名だたる人種主義産業、白人至上主義産業であることは言うまでもない。白人もアジア人もみんな知っていることである。

必要もないのに「英語」を勉強したがることは、かっこ悪いだけでなく、実害を生んでいるという認識を、日本人はもっと持つ必要がある。

私は以前、日本など東アジアでの英語教師を目指す(イギリス)人向けの指南書みたいな本をチラッと見たことがる。前書きで、金額まで挙げて「日本でビジネスマンとちょっとおしゃべりするだけでこんなに儲かるのだ。これをやらない理由があろうか。これは不道徳だろうか。いや、そうではない・・・・日本人はとてもhumbleな人たちである・・・・」みたいなことが、くどくど書いてあった。そこしか読まなかったのだが、しんそこ日本人をなめきった内容だった。humbleというのは卑屈とか卑しいという意味だと思った。こういうのを読んだ人間が英語教師として日本などに来るのである。

「教師はみんな外国人」なんて広告を出している学校には特に注意すべきだと思う。正常な感覚の人間が聞けばただでもいかがわしく感じるセリフだが、性犯罪者をかくまいかねない社会的にも有害な施設であるといえるだろう。

こういう学校は、間接的にであれ白人セックスツーリズムを激励し、白人による児童買春ツーリズムにも寄与しているのだということが、今回の事件でますます公になってきたといえる。

小学校で英語を教えるそうだが、これにも反対である。福沢諭吉は25歳から覚えたそうである。戦前の知識人は、ほとんど読本だけで英語を学んだが、英語もほかの外国語もよく使いこなした。読めない外国語がまともに話せるわけがなく、読めるようになれば英会話など習わなくても話せるようになる。

よく言われるとおり、内容のない話をぺらぺらしても軽蔑されるだけである。英語をぺらぺらしゃべって尊敬されるのは、後進国の情けない連中にだけである。尊敬というより羨望で、あなたの英語が彼らから見て上手すぎればだだちに嫉妬に変わり、白人を巻き込んだ返り討ちにあうだろう。

そういうかわいそうな国では、白人ツーリズムが産業の重要部分であり、「英語を話せること」がすなわち「学問」であり「教養」なのである。

彼らはそれ以外の「教養」の定義についてほとんど思いをめぐらせたことがない。国が発展するということの意味も考えたことがなく、自国が事実上の乞食国家であるという自覚もない。

つまり、小学校で英会話を教えましょうというのは、それらしい英語をしゃべるタイの白人バーの売春婦みたいな子供をたくさん養成しましょう、ということにほかならない

とくに白人の英会話インストラクターを大量に採用するようなことは、現実問題として、日本に大量の白人ぺドフィリアを引き入れるというのとほぼ同義である。白人NGO団体も性犯罪者をスクリーンのしようがないと認めているのである。

白人男が、キャリアにもならず大してカネにもならない日本での英会話教師などを志願するのは、女以外の目的はまずないだろう。しかも白人男にとってアジアの幼女というのは格別に魅力的なものらしい。

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前記事:

「ジョンベネちゃん」殺害容疑のアメリカ人「教師」、バンコクで逮捕

関連記事:

若者への「性的いたずら」でタイから追放されるアメリカ人英語教師【NST】

オーストラリア人英語教師が児童買春・児童ポルノ作成で逮捕される ジャカルタ インドネシア

(06/08/20)

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2006年8月18日 (金)

「ジョンベネちゃん」殺害容疑のアメリカ人「教師」、バンコクで逮捕

容疑者は、この2年間に5回もタイに来ていたことがわかった。

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タイ入管警察によれば、バンコクで逮捕された41歳のアメリカ人「教師」、John Mark Karr容疑者は、水曜日にバンコク市内のアパートで逮捕されたあと、女の子を殺したことを警察官に自供したが、必要な調書を書くのは拒んでいるという。

「ジョンベネちゃんが死んだときに一緒にいた」が「事故だった」とも言っているらしい。しかし、「無実なのか」と聞かれると「ノー」と答えるという。

タイ警察によれば、Karrは6月6日マレーシアのペナンからの飛行機でバンコクのドンムアン空港に到着。「教師」の仕事を探していた。

タイで実際に「教師」の仕事に就いたかどうかは定かでないという。

この逮捕の法的な根拠はやや曖昧なようである。

タイ警察は、8月11日にアメリカ当局からKarrに対する逮捕状が出たという知らせがあり、水曜日に逮捕状が送られてきたので逮捕したとしている。

これに対して、複数のアメリカ連邦警察当局者は、匿名を条件に、容疑者がKarrであることは認めたが、彼はいまバンコクで、これとは別のセックス犯罪の容疑で逮捕されているのだと言っている。

しかしながら、タイ警察は容疑者はタイでは何の犯罪も犯していないとしている。

これはどういうことだろう。

もし、アメリカの言い分が正しいとすると、容疑者はタイでも何かおぞましい犯罪をしていたが、タイとしてはどうせ追放するのだしアメリカに引き渡して一件落着させたいが、しかし、タイでも性犯罪をしていたということになるとその件でも逮捕しなければならず、アメリカの要求に応じてすぐに引き渡すというわけにも行かなくなり、容疑者をめぐる法律関係が複雑になって、国家主権の問題も絡んできて厄介なことになるからもみ消した、ということなのだろうか。

タイの言い分が正しいとすると、アメリカの連邦警察は、すでにタイの主権を侵すような捜査活動をタイ国内でやっていて、この一件は実質的にはアメリカの警察による捜査であり逮捕だったのだが、土人感覚のタイ当局がいくら平気だとしても、アメリカとしては国際社会も見ていることだし、なるべく隠蔽しておきたいということなのかもしれない。

東南アジアにいる白人「教師」たちはほとんど性犯罪者の集まりのようである。日本でもそうかもしれないが。

若者への「性的いたずら」でタイから追放されるアメリカ人英語教師【NST】

オーストラリア人英語教師が児童買春・児童ポルノ作成で逮捕される ジャカルタ インドネシア

2,3年前には、チェンマイの大学の白人先生が、ホテル「スリ・トーキョー」で売春婦相手にバイアグラセックスをして腹上死した事件があった。

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2006年8月16日 (水)

本日の毛唐 16 AUG 06 KL Malaysia

クアラルンプルPasar Seni駅前のRestoran Hameed'sで。この数ヶ月毎日2食、インド料理屋のカレーを食べて飽きない私だが、こういうのがいると本当に飯がまずくなる。

汚い土人女をどこにでも持ち込むゴロツキ毛唐。

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女も容赦する必要はない。自らすすんで毛唐の女奴隷になり、土人売春文化(=戦勝白人文化)の害毒をイスラム国にまで撒き散らしているのである。

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2006年8月11日 (金)

超自然的なものの展覧会(The Exhibition of the Ghosts, Genies and Coffins) スルタン・シャー・アラーム博物館 マレーシア

ブログで紹介しようと思って写真を撮ったまま忘れていた記事。マレーシア紙NEW STRAITS TIMES、7月6日。日本ではまず報道されない重大な内容を含む記事です。

7月4日から、マレーシア、スランゴール州シャー・アラームShah Alamの”The Sultan Alam Shah Musium”で現在開催されている、「幽霊と魔物と棺の展覧会」(”The Exhibition of the Ghosts, Genies and Coffins”)が盛況を博しています。 この展示は10月4日まで開かれます。

一番人気はこの写真にある人魚のような生き物ですが、重要なことはこの写真に出ている人魚のようなものが、ミイラではなく、まだ生きているということ

この展覧会は開会後、多くの論争を巻き起こしてもいます。贋物だという批判のほかに、「非イスラム的だ」という強い批判があります。贋物とい批判に対しては、アメリカのオーランドとフロリダからの科学者チームによる標本の分析が予定されています。

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(The Exhibition of the Ghosts, Genies and Coffins at the Sultan Alam Shah Musium)

ここに展示されている展示物はすべて、私的な博物館を運営している「宗教教師」であるSufuan Abu Bakarという人の私有物です。「宗教教師」といっても、ただのイスラム法学者ではないようで、sufiと記事にあるので「スーフィー」のようです。(なおイスラム教では、建前上は、プロの「聖職者」つまり神官や僧や神父や牧師というのはいないようで、基本的にはイスラム法の「法学教師」だけです。)

このスフアン・アブ・バカール氏によれば、「すべての展示はX線検査とDNA検査がしてあり、それらには人間の骨と血が含まれていることがわかった」

"All the exhibits from the collections have been X-rayed and sent for DNA testing, and we found they contained human bone and blood..."

ということです。

彼によれば、これらの生き物の多くは人々の邪魔をしていたので捕まえられたものですが、近隣諸国から得たものもあるということ。(近隣諸国のひとつとしてカンボジアがあがっていました。)

"...The sufi master said that many of the toyols(genies) and jenglots were captured because they were disturbing people, while other exhibits were obtained from neighbouring countries."

そして、展示されているこれらの生き物は生きており、ただし、その霊魂は「停止」させられているか、スフアン氏によって物理的に「ロック」されているということ。

"Sufuan said the creatures on display are actually alive but their spirits are held in abeyance or locked in the physical form by him. 'I have the ability to control them.'"

霊魂が停止させられていることと物理的に鍵をかけられて動けなくされているということとの違いが難しいところですが、とにかく彼は、「それらの霊魂をコントロールすることができる」ということです。

つまりこの人は、ただ珍しい生き物のミイラを集めている人ではなく、それらの霊魂をも集めている人、ということになると思います。

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2006年8月 4日 (金)

今日の毛唐 4 AUG 06 KL Malaysia

本日の毛唐/本日の土人。

これを撮った直前こいつらは股間をこすりつける感じでべちょーッときたならしく抱きあっていた(女の腹がぶよぶよな上に男の股間の高さだったので特にそう見えたのかもしれない)。ここでは法律に反する行為である。

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非ムスリムでも公然ふしだらな行為をすれば警察に捕まることがある。

中国系カップルが引っ張られた例:公共の場所でのキスは違法 マレーシア

白人たちはアジアで土人ゴッコをすることに、「陋習(=ローカル文化)を破る十字軍的英雄主義」を感じているのかもしれない。

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2006年8月 1日 (火)

"The Sleeping Dictionary"(セックスする辞書) マレーシアの映画

なんとも情けない話である。

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イギリスの植民地になった国々は、旧宗主国に対する尊崇の念が自己のアイデンティティの一部になっていることは確かなようだ。(準植民地だったネパールでもそうだし、ミャンマーでもアメリカは嫌われているのにイギリスはそれほどでもない。)

イギリスの場合は「植民地経営」と呼ばれたりするが、日本の場合は必ず「植民地支配」と呼ばれるのは納得がいかないが、長く支配した者の勝ちという教訓だろう。

植民地支配は、十分な実力を背景に容赦なくやること、被支配者を人間と思わないこと(言葉らしいものをしゃべる猿と人間との中間的な存在ぐらいにみなすこと)、被支配者同士を戦わせ争わせること、支配者の言語を複数の被支配者の共通語にすること、そして、とにかく長く支配を維持することが重要であるようだ。

他者をモノとみなすこと、あるいは本当に見下すことは、日本で思われているほど簡単なことではない。これは訓練を要する心の技術であり、少年時代からの教育と修練が必要である。

本題。

"The Sleeping Dictionary"という映画がマレーシアのテレビで放送されるらしい。

ここで"Sleeping Dictionary"というのは、「引かないで眠ったままになっている辞書」のことかと思いきや、そうではなかった。sleepを英和辞典で引くと・・・「((略式))(異性と)寝る((together/with ...)). ▼「性交する」の婉曲(えんきょく)表現」とある。

サラワク(現在マレーシア領のボルネオ島の一部)の"Sleeping Dictionary"とは、イギリス人の植民地役人にあてがわれた、「寝床の辞書代わり」つまり「現地語教材かつ召使を兼ねた性処理用の土人女」のこと。

つまり「イギリス人殖民役人に寝物語で現地語を教える女奴隷という意味である。

そしてこの物語は、高邁な精神を持つイギリス人役人が、あてがわれた土人売春婦とヤってるうちに愛が生まれたという世にもまれなる御伽噺のようである。

また、イギリス人に女をあてがったのは地元の土人側が勝手にしたことで、土人の未開な悪習からそうしただけであって、イギリス側が求めたわけではないという立派な結構にもなっている。

forbidden loveとあるのは、「土人側にはよくても文明国のイギリスからは禁じられた関係だった」という、まことによくできたお話である。

なお、この女の出身母体である土人は、サラワクの非ムスリムのIban族ということになっている。

あるツーリストは「ボルネオはタイの次に白人崇拝がひどかった」といっていたが、マレーシアの「土人売春国家」的な面が、非ムスリム少数民族との関係で噴出するということだろうか。

マレーシアも、ムスリムの少ないボルネオでは白人向け土人売春ツーリズム・レンタルワイフツーリズムを、タイ並みに振興したいのかもしれない。

なお、サラワクは、Brookeという白人のゴロツキが私的に占領して「白人王」(White Raja)を名乗っていたという歴史のある土地でもある。

誰か志のある人が、大川周明の「英国東亜侵略史」でも英訳して七つの海の国々に配布してくれると良いと思う。

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(記事全文 NEW STRAITS TIMES, AUGUST 1, 2006 より)

A tale of forbidden love     By Hizreen Kamal

Set in the 1930s in Malaysia's rainforests, The Sleeping Dictionary tells the story of the tempestuous and forbidden love affair between a young, idealistic Englishman and a beautiful Iban tribeswoman.

When John Truscott (Played by Hugh Dance) takes up a job in the British colonial outpost of Sarawak to "civilise" the Malaysian natives, he is taken aback when he is presented with a native servant Selima (played by Jessica Alba) as his "sleeping dictionary", a local term used for women given to settlers to teach them the local language as well as sleep with them.

Although this unorthodox practice is a readily accepted custome in the local comunity, the pair is monitored closely by Governor Bullard - John's crusty superior - and Bullard's wife Aggie (played by Brenda Blethyn) to ensure that no romantic attachments result from the liaison. 土人側には喜んで受け入れられた習慣だったが、イギリス植民当局は渋い顔をしただと。ただの肉便器辞書女の関係なら良いが、「恋愛」に発展するのはまずいと。)

John and Selima soon fall passionately and openly in love. (普通は同国人の素人娘でも簡単にやれてしまうと急速にさめてしまうのが男の性だと思うが・・・・・確かに、通常の恋愛とはまったく異質の「南国コロニーでの女奴隷遊び」という「特別な分野」に夢中になる白人は今も少なくないようである)

The colonial authorities and the native population soon turn against the lovers, setting off a chain of events that test their resolve to the limit. (ローカルに受け入れられたのは「肉便器関係」だけであって「恋愛」ではなかったと。)

Filmed in Malaysia, the bettersweet love story directed by Guy Jenkin boasts spectacular cinematography, featuring the lush rainforests of Sarawak and rich colours of the exotic 1930s (including architecture and traditional custumes).

The Sleeping Dictionary premieres on Asian television on Aug 27 at 10pm (Cinemax, Astro Channel 41).

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サラワク原住民Iban族の野蛮性を良く表現した映画であるといえる。ぜひとも「野蛮」の存在を確認し、野蛮の中に神秘的な美を見出すとともに、それによって自己を確認したい白人にとっては垂涎の物語であるということになるのだろう。(「野蛮」の問題については、「白人はなぜ白人か」で説明)

はっきりいって、こういう白人に媚びた土人オリエンタリズムは迷惑である。

これを見た毛唐は「ああ、アジアはやっぱりそういうところか。そうかそうか」と納得して喜ぶだろう。サラワクへの土人買春白人ツーリストが増えることは間違いない。

「非ムスリムのアジア・土人のアジアは、白人にとって都合のいい便利な所だ」という白人ツーリズム振興目的の宣伝は、ムスリムのマレー人のプライドは一向に傷つけない。ネイティブ(土人)でない移民系にも関係ない。だからマレーシアでこういう映画が抵抗なくまかり通ることになるのだろう。

なにより"The Sleeping Dictionary"というタイトルが下品というほかない。

いっそのこと日本も「肉便器」というタイトルの映画を作って、「アジア女にカネ使うなんて、よっぽどもてない不細工な白人なんだろうね」というキャンペーンをはってみたらどうだろう。

"Sleeping Dictionary" 再考
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/08/sleeping_dictio_51bf.html

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2006年7月31日 (月)

今日の毛唐 31 JUL 06 KL, Malaysia

本日の毛唐。ほんとにxUxU好きなのかも。

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2006年7月26日 (水)

三つ穴コンセントの対処法

次のようなコンセントには困難が伴う。

このタイプのコンセントは普段閉じている。だから、他の国で使えるプラグを下の穴二つに押し込もうとしても入らない。Imgp1957 上の穴・第三の目・が開いたときのみに(何かを差し込まれたときにのみ)下の二つの穴も開くという仕組みになっている。実際に電気が来ているのは下の穴二つだけのようである。

マレーシアでは、マーケットで次のような器具を買ってきてはめることが多いようである。 この器具を発明した人は、この発明でベンチャービジネスを起こして大変有名になったそうである。松下幸之助の二股ソケットに勝るとも劣らない発明といえよう。
Imgp0562_1Imgp0564

したがって、タイなどで使う240用のプラグをマレーシアで使うときには次のようになる。
Imgp0566








しかし、このようにしてもできる。
Imgp1967 要するに、上の穴は入るものなら何でも良いようである。







日本の量販店には次のような優れものも売っている。どの様式にも対応できるというもの。Imgp0567









分解すると、
Imgp1955 Imgp1960

上の左側の写真の白い足が上の穴に入るようになっている。
Imgp1956 Imgp1958

下にも入れて出来上がり。
Imgp1959_1 Imgp1961

USBプラグで充電するものを使う場合。次のようなのを日本で買う。日本の量販店の小僧は、「海外でもパソコンで充電できるからこんなものはいらない」などと寝ぼけたことをいってた。
Imgp1962

Imgp1963 Imgp1965

もちろん、これらの器具は変圧器ではないから、本体が240ボルトに対応できる製品でなければならない。

上に写っている携帯用音楽再生装置iriverは100ボルト専用なので200ボルトの国では充電できないはずであるが、私の買ったのはたまたま電気に強かったようである。

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今日の毛唐 26 JUL 06 KL, MALAYSIA

本日の毛唐/本日の土人。屋台で買ったパックを持ち歩いて食いながら歩く女。

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2006年7月25日 (火)

"2Channel"が「ザ・タイムス」で紹介されている?!

Imgp2257 マレーシア紙NEW STRAITS TIMESが「ザ・タイムス」から引いてきた日本の「女性専用」トレンドに関する記事。

「女性専用車両」に関しては、日本のテレビで、インタビューを受けた在日イギリス人が「イギリスではそんなこと(チカンなど)はありえない!」と断言して「日本人の野蛮さ」を嘆いていたのを私ははっきり覚えている。

Imgp2255 そういうたわごとを垂れ流す日本のマスコミが、日本人の毛唐幻想を再生産しているのだろう。

もっとも、その在日イギリス人の言いたかったことは、
「白人世界ではただ触るだけや見せるだけのチカンなどはバカバカしい。どうせそこまでやるなら強姦すべきだ」
と言う意味だったのかもしれない。彼らには「痴漢電車」のような奥ゆかしい風俗は理解できない。

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「シングルセックスレストランの登場は、この国最大のインターネットチャットルームである2Channelに空前の怒りの嵐を引き起こしている・・・・・」

2ちゃんねるを見ていないのでわかりませんが、「前例のない」ほどの怒りの嵐というのは最低サーバーが落ちるほどのということになると思うが、そこまで行っていないとすれば、その程度の怒りの嵐はほかのネタで何度もあったのではないかと想像する。

(写真はNEW STRAITS TIMES 25 JULY 2006

 

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【写真】メダン スマトラ島 インドネシア

メダン(Medan,スマトラ島) インドネシア

白人のいる風景 メダン MARCH 2006 MEDAN(土人売春婦連れ毛唐写真)

メダンの夜。

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マスジッド
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廃墟。

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警官。やたら貫禄がある。この写真を撮ったら右の警官が敏感に気づいて寄ってきた。写真を見せておべんちゃらを言ったら放免された。
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「カトマンズ以下的」な歩道橋。
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コーヒー。粉と砂糖をコップに入れてお湯をかけただけ。
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レストラン。
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飯を食べているとよってくる猫。
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静物。
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2006年7月24日 (月)

【写真】シャー・アラーム  スランゴール州 マレーシア

シャー・アラーム(Shah Alam)  マレーシア

シャー・アラームはスランゴール州の州都。見るものはマスジッドだけのモダーンな町。

町の様子。
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マスジッド

世界一高いミナレットだという。

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【写真】バンダ・アチェ マスジッド

バンダ・アチェ(Banda Aceh,スマトラ島)  インドネシア

バンダ・アチェのマスジッド。

ミナレットは津波で破損していたが、大変な荘厳さだった。

マスジッド内部。
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津波があたった?部分を修理中のミナレット。

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2006年7月23日 (日)

【写真】バンダ・アチェ マーケット

バンダ・アチェ(Banda Aceh,スマトラ島)  インドネシア

ホテルPrapatやメダン・ホテルの前のマーケット。

このあたりでも100人くらい死んだというが、今は普通の生活。

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Imgp0947Imgp0974マーケットの近くの時計塔           インターネット屋Imgp0948Imgp0949

ムスリムの女性には珍しく、写真を撮らせてくれた。

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真夜中の無人の街路を走り回る女の子。

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ストリートチルドレンではない。ストリートチルドレンは見なかった。路上に寝ているホームレスもいない。乞食もあまりいない。この子は人目を避けておしっこをしに行って走って帰るところだった。

その後マーケットで同じ女の子が寄ってきた。近くに両親が働いているので物乞いではない。私が女の子にもてることがわかる証拠である。

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コーヒーを淹れる兄ちゃん。

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マーケット夜景
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「イスカンダル」は人の名前だとか。
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メダンホテルとホテルPrapat
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銀行のATMも深夜までやっている。
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マーケットの地面に貝殻が目立つのは、もともとだろうか。それとも津波のせいか。
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バンダアチェのすばらしいコーヒー。みんな深夜までマーケットでこのコーヒーを飲んでいる。
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もう一杯。
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未検閲記事:http://ibrahim.blog.shinobi.jp/Entry/25/

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ローカルネット屋に土人女を抱え込んで入ってきたゴロツキ毛唐【Fuck off!Rednecks!KL,Malaysia】

シャツの前をはだけて土人抱え込みでネット屋に乗り込んでくる毛唐。クアラルンプルの中華街で。

このネット屋は地元の子供たちがよく遊びに来るところ。毛唐がよくやるように、二人でパソコン一台占領すること自体ここでは珍しい。

こういう奴があまり来ないからこの店を利用していたのだが・・・・・

毛唐がアジアの公の場所でこの種の振る舞いを堂々とする以上、写真を撮られて即時にネットで流されても当然である、というのがこのブログの立場である。したがって当ブログは、このようなケースに関しては、他人の写真を撮ることについての道義的な批判は一切受け付けない。

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http://img13.imagevenue.com/img.php?image=98341_IMGP2240_122_354lo.jpg

http://img23.imagevenue.com/img.php?image=98990_IMGP2241_122_512lo.jpg

中国系マレーシア人カップルがKLCCの公園でキスをすると逮捕されるのに、子供たちがゲームを楽しむネット屋に、シャツをはだけて胸を見せたゴロツキ毛唐オヤジが売春婦を抱きかかえて乗り込んでくるような振る舞いが放任されているというのは、実に解せないことである。

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上の写真を撮ってから移動した先の白人ネット屋で、またまた土人売春婦連れスキンヘッド毛唐に遭遇。なぜ売春婦と断定して良いのかについては、このブログで再三書いてきた通り。KLも中華街は腐敗している。

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未検閲記事:
http://ibrahim.blog49.fc2.com/blog-entry-9.html
http://journal-ibrahim.blogspot.com/2006/09/fuck-offrednecksklmalaysia_03.html

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【写真】バンダ・アチェ 船

バンダ・アチェ(Banda Aceh,スマトラ島)  インドネシア

立派な船が陸上に鎮座しているのは奇観である。

海辺でもなく、かなり奥まったところに大きな船が乗り上げている。

当然ながら、地元の観光名所にもなっていた。

建物の2階を圧し潰して乗り上がったままになっている船や、建物に突き刺さったような形になっているものもあった。

私が撮ったのはごく一部で、大小の船があちこちで座礁したままになっていた。いうまでもなく、すべて津波がもってきたものである。

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この船は美しかった。Imgp0980

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この船は小さいが姿勢がよい。
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これもよく乗っかっている。Imgp0987

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ちょっとしょぼい。
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ここが一番の観光名所になっていた。このあたりの陸上の船の中では一番巨大な船のようである。しかも、かなり内陸だった。ここに連れてこられたとき、そこにあるのが船であることにしばらく気づかなかった。あまり大きすぎるので、工場か倉庫か何かだと思っていた。この船の下には家が一軒丸ごと潰れたままになっているそうである。つまりこの船がたまたま水の引き具合でその家の上に鎮座することになったというわけである。
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誰が置いたかもわからない募金箱が並んでいる。募金箱がある船は多分ここだけ。 私も船を見て思わず厳粛な気分になり募金をしてしまった。大きな船の力であろう。いい商売かもしれない。
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記念撮影をする人たち。Imgp1017

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これもなかなかよくできた船であると思う。Imgp1024

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【写真】バンダ・アチェ タマン・トゥピ・ラオTaman Tepi Laut

バンダ・アチェ(Banda Aceh,スマトラ島)  インドネシア

タマン・トゥピ・ラオはインド洋津波で最も津波の勢力が強く、バンダ・アチェで最も被害の大きかった場所だという。

被害の後はまだ残っていたが、地元の人たちが水遊びを楽しんでいた。のどかな海水浴場という感じだった。

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タマン・トゥピ・ラオの立派なセメント工場。ここも津波にやられて動かなくなったらしい。
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2006年7月22日 (土)

【写真】バンダ・アチェ バラックとテント

バンダ・アチェ(Banda Aceh,スマトラ島)  インドネシア

バラックとテント。

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【写真】バンダ・アチェ 痕跡

バンダ・アチェ(Banda Aceh,スマトラ島)  インドネシア

水溜りは津波でできたものだそうである。

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津波で削られた丘

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市内の建物。2階を中心に破壊されている。

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上の家はこのリキシャ運ちゃんが住んでいたところ。あちこちの津波名所を勝手に回ってくれて、あとで5万ルピア請求した。

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ここがこの運ちゃんの部屋だったという。本当かどうかわからないが。

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未検閲記事:http://ibrahim.blog.shinobi.jp/Entry/24/

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【写真】バンダ・アチェ 美しい風景

バンダアチェの空港に降りたときの第一印象は、「景色が美しい」だった。

何もない広々とした平野は津波が作ったのだろうか。しかしおそらくもともと景色のいいところなのだと思う。

バンダ・アチェ(Banda Aceh,スマトラ島)  インドネシア

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2006年7月20日 (木)

公共の場所でのキスは違法 マレーシア

マレーシアのCity Hall magistrate's court という裁判所は昨日、Eastern values do not encourage hugging and kissing in public place....such behaviour was against one of the principles of the Rukunegara which advocated good behaviour and morality.というような判断を下した。Rukunegaraというのが何なのかは不明。

事件は、非ムスリムの中国系マレーシア人学生カップルが、KLCCの公園でキスをしていたところ、「シティホール」の役人に見つかったらしく、呼び出しを受けたというもので、中国人学生側は、賄賂を拒否したのでそういう処分を受けたのだと主張。

弁護人は、はしたない振る舞いをしたムスリムのカップルにかぎって宗教省がそのような召喚を命ずることができるだけだと主張したが、裁判所は、Their behaviour was not acceptable based on Eastern values and a principle of the Rukunegara,,, と判断。

Eastern valueというのが何なのかが、いうまでもなくきわめてあいまいだし、東洋的価値?をムスリムのマレー人に勝手に決められてしまうことも、非ムスリムの中国系としては納得できないところだろう。

イギリス植民者の価値を西洋的価値として、そのに対する反定立として東洋的価値を規定しているのだとしたら、そのような「東洋」観はある意味で西洋的価値の反射に過ぎず、一種のオリエンタリズムであって、本質的に植民地主義的なものということになると思う。

どうしても「東洋的価値」を主張したいなら、東洋で唯一文化的にも経済的にも西洋列強に伍するところまで発展した国は日本だけなのだから、日本的価値をこそ「東洋」を代表する価値とみなすのが当然のように思う。

イスラム主義がどこまでがんばれるか見守る必要はあるが、最近のイスラム勢力の反白人反西洋運動は世界的に停滞しているように見える。バリのころがピークだったようである。

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KLCCの公園

中国人カップルのキスよりも東南アジアにおけるこういう毛唐の存在のほうがはるかに東洋的価値を破壊しているという事実を認められない限り、東南アジア人も近代日本の偉業の価値を正当に認めるにはいたらないだろうと思われる。

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白人のいる風景 メダン MARCH 2006 MEDAN

メダンは、殺伐とした町という印象だった。タイ国境に近いマレーシアのペナンからの便が便利ということからか、プカンバルではほとんど見なかった白人も結構いた。それも、くずの中のくず、擦り切れてぼろぼろのような毛唐が多かった。

メダン空港の国際線乗り場近くのレストランで 。飯の食い方から一見してタイ女とわかるレンタルワイフを連れたジジイ。

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↓バックパッカー風の身なりをさせたアジア女を連れ歩くのは若い毛唐に多い。

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白人にぜんぜん似ていない「児童」を連れ歩く白人男

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ユキ・シンパン・ラヤのボーリング場で。タイ売春婦を連れた「終わってる」連中。

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白人のいる風景 FEBRUARY 2006 KL

マレーシア国内での売春は禁じられていると思うのだが、外国人が外国で継続的契約をしたレンタルワイフ(売春婦)を持ち込むことを放任しているのは奇異である。

KLIA(クアラルンプル国際空港)のパスポートコントロールに並ぶ列で。タイ売春婦丸出しの女を連れてマレーシアに堂々入国する毛唐。

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フィリピン人風に見える女。

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禿げ白人オヤジと若い女。

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プトラLRT(電車)内で。盛大にフラッシュをたいてしまった。

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KLCCで。売春婦と毛唐。

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中華街のローカルレストランにも入り込む。売春婦につかまってしまった毛唐オヤジという感じ。

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白人ツーリストの群れ。パサルスニの近く。

白人ツーリスト向けゲストハウスの玄関にあるカフェ。

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マスジッド・ジャメ近くのマクドナルドで。タイ女風の顔立ちの女を連れたリュックサックオヤジ。

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顔が気に入ったので撮らせてもらった。

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↓この男は身なりも食ってるものもファランそのものだが、ちょっと独特の雰囲気があった。以前どこかで会ったような記憶がある。メーサイだったか・・・・。長く一人旅をしている雰囲気が立ち込めていた。

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中国系の女と。

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KLCC構内で公然売春婦といちゃつく毛唐。これがイスラム国家。

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KLCCのカフェ(スターバックス)で。

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パサル・スニ

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ごろつき丸出し。

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フィリピン人風の若い女を連れたジジイ。

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マクドナルドで。

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中華街の夜。ホテルの前で売春婦と交渉する若い毛唐。カメラを向けると男が女から逃げ、通り過ぎるとまた近づく、というのを繰り返した。

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中華街の白人の群れ集まっているところ。マレーシア人には相手にされないタイ坊主が白人ツーリストに媚びて乞食にやってくるのがしばしば見られる。これらの坊主は、ツーリストにしか托鉢しないようだ。上座仏教の僧と称しながら、朝ではなく、夜中に托鉢する。タイ仏教の腐敗ぶりをよく示している(本来、仏教僧は朝しか托鉢しない。食事も午前中だけ)。

群れ集まっている白人は、同じ場所にいてもお互いに知らないもの同士であることが普通のようだ。しゃべりもしないでじっとしていることも多い。ただ白人だからという理由で動物的に群れになっている。

左の写真で黄色い法衣を着ているのがタイ人仏教層。夜遅くうろつき、ツーリストから金を集めている。

次の写真の中に映っている日本人女が一番滑稽である。隣の毛唐にしなだれかかっているように見えるが、たんにアンニュイを気取っているだけで、単独行の女であった。

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ここで群れになっている白人たちは、白人のまだそれほど多くないこの町で「白人だけの空間」を作りそのなかで「リラックス」したいからこそ、見知らぬ白人同士であってもこうやって群れているのである。つまり、ここは、ウェイターや従僕、女奴隷以外の有色人種には割り込んでほしくない空間なのだ。

その空間に有色人種が対等な客として割り込むこと自体、白人にとっては基本的に不愉快なのである。アジア女が女一人でそのなかに飛び込むなら、今夜の客を探している売春婦でしかない。

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本人は白人ツーリストたちの中に一人でいることで、自分が「外国で一人で行動できる」日本人であることを確認し、周囲にアピールしているつもりなのかもしれないが、白人から見たらただのアジア人売春婦の一種としか見られないだろう。(あるいは「これが有名な日本の肉便器なのか」と思われるかもしれない。)いずれにしてもまるで滑稽な光景。

この店の近くにも、白人客がまったくおらず、同じような料理をむしろ安く食べられる食堂はいくらもあるのである。

白人は「白人のための空間」を作るために群れになる。この空間に入りこんでよい有色人種は、ウェイターなどの従僕と、白人の所有物である奴隷・女奴隷だけである。あえてその中に飛び込むことは自らそのような地位を引き受けることを意味する。

白人の連れている奴隷や従僕(売春婦を含む)に限り有色人種であってもこの空間に入ることが許される。このことは白人世界の伝統なのであり、KLでも東京でもどこでも見られるものである。

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足。KLCCで。

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【写真】タイ売春婦風の女を連れ歩く巨体毛唐

KLCCで。

えげつない売春婦丸出しだったが、撮ってみたら結構上品な絵になってしまった。女にいい服を着せているからだろうか。

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2006年7月19日 (水)

夜外に出てみると・・・・・KL中華街

私はネパールで「夜間戒厳令」(curfew)を経験したことがある。なかなか良いものだった。

制限された自由の中でこそ、われわれはいろいろな可能性に気づき、さまざまな「機微」を感じとる機会を得るのである。

私は夜はあまり外出しない。外出しても「深入り」はしない。

しかし久しぶりに夜10時過ぎのKL中華街に出てみて、改めて白人ツーリズムのえげつなさを再確認した。

いうまでもなくこの写真どはなまやさしいもので、ちょっと奥に入ればもっとえげつなくもおぞましい動物的な光景が展開される。

「野蛮なアジア」に怖いもの見たさに来たが「難を避けて」群れになっている白人たちと、彼らに媚を売る現地土人という図式は、東南アジアでは程度の差はあれ普遍的なものである。

白人が好むタイプのオープンカフェ形式の食堂で(バービアの代わり)。よくいるゴロツキ白人の格好だが、本当に嫌なものはなかなか写真に撮れないようである。カメラを向けられるのはまだましなほう。

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夜は売春婦もたむろしている。これは気持ち悪すぎて撮るチャンスがなかった。

インド系のようにも見えるが、インド系(非ムスリム)にみせたマレー人のようなのもいる。かなり堂々とやっている。

夜いたような売春婦が朝もすこし残って?いる。

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マレーシアは、自国をもっと「自由」な国にして、「ツーリスト」をひきつけたいと考えているようである。

しかし実は、「自由」が経済発展の前提条件であるというのは妄想である。

本当に「自由」な国が経済的にも発展したというためしはない。かなり発展して力をつけてから、ある程度の自由を許容するようになるというのが通例だと思う。

「ツーリスト」が喜ぶような「自由」についていえば、タイはマレーシアより「自由」だし、フィリピンも「自由」であろう。インドネシアもイスラム教徒が多いわりに「自由」なようである。

シンガポールもマレーシアも、タイやフィリピンやインドネシアより「不自由」な国のはずである。しかし、タイやフィリピンはいつまでたってもシンガポールやマレーシアを追い抜くことはできないだろう。

今の日本は野放図に「自由」な国にみえるが、国力の基礎を作る段階では「自由」ではなかった。現在の日本の野放図な自由もまた、おもに日本人の直接の用に供されるためのものであって、ゴロツキ外人がドタドタと入ってきて野放図に振舞うためのものとは、今のところはまだいえないだろう。

東南アジアの後進諸国に比べれば、日本ではいまでも、がさつな外人が日本人の領域までドタドタと乗り込んできて好き勝手なことをする自由は、事実上、かなり制限されているはずである。だからこそかろうじて国がもっているのである。

「国際化」とか、外人をどんどん入れて自由に振舞わせろというような言論がまかり通るようになったころから、日本経済も停滞し始めたように思うが、どうだろうか。

昨日は昼間KLCCに行き、高い日本書を何冊か買って清潔なカフェで読み、かなりいい気分だった。しかし夜、表に出てしまい、私の容態は急変した。

夜遅くまで開いているネットカフェに立ち寄ると、その受付は白人ディスコの門衛のような態度である。内部はさらに白人ツーリズムが猖獗を極め、海兵隊なのかオーストラリアの百姓なのかすごい男がわめきながら走り回っていた。

私はこの「ツーリスト」向けネットカフェの連中の「タイ式」の態度が以前から気に入らなかった。今夜はとくにそこの小僧が「タイ式」態度を極めていて胸糞悪かったので、パソコンを一つ壊してやろうと思った。ファイヤウォールをオフにしてやろうと思ったがすでにオフになっていた。つぎに「プログラムの追加と削除」を見てアンチウィルスソフトを探したが見つからなかった。それでも動いているようである。適当な重要そうなファイルを削除する。次に隣のパソコンに移り、ウィルスソフトを削除する。

私は、陰湿で、悪い人間である。

今のところテロに手を出さないのは、ひとえに「度胸がないから」に過ぎない。しかし、もし癌とかエイズとかになって絶望したら、パタヤかプーケットの白人の固まっているところで一発やらないという理由はあまりない。ただ、爆竹の黒色火薬を集めてうまくいくかどうかが問題である。自分だけ片輪になって後進国の刑務所に入れられ、周りの毛唐はかすり傷だけというのではあまりにも情けないからである。

一方、中華街のローカルなネット屋はゲームに夢中の生徒たちでいっぱい。白人もたまに来るが小さくなっていて、あまり長居もしない。それぞれの場所があるということだろう。中国系の子供が多いがインド系の生徒も来る。中国系の生徒があげる素っ頓狂な奇声は実に奇異である。パッタニのタイ人のガキのほうが行儀良く遊んでいた。

うるさいが毛唐の修羅場よりは幾分ましということでよく利用する。

インド系のでかい生徒がゲームに夢中な様子。
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それぞれの場所があるといえば、「ワリサンプラザ」の上のほうの階にあるネット屋は、いつもアフリカ系の黒人でいっぱい。私はそこも時々利用する。

なかなか清潔で快適なところなのだが、スタッフのマレー人の女の子がここでは黒人以外の外国人にハッキリと不親切。黒人とマレー人女性以外の客に対しては無視に近い応対で、しゃべる必要があるときでもけんか腰なしゃべり方。

彼女はタイ人が白人に接するような態度で黒人客にニコニコ接し、無駄話にもながながと付き合うが、私がパソコンのことで何か聞いたり頼んだりしても頭からつっけんどんで、まったく相手にしてくれない。

ここはアフリカ黒人のための場所なのだった。

それぞれの人種・民族・エスニックグループが、自分のための場所を持つことは正しいし、持つべきである。

マレーシアは、人種に関しては今のところまあまあ公平な国だといえるだろう。

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2006年7月17日 (月)

KLCC JULY 2006 KUALA LUMPUR

KLCC(KUALA LUMPUR CITY CENTRE)は私の好きなところである。ここにいると、自分の国にいるという感じがする。

こんなところにいるくらいなら日本にいればいいじゃないかというかもしれないが、そうでもない。

ここは全体的には後進国の首都の顔として、特別人工的にこぎれいにした、わりと狭くて人ごみもさほどではない快適な空間。おそらく日本のどんなこぎれいなコンプレックスよりも無機的で、人間の体温を感じさせない場所ではないかと思う。人工的にココナッツのようなバニラのような匂いが振りまかれている(ベーカリーの発する匂いなのかもしれない)。

いつも同じような服装をしているので、少し自分の身なりみすぼらしく感じることもある。おのぼりさん丸出しで写真を取り捲る。

ただし店の品揃えはたいしたことがない。伊勢丹も規模が小さくスーパーのよう。値段もほかより高いのだろうが、あちこち歩き回るのが面倒なので地場で買えない買い物はなるべくここで済ませる。

3階のNotebook shopというところで、ウィンドウズXPプロフェッショナルのCDを買った。599リンギ(2万円位か)。高いのか安いのかさっぱりわからない。

ソフトだけでは売れないようなことを言って、マウスをつけてくれた。

アラブ系カップル

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若いアラブ女性のなかには、この世離れしたおそろしく綺麗な人もいるが、2、3年もすると息がつまるほどの迫力の人になりそうである。

白人のいる風景

ノーコメント

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西欧白人とはちょっと違うタイプに見える白色人種もよく見かける。

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この癪に障る野郎はちょっといい女を連れていた。

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こっちは土人丸出し(写真は綺麗に写りすぎ)。

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帰りに撮ったマスジッド・ジャメ
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2006年7月16日 (日)

破損したパスポートの再発行を求めるマレーシア男性が急増中【travelled to a "sin" city】

犬や子供にパスポートをいたずらされて破られたり、誤ってズボンに入れたまま洗濯してしまったりしたという理由でパスポートの再発行を求めるマレーシア男性がイミグレーションに列をなしているのだそうである。

2004年は13,297件、2005年は16,968件、今年はこれまでで7,508件。

彼らが再発給を求める本当の理由は、パスポートに押されたスタンプにあるようだ。

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NEW SUNDAY TIMES   JULY 16, 2006

The men stand in line holding their mutilated passports.

When their turn comes, they sheepishly tell the immigration officers their children did it or the dog grabbed it from the table and ripped it apart.

A wry smile crosses the face of the officer as they have come across numerous passports that have been torn to bits, dunked in water or partially burnt.

These officers know that those imoportant travel documents have been mutilated by wives or girlfriends of the passport owners.

And all because the documents showed the men had recently travelled to a "sin" city.

The philandering men's trip to Haadyai and other cities without the knowledge of the wife or girlfriend and those who are careless with their passports are keeping the Immigration Department  busy.......

どうやら原因は、パスポートの所有者である男性が、最近彼女に内緒で「罪深い町」を訪れてしまったことがスタンプから明らかだからということのようである。

罪深い町とは、ハジャイなどだが、ハジャイはタイなので、ようするにパスポートにタイ国のスタンプがあること自体が、妻やガールフレンドにばれてはまずいことだということになる。

しかし、面白いのは、男性がばれないうちにパスポートを処分して再発給してもらおうという話ではないということである。妻やガールフレンドにばれてから再発給を求めているようだ。

彼のパスポートにタイのスタンプを見つけた彼女や妻が、怒り狂ってかどうか、とにかくそれだけの理由でパスポートを破いてしまったり、そのページをはさみで切り取ってしまったりするようである。

マレーシア女性としては、あの青いスタンプを見るのも汚らわしいというところであろうか。

旦那が現実にナニをしたかということより、それを示唆するスタンプがあることのほうが許せないようである。

自分の旦那や恋人のパスポートにタイ国のスタンプがあるというだけで、マレーシア女性としての恥であり、一家の名折れですらあるということなのだろうか。

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アラブ人ツーリスト【KL】

夏が近づいたせいかどうか(いつも夏だが)、クアラルンプル中華街でも春はあまり見なかったアラブ人ツーリストをよく見かけるようになった。サウジアラビアからの人だろうか。

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最近読んだマレーシアの英字紙の評論は、サウジアラビア人が好んでマレーシアを訪れることをほとんど手放しで自画自賛していた。

多くのサウジアラビアツーリストがマレーシアの「自由」を満喫するためにマレーシアを訪れているというのである。そして彼らがいかにマレーシアの自由をうらやましがっているかを強調する。名前だけマレー人風で顔は中国人そのものの女性記者の評論。

しかし、ただ自由を満喫したいだけなら、マレーシアでなければならない理由はないことはみなさんご存知のとおり。

風紀の規制のないフシダラな自由を満喫したいなら、マレーシアよりタイに行ったほうがいい。タイもサウジアラビアツーリストを受け入れている。実際多くのサウジアラビア人がタイに行っているようである。風紀に関してはタイのほうが圧倒的に「自由」だし、安い。

それでもタイよりもマレーシアを選ぶサウジアラビア人が多いのは、「自由」とは別の理由からだろう。

やっぱり、マレーシアが「イスラム国」であること、ムスリムのアラブ人と欧米白人とでは互いに相容れないところがあり白人ツーリストが圧倒的な地位を占めるタイにはアラブ人の居場所が少ないこと、などの理由があるのだろうと察せられる。

英字紙の評論は、サウジアラビアも「よい方向」に変わりつつあることをナイーブに喜んでいるようだった。そして、マレーシアの「自由」を称揚するとともに、マレーシア内部にある「自由」を喜ばない保守勢力への警戒をあらわにしていた。

しかし、もしもサウジアラビアがマレーシア並みに「自由」な国になってしまったら、アラブの金持ち女性たちにとってのマレーシアのツーリズム目的地としての魅力はほとんどなくなるだろう。その記者にはそういうことに関する想像力が不足しているように思えた。

サウジアラビアが風紀に厳しいおかげで、マレーシアのアラブ人ツーリズムが成り立っているのである。

また、マレーシアがクズ白人が殺到するほど「自由」すぎず、売春婦が大手を振って歩き回るような国でないからこそ、カネのあるアラブ人女性や金を落とすアラブ人家族連れがマレーシアを好んで訪れるのである。

もしもイスラム教のタガをはずしてしまったら、マレーシアだってクズ白人が地元売春婦を連れ歩き真昼間からオープンカフェで乳をもんだりする国にならないという理由は全くないのである。

まだまだ後進国であり、タイの隣にある東南アジアの国が、ちょっとでもタガを緩めればすぐにそういう方向に流れることは目に見えている。

マレーシアがもしそんな国になったなら、金持ちサウジのカネを落とす家族連れは近づかなくなるだろう。

重要なのは、自分の国をそういう国にしたいかどうかである。

私は、マレーシアにとっての国益は「自由な国」であることよりも、「東アジアを代表するイスラム国」であり続けることだと思う。

好むと好まざるとにかかわらず、イスラムに対する世界の人々の関心は高まるばかりである。近場でイスラム教国の雰囲気をちょっと味わってみたいという日本人も増えていると思う。

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未検閲記事:http://ibrahim.blog.shinobi.jp/Entry/23/

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2006年7月15日 (土)

白人のいる風景 JULY, 2006 KUALA LUMPUR

KL×便×展覧会。近頃のデジカメは本当に性能がいいですね。(本展に関する苦情は訴状で。)

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これは私が現在いる場所。

ゲーム主体のネット屋で、中国人の餓鬼が中国語で大騒ぎしているのだが、この毛唐の大声がそれ以上に部屋中に響き渡るのに恐れ入る。

ローカルなネット屋には毛唐は寄り付かない傾向があることを奇貨として、毛唐を避けてじっくり思索にでもふけろうかと思ってやって来たのだが・・・・・どこまでも侵食を楽しむのが毛唐である。

この美しい女性は、中国系マレーシア人なんでしょうかね。

翌朝8時。

すがすがしい気分で新聞でも読もうと思って来たらまたまたおおはずれ。

こういう汚い売春婦はイスラム国家にはふさわしくないのではないかと思うのですが、マレーシアの政治家の考えはどうなんでしょう。売春を禁じたいなら、売春婦を連れた白人の入国も禁止にしないと意味がないと思う。国内で契約する売春を取り締まり、海外で継続的契約をした売春婦を連れ歩くことを取り締まらないというのは変な話。

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未検閲記事:http://ibrahim.blog49.fc2.com/blog-entry-4.html

なかなかきれいな写真が撮れないが、女の口のあたりが鼻より先に突き出しているところがタイ式土人売春婦によくある特徴。

何度も書いたように、「売春とは限らないじゃないか」という抗弁はマレーシアも含め東南アジアではまったく無効。連れの女を売春婦に見られたくなかったら、女にそれらしい格好をさせ、自分もそれらしい格好をしてそれらしく振舞うべき。(ここが日本なら無料奉仕かもしれないし女のほうが買っているかもしれないといえるが=×便器)

タイの白人などは、バーの女との契約を競い合ったりする。なかには売春婦の取り合いでバービアで喧嘩を始めるやつもいる。彼らから見てイカシている売春婦を連れ歩くことはむしろ自慢なのである。彼らは、いかにも売春婦という感じの女をそのまま得意げに連れ歩く。

タイでは、わざわざ身寄りのない娘を探してきて結婚する白人男も少なくない。そんな娘はたいてい売春婦。タイに定住するのが主目的だろうが、身寄りのない娘なら親族にたかられる虞がないという考えかららしい。もっとも、たかってくるのが親族だけとも限らないが。

私は以前、ある白人に、どうして白人男性はあんなに醜い女をいつも連れ歩きたがるのだろうか、と真面目に聞いてみたことがある。

というのは、中年を過ぎたような白人男性が売春婦丸出しの女を連れて歩いていることが多すぎるので、私にはどうしてもその動機が理解できなかったからである。

彼らは毎日セックスしたい年齢でもないだろうし、まして誰とでもいいから毎日セックスしたいという歳ではない。金をかけてまで醜い女を連れ歩く意味がどこにあるのか、バーで客をとっていた売春婦と同じ空間で生活するだけでも気持ち悪くないのか、という素朴な疑問である。

その人はわりと誠実な人で、真面目に答えてくれた。彼によれば、彼らが連れ歩く売春婦は「スーツケースのプラグのようなもの」だそうである。プラグとは「詰め物」という意味。スーツケースの荷物が動き回らないように隙間に詰めるものということである。

なお「土人」という言葉を私は誹謗の言葉として使っているのではない。これは客観的な性質なのである。タイ社会は、自己の中にある「土人」性を十分に自覚している。「土人」を制度化し、「土人搾取」のシステムを内包しているのがタイの社会なのである。これは「土人」とそうでない人がいるという意味ではない。そうではなくて、上流色白タイ族であっても、自分自身も白人の前ではいつでも「土人」として最低に卑屈に振舞えるように、それ以上に、タイ社会の中の「弱い部分」を自分以下の「土人」として徹底的に卑下し搾取し、外国人に奴隷として容易に売り払える体制のことである。この意味でタイこそはアジアの「土人売春国家体制」の大元であり震源地たる「便所国家」なのであって、KLで見るようなものはまったくその「ひこばえ」に過ぎない。(私はその震源地を見る気力をもうなくしたので、KLあたりにいてひこばえを見ているのである)

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2006年7月13日 (木)

クアンタン Kuantan パハン州 マレーシア

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7月4日。

クアラ・トレンガヌの「エバーグリーンホテル」を出て、10時ごろバスステーションに行くが、そこから出るクアンタン行きは3時のしかないという。「タンジョン」バスステーションに行けと言われる。

そこで指示されたミニバスに乗り、タンジョン・バスステーションに向かう。ミニバスの終着はタンジョンバスステーションではないので、バスステーションが見えてきたところでブザーを押してバスを止めないと通り過ぎてしまう。

タンジョン・バスステーションには毛唐が4人。見るからにタイ式のヤツもいる。

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存在するだけでローカル文化を破壊する、というのが毛唐の特徴でありミッションでもある。

画像未検閲記事:http://ibrahim.blog49.fc2.com/blog-entry-3.html  

バスは10時30分発の予定と聞いたが、1時間遅れた。時計を日本時間にしていたのかと思ったが、そうではなかった。

今日も若い学生風のマレー人の女の子と隣り合わせた。英語は話せたが、むすっとしていてあまりしゃべらなかった。

毛唐は4人とも同じバスに乗った。見知らぬ間柄のようだったが、4人ともバスが出る直前まで外でタバコを吸っている。

昨日のバスには毛唐はいなかった。蚊取線香のせいで咽喉も痛く、今日は何もかもハズレである。

3時間走って2時半ごろ食事休憩。地図で見ると近いようだが、コタバル-クアラ・トレンガヌよりもトレンガヌ-クアンタンのほうが時間がかかる。バス代も12リンギ。コタバル-トレンガヌより少し高い。

毛唐たちは最初はばらばらだったが、食事休憩などですぐにグループになり、クアンタンの少し手前でバスを止めてつるんで降りていった。毛唐好みのリゾートでもあるのだろう。

4時近くクアンタン着。

クアンタンのバスステーションでも汚い毛唐グループを見る。どこまでも侵蝕し破壊せずにはいられないという連中。

荷物を持ったまま、タクシーでまずマスジッドまで行く。タクシー代は6リンギ。これを5リンギに負けさせるのは難しい。南アジアやインドシナならぜひとも2分の1から交渉すべきかもしれないが、この国はそういうことをやるところではないような気がする。

今日はバスターミナルの旅社などには泊まりたくない。

マスジッドの近く、川沿いにあるMega Viewホテルにチェックイン。一泊150リンギ。

高い割りにそれほどでもない宿。浴槽がなく、シャワー室が狭い。扉を閉める音などがよく響く。フロントの愛想だけは良い。

夜、アジア女連れの毛唐オヤジも出入りしていた。

コタバルやクアラ・トレンガヌからクアンタンに来ると、いかがわしい町に来たように感じる。

町に漢字が多くなり、中国系の店が多い。バスステーションの前にはスヌーカーなどの娯楽施設が入ったコンプレックスがある。外から見ただけだが、ディスコやバーもあるのかもしれない。

「女子理髪」という看板がいくつも並んでいる。「情人・女子冷気理髪」などというところも。「情人という名前の冷房の効いた女子向け美容院」という意味だろうか。

入り口に「出租」という手書きの札がかかっているところもある。理髪店舗を貸し出すという意味か、それとも出張理髪?

この町にコタバルより毛唐が少ないのは、ひとえにタイから遠いおかげである。

タイに隣接するクランタン州が宗教保守のPASに支配されていることは幸いであるといわなければならない。

マレーシアの政治家は、マレーシアがタイのようになればなるほど(金を落とす)まともなツーリストはマレーシアに幻滅するだろうということを肝に銘じるべきである。

高級買春オヤジ(?)はタイでの遊びになれているだろうし、マレーシア人にはその商売のスキルはないだろう。マレーシアがタイの真似をすれば、ただ退廃した「南国」の雰囲気を楽しみ自堕落に安宿を渡り歩き沈没するだけの貧乏ツーリストばかりが集まるようになるだろう。

インド系の人もコタバルやトレンガヌより多い。

バスターミナルの近くにきれいで静かな(毛唐が来ない限りの話だが)ネット屋があるが、ウィンドウズXPはなく、日本語IMEは入れられなかった。

昨年泊まったRAYAホテルという安宿のある通りの電気屋の2階にもネット屋がある。ここにはウインドウズXPが入っている台が2、3あり、そのうちの一台だけCDRomなしで日本語IMEをインストールすることができた。

7月5日。

Mega Viewホテルをチェックアウト。川沿いなので湿気が多く、シャツが乾かない。

マスジッドの近くのShahzan Innに移る。Shahzan Innは広場をはさんでマスジッドに隣接している。一泊120リンギ。

Shazan Innのプール トゥドゥンをしたまま泳ぐ女の子
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6日。

Mega ViewもShahzan Innも朝食がつく。

ビュッフェの朝食はたいていまずいので、Mega Viewでは食べなかった。

Shahzanでなんとなく食べてみたら意外にうまかった。この日はナシゴレンだった。ナシゴレンはまずいものだと思っていたが、うまいものもあるようだ。

Shahzanのレセプションやルームサービスのスタッフは態度がまったくなっていない。ドメスティックなホテルなのだろうが、同じくドメスティック(ほとんどマレーシア人客のみ)でも、コタバルのAzamのほうがいい。ハウスキーピングだけはまあまあ。

英語はみなよく通じる。

部屋自体は悪くない。冷房の効きはむらがある。

窓からすぐそこにマスジッドが見えるのが何より。

マレー人の若いグループが同じ階に入ってうるさかったので部屋を変えてもらう。腰にタオルを巻いただけで廊下を歩き回る。内線電話を何回も間違えて掛けてくる。

このことを電話で頼んだだけで、フロントの女はWhyたらと客に向かって喧嘩腰の口調。話にならないのでフロントまで出向いて問答をし、このトゥドゥンをしていないマレー女に他の連中の見ている前で、あなたは客に対する口の利き方をすこし覚えるべきですと強く指導してあげた。

後進国では常にこういうオプションを用意していることが重要であると思う。

後進国」という言葉を「差別用語」のように忌避する日本の現象は奇妙である。「先進国」という言葉は毎日のように使っているのである。「先進」の反対が「後進」である。先進国があるならば後進国がなければならない。

「進歩」の価値を否定するのであろうか。それもいいだろうが、そうならば「進歩」から遅れていることは否定的な評価とはならないはずであり、「後進国」は「失礼な言葉」にはならないはずである。

あるいは「進歩の方向は一つだけではないから後進国と決め付けるのはおかしい」という理屈であろうか。そうであるならば、後進国を「発展途上国」と言い換えたとしても同じことである。これも特定の発展の方向を客観的な進歩の方向と定めた上での評価である。

外国に同化したいという人はどうでも良いが、旅行をする人は時に応じて強い態度をとることが必要である。

この結果、13階の少し良い部屋に移ることができた。

大変静かで、展望も良い。

私はルームサービスなどが靴を脱がずに部屋に入ってくるのが嫌なので、このことも言っておくと次回からは靴を脱ぐようになった。気になったことはなんでも注文をつけたほうがいいということがわかる。

移った部屋の居心地がよかったので一週間以上滞在することになる。

結局、ホテルも得をすることになった。

7月8日。土曜日。

ホテルの近くでナイトマーケットが開かれる。今までは見かけなかった毛唐がうようよ出てきていた。「毛唐フリー」の場所というのは本当に少ないものである。やはり危ない場所に行くしかないのか。

部屋の窓からすぐそこにマスジッドが見える。

目を覚ましてカーテンを開けるとマスジッドが一番に目に入ってくる。毎日、朝から美しい。起き抜けから同じように美しい。夕方になるとまた特に美しくなる。

7月13日。

午前10時半ごろShahzan Innをチェックアウト。11時半ごろバス停に行く。

「トランスナショナル」のバスはちょうど出たところ。1時間おきに出て、次は12時半。

いろいろな会社のバスがあり、KL行きも常に客引きをしている。しかしよく使うトランスナショナルに乗ることにする。KLまで16,8リンギ。

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クアンタンのマスジッド(Masjid Sultan Ahmad Shah 1)

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クアンタンはこのマスジッド以外は特に見るもののない町ではないかと思う。

「女子理髪」なるものが林立しているが、そこでステキな女性とめぐり合えるかどうかはあなた次第ですよとばかりは必ずしも言えない事情があるように察せられる。

「女子理髪」

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(昼の顔)
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これは公業とある。普通の美容院?
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高利貸しのチラシ
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やっぱりマスジッド
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イラクでレイプ「大虐殺」の米兵

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NEW STRAITS TIMES  SATURDAY JULY 8, 2006

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クアラ・トレンガヌ Kuala Terengganu トレンガヌ州 マレーシア

「クアラ・トレンガヌ」は日本語風にカタカナのまま発音したほうがよく通じる。「ト」のあたりを変に外国語風に言おうとすると通じなかったりする。コタバルの人は「ガ」にアクセントをつけていた。

7月3日。

コタバルAzamホテルをチェックアウト。ここは出る時間を待ってくれる。夕方でも可のような感じ。隣のバスターミナルからトランスナショナル1時45分発のクアラ・トレンガヌ行きのバスに乗る。

バスは指定席で、隣はトゥドゥン(ヘッドスカーフ)をつけた19歳のマレー人の女の子だった。

サラワクの大学で獣医学を学び始めたところだとか。財布に同い年のボーイフレンドの写真を入れている。しかし、「当然」、エッチはもちろんキスもなにもしていないのだとか。そういうことは結婚してからするのだそうである。

彼氏も19歳の盛り。すぐ近くにタイとかインドネシアという若者にはパラダイスな国々があるのだから・・・・と冷やかしてみると、そんなことは絶対にない、私は彼を信じているときわめて折り目正しいお答え。

この子は顔はどちらかというと芋ねーちゃんだったが、おっぱいが大きかった。トゥドゥンと地味な服装によっても隠しきれない大きなおっぱいに強い主張があり、気になって仕方がなかった。

彼女はイスラム教にconvert(改宗)することを簡単に口にした。「マレー人の女の子はかわいい子がいっぱいいるけど、僕はムスリムじゃないからなあ」とか冗談を言うと、convertすればいいだけじゃないと言う。

そのうえ、イスラム教はとっても簡単な宗教でアラビア語も簡単だという。
パッタニに行くときに会ったタイのマレー人ムスリムの女の子 とは言うことが対照的だった。

金持ちの娘を4人妻にして、世界中に分散して住んでもらい、みんなに食わせてもらいながら旅を続けるというのは、非常に魅力的なアイデアではある。

この日会った女の子は複数の妻を持つことにはあまり賛成ではないようだった。でもイスラム教では認められているでしょ、というと神妙そうにその通りだという。

複数の妻を持っていいのは、男性に「お金」と「エネルギー」が十分にあることが条件だと言っていた。複数の妻同士は通常は別々のところに住むが、しばしば互いに激しく争闘するのだそうである。

午後5時過ぎにクアラ・トレンガヌに着。

バス停で早速、アジア人女連れ白人を見る。アジア女連れ白人を見るのは久しぶり。

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画像未検閲記事:http://ibrahim.blog49.fc2.com/blog-entry-2.html

女にバックパッカーの格好をさせている(マレーシアでは割とよくある形式)が見るからにゴロツキそのもの。

タイでもちょっと若い毛唐男は、雇ったレンタルワイフにバックパッカーのようななりをさせることが多い。

女のほうが大きな荷物を背負っている。実用的な女奴隷というところだろう。金を払っている分働いてもらうのは当然ということなのだろうが。

あんなゴロツキ丸出し毛唐がどうしてマレー半島の東海岸を女と貧乏旅行しなければならないのか理解できないが、やはりどこまでもローカル文化を破壊し蹂躙することそれ自体が毛唐の快感なのだろう。

バス停近くの「エバーグリーンホテル」という中国系安宿に入る。エアコン付、トイレ・シャワー共同、外向き窓ありで40リンギ。

部屋にトイレ・シャワーはないが、水道と流し台はある。

宿の中国人のオヤジにトイレ・シャワーがついてないから安くしてくれないかというと、流し台があるじゃないかと強調していた。

あれはひょっとすると、夜中にトイレに行きたくなったら流し台でしろという意味だろうか。部屋についている流し台で小便するのが中国人の間では普通なのかもしれないとつい思った。

45リンギというところを40リンギまで負けてもらってレシートをくれというと、オヤジはまじまじとこちらを見てあらためてレシートがほしいのかと聞き、いくらのレシートがほしい、60リンギかなどと聞いてくる。

せっかくだから45リンギのをもらっておいた。中国人丸出しだったが悪い感じの人ではなかった。

バスターミナルを出て最初に見つけたエバーグリーンに入ってしまったが、もう少しだけ歩けばもう少し上等で手ごろなホテルが何軒もあった。

クアラ・トレンガヌは、コタバルに劣らぬ大都会に見えたが、静かな町である。

夕方6時も過ぎるとレストランはどんどん閉まってしまう。バスターミナル内にあるレストランが比較的遅くまでやっていて、メニューも多い。あちこち探してみたが、ほかのところにはナシ・アヤム(ご飯とチキン)はなかった。

バスターミナルのレストランのナシ・アヤムはスープも含めて上等、値段も3リンギと高くない。

エバーグリーンホテルの正面のカフェだけは深夜までやっていて中国系が集まっている。

一応中華街があるがほんのちょっとだけ。門だけは立派。肉骨茶などの看板がある。ここの中国人はそんなにキリキリした感じではない。

エバーグリーンの部屋に昼間っから蚊が2,3匹いたので、蚊取り線香(Fumakila)を4つ5つ同時に焚いた。

部屋には洗濯物干し用の針金が張ってあった。新聞紙を裂いてこよりを作り、短く折った蚊取り線香を蚊取り線香に結いつけて針金からぶら下げる。

こうすることで線香台無しで複数の蚊取り線香を同時に焚くことができる。短時間に高濃度の蚊取線香の煙を部屋に充満させることで部屋の中の虫類を駆逐するという方法。

経験的に見てわりと効果がある方法だが、パッタニのMy Gardensホテルでやって英語のまったく話せないボーイから文句を言われた(現に蚊がいるじゃないかと反論すると蚊取りスプレーを貸してくれた)。

これをやるときは、あたりまえのことだが、焚いている間は必ず部屋の外に出ていなければならない。

この日、煙の中をしばらく部屋の中にいたら咽喉をひどくやられてしまった。その影響がその後10日以上も続く。

クアラ・トレンガヌは一泊だけ。翌日クアンタンに向かう。しかし、もっと居てもいい町だったような気がする。静かな町で人間も穏やかだった。

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クアラ・トレンガヌの「中華街」の門

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2006年6月30日 (金)

コピ・オのグラスがバーストした!

「爆発」数分後の写真 (コタバルの某所で)

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昨夜、前記事を投稿した後ネット屋を出てまだ開いているローカルレストランに入った。

コタバルの夜は早い。大部分のレストランは夕方6時を過ぎるとしまってしまう。

「バンダル・ラヤ・イスラム」だそうで、未婚の女の子と二人きりで部屋にいるだけでも宗教警察が乗り込んでくるという噂のあるクランタン州の州都・コタバルは、折り目正しい町である。金曜日の今日は華人系以外のレストランはどこも閉まっている。

しかし、タイに近いので地味な町のわりにはタイ崩れの傲慢な毛唐旅行者が目立つのが難点。それでもレンタルワイフ連れはあまり見かけない。

昨日の「仕事」はつらかった。

なぜなら、ネット屋に毛唐が多かったから。毛唐は用もないのに長居する。用が済んでもすぐに消えないのが毛唐の特徴である。

そしてうるさい。必ず何か「アピール」している。

僕のお気に入りのトゥドゥンをしっかりつけた受付のかわいいワルダちゃん(仮名)にちょっかいを出し、かわいいワルダちゃんがキャッキャ言っている。

ワルダちゃんが悪いのではない。毛唐はどうしてもそういうとこまで引っ張っていこうとするのである。

もちろん、いくら毛唐でもこの「コタバル・バンダル・ラヤ・イスラム」で、トゥドゥンをしっかりつけたマレーねーちゃんを難破しようというわけではないだろう。

要は、自分たちがここで「特別な客」であること、自分たちのその場所における「優位性」を、女にキャッキャ言わせることで自分も確認し、周囲にも確認させたいのである。

また、確認せずにはいられない。これが白人のアジアにおける基本行動であり、業である。

こういうことをしないではいられないのはどこかに不安があるからだろうし、後ろめたさがあるからかもしれない。毛唐の因業なのだが、しかし、それが毛唐というものである。

そういうわけで、前記事を書いている間、ワルダちゃんのほうが気になってぜんぜん集中できなかった。

集中できないので消耗し、疲れ果ててネット屋を出る。

ネット屋の近くにひとつだけある遅くまで開いているローカルレストランのテーブルに着き、やれやれという感じでコピ・オ(砂糖を入りで出てくるミルクなしコーヒー)を注文する。

コピ・オが出てきた。

コタバルのローカルレストランで毛唐を見たことはまだない。これは唯一の救いである。

一口口をつけて、グラスをテーブルの上に置く。

グラスから手を離して2、3秒たったとき、何の前触れもなく「パン」という大きな音を立ててコピ・オが破裂した。ガラス片がはじけとぶ。コーヒーが飛び散り、腰から下コーヒーだらけ。

本当に突然の出来事で何が起きたかわからなかった。爆弾かと思うような大きな音とともに破裂。原因は不明だが、コーヒーの熱ではじけたようである。

しかし、飲んでいる最中に爆発しなくてよかった。 さいわい怪我はなかった。

マレーシアでも、華人系の店を除き、熱い飲み物もガラスコップで出てくることが多い。このグラスは小さなビールジョッキのような形の取っ手のついたかなり分厚いもの。

ネパールではもっと熱々のチヤ(ミルクティー)が、泡の混じったような青っぽい安物グラスで出てくることがよくある。グラスに入った熱いチヤを何十杯飲んだかわからないが、こんな風にバーストしたことはなかった。グラスが小さいからかもしれない。

下半身コーヒーだらけになってホテルに帰る。

やはりこれはヤラ・ラーマ・ホテルの爆発現場の写真を撮ったタタリだろうか。

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2006年6月29日 (木)

"It's China turn to move on Tokyo ties."(中国が何かする番だ)マレーシア紙の論評

華人記者(Frank Chingという人)の評論ですが、かなり公平な立場から書かれていると思う(NEW STRAITS TIMESは決して「親日新聞」ではないと思う)。

「アジアはみんな・・・・と思っている」「日本はアジアで孤立している・・・・」とかいわないほうがいいと思う。

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NEW STRAITS TIMES(マレーシアの英字紙) JUNE29,2006

...The resumption of the loans(日本の対中借款再開) is a sign that Japan wants improve relations. But Beijing clearly considers this insufficient. Chinese spokesmen continue to call on Japan to "take sincere and concrete actions for the improvement and development of China-Japan relations". Presumably, this means a public declaration that Prime Minister Junichiro Koizumi will stop visiting the Yasukuni Shrine, where Japan's war dead, including Class A war criminals, are enshrined.

などと経過説明があってから、中国側がトップ会談を拒否していることについて、

Japan has made clear that it is willing to meet with China at any place, at any time. In the eyes of the international community it is China that is dragging its feet.

そして、4段目。

"After all, the negative image that Chinese people have of Japan is to a large extent a reflection of Chinese communist propaganda over the years that emphasised the party's role in resisting Japanese aggression in the 1930s and1940s.

At the same time, Beijing has given Japan little credit for its large-scale economic aid to China for more than a quarter of a century. Because the controlled press has not published this information, the vast majority of Chinese remain ignorant of the help Japan has extended to China, especially when the country was on the verge of bankrupsy as it emerged from the Cultural Revolution......"

どうです?これ。

結局のところ、中国の人々の日本についてのネガティブなイメージは、大部分、1930年代と1940年代の日本の攻撃に抵抗した共産党の役割を強調する、中国共産党の長年にわたるプロパガンダの反映である。

同時に、北京は、日本の中国への4半世紀にわたる大規模な経済援助にほとんど感謝を表明してこなかった。統制されたマスコミがこの情報を公表してこなかったために、中国人の大多数は日本が中国に与えた援助、とくに文化大革命から脱して国が破産に瀕していたときの援助、について知らないままである。

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アジアの英字紙はだいたいオウム返しの反日・NYタイムスなどの評論の受け売りというイメージがあったが、このNew Straits Times はかなりまともな新聞のような気がする。

もちろんNYタイムスの「ノリミツ・オオニシ」の評論をそのまま転載することもある。しかし、その場合でもちゃんと署名記事として載せるので、ノリミツの書いたものだということはすぐにわかる。日本の「一流新聞」のように「ニューヨークタイムスはこのように論評した」という書き方をしないだけまし。

こういう論評を載せられるというのは、マレーシアは(中国に対して)かなり言論の自由がある国といえるかもしれない。

マレーシアは、文化面で日本に媚びるということはないが、政治イデオロギー的にはタイなどよりずっと「親日」なのではないかと思う。

タイは、「先進国に媚びる」のが国策であり本業だから、文化面では日本好きのようなふりをし日本のくだらないテレビドラマを吹き替えたりしているが、国家イデオロギーとしては、基本的に反日・侮日の小中華主義だと思う。

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ただ、私はネットの一部に時に見られるような、「親日国」を探し回るような愚かで卑屈な傾向が良いとは思わない。

その必要があり「理」があるなら、断然「孤立」を選ぶべきであり、その覚悟と準備もしておくべきである。

どこの国も「自国第一」であり、そうあるべきだ、ということを忘れてはいけないと思う。

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(もっと見やすい写真)

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タイのスタンプの押し方

べつにどうということでもないですが、

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左の写真の2組、青い四角と三角がタイの出入国スタンプ。

右の写真は一番上の列がインド、下2列がマレーシア。

マレーシアのスタンプの押し方はとても良心的。

カンボジアもわりと控えめ。

ラオスはビザが必要だがスタンプは小さく、押し方はきわめて控えめ。

ネパールはビザの上に印紙のようなのを貼って押す。

中国のスタンプの押し方もぶっ飛んでたけど、スタンプ自体が小さいのでスペースをとらなかった。

インドネシアも自国のスタンプが重なり合うのを厭わない。

左のタイ・メーサイイミグレのような押し方は、はっきり言ってあまりうれしくないので、やめてほしいです。スタンプでスペースを大きくとったからといって偉くなるわけでもなし。

タイ・イミグレは自国のスタンプが重なりあうのを嫌うにもかかわらず、日本国のスタンプに平気で重ねたりする。

今度パスポートを更新したときは、最初のスタンプは「先進国」になるようにしたいと思う今日この頃です。

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2006年6月28日 (水)

ジーコ最後の言葉「日本人は背が低いからダメ」

ネットで見る限り、日本での報道は婉曲的なものだったようですが、Imgp1970
NEW STRAITS TIMES June27,2006 -AFP

こんなこと言われてます。

Japan's weakness is their small stature

日本の弱点は背の低さ

"No matter who their coaches are, it is up to the players. Unless they try to catch up with top teams in the world mentally and physically, it will be very difficult in the future as well."

誰が指導しようと選手次第である。彼らが精神的肉体的にトップチームに追いつこうとしない限り、将来も同様にたいへん困難である。

Zico said that Asians, and particularly the Japanese, would always be hurt by their small stature compared with other nationalities.

ジーコは、アジア人、特に日本人は、他の国民に比べて低い身長のためにいつも痛めつけられるだろうといった。

"Even in the future Asian qualifying rounds for the world cup, Japan will face a lot of long crosses from behind whenever they play a team which has a height advantage." Zico said.

将来のワールドカップアジア予選でさえ日本は、身長の有利なチームと対戦するたびに、背後からの多くの長い受難に直面するだろう(???後ろからの長いクロス?)。

背後から追いかけてきて逃れようとしても逃れられない低身長の十字架」というアイデアが捨てがたいのですが、このクロスはサッカーなので「クロスパス」のことなんでしょうか。

日本の報道では「下半身を鍛えろ」と強調していたように書いてあるのが多かったけど、ジーコはもっと絶望的なことを言っていたのかもしれません。このAFPの記事は身長の話だけのようです。

確かにジーコの言うとおりだろうけど、こういうことは初めからわかっていたことでは?

将来も難しいと言うのだから、ユースも含めて身長が低いということだろう。

ジーコが入ったときには背の高い若い選手がたくさんいたと言うわけではない。そうである以上、どんなチーム作りをしても身長差は埋まらない。

だったら何で日本の代表監督を引き受けたんでしょうね。やっぱりカネだけだったということか?

ただ、ジーコが英語でしゃべったわけではないと思うので、本当に”Asians, and particularly the Japanese”と言ったかどうかはわかりません。

この部分は英文記事を書いた記者が「意を汲んで」付け足しただけかもしれません。

しかしどうやらこのとおりのことを言ったらしい。

http://www.keepmedia.com/pubs/AFP/2006/06/26/1659516?ba=m&bi=2&bp=7

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2006年6月27日 (火)

"Japanese fed up with apologizing"マレーシア紙の記事の見出し

マレーシア紙に日本に関する記事が載ることは、経済面の「新商品紹介」以外にはそれほど多くないように思う。日本の政治関係の記事は基本的に中国・韓国よりの立場からのものがく、NYタイムスなど欧米紙の批評をそのまま受け売りしているだけという感じの記事が多い。

マレーシアの政治はマレー人優遇だが、経済を牛耳っているのは華人である。マレーシアの華人というのはかなり「濃い」中国人で、はっきり言っていやな感じ。中国大陸との関係も深そう。

新聞社やジャーナリズムも華人の影響力が強いと思われる。

AP通信配信のこの小さな記事も内容はステレオタイプなもので、靖国神社の固有名も出さす”a Tokyo war shrine”などと呼んでいる。

しかしこのタイトルのつけ方には多少の「変化」が感じられるのではないか?

日本人は謝罪にうんざりしている。おなかいっぱい」

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NEW STRAITS TIMES, June 26, 2006

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2006年6月26日 (月)

スンガイ・コロク Sungai Kolok

ヤラからスンガイコロクへ。スンガイコロク行きのミニバスはヤラ駅の向かいから出る。120バーツもする。11時40分発のミニバスの切符を買う。

少し遅れて出発。9人乗りのミニバスに乗客5人だったのでわりと快適な旅。

検問などはなかった。

3時20分頃スンガイコロクのボーダー近くにつく。居眠りしているうちに町を通り越していた。

モトサイでスンガイコロクの街に戻り、町一番というMarinaホテルにチェックイン。一泊585バーツというが、デポジットを2000バーツも取る。

最初はパスポートを預けるように言われたがそれは断った。パスポートを預ければデポジットはなかったのかもしれないが、こんなところのホテルのフロントに預けるより自分で持っていた方が安心できる。

部屋のテレビには去年泊まった宿ではただで見られたエロビデオがない。何か損をしたような気持ちがする。

どこのホテルの前にもでかいタイ国旗と黄色の国王旗が大袈裟にぶら下げられている。

Marinaホテルのフロントは英語も通じて親切だが、客は感じの悪い×ャン×ロ・タイばかり。

それでも部屋の天井にはKibratの方向を示す矢印が張りつけてある。これを見るのも久しぶり。

ネット屋のおやじの話だと、Marinaホテルは2度爆発があったそうである。

去年私が泊まったValentineホテル(エロビデオがただで見れた)もセキュリティが良くないという。

お勧めはGentineホテルということだった。

スンガイコロクの町は国境の町らしいマーケットがあり、食事も便利である。マレーシア式の食事もだいたいOK(テー・タリクは無理だろうが)。

町の雰囲気もそう特別ではない。今回はやはりヤラのほうが殺伐としていた。

夜になると昼にはよく見えなかったこの町の正体が見えてくる。

Marinaホテルの周りには売春バービアや売春ディスコが堂々と軒を並べて営業している。

何人かの白人男がタイ式に土人女をはべらせて空間を押さえている。

警察・軍隊もいたるところにいる。街を厳重に監視し警備している。

売春バービアが堂々と営業しているのは放っておいて、客がバーの女を連れて帰る「高級」ホテルを厳重に警備している

売春を警備しているのだ。

タイ警察・軍隊は、土人売春国家たるタイランドの「土人売春国家体制」を警備しているにほかならない。

私にはこれは順序が違うのではないかと思われる。

当局がこの堂々たる売春営業を取り締まって売春バービアも売春ディスコもなくなれば、この場所でのテロは一般住民への説得力を幾分か失って収束せざるをえないのではないかとも思われる。

タイ国家がどれだけ本気にテロを抑えたいと思っているかは疑問である。深南部テロで死ぬのは売春婦と下っ端の役人だけであろう。

24日。

昼ごろ外に出ると毛唐のグループがぞろぞろ歩いている。

ナラティワトやパッタニではほとんど見かけなかった毛唐が、タイ式に半そで半ズボンでのし歩く。若いのもおやじも。女もいる。

昨日のネット屋には韓国人らしいのがいた。スンガイコロクで見ないのは日本人だけか?

ネット屋に行くと昨日は見なかった若い毛唐が二人来ていた。昨日は地元の生徒しか来ていなかった。

部屋中に響き渡る声で大声でしゃべり、電話をかけヒヒヒと大声で笑う。タイ売春婦にかけているような電話もあった。

自分の機械の調子が悪いといって地元の女の子がやっているところに行き機械を代われと言う。それは断られたか無視されたようだ。

マレーシアのネット屋に来る毛唐よりやはり一段下等になるように見える。ここにいる毛唐はみんなタイ滞在延長のためにスタンプを押しに来ただけだろう。

昨日は気づかなかったが、Marinaホテルの近くに“Lady Home”という英語看板を大きく掲げた「マッサージ」屋がある。家庭内暴力被害者のシェルターだろうか。

テロリストはもっとスンガイコロクを狙うべきだと思った。

毛唐が来なくなればそれだけでも世の中はかなりよくなる。

Marinaホテル近くの売春バービア遠景 (ほかにもいっぱい)

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美容室で

美容室 は普通の(?)女の子と普通に仲良く(?)なれるところ。

検閲により画像2枚削除

この人はチェンライ出身で父親は中国人だとか。私には懐かしい顔立ち。おそらく、母親はアカ族ではないかと推測する。タイの地の果てコロク川まで「戦火」の中をはるばるやってきて・・・・。

同じ美容室で

検閲により画像1枚削除

こちらは別口。ラインが違うのか、すでに臨戦体制にはいっているのか。
毛唐が好んで連れ歩くタイプの容姿ではあるといえる。しかし、白人が連れ歩いているアジア人レンタルワイフの平均水準に比べるとかなり美しい。
なお、この人はこの時点で毛唐のレンタルワイフではなかった。

25日。

Marinaホテルをチェックアウト。歩いてボーダーに向かう。

どうせ20バーツなのでモトサイ(バイタク)を使ったほうがいいが、途中のネット屋によるために歩いた。

イミグレーションの手続きを済ませて、ランタウ・パンジャンへ。タイ側はもったいぶってパスポートはしげしげと見る。

マレーシアに出るとふわっと空間が広くなる感じがする。空間が明るい。

早速バス停近くでテー・タリクを飲む。ボーダーを越えただけで、タイではマレー系にも意味が通じなかったテータリクが飲めるようになる。タチレクに出ただけでラペイエが飲めるようになるのと同じ。

チキンカレーがおいしい。チキンの味が同じくハラールでもまったく違う。

スンガイコロクではマレーシアリンギが使えたが、ランタウパンジャンではイミグレ近くの店でもタイバーツは受け取ってくれない。

公衆トイレ(有料)番のおばさんがタイバーツも受け付けていたので、手持ちのバーツコインをリンギ(セン)コインに両替してもらう。おばさんのコインが足りず「手数料」を取られた。

1時間半ほど待って3時半ごろようやくコタバル行きのバスが来る。

バスはパシル・マス(Pasir Mas)を経由して、1時間ほどでコタバル市内に入る。

夕方5時近く、Azamホテルにチェックイン。90リンギ。一部屋空いていた。

2日間はいられるが、その後は予約でふさがっている。一応「アレンジ」を頼んでおく。

スンガイコロクの小さなネット屋は今日若い毛唐(ドイツ人など)がいっぱい来て大声で暴れまわっていた。

コタバルに来てネット屋に入る。

地元の人は、パキスタン丸出しの若者であっても小さな声でひそひそと話す。

ところがまた、毛唐女が2,3人入ってくる。

入るなり大声で「ハーイうんたら」といい、自分たちがどこでもタイ同様に大歓迎されているものだと思い込んでいるようだ。

そして、このわりと大きな部屋の隅から隅までがんがんに響き渡る声でしゃべる。

画像未検閲記事:
http://ibrahim.blog.shinobi.jp/Entry/22/

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2006年6月25日 (日)

ヤラ Yala

パソコンにタイ語が入っている場合でも、日本語がかぶせられず、WindowsXPのCDが必要な場合がある。「東アジア言語」のインストールがされていない場合。

今いるヤラのネット屋の別の機械はタイ語とアラビア語が入っていたが、「東アジア言語」のインストールはされていなかった。

WindowsXPのCDを貸してくれるところは少ない。外国人のまったく来ないところで「日本語を使いたい」と言うと面倒くさがってノーノーと追い返されることも少なくない。

機械を変えてくれとだけ言って別のパソコンで試してみるのがいいかもしれない。

旅先のインターネット屋での日本語IMEの入れ方

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6月21日。

正午ごろパタニホテルMy Gardensをチェックアウト。モトサイ(バイタク)で川向こうのバスターミナルへ行く。ヤラに向かう。

モトサイの運転手には「バス」の一言も通じない。タイ族らしい男で、タイ語以外一切受け付けない。相手が言おうとしている意味もとろうとせず、頭もまったく働かせず、ただすっとぼけたように「パイ ナイ」(どこ行く?)と繰り返すだけ。

「バス」なんて言葉は、ネパールの山奥でも通じる。何度言っても「バス」が通じない国は少ないのではないだろうか。

「バス」という言葉が通じないという人は、バスを見たことない辺境の人かタイ人かのどちらかである。ましてやバイタクの運転手。

タイ人以外の運転手なら客がどこに行きたいと思っているか少しは考えようとする。

この町には「バス」がないからバスという言葉を知らないのか(乗り物はナラティワトから来た時に乗ったバンだけなのか)、と思ったが、実はちゃんと「バス」はあり、一応のバスターミナルもある。

運転手がなめてかかっているようだったので、高圧的に「とにかく行け」と怒鳴りつけて迫ると、なぜかちゃんと意味が通じて結局バスターミナルに連れて行った。

タイ人を相手にするときはある程度コワモテを使うことも必要であると思う。接客業のタイ人がなめた態度をしているときには、一度だけ人前でびしっと怒鳴りつけてやるとがらっと態度が変わることがある。

ガイドブックなどにはタイ人は体面を気にするので人前で叱ってはいけないと書いてあるかも知れないが、要するに、人前で叱られて恥をかきたくないという気持ちが強いということである。

相手の弱みを適度につくことも必要である。

結局彼らが要領を得ないのは、ぐにゃぐにゃした態度をして時間を稼いでいるうちに相手の足元が見えるかもしれないし、なにか予期しない利益が転がり込んでくるかもしれないくらいに考えているだけのことが多い。

パッタニからヤラへは一時間もかからない。時々兵隊が立って、いつでも道をせき止めて検問できる体制を作っているところはあるが、検問はない。

北部のように警察がバスの中まで乗り込んできて乗客一人一人の人相風体をチェックし、周辺国人や山岳民族らしき顔立ちの者にはIDカードを提示させ期限が切れていたりしたら警官が個人的にカネを脅し取り身体を要求する、というようなことはこちらではあまりやっていないようだ。

ヤラはかなり繁華な大都会である。パッタニよりにぎやかで雑然としている。立派な鉄道駅がある。

バスから目にとまった「ヤラ・ラーマ・ホテル」にチェックイン。エアコン・TV付380バーツ。

つい先日(17日、このホテルのカラオケで爆発があり、カラオケ嬢(売春婦)が一人死んだ。すぐ近くの別の旅社は満室だった。やはり、爆発の影響だろうか。

深南部で爆破・銃撃、元県議長ら2人死亡

17日21:30過ぎ頃、ヤッラー県県都内中心部にあるヤッラーラーマー・ホテル内のカラオケ店で爆発が発生し、初期報道段階で女性1人が死亡し2人が負傷を負うという事件が発生しました

しかし、ホテル周辺は緊張感もなく、警備もまったくない。何事もなかったかのようである。

要人を狙ったらしいテロがあったくらいだから、もう少し高級ホテルかとおもったら、リーズナブルな宿である。

テロリストに狙われるようなタイの要人も安いところにとまるようだ。しかし清潔で、安全ならまあまあの宿といえる。

カラオケはフロントのすぐ近く。爆発の跡がまだ生々しい。

爆発で吹っ飛んだ瓦礫が残っている。フロントの売春婦のように厚化粧で時々変な笑顔を浮かべる姉ちゃんが、他人事のように見てごらんと指図してくれた。

ヤラ・ラーマ・ホテルのカラオケ店

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この姉ちゃんというかおばさんは、マレーシア人だといっていた。マレーシア人がタイに来て働くというのも変だ。しかし、マレー語を話すし、英語もわりと通じる。バハサ・マレー・ボレ・チャカプとか言っていた。

それ以外の女は顔からしてタイ族まるだしで、まったくやる気のないようなのばかり。

すぐそこで爆発があったから戦慄しているという様子もまったくない。フロントに座って一心に化粧している。

部屋は6階で景色がよい。

鉄道駅はラーマ・ホテルから歩いて5分。

ラーマホテルの近くのイスラム系のレストランでコピ・オが飲めた。味も普通。

しかし、その店の主人の男がツーリズム関係の人間らしく、しつこく英語であれこれ聞いてきてうるさかった。

「なぜこんなところへ来たのか」みたいなことを言う。どうしてこういうことを聞くのだろう。パッタニでもナラティワトでも、ここは危ないといったのはパッタニの警察官だけだった。

「ツーリストならべトンへいくべきだ」とか差し出口を言う。

いっそのこと「まともな人間ならタイに来るべきではない」と言ってほしかった。

なんでも、べトンには「韓国人やロシア人のツーリストがたくさんステイしている」そうである。なおさらそんなところはお断り。なんで×ョン×やロスケの溜まり場にわざわざ行かなければならないのか。

べトンは、マレーシアのクダーに隣接している。イスラム色が弱くタイ色が強いところだと思われる。クダーはタイの属国だった。

ラーマホテルのテレビはいろんなチャンネルが映る。Bloombergも映る。FoxやBBCワールドもある。

午後3時過ぎ、ラーマホテル付設の床屋に行く。爆発のあったカラオケの隣の別棟。

37歳の女主人は年より若く見える。ここ一週間客がなく、今日は初めての客だといっていた。カット150バーツ。(チェンマイにはカット35バーツというところもあったが、タイ人と一緒に行った場合である。)

彼女はよく英語を話す。プーケットで働いていたことがあるという。そのときも床屋だとは言っていた。

以前はタイ族ムスリムの男と結婚していて子供も二人いるという。

しかし、その夫がまったく働かず、彼女に食わさせておいて、若い二人目の妻を迎えた上に女遊びばかりするので、愛想が尽きて別れたということだった。タイではよくある話である。

その元夫はタイ族なのかマレーなのかと念押しして確認したが、マレーではなくタイ族だということだった。

夫はタイ人ムスリムだったが、彼女はあくまでタイ人仏教徒だという。彼女は改宗もせず仏教徒のまま結婚していたというからいい加減なものである。

ムスリム男性は、ムスリム以外では同じく「啓典の民」のキリスト教徒とユダヤ教徒の女性と結婚できると聞いているが、仏教徒女性と結婚はできないはずである。

タイ人には働かず女に食わせてもらう男が多いと言っていた。

変になれなれしい態度なので、別方向の商売かとも思ったが、ただ単純になれなれしい人だったようである。

この女性も「シントー」(神道)を知っていた。

この後どこへ行くのかと聞くので、マレーシアに戻るというと驚いたような顔をした。イスラム国になぜ行きたがるのかわからないという顔だった。そして「宗教は何か」と聞くので「シントー」だと答えると「ああ、シントー」という感じで納得していた。

困ったらなんでもしてあげると言うので、マスジッドを見に行きたいからバイクで乗せていってくれないかと頼んでみた。

最初は、マスジッドのほうはイスラム地区なので自分は怖いけどどうしても行きたいなら乗せてあげると言っていた。

プーケットはファランが多くていいところだったみたいなことを言うので、自分はファランが嫌いだとハッキリ言うと、少し距離ができた。

「タイフードは好きか」と聞いてくる。

こういう質問をこれまで何度聞いただろう。「タイは好きか」「タイ飯は好きか」・・・・何を期待して、あるいは恐れて、こういうことを聞くのだろう。日本のテレビが日本に来る外タレに「日本の女性はいかがですか」と必ずインタビューするのと似ている。

「時々ならいいが、毎日は嫌だ」と答える。

すると彼女も、日本食はテリヤキ以外はだめだと言う。日本食のことなんか何も知らないのだが。

「自分はマレーシア料理やインド料理が好きだ」というと、インド料理はペナンに遊びに行ったときに食べたことがあるが不味かったという。タイ人は食い物についてとくに排他的で独善的である。

この女性は今まで何度となく同じ質問を外国人にしてきたのだろう。そのたびにベーリーナイスとかファランのおべんちゃらを聞いてきたのかもしれない。

この問答でハッキリと距離ができた。そのせいもあってか、マスジッドに行くのはやっぱり嫌だということになった。自分は「タイ(人)」なのでムスリム地区に行くのは危ないという。

マスジッドへの道順を教えてもらう。

駅の逆の方向にあるマスジッド(セントラル・モスク)はなかなかモダンな立派なマスジッドだった。

タイ族にとってはともかく、外国人にとってムスリム地区は別に怖くはない。途中に兵隊が立っていたが、こっちのほうが怖い。

軍隊はマスジッド周辺のムスリム地区に目立つが、ラーマ・ホテル周辺のタイ人地区には軍隊も警察もいない。この辺がよくわからない。

暴動でも恐れているのだろうか。

テロはタイ人地区や退廃娯楽施設のあるところで起きることが多いのだから、ムスリム地区に兵隊を立たせておいてもテロの予防にはならないだろう。たんにムスリム住民を威圧するだけである。

ヤラは都会だが、パッタニにはいっぱいあったインターネット屋は見当たらない。マスジッドの近くにだけある。来ている客もムスリムの学生で、タイ族のようにゲームに興じているのではない。お勉強関係である。

パタニにインターネット屋が多かったのは、大学がある関係かもしれない。しかし、客はゲーム目的のタイ族のガキが多かった。

マスジッド周辺のイスラム色はヤラのほうがパッタニよりも濃い。白づくめのおじさんたちが店に集まっているところをよくみる。女性もきちんとスカーフをしている人が多い。黒づくめも少なくない。

今日も激しい夕立があった。

爆発のあったカラオケ屋に隣接する、ホテル付属のタイマッサージに行く。久しぶりのタイマッサージ。

2時間200バーツは悪くないが、ちょっと気持ち悪い感じのおばさんばかり。

確かに上手である。が、すぐにエロサービスに持っていこうとする。脚の付け根のぎりぎりのところばかりしつこくマッサージする。もちろん局部にも触れないわけには行かない。

これでちょっとでも勃起しようものなら、「ほら立った。ここもマッサージするか?」という話になる。

若い娘ならともかく40過ぎのおばさんに抜いてもらいたくはない。このさき死ぬまでに何回抜けるかわからない貴重なものである。

そういうそぶりはまったく見せないようにしていたが、それでも最後にココもマッサージするかと言ってくる。

タイ族をのさばらせているとこういう醜悪なのが際限なく増えるだけだから、テロられてもやむを得ない。

マッサージが終わるとすぐにむこうからチップをくれという。

やらないわけではないが、何も特別なことはしてもらっていないので20バーツ差し出すと、とたんに起こった声を出してオーと吼えた。まったく人間離れしたけだものの声、メス犬だ。犬にしては太すぎるのでやっぱりメス豚か。

タイ語は動物の声に似ている。

20バーツ札が気に入らないというのであれば、40バーツはますます気に入らないだろう。チップはいらないということである。チップは一銭もやらなかった。

私から見ると、この女は欲を出して20バーツもらいそこなっただけに見えるが、タイ人の考えていることはわからない。20バーツ受け取るよりも何も受け取らないほうがいいのだろう。

これと同じことは以前タイの各地をで何度か経験した。

特に、エロサービスをしそこなったおばさんがこういう反応をすることが多い。おばさんのエロサービスがいくらか知らないが、それと同じ金額をむしりとろうとするようである。

サービスの対価としてカネをもらうという意識はなく、何もしなくてもカネをもらう権利があると思い込んでいるように見える。

 
夜、少し気持ちが悪い。気分がざわざわして、あまり安眠できない。Bloombergをつけっぱなしにして寝る。

テロが怖いのではない。すぐそこでちょっと前に人が死んだところにいるのが、やはり気持ちが悪い。人はいたるところで毎日死んでいるのだが。

自分は臆病すぎて人を殺せないかもしれない。こんなことではダメだ。これは弱さである。人を殺さなければならない状況はいくらでもあるはずだ。

そうでなくても、大義のために人を殺せない程度の人間に世の中を変えることはできないだろう。そして、それがちゃんとできる人が義の人と呼ばれうるのであろう。臆病で人も殺せない程度の人間が何を言っても力はない。自分も人も殺せるようにならなければならない。

22日。

ヤラは、市街に兵隊や軍隊が目立つ。やはり、全体の雰囲気は殺伐とした感じである。パッタニのようにのんびりとはしていない。

昨日最初に入った店を探すが、どうしても見つからない

夕食を食べた店は昼になっても閉まっている。

大通りを隔ててマスジッドの向かいにあるネット屋から帰る時に、白ずくめのムスリム青年たちに話し掛けられた。

話しているとすぐに宗教は何かと聞かれた。

白い服もくたびれていてあまり上等な連中には見えなかったので、神道などといってもわからないだろうと思い、“Japanese”とか適当に言ってごまかすと(私は宗教を聞かれたときにJapanese religionとか言ってごまかすことがある)、相手の方からすぐに「シントー!」と言ってきたので驚いた。

「シントー」はイスラム世界でわりと知られているようだ。

「特に宗教はない」という日本人は、タイやネパールなどに行って宗教はなにかと聞かれると、向こうにあわせて「仏教」と答えてしまうことが多いのではないだろうか。

そういう人は「シントー」と答えておいた方がいいかもしれない。日本的な「無宗教」こそ神道の一つの現代的特徴なのかもしれないからだ。

もちろん、タイ深南部でムスリムに宗教を聞かれたときは、仏教と答えない方が仲良くなれると思う。

午後8時ごろ、線路を渡ってタイ人地区に戻ると店はもうどこも閉まっていた。仕方が無いのでもう一度イスラム地区に戻り、ローティ・チャナイなどを食べる。コピ・オもまだある。

帰りに駅の近くを歩いていると、私服のような大柄なバイクの男に声をかけられ、どこへ行くと最初はタイ語で次に英語で聞かれたが、Who are you!と怒鳴りつけて終わり。俺はお前をだだのチンピラと見なしているという意味である。すぐに行ってしまった。

今夜は昨夜に比べて、ホテル周辺の警備員の見回りが厳重だった。夕方頃、ベンツが車寄せについて、ボーイがヘコへコ駆け寄って恭しくドアを開けていたから、誰かまたVIPが(この安宿に)来たのかもしれない。

23日。

この辺のマレー語ではリマ(5)のことをリモとかモコとか言うようだ。

ラーマホテルはやはり安宿だけあって音がよく響く。客は少ないが、朝の掃除の音がけたたましく、また、深夜に廊下を歩く者の足音がどしんどしんと響く。兵隊でもいるのだろうか、すごい足音だった。

スンガイコロクに向かう。

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上の写真のダウンロードをやったあとデジカメを見ると、メモリーに入っていた写真のほとんどが消えていた!

シャーアラームのマスジッドの写真も、マレー鉄道も、コタバル周辺のビーチも、タクバイの写真も、パッタニの美しいマスジッドも、ヤラのモダンなマスジッドの写真も全部消えてなくなっていた。やっぱりよくわからないことをやるべきではなかった。上の写真のテロで死んだ売春婦の(註)タタリという線もないわけではない。もう一度深南部を回って写真を取り直してこなければならなくなった。

(註)その後の報道により死亡したのは男性客と訂正。

(消え残った写真より)

ヤラ・ラーマ・ホテル

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ヤラ・ラーマ・ホテルのカラオケ店(外観) 窓ガラスは壊れなかったようだ。

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2006年6月19日 (月)

【写真】タクバイ Tak Bai

タイ深南部国境の町、タクバイ。

一昨年「タクバイ暴動」というのが報じられたと思う。

タイ当局がムスリム容疑者を何十人もトラックに押し込んで圧死させた事件があった。

今は平穏で、ムスリムの人々の表情は(普通のタイよりずっと)穏やかでニコニコしている。(2006年5月、6月)

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タクバイに関する文章を含む記事:

スリ・トゥージュー・ビーチ クランタン州 マレーシア Pantai Seri Tujuh, Kelantan

ナラティワト Narathiwat

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タクバイのイミグレ

指紋を押させられる人。光で指紋を取る(照合する?)機械がある。

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レストラン

検閲により画像削除 

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ナシ・ダン・イカン

これは美味かった。

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カレーを一口食べて旨いと思い、せっかくだから写真を撮っておこうと思い立ってバタバタしたときにご飯をこぼしてしまったのは、悔いの残るところである。それがなければもっと旨そうに映っただろう。

マーケット

検閲により画像削除

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選挙ポスター

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タクバイのマスジッド

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国境の桟橋

マレーシアのイミグレが見える。

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未検閲記事:http://ibrahim.blog.shinobi.jp/Entry/20/

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若者への「性的いたずら」でタイから追放されるアメリカ人英語教師【NST】

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マレーシアの新聞「ニュー・ストレーツ・タイムス」に載った写真記事。

youthsというのは「若者」でいいのかな。

molestは「いたずらする」と辞書にある。

この男の顔があまりすばらしいので写真に保存しておいた。

日本語ではよく「悪びれた様子もなく」とかいうけど、実はその意味がよくわからない。

この人は信念の人だと思う。

私はこの際、この人の表情に表れた強い信念に、嫌悪よりもむしろ賛仰の念を抱くものである。

最後の最後まで一歩も退くことなく、プライドの高さを示し続けている。

「なぜだ!」

「なぜこんな不当な扱いを受けるのだ!」

「私は何もワルイコトはしていない!」

「私はタイランドに滞在する権利がある!」

「私は米国市民であり英語教師である!」

いずれも信念の叫びである。

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2006年6月 9日 (金)

タイ深南部の日々

今、このタイ深南部の3県(パッタニヤラーナラティワト)に、どれだけの日本人ツーリストがいるだろうか。

そのように考えると、みんなが来ないところに自分がいることに、ちょっとした得意の気持ちを感じないではない。

といって、盲目にイラクに突入しようというのとはまったく違う。

この地域では、しばしば爆弾事件や銃撃事件が報道されているが、郊外で軍用車や警察車両が襲われたり、爆弾であっても携帯電話などを使った遠隔操作で当局者や怨まれている仏教徒教師らを狙い撃ちすることが多いようである。

住民を巻き込むような無差別テロはないようだ。無差別テロに関しては、以前、マレーシア人の多く出入りするカラオケクラブが狙われたことがあったと記憶しているが、最近はあまりないようである。

テロに巻き込まれる確率がまったくないわけではないが、車にはねられる確率はもちろん、街を歩いていて死ぬ確率もバンコクのほうがはるかに高いのではないかと思われる。

国際的なテロ組織との関係は、噂に過ぎなかったらしい。

私は去年もこの地域を訪れたが、そのときも平穏だった。

ちょっと入ってみて、たとえばタクバイとかスンガイコロクとかに入ってみて、まわりをよく観察し雰囲気を確かめてみれば、どの程度緊張した地域であるかは想像がつくのではないかと思う。

ただし、去年の経験から言えば、スンガイコロクがいちばん殺伐としていた。スンガイコロク=ランタウバンジャン一帯は一般犯罪も多いようである。

去年スンガイコロクで泊まったホテルのテレビでは、エロビデオがただで見られた。そんなことが妙に楽しかったりしたものである。マレーシア、クランタン州からエロに飢えてタイにやって来た男性のためのサービスだろうか。

タイ深南部にはいって一週間、今日になって初めて白人を見た。毛唐女がひとり、野球帽をかぶって自転車に乗っていた。

白人はどこにいっても態度も服装も変わらない。やることも同じである。彼らのAirはどうしようもない。テロられればいいのにと思った。

朝寝坊をしてテレビをつけてみると、国王戴冠60年式典の真っ最中だった。

思いのほかよぼよぼでくたばりそうだった。まともに歩けないようでもある。

顔面麻痺のせいか、顔を引きつらせて、見苦しくきょろきょろして落ち着かない。

糊塗しようとしても糊塗しきれないカルマの報いがいつ身に降りかかるかとびくびくしているように見えないことはない。

もっと現実的に考えて、ひとつの方向を向き一色に染まって熱狂している群衆は、いつ気が変わって反対の方向を向くかわからない。

賢い国王であるならば、そのことを恐れているのかもしれない。

国中が一色に染まって熱狂していることは、それだけでも君主にとっては脅威である。

ちょっと前に政治のことで政治家だったか裁判官だったかに説教していたときの国王は、もっと生き生きしていたように思う。

愚か過ぎる国民の熱狂に付き合っていくのにホトホト疲れ果てていることも事実だろう。

天皇皇后両陛下が賓客の一人として参列なさる予定である。

しかしその報道はほとんどなく、外国からの参列客については白人王族のほうが大きく取り上げられているように思う。

右翼の皆さんはこのことを怒るべきではないか?

天子はつねに八紘一宇の天子であるとすれば、天皇陛下とタイ国王とが対等というだけでもおかしいことではないか?

そういえばサッカーも、日本チームに関してはまったく報道されない。このグループからはブラジルとクロアチアが勝つと決めているようだ。

国王祝典のために休日なのか、ネット屋はタイ族のガキどもが占領して一日中ずっとゲームをやっている。マレー人の子供は路上に座り込んでタバコをふかしたりしているものもいる。

この町でも、店員が黄色を着ているかどうかでタイ族の店かどうかすぐにわかる。そういうところは避ける。ムスリムは普段どおりの服装。

タイ族の店の中には店じまいしたところもある。バンコクに行ったのだろうか。

タイのテレビにあれこれ文句をつけても仕方がないことはわかっているが、どの局も横並びにイタさに満ち溢れている。

痛すぎると思ってチャンネルを変えてみると、どの局も同じ画面を移しているのだが、別に国王が映っていたわけではない。

ベッケンバウアーとFIFAのブラッター会長だった。

ワールドカップのニュースの枠なのだが、ベッケンバウアーやFIFAのブラッター会長に、ドイツワールドカップがタイ国王戴冠60周年に重なることの「めでたさ」について、無理やり言わせているのである。

ワールドカップとタイ国王とは何の関係もない。ベッケンバウアーもブラッター会長も「タイ国王がいかに偉大な大王であるか」wについての知識はないだろう。

だから無理やりこじつけさせられて途中でしどろもどろになってしまう。

これはもう、集団自慰というより、公開オナニーそのものだった。

私の見た中ではこれが、爺さん婆さんでもないのに王宮前広場で泣き崩れているご一同様の映像にもましてイタかった。

日本人も敗戦の勅語を聞いて宮城前で泣いたが、現在のタイ人の「国王マンセー泣き」にくらべたら実につつましい光景であった。

これはやはりファッショFascioというべきではないのか?Fascismでないとしても、少なくとも警戒すべきショーヴィニズムChauvinismだろう。

他国のことだから口を出すべきではない、勝手にさせて置けばいいのだ、というのなら、「ナチス」も「日本ファシズム」もそれ自体非難する理由はなくなる。

タイでも少数民族や宗教的マイノリティは今でも非法的な手段によって殺されているのである。

 
いま深南部のある町の、深夜12時過ぎても開いているネット屋にいる。隣の台では小学生がゲームに狂っている。深南部でも市街地はこのように平穏である。

タイのムスリムにはほとんどタイ化してしまっているものや、もともとマレー系でない中国人顔のもいる。なかには黄色いシャツの上に黒いトゥドゥンをした見当はずれなのもまれにいる。

しかし、ムスリムの心はタイにしてはまだそれほど汚染されていないといえると思う。

より多くの日本人ツーリストが深南部を訪れるとよいと思う。

ゲームに夢中だった子供は1時過ぎに帰っていった。深夜2時近くまでネット屋は開いていた。閉まる時間になって外に出ると、銃を持った兵隊が数人いた。バイクを調べている。

さほど緊張感はない。バイクに爆弾を仕掛ける形のテロがこの地域では時々あるようだ。

インターネット屋での日本語IMEの入れ方

(ただし、私はこの方面の知識はまったくないので、見よう見まねでこうなったというレベルの話である)

タイのネット屋はたいていタイ語が入っているので、日本語IMEは入れやすい。WindowsXPのCDromは要らない。

日本語IMEの入れ方は、まずスタートボタンのSettingsやMy Computerなどから「コントロールパネル」を開き、Regional and language optionsというところをクリックする。

コントロールパネルを開いてPick a cathegoryというのが出る場合には Date,Time,Language and Regional optionsというところをクリックすると、Pick a taskというのが出る。Add other languageをクリックすると、同じRegional and language optionsの鉛色の装置が出る。

鉛色の装置のRegional optionsのところを参照する。タイ語などが入っていればRegional optionsの一覧に日本語も入っているようである。そこをJapaneseに変え、LocationもいちおうJapanに変えて、Applyするだけで日本語ツールバーが出せるようになるようである(Locationの変更は必要ないのかも知れないが、以前マレーシアでなぜかどうしてもうまくいかないときにこれをJapanにしただけでうまくいったことがある)。この場合は、Languagesをさわる必要がない。

タイ語などが入っていない場合は、まずLanguagesのところを開いてInstall files for East Asian languagesのところにポチを入れてApplyするが、このときWindowsXPのCDが必要になるようだ。あとでRegional...のところも変える。マレーシアのネット屋ではXPCDを貸してくれることもあった。

タイ人には食傷ということがないようだ。

9日を過ぎても延々と国王賛美が続く。

現在のタイは国民精神総動員体制である。

テレビによると、いま日本でも「黄色」を着て騒いでいる連中がいるようだ。

韓国に好んで謝罪旅行に行き、レイプされても仕方がないと言っている日本人女もいるそうだから、天皇は嫌いだけどタイ国王様には身も心もお捧げしますという日本人も少なくなかったりするのだろう。

こういう連中は、その時々の時勢に案外敏感で、買いだと思えばどんな権威にでもすがりつき身も心も捧げてマンセーするのである。日本を持ち上げないことが戦後一貫した時流であることもよくわかってやっていること。

しかしなぜかタイのテレビからはこの時期、普段はかなり濃かった日本色がすっかり消えているように見える。

毎週やっていた日本のドラマは放映されず、日本ネタのCMもなぜか見なくなった。

その代わりに、白人をつれてきてタイ国王を賛美させるというサル芝居が目立っている。

今のタイはワールドカップの韓国の「デーハミングック」と同レベルの狂騒である。

15日。

今日この深南部三県で同時の爆弾テロがあったらしい。

インターネットのニュースで知った。

(記事)

タイで連続爆発、9人けが 警察署など10数カ所で

【バンコク15日共同】タイ南部のナラティワット、パタニ、ヤラの3県で15日午前、警察署など10数カ所で爆発があり、地元当局によると計9人が負傷した。南部の分離独立を掲げるイスラム過激派による連続爆弾テロとみられる。
 地元警察などによると、ナラティワット県では埠頭(ふとう)で爆発があり、海上保安当局者5人が負傷。パタニ、ヤラ両県では警察署などが被害に遭い、警官ら4人が負傷した。
 タイでは9日にプミポン国王が在位60年を迎え、12、13両日には祝賀行事が行われた。

(共同通信) - 6月15日14時12分更新

Series of bombings hit Thai south

At least 30 bombs have exploded in the south of Thailand, killing at least two person and injuring many others.......
They went off almost simultaneously across the three provinces.......

The homemade bombs exploded early in the morning, just as people were arriving for work........

................................................................

しかし、町はあいかわらず平穏で、いまのところ何の変化も感じられない。

緊張した雰囲気もない。私のいるところでは警察も軍隊も見かけない。

16日。

南部情勢はやや緊迫の度を深めているかもしれない。

15日はパッタニの「独立宣言記念日」だったそうだ。今日は珍しく、大通りの歩道で銃を掲げて番をする兵隊のような男を見た。

しかし、なんだかガードマンのように一人だけで立っていたし、普通のタイ軍兵士のような迷彩服ではなかった。草色無地の服装。銃は立派そうに見えた。

にらみつけてみたら相手も向き直ってこちらを目で追ってきたから、兵隊ではなく警備員が銃を持っていただけかもしれない。訓練された兵隊はそういうことはしないような気がする。警官の制服ではなかった。

国王祭り前まではにぎやかだった深夜の屋台が寂しくなってきた。

最近の情勢と関係があるのだろうか。

自分は今、深南部のど真ん中にいる。確かに、今動くべきなのか、この安全そうな町にとどまるべきなのか、慎重に考える必要はある。

それでもこの時間、1時過ぎにネット屋が開いていて、少年たちがゲームに興じている。

深夜まで開いている店では人が集まってワールドカップのテレビに興じていることが多い。タイ族もムスリムもこれに関してはあまり違いがないようだ。タイは出ないのだが。

あまり見たことのないチームの試合で、点が入ると大変な歓声が上がる。博打だろうか。

18日(日曜日)。

多くの店が閉まっている。行きつけのマレー系食堂も。

先週の日曜日は、国王狂騒の真っ最中だったが店はもっと開いていたように記憶している。

ホテルの周りは警備員の姿が目立つようになった。昨日のカラオケ爆破事件の影響だろうか。カラオケ嬢(売春婦)が一人死んだらしいが。

19日。

ホテルの中をうろつく迷彩服を見た。

ホテル警備も厳重になってきている感じがするが、昨晩タイ族客がたくさん泊まったからだろう。

売春婦のようなナリのタイ人女も客で来ていた。

まずもって、こういう連中が北部中部からやってきて風紀を乱すから、ムスリムが怒るのだろう。

屑な仏教徒タイ族を深南部に送り込み、深南部をタイ族に同化させると言うのはタイ政府の南部政策の基本である。

タイ化すればセックスのタブーもなく、北部から来た姉ちゃんとやり放題、酒も飲み放題といわれれば、そちらになびくマレー系の若者が増えるのもやむをえない。

こういうところをあからさまにつくやり方が汚い。

貧しく言葉も違い「顔が醜い」ために北部中部タイ族に差別されながらも、なおタイ人意識が強いイサーン住民を、深南部に政策的に移住させるという案もあった。

こういうことが国政レベルで本気で議論される国である。これに対しては、イサーン人の方から苦情が出たようである。

今この地域で、マレー人に対する目に見えない弾圧が強まっている可能性がある。

ムスリムレストランが閉まっていることが多い。

モトサイ(バイタク)を拾うとタイ族運転手ばかりで、マレー語が一言も通じない。国王狂騒以前はたいていマレー人運転手にあたり、マレー語が通じていた。

町は前にもまして、これ見よがしに黄色を着た連中であふれている。

この地域ではとくに、いま黄色を着ないとまずいという雰囲気がありそうだ。

日本人タイヲタの中には、「色黒で土人顔のタイ人がマレー系」だと信じているのもいるようだが、見当はずれである。

今日数回モトサイを拾い10人位には話しかけたが、みんな真っ黒なごてごてした顔をしていて、しかもマレー語が一言も通じなかった。

「マカナン・イスラム」とかナシ、アヤムが通じないのだから、マレーとはまったく縁のないタイ族である。

実はマレー人はそんなに黒くない。コタバルとタイとを比較してみればわかる。この辺でいちばん地黒なのはタイ中部からカンボジアにかけての人たちではないかと思う。モンMon・クメール系の混じったタイ族。顔がごてごてするのも混血ゆえだろう。

マレー人はこのあたりでも、特に女性は色白のうりざね顔が少なくない。

夜、深南部に入ってから2人目の毛唐を見た。今度も女。ローカルらしい女にガイドされている。薄暗い歩道を前方から歩いてきたが、すぐにわかった。

道を譲り合おうという気配が「まったくない」から。これが毛唐のはっきりとした特徴である。アジア人ならよっぽど横着なガキでも前から来る人に対する一定の意識を持っている。

こちらも相手に合わせてまったく道を譲らなかったが、道に余裕があったのでぎりぎりですれ違った。こちらが道を譲らないとわかると、毛唐女はテロリストにでも出会ったかのようにキッと引きつった目でにらみつけてきた。

いつものパターンである。

毛唐が面白くないのは、彼らの思考がこのように画一的で自由がなく、みんな同じ枠から出られないからである。

彼らに特権的に付与された狭い幻想の枠の中で玉ころがしをして、自分は「自由」だと思い込んでいるだけである。

その狭い「自由」の枠の中にいて必然的にストレスがたまると、アジアに来て貴族ぶったり横着三昧をしたりすることになる。

しかし彼らにとってのよりどころであり避難所であるのは、どこまで行っても、この幻想の空中楼閣である。

そのような空中の玉突き台を支えているのは、軍事力、経済力、言語的支配や知的財産による支配を含む文化的なヘゲモニーなど。

セブンイレブンの前で、警官が番をしていた(と思った)。セブンイレブンも襲われているようだ。

まあ、コンビニは日本でも襲われるし、宝石屋にトラックで突っ込んで強盗する手口もある。あれをテロと呼べないのは政治的・宗教的な状況が違うからである。

宗教的・政治的な一定の状況があって、ちょっとした手製爆弾や爆竹やタイのほかの地域でもおきているような射撃事件があると、テロ事件として大きく報じられることになる。

セブンイレブンから出てくると、番をしていると思っていた警官はいなくなっていた。こういうことがしょっちゅうある。あるときは大げさに交差点を固めているが、ちょっと時間がたつと警官一人もいなくなる。

大げさに固めるといっても、完全に封鎖して徹底的な検問を敷くというのではない。ただ(おもに腹が)でっかい警官が何人も突っ立って住民や通行者を威嚇して、ときどき車を止めたりしているだけである。

特別の情報に基づいて重点的なチェックをしているというなら、ただなんとなく制服警官を大げさに立たせておくことには意味がない。完全封鎖して全員チェックするかターゲットを私服で完璧に尾行するかどっちかになるだろう。

だから、ある時間帯だけ(昼休み時が多い)制服警官が何人もおおぎょうに道に突っ立ってしばらく威嚇していて1時間もたつと誰もいなくなる、という警備は、テロ退治にはほとんど意味のない仕事だということになると思うが、どうだろうか。

深南部でテロが収まらないのは、爆弾がそれほど立派なものでないのと、当局が本気でどうにかする意思も能力もないからだろう。

爆弾の爆発力と政治的なインプレッションも比例する。本気でこの地域の状況を転換させたいなら、なんとかして爆発力の高度なものを調達し、大規模な事件を起こすことが必要になると思う。

しかし職業的にずっと続けていきたいということなら、日本の極左の「金属弾」のように、手仕事の技術だけ洗練された被害のあまり出ないものをニュースになるようなタイミングで着実に打ち上げていく、というのが一番だろう。

日本だと「ぼっと燃えただけだが時限発火装置が非常に精巧なものであった」とか、そういうことだけでもプロは食っていけるようである。

しかし、出血・グロ好きのタイ人向けなので、すこしは血が流れないとだめなのかもしれない。

20日。

タイ関係のニュースをネットで参照していて、深南部がタイの中で特別危険な地域であるということは決してないという確信を強くした。

若者グループがバービアに向け銃を乱射しオーストラリア人女性1人が死亡

ミャンマー人殺害、運転手巻き添え

チェコ敗北でショック死

タイでは人は死にやすい。よくわからない理由で人が殺されることも特別のことではない。

テレビでは相変わらず「国王賛美のCM」をしつこく流している。

タイが公式にいうほど国民に敬愛されているのなら、賛美のCMを長々としつこく流す必要はないはずである。これは、街のかどかどに展示されている国王や(実に気持ち悪い顔の)王妃の巨大な写真についてもいえるのだが。

しかも最近のCMの傾向として毛唐を使うことが増えてきた。

毛唐に英語で長々とタイ国王への賛辞を述べさせる。白人様もこんなに評価しているということを国民に示さないと、国王を中心としたイデオロギー的統合が保てないのだろうか。

日本大使館員らしい気取った小役人に(親父の癖に英語なまりのような日本語をしゃべる見るからにくだらない感じの小役人だったが)、天皇がいかにタイを気に入っているかを無理やりしゃべらせるという企画もあった。

タイ人は(後進国の連中が日本語をしゃべるときはたいていそうであるように)なかばなめたようなへつらうような日本語だったが、この日本の役人のしゃべり方には天皇に対する敬意など微塵もなく、評論家のように第三者の話をしているという感じだった。

タイ人記者「天皇陛下はもう2回もタイに来ていますが」。日本の役人「国王陛下の戴冠60周年行事ということですから、2回目であろうと3回目であろうと、タイに来ないという選択はない」「皇太子時代に6回も来てるから、タイが好きなんでしょうねえ・・・」といった口調。天皇陛下にたいする敬語もろくに使わない。在タイ日本人など役人も含めてこういうのが多いから、天皇が今度のような扱いを受けて日本人全体が恥辱を受けることになる。

最近はあまりテレビを見ないので、もっといろいろな恥ずかしい企画をやっているのだろう。

深南部でテロが続くといっても、イスラム勢力はこのような現人神的国王賛美にムスリムが迎合することを容認しているのが現実である。

本気で独立を目指すなら、まず思想的に独立しなければならない。ムスリムには現在のような偶像崇拝的な国王賛美を禁じなければならないはずである。

現在タイで行われている国王賛美はそれ自体偶像崇拝的なもので、唯一神に対する信仰とは相容れないのではないかと思う。しかも国王は宗教的に中立ではなく、法的にも仏教徒であり公式に仏教僧の祝福などを受けるのである。

ムスリムである以上、仏教徒タイ族のタイ国王賛美に加わってはいけないというファトワをなぜ出さないのだろう。

それが仮にこの地域のイスラム社会に分裂をもたらしたとしても、今のままずるずるやっていくよりはいい。今の状態はこの地域のタイ化を容認するものである。北からのタイ族の入植は進んでいるし売春婦も移植されている。

この地域のイスラム指導者が、国王の個人崇拝を禁じる、国王写真を含めた一切の偶像を排除せよ、というファトワを発したなら、全世界の熱心なイスラム教徒の関心を集め独立運動への支援を期待することができるだろう。

それによって一時の分裂と流血がもたらされたとしても、得るものの方が大きいはずである。

いやいや、流血も人身被害も伴わない人道的かつきわめて効果的な「テロル」がある。

本気ならこれをやるべきである。これについてはタイを出てから書く。

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関連記事:

ナラティワト Narathiwat

パタニ Patani (パッタニ Pattani) (平行記事)

ヤラ Yala

スンガイ・コロク Sungai Kolok

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食事についてくる生野菜 

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ローカルレストランでは何を食べてもこういう「野菜サラダ」がついてくることが多い。もっと豪華なものもあった(量ももっと多く、たけのこ付きとか)。半分くらいは香草で、棘のある草もある。一見不潔に見えるが、すべて食べてもお腹を壊したことはない。

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2006年1月29日 (日)

それでも言葉の力を信じる「朝日新聞」の広告です

それでも言葉の力を信じる、「読む入試の味方」朝日新聞の広告です。
JR山手線高田馬場駅で。
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なーるほど、英語の力は単語の力、入試の力は言論の力、といったところでしょうか。

「他紙を圧倒!出題率ダントツNo.1」だそうですが。
それでも私は「朝日新聞」の言の葉は信じない。

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2006年1月12日 (木)

ソルクーンブ写真総整理6

パンボチェからポルツェへ。
ポルツェを通る人通りの少ない道沿いに、ひとりでロッジの番をしている若くてきれいなシェルパのお姉さんがいた。英語がひとことも通じない人で、シェルパにしては例外的に親切だった。
その晩、客は私一人だったので、彼女と二人きりのロッジに泊まることになったのだが・・・・持っているものは全部着て寝袋に入り、その上に毛布をかけてもらっても、体の芯からガタガタ震えが来るほど寒かった。
翌朝宿を出るとき、サンダルで歩いていた私に、ロッジにあった真新しいスニーカーをすすめてくれた。足に合うかどうかもわからないので断った。
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ゴーキョの近く。
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ソルクーンブ写真総整理5

チュクン・リ。
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ソルクーンブ写真総整理4

ゴーラクシェプから、カラパタール。黒く見える三角の丘がカラパタール。標高5500メートルくらい。雪はなく(12月初旬)、一般トレッキング客も普通に登れる。
私は荷物を増やすのが嫌だったのと、かっこつけたい気持ちもあって、普段はいていたTevaのサンダルでソルクーンブをひとまわりした。かっこつけたバチで、角質化した皮膚が裂けた傷が半年くらい治らなかった。
最初は山仕事の人のマネをしてゴム草履で歩いてみたが、すぐに岩につまずいて血を見たので、ゴム草履はあきらめていつものTevaサンダルにした。カラパタールもサンダルで登れる。
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2006年1月11日 (水)

ソルクーンブ写真総整理3

ナムチェから、タンボチェ、パンボチェ。
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ディンポチェから。
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ソルクーンブ写真総整理2

シャンポチェへ。
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ソルクーンブ写真総整理1

ルクラ
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ルクラからナムチェ。ナムチェの風景。
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2006年1月10日 (火)

モンラーの風景 ミャンマー

中国国境の町、モンラの風景。
ここは人民元経済圏。
小さな町の中に、極端に違う風景が並存している。

チャイントーン-モンラ間の道のほうが、タチレク-チャイントーン間よりも舗装がよかった。
ミャンマーだが、ゲーム屋でインターネットができる(日本語のできるところは見つからなかった)。
マーケットはおぞましいところ(好きな人にはたまらないところということになる)。

タイヤイかタイリュかの集落。

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モンラ・マーケット方面を望む。中国人の欲望を満たすものはすべて、狭いマーケットの範囲内で効率的に手に入るようになっている。
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モンラのホテル。
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マンダレーで撮った写真 ミャンマー

マンダレーで。

日本で廃車になったピカピカの車が活躍。
テーブルの上のビンはガソリンではなく、「マックスコーラ」の商品のようです。ミャンマーでは、コカコーラは敵性飲料ということで、限られたところでしか飲めず、「スターコーラ」か「マックスコーラ」が一般的だった。スターコーラのほうがおいしい。
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仏像。
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チャイントーンの湖 ミャンマー

ここはとても良いところ。
湖畔に数件の茶屋、レストランがあるだけ。
外国人ツーリストはめったに見なかった。

この場所が、タイ人売春婦連れ白人によって占拠されるようなことにならないことを祈るのみ。最近はどうなのだろう。

ミャンマー軍事政権には、ミャンマーが、「自由」と称する白人のデタラメが大手を振ってまかり通る汚らわしい国になってしまわないように、気を引き締めてがんばってもらいたいものである。

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チャイントーンで見た仏像 ミャンマー

チャイントーンのお寺の仏像。

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チャイントーンのお寺の鐘 ミャンマー

鐘を担ぐ変な人たち。
ネパールのジャナクプルとかそっちのほうを連想するが、チャイントーンのお寺で撮影したもの。

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チャイントーンのお寺 ミャンマー

ミャンマー・シャン州、チャイントーンのお寺。

市の中心部にあるお寺。
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仏塔。
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ちょっとムガール風?
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2006年1月 9日 (月)

チャイントーン(Keng Tung,景棟)、ロイムウェ ミャンマー

チャイントーン市内の風景。ミャンマー・シャン州。

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チャイントーンのマーケット。アカ族の人たちが普段着の民族衣装で買い物に来ている。頑丈な塀で囲まれた四角い市場。
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昼過ぎには店じまいが始まり、夕方には市場全体がロックされ、無人になる。ミャンマーの大きな市場はだいたいこの形式(モンラーの酒池肉林中国人マーケットを除く)。
城塞都市というのはもともとこういう市場から発達したのかもしれない、と思ったりする。

チャイントーンの目抜き通り。
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チャイントーンではパキスタン料理がおいしかった。日本人の口にも合う(少なくとも私の口に合う)カレーとたくさんの生野菜や香草がついてくる。鶏肉もよく血抜きがしてあり、味がしみこんでいておいしい。
その店には、ロンジの似合うきれいなパキスタン人(ムスリムインド系)の女の子がいた。お客の来ない時間に、ふだんはしないスカーフをつけてコーランの勉強をしている。

ミャンマーでパキスタン系だという人は多かったが、パキスタンという国ができてからパキスタンからミャンマーに渡った人なのか、インドとパキスタンが分裂する以前に渡ってきたイスラム教徒のインド人なのかは、よくわからない。もしかすると、インド領から来たムスリムのインド人が、「インド人」という呼び名を嫌がって「パキスタン系」と自称しているのかもしれない。

ロイムウェ。チャイントーン近郊の村。
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タチレクの仏塔 ミャンマー

タチレクのパヤ。
ここで古いビルマの紙幣を売っているおばさんが観光案内もしてくれた。

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タチレクの仏像。

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タチレク。

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ヤンゴン

ヤンゴンで取った写真はこれだけ。

えりこ。Aye Li Ko。(ちなみにTokyoはトーチョー。)
となりは「ダイマルストア」。
たぶんボジョク・マーケット。

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スーレーパヤ。

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マハーバンドーラゲストハウス。泊まったことはないです。

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タウンジーからヤンシュエへ ミャンマー

トーンジーからヤンシュエへ行く途中の風景。

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トーンジー市内の風景 ミャンマー

トーンジー市内の風景。
トーンジーは静かで快適な町。
しかし、シャン州の少数民族が軍事支配している地域とも隣接していて、厳しい雰囲気も同時に存在する。市の周囲は軍事的に囲い込まれているようで、ぴりぴりした感じもどこかにあるが、私はそれが不快というほどでもなかった。

ミャンマーのインテリジェンスもすごいらしいが、ミャンマーの警察は外見的にはさほど怖そうに見えない。警察官もなぜか小柄な人が多いと思う。タイの警察官は大柄で、見るからに強そうなのが多い(マフィアが制服着てる感じ)のにたいして、ビルマの警察官は見た目は弱々しく見える。
ただ、ミャンマーに詳しい人によれば、その一見弱々しい警察官が、実にいやらしく手ごわいのだとか。

トーンジーの大通り。

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市場。

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バスパーク。

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軍か役所。

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法話。

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ロンドンカフェ(ハラール) ミャンマー トーンジー

トーンジーの「ロンドンカフェ」。
ムスリム経営。
お茶はラペイエ、コーヒーは「コーヒーミックス」のみ。

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トーンジーにもモスクがあった。
ミャンマーで、道に迷ったりわからないことがあって困ったときはいつもモスクに行っていた。お祈りのためではなく、モスクの近くにいるインド系の人たちに英語で教えてもらうためである。インド系の人たち(ムスリムが多い)は、英語が達者で親切な人が多い。ビルマ人も親切だが地方では英語が通じないことが多かった。

モスクの近くで出会ったインド系の青年にいろいろ親切にしてもらった。いろいろと案内してくれる。ネパールに行き過ぎた私は、こういう状況はカネがかかると覚悟していたが、彼は寺院などを案内してくれ、バス代まで彼が出してくれて、一銭もカネを取らなかった。

彼はアフガン人のようなギリシャ風の顔をしてたし、モスクの近くで出会ったので、私はてっきりムスリムかと思っていたが、メインストリートにある仏教寺院にすたすたと入っていって、完全に自分だけの世界に浸り、ひざまずいて床に頭を3度つける仏教の礼拝をしていた。

ミャンマーでは他でも、ガイドのほうからお寺に行こうと勧められることがあった。ネパール観光ズレしていた私は、これまたカネがかかるのかと思ったが、お寺の近くに来たのでとにかく自分が礼拝したかっただけ、という感じで熱心に拝んでいた。

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五月花銀行東枝分行 ミャンマー

ミャンマーメイフラワー銀行トーンジー分行。

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祭 ミャンマー トーンジー

ミャンマーシャン州トーンジーの祭。(たぶん)パオ族の人たち。

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http://ibrahim.blog49.fc2.com/blog-entry-9.html

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2006年1月 8日 (日)

ミャンマー・モンラで見つけた小さな仏塔

ミャンマーシャン州、モンラで見つけた小さなストゥーパ。
ネパールのストゥーパを思い出した。
後ろはタイヤイの村。
モンラーは中国人が作った中国人のための町、という感じのところ。
周囲には伝統的なタイヤイの村がある。

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ミャンマー女性のうしろ姿

ミャンマー女性のうしろ姿。メイティラで。
ミャンマー女性の、髪にさした花とローンジー(タメイ)のうしろ姿がとってもいいです。
正面が悪いという意味ではないです。
頬にべったり塗ったタナカも、すこし見慣れるとセクシーに見えます。

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このピックアップトラックはピンマナに向かう。

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ミャンマーの花祭り

ミャンマー4月の祭。
シャン州のトーンジーで。
中国人は「東枝」と書くらしい。
トーンジーは観光地ではないが、観光地以上に良いところだった。標高が高くて涼しい。

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山岳少数民族の女の子 タイ

タイ北部メーサロン方面で。たぶん普通にしてる女の子(観光客のために民族衣装を着て商売に使われてる子ではないとそのときは思ったが・・・・)。

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タイのムスリム

タイ北部・メーサロン方面で。
イスラム教徒の食堂の台所。料理はクィッティアオなど普通のタイ料理。もちろん豚肉は使わない。ハラールの鶏肉のみ。

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2005年12月24日 (土)

Behold, your King is coming to you!

Look, your King is coming to you!
He is meek and rides on an ass.....

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2005年12月22日 (木)

ロイムウェ ミャンマー

チャイントーン(Kyaintong;イギリス語Keng Tung)近郊のロイムウェという村で。

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2005年12月21日 (水)

ルクラから ソルクーンブ ネパール

ルクラから

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2005年12月20日 (火)

ローツェ ソルクーンブ ネパール

右の山はローツェ?

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2005年12月19日 (月)

山 ソルクーンブ ネパール

この山は・・・・?

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カラパタールに登った日に撮った写真。

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2005年12月18日 (日)

チュクン・リ ソルクーンブ ネパール

チュクン・リ

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記録によればチュクン・リ。

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2005年12月17日 (土)

カラパタール ソルクーンブ ネパール

カラパタール

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山よりも宇宙が美しい・・・・よね。

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2005年12月15日 (木)

ローカルバスに乗り込む兵隊 ネパール

ローカルバスに乗り込んで来る検問の兵隊。
かなり手荒なことをする。
反抗的なネパール人を外にひきずり出して殴るけるなども。
                                                                        
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2005年12月14日 (水)

乗合馬車 ネパール

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2005年12月13日 (火)

土壁の家 ジャナクプル近郊 ネパール東南部

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2005年12月12日 (月)

神像 ジャナクプル ネパール東南部

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2005年12月11日 (日)

リンガとヨーニ ジャナクプル ネパール東南部

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続きを読む "リンガとヨーニ ジャナクプル ネパール東南部"

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天使 ジャナクプルのヒンドゥ寺院の壁 ネパール東南部

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2005年12月10日 (土)

馬車 ジャナクプル ネパール東南部

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2005年12月 9日 (金)

ジャナクプル ムガール様式?の祠 ネパール東南部

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2005年12月 8日 (木)

ヒンドゥ寺院 ジャナクプル ネパール東南部

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2005年12月 7日 (水)

ナラヤンガートの街 ネパール中部

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2005年12月 6日 (火)

ナラヤニ川の夕日 ナラヤンガート ネパール中部

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2005年12月 4日 (日)

ナラヤンガートの早朝 祭り 灯篭流し ネパール中部

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2005年12月 3日 (土)

ヒマラヤとナラヤニ川 ナラヤンガート ネパール中部

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2005年11月30日 (水)

ヒレ近郊で出会った少女 ネパール東部

12歳の女の子。

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2005年11月29日 (火)

バサンタプル ネパール東部の寒村

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2005年11月28日 (月)

ヒレ ネパール東部

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2005年11月27日 (日)

バウン(Bahun)の男とその娘 ネパール東部

バウン(ブラーマン)の親父。
ヒレの奥、バサンタプルの村で茶店をやっている人。
妻はタマン族。                                    

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その娘。バウンとタマンとのハーフ。  

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