バラク・オバマ氏は「アフリカ系」か
バラクオバマ氏は、(特に日本のメディアで?)「アフリカ系」候補と呼ばれることはあるが、(日本でもどこでも)「ヨーロッパ系」と呼ばれることはない。それはなぜか。
学校などで習ったところによれば「人種」は生物学的、遺伝的分類でありいわゆる「自然人類学」的な分類であり、これに対して「民族」は、言語、文化、宗教、歴史的背景などによるグループ分けである、ということだったと思う。
しかし本当はそうではなくて、「人種」の種別にとってもっとも重要なことは生物学でも遺伝でもなく、「白人」か「黒人」か「黄色人種」「モンゴロイド」「北方モンゴロイド」「古モンゴロイド」か、普通の人が見て「どれに見えるか」、による分類にほかならないと私は思う、というのがここでの話題である。(シベリアの寒さを経験していない東南アジア先住民がどうして「古モンゴロイド」などと呼ばれるのかさっぱりわからない)。
とくに、まずもって「『白人』といえるかどうか」「白人に見えるかどうか」が「人種」を語る上で最も重要である。
偽善的な白人が「白人」という言葉を避けて「コーケイジアン」などという言葉を使うのは、現に白人が「白人」であることによって(「どこから見ても白人に見える」ことによって)世界中で享受している特権をあいまいにしようとする意図に出たものにほかならない。彼らが「白人」のことを「コーケイジアン」とごまかして呼ぶとき、その「コーケイジアン」にはインド人やアフガン人やアラブ人やが含まれることはないのである。
白人によるハロウィーン山手線占拠騒動を弁護していた白人サイトが、「集まったのはほとんどコーケイジアンと日本の女だった(と2ちゃんねるに書いてあった)」と書いていたのは大嘘で、2ちゃんねるには「白人」と書いてあったはずである(私は見ていないが、コーカソイドとかコーケイジアンなどとは書かれていなかったと確信している)。
「コーケイジアン」という言葉はこういう風に使われる、主に非白人を煙に巻くためのウソ構成の術語だといってよい。
バラク・オバマ氏は父が「アフリカ系」といわれ、母は白人だといわれている。父親がどれだけ「純粋」なアフリカ系かもわからない。彼がたっぷりと「白人」の血を受け継いでいることは確かである。先祖を一人一人数えていったら「ヨーロッパ出身者」のほうが多いかもしれない。
それでも彼が「白人」に分類されることは決してない。不用意に「黒人」に分類されることはありうるだろうが(特に日本のマスコミなどで)、「白人」に分類されることだけは世界中どこでもない。
奴隷制時代のアメリカでは、先祖に一人でも黒人がいる人間は「黒人」とみなされ、それが発覚すると直ちに商品として売られることもあったという。古い「世界の偉人伝」のリンカーン伝には、「リンカーンは子供のころ黒人たちが奴隷として引き立てられていくのを見てとてもかわいそうだと思ったのです。なかにはまったく白人にしか見えない美しい女性もいましたが、一滴でも黒人の血が混じっていると奴隷として売られていくのでした」なんてひどいタワゴトが書いてある。
しかし、今日ではそういう分類の仕方は行われなくなっているように思われる。
今日の人種問題上重要なのは、「見た目で白人に見えるかどうか」だと思う。バラクオバマ氏がどんなにたっぷり白人の血を受け継いでいても白人として扱われないのは、彼が「白人に見えないから」にほかならない。
つまり、今日では自然科学的(「自然人類学」的)な分類が問題なのでなく、「白人かどうか」が問題なのであり、白人かどうかはほとんど「白人に見えるかどうか」によって決められる。まずそこが最初の「篩い」になっていて、白人への門は人為的、つまり政治的に狭くされていることに注意しなければならない。
たとえば「純粋な白人」と「純粋な黒人」がいるとする。彼らが交配して両者の遺伝的な特徴を外見的にも半分ずつ承継した「完全なハーフ」の子供ができたとする。両親の特徴を正確に1/2ずつ発現している彼は、この世界でどの人種として扱われるだろうか。
おそらくは「黒人」に分類されるだろう。仮に4分の1であってもそうなるだろう。少なくとも白人に分類されることはないはずである。
逆に、もしもいま白人が支配しているような仕方で、「純粋黒人」(という言葉が悪ければ本当に真っ黒な黒人でもいい)がこの世界を支配していたとしたら、バラクオバマ氏は「アフリカ系」の仲間にはまったく入れてもらえなかったかもしれない。
以上のようなことを思い巡らしてみれば、「人種」は自然科学上の意味のある概念ではまったくなく、もっぱら政治的概念、われわれの政治性のある意識の上の概念であるということがわかると思う。
したがって、このような「人種」の区別を現実に誰が(政治的に)決めているのか、ということが重要になる。
もしも「真っ黒な純粋黒人」(というものがあるとして、その勢力)が決めていたとしたら、この世界の「黒人」への門は狭くなり、肌の「真の黒さ」が高く評価されたはずである。
人種の区別を決める権限はこの世界の支配的人種にあり、支配グループに仲間入りするための門は当然狭くしている。人種の類別を決める権限を持つ人種集団が支配的人種なのである。
アメリカの役所に自分の所属人種を申告するときに「俺はAryanだから白人だ」と主張して受け入れられたインド人がいるという。それは、彼がAryanであることを主張できたからである。
Aryanが白人であるとという規定は白人自身が昔から認めていることだからだ。しかしどんなに肌の白い日本人がいたとしても「白人」として登録してもらうことは絶対できないだろうと思う。
つまり、今日の世界において人種の区別(その存否を含めて)を決める政治的権限は白人にあるということである。この世界の現実を直視しなければならない。いくら自分はそう思わない、思いたくないといっても、それが現実ならその現実から出発するほかないだろう。私はそれが現実だと思う。
歴史的に「白人」を定義してきたのは白人自身である。その定義を非白人に押し付け、「非白人」を定義してきたのも白人である。なによりまず最初に「白人」が定義された。その定義を支えるために(白人によって)他の人種が説明され定義されたのである。したがって「非白人」という括り方はきわめて合理的で正直なものである。
白人は、自分で作ったその区別によって、利益を受けることがあれば不利益を受けることもあるだろう。仮に不利益を受けることがあったとしても、今になってその区別を「差別」と称してして排除する権利は白人にはない。
こういうことに気づき始め新たな戦略を練っている賢い白人たちもいる。
昨年末の当地紙New Straits Timesに、バラクオバマ氏を支持するフランス人の論説が転載されていた(Project Syndicate)。世界のためにもアメリカのためにもバラクオバマ氏が大統領になることが良いという。
その論者の主張はおよそ次のようなものだったと記憶する。バラクオバマ氏を「アフリカ系」と呼ぶのは適切ではないが「白人」ではない。いまのアメリカはいま西洋の権化(incarnation)のように見られていて、この場合の西洋とは「白人」のことにほかならない。「白人」とはっきり書いていた。そのことがアジアやアフリカを含む世界中で、アメリカさらには西洋の立場を悪くしているが、バラクオバマ氏がアメリカ大統領になることによって、そのような欧米のネガティブなイメージを抑えることができるだろう(つまりは中和剤になるだろう)ということだった。
このように、白人のなかでも賢い連中は、人種問題を「アフリカ系」「コーケイジアン」などという言葉でごまかしていくやり方はもう賞味期限切れになっていることを認め、「白人かどうか」が問題なのであり人種問題は「白人問題」にほかならないという(昔からの)現実を正面から認めた上での対策を考え始めているということだろう。
たとえば、アメリカは白人世界の砦であり白人の人種的利益を守るための実力組織だが、その顔があまりに白人的過ぎないほうが白人世界全体の利益になるという考え方がありうるだろう。
しかし、イメージによって人の行動や富をますます支配できるようになるこの時代に、白人支配層だけを切り離して下層白人大衆を切り捨てるということはできないと思う。
なぜなら、世界に大量の貧しい白人があふれて彼らが見下され白人のイメージが地に落ちるような状況になってしまっては、白人の文化、白人の言語、白人の思想、そして白人のルール、法制度が危うくなる。それは直ちに白人貴族階層の既得権を危うくするだろうから。
この点いちばんナイーブで、(左も右も)「人種」という問題を深く考えたことが一度もない、というのはやはり日本のマスコミだと思う。


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