プカンバルに戻る(スマトラ島) インドネシア
3月某日。メダン。
8時ごろホテル・スマトラをチェックアウト。ちょうどそのとき若い毛唐が二人チェックインするところだった。ちょうど良かった。
来た道をそのまま戻っていく。ホテルからメダン空港までは近い。タクシーで2万ルピア。10時50分発のシュリーヴィジャヤ航空でプカンバルに向かう。ほぼ時間通りに離陸。シュリーヴィジャヤはロールパンと葉っぱに包んだ餅米と水が出る。
空港でものを買ったら「カムシャ」と言われた。客家の「ありがとう」は「感謝」らしい。客家は雰囲気が日本人に似ているので、客家と間違えられたのかもしれない。
フラヤホテルの同じ部屋にチェックイン。プカンバルの空港からエアポートタクシーに乗ったら4万ルピアもとられた。メーターだが、ちょっと高い。
27万ルピアのエグゼプティブルームに前回22万で泊まったことをチェックしてもらい。22万にしてもらった。
フラヤホテルに一組だけ来る「ジャカルタポスト」を見ると、欧米資本による鉱物資源や森林資源の収奪に対するインドネシア国民の抵抗運動が大きく取り上げられている。インドネシア国民の反欧米感情は日本人が考えるより強いのかもしれない。
深夜の散歩は長年の趣味だが、プカンバルの深夜は物騒である。メダンよりも危ない感じ。大通りを歩いているだけで、頭がおかしいのか正気なのかわからないようなのがからんできたりする。メダンの深夜は表通りを歩く限りは危険を感じなかった。
結局、今回私が見たスマトラで一番安全に感じたのはバンダ・アチェだった。一番清潔でもある。街で寝ている人もいなかった。
メダンでは警察や警備員をよく見たが、プカンバルでは見当たらない。道端に刃物のようなものをもって仁王立ちしている男がいたりする。こちらをにらみつけて通りがかるときに何か言ってくる。もちろん大きく迂回して歩く。
翌日。
行きのときに尽力してくれたフラヤホテル付設旅行代理店の男は今日も来ていない。
マスジッドの隣のレストランの兄ちゃんが、白い帽子をかぶりタータンチェックのロンジをはいてマスジッドから帰ってきた。金曜日だった。ロンジはすぐに変えてズボン姿になった。
市バスに乗る。大きいバスは1000ルピアだったり2000だったり。ミニバスは2000。ただしミニバスは行き先を指定すると(とくにホテルだったりすると)タクシー並み(20倍ぐらい)の金額を言ってくる。英語はまったく通じない。「バスステーション」も通じない。いろいろ乗り換えているうちにホテルの近くに来たので降りる。
メダンはスマトラ・ウタラ州(アチェはナングローアチェ)。北朝鮮は、「コレア・ウタラ」。ネパールでは「ウッタル・コリア」だった。どちらも梵語起源の言葉のよう。
ホテルの近所の時計屋で、Q&Qの腕時計を買う。208リブー(20万8千ルピア)のを、180リブーまで負けてもらった。マレーシア時間に合わせてもらう。しかし、この時計はGMT(ロンドン時間)をあわせてから「ホーム」を決めなければならない。マレーシア時間にあわせてくれと言ったら、店のかわいい女の子が基準時間をマレーシア時間に合わせてしまったのでGTMがマレーシア時間になってしまい、他の都市の時間が全部おかしくなってしまった。あとで全部やり直す。「ホンコン」のところを「KULに書き換えて「ホーム」に指定する。この時計の仕組みを理解するのに何時間かかかった。
店で女の子に時計を合わせてもらっている間、このかわいい女の子の小さい体に似ずふっくらと「ティンバル果のように盛りあがった」おっぱいと、柔らかそうな腰のあたりを、今すぐこの場所でまさぐり、なでまわし、なぶりまわしたい、という強烈な衝動に襲われた。しかし、私は猛然とその悪に立ち向かい、ついに勝利を収めたのである。それ以来私はこの時計屋のある場所を「ジャヤカルタ」と呼んでいる。
昼間、ミニバスを乗り換えながらうろうろしていたとき、あるミニバスで運転手と車掌とが喧嘩を始めた。殴り合いにまではならなかったが、助手席に座った車掌がなぜか突然シャツを脱ぎ捨て、上半身裸になって怒っていた。シャツはまたすぐに着た。5000ルピア札をダッシュボードにたたきつけたりいろいろ変わった行動をしていた。ここの人たちは、怒るとシャツを脱ぐのだろうか。
途中で乗ってきたおばさんが喧嘩を見てしかめっ面をしていたが、その顔のほうが私は喧嘩よりも怖かった。気持ち悪いおばさんだった。インドネシアのおばさんは実に恐ろしい顔をしていることがある。あのかわいい女の子も年を食うとあんなふうになるのか・・・・なんてことは考えても仕方のないことなのだろう。
昼、「ケン」という中国人の種族の人のみせで鶏肉ビーフンを食べた。行きにも入ったことのある店。この人によれば「カムシャ」は「ホッケン」語だそうである。「ケン」では、ありがとうは「トーチャ」というそうだ。「ケン」とは何か。よくわからない。客家みたいにやわらかい雰囲気の人だった。奥さんは華やかな明るい感じのインドネシア人。
三日目。
大通りの向かいにある立派なモールにはじめて入る。その一角は新しいスーパーかデパートのようなコンプレックスが立ち並んでいる。そのひとつでようやく、甘くないコーヒーを飲める店を見つける。Plaza SenapelanのRestaurant Plazaにエスプレッソがある。味は結構良い。California Fried Chickenはブラックコーヒーがない。
今日は土曜のせいか中国人客らしい連中が大挙してホテルに来ている。フラヤホテルは中国人経営だとか。しかし、部屋にいるかぎりそれほどうるさくはない。私は、プカンバルのような「何もない町」がけっこう好きだ。
四日目。
フラヤホテルを出て左に行き、最初の角を左に曲がって3軒目にある小さなレストランは、チキン(ハラール)がとてもうまい。コーヒーもドリップで入れてくれてわりとうまい。コーヒー3000ルピア。
昨夜もけっこううるさかったが、今夜になってホテル中がディスコになったような大騒ぎになった。中国人の団体が入ったらしい。エグゼクティブのほうはまだましだが、スタンダードのほうは完全にパーティになっている。
五日目。
朝。フラヤホテル付設代理店でドゥマイ行きミニバスを予約。バス代今度は75000ルピア、一時半チェックアウト。ロビーで待つ。ドゥマイ行きのバスは10時と2時。30分ほど遅れる。
今度は満員の6人乗りミニバン。乗客は中国人みたいなのが多い。来たときほどではないが、激しい運転だった。
途中、道端の家に突っ込んだままになっているタンクローリーや横転しているトラックなどを見た。来たときより長く、4時間ほどかかる。
午後7時ごろ前と同じCity Hotelにチェックイン。デラックスルーム19万ルピア。たいしてデラックスではない。スーペリアルーム17万のほうがよかったが、コネクティングルームだったのでやめた(隣の人間が宴会をやる可能性がある)。
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