一日目。
午後一時半のマレーシア航空で成田を出発。翼の付け根の席で、外がよく見えた。機体が左右にゆれるたびに、翼が大きく上下して、ちょっと恐い。翼の先が風でぺらぺらと動き、壊れそうにみえる。夕焼けが下の方にきれいにみえる。いろんな色に変わりながら、だんだん下の方に消えていき、上の方は黒っぽい帯になっていく。
空港のパスポートコントロールの列に、タイ売春婦丸出しの女を連れた白人がいたので、写真を撮る。
現地時間午後八時二十分頃KL着。疲れていたので近いホテルに泊まろうと思い、空港内の旅行代理店に頼むと、20分といいながら車で飛ばして30分くらいはかかるエンプレスホテルというところに連れて行かれた。近くにあるコンコードホテルはフリーの客は受け付けないというが、本当かどうか怪しい。コンコードが150リンギくらいで、エンプレスが230リンギ。エンプレス周辺はもっとやすいホテルもいくつかある。しかし、市内への交通の便は悪い。
二日目。
旅行代理店は翌朝迎えに来てくれるといっていたが、やっぱりうそだった。KLIAまでは車で送ってくれるといってたが、来なかった。結局、KLIAエクスプレスで市内まで行った方がよかった。
エンプレスホテルの真向かいの茶屋で、昨晩少し話したシーク教徒の男に、朝また出会う。バス停の場所を教えてもらう。茶屋の主人にもこの男にも近くの別の宿を勧められる。この辺の業者なのだろう。
バス停はセブンイレブンの前の大通り。標識も何もない。そこからバスで、ニライまで行く。ニライからKTMコミューターに乗る。このとき中国系とインド系の男に出会って、少し話をする。彼ら同士も完全に英語で話していた。マレー語は全く出ない。KLセントラル駅で降り、プトラLRTに乗り換え、パサルスニへ。パサルスニで少し迷った後、楽安旅館に入る。37号室にチェックイン。
楽安旅館はパサルスニ駅を右下に出て、ワリサンプラザとかいう看板のある道を真っ直ぐ行った右側。
マスジッドインディアまで歩く。去年来たときは閑散としていたが、この日はマーケットが大盛況。去年と同じインドレストランでナンとチキンカレーとお茶。レストランの主人にも見覚えがある。今日は祭りなのかと聞いたが、そうではないということだった。
マスジッドインディア近辺は美術学校のような匂いがする。衣料品問屋が多いので、繊維の染料の匂いかもしれない。
夕方4時ごろから夕立。マレーシアは今モンスーンだそうだ。
三日目。
昨晩は隣のトタン屋根に水の滴る音で眠れず。昼間泥のように眠る。夕方は今日も雷雨。4時過ぎ、小降りになってからKLCCへ行く。都心に来たらやっぱり毛唐が多かった。Domeでコーヒー。以前より無愛想になったが、店の雰囲気は良い。
デジタルカメラでアジア女連れの毛唐の写真を撮る。
KLCCからダンワンギ、ダンワンギで外に出て少し歩きブキナナス駅でモノレールに乗り換え、ブキビンタンのスンガイワンプラザへ。
スンガイワンプラザにあるネットカフェに行く。機械の調子がよくない。悪くないがココログには耐えられないようだ。
気がついたら右も左も日本人だった。日本語のページを見ている。右の高校生みたいなのは2ちゃんねるのゲームの板を見ていた。
このネットカフェのワープロでは「毛唐」という単語が一発変換できる。自分のパソコンでは毛唐が変換できず、辞書登録しなければならなかった。
帰りのモノレールで、一瞬不安になり中国人らしい男にパサルスニの方向を聞くと逆の方向を教えられ、またKLCCまでもどることになる。
某月某日。
駅で下りのエスカレーターを上ろうとした。知能の崩壊を感じる。
翌日。KLCCはよいところで、わりと好きだが、良いところには毛唐も多い。
スターバックスの店内で、若いキチガイ毛唐夫婦が赤ん坊のオムツを換え始めた。さいわい私は何も食べてはいなかったが、臭いがぷんぷんしてくる。
彼らは有色人種客の迷惑などまったく顧慮しない。隣に客がいるとさえ思っていなかっただろう。
毛唐にモノレールの階段でいちゃもんをつけられ、いきなり突き落とされそうになる。反白人テロはぜひとも必要だ。彼らこそテロリストだからだ。今日は毛唐がらみで災難な日だった。
先日、日本のテレビで日本語をしゃべる白人が、「スターバックスもジーンズも洋服もみんなアメリカのものだろ、日本人はそれを使ってるくせに欧米にたてつくな。」と、ぬけぬけと放言しているのを見たのを思い出す。このオムツ夫婦も、「スターバックス店内はアメリカだから、あるいは白人植民地だから白人のものなのだ」と思っていたのかもしれない。
彼らはコーヒーもお茶も西洋のものだと思っているのだろう。日本語を話したとしても、白人はみなこんなものである。彼らにとっては、アラビア起源のコーヒーも中国起源のお茶も、白人の文化でありアメリカの文明である。白人にとっては、古代エジプトや中東の古代文明も「イスラム教徒に簒奪された西洋文明」なのである。
某月某日。
中華街のネット屋は安いが、タバコを吸う連中や毛唐が多い。タイ式のキチガイファランツーリストでいっぱい。大声でしゃべり動き回る。
ネット屋に限らずKL中華街は毛唐が多くて不快。
某月某日。
夕方、インド人街のいつものローカルなインドレストランでミルクティーのガラスコップを下に落として割ってしまった。
しかし店の人はすぐに気にするなというそぶりをして、一銭も弁償金をとろうとしなかった。
何年か前、タイの田舎町のタイマッサージ屋で、店員が床に置いた長細くて薄いガラスのグラスが勝手に倒れて割れたことがあった。そのときは後で有無を言わさず50バーツの弁償を要求された。そんなことを思い出した。
翌日。夜、インド人街に行こうと思い、マスジッドジャメの方に歩いているとタミル系と見えるインド人の女の子に道を聞かれた。ここではローカルだと思われているらしい。「クレーン」へ行く道を聞かれたが、「クレーン」ってなんだろう。わからないというとぷいと行ってしまった。
某月某日。
KLはタイのような最下級の白人は多くないが、中年以上の白人にはここをまだ植民地だと勘違いしている者も多いようだ。
白人の植民地支配の歴史が、根本的に批判されたことは一度もないし、彼らがそれについて自己批判したこともない。
白人は、日本の「過去」については中国・韓国等のイチャモンを間接的に奨励し、それによって白人の残虐行為の歴史を相対化する一方、白人の植民地支配については着々と歴史修正主義の論陣をバックアップしているのである。(中国人の反日を煽動する白人の政策は戦前からのものである)
中華街の狭い歩道を道いっぱいに並んでまっすぐに歩いてくる中年白人夫婦。
前から有色人種が来ても決して道を譲ろうとはしない。道を譲らないどころか、歩く速度を緩めることも、脇をちょっとかわすことも一切しようとしないで、道いっぱいに汚らしい肉体をぶら下げてまっすぐに突き進んでくる。相手に気づかないのではなく、むしろがんをつけながらまっすぐ襲い掛かってくる感じである。
高級ホテルでベルボーイなどに道を譲ったりすることはむしろマナーに反するだろうが、それと同じ感覚なのだろうか。
これは白人のいるところではどこでも見られる光景ではあるが、日本にいる白人はわりとマシなほうだと思う(日本の普通の地域では)。
某月某日。
KLに外人向け売春バーなどは私の行動範囲では見ないが、タイから売春婦を持ち込む毛唐は少なくない。
ポルノ持込ご法度の国なのに、「ポルノ」の実物の売春婦の持込が容認されているのは解せないことである。中華街のカフェで、タイ売春婦丸出し女を連れたハゲ白人オヤジを見た。
某月某日。
中華街にはいつも白人が集まっているところがある。
そこが特に良いところというわけでもない。ごく普通の、ローカルな小汚い中国人食堂である。ただ、いつもそこには白人が集まっていて、ほかの場所にはあまりいない。そういう場所が2、3箇所ある(季節によっても変わる)。
そういうところになんとなく集まっている白人たちは互いに知り合いでもないようだ。お互いしゃべるというわけでもない。ただ同じ白人がいるからというだけの理由で、群れているようである。
彼らは、自分たち用の場所をとにかく決めて、そこをなるべく白人だけで占領しておきたいのだろう。「白人だけの空間」にいたいというだけの気持ちが強いようだ。要するに「白人租界」を作りたいというのが彼らの本能なのだろう。
某月某日。
「白人租界」には「乞食」のような連中も寄ってくる。ギターを弾いて英語の歌をがなりたててカネを取ろうとするやつ。
黄色い糞掃衣を着たタイ人坊主(仏教僧)も、「白人租界」の周りをうろついて物乞いをしている。こいつらもタイ人売春婦とやることは一緒である。
タイ領内でムスリムを弾圧しているタイ人だが、より豊かで金回りの良いマレーシアにずいぶん物乞いに来ている。中華街やクランなど、少しでもいかがわしい臭いのあるところにハエやゴキブリのように集まってきて、「ファラン」の東洋趣味に訴えたり、へつらったりして現金を集める。小カオサンのような白人租界は彼らの稼ぎ場所である。
某月某日。
「白人租界」で、一人だけ浮きまくっている日本人女を見た。一人旅のバックパッカーのようだった。
日本人であることは一見してわかった。最初、白人にしなだれかかっているように見えたのでいわゆる「肉便器」かと思ったが、よく見ると、しなだれかかっているようにみえたのは、彼女が一人で「アンニュイ」を気取っていたからだった。この光景は実にお笑いだった。
彼女の「座り位置」は、売春婦の位置以外のなにものでもないのだが、客をとるならもっとそれらしいシグナルを出さなければならない。
こういう「座り位置」に自らを置いてアンニュイを気取っていることを、彼女は、旅慣れている姿とでも思ったのだろうか。それとも、個人主義的で、自分で何でもできる、自我の確立した女であることの表現とでも思ったのだろうか。
しかし私は、日本人より個人主義的で自我が強いといわれる白人女性が、こういう位置に自己を置きアンニュイを気取っているところを見たことがない。
自分のホームの空間ならいざ知らず、白人女性ツーリストが異人種ばかりの空間でこういう無防備な姿をさらしているところを見たことがない。
彼女はこのように、白人ツーリストばかり集まる空間に一人で乗り込んでいって「リラックス」して見せるのが、場慣れしているように見えてかっこいいと思ったのかもしれない。
しかし、何度も述べるように、白人がこの「白人租界」に集まるのは、「白人の空間」を求めてきているのである。どこでもいいから「自分と同じ白人のための空間」でリラックスしたいからである。
この論理からすれば、そこにいてもよい非白人は、ウェイターなど下僕でなければ白人男が戯れに連れ歩くアジア人レンタルワイフだけ、ということになるだろう。
そこに日本人女が、「客」を求めてならいざ知らず、「対等なる市民」として割り込もうとするのは、やはり「場違い」というものである。
KL中華街がバンコクのカオサンのように全部白人に占領されているならいざ知らず、ここでは白人が一人も入っていない同じようなローカルレストランは周囲にいくつもあり、味も価格も似たり寄ったりなのである。
白人が「白人の空間」を求めて集まっている場所に彼女が割り込む理由はどこにもない。
某月某日。
クラン行きのバスは、パサルスニ駅のすぐ北から出る。
ブキビンタン行きの市内バスは、マスジッドジャメの前から出る。
某月某日。KLCCでマレーシア製のメモリーカードを買う。1GB250リンギ。
パサルスニ駅に近い立派なヒンドゥ寺院の前で、歩道を歩きながら手を合わせて寺院を拝んでいく中国人の男を見た。何でも拝む人か。
某月某日。
楽安酒店をチェックアウト。正午頃、レストラン・ハミード近くのバス停(クランバスステーション)からシャーアラームに向かうバスに乗る。
某月某日。
毛唐が多くなるとアジア人は土人化する。
コンビニでマレー人の若い男性店員が毛唐客にへらへらしている様子をみていると情けなくなってくる。タイ人のようだ。
しかしマレー人の女はあまり白人にへいこらしないようだ。
売春婦に見られたくないという、ムスリムのみならずまともな女なら当然の気持ちからだろう。
前にインドレストランで話したマレー人のおじさんは、「ヨーロッパ人は嫌いだ」と小さい声ではっきり言ったが、それはその人が敬虔なムスリムだからだろう。
もしイスラム教がなかったら、マレーシアなど本当にどうしようもない国になっていただろう。
某月某日。
土曜の夜の中華街はタイ化する。
中華街には泊まりたくないが、安くて比較的快適なホテルが多いようだ。インド人街の安ホテルも見たことがあるが、値段は同じくらいでかなり汚かった。
中華街中心部は白人のゲットーになる。売春婦のような女も立っている。どうしてわざわざマレーシアまで来てそんなことを・・・・。マレーシアはイスラム国家ではないのか?
マレーシア政府は、自国がタイのような「土人売春国家」の道を進んで良いのかどうか、よく考えて欲しいと思う。
東南アジアの国であるにもかかわらず健全で、汚い毛唐がのさばっていないというのであれば、それだけでも観光資源になる。
某月某日。
インターネット屋だけは、「日本人専門店」を作って欲しい。
某月某日。
楽安酒店の下のローカルなレストラン・カフェに場違いな白人オヤジがひとり居座っていた。
この店は中国人の店だが、インド人もよく来ているし、もちろんマレー人も来る。
そんなに広くないので相席が普通だが、その毛唐のまわりには誰も座らない。
某月某日。
パサル・スニ駅に近い「プラザ・ワリサン」というコンプレックスはがらんとしたところで、人影もまばら。ナゴヤテキスタイル(名古屋・・・〔中国語〕・・・)という看板があるが、名古屋とも日本とも関係がないように見える。「名古屋テキスタイル」はマレーシアのいろんなところで見かけた。
その「プラザ・ワリサン」の上のほうの階はさらにがらんとしていて、最上階のフードコートはアフリカ人らしい黒人たちの溜まり場になっている。普通のマレー料理やテーやコピの店が並んでいるフードコートだが、いつ行っても10人以上の黒人が集まっている。
彼らは日本で見るアフリカ人よりはおとなしい感じで、白人のような大声を上げるわけでもなく、やたらヤンチャをするわけでもないようだ。
そこにはマレーシア人も食事に来る。スカーフをした若いマレー人の女の子も来ていた。
プラザ・ワリサン内には2、3軒インターネット屋があるが、日本語IMEの入っている店はない。これらの店も黒人客ばかりのことがある。
それぞれの人種や民族が自分の居場所を持つことは良いことなのだろう。
某月某日。
New Straits Timesに載っていたJalan Silangというところを訪ねる。
その記事には、クアラルンプールのエスニックな町として、中華街、インド人街のほかに、「Sri HartamasのLittle Japan」と「Jalan SilangのLittle Nepal」とをあげていた。
Jalan Silangは地図にも載っていない小さな一角。中華街の北、マスジッド・ジャメより南にある。パサル・スニからなら、Jalan Tun HS Leeという通りを北に行き、バンコク銀行の前を右折し、MyDinの角を北に入ったところ。
「ネパール人街」というほどのところではない。デヴァナガリよりもむしろビルマ文字の看板のほうが目立つくらい。
通りに面した一階にあるレストランはみな、ただのインドレストランでネパール料理はおいていない。インド人店員にネパール料理はと聞くと、「ネパール料理もインド料理も同じだ。さあさあどうぞ」といういかにもインド人らしい反応が返ってくる。
ネパール料理店は雑貨屋の2階にあった。Himalayan Restoranというところ。入ってみる。中にいる客はネパール人のみ。話される言葉もネパール語のみ。
モモを注文する。とても美味しい。主人はバフでなく「ゴート」を使っているといっていが、ハラール肉のせいかヤギのケモノ臭さはない。ついてくるスープもうまい。5リンギ。
経営しているのはチベット人のおじさん。ネパールのチベット人だが、もう2年もネパールには帰っていないという。
この人がとても感じがよく、親切だった。メニューにないチベット茶を飲みたいと無理を言ったら聞いてくれて、懐かしいあの赤い魔法瓶に一本作ってくれて、しかもチベット茶の分はお金をとらなかった。
ひごろ宿の中国人主人の狂気じみた偏屈さに接しているので、このチベット人のおじさんのまともな感じがとてもうれしかった。(ネパールではチベット人ってのはカネに汚くて・・・というイメージがあったが。)
この店は、航空券も売る。クアラルンプールからカトマンドゥまで片道800リンギということ。スンガイワンプラザなどの代理店よりは安いのだろう。
ただし、この店はあくまでネパール人のための場所である。われわれがネパール観光をするような気持ちで気楽に入っていい場所ではないのかもしれない。ここに来ているネパール人青年たちは、タメルの茶屋などで話しかけてくるお気楽なあんちゃんたちとは違う。「外国人」が入ってきたからといって、喜んで英語で話しかけてくるような者はいない。そんなことをするメリットは何もないし、彼らは「外国」にもううんざりしてここに故国を求めてきているのである。
彼らはネパールで見るネパール人同様話し好きで、際限なくしゃべり続けるが、彼らの表情は明るくなかった。先進国マレーシアに出稼ぎに来て最底辺の労働者として生活し、精神的に参っているという顔つきだった。
ネパール人だけで集まりネパール語だけの空間に浸り、ネパールの音楽を聞きネパール料理を食べてどぶろくを飲み、ネパール式の飲みかたでポットの水を飲む。そうやって自分固有の文化を取り戻し、ホッとしたいのだろう。
私があの店にズカズカと入っていったことは、良いことではなかったのかも知れない。
また、私は、彼らのような意味での「故国」を持たないのかもしれないと思った。今回、日本を出て2ヶ月になるが、その間日本料理を食べたことは一度もないし、食べたいと思ったこともない。日本米を2、3年(あるいは永久に)食べなくても平気である。
しかし、毛唐でさえ彼らの自国の料理やそれに近いものを外国でも食べたがるものである。
私が日本料理を食べたいと思わないのは、日本の食文化が破壊されてしまっているせいだろうか。それともたんに私の食文化が個人的に破綻しているだけだろうか。
一方、New Straits TimesにLittle Japanとして紹介されてあったSri Hartamasは広い一帯で、そのどこがLittle Japanなのかわからない。
宿の偏屈な中国人オヤジによるとHartamasは金持ちの住むところらしい。そして、Mont Kiaraに日本人が集まって住んでいるコンドミニアムがあるのだとか。 おそらく、駐在員の家族とかが住んでいるのだろうか。
「日本人は同じところに集まって住みたがる。ばらばらには住みたがらない」なんて、中華街の中国人オヤジに言われてしまった。
その「リトルジャパン」がどんなところかわからないが、高級住宅地ということで、私のようなツーリストの近寄れる場所ではなさそうだし、市内からかなり遠いところにあるので見に行くのはやめた。
しかし、日本人が集まって、仲良く楽しく住んでいるとしたら何の問題もない。
インターネット屋に来る毛唐などは、他人の迷惑というものを生まれてこの方一度も考えたことのないような連中が多い。アジアではどんな無作法も許されると思い込んでいる白人ばかり。
こういう人間たちとは決して同じ場所に長くはいられないと痛感する。日本人(アジア人)と白人とが対等に共存することは、不可能なことだと思う。
日本人がそこにいる以上、日本人の最低のマナーが通用する空間は是非必要である。大企業で働く日本人駐在員や日本人在住者のための場所はあるようだが、ツーリストや個人の長期滞在日本人のための場所は、どの国にも少なく、(規模も小さいために陰湿な場所になる)ように見える。
カネに余裕があり愛国心がある人が、せめて日本人専用インターネットカフェだけでも各都市に用意してくれたらありがたいと思う。
毛唐は、アジア人など「物」としか思っていない。ネット屋(日本と違って衝立などない)でパソコンに向かいながら、私を挟んで、「頭越し」ならまだしも、私の鼻先すれすれうなじすれすれをかすめるように左右から大声でしゃべりあう。その声は100メートル先でも聞こえるような大声。([毛唐]→[透明な私]←[毛唐] という位置関係)。毛唐の汚い息が顔や首にかかるようである。彼らにとっては私は人間としては存在していないのである。
それでもマレーシアは東南アジアではまだましなほうなのである。
某月某日。
New Straits Timesには、マレーシアに合法的に入国したネパール人が理由なく拘束されたとか、パスポートのコピーを持ち歩いていたらパスポート不携帯で逮捕されたという事件が大きく取り上げられている。
私はマレーシアの刑事訴訟法を知らない。彼らが本当に何か悪いことをしていたのかもしれない。同じように、不当な逮捕拘束があったのかもしれない。
しかし何故、彼らは拘束されて、私は拘束されないのか。
人種差別や肌の色による差別ではないだろう。マレーシアにはネパール人より色の黒い市民がいくらでもいるし、ネパールの各カーストの人々と同じような顔立ち・肌色のマレーシア人も少なくないと思う(もっとも、もし白人だったら、そいつが東欧の最貧国出身のゴロツキでも、理由なく拘束されるということはないだろう、という意味の人種差別は確かにある)。
彼らが逮捕拘禁されたのは、彼らがネパール国民だったからだろう。
自分の国が小さいということ、祖国の国力が弱いということが、この世界でいかに惨めで哀しいことかということを思い知らされる。
私も外国で、白人や黒人から暴行を受けたことがあるし、主に白人との関係で接客上の人種差別を受けることはよくある。
しかし、日本のパスポートを持っている以上、滞在国の官憲から陵虐行為を受けるということはめったにないだろうし、理由なく逮捕拘禁されるということも恐らくないだろう。ネパール人の場合は、正規の手続きを経てマレーシアに入国してもそういうことがしばしばなのである。
このことは現実問題として幸いである。われわれはいかに国家のおかげをこうむっていることか。人間はその「本能」を自ら作り上げてきた。そして、国家、ポリス、は人間性の要素である。人間がポリス的な生き物であるというのはそのとおりだと思う。
だから私たちは、自分の属する国家や権力に対して斜に構えるのでなく、この重要な祖国の働きに参加していく気持ちが本当は必要なのだろう。私自身はそこから最も遠い位置にいるのであるが・・・・
某月某日。
不当逮捕拘禁ならともかく、誰かの恨みを買って麻薬をバックに仕込まれたりしたときは日本国民もお手上げである。タイでよく聞いた怖い噂。
スーツケースなら全部開いて見ることが多いかもしれないが、バックパックの場合、宿に泊まるたびに全部出して中身を確認すると言う人は少ないだろう。国によって、イミグレーションのところに、バックの中に入っているものを全部認識しているようにというような注意書きが掲げてあることもある。
ところで、先日タイで日本人が二人惨殺された事件に関する報道がまったくないようである。日本大使館は働いているのだろうか。マスコミは外国で自国民が犯罪に巻き込まれたことに関心がないのだろうか。
もしも、タイで殺された二人が白人だったら、彼らがどんなゴロツキだったとしても、全白人世界のメディアを挙げての大騒ぎになったのではないだろうか。
インターネットで得られるニュースでは殺された二人は「ヤクザ風だった」ということだが、これはタイ当局の発表をそのまま流しているだけだろう。タイ警察がヤクザ風だったと一方的に発表しているだけである。殺されたのがヤクザだといっておけば、日本政府も日本国民も大騒ぎしないだろうという魂胆が見え見えである。
私がタイで変死体で発見されてもヤクザが殺されたことにされるだろう。
私が「タイ国王は顔面麻痺で笑えない」「タイ王室は麻薬利権で太ったマフィアである」「タイ王室は王妃のプロジェクトで山岳少数民族の森林を収奪している」というような文章をブログに載せていることがばれて、基地外タイ人(ほとんどのタイ人は基地外だが)に殺されても、タイ当局は必ず日本のヤクザが殺されたと発表するだろうし、タイ当局の不興を買って、タイ警察の先導によって殺されたばあいにもそんなように発表されるだろう。
ブログ程度のことを「不敬罪」で立憲するのはタイ当局にとっても面倒だし、ヘタなことをすると欧米メディアが「表現の自由」で騒ぎかねない(日本人の権利が侵されている場合にはその可能性はほとんどないが)、タイ警察としては見せしめに手下のチンピラに殺させてしまったほうが簡単で効果的だとい結論に達したとしてもおかしくない。
某月某日。
久しぶりに異様に静かな中華街のネット屋。
さっきまでしゃべっていた白人おばさんもいなくなり、どうしてこんなに静かなのと不思議なくらい。
昨日のこの時間は海兵隊みたいなランニングシャツアメリカ人が何人も乗り込んできてひどい騒ぎだった。
中国人の女の携帯がなって、女が電話に出る。「ハロー」「ハロー」。やや大きな声だが白人たちほどではない。
すると、神経質そうなハゲ白人オヤジがすかさずその女に注意する。「静かにしろ」
このハゲ白人は、白人ががなり立てる声は気にならないらしい。「有色人種の野蛮な行為」は許せないのだ。
その中国人女は白人よりは理性があったのか、白人の抗議だったからか、すぐに意味を了解し、声を落とした。
こういう場所で大声をだしてしゃべっている白人に「ちょっと静かにしてくれ」と言ったことは何回もあるが、ほとんどの場合彼らはまずその「意味」が理解できない。
言葉が通じていないのではない。なぜ自分が「アジアで」「アジア人から」そんな抗議を受けなければならないのか、彼ら白人には理解できないのである。ここは「アジア」だから俺たちが自由に振舞って良いところじゃないのか、何でそんなことを言われなきゃならないんだ・・・不可解、といった顔をするだけで、まったく意に介さなず、同じように騒ぎ続けるのが普通。それが平均的な白人のモラルの水準である。
某月某日。
静かだった宿に、若い白人ツーリストが大勢はいってきた。
宿の廊下の真ん中に若い白人女が突っ立ってジュースを飲んでいる。
狭い廊下のど真ん中にこの女が突っ立っていると、他の人は通れないのだが、通行を妨げているという意識は、この女には微塵もない。
私はそこを通って自分の部屋に戻らなければならない。
近づいていっても、何しに来たという目で睨みつけるばかりで、微動だにしない。
この女は最後まで、私のために道を譲ろうとは考えない。それどころか、1cmさえ譲歩しない。
「ほんのちょっとだけ」身をかわすことさえ、この女は絶対にしようとしないのである。これは、どんなに常識知らずの若い日本女でも自然にやっていることだろう。われわれは本屋で立ち読みに熱中しているときでも後ろを通る人がいればその気配を感じ、特に考えなくても自然に道を譲る。これはわれわれの「本能」に近い文化である。その相手が誰であろうと、人種や民族など意識する以前にわれわれはそのように振舞うだろう。
毎度のことながら、白人の振る舞いは驚くべきものである。
大半の白人がこの通りの振る舞いをするのだが、日本の文化とは絶対に相容れない他者との関係にかんする「原理」に彼らは固執している。
もちろんそれだけではない。ここがアジアとくに東南アジアだからである。
白人はアジアのどんなにローカルな場所に入り込んでも、そこに「客」としているのは「白人だけ」でなければならないと考える。
ここはどちらかと言えばローカルな安宿なのだが、「白人たる自分たち」が客として入った以上、同じ身分の客として有色人種が同じところにいること自体、彼らには(「許せない」以前に)「信じられない」のである。
白人はそういう発想を自然にする人種である。
つまり「信じられない」ことが起こったから、あの女は唖然として私を睨みつけ、棒立ちになっていたわけである。
このような「自然な」人種主義・白人至上主義は、言うまでもなく白人特有の「本能」に近い感覚であり(われわれが自然に他人に道を譲っているのが「本能」に近い感覚であるように)、白人社会の土壌に根ざし、白人の体質に宿るものである。
すなわち「ナチズム」は決して特殊な現象ではない。人種主義的なホロコースト主義は、白人の体質であり、文化であり、「原点」なのである。
某月某日。
4月中旬になって毎日のように雷雨。毎夕のように烈しいスコールと雷が長い時間続く。夜は涼しくなった。
毎度のように白人のマナーの悪さには驚かされる。彼らが白人のための場所で騒いでいる分には勝手なのだが、彼らは白人があまり来ていないようなローカルな場所を荒らすことに、彼らがアジア植民地で昔から好んだ強姦に似た快感を覚えるようだ。
ローカル中心のインド料理屋にでかい禿げ白人が押し入り、店員全員の注意を引き付けようとする。腕を大き広げてワーオとやる。『土人』たちが自分が来てやったのを大歓迎してくれるのは当然だと思っているようだ。
ネット屋でのマナーはいうまでもない。英語人がうるさいが、フランス人も負けていない。一台のパソコンを囲んでいっときも沈黙していられないようだ。彼らにとって『沈黙』は『闇黒』であり『野蛮』なのだろう。勇気をもってその『野蛮』にたちむかい打ち破るのが白人の『使命』だと思っているようだ。ローカル客しか来ない静かなネット屋を探しだして通っていても、かならずこういう『使命感』のある白人が荒らしに来るのを見る。
某月某日。
KLCCスリヤ伊勢丹の紀伊国屋で目立つところに置いてあった榊原英資「食がわかれば世界経済がわかる」(文藝春秋)という本をタイトルにつられて衝動買い。久しぶりの読書。
読書の遅い私でもアッという間に読んでしまえるほど内容のない本だった。50リンギも出したが、読んだあとは完全にゴミになった。
著者が、英米が世界経済を支配できた原因は植民地支配により「食」の資源を押さえたからであるというのは正しい。また、彼らに植民地支配を可能にしたのは、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」などではなくて、なによりも軍事力だったというのも正しい。スペイン・ポルトガルはもとより英米蘭仏においても植民地支配・経営の原動力はまずもって軍事力だった。
この本の悪いところは、これ以上の内容がないだけでなく、「アジア」についての誤った幻想を日本人向けにまき散らそうとしているところであるように思う。
著者は、「日本の大衆はどうせバカだから」と思ってバカな話をしているのか。それとも何か深慮遠謀があってバカのふりをしているのだろうか。しかし、「日本は覇道を目指さず、王道を歩まなければならない」などという意味ありげな結論は、白人の世界制覇の原因に関する考察からは不釣合いで、取ってつけたような印象を与え、中国共産党に女を抱かされて念を押されてきた仕事のようにも思われる。
理由があってバカを装っているのでないとすると、この著者の頭の単純さに驚かされる。まるで高校生のようである。こんなナイーヴな小僧が日本国の財務官をやっていたのである。アジアの何処に行っても「日本はテクノロジーベーリーグッド」としかいわれないことにも理由がありそうだ。「日本人は頭は良くない。勉強はできない。技術があるだけだ」とネパールの上流カーストの田舎者にいわれたことを思い出す。
この人に「アジア」なんかまったく見えていないのではないか。大蔵省の財務官を勤めるほどのエリートに必要なのは本を読んだりする力ではなくて、どんな手段によってでも、ちゃんとモノが見えていることではないだろうか。
著者の恥ずかしい中国幻想は女を抱かされたからばかりでもなく、本気のように見える。
インド観が貧しいというより、インドはほとんど視野に入っていない。
東南アジアは、シナのみならず、インド抜きには一言も語れないはずなのだが、著者の東南アジアはインドもアラブも抜きである。
したがって著者の東南アジア観は買春オヤジ的レベルの恥ずかしいものになる。「東南アジアの仏教国はたぶん親日的で日本人と肌が合うだろう」的な恥ずかしい妄想。この人は東南アジアを自分の目でほとんど見たことがないようだ。
何より滑稽なのは(本気で書いているならだが)この人にとっては「一神教」の世界は「アジア」ではないらしいこと。ということは、イスラムは「アジア」ではないということになる。
現実のアジアを素直に見渡せば、イスラムこそは、好むと好まざるとにかかわらず、「アジア」のもっとも有力な倫理システムであり、最も元気のある人的および情報金融のネットワークだと思うのだが、そういうことはこの人の目にはまったく見えていないようだ。
「一神教はアジアではない」ということになると、中東・中央アジアはもちろん、東南アジアの大部分、インドのかなりの部分は「アジアではない」ということになるのではないか?
以上のことからわかるのは、この著者の「アジア」観は、「日本近代主義」的「アジア」観を反転させただけのもので、相当小便臭いものだということである。
二元論的図式化はわかりやすくて便利だが、あらゆる図式的二元説はインチキである。この本に出てくる「ファーストフード」と「スローフード」、「アングロサクソン型」と「フランス・ラテン・中国型」、「覇道」と「王道」なども同じ。
「わかりやすくてインチキな理論」ということは「危険な理論」だということである。
そのほかにもこういう本のインチキな罠として気をつけるべきなのは、「中国」や「インド」を定義することはできないということ。
普通の日本人が想像している以上に多くのインド人がムスリムであること。
とくに、外国にいる活動的なインド人にはムスリムが多いようだ。外国で活動(商売)するにはムスリムのネットワークが有効だからだろう。
ヒンドゥ教のインド人は、ヒンドゥ(インド文化・精神世界・ヨガなど)を外人に売り込んで商売しているのでない限り、外国人などにあまり接したがらないのではないか?
東南アジアに多いタミル系インド人がヒンドゥだと決めてかかるのも間違い。私がこれまでにマレーシアで会話したタミル系インド人のほとんどはムスリムだった。私はタミル語もマレー語も話せないので英語の会話に乗ってくるような人に限定される。つまり、少しでも英語を話す、英語を話したがるような人ほどムスリムが多いということではないか?ムスリムのタミル系インド人に「彼はタミルヒンドゥだ」といって紹介された人はとてもシャイで素朴な感じで英語など話そうとしない感じだった。つまり、英語を良く話せるような人ほどムスリムが多いように思う。改宗も進んでいるかもしれない。
ミャンマーでは、多くの中国人がイスラム教に改宗しているとパキスタン系(インド系)のイスラム教徒から聞いた(彼らが「パキスタン」と自称する場合バングラデシュがルーツという場合もあるようであり、またインドとパキスタンが分離する以前からミャンマーに来ている人たちもムスリムはパキスタン系を自称したがるようでもあり、パキスタン系には「ムスリムのインド系」という以上の意味はないようにも見えた)。パキスタン系と中国系との混血のムスリムも多いようだった(ヤンゴンのインド人街で屋台を出している人に多かった)。
いずれにしても、イスラム教は昔から「アジア」を代表する宗教のひとつであり、いまアジアで一番元気な倫理システムでありネットワークである。
イスラム教はキリスト教以上に普遍主義的な宗教だが、同時にたいへん「アジア」的な宗教であると思う。
というのは、「イスラムを抜いたアジア」というのは客観的に見て、どうみても現実の「アジア」とはいえないからである。これは今に始まったことではない。日本人が最近まで注意を払ってこなかっただけである。
榊原氏の「妄想のアジア」と現実のアジアとの間との間には大きなズレがあるように見える。
「食」に関していえば、現在東南アジアには、ハラール食品を「味で」非ムスリムにも売り込もうという動きがある。榊原の好きそうな「仏教国」タイも、ハラール食品産業を輸出産業として成功させて何とか金を稼げないものかと企んでいるのである。
実際ハラールの鶏肉を食べるとはっきりわかるが、血を完全に抜いてあるので血なまぐささがない。日本などのケンタッキーなら二つも食べれば気持ち悪くなるが、ハラールの鶏肉なら同じフライドチキンでも皮以外は非常にあっさりしていて、いくらでも食べられる感じがする。ハラール肉はいわば動物の「活け締め」である。
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