s-th.イサーン

2005年11月12日 (土)

イサーン住民を深南部に移住させる案【タイ】

東北部(イサーン)住民もタイ族。
自国民自民族をもモノとして扱えるタイの文化の面目躍如といえる。
タイ人にとっては山岳少数民族など人間ではない。彼らはそれを平気で明言する。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
東北部の住民を深南部に移住? (バンコク週報 11日20時11分)
コシン内相補佐が10日、殺傷事件が頻発し、治安が極度に悪化している深南部に東北部の住民の一部を移り住ませる案を明らかにしたが、これには各方面から強い反対意見が出ている。イスラム私学協会のニデー会長は、「他地域から来た人が増えれば、過激派はそれを口実にさらに事件を起こす恐れがある」と指摘した。また、野党・民主党のイサラ副スポークスマンは、「東北の住民は二級市民ではない」と批判し、トンバイ上院議員は、「危険な場所に送り込まれる者の身の安全を考えていない」と述べた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
イサーンはタイの東北部、低い木がまばらに生えた荒れ野のような土地が広がる。
イサーン人も基本的にはタイ族といえるが、言葉は異なる。イサーンでは大きく分けて三つの言葉が話されている。①イサーン北部のラオ語。②固有のイサーン語。③そしてクメール語。

ラオス人もタイ人と同族。ラオ語とイサーン語はタイ語の方言といえる。イサーン南部には少数のクメールがタイ国民として住んでいる。

イサーン人がタイ族であっても、イサーンは中部や北部から差別された地域。それは貧しいからと、「顔が醜い」から。顔が醜いこと、色が黒いことは、タイ人にとって十分正当な差別の理由なのだ。

標準タイ語(またはチェンマイ語)も満足に話せない貧しいアジア人は、イサーン人であれ、北部山岳少数民族であれ、タイでは「人間ではない」。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年9月20日 (火)

2004年12月タイ、イサーン周遊

2004年
【パノムルン遺跡・プラコンチャイ】
12月3日。
アランガーデンホテルをチェックアウト。アランチャプラテートのバスステーションからブリラム行きのバスに乗り、バンタコで降りる。途中、感じの悪いタイ警察がまたしつこくパスポートをチェックしてきた。ロンジをはいてアカ族のショルダーバッグを提げているからだろう。
バンタコでモトサイを雇い、パノムルン遺跡を見に行く。大きくはないがなかなか立派な神殿。中心にシヴァリンガがある。クメールのヒンドゥ神殿。そのままモトサイでプラコンチャイという町に行き、「プラコンチャイリゾート」というホテルの150Bの部屋にチェックイン。モトサイは250B。プラコンチャイリゾートの近くには何もない。マーケットまで数キロ。夕方ホテルのオーナーの自家用車でマーケットまで乗せてもらう。食べ物を買って持ち帰って庭で食べる。
【スーリン】
4日。午前9時ごろチェックアウト。ホテルのバンでバス停まで送ってもらう。スーリンに行くエアコンバスに乗る。1時間ちょっとでスーリンに着く。このあたりクメール系の顔も目立つが表情や振舞いはタイ的。クルンスリホテルの140Bの部屋にチェックイン。
午後バスに乗り、シーコーラプーム遺跡を見に行く。5分で見終わるようなもの。どこまでが本物でどこからが再建なのかわからない。
スーリンの町は、2年半ほど前に来たときにはうらぶれた感じの静かな町だったが、今は妙に活気がある明るい感じの町になっている。
【プラサート】
5日。午前11時ごろチェックアウト。バスステーションから立派なエアコンバスでプラサートに行く。プラサートはけっこう大きな町。バスステーションの近くのHotelとだけ表示のある旅社にチェックイン。150B。スーリンのクルンスリより清潔な感じ。
バスステーションからソンテウでカンボジアボーダーの方に向かう(カプチューン)。途中でモトサイに乗り換え、チョンチュムのボーダーへ。スタンプなしでタイを出るが、カンボジア側で300B要求される。オスマチOsmachというマーケット。掘立小屋の小さな集落がある。オスマチのマーケットでカフェを2杯飲む。カンボジアの味。コンデンスミルクをかき混ぜるまでは透明で舌がしびれる刺激。
プラサートのマーケットは閉まるのが早い。午後8時には半分くらい店じまいをしてしまう。バスターミナルとマーケットと役所だけの町。
6日。引き続き名もないホテル(旅社)に滞在。プラサート・ヒン・バンプルアンを見に行く。その近くに住んでいる人の世話になる。ところがいいところに、パタヤにファランのボーイフレンドがいるという若い女がやってきてぺらぺらとしゃべりまくりうんざり。雰囲気ぶち壊し。しょせんここはタイだと再確認。
バンプルアンからプラサートに戻ってバス停近くのマーケットをぶらぶらしていると、バンプルアンに行くソンテウにたまたま乗り合わせて少し話しをした姉妹の姉のほうに声をかけられた。ソンテウの中で教えた私の名前を覚えていたのに驚く。スーリンの自分の家に戻るところだというのでスーリンへついていく。スーリンで一緒にバーベキューを食べて帰ってくる。姉のほうが23歳でオームといい、妹は20歳でオーという。母親がクメールで父親がクイ族だという。クイ族はスーリンあたりに昔からいる象使いの部族。
今日会った人たちはみなクメール系だが、本人たちはタイ族のつもりらしい。家庭ではクメール語を話すが、それはただカンボジアが近いから話しているだけだといっている。しかし、たとえカンボジア国境近くに住んでいても、クメール系以外の人がクメール語を話すということはないだろう。
【シーサケット】
7日。10時半ごろ発ってスーリンに行き(プラサトからシーサケット行きは2本のみ)、スーリンでバスを乗りかえる。
スーリンのバス停近くのコーヒー屋台のおばさんに最後の挨拶。このおばさんは英語を話す。この人の話によれば、イサーンには(方言として)3つの言葉が存在するという。一つは、固有のイサーン語で、スーリンやブリラムなどで話される言葉。この言葉も標準タイ語とは外国語といっていいくらいに違う。第二は、ラオ語で、コーンケーンやウドンターニの方で話される。タイ語と同系の言葉。第三はクメール語で、クメール系の人たちが話し、タイ語とはまったく違う。
シーサケット行きの途中で降りてサカンペンヤイ遺跡を見る。これもどこまでオリジナルでどこからが補修かわからない。彫刻も新しそうで、クメール風の顔のものは風化している。バスを拾い、シーサケットへ。鉄道駅前で降りてサムロー(リクシャ)でThai Siam Thaiホテルへ。180Bの部屋にチェックイン。シーサケットはスーリンより小さいくらいの町だが、町の人の感じはスーリンよりとげとげしい。
【カンタララク・カオプラヴィハーン遺跡】
8日。シーサケットの町は感じが悪いのですぐに出る。何も面白いことのない町。ローカルコーヒーもない。バスステーションに行くと、ちょうどカンタララク行きのバスがあったのでそれに乗る。昼ごろカンタララクに着。バス停の向かいの飯屋のオヤジの車でカオプラヴィハーンに向かう。その前にホテルを見つけてもらう。300Bでファンの良い部屋にチェックイン。新しいこの辺でナンバーワンの宿だそうだ。英語看板はないが、First Service Roomというところ。カオプラヴィハーンの前でタイ側の公園事務所に200B払わされる。そのあとイミグレのようなところでパスポートのコピーをとらされ、カンボジア側の事務所でも200B払う。カンボジア領に近づくにつれて風景は荒れ野のようになってくる。耕地が少なく木がまばらに生えている。地雷危険の標識に囲まれた道を行く。神殿は毀れているがなかなか立派なもの。敷地に入るとキーンと耳がなるような感じのところ。行き止まりは絶壁で柵も何もない。曇りがちの天気で展望は良くなかった。最初からずっとついてくるカンボジア人の物売りの女の子がいた。「私たちはクメールであることに誇りを持つ」という意味の言葉がクメール語と英語で大きく掲げられていた。あれはなんて読むのと聞くと、クメール語で読んでくれた。
【ウボン・ラーチャターニ】
9日。10時ごろにFirst Service Roomをチェックアウト。カンタララクを出る。バスで2時間ぐらいでウボンに着く。バスターミナルは北の方。インフォメーションが親切にソンテウの番号を教えてくれる。すべて5バーツ。最初、トーキョーホテルを見るが部屋が狭いのでやめる。次に乗ったソンテウがワーリンまで行ってしまう。もう一度戻り、シーイサンNo.2の160バーツの部屋にチェックイン。ツインベッドで広い部屋。安旅社だが臭くなく静かそうな環境。
ウボンの国立博物館を見る。施設も展示も貧弱。職員は怠惰におしゃべり。ふざけた態度で応対している。見るべきものもあまりない。クメールの仏像も風化して顔がよくわからなくなっているものばかり。管理もずさんで、古い文字の刻まれた石板が直射日光にさらされている。館内にある年表などによれば、タイ(ラオ)族がこの地域に侵入したのは18世紀になってかららしい。それ以前数百年はクメール、その前はモン(ドヴァラヴァティ)が支配していたとなっている。
【ピブーンマンサハン】
10日。朝シーイサンホテルの近くの通りでソンテウを拾い、ワーリン市場へ行き、そこからローカルバスでピブーンマンサハンに向かう。ピブーンは小さな町だが、かなり大きなマーケットがある。サムローでホテルへ。Phiboonkitホテル。英語はまったく通じない。大きなツインルームで280バーツ。宿にバッグを置いて、チョーンメックに向かう。一時間以上かかる。タイ側イミグレーションでラオスのアライバルビザが取れるかどうか聞いてみると、取れるということだった。
ピブーンにもどり、コンチアム行きのトラックバスに乗る。橋のところから出る。1時間ぐらいでコンチアムに着。ゲストハウスが2軒ほどあり、薄汚いファランも見かけた。コンチアムに着いたのが午後5時ごろで、もう帰りのバスがなくなっていた。ファラン宿のババアは私を完全に無視しやがった。バス停前の強欲オヤジの白タクで300バーツ払ってピブーンに戻る。車で飛ばすとほんの30分の距離。
【パクセ】
11日。ピブーンキットをチェックアウト。ソンテウでチョーンメックへ。アライバルビザを取る。土曜日ということで、ビザを取るにもスタンプを押すにもいちいち賄賂を要求される。ビザで1ドル。スタンプで70バーツも。しかも一ドル50バーツというでたらめな計算で、ビザ代をバーツで払うと1500バーツだという(普通は一ドル40Bくらい)。パクセまでトラックバス。パクセのラオチャルンもサラチャンパもほとんど満室。タイ人団体客がはいっているらしい。ポンサヴァンという汚いゲストハウス(3ドル)に入る。このあたり、タイ側よりラオス側のほうが白人ツーリストが多い。
【チャンパサク】
12日。サヴァナケットに向かうバスに乗るが、12時ごろから4時ごろまでずっとパクセ周辺のバス停をのろのろまわっていてまともに走ってくれないので、うんざりしてバスを捨てる(2.5ドル)。トゥクトゥクを拾い、チャンパサクの手前の渡しまで500Bで行く。渡し舟ででメコンを渡り、チャンパサクのAnouxa(アヌサ)ゲストハウスというところにチェックイン。5ドルでホットシャワー付の部屋。こんなところにもやっぱり毛唐がアジア女連れで来ている。
パクセは寒いが、チャンパサクは暖かい。パクセの夜はほんとうに寒い。
【ウボン・ラーチャターニ】
13日。10時ごろアヌサをチェックアウト。チャンパサクを出る。パクセでソンテウ(ピックアップトラックバス)を乗りかえて、ヴァンタオ(チョーンメック)まで行き、タイに入る。
ラオスのトラックバスのうしろにぶら下がって車掌をしていたラオス人の若い女の子とタイ国境前の食堂で食事をする。いい女だった。ラオスのトラックバスはタイのソンテウとは違い、車掌がうしろにぶら下がって乗客の世話をする。ピブンマンサハンでソンテウを乗りかえウボンラーチャターニーへ。シーイサン2にチェックイン。160B。
【ムクダハン】
14日。シーイサンをチェックアウト。ウボン工業技術大前のバス停から立派なバスに乗り、アムナートチャルンに向かう。アムナートがあまりに小さな町で何もなさそうだったので、そのままムクダハンへ。ウボンから3時間でムクダハン着。バントムカセム(Banthom Kasem)ホテルにチェックイン。英語看板はない。150B。
ラオスのパクセは寒かったが、ウボンは暖かかった。北へ向かったが、ムクダハンも暖かい。ムクダハンは川湊のある小さな町で、マーケットもさほど活気があるわけではない。ファランはときどき見かける。ラオスから入ってくるやつや、タイ女を連れたやつ。
町の人はウボンやシーサケットに比べて穏やかな感じがする。
15日。バントムカセムの居心地がいいのでもう一泊した。宿の人の感じが良い。同じ150Bでホットシャワーのあるいい部屋に変えてくれた。ムクダハンは小さな町だがケーキ屋がいくつかあり味もいい。ファランが少ないのが何よりいい。バントムカセムは英語表示のない商人宿で静か。商人宿だが旅社の雰囲気はない。床も板張りで外人向けのゲストハウスみたい
だがファランは見ない。ムクダハンは衣料品などの市場が充実していて、ウボンなどよりずっと品揃えが豊富。昨日米軍の迷彩シャツを買った。人は少ないのに、品数は充実している。
【ナコーンパノム】
16日。バントムカセムをチェックアウト。タートパノムへ行くがまともな旅社もない。流水のないようなところだけ(溜め水)。泊ろうかと思ったが、蚊の多さに閉口し、ソンテウでナコーンパノムに向かう。ファーストホテルにチェックイン。160B。近所が一晩中うるさい。
パノムというのはプノンペンのプノムと同じで、クメール語で丘という意味だそうだ。地元の人はパノムよりプノムに近い発音をする。
【ウドンターニー】
17日。サコンナコンに向けて出発。サコンナコンに着いたのがまだ11時ごろだったので、ウドンターニまで行くことにする。2時半ごろウドンに着。バス停前のSri Trakarnという安旅社にチェックイン。140B。ぼろいがそんなに汚くはない。ウドンはかなりの大都会で、ロビンソンデパートもあり、女連れのファランが目立つ。タイマッサージ屋も多い。
【アランヤプラテート】
18日。9時ごろバスでウドンを出て、コーンケーンへ。コーンケーンで降りてから、急にアランヤプラテートに行きたくなり、コラート(ナコンラチャーシーマ)行きに乗る。コラートで乗りかえ、アランヤプラテートに向かうが、アランヤプラテートだと思って降りたのがカビンブリだった。5時ごろ。運転手に聞いて降りたが、でたらめにそうだと言っていたようだ。結局、乗りかえてアランヤプラテートまで行く。50Bの損。アランガーデン2は満室で、アランガーデン1の道側のうるさい部屋。200B。
19日。アランガーデン2の300Bの部屋に移る。道側だが交通量も多くなくわりと静かで安眠できる。ファランも少ない。高いからだろう。
【ポイペト】
20日。ポイペトに出る。タイのイミグレにずいぶん時間がかかる。カジノ目当ての異様な雰囲気の白人団体が並んでいた。ドイツ人のようだったが、ふつうのツーリストと雰囲気が違う。顔立ちからしてなにか異様。ガタイが大きく、肌が荒れていて、みな無表情で黙っている。東ドイツの農民という印象。農協のカジノツアーなのかも知れない。ほかにはフィリピン人も多い。
ロータリーのロンセンリLong Seng Lyゲストハウスの一階の窓のない部屋にチェックイン。200B。天井は高く換気扇があるのでさほど閉塞感はない。
21日。ロンセンリに連泊。
23日。毎日ドリアンを食べる。シーズンではないと思うが甘い。窓のない部屋の居心地もまあまあ。
ポイペトは悪くない。ネットカフェもある。
25日。下痢で寝込む。熱もある。ドリアンの食いすぎと思われる。
26日。インド洋津波。部屋のテレビで知る。
注:インド洋津波に関する報道は偏っていた。多くのタイ人売春婦や「レンタルワイフ」が犠牲になったはずだが、そのことはまったく報じられない。白人の死や行方不明のみが報じられる。スウェーデン人少年が病院から行方不明になったことで欧米メディアは大騒ぎし、kidnapされた疑いもあるなどと連日報じていたが、ローカルが何人不明になっているかにはまるで無関心だった。伝え聞くところによれば、タイ人救助隊による救助の場面においてさえ、ツーリスト(=白人)が最優先され、アジア人被害者は後回しにされていたという。
28日。ずっとロンセンリに沈没。毎日やることも同じ。ポイペトは空気が悪いほかは居心地が良い。毎晩、道に並ぶ屋台をうろつき、殻ごと焼いた卵を食べたり、ドリアンやジャックフルーツの入った濃厚なカンボジア風フルーツシェイクを飲んだりするのが楽しい。これは一口飲むと口の中が痒くなる。
【アランヤプラテート】
31日。ロンセンリをチェックアウト。タイに入国。入国カードに、タイでの滞在先としてバンコクのタイペイホテル(台北大旅社)とを書いたら、女のイミグレ官にこれはどこだとしつこく聞かれた。バンコクだというとバンコクのどこだというので、ヤワラーの近く7月ロータリーの近くだといっても要領を得ない。知らないようだった。

2005年
【ブリラム】
1月1日。アランガーデン2をチェックアウト。ブリラムに向かう。ブリラム行きと教えられたバスに乗るとまったく別方向のチャンタブリ方面行だった。途中でバスを乗りかえ、午後4時過ぎようやくブリラムに着く。2年半前に一度来たはずだがまったく覚えがない。リクシャで適当なホテルに行ってもらう。「タイホテル」という安旅社の220Bの部屋。
ブリラムは死んだような町だが、売春婦連れ白人が溜まっている大きなバービアがあり、タイホテルにも売春婦連れが入っている。
【ナコンラーチャシーマー(コラート)】
2日。タイホテルをチェックアウト。11時の汽車に乗る。鉄道駅が近かったので汽車に乗ったのがマチガイだった。三等しかなく、満席で立ち。しかも込み合っている車両を3分おきくらいに物売りが大きなバケツを提げて乗客を書き分けて通る。駅だけでなく、走行中も頻繁に売りに来る。何を考えているのか、タイ人の頭の中はわからない。ナコンラーチャシーマ駅で降り、旧市街のほうに歩く。チュムポルホテルにチェックイン。240B。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年9月12日 (月)

2002年タイ、カンボジア、ネパール

2002年
【チベット・ネパール】
1月1日、再び人民医院へ、酸素吸入。なぜか30元
(明細が前日が材料費、この日は治療費)。
4日、人民医院へ、酸素吸入と薬。
7日、ネパール領事館へ行きヴィザ申請。
「西蔵中国国際旅行社」に行き、ランドクルーザーを予約。
8日、ヴィザ発給。旅行社にランクル代3080元のうち2080元を支払う.。残りはボーダーで。
9日、10時ラサ発。7時ごろラツェ着。「ラツェ賓館」泊。
10日、ダムの税関を越え友誼橋の手前で残金支払い。白タクを拾い、カトマンドゥ着。

【日本】
2月13日帰国。

3月13日成田発、バンコクへ(エアインディア)。ワットチャナソンクラムのゲストハウス泊。                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

【ノンカイ】                                                              3月15日、タイ航空でウドンターニーへ。ウドンターニーからバスでノンカイへ。メコンゲストハウス泊。ベニヤ板壁。隣の部屋の白人が夜タイ女を連れ込む。まる聞こえ。
17日、Mut-meeゲストハウス。このあたり白人のコロニーのよう。
18日、リムコンゲストハウスへ。    
20日。シーチェンマイへ。ティムゲストハウス泊。ダニエルというスイス人の経営。ダニエルはそこにはいない。ダニエルの昔のタイ人の妻?がティムだったが、ティムと別れて後にくっついたのがいま(そのとき)の女主人(暗い閉じた雰囲気のある女)。この町出身で以前は貧しかったという。ゲストハウスにいるインド人顔の小さな娘はダニエルとティムの間の子。女主人に良く似た男は兄弟。以上は町のタイ人男の話。サウジに出稼ぎ経験があり英語を話す。
24日ノンカイへ。
26日、ビエンチャンへ。
29日ノンカイへ。

4月6日、夜行列車でバンコクへ。                                                【カンボジア】
16日、モーチットマイ(北バスターミナル)からアランヤプラテートへ。アランガーデンホテルⅡ泊。
17日、トゥクトゥクでカンボジアボーダーへ。アライバルビザをとり、ポイペトへ。ChauPhaYaゲストハウスにチェックイン。400バーツ。ポイペト滞在。
21日、シエムレアプへ。フレッシュエアゲストハウス。
22日、アンコールへ。
24日、プノンペンへ。船旅。アンコールトムゲストハウス。
26日、キャピトルゲストハウス。
27日、シエムレアプへ。フレッシュエアGH。
28日、「クメール伝統織物研究所」見学。
29日、バスでポイペトへ。チャオファヤゲストハウス。

5月1日、アランヤプラテートに出る。アランガーデンⅡ泊。
2日、ブリラムへ向かう。タイホテル。
3日。スーリンへ。クルンスリホテル。
4日、コラートへ。エクナコーンホテル。163バーツ(なぜかこんな半端な数字)。コラートではホットコーヒーを飲めるところが見当たらない。インスタントコーヒーすら出すところがない。スーリンではわりと簡単に見つかった。カンボジアから離れるにつれてコーヒーの文化がなくなっていくのか。
5日、バスでバンコクへ。台北大旅社。薬屋で「大活絡丹」を10箱買う。
7日、ワットチャナソンクラムRoof Garden泊。
8日、カオサンBarn Thai泊。
9日、マンゴゲストハウス泊。

【日本】
5月11日、エジプト航空で帰国。

6月26日成田発、エジプト航空、マニラ経由、23:05バンコク着。台北大旅社泊。

【チェンマイ】                                                                 7月1日、ホアランポーン駅よりノンエアコン2等寝台(下段)でチェンマイへ。
2日、チェンマイ。グッドウィルゲストハウス泊。
4日、(日記から)「昨夜ははす向かいのハゲ白人が深夜に女を連れ込んだ。このゲストハウスにはわざわざPlease do not bring "the lady"from outside.という貼紙があるのだが、夜12時ごろに圧し殺した声で入ってきて、2時ごろまでヒィーヒィーハーハーというのを3回戦ぐらいしたようだった。シャワーの音もずっと聞こえていた。2時ごろ女が帰る気配がして、近所の犬がいっせいに騒いだ。・・・このグッドウィルゲストハウスはなんかしっくりこない」 
5日、タぺー通りのソイのRama2ゲストハウスに移る。
8日、フィットネスクラブに行く。夜11時ごろタペー通りにあったバス停に耳の聞こえないかわいい女の子が座っていた。客をとってるようだった。
14日~18日、タイマッサージスクール。
20日、ノンエアコン寝台車でバンコクへ。
21日、台北大旅社。
22日、ワットチャナソンクラム、Merry5ゲストハウス泊。                                         【ポイペト】
24日、モーチットマイからバスでアランヤプラテート。ポイペトへ。チャオファヤゲストハウス。
29日、顔が怪物のように変形した女の人がトラックの荷台に乗っているのを見た。
30日、アランヤプラテートへ。昨日見た女の人がボーダーを越えたところの橋の上で子供を抱いていた。目が合ってしまった。目と目の間の普通はくぼんでいるところが、おでこのように大きく隆起してふくらんでいる。当然目の位置はずれていて、鼻もほとんどないようだった。大変恐かったが、赤子を抱いているのだから、ここでは生きていけるのだろう。アランガーデンⅠ泊。
31日、エアコンバスでバンコクへ。台北旅社。                                

【チェンマイ】
8月1日、ノンエアコン寝台でチェンマイへ。
2日、ラーマⅡ泊。
5日、ロイクロー通り、「オープンハンドスペース」のボスにタイ語を習い始める。
7日、シュガーシャックというバーでサウードというオマーン人の男と知り合う。
9日たまたま再開、一緒に夜遊び。ゴーゴーバー、ディスコ、ファランバーなどをはしご。チェンライ、メーサイ。
28日ポイペトへ出る。
31日タイに入る。

9月29日、バンコク発、ネパールへ(ビザ期限30日:同年2度目の滞在のため)。

【バルパック】                                                              10月29日ネパールビザ延長(30日)、
11月28日ビザ延長(30日)。

12月24日出国。この間、バルパック滞在など。マオイストの支配する村。

【タイ】
12月24日、ネパール発、タイへ。
12月31日、寝台車でバンコク発、チェンマイへ。

2003年1月1日、チェンマイ着。                                                  
20日メーサイ~タチレク、デイリターン。
2月17日メーサイ~タチレク、デイリターン。
3月2日、夜行チェンマイ発。
3日、バンコク着。
【日本】
3月5日帰国。

補遺:①どこかでエルフとメーサロン
②ヒルトライブの村をまわるトレッキング。バナナゲストハウス
のツアー。日本人の女の子と二人だったが、タイ人ガイドが最悪。
行くはずの村をいくつかスキップし、使うはずの車を使わず、
ひどい藪の中を歩かされる。
村をスキップするのはカネを浮かすため。
訪れる山岳民族の村はすべて観光村で、ガイドが村にお金を払う。
高床式の家が並ぶ村をまわって目に付くのは、けばけばしいペンキ
を塗りたくった場違いな教会小屋。ピンクのハートマークを描いた
キリスト教の集会所など。ミッショナリーが建てたものと思われる。
白人との混血の孤児も。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

*「人種差別」に関する考え方 | 1.タイ国王戴冠60周年行事 | 2.ココログ写真検閲 | A-1.白人はなぜ白人か | A-2."Discrimination"、BBCの日本批判 | A-3.白人が増えることの脅威 | A-4.本来的な意味の「人種差別」について | A-5.「NYタイムズ日本たたき顕著」 | A-6.「白人コンプレックス」論 | a.インド | a.インドネシア | a.オーストラリア | a.カンボジア | a.タイ | a.タイ北部 | a.タイ深南部 | a.チベット | a.ネパール | a.マレーシア | a.ミャンマー | a.ラオス | p.すべての写真 | p.ソルクーンブ写真 | p.白人のいる風景 | s-cmbd.シエムレアプ | s-cmbd.ポイペト | s-dst.スンガイコロク | s-dst.タクバイ=プンカラン・クボール | s-dst.ナラティワト | s-dst.パタニ(パッタニ) | s-dst.ヤラー | s-id.インドラマユ | s-id.クニンガン | s-id.ジャカルタ | s-id.スバン | s-id.チアトル | s-id.チアミス | s-id.チパナス | s-id.チルボン | s-id.ドゥマイ | s-id.バンダ・アチェ | s-id.バンドゥン | s-id.パマヌカン | s-id.プカンバル | s-id.メダン | s-id.レンバン | s-mm.コートーン | s-mm.タジ | s-mm.タチレク | s-mm.タートン(ミャンマー) | s-mm.チャイントーン | s-mm.トーンジー | s-mm.バゴ | s-mm.ピンマナ | s-mm.マンダレー | s-mm.ミチナ | s-mm.メイティラ | s-mm.モンラ | s-mm.モーラムヤン | s-mm.ヤンゴン | s-mm.ロイムウェ | s-my.アロースター | s-my.イポー | s-my.クアラルンプール | s-my.クアラ・トレンガヌ | s-my.クアンタン | s-my.クタム島 | s-my.クラン | s-my.コタバル | s-my.シャーアラーム | s-my.スレンバン | s-my.バタワース | s-my.マレー鉄道 | s-my.ムラカ | s-np.イラム | s-np.カトマンドゥ | s-np.グファポカリ | s-np.ジャナクプル | s-np.ジリキムティ | s-np.ソルクーンブ | s-np.ダラン | s-np.チャインプル | s-np.チョウキ | s-np.ナラヤンガート | s-np.バサンタプル | s-np.バルパック | s-np.ヒレ | s-th.アランヤプラテート | s-th.イサーン | s-th.サラブリ | s-th.スラタニ | s-th.スーリン | s-th.チェンマイ | s-th.チェンライ | s-th.チュンポン | s-th.チョンジョム | s-th.ノンカイ | s-th.ハジャイ | s-th.バンコク | s-th.プラサート | s-th.プラチュアップ・キリ・カン | s-th.メーサイ | s-th.ラノン | s-th.ロッブリ | s.ビーチ | t.「オリエンタル」ホテル | t.「ミラー財団」 | t.「土人」とは何か。「土人」に関するテーゼ | t.「失踪白人女性症候群」 | t.「白人コンプレックス」論 | t.インド洋津波 | t.ゴーギャン | t.ジェマアイスラミア(JI) | t.タイ人の白人崇拝と人種差別 | t.タイ北部・山岳少数民族 | t.タイ王室ネタおよび『不敬罪』 | t.タイ航空(TG) | t.ミャンマー・エアウェイズ(MA) | t.リンク | t.三つ穴コンセントの対処法 | t.人種差別ネタおよび白人ネタ | t.児童買春(子供買春) | t.売買春・レンタルワイフ関係 | t.旅先のネット屋での日本語IMEの入れ方 | 「BBCニュース」 | 「アーリア人」ネタ | 「靖国問題」 | インテリジェント・デザイン論 | ウェブログ・ココログ関連 | ニュース | パソコン・インターネット | ブログ記者の取材源秘匿権 | ムハンマド風刺画事件 | 司法・憲法 | 心と体 | 旅行・地域 | 日記・コラム・つぶやき | 欧米の『日本たたき』 | 皇室および天皇制 | 経済・政治・国際 | 読書