s-dst.パタニ(パッタニ)

2006年12月11日 (月)

クルセモスク(Masjid Kruse)に献金しよう

日本の株はダメダメだが、インド株が膨らんでいた。

ただ旅行だけしているうちにけっこう儲けてしまった。覗いていたら余計なことをして損をしていたかもしれない。

こんどパッタニ(Pattani)に行ったら、クルセモスク(Masjid Kruse、Masjid Kresek)に1000万円くらい献金しようかと思う。

みんな良い人たちなので。

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2006年6月23日 (金)

パタニ Patani (パッタニ Pattani)

6月某日。ナラティワトのタンヨンTanyongホテルのフロントにパッタニ行きのミニバス手配を頼む。

時計をマレーシア時間のままにしていた(タイより一時間早い)。

そのため遅すぎると思いこみ、ホテルのボーイに催促してバス停までモトサイ(バイタク)で送らせる。

バスチケットは80バーツ。12時頃発。

バス停で、すばらしい英語を話すムスリムの女の子に出会い親切にしてもらった。通訳をしてもらい、コカコーラをおごってもらった。

女の子が自分のために買って飲みかけたミネラルウォーターもくれた。これは何でくれたのかわからない。

若い女の子に飲み物をおごってもらったのは、ネパールのゴルカの山の中で小生意気なバウン(ブラーマン)の娘にコーラなどを恵んでもらって以来である。

このムスリム女性は23歳で、ナラティワトに実家がありパッタニの大学で英語の先生をしているといっていた。23歳で大学の先生というのもよくわからないが、ユニバーシティといってもいろいろなのだろう。

たいへん文法的なちゃんとした発音の英語を小さな声で丁寧に話してくれる。とても謙虚な人だった。

彼女もアラビア語は「当然」読めるという。子供のころから教わっているからそれが普通なのだと。しかし話すのはあまりできないとも言っていた。それでもすごいことである。

彼女は、マレー語、タイ語、英語、アラビア語の4ヶ国語が読めて、アラビア語以外の3ヶ国語は不自由なく話せるわけである。

ムスリムと異教徒との結婚の話になった。ムスリムの棄教はご法度なので、異教徒のほうがイスラム教に改宗しなければならないが、改宗は「シリアスリーでシンシアリーな」ものでなければならないと言う。

パッタニの観光についてもあれこれ教えてくれるので、夕飯でもご一緒しませんかと提案した。しかしとても堅い人でぜんぜんだめだった。バスを降りるときに、手を出しても握手もしてくれない。気持ち悪がられたのかもしれない。

この子が勧めてくれて、バス運転手にも指示してくれたホテルMy Gardensにチェックイン。550バーツで結構な部屋。特にうるさくもない。

パッタニの町も平穏で緊張感はない。わりと大都会である。

パッタニに来るとイスラム色・マレー色はさらに薄くなる。ナラティワトではかろうじて飲めたコピ・オもテー・タリクも見当たらない。これらの言葉の通じる人も少ない。スカーフをしている女性も少なくなる。

コピもテーもチヤもチャイもラペイエもない生活をよく続けられるものだ。やはり、タイの生活には何か重要な精神的な要素が欠けている。四六時中だらだら食って酒を飲むだけ。

朝食はミルクティーだけにして固形物は食べないというのが健康に一番良いと私は信じている。一日に一度くらいは空腹感を持つことが大切である。

タイ族マーケットはイスラム色は意識的に排除されている感じがする。ブタを食わされそうだ。ムスリムの食堂とはっきりわかるところがあまりない。

私はムスリムではないしムスリムになる予定もないが、近頃は血なまぐさい肉やブタ肉は食べる気がしない。ブタの血の塊やブタの皮のテンプラなんてもってのほかである。

パッタニの夜はタイそのもの。タイ的な腐敗臭があちこちから噴出してきている感じだ。

時計塔の近くには黒いガラス戸のバーも並んでいる。夜になると色白の女たちが戸口にたむろする。売春バーのようだ。ちょっと聞いてみる。多くの女が北部出身らしかった。ウッタラディットから来ているとか言っていた。こっちのほうが稼ぎがいいのだろう。

やはりパッタニやナラティワトはタイから独立してイスラム国家になったほうがいいと思う。汚物入れはバンコク、チェンマイ、パタヤ、プーケットくらいで十分である。

深夜のパッタニの町も緊張感はまったくない。昼は多少警官も見るが夜は見当たらなくなる。毛唐がなぜこの町に来ないのかわからないくらいである。

爆弾などより、夜は野犬が怖い。北部の犬よりはずっとおとなしいが、通り過ぎたあと後ろからひそかに付きまとおうとするのはいかにもタイの犬らしい。チェンマイだと、本当に後ろから噛み付いてくるから危険である。

パッタニに来て思い返す。

ナラティワトのタンヨンホテルのフロントの姉ちゃんは、ムスリムではないようだったが、マレーシア人のように親切な人だった。何か頼むとすぐに自分で動いてくれて、いろいろ世話を焼いてくれた。

タイ人らしくない腰の軽い人で、ここに行きたいというとすぐに自分で外に出てモトサイを拾ってくれて運ちゃんに指図もしてくれた。

たいていのタイ人は自分では一切動こうとせず、ニヤけたりシカメッツラをしたりして座っているだけ。動くときもイヤイヤなのをことさら表情に出そうとする。そういう風にするのが立派そうで洗練されているとでも思っているらしい。

翌日。

安いし、うるさくもないのでホテルMy Gardensに連泊することにする。

タイ的なものを予想以上に受け付けなくなっていることを自覚する。いかにもタイ人というのに接するとイヤでたまらない。いかにも中国系というほうがまだましなくらい。

ホテルのフロントは割り込んでくるタイ人客を平気で優先して受付け、そのうえタラタラして長々と待たせる。

これで毛唐がいたら耐えられないだろうが、さいわい今のところパッタニでは白人は一人も見ない。

バイタクでパッタニのモスクを見に行く。立派な美しいマスジッドだった。看板にタイ語さえ入っていなければなおよかった。

パッタニのバイタクは明朗会計。運ちゃんはほとんどマレー系。市内なら一律20バーツ。市外のクル・セ・モスクなどを見に行こうとすると高くなる。50バーツとかいってたのでやめた。

ネット屋はホテルの近くに2軒。ローカルの若者の遊び場なのでみんなゲームをしている。

日本語IMEを自分でApplyしてココログを書く。タイのネット屋はたいていタイ語が入っているので、日本語IMEは入れやすい。WindowsXPのCDromは要らない。

日本語IMEの入れ方は、まずスタートボタンのSettingsなどから「コントロールパネル」を開き、Regional and language optionsというところをクリックする。

タイ語などが入っていればRegional optionsのところに日本語もあるようである。そこをJapaneseに変え、LocationもいちおうJapanに変えて、Applyするだけで日本語ツールバーが出せるようになるようである(Locationの変更は必要ないのかも知れないが、以前マレーシアでなぜかどうしてもうまくいかないときにこれをJapanにしただけでうまくいったことがある)。

タイ語などが入っていない場合は、まずLanguagesのところを開いてInstall files for East Asian languagesのところにポチを入れてApplyするが、このときWindowsXPのCDが必要になるようだ。あとでRegional...のところも変える。マレーシアのネット屋ではXPCDを貸してくれることもあった。

「マレー人のマーケット」があると聞き何とかバイタクで行こうとするが、運ちゃんはマレー人(ムラユ)なのに意味が通じない。そういうはっきりとしたところはないのかもしれない。MyGardens付近はほとんど完全にタイ族の領域になっている。

夕方バイタクでわざわざローティチャナイを食べに行った。

昼間はわりと警官を見る。ホテルのすぐそばの交差点で交通整理をしているのだが、ヤクザそのもの。バイタクの運ちゃんがぺこぺこしながら通り過ぎていく。

テレビのニュースでパッタニの話がいくつかあった。政治家が来たか何か催しがあったようだった。

3日目。

昼間の警備が少し物々しくなってきた。交差点の警官が増えて、検問もランダムにしているように見える。かと思うと、まったく警官がいなくなる時間帯もある。

テレビは国王様マンセー一色。ホッシップなんたらと繰り返し気持ち悪い。

去年ネパールNabilBankの口座から引き出したアメックスのトラベラーチェックを両替してしまおうと思い、近くの「クルンタイバンク」に行ったがダメだった。基本的に両替はしていないらしい。係員はしばらくTCの券面を見ていてやっぱりダメだということになった。たぶん光を当てて真偽を確認する装置がないのだろう。

クルンタイは大衆的な銀行なのだろうか。警備員のようないかにもタイ人という感じの男がまず呼び止める。行員の女性と話していると、この男が「帽子を取れ」という。

私は帽子の下に何も入れていないことを見せてから(毛は生えている)また帽子をかぶった。それでもこの男は帽子を取れとしつこく言ってくるので、相手にしないで無視していた。

マレーシアでもタイでもネパールでも、銀行で帽子を取れといわれたことはない。これが初めてだ。この男はムスリムにもそう言っているのだろうか。

帰り際、この男はわざわざ私を呼び止めて自分の受付テーブルのようなところに呼びつけた。ねちっこく因縁をつけるような目でにらみつけ、"I am take you....hat....."とかわけのわからないことを言ってくる。

「帽子のことでオレがお前を警察に連れて行ってやる」とでも脅していたのだろうか。妄想土人の権威妄想マルダシというほかない。これまた実にタイ人らしい振る舞いである。

それともタイでは銀行の警備員は警察なのだろうか。タクシンも警察官のようだし、イミグレ役人も警察官らしい。

これと比べると、行員の中国系女性職員ははるかにまともだった。「バンコク銀行」に行けと言う。

クルンタイがローカルな大衆的な銀行だとすると、タイ族がマレー人に日ごろどういうふうに振舞っているかも想像される。

バンコクバンクはかなり離れた少し辺鄙なところにあった。バンコクバンクでは帽子を取れとかバカなことは誰も言わない。一応は外国にも支店がある銀行である。

TCのチェックや身元のチェック(パスポートのコピーとサイン)は厳しかった。マレーシアの出国スタンプのコピーまでとり、それにサインをさせる。サインをいくつしたかわからないくらいたくさんした。

両替レートは多分悪い。1ドル38バーツ弱で、そのうえTC一枚につき手数料30バーツ、印紙代3バーツ。

この銀行は大変のんびりしたところで、冷房の効いたロビーで地元の人たちが分けもなくたむろして新聞を読んだりしているのが不思議である。カウンターの向こうには分厚い札束が無造作に置かれたまま行員が席をはずすことも・・・・

ネパールのNabil Bank発行のばらばらのTCだったので少し心配していたが、両替はできた。

昼ごろローティチャナイが食べたくなり、バイタクを雇うが、どこも閉まっている。ローティはどこも朝と夕だけのようだった。

その代わり、マレー人地区の食堂に連れて行ってくれた。マレーシアとほぼ同じチキンカレーが食べられる。しかし、コピ・オはなかったのでテー・スースー。

お勘定もマレー語しかもマレーシアリンギ建てで「ドゥア・リンギ・ラパンプロ・セン」(2リンギ80銭=28バーツ)という言い方だった。すごい。

夕方ちょっと嫌なことがあった。

ドゥリアンを買っていたら、私服警官とかちあった。

警察だろうということは雰囲気ですぐにわかった。普通に見かけるタイの制服警官とは違い、ミャンマーの警察官のように小柄だったが、ミャンマーの刑事のように洗練されてはいなかった。

天下のミャンマーのロンジ履き刑事ほど細心で空恐ろしい雰囲気はない。思ったことをすぐに言ってしまい、考えていることがすぐばれてしまう感じだった。

すぐに粘っこく付きまとおうとするので汚物を払うように振り払う。

こっち嫌がっているのを見て、警察だから安心しろと言ってわざわざ身分証まで見せてきた。こういうところが間抜けな感じである。私が彼のことを、彼らが目の敵にしている多数派住民「ムラユ」だと思っているととったのかもしれない。

国籍、滞在目的、泊まっているホテルなど、あれこれ身元を聞くのはもちろんだが、やたらにこっちの体に触って来る。これが気持ち悪い。体に触ると何かわかることでもあるのだろうか。

そして散々、マレー人と「イスラム」の危険性について親切に教えてくれる。私が日本人だから当然イスラム教とは縁がなく、反イスラムだと思い込んでいるようだ。

日本にもムスリムはいる。「私は日本人だがイスラム教徒だ」と(嘘を)言っていってやったら面白くも気まずいことになっていただろう。

ここに何しに来たということになって警察署に連れて行かれたかもしれない。

「ムラユ」はno job,no work でだらだらしているだけのどうしようもない性悪な連中であるように言い立てる。

そうなのかもしれないが、no job,no workでだらだらしていて危ない連中が多いのはタイ族もまったく同じである。ただタイ族は侵略者の特権を享受しているから働かなくてもいい生活ができているだけのこと。

私は左翼ではないが、こういう特権に守られた連中がマイノリティに対する差別的な発言を平気でするのを聞くとむかつく性分である。

タイのマイノリティは、日本の自称マイノリティのように特権で守られてやたら声がでかく外国の反日主義と通じている連中とは違う。外国に反タイ主義など存在しないのである。白人は酒と女で丸め込まれ、近隣国は弱小で歯向かうことができない。

警官は、深南部三県はツーリストにとって安全な地域ではないから来ないほうがいいともいう。

誰に聞いても市街地は安全だといわれるし、この小さな都市にこれだけ警察がいて治安が保てないと言うのは変な話である。

「いつ出て行くのか、明日行くのか」としつこく聞くので、天皇が帰ったら自分も出て行く、一週間ぐらいは滞在すると答えておいた。

やはり、タイ警察はここで外国人に見られたくないことをやっているのだろう。

タイ族移住による文化的侵略の続くタイ深南部は、漢族移住政策によって文化的に分断されつつあるチベットに似ている。

ぱったににくるときに親切にしてくれたムスリムの女の子が「シリアス」で「シンシア」な改宗でなければならないと言っていたことを改めて思う。彼らはノホホンとムスリムをやっているわけでないと言うことだろう。

彼女のような優等生でちゃんとした知的な職業についている者であっても、ムスリムとしてこの土地にいるかぎりマイノリティであり、当局からは常に犯罪者予備軍として扱われる。ここ以外でもムスリムである以上、それだけで差別され敵を作ることがある。

それを引き受けられるだけの覚悟が必要なのはもちろん、そのような不利益をうめて余りあるほどの利益をイスラムに見出せるのでなければ、真剣に改宗する者とはいえない。

また、そのようないいかげんな者がイスラムコミュニティに入ってくることは、本物のムスリムにとっては迷惑だということだろう。

 
昼間、路肩の草むらの中に銃を構えた迷彩服の兵隊が座っていることっもある。しかしいつもいるわけではない。

マレー人のバイタクを何度も雇ってようやく川向こうのマレー人地区でまともなコピ・オを飲むことができた。かなり質の高いものもある。

ムスリムの中にも(スカーフをしている人でも)、コピ・オという言葉がまったく通じないものもいる。すぐに反応してくれる人もいる。

ホテルマイガーデンズ周辺のマレー人はタイ化していてコピ・オが通じないことが多い。この町のマレー人社会もタイにからめとられて分断しているのかもしれない。

 
東南アジアご訪問を控えての天皇皇后両陛下の会見での発言をネットで読んだ。

天皇陛下はさすがに慎重な方だが、皇后陛下のタイヲタ的な発言に違和感を覚えた。しかし、これも儀式のうちに入るのだろう。

外国人反日記者の悪意ある「愛国心教育」質問を、婉曲的にお諌めになった天皇陛下のお言葉はお見事だったと思う。

彼らはタイの、人の心の隅まで支配する全体主義については何の批判もしないのだ。

しかし私は、タイおよびタイ族、そして彼らが再生産する国際的な「タイ的イデオロギー」は、この世界で人間の尊厳を脅かす危険な現象であることを、改めて強調しておきたい。

 
タイ人には食傷ということがないのだろうか。

9日を過ぎても延々と国王賛美が続く。

黄色を着た連中は獰猛な野獣のような目つきになっている。この町では、決して黄色を着ない人も少なくない。

ホテルMy Gardensは、中華系で従業員はタイ族だが、みな普段どおりの制服を着ていて「黄色」を着ていないのが救いである。

深夜も若い女がフロントにいて制服のまま椅子の上で寝ている。警備員もいるが、異常としか言いようがない。

いまタイ時間深夜2時半過ぎ。パッタニにもこんな時間まで開いているネット屋(ゲーム屋)がある。国王祭り休暇のためか、客も少なくない。

よく見るとパッタニにはインターネット屋が意外に多い。どの店もローカル向きで、ゲーム中心のところもあるが、コピー屋、文具屋といっしょになっているところもある。日本語IMEのかぶせ方を覚えればどこでもすぐに利用できる。

深夜までやっているのはゲーム主体の店だが、どの店も大体は静かである。いまこの町に外国人が来ることはほとんど来ないから、ネット屋に白人が来ることなどはない。したがってじっくり読み物をしたりするのにとても便利な町である。

ネット屋によって、おそらく経営者によるのだろうが、タイ族色が強いところとムスリム色が強いところとがあるように見える。「黄色」一色のところと、「黄色」もたまにはいるがスカーフが目立つところと。これはネット屋に限らず、どの店もそうなのだが。タイ族の店は本当に感じが悪い。

6月11日。

各国王族に続いて天皇陛下が空港に降りる映像がテレビで流れる。ちょっとだけのニュース。日本の天皇の扱いは十分に丁重とはいえない。天皇陛下は頭を下げすぎる。

迎えに来たタイ皇太子は、天皇に対してはあまり頭を下げない。他のところではペコペコしていた。映し方もよくない。天皇がほとんどアップで映らない。

本来なら国王自身がじきじきにお出迎えに来るべきところである。

明け方4時ごろまでネット屋ですごす。4時ごろネット屋を出て近くのローカルなコンビニに入ると、スカーフをちゃんとしたムスリムの女の子がレジをやっていた。愛想がよくいろいろ英語で話しかけてきた。

13日。

ホテルのテレビがどのチャンネルも国王もの一色になっているときに表に出てレストランに入ると、まったく別の物をやっていた。ビデオかもしれない。まともな人はいい加減に飽きてるだろう。

   
市内に終夜営業のコンビニは何軒かあるが、セブンイレブンは一軒だけのようである。時計塔からMy Gardensの反対の方にまっすぐ15分ぐらい歩くと左手にある。品揃えはまちまちである。

セブンイレブンのちょっと手前の左手に、こぎれいな喫茶店がある。深夜までやっていて、早い時間はいつも人でいっぱい。もちろんローカルの人ばかりだが、若いムスリムのカップルなどが目立つ。ハンバーガーのようなものを作って出している。女主人もムスリムで、いつも愛想がよい。

この店はコピやドリップコーヒーはない。ネスカフェだけだが、それがなんと5バーツ。ネパールでもネスカフェはもう少し高いと思われる。しかも、一応ちゃんとした味の中国茶のポットもついてくる。(この辺ではテー・スースー(ミルクティー)やネスカフェにはたいていお茶のポットがついてくるが、ほとんど味がしないのや、テースースーに使うドリップのお茶を2、3滴たらすだけというところも多い。)

ホテルMy Gardensは静かで快適で料金も安く申し分ない。町ものんびりしていて不便そうでいてわりと便利なので、ここは大変居心地がいい。

陰険なタイ族は無視していればいい。ムスリムの人たちの多くはいつも笑顔で挨拶を返してくれる。どこで会った人かこっちが忘れているようなこともある。

いま「黄色」(国王の生まれた月曜日の色)を着ている連中が多い店はタイ族の店。とげとげしく陰険な連中の溜まり場なので避ける。この時期は大変わかりやすい。

タイ深南部に入って2週間。パッタニには10日以上もだらだらしているが、いまのところ治安の悪さを感じたことはないし、危なそうな人間も見かけない。

ケンカふきかけてきそうな目つきをしているのはむしろタイ族の連中である。

毛唐を見たのはいまのところ自転車の女ひとりだけ。

15日。

今日こういう報道があったが、パッタニの町に変化は感じられない。警察も軍隊も見かけない。

Series of bombings hit Thai south

At least 30 bombs have exploded in the south of Thailand, killing at least two person and injuring many others.
They went off almost simultaneously across the three provinces closest to the Malaysian border - an area plagued by a long-running Islamic insurgency.

The homemade bombs exploded early in the morning, just as people were arriving for work.

The largest hit a teashop in Pattani province, killing a local official and wounding many of the customers.

パッタニ市内からは離れたところで起きたのだろう。

それよりも午後の雷がすごかった。一瞬爆弾テロかと思った。

15日の深夜もパッタニ市内は平穏。

深夜まで開いている店でサッカー・ワールドカップに興じている。この店はムスリム経営の清潔で良心的なコーヒーショップで、コピはないがネスカフェがなんと5バーツ。野菜と卵入りローティ・バカル(野菜と卵をはさんだハンバーガー)が13バーツ。(普通、「ローティ・バカル」はたんにトーストのことだったりする。)

タイ族客も多く、深夜には薄汚いオカマのような非常にタイ的な連中もたむろしていた。こういうのを見るとちゃんとしたムスリムは不快だろう。

マイガーデン近くのタイ族マーケットにはイサーン顔のおばさんもいる。モンMon系かもしれないが、いかにも感じの悪いタイ人。ホテルの近くではこの店だけが、コピ(ミルクなしドリップコーヒー)をやっていたが、タイ族マーケットは感じの悪い一帯なので今は近づかない。

タイ政府は、深南部を「タイ化」するために、貧しいがタイへの帰属意識の強いイサーン住民を南部に移住させることを考えているようである。実際にそういう働きかけもしているのだろう。

イサーン住民を深南部に移住させる案【タイ】

16日。

セブンイレブンに近いところでまた新しい喫茶店を見つけた。Ayuという冷房の効いた快適な店。エスプレッソがある。25バーツ。ベーカリーもあり、パンやショートケーキも売っている。見た目はおいしそう。

6月15日はパッタニが「独立宣言」をした記念日だったらしい。どういう種類の独立宣言かまではよくわからない。とにかくそのせいで各地で爆弾事件が同時多発的におきたと説明されているようだ。パッタニ王国はヤラーやナラティワトも版図に納めていた。

ちゃんとスカーフをしたムスリムのおばさんでもたまにマレー語がまったく通じないことがある。今日初めての屋台で、NasiもAyamも通じなかった。隣にいた若いムスリムの女の子が通訳してくれた。

タイ語で「鶏」というのは難儀である。中国語の方言というのがよくわかる単語だが。

Ayamなら世界中のどこの国の人が発音してもたいていはみんなに通じると思われる。マレー語は最初から南洋の国際共通語として出発したようだ。

itvのHot Newsのキャスターの服が黄色のポロシャツから背広に戻っていた。まだ黄色でやっているニュースもある。

17日。

朝からテレビの反日番組。毛唐に日本の戦争を語らせるドキュメンタリー。

ホテルMy Gardensは癖がなく、快適なホテル。長期滞在に向いている。

移動したとしても、ここよりも居心地のいい宿はなかなか見つからないように感じる。これもずっとパッタニにとどまっている理由のひとつ。

   
街中でも警察車両が目立つようになってきた。

夜、ホテルに戻ると警官隊か兵隊を乗せたバンがホテルの敷地内に入っていくところだった。何をしにきたのかはわからない。

ヤラーのホテルのカラオケで爆発があって、カラオケ嬢(売春婦)が死んだらしい。その影響かもしれない。

警察や軍隊が一番ターゲットになりやすいのだから、ホテルに警察が詰めたりするのはテロの危険という点でも迷惑である。

ムスリムから見れば、例外なく豚食い×ャン×ロの経営しているホテルや売春バーがこの地域にあること自体、冒涜であり侵略であろう。

中国人が切り開いた売春穴に、同じく豚食いのタイ族が、ドロッと濃厚なタイ文化とともに、膿のようになだれ込んでくるのである。

そしてでかい国王の写真をぺたぺた貼って偶像崇拝のようなことを強要するのである。弱みを見せていたらやがてメーサイのように毎朝晩タイ国歌を流し、マレー人に起立清聴を強要し、国王への忠誠と仏教と土人売春文化を含むタイ文化の全面受け入れを強要するようになるだろう。

そうなった暁にはこの地域も、土人売春婦を引き連れた世界最低レベルのクズ白人で足の踏み場もないほどになるのは明らかである。

今は静かなビーチからも、表通りのカフェからも、ムスリムローカルは当然のように締め出され、昼間からオープンバーで売春婦の乳をもんだりビールをラッパ飲みしたりする毛唐とそれにかしずくタイ族が大手を振って練り歩くようになる。

タイ文化がこの地を支配すれば、このようになることは確定である。

これが「国王様マンセー」を支えるタイ族の文化であり、タイのモラルなのである。

深南部のマレー系ムスリムがタイ族を憎む理由はほかにもいっぱいあるだろうが、これだけでも十分である。

18日(日曜日)。

多くの店が閉まっている。いきつけのマレー系ガーデンレストランも。

先週の日曜日は、国王狂騒の真っ最中だったが店は開いていたように記憶している。

My Gardensホテルにタイ族の若い男女の集団がチェックインする。黄色を着ているやつも数人いる。

夕方久しぶりにマレー人地区にバイタクで行き、本物のコピ・オを飲みローティ・チャナイを食べる。コピ・オとローティ・チャナイで11バーツ。往復のバイタクにかかるのが40バーツ。

最初タイ族運転手にあたってしまった。マレー系かと思い、以前行ったMasnaローティを知っているかと聞いら、知っているような風にいうのでそのまま乗ったらまったく関係ないバス停に連れて行った。本当はコピもローティも知らなかった。

話にならないのでマレー人マーケット近くで降りて、別のバイタクを拾う。だから、交通費が60バーツになった。

それでも無駄ではなかった。コーヒーが非常にうまかった。

マレー人地区の本物のコピ・オは味がぜんぜん違う。タイコーヒーとはまったくの別物。おそらく豆も淹れ方のコンセプトも違うのだろう。マレーシア側よりも美味く感じたのは久しぶりのコピだったからだろうか。

マレー人地区といっても見た目貧しそうだったり汚かったりするわけではない。近代的な地域であり、大きなマーケットもショッピングセンターもある。ただ、ホテルは見かけない。My Gardensからは離れているのでバイタク(モトサイ)で行かなければならない。

19日。

11時過ぎに起きだして表に出る。

タイ人客を避けてエレベーターを使わず階段を降りると、迷彩服の兵隊が手ぶらであがってくるところだった。ホテルの中で何をするつもりだろう。

ホテルの前の警備員も警察のようなものものしさである。警察なのかもしれない。しかし、いないときにはまったくいない。

今日もムスリムレストランが閉まっていることが多い。マレー人地区でさえマレー食堂を見つけることが難しい。昨日のコピ・オがうまかった食堂は見つけられなかった。

モトサイ(バイタク)運転手がタイ族ばかりになっていて、マレー語が一言も通じない。

国王狂騒以前はホテルの前でモトサイを拾うとたいていマレー人運転手にあたり、マレー語が通じていた。

パッタニの町は前にもまして黄色を着た連中が増えている。

マレー人マーケットでさえ黄色を着てスカーフをつけない女性が目立っている。ムスリムの人たちが店じまいしているから目立つのかもしれないが、この地域ではとくに、いま黄色を着ないとまずいという雰囲気がありそうだ。

日本人タイヲタの中には、「色黒で土人顔のタイ人がマレー系」だと信じているのもいるようだが、見当はずれである。

今日は数回モトサイを拾い、10人位の運転手には話しかけた。みんな真っ黒なごてごてした顔をしていて、マレー語は一言も通じなかった。

「マカナン・イスラム」も「パサル・ムラユ」もまったく通じない。マレーとはまったく縁のないタイ族である。

実はマレー人はそんなに黒くない。コタバルとタイとを比較してみればわかる。この辺でいちばん地黒なのはタイ中部からカンボジアにかけての人たちではないかと思う。モンMon・クメール系の混じったタイ族。顔がごてごてするのも混血ゆえだろう。

マレー人はこのあたりでも、特に女性は色白のうりざね顔が少なくない。

パッタニに来て15日になる。

今夜、パッタニで2人目の白人を見た。今度も女。アジア人女にガイドされている。

薄暗い歩道を前方から歩いてきたが、すぐに白人だとわかった。道を譲り合おうという気配が「まったくない」からである。

これが毛唐のはっきりとした特徴である。アジア人ならよっぽど横着なガキでも前から来る人に対する一定の意識を持っている。

こちらも相手に合わせてまったく道を譲らなかったが、道に余裕があったのでぎりぎりですれ違った。

こちらが道を譲らないとわかると、その毛唐女はテロリストにでも出会ったかのようにキッと引きつった目でにらみつけてきた。いつものパターンである。

20日。

セブンイレブンの近くにあるモダンな喫茶店Ayuでブルーベリーチーズケーキを食べる。40バーツ。

結構おいしかった。日本のものとそれほど変わらないくらい。タイでは最高レベルではないだろうか。

チェンマイの日の丸をデザインした「日本式ケーキ屋」のものよりうまい。

店のおばさんは英語を話す。あなたが作ったのか、と聞くと、そうだと言っていた。本当かどうかはわからない。

パッタニのセブンイレブンは一軒だけだと書いたが、時計塔から歩いていける範囲でのこと。川向こうにもある。

Ayuの店前のテーブルに座っていたムスリムのルンギをはいた青年も英語が話せた。店に誰もおらず明かりも消えていて閉まっているように見えたので、閉まっているのかと英語で聞いたら、教育のありそうな上手な英語で開いている今ちょっといないだけだと答えてくれた。

最近は片言のマレー語しか使わないのに、なぜこのときに限って英語を使ったのかわからない。

テレビでは相変わらず「国王賛美のCM」をしつこく流している。

タイが公式にいうほど国民に敬愛されているのなら、賛美のCMを長々としつこく流す必要はないはずである。

タイ国王の権威も、実は綱渡りをしているようなものなのだろう。

しかも最近のCMの傾向として、毛唐を使うことが増えてきた。毛唐に英語で長々とタイ国王への賛辞を述べさせる。

白人様もこんなに評価しているということを国民に示すのに躍起である。そうまでしないとやはり国王を中心としたイデオロギー的統合が保てないのだということになる。

最近はあまりテレビを見ないので、もっといろいろな恥ずかしい企画をやっているのだろう。

深南部でテロが続くといっても、現在の独立派勢力は、タイ族仏教徒の主導する現人神的国王賛美に、ムスリム住民もが迎合することを容認しているのが現実だと思う。

タイ当局側は、ムスリムも国王を敬愛しているという宣伝を内外に向けてすることで、この地域のタイへの文化的統合を合理化しようとする。

独立勢力は、本気で独立を目指すなら、まず思想な独立をこの地域に確立しなければならない。

ムスリム同胞には現在のような偶像崇拝的な国王賛美を禁じなければならないはずである。

現在タイで行われている国王賛美はそれ自体偶像崇拝的なもので、唯一神に対する信仰とは相容れないのではないかと思う。

しかも国王は宗教的に中立ではなく、法的にも仏教徒であり公式に仏教僧の祝福などを受けるのである。

独立派のイスラム法学者が、ムスリムである以上、仏教徒タイ族のタイ国王賛美に加わってはいけないという宗教令を出すことが最小限必要だと思う。

それが仮にこの地域のイスラム社会に分裂をもたらすとしても、今のままずるずる甘いテロをやっていては独立実現はおぼつかない。

今の状態はこの地域のタイ化を事実上容認するものである。北からのタイ族の入植は進んでいるし売春婦も移植されている。

しかし、もしこの地域のイスラム指導者がムスリム住民に対して、国王の個人崇拝を禁じる、国王写真を含めた一切の偶像を排除せよ、という宗教令を発するならば、それは全世界の熱心なイスラム教徒の関心を集め独立運動への支援を期待することができるだろう。

それによって一時の分裂と流血がもたらされたとしても、得るものの方が大きいはずである。

いや、本当はもっと根本的な行動が必要である。

宗教の立場からいうのではなく、政治的独立のためにぜひ必要な、流血も人身被害も伴わない人道的かつきわめて効果的な「テロル」の手段がある。

街道沿いに掲げられた巨大な国王の写真、役所の前に掲げられた写真、醜悪な王妃の巨大な写真。

これらを同時多発的に早朝にでも爆破するのである。

国王の顔のところが吹き飛ぶように爆弾を仕掛けるのが良いと思う。顔面麻痺の心理治療にも有効だろう。

それが成功したら、次は仏教寺院である。坊主や教師を狙うのではない。

仏像を的確に爆破する。仏像といっても最近作ったばかりのキンキラキンの悪趣味なものばかりで文化的な価値はないから、ためらう必要はない。そもそも仏教も最初期には偶像崇拝を忌避したのである。

これら一連の行動によって、独立派から離れていくムスリム住民が相当数いるとしてもやむをえない。

自分たちは偶像崇拝、個人崇拝を許さない、仏教徒タイ国家から独立しイスラム国家を建設するのだ、という明確なかつ痛烈な意思表示は、全世界に報道されて、それ以上に多くのものをもたらすはずである。世界中の熱心なイスラム教徒の視線と援助をこの地域の独立運動に集めることになる。

これをしない限り、テロで何十人役人を殺しても独立はない。しかし、これをすれば状況は大きく転換する。

パッタニを去ることにした。

多少未練が残るが、コピ・オを飲むのにバイタクを使わなければならないし、タイ族の運転手はまったく要領を得ない。

いつか、独立したパタニ・ダルサラームを見てみたいと思う。

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Pattani(town)  From Wikipedia, the free encyclopedia

The word Pattani is derived from "Patani" in Malay which means farmer. The local dialect of Malay is called Patani Malay or Yawi in Thai (derived from Jawi).

Pattani Province 

History

Historically Pattani was the centre of the semi-independent Malay Pattani kingdom, but paying tribute to the Thai kingdoms of Sukhothai and Ayutthaya. After Ayutthaya fell in 1767 Pattani gained full independence, but under King Rama I it again came under Siam's control. In 1909, it was annexed by Siam as part of Anglo-Siamese Treaty of 1909 negotiated with the British Empire. Both Yala and Narathiwat were originally part of Pattani, but were split off and became provinces of their own.

マレーシア・クランタン州をイギリスに割譲し、パッタニを正式に併合したということか。

クランタン州の人は「クランタン」に大変な誇りを持っているようだが、タイが放棄してくれてよかったというのが歴史の審判という感じがする。つまり、イギリス領になったのがかえってよかったと思う。

現在のクランタン州とパッタニの人々の暮らしぶりの違い、雰囲気の明るさの違い、宗教的文化的なアイデンティティをどちらがより維持できているかを比較してみれば明らかではないかと思う(当然、クランタン州のほうがマレー人のアイデンティティは守られている)。

There exists a separatist movement in Pattani, which after being dormant for many years erupted again in 2004. Grievances cited include long-standing prejudice and oppression of Pattani Muslims by Thai Buddhists, including forcible repression of local language and script, as well as religious practices. As such, the revolutionary movement has increasingly taken on Islamic overtones, but remains largely isolated from global Islamic militancy, with the exception of proposed cooperative ties with neighboring Malays.

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次の町はヤラ

悪書

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2006年5月10日 (水)

タイ南部で爆発、3人が死亡13人が負傷

パッタニのマーケットで、オートバイに仕掛けられた爆発物が爆発。

タイ深南部での爆弾テロ事件はオートバイに仕掛けるのが多いように見える。

深南部のテロは、一時JI(ジュマア・イスラミヤ)との関係が言われていたが、テロの手法や技術水準から見て、関係はなさそうである。

JIは分裂し弱体化しているとか。イスラム主義のみならず、東南アジアで「反白人」を高々と掲げた希少な運動だったはずだが・・・・

私は個人の正直な感情として、パタヤでもプーケットでもバンコクでもいいから、白人がかたまっているところでJIに一発やってもらいたいと思っていた。

私にとってタイという国は、事実として、そのような感情を昂進させる場所だった。

しかし、そういう感情を持ち続けていることは、必ずしも健全な精神状態とはいえないので、なるべくタイには行かないことに決めた。

それでも、タイの深南部(パッタニ、ヤラ、ナラティワト)だけは良いところだったといえる。

なによりも健全で、静かだった。白人ツーリストがいない。

とくにナラティワトはもう一度訪れてみたい所。

夕暮れのナラティワトのビーチでは、スカーフをした女子学生が一人、波打ち際にすわってずっと沖を見つめていた。

誰も彼女を邪魔しない。

少しはなれたところでは、若者たちがボール蹴りをしている。

もしそこに毛唐が存在したら、絶対にありえない光景である。毛唐の存在だけで、この状況は消失する。陽子と反陽子くらいに毛唐とは共存し得ない状況である。

私は現在タイ深南部国境に近いマレーシアのコタバルにいるので、ナラティワトを観光しようかどうか迷っている。

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[バンコク 10日 ロイター] タイの警察当局によると、同国南部パタニ県のマーケットで10日、オートバイに仕掛けられた爆弾が爆発、女性2人と治安部隊員1人が死亡したほか、付近にいた買物客13人が負傷した。
 死亡した女性はどちらも教師で1人は妊婦だった。
 同警察の関係者はロイターの電話取材で「爆弾は、日用品の調達に来ていた治安部隊の車両の横に止めてあったオートバイに仕掛けられていた」と語った。
 タイ南部では分離独立を求めるイスラム武装勢力による爆弾事件が相次いでいる。

(ロイター) - 5月10日18時50分更新

この教師が仏教徒の公立学校教師だったのかイスラム学校の教師だったのかが明らかでない。

被害者が仏教徒の教師だったとしたら、携帯を使った遠隔操作の狙い撃ちだった可能性もあると思う。政府が、公立学校で仏教徒の教師に、タイ化=仏教化の同化教育をさせているのがイスラム教徒の反発を買っているとも聞く。

もし狙い撃ちだとすると、ツーリストはあまり心配しなくていいということになる

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2005年12月20日 (火)

洪水被害深刻、南部パッタニ市も冠水、ハジャイで略奪【タイ】

20日、大雨の被害に見舞われている南部パッタニ県では、満潮の影響と、隣のヤラー県からの水が流れ込み、川の水位が危険水位まで上昇。昨晩から洪水が警戒されていたが、20日早朝4時、あふれ出た水がパッタニ市内へ流れ込み始めたため、市では住民へ避難をするよう勧告を出した。また最近続いている洪水のため、パッタニ~ハジャイを結ぶ一本の国道以外、殆どが冠水し交通が遮断されており、周辺の町や村では食料不足の問題も発生し、深刻な状況となっている。

2005年12月20日18時11分 バンコク週報

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1568266/detail

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タイの地元新聞を読む

一族系のショッピングセンターまでもが浸水したチァン・マイの水害の際には、予定をキャンセルして速攻で現地に駆けつけ、陣頭指揮を執っていたくせに、民主党の地盤である南部に対しては、北部より深刻な水害に見舞われているにもかかわらず、速攻で現地に飛んで陣頭指揮を執ろうとしないのは、なんかおかしいんじゃないのと批判されている事に対して、タクシン首相は、公務多忙で時間が取れないし、そもそも水害対策は当局側の任務であると語っていたらしいです。

 どうも津波対策の際に、国民の目に見える部分にこだわって陣頭指揮を執ったにもかかわらず、結局南部ではタイ・ラック・タイが一議席しか獲得できなかったことが今でもトラウマになっているのかもしれません。

http://homepage3.nifty.com/jean/Papers/index.html

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「タイ・ラック・タイ」=「タイ愛国党」
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南部洪水、ハジャイで略奪相次ぐ

最南部が洪水に襲われた18日、ハジャイではセブンイレブン等のコンビニや倉庫等の略奪が相次ぎ、大きな損害となった。被害にあった店舗の社員は当日、洪水が悪化したため店を閉めるよう指示を受け帰宅していた。目撃者によると、真っ暗で胸まで水位が上がる中、50人位の若者がガラス窓を破り店内を物色していたという。

2005年12月22日19時09分 バンコク週報

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2005年12月23日  タイの地元新聞を読む
 
スコータイ県で開かれた移動閣議の際に、タイ・ラック・タイ党を支持した北部住民の心をつかむぞとばかりに膨大な国民の税金を投下する北部開発計画を高らかに宣言する一方で、深刻な水害に見舞われているタイ・ラック・タイ党を支持しなかった南部に対しては、公務多忙で時間がとれないと言って陣頭指揮を放棄しただけでなく、ch11で予定されていた南部被災者への義捐金受付の番組まで中止させていた事までが明らかになり、各界から非難受けているタクシン首相は昨日になって"仮に依然深刻な状況が続き、また当局側の対応に問題が見られるようであれば"との条件付きで津波慰霊式典出席に先立つ25日に南部を訪問し水害対策の陣頭指揮をとる意向を明らかにしていました。

 尚、アピシット民主党党首は、タクシン首相が被災者支援の為の義捐金受付番組まで中止させた事について、南部住民に寄せる国民の同情心を否定するだけでなく、タイ・ラック・タイ党支持者だけの面倒をみるというタクシン首相の本心が如実に表れたものであると批判していました。
http://homepage3.nifty.com/jean/Papers/index.html

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2005年9月20日 (火)

2005年1月ヤラー、パッタニ、ナラティワト、スンガイコロク

2005年
【ヤラー】
1月24日。ハジャイのホテルをチェックアウト。昼過ぎの列車でヤラーに向かう。2時半ごろにヤラーに着。やはり兵隊が目立つ。華安(Hua Ann)旅社の200バーツの部屋にチェックイン。ヤラーはかなりの都会。ハジャイもムスリムが多かったが、ここはほとんどの女性がスカーフをつけている。汽車の窓から見える風景は美しかった。緑の濃さが北の方とはちがう。
【パッタニ】
25日。華安旅社をチェックアウト。ソンテウでパッタニに向かう。30B。イスラム学校の女学生がかわいい。パッタニはヤラーより大都会に見える。大きな町だが、静か。ソンテウを乗りかえてMy Gardenホテルに行く。客でごった返していて、兵隊もフロントのフロアにうろつく。高級感のあるホテル。ファンの部屋にチェックイン。350B。
モトサイでクランモスクを見に行く。「地球の歩き方」には南部一美しいと書いてあるが、そうたいしたことはなかった。モザイクもステンドグラスもない。タイ国旗が目ざわり。
【ナラティワト】
26日。My Gardenホテルをチェックアウト。ミニバスでナラティワトに向かう。3時間ほど走り、午後2時ごろナラティワトに着く。ここもかなり大きな町。Yaowaraj(ヤワラー)という安旅社の190バーツのファンシングルにチェックイン。道路に面していてうるさい。
ヤワラーホテルから20分ぐらい歩いたところにビーチがある。もちろん毛唐などいない。地元の人ばかり。そんなにきれいなビーチでもないし、大きくないが、悪くない。潮の香りはほとんどしない。夕暮れ時スカーフをした女子学生が一人で来て浜辺に座って海を見ていた。男たちはサッカーに興じている。
27日。ヤワラーホテルにもう一泊することにした。
ムクダハンで買った迷彩シャツを着ていたら、ホテルの中国人の主人にこのあたりでは着ないほうがいいと忠告された。
【スンガイコーロク】
28日。9時半のミニバスでスンガイコロクへ。
インターネットもある。Valentineホテルというところにチェックイン。この町はホテルが多い。1リンギ10バーツほどで3000バーツほど両替する。

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