s-id.ドゥマイ

2006年4月 8日 (土)

ムラカに戻る(マラッカ海峡) マレーシア

3月某日

午前中、ドゥマイのコンフォートホテルの先にある大きなフェリーチケット屋(Indomal Express,Malaysia Expressという看板のあるところ)に行き、ムラカ行き午後2時発のフェリーチケットを買う。チケット代15万ルピアとポートタックス1万ルピア。船はIndomal Express。フェリーは10時と2時。

12時にチケット屋の前からミニバス(無料)でジェティ(桟橋)へ。5、6分の距離。ジェティの待合室で待つ。ドゥマイの港は、港というより、税関とジェティがあるだけという感じ。イミグレは広い。

帰りのイミグレには、行きの時に見たすごい美人役人はいなかった。

午後2時の定時前に出航。客が全員乗ったのが確認できたからだろうか。

海が少し荒れていて、船のゆれが以前よりひどい。ここ2、3日ドゥマイでも強い風が吹いていた。不吉な「マラッカ海峡の旅」である。とはいっても、今回も何もなく、海賊も出ずに終わるのだが。客は今度もまばらだが、行きよりは少し多い。

2時間ちょっとでムラカに着く。フェリーの中のビデオで、日本のホラー映画(「着信あり」だと思う)の韓国語吹き替えを字幕でやっていた。字幕は中国語とマレー語。最初、韓国のパクリ映画かと思ったが、口の動きとせりふが合っていないし、着信音が「着信あり」だった。どうせ字幕でやるのならどうして日本語のオリジナルをやってくれないのかと思った。

ムラカの税関はけっこう仕事をしていた。一応かばんを開けさせられた。ちょっと見て終わりだったが。

行きに泊まったジェティから歩いて5分くらいのところにあるHotel Mesra Mutiaraに再びチェックイン。一応エアコン・ホットシャワー付50リンギ。料金表は60リンギ。

前来たときにいたスカーフをした18歳の可愛らしいマレー人の女の子はいなくなり、英語のまったく通じないおばさんと、英語は話すがぶっきらぼうでむさーい感じのいつも寝ていて不機嫌そうに出てくるマレー兄ちゃんしかいなかった。こんなことなら、向かいのきれいなホテルに泊まればよかったと思った。

ムラカに来たら涼しかった。

早速、Mesraの下のインドレストランで、ローティ・チャナイとテー・タリクの軽食。インド人らしいインド人を見るのも久しぶり。

最初はいんちき臭く感じていた薬くさいテー・タリクも懐かしい味になった。

どうしてインド人は、マレーシアにはたくさんいるのに、スマトラにはあまりいないのだろう。スマトラの小汚さやリクシャのしつこさのほうが「インド的」に思われるのだが、インド人らしいインド人はスマトラではあまり見なかった。逆に、こぎれいなマレーシアに多い。

マレーシアは実に清潔で快適だと思った。

スマトラではBusと書いてあったが、マレーシアはBas。

ムラカの町を歩いていると、Shirah's Guest Houseという宿があり、「ようこそ」という日本語の表示もでてたので、ちょっと覗いてみる。

カオサン風の寝るだけの窓なしの部屋で16リンギ。自宅応接間風のラウンジには若い毛唐がくつろいでいて主人たちと話していた。

毛唐に例外なく、異人種の侵入者をなめまわすように見、不躾なぎらぎらした目でにらみつけてくる。こういうのを英語でglareというのだそうである。あるアメリカ人が、なぜ白人はglareするのか説明してくれたことがある。彼によればguiltyと感じているからだそうである。しかし私は、そんな立派なものかどうか疑問である。

日本でも一泊6000円くらいのビジネスホテルをネットで探して泊まると、下のフロント周辺に毛唐がたむろしていて(なぜか彼らは、何もないところなのに無意味にタムロしたがるのである)、割り込んできた「アジア人ツーリスト」をすごい目でにらみつけてくることがある。

彼らにとってアジア旅行は擬似「植民地争奪戦」なのである。アジア人がスタッフとしてそこにいる限りは平気だが、同じツーリストの身分で割り込んでくるのが我慢ならないか、あるいは、理解できないのである。

一見擬似的ゲームのように見えながら、実は、白人ツーリズムこそ、白人たちが世界の隅々にまで「個人的に」乗り込んで行き、それぞれの地の文化や地域住民個々人の精神まで白人の文化と価値によって支配統合し管理しようとする、現代のソフトだがより悪質な植民地主義であるからにほかならない。

白人が主観的には「個人的に」やっていると思いこんでいる白人ツーリズムこそ、白人価値の宣教活動にほかならないのであり、彼らは現代的白人植民地主義のミッショナリーなのである。

宿の主人はインド系の混じった感じで愛想がよかったが、見ただけで礼を言って出てきた。そのあたりは、この価格帯のゲストハウスも何件かあるが、毛唐の多い一帯だった。彼らが好みそうなこじゃれたカフェやレストランが立ち並んでいる。

そのあたりがこの町の中心部のようだった。ジェティに近い私の宿のある辺りは寂れた一帯だった。ひなびたところで、設備はいい加減で料金は割高な、ローカルツーリスト向けの宿に泊まる。それもいいと思う。というよりこれが私の旅のスタイルになりつつある。毛唐の「アジアごっこ」「貧乏ごっこ」「『野蛮』ごっこ」のマネッコをしても意味がないという真理が、頭で理解されただけでなく、実践においても領得されつつあるということだろう。

Mesraの部屋にはエアコンのほかテレビもある。ローカル客向けの宿なのでこういうところがより重要になる。その分料金は、泊るだけの宿よりは当然高くなる。

マレーシアでは日本はJepunだが、インドネシアではJepangだった。gをちゃんと発音していた。

日本の政治ニュースは、マレーシアのテレビのほうがインドネシアより多く流されている感じがする。橋本元首相が中国の政治家に会いぺこぺこ頭を下げている姿が実に醜く映し出されていた。ああいう卑屈なそぶりをする人を外国であまり見ないような気がする。

マレーシアのインド人はタミル系が多いということだが、シャイな人が多いように思う。初対面の頃は仏頂面をしていて、怒っているのかと思うが、何度か顔をあわせているうちに、他の民族にはみられない(もちろん北インドではありえないだろう)ようなかんじで、やさしく接してくれる人が多い。インドレストランでも顔なじみになると、とくに話しかけてくるわけでもないし、何をしてくれるわけでもないが、本当にやさしい雰囲気で迎えてくれるようになる。

翌日。

ミニ・マーケットと呼ばれる新しいコンプレックスには毛唐が多い。アジア女連れのオヤジもいる。ミニマーケットのスターバックスは薄くてまずいうえに、スターバックスの味もしない。

クアラルンプールに向かう。Mesraはツーリストバスチケットのアレンジもしない。

長距離バスターミナルは離れていて、タクシーを雇うと15リンギ位する。バスターミナルまでのローカルバスは、MAHKOTAホテルの前に来る。

ローカルバスがなかなか来ないので、近くの駐車場の番人のおじさんに聞くと、何の利害もないのに本当に親切に教えてくれた。ローカルバスも外観は観光バスのようなので(たぶんお古)ツーリストバスだと思ってやり過ごしていた。

ローカルバスに15分くらい乗ってムラカの長距離バスターミナルに着く。かなり郊外にある。新しくて清潔で広く冷房も入っていて大きい。デパートのようなインフォメーションカウンターもある。

バスターミナルはDomesticとInterstateに分かれていて、KL行きはInterstate。

「トランスナショナル」のカウンターでチケットを買うために並んでいると、後ろから中国人のおばさんが英語で話しかけてきた。「ここはKL行きか」「お前はどこから来た」「私の娘も日本にいる」などとポンポンしゃべったかと思うと、平然と私を追い越して前に割り込み先にチケットを買って行ってしまった。中国人というのはこういうことをごく普通のことと思っているのだろう。

2時間ほどでKLプドゥラヤバスステーションに着く。

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マレーシアでは英語を話す人は本当に良く話す。シングリッシュとかではないきれいな英語を話す人も多い。しかし、英語を話さない人はほとんど話さないし、とくに話そうともしない。それでも、話しかけると親切に応対してくれることが多い。I don't speak English.とかいいながら、こちらの英語を聞いて意味を汲もうとしてくれる。

KLに向かうバスの中で、ほとんど初めて強烈なシングリッシュらしきものを聞いた。携帯で話している男の声だが、中国語以外の何者でもない発音発声だった。しかし、ときどきbeforeとか英語らしきものが混じる。よくよく聞いてみるとどうやら英語で話しているらしかった。

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ドゥマイに戻る(スマトラ島) インドネシア

3月某日

午後7時ごろ前と同じCity Hotelにチェックイン。デラックスルーム19万ルピア。たいしてデラックスではない。スーペリアルーム17万のほうがよかったが、コネクティングルームだったのでやめた(隣の人間が宴会をやる可能性がある)。

このホテルは鳥のさえずりの音を館内に流している。それがけっこううるさかったりする。

ドゥマイは国境の町のせいか、港町のいかがわしさを期待してか、マレーシアから毛唐も来るようだ。確かにマレーシアよりは「自由」でいかがわしいところかもしれない。

シティホテルにチェックインしているときに、汚いくたびれた毛唐が一人、カウンターに宿泊料金を聞きに来た。料金表を見てすぐに行ってしまった。「アカン」という顔だった。

行きの時にシティホテルのフロントにいた2枚目はいなくなっていた。色黒のぶすっとした中国人顔の男だけはまだいる。昼間は相変わらず、スカルノプトリが腹を壊したような顔のおばさんたちが座っている。

ここに「オフィス」を構えて売春営業していた彼女ももういなかった。彼女はメダンに行くと言っていたし、町を転々としながら仕事をしている人である。

翌日。

シティホテルをチェックアウトし、コンフォート・ホテルのスーペリアルルームに移る。22万ルピアくらい。デポジットを35万ルピア取られる。こちらのほうがサービスは洗練されている。

シティホテルは中国人客が多かった。マンダリンではないが、中国語をしゃべり盛んに携帯を使っているような連中。「ビジネスマン」?

ドゥマイではタイ人かと聞かれることがある。たいへんな侮辱だが、タイ人も多く来ているのだろう。

三日目。

コンフォートホテルのデラックスルームに移る。多少広い。27万ルピアくらい。しかし、コンフォートホテルは熱いお湯が出ない。ぬるま湯のみ。シティホテルは、デラックスルームは熱いお湯が出た。

夕方、フェリーチケット屋で番をしているスカーフとビジネススーツ姿の若い女の子が、歩道で2回パンパンと手をたたいてリクシャ(ベチャ)を呼んでいた。

これが下僕等の正しい呼び方なのだろう。

このことで思い出したのは、以前タイのチェンマイの「カフェ・ド・サヤーム」という新しい大きな喫茶店でのこと。店に入ってもウェイターがまったく反応しない。注文も取りに来ない。それどころか、後から入って来た白人客たちのところにヘコヘコ注文を聞きに行っている・・・・という、タイでよくある状況だった。むかついたので、私は、パンパンと強く2回手を打ってみた。すると、今まで私の存在にさえ気づかないふりをしていたウェイターが、電流が走ったかのように反応してこちらを向き直り、ハイハイという感じでニコニコしながら飛んできた。

手をたたいて下僕を呼ぶという振る舞いはエロ親父や腐敗した政治家などが料亭などでやることで、日本の古い(悪い)習慣の象徴のように教わってきたのではないかと思う。しかし、やはり、アジアではこのやり方が正しいのかもしれない。

アジア人の下僕がアジア人の主人に期待する正しい振る舞い方は、彼らが白人の主人に期待する態度とは違うのだろう。(下僕・主人という言葉に色をつけて見ないで欲しい。接待する側とされる側。傅く側と傅かれる側。ツーリズムの現場は現実にどこでもこの関係で成り立っている。接待する側のほうが威張っていることも多い)

三日目。

ドゥマイは横道に入るとこざっぱりした路地が多い。路地は清潔感がある(どぶもあるが)。中流という感じの、小さいながらこぎれいな家々が並ぶ。

油井と製油所があるので、やはり豊かな地域なのだろう。ここは物価が高いと現地の人も言っていたが、最初に来たときほど高いという感じはしなくなった。同じブラックコーヒーでも2000だったり5000だったりする。必ずぼる人と決してぼらない人がいるのがスマトラなのかもしれない。一見の外国人にはぼって、何度か顔を見せるうちにぼらなくなる人もいるようである。

しかし、スマトラの物価はそれほど安くない。タイのような安さはない。インドネシアは石油など天然資源の豊富な国だからだろう。しかし、タイの物価が「犯罪的に」安すぎることもあると思う。

タイは貧しい国とは言えず、「非常に」豊かな人々も少なくないにかかわらず、物価が安すぎる。タイの安すぎる物価は、ひとえに低賃金労働者層すなわち貧困層や無権利状態のマイノリティの搾取の上に成り立っている。すなわち農山村の貧困層や無権利状態の少数民族、タイ政府が公認している周辺国からの越境労働者のほとんどタダ働きに近いような労働の搾取である。

タイの物価は安い安いと大喜びし、こんなに安く上げたと自慢し、更なる安さを求める先進国ツーリストたちは、そのような搾取収奪の果実を享受しているにすぎないことを忘れてはいけないと思う。

(「オレは女に一日400バーツしかやっていない。しかも日割り勘定だ。どうだモテルだろう」と自慢している白人もいた。その女はアカ族の20歳くらいの子だった)

タイの少数民族や公認の越境労働者らは、低賃金によって搾取された上に「都市に住むためのパーミット」料や過重な課金によってタイ官憲によるさらなる直接の収奪を受ける。たとえば、メーサイで外で昼間働いている人の多くはミャンマー人で、合法的に入国している。タチレク-メーサイの越境就労許可料は、日帰りで数十バーツ(5時か6時までにはタチレクに帰らなければならない)、年間のパーミットで4000バーツ(04年に聞き取り)。4000バーツという金額は決して小さくない。

夜、フェリーチケット屋を回ってムラカまでの値段を聞く。コンフォーとホテルの向かって右となりにあるBatam Jetはヤクザのようで、ムラカまで片道29万とか法外な値段を言っていた。最初私になぜか「アメリカ人か」と聞き、「日本人だ」と答えると「日本人はだめだ」と訳のわからないことを言っていた。「日本語はだめだ」ということだったのか・・・英語で話していたのだが。

シティホテルの向かって左、何件目か言ったところの大きな代理店は15万ルピアだった。こちらで明朝買うことにする。来たとき80リンギだったから。帰りのほうが安い。

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2006年4月 4日 (火)

プカンバル(Pekanbaru,スマトラ島) インドネシア

3月某日。

ドゥマイからミニバスでプカンバルに向かう。道は悪くない。運転手は平均100キロくらいのスピードで飛ばし、しかもたいへん個性的な運転をするので多少は揺れるが、つかまっていれば天井に頭をぶつけるほどではない。カンボジアよりずっといいしラオスとは比較にならない。

この運転手の兄ちゃん、無理な追い越しをしようとして対向車線に出て、対向車と正面衝突しそうになることが何度もあった。正面衝突を避けてもとの車線に戻ろうとするときにトラックやタンクローリーに追突しそうになる。追突ぎりぎりまでスピードを落とそうとしない。

途中のドゥリで食事休憩。ドゥリを過ぎるとさらに田舎になり、道も多少悪くなる。モスクもあるが、キリスト教会も目立ってくる。貧しい辺ぴな地域につけ込んだキリスト教ミッショナリーの「文明化」工作・欧化洗脳工作。貧しい人々やマイノリティをターゲットにして「文明とは何か」を教え込む。

貧しさ、悲惨、犠牲などをテコに「義」を確立して宣教し、白人の支配を正当化しようとするのはキリスト教ミッショナリーの昔からの手法である。

ドゥマイのシティホテルで聞いた「フラヤホテル」にチェックイン。スタンダードルーム一泊22万ルピアくらい。エアコンも動かず、トイレも故障。2回部屋を変えてもらい、エグゼクティブルーム(本来27万ルピアぐらい)にスタンダード料金で泊る。レセプションの対応は悪くない。

フラヤホテルはここでは3星ホテルらしい。その外に中級ホテルで「アノウ」というのがあると聞いた。

プカンバルからバンダアチェに飛ぶ飛行機があると聞く。ただし、これはメダンで乗り換えての話だった。

プカンバルはさらに大都会で、テースースーが5000ルピアもする。

翌日。

夜は静かだったので、連泊することにする。ホテルの前は中央分離帯のある大通り。付近は交通が立て込んでいて、リクシャはいない。

食堂のテーブルの上にあるボウルの水は手を洗うためのもの。手を洗えと指図されることも。

スマトラでもミャンマーでよく見るような長細いいあげパンを見る(KLでもたまに見る)。コーヒーなどを受け皿にたらした飲むことがあるのもミャンマーに似ている。熱いコーヒーがガラスコップいっぱいに出てくるので最初は持つこともできない。受け皿にあふれているのが普通。

紅茶などを受け皿に垂らして冷まして飲むのは、本来イギリスの習慣だったらしい。インドを植民地にし、インド人の真似をしてミルクティーを飲み始めたが、白人は猫舌なので熱いお茶が飲めない。それで受け皿を考案しそこに垂らして冷まして飲むことを思いついたのだという。ミャンマーではコンデンスミルクいっぱいの甘いミルクティーを受け皿に垂らし、そこにさらに土瓶ででてくる中国茶を入れて味を調節して飲むこともある。そういう風にやれと指図されたこともある。

フラヤホテルの前の大通りに沿って右にしばらく行った所に何件か並んでいる質素な木造のローカルレストランは、コピ・パナス(熱いコーヒー。砂糖だけのコーヒー)が2000ルピア。

ただし、ドリップを使っていないか穴が開いていると思われる。スマトラではコーヒー豆をひいた粉をインスタントコーヒーのようにコップに直接入れてお湯を注ぐだけというコーヒーを何杯飲んだかわからない。これもすぐに慣れるが、たまにちゃんとドリップを使ったコーヒーを飲むと高級なものを飲んだ感じがする。

そのレストランは明朗会計だった。ただし、ここは、店とは無関係に(?)たいへんローカルな売春婦がたむろする場所でもあった。質素だが見通しもよく明るい場所に昼真っから売春婦がたむろする。といっても、いかにも売春婦然としているような国際的売春婦ではなく、普段着やパジャマ姿などで客のように座っているだけ。

最初はそういう店だと思わずに入った。満席だったのでインドネシア人のおじさんと相席した。そのおじさんがすぐに話しかけてきて、自分は警察官だという。よく見ると、ジャンパーの下にちゃんと制服を着ている。身分証まで見せてくれた。ほとんど同時にどこからとも泣く女の子たちがよってくる。その警察官のおじさんがその中の一人をさして「この子はどうだ、いい子だろ、自分のホテルに連れて行ってもいいしそこのホテルでオーケーだ」とか推薦してくれる。その子は若かったが、顔にいっぱい痘痕ができていて、梅毒でももってそうな感じだった。

そのオジサンは美人局とかでなく本当にただの客だったようだ。その後も何度かその店でコーヒーを飲んだが、一度しか見なかった。

コーヒーショップのおばさんは感じの良い人で、女の子をどうしろとかはいわない。そういうそぶりも見せないが、コーヒーを飲みに行くたびに女の子たちが蜂の巣をつついたようになって、まあ面白かった。

買わないとわかると、コーヒー一杯おごってくれとか、こっちがどんなに仏頂面をしていてもなにかと働きかけてくる。インドネシア語でさかんに話しかけてくるが意味がわからない。私は「地球の歩き方・マレーシア」のマレー語会話のところを切り取って持っているだけ。ほとんど見たこともない。数字の読み方はインドネシアでは必須だが、後はブラパ、クマナ、ダリマナ、アパ、くらい。

意味が通じないとわかると、ある女の子は、アルファベットで書けばわかるはずだと思い込んだようで、私のボールペンをとって自分の手のひらにローマ字でインドネシア語を書いて見せるが、知らないのだからわかりようがない。

女の子たちがアコウーaku、マウーmauというのを何度となく聞いた。この「マウー」という言い方がなんとも餓鬼っぽくてどうしようもない感じ。

その「レストラン」からフラヤホテルのほうにすこし戻ったところに、夕方から屋台の立ち並ぶ横丁があり、そこを入っていくと左手にマスジッドがある。マスジッドの傍らにPalembanなんたらと書いてあるこぎれいなローカルレストランがあり、チキンがうまい。よく血を抜いてあって、白身がたっぷり。注文してから揚げる(たいていのレストランは作り置きが普通)。ここはもちろん、前述のコーヒーショップとはまったく性格の異なる場所である。
  

今のところプカンバルで白人を見ていない。フラヤホテルでも。しかし、もしここに白人が2,3人でも来たらどうなるだろうか。

あのような売春婦駐在の「オープンカフェ」型レストランに白人が2,3人来て、ここは安全で「フレンドリー」だという情報が流れたらどうなるだろうか。

すぐに「アジアバカンス」白人オヤジどもが20人・30人と押し寄せて来る。白人は白人のいるところに集まるからだ。そしてコロニー作りをはじめる。そうして作り上げた租界の中で、白人どもはまっぴるまっから地元の女を傅かせビールやコークを飲み始めるだろう。

地元の通行人を、動物園の動物でも見るように彼らのギトギトした目で観察したりしながらたむろするようになる。そういう空間ができてしまうと、この町の性格はまったく違ったものになるだろう。

すなわち、地元の商業システムも変わってくる。白人は白人のための場所では英語が通じるのが当然だと考えるから、ぜひとも英語が必要になる。英語を話せる売春婦が要請される。

それと同時に、急増した白人客の需要を充たすため、近郊の貧しい娘たちがリクルートされツーリスト向け売春婦が「創出」される。つまり白人ツーリズムのシステムが出来上がる。

このような流れがいったん出来上がると、売春婦はかえって供給過剰になる。貧しい娘はいくらでもいるし、システムは公認された。あとは決心だけである。友達もやり始めた・・・

白人客が急増したとしても潜在売春婦はもっと多い。代わりはいくらでも見つけられるよということになると、当然売春価格は下落する。今はショート20万、25万、30万ルピアなどと調子のいい事を言っているが、タイ並みに10ドル前後に下落するかもしれない。

売春婦がより良い稼ぎを得るためには、英語が要件となる。タイでも良くあるように、英語を覚えるために、ほとんど無料・実費だけで白人と同棲したり一緒に旅をしたりする者もでてくるだろう(「白人は英語ができる」という頭はアジア共通)。どうせ売春婦になってしまうのなら、そうしたほうが家にいるよりホテルやアパートに泊まれて白人の行くレストランで食事ができて、家にいるよりいい生活ができるかもしれない。

白人の集まる売春的施設は確立し、白人の好む音楽が流され、英・仏・カナダ・豪・独などの国旗が飾られる。こうしてその場所は地元民の近寄りがたい場所になるのだが、同時並行的にローカルの売春文化も進行する。

まず、地元民の倫理意識が変容崩壊する。というのは、このような場所をひごろから目にしながら、従来からの倫理規範意識を保持することは困難であり、あえてそうしようとするならばたいへんな苦痛を伴うことになるからだ。

規範は必ずしも充たされるわけではないからこそ規範なのだが、それが目の前で踏みにじられている状況で、個人的にあくまでそれを保持するということはたいへんな苦痛である。

このような次第で、白人が2,3人来てあのコーヒーショップに目をつけるだけで、タイ型白人買春文化がこの地域にも確立することになり、それを核とするタイ型白人ツーリズムが定着し、ローカル文化破壊の基地となる(イスラム勢力からの反撃の要素は今は度外視している)。

それと同時に、児童買春もひそかに深く進行するだろう。

そして次にやってくるのは「アジアの女性と子供を救え」とばかりに、実は「アジアの野蛮」と闘い(キリスト教白人)「文明」を宣教するミッショナリーたる、白人人権団体だったりNPOだったりするのである。

 
時間は、マレーシアが香港時間、スマトラがバンコク時間のようである。

ポルノ禁止法案がさかんに議論されている。フラヤホテルで見た「ジャカルタポスト」では、カトリック神父と称する人などが、インドネシアの文化の多様性やエロティックかどうかの主観性などを理由に法案反対の論陣を張っていた。

しかし、「規範」は「事実」ではない。法律が文字通りに実現するわけでもない。貧しい国ではよほど厳しい倫理的なタガをはめておかないと、必ず白人ツーリズムのエジキにされてしまう。

外人に娘を売ることがシステムとして定着してしまってからでは遅いのである。それは後戻りのできない文化破壊、倫理規範の破壊、とり返しのつかない精神破壊を招来する。

三日目。

昨夜もほぼ静かだったのでさらに連泊することにした。

食堂でプカンバルの地元紙(インドネシア語)をめくってみる。風俗広告らしきものが載っていて、女の子の写真と、18+、24jam、そして電話番号、No sex, sara politikと書いてあるのとNo politik,sara dan sexと書いてあるのと2種類あるようだ。Telepasi Hipnosisとか書いてある占い師か霊能力者の広告らしきものも。

ホテル付属のトラベルエージェンシーで明日の飛行機を予約する。

プカンバルからバンダ・アチェへの直行便はない。メダンでトランジットのみ。プカンバルからメダンまで、シュリーヴィジャヤ航空でその時点で45万ルピアぐらい。時間が遅くなればどんどん安くなるから今買わずに待てといわれる。わりと良心的。ホテル付属代理店にしかできないサービス。

メダンからバンダ・アチェへはライオン航空のビジネスクラスしかないという。近所の旅行代理店で聞いたときはこのラインは明日の便はもう売り切れているといわれた。

近くの別の旅行代理店のほうも東南アジアの旅行代理店とは思えないほど親切で、値段を聞くだけなのに長く電話をかけて丁寧に応対してくれた。色白の胸のむっちりしたすこし日本風のきれいな姉ちゃん。

きれいなお姉ちゃんのいるところで買いたいのは人情だが、ホテル付属の代理店は本当に時間が経つにつれて値段が安くなり、1時半ごろには30万ルピアまで下がった。買うことに決めて、30万ルピアのデポジットを払う。さらに下がるかもしれないから、マネージしておくと言ってくれる。チケットは明朝受け渡し。

メダンからバンダ・アチェへのフライトはここでブッキングだけして、メダンで支払うことにしてもらった。ここで支払ってしまうと、万一シュリーヴィジャヤ機が遅れたり欠航してライオン機に乗れなかったときにどうなるか不安だったから。

マスジッドのある通りをさらにいったところにある、どこも同じようなローカルレストランで、アヤム(チキン)を注文したら、ビーフンのスープに鶏肉を少し切って入れたスープが出てきた。そのほかにライスも注文したのでまるでラーメンライスになってしまった。

鶏肉はハラールの白い肉だったが、その店は中国人の店だった。しかし、その中国人は感じのいい人で、ぼりもしなかった。コーヒー、ナシ(ライス)、アヤム入りビーフンで9000ルピア。いつも食べているところは、コーヒー、ナシ、アヤム、生野菜で15000ルピアくらい。

この人は中国人らしくなかった。「ケイ」という種族で、上海の出自だとか。

プカンバルは何もない町。観光的な要素はまったくない。私はこういう町がけっこう好きだ。ただ、こういうところはホテルが高く質も低くなる傾向があると思う。

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ドゥマイ(Dumai,スマトラ島) インドネシア

3月某日

ドゥマイの港に着くと、すぐに「公認ガイド」に付きまとわれる。「外国人」の中でも私だけはこの「公認ガイド」の案内で別室に呼ばれ、入国手続きをする。このフェリーに白人客はいなかった。

「公認ガイド」はイミグレの事務室まで入ってきて、手続きの間中ずっと私の横についている。応対したイミグレ役人に、彼は何だと聞くと、公式ガイドだから彼に何でも頼みなさい、ということだった。イミグレのボスが来るまでかなり待たされる。

ようやくボスが来て、アライバルビザの手続きが始まる。「ボス」は、ハッとするような、びっくりするような美人だった。日本人のようでもありアラブ人のようでもある。物腰は日本人のようで肌もきれいだが、顔立ちはややコーカソイド系のよう。ただし、昨日や今日の混血という感じではなく、よく「こなれている」印象を受ける。とても安定感のあるバランスの良い美貌だった。

これほどの美人はその後スマトラで見なかったし、マレーシアでも見たことがない。しかも若い。それがイミグレのビザ発行責任者で、彼女が来ないと手続きが始まらないのだった。思わず、写真を一枚撮らせてくれといいそうになったが、美人は写真には良く写らないものだし、間抜けなことを言ってバカをさらすだけになりそうだったので抑えた。

アライバルビザの期間は一ヶ月で延長不可。25ドル。

ここの女性は誰もスカーフをしていないなと思った。確かにスマトラはマレーシアよりはちゃんとしている人は少ない。

ドゥマイの港に降りると油の匂いがした。

「公認ガイド」は「外はメニーヤクザ」だなんていい加減なことを言っていたが、初めてのスマトラなので逆らわずにこの男についていく。あまり遠くないホテルまでバイクで5リンギ。

City Hotelというところの13万5000ルピアの部屋ににチェックイン。

礼儀正しくハンサムな若いフロントクラークが応対する。3分もしないうちに「女性を呼びましょうか。ショートタイム20万ルピア、オールナイト・・・・」と慇懃に申し出てくる。「健全なツーリスト」である私は一応断っておいた。

そのフロントはなかなかの好青年だった。現在28歳だが、19歳のときこのドゥマイで同じ19歳の日本人の女子学生と会ったことがあるという。その出会いの思い出をしみじみと語っていた。この美男子が遠くを見つめるようにして語るその日本の女子学生はどんな女だったのか・・・・・その出会いの「内容」がどんなものだったのか、について彼は語ろうとしなかった。

その話が出る前に、彼は私に対してすでに「ジキジキ」という言葉を使っていたので、私も「ジキジキはできたのか」と聞いてみた。しかし、彼は「シークレットだ」といって教えてくれなかった。

彼にとっては本当に大切な思い出なのかもしれない。その女はその後北海道で教師になったという。しばらくは消息があったらしいが、今は音信も途絶えているという。

「シティホテル」からも、油井から立ち上る炎が見える。ドゥマイには製油所がある。

この町の匂いは、カンボジアのポイペトの匂いにすこし似ている。野焼きの臭い。ポイペトほど強烈ではない。ポイペトのはビニールなどを焼く臭いなのだろう。

ドゥマイはマレーシアより物価が高い印象を受ける。コピスースー(コンデンスミルク入りコーヒー)がローカルな店で4000ルピアもする。2リンギ近い。安いところで3000ルピア。コピスースーはコーヒーの色があまりしない。白っぽいコーヒー。

ドゥマイでは「テータリク」は通じない。コピオは通じる。ローティ・チャナイも通じない。ローティは通じるようだが、あまりない。インド人は少ない。

ドゥマイにはリクシャが多い。リクシャ運ちゃんはしつこく下品に見えるが、自分が経験した限りではわりと誠実でとくにぼったりはしなかったと思う。物見遊山のツーリストがたくさん来るところではないので、特別にぼったくってやろうという発想はないのかもしれない。

両替レートは、1万ルピア前後が1ドル。ルピアを買うときは1ドル8000ルピアくらい。ドルを買うときには12000ルピアくらいのようだ。

1万、10万、100万という金額のイメージをつかむのは難しい。とくにインドネシアルピアは、1万、5万、10万という高額紙幣があるので混乱しやすい。最初、1万ルピア札と10万ルピア札、5000ルピア札と5万ルピア札をよく間違えて混乱した。両替のときなど10万ルピア札を10枚ホッチキスで閉じたのを渡される。これを次に使うとき、100万ルピアの札束を10万ルピアと間違えて渡したこともあった。ホテルだったので、向こうが注意してくれた。インドネシアは、10年位前にバリに行っただけ。

「地球の歩き方」には、両替レートなどいちいち気にせず、インドネシアの相場を覚えようなんて書いてあったが、旅行者にそんなことを要求するほうがどうにかしている。インドネシア人の金銭感覚といっても、金持ちと庶民とでは一桁も二桁も違うだろう。

バリで第二夫人になろうという人ならともかく、普通の旅行者が(自分の予算や旅行スタイルに見合った)その国の金銭感覚を「肌で」身につけることなど土台不可能なことである。

したがって、為替レートはしっかりと頭に叩き込んでおくべきだと私は思う。細かいところまで考える必要はもちろんないし、正確なレートである必要さえない。

どうせいろんなところでズレはおきるし、買いレートと売りレートも大きく違う。客観的に正確なレートが存在するわけではないので、自分なりのレートでいいと思うが、レートに関して「定見」を持っておくことがとにかく必要である。そうしないと、桁違いのミスをしかねない。

私は1ドル10000ルピアと決めておいた。1ドル何ルピアですかと両替屋やホテルで聞けば8000ルピアくらいと言われると思う。しかしそれは、相手がドルを買ってルピアを売ることを念頭においているからだと思う。

私は、1リンギを売って2400ルピアほどだから(ホテルならもっと安い)、10000ルピアぐらいが1ドルと決めた。4リンギが1ドル。1リンギが10バーツと決めておく。

ドゥマイのATMはシティバンクのキャッシュカードも使えるが、100万ルピアまでしかおろせなかった。特別の料金を取るような表示も。一回100万ルピアということは一回100ドルしか下ろせないということ。

翌日。

フロントに出ると昨夜のハンサムな男はいなくなり、制服を着た無愛想なおばさんが3人くらい並んで座っていた。これがまた、なんというか、インドネシアの政治家のような、スカルノプトリを怒らせたようなしぶい顔の貫禄のあるおばさんばかりで、何か怒られるのかと思った。

怖い顔のおばさんに両替屋の場所を聞く。両替屋は、シティホテルからジェティ(桟橋)の方にすこし行ったコンフォートホテルの2,3件先にある。

因みに宿泊料は、「コンフォートホテル」はスタンダード17万ルピアくらいから。「シティホテル」は13万ルピア台から。

両替屋は、やはり中国人の女がいて、このときは1リンギ2450ルピア。ムラカのジェティとあまり変わらない。

近くで見つけたインド(風)レストラン(インド人はいない)でテーを飲む。「テータリク」は通じないが、「テースースー」は通じた。うまくはない。コンデンスミルクたっぷり。あのシンガポール製の固いコンデンスミルクは安くはないと思うが・・・・ミャンマーでは入れるコンデンスミルクの種類によってラペイエ(ミルクティー)の値段を変えているところもあった。上等なほうはシンガポール製コンデンスミルク入り・・・・

「テースースー」を注文したとき周りの人に、お前テースースーなんか飲むのかという感じで笑われた。こちらではブラックティー(砂糖入り)を飲む人が多い。

コピオはインドネシアでは「コピ・パナス」。

ミャンマー式に注文しないお菓子を並べて食べた分だけ払うという店もある。この方式はKLのインド人街にもある。インド式なのかもしれない。

昨日見かけた立派なマスジッド(モスク)を見たいと思い、リクシャを雇うが、いくら言っても違うところばかりに行ってしまう。結局遠く離れた小さなマスジッドまで来たところでリクシャを捨てる。そのマスジッドでごろごろしていた英語をすこし話すおじさんと話をする。いきなり宗教は何かと聞かれ、「シントーだ」と答えると、知っているようだった。

結局、昨夜見たマスジッドはホテルのすぐ近くにあった。夜見たのでライトアップで立派そうに見えただけだった。ごく普通の実用的なマスジッドだった。

同じ階に部屋を借りている売春婦から何度も内線電話がかかってくる。この子は、ホテルに部屋を借りて、そこを売春オフィスにして、宿泊客に営業しているようだった。

最初部屋を決めるときに、ホテルのボーイが案内した部屋はこの子のオフィスの正面の部屋だった。そのときは売春オフィスだとわからなかったが、扉を開け放しているので、うるさい中国人がいるかもしれないと思い、そこから離れた端っこの部屋にしてもらった。

それでも通りがかるたびに手招きするので、夜ちょっとそのオフィスに立ち寄って彼女と話をした。

念のために強調しておくと、私は彼女の客になったのではない。私はあくまで健全な旅行者である。私は最後まで彼女の客にはならなかった。

彼女とは扉を開け放したまま、けっこう楽しく会話した。客がないらしく、暇をもてあましているようだった。

英語をすこし話す。ハイスクールで4年間英語も習ったという。かなりの高学歴である。白人客から教わったというのではなさそうで、しゃべるときはよくしゃべるが、ありふれた単語が出てこないこともある。客家語もすこしはなす(ハッカといったから多分客家のことなのだろう)。これは客から教わったのだろう。

なかなかよい子だと思った。まともな感じの子で、人をリラックスさせる術を心得ているし、下品な感じではなかった。何も要求してこない。暇をもてあましているようなのに、客になれとも言わない。

バンドゥン出身で、本当は21歳だが、24歳と騙っているといっていた。健全なこの国では、21歳の女性は単身でホテルに泊まれないらしい。毎日収めなければならないホテルのデポジットを稼ぎ出さなければならない。昨夜フロントの二枚目が呼んでやるといった女がこの子なのかどうかわからないが、彼は20万といってた。この子は25万でやっていると言っていたから、違う人なのかもしれない。

「バンドゥンに17歳の妹がいて、彼女にはこういう仕事はさせたくない。アカデミーまで出してやりたいから・・・」なんて、泣かせどころもちゃんと心得ている。話し方が自然なので、率直な気持ちという感じで、そんなに嫌味もなかった。

各地のホテルを転々としながら営業しているらしく、2,3日のうちにメダンに行くといっていた。一箇所に長居すると何かと差しさわりがあるのだろうか。

彼女は時に貴婦人のように振舞った。どういう関係かわからないが、ヨボヨボな感じのほとんど口をきかないおじさんが一人彼女の周りにいる。そのおじさんに雑用を頼み、そのたびにさっと1000ルピア札のチップを渡す。

その振舞い方がまったくさりげなく、手馴れている感じで、自然で、跡を引かない。これは日本人の若い女にはできないことだと思った。私も難しい。

このおじさんは本当に貧しい感じで、おとなしくほとんど目を上げないような人だったが、携帯電話を持ち歩いていた。彼女が何か頼みたいことがあると携帯で呼び出して指図する。

私は彼女の勧めで彼女の部屋で食事をしたが、そのときも携帯でおじさんに近くの屋台で飯を買ってくるように指示した。バナナの葉っぱに包んだ飯と簡単なおかず。

私が代金のほかに1000ルピア札を一枚おじさんに渡そうとすると、彼女は、この屋台はすこし遠いところだから2000渡さなければだめだと私に教えてくれた。

日本人旅行者もアジア旅行をするときには、倹約ばかりするのではなく、下僕や目下の者をスマートに使い、チップの関係で上手に付き合うことを勉強してみるのもいいのかもしれない。

三日目。

大通りをはさんでCity Hotelの向かいにある旅行会社でプカンバル行きのミニバスチケットを買う。70000ルピア。高くない。この旅行会社は英語がまったく通じない。飛び切りの美人がいて大変感じの良いところだった。

バス時間に合わせて2時チェックアウトにしてもらった。

今日ドゥマイに来て初めて毛唐を見た。本当に大きな声を出す。

昼頃、例の売春婦からまた内線電話がかかってきた。行ってみると、ひたすら髪を染めていた。例のように扉を開け放したまま彼女としゃべっていると、その向かいの部屋、つまり最初私が案内されて断った部屋に、中年の毛唐が一人入るところだった。ベーリーグッド、ベーリーグッドと大騒ぎしている。

次にその毛唐は私たちを見つけた。私たちは、部屋の椅子に並んでいて、まあカップル然としていたのだが、その毛唐はいきなり女のほうに声をかけてきた。

こういうことはアジアではよくあることである。これが初めてではない。彼ら白人にとっては、アジア女はみな売春婦と同じであり、彼らが常に優先権を持つモノでしかないのである。東南アジアで日本人の女と知り合って話していても、毛唐は平気でずかずかと割り込んできて女に話しかける。毛唐の目には、日本人女も、バービアにたむろして客をあさっているタイ売春婦と同じようにしか見えない。そして売春婦に対してさえ、一緒にいる有色人種の男よりも白人である彼らが優先権を持つのが当然だと思っている。

日本人女性が白人男性と結婚して、一緒にタイのビーチなどに遊びに行ったら悲惨なものであろう。周りの白人たちがニヤニヤして男のほうに聞くだろう「いい女だな。どこで拾ってきたんだ。月いくら払ってる・・・・ヒルトライブの娘か?俺にもひとつ紹介してくれないかな」。(白人に「いい女」といわれたらあなたは相当なゲテモノということなのだが。)

こんなちょっとしたことでも何度も経験し、その「意味」がわかってくると大変気に触るようになる。その意味がわかって平気でいられるのは奴隷である。白人とわれわれとの対等な共存ということは、原理的に無理である。せいぜい、「穏当な住み分け」が可能なくらいである。

アメリカに批判されていたアフリカのどこかの国の大統領が、「ライス(国務長官)は、白人が黒人の友にはなりえないことをわかっていないのだ」と言っていたが、彼は正しい。白人は非白人の友にはなり得ない。白人が非白人と対等な関係を築くことは、原理的に不可能である。白人には「気づく力」がないからだ。彼らは自分たちが教わってきた教義を確認したり、ときには否定してみせたりしているだけで永久に「気づく」ということがない。

ホテルのテレビでは、さかんに「ポルノ反対運動」のデモのニュースを流していた。一緒に見ていた売春婦もI hate pornoと言っていた。彼女もムスリムである。

室内でやることと外にさらすこととはまったくの別物である。社会倫理規範は万人にとって現実に重要なものであり、生きるための「よすが」でもある。倫理規範を失うと本当に生きることができなくなる。人格が歩くたびにぼろぼろ崩れ落ちるように。倫理的にデタラメな社会では、本当に息をするのも苦しくなる。それが人間の本来の性質である。

私は長い間そのことがよくわかっていなかったが、この売春婦はわかっているようだった。

実に最も立場の弱い売春婦も、そういう社会規範によって容認された範囲で稼業しているのであり、倫理の否定の上に立ってやっているのではない。この点われわれは勘違いしがちである。

ホテル売春が儲かるからといって一箇所に長居し、堂々と名前を売って看板を出すような真似をしてはならない・・・周囲に知れ渡る前に移転すべきである・・・等々。

あなたが買春するとしても表通りに売春婦を連れまわすような事はしてはならない。それは白人の文化である。白人の真似をしてはいけない。必要ならコソコソ買うのが正しい。そして買春話を人にしてはならない。

白人が売春婦を好んで連れ回すのは、性欲というより「倫理規範破壊欲」のゲームであり、獣欲ゲームである。彼らはもちろん狂っている。室内でやっていいことなら何でも外にさらしてもいい「はず」だ、「真理」は暴露されるべきであるという狂信は、社会倫理規範の全否定、すなわち人間性の全否定であり、狂った思想である。彼らのさらす脛毛すら、狂気の発露として文化破壊の尖兵となる。

そういうわけで、ドゥマイを出て、プカンバル(Pekanbaru)に向かった。彼女は、芯にマトモなところがある良い子だったが、良い子とは別れなければならない。

シティホテルの向かいの旅行代理店の前からミニバスに乗る。乗客は私を含めて二人だけ。

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マラッカ海峡を渡る ドゥマイ(スマトラ島)へ

某月某日 ムラカ

8時ごろ起きだしてジェティ(桟橋)のほうに行き、脇に並んでいるチケット売り場兼両替屋でドゥマイ便のチケットを買う。カウンターの中国女がどんどん話を決めてしまうので不安になるがとくにぼられているわけでもカモられているわけでもないようだった。

ドゥマイまでのフェリーのチケットは80リンギ、ポートチャージ9リンギ。

両替も勧められるがほかでもレートを聞いてみる。近くにいた闇っぽいインドネシア人らしい両替屋は、レートは同じだがコミッションを取る。結局その中国女のカウンターで、1リンギ2410ルピアで200リンギを両替する。インドネシアルピアを買うのだから、供給の多いインドネシア側のほうがレートが良いのではないかと思い、少しだけにしておく。

12時にMesraをチェックアウトし、下のインドレストランで時間をつぶす、ここは親切な人が多い。

2時半ごろジェティへ。イミグレで手続きを簡単に済ませて乗船。3時15分ごろエンジンがかかる。さあマラッカ海峡へ!

常に冒険を求めるツーリストにとって、この危険極まりない、天下のシーレーン、日本経済の頚動脈、凶暴きわまりない海賊の多発地帯である天下のマラッカ海峡を横断する機会を得たことは、この上ない栄誉というべきではないか。

今私はまさにそのマラッカ海峡へと船出しようとしている!これは日本に帰ったら相当自慢してもいいことではないか?

などと気負いこんで、この危険きわまりない海峡へと船出したのであるが・・・・2時間半ほどの船旅の間中、海は平穏そのもの。いつ出るのか、今か今かと待ち構えているのに、海賊など出る気配もない。

考えてみれば、海に海賊がいたとしても、乗客もまばら、というかちらほらしかいないこのフェリーをわざわざ襲うわけもないか。

HIKARIという日本名が書かれた大きな船がのんびりと通り過ぎていく。

フェリーのトイレは大変シンプルなものだったが、清潔で、水が常に流れていた。

_________________________

ムラカのイミグレで写真を撮ろうとしたら止められた。まあ当然だろうけど。イミグレはマレーシア人と外国人(フォリナー)とインドネシア人とに別れていた。「外国人」のところに並んでいる人も見た目マレーシア人やインドネシア人と変わらないような人ばかり。女の人はスカーフをした人が多い。国籍はわからないがマレー系タイ人とかかも知れない。

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