s-dst.タクバイ=プンカラン・クボール

2006年6月19日 (月)

【写真】タクバイ Tak Bai

タイ深南部国境の町、タクバイ。

一昨年「タクバイ暴動」というのが報じられたと思う。

タイ当局がムスリム容疑者を何十人もトラックに押し込んで圧死させた事件があった。

今は平穏で、ムスリムの人々の表情は(普通のタイよりずっと)穏やかでニコニコしている。(2006年5月、6月)

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タクバイに関する文章を含む記事:

スリ・トゥージュー・ビーチ クランタン州 マレーシア Pantai Seri Tujuh, Kelantan

ナラティワト Narathiwat

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タクバイのイミグレ

指紋を押させられる人。光で指紋を取る(照合する?)機械がある。

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レストラン

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ナシ・ダン・イカン

これは美味かった。

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カレーを一口食べて旨いと思い、せっかくだから写真を撮っておこうと思い立ってバタバタしたときにご飯をこぼしてしまったのは、悔いの残るところである。それがなければもっと旨そうに映っただろう。

マーケット

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選挙ポスター

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タクバイのマスジッド

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国境の桟橋

マレーシアのイミグレが見える。

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未検閲記事:http://ibrahim.blog.shinobi.jp/Entry/20/

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2006年6月 4日 (日)

ナラティワト Narathiwat 

インターネットから手に入る情報や新聞記事で見るかぎり、タイ深南部のナラティワトNarathiwatあたりは、毎週のように爆発事件や銃撃が起きたり、大量の死体が発見されたりしていて、大変治安の悪い物騒な一帯という印象を受ける。

しかし、実際に行ってみると、ナラティワトの市街はきわめて平穏である。

ナラティワト近辺では軍隊はもちろん警察もほとんど見かけない。

ナラティワト市内で、深夜1時過ぎに15分ぐらい歩いてコンビニに行ったが、その間も警察官は見なかったし、危険そうな連中にも出会わなかった。

深夜出歩くこと自体はどの町でもあまり推奨できることではないが、ナラティワトの町がバンコクやチェンマイに比べて特別危険ということはないと私は思った。

タイ警察や軍隊が物々しく警備して、住民を監視し虐待しているという意味では、むしろタイ北部のほうが一層ひどいと思う。

タイ深南部で危険なのは田舎のほうだと言われているが、タクバイからナラティワトに至る道筋でも警察や軍隊の臨検はまったくなかったし、物々しい雰囲気はまったくなかった。

田舎で警官などと住民が殺し合いをするのはタイではありふれたことなのではないだろうか。

住民が一方的に殺されているだけならまったくニュースにならないが、住民が抵抗して警官(役人)が怪我をしたりすると「テロ」として大きく報道されるという感じだろう。

地面を掘り返せば、いつどうして死んだのかわからない身元不明死体がざくざく出てきたりするのも、タイではどこでもありうることなのではないのか。

ナラティワトはタイ式の退廃娯楽はほとんどない。クズ白人も見ない。

静かなビーチがあり、のんびりすごすには良いところである。住民の90パーセント以上はムスリムでよく戒律が守られている。タイ族と中国人以外は親切な人が多い。

マレーシア式の食事や飲み物もここではまだ楽しめる。

テロ報道のおかげでまともなツーリストもほとんど来ないようである。

毛唐の踏み荒らした跡を忠実にたどっていき、「私はこれだけ欧米人バックパッカー並みの個人旅行をしてきました」というのが、いまだ日本の個人旅行文化の現実なのかもしれない。しかし日本人ツーリストはこういうところにもっと行っていいのではないかと私は思う。

毛唐の近づかないところに「いいところ」を見つけるほうが面白い。といって、イラクにまで行く必要はない。

ナラティワトのように簡単に行けるのにツーリストが誰も行こうとしないところ、一見して何の娯楽もないようなところに、実は「隠れた味わい」や「ひそかな楽しみ」があったりするものである。

某月某日。コタバルAzamホテルをチェックアウト。

コタバルのバスステーションから2時頃の19番のバスでプンカラン・クボールPenkalang Kuborに向かう。

一時間ほどでP.Kuborのイミグレ前のバス停に着。コピ・オ50銭を飲んだ後、意を決してマレーシアのイミグレを通り(何の問答もなし)、はしけに乗ってタクバイTak Baiへ。

タクバイのイミグレを通過するのは3回目になる。

今回は荷物を持っていたせいか、Put Thai Dai Mai?とか、What do you do in Thailand?とか聞かれる。

タイ語をわからないフリできず思わず反応してしまったのは情けないが、思いっきり下手な発音で「に・の・い」とこたえる。

What do you do...?のほうには、テロ支援と答えるわけにはいかないので、I'll do nothing in your prathet but eating,sleeping and bonbon, dai mai?つまり、通過するだけだと答えておいた。

ナラティワトへのミニバスは、ジェティ(桟橋)のすぐ前から出る。1時間ほど待つ。1時間に1本ずつ出ているようで、ちょうど出たところだった。料金は4リンギ(40バーツ)。ジェティのすぐ前にチケット売り場がある。

ミニバスは新しくて冷房も入っている。しかし、タクバイは暑い。コタバルよりも暑く感じる。

タイ領に入ると森林が少なくなり、荒れ野が目立つようになる。

ナラティワトまで検問も一切なく、タイ北部のように、横柄な警官が車内を覗き込んだり乗客のIDカードをチェックしたりすることもない。警察自体一箇所でしか見なかった。

1,2時間でナラティワトに着く。去年一度訪れているが、すっかり忘れてしまっていた。去年泊まったホテルの場所はもちろん、名前も忘れた。

タイのガイドブックも地図も持っていない。

まちをうろうろして、レストランのムスリムの女の子たちに道を聞いたりしていると、異常に親切な人が現れた。

旅行では、ムスリムとインド系が親切で頼りになる。英語も話せることが多いし、異なる言葉に対するアレルギーが少ない(ムスリムとしてちゃんと教育を受けたムスリムなら(英語がまったくできなくても)幼いときからアラビア語(アル・コーラン)の学習をしているので、「外国語経験」も「異文化体験」も子供のうちからしていることになる)。

ミャンマーでも道に迷うとまずモスクを探して、モスクの周りにいるインド人に道を聞くようにしていた。

この親切なおじさんは英語は一言も理解できなかったが、ただでバイクに乗せてくれて、あちこち回ってくれた。その上、英語の良くできるムスリムの兄ちゃん経営の喫茶店に連れて行ってくれた。

親切にバイクに乗せて回ってくれた上に上等なチキンを2本買って来てくれた。せめて喫茶店での飲みものくらい払おうとしたが、もう払われてしまっていた。

ムスリムのウェートレスがとてもかわいくて、ほんとにいつもニコニコしていた。

英語を話す兄ちゃんはこの喫茶店のオーナーで、以前はビーチで働いていたということだった。自分は「タイ」だと言っていたのでタイ族ムスリムなのかと思っていたが、どうやらマレー人のようだった。ペナンとプーケットで働いていたといっていた。ツーリズムずれしていない、感じのいい兄ちゃんだった。

おじさんお勧めの「ナラティワト・ホテル」という英語看板のない中国人経営の木造の不思議な感じの宿に泊まる。ホテルまでもバイクで送ってくれた。

この「ホテル」は、不思議な感じのところだった。

一泊しかしなかったのでどう不思議だったかうまく言えないところがある。バストイレ共同140バーツ。

この「ホテル」は夜9時に閉鎖される。タイにしては夜が早いナラティワトでもかなり早いほうである。

どうやら2階が外国人ツーリスト専用の空間になっているらしい。その晩2階に泊まっていたのは私だけだった。

ある種の風情のある宿だった。

しかしやはり安宿の常で、ファランが滞在した形跡があった。書架にはドイツの雑誌「シュピーゲル」やオランダ語の本が残されていた。地図を探すが、ガイドブックの地図は切り取られている。

ファランが置き忘れた手帳があって、英語で日記がつけられていた。2,3日前までの日記が残っていた。つい最近ここに毛唐が泊まっていたことがわかり、ぞっとした。

木造で全体にこじんまりしているが、2階に広々とした「サロン」がある。ここで毛唐にしゃべられたらうるさくて大変だが、それ以上に耐えられない「同居感」があるだろう。

そして、1階の部屋にはちょっと不思議な感じの女の子たちが滞在している。非ムスリム・タイ族のようだ。ここに住んでいるのかもしれない。

こんな空間を毛唐と共有することはできない。この宿も安全とは言えない。

ムスリム住民は親切な人が多いが、ナラティワトでも非ムスリムは完全にタイ人である。タイ人特有のシカメッツラもときに見る。北部ほどはひどくない。

タクバイですら、マレーシアではまったく見ないあの「シカメッツラ」を見たから、これはタイ国民の国民文化なのだろうか。しかし、男はしない。女に限られるのはやはり、シカメッツラをするのがきれいだと思い込んでいるからかもしれない。

翌日。

「ナラティワト・ホテル」をチェックアウト。

ビーチに近いほうにあるタンヨン・ホテル(Tanyong)に移る。700バーツの部屋。そのほかに「ヤワラージ」(Yaoraj)という400バーツ前後の旅社もある。

Tanyongの発音は難しい。タイ語独特の粘っこい発音。タンヨンではまず通じない。タニョンでもタンニョンでもだめ。

タンヨンホテルのボーイはタイ人丸出し。ねちねちした感じをにじみ出していて気持ちが悪い。フロントの女はマレーシアの大都会のホテルよりも無愛想。これがタイだ。

部屋自体は70リンギだと思えば設備的には結構な部屋。もちろんエアコン・TV付。

ナラティワトまで来ると、テー・タリクはもちろんコピ・オも少なくなる。タイ文化に汚染され、ネスカフェばかりになる。

コーヒーもお茶も楽しまないタイ人は、やることがないと何かを食い酒を飲み女を抱いて気を紛らわすだけなのだろうか。きわめて即物的で没精神的な趣味である。

お茶もコーヒーもないところには会話も議論もないだろう。物を食いながらではちゃんとした話はできない。ダラーっとして子供が駄々をこねているような言語で何かごねるだけである。

逆に、「喫茶の文化」のある国は議論好きな人が多いと思う。ネパールでもミャンマーでもお茶を飲みながら延々と話している。何を話しているかはどうでもいい問題で、人々が食事とは別に集まり、語り合うために語り合い、議論を楽しむために議論する、ということ自体がひとつの文化なのだが、そういう精神的な要素がタイ人には根底的に欠けているようだ。

マレー系のレストランにはかろうじてコピオがあった。タイ式スープの中に豚の替わりにビーフを入れたものを出す店。

テー・タリクを作ってくれる店もあったが、ここはコピ・オはない。

ここは非ムスリムは1割しかいないそうだ。ある人によれば95パーセントはムスリムだとか。あえてここに住んでいる非ムスリムタイ人はどういう連中なのだろう。警察や軍隊関係者、特権的なタイ族植民者、ナラティワトホテルの経営者のような華人、といったところだろうか。

ムスリム住民に親切で笑顔の人が多いだけに、非ムスリムタイ族が本当に感じの悪い連中に見える。非ムスリムの女は売春婦のように見える(実際そういう必要を満たすためにいるのも多いのかもしれない)。

しかし、ここでもタイ族というのは実に蛮族である。

こちらが英語でものを聞いているのにCan you speak English?だと。鼻で笑うようにぬけぬけと言ってくるが、どうやらそいつの知っている英語がCan you speak English?だけだったようだ。

「今英語で話しているんだ」と言うと今度はシラット開き直って、タイ語で話してくる。こちらが理解できないことを知りながら。そしてまたニタニタと笑う。

タイ族は常に相手の足元を見ようとし、何でもいいから相手の弱みらしいものを探ろうとする。たとえば、自分が1語でも英語を知っていたら、相手は1語も英語知らないものと扱おうとする。相手が有色人種外国人ならとにかくバカにするネタを探す。

こういう反応をする人はマレーシアにはいない。少なくとも私は会ったことがない。下手くそな英語で話しても、こちらが英語がどれだけできるかどうかなんてことは問題にせず、こちらの言おうとする「意味」を取ろうとする。

タイの子供がかわいくないのは髪型のせいだろうか。中途半端に中国系が混じっているせいかどうか、頭の形が良くない上に、変な刈り上げにさせられているのでますます頭が絶壁に見える。チェンライでは、刈り上げにしたうえに辮髪にさせられている子供も見た。

国境を少し越えてマレーシア側のトゥンパッでは子供はとてもかわいかった。もっと自然な髪型にしていたし、日本のマンガに出てくる美少年美少女そっくりの頭の形である。

夜、昨日会った男の喫茶店にモトサイで行く。フロントの姉ちゃんが親切にモトサイを拾ってくれる。

男はペナンとプーケットで仕事をしていたそうだが、ツーリズムずれした感じはなく、タイ人らしくもない。

どうやらマレー人らしい。「タイ人ムスリムだがマレー語も話せる」と言って、あくまでタイ人と言い張っていたのは「タイ国民」と言うことのようだった。

タイ人特有のもったいつけたようなところはなく、タメたようなところもない。フランクに良くしゃべる。

ペナンやプーケットで働いたあと、このナラティワトに帰ってきて結構立派な喫茶店を開いているのだから、堅実な男なのだろう。モダンで明るく清潔な店だった。

マレー語で「ファラン」のことは、「マサレ」と言うのだそうだ。マレー人でなければこんな言葉は知っていないだろう。

一部のファランの中には「ファラン」は「フォーリン」のことで「ガイジン」と同じ意味だといっているものがいるが、このマレー人男は、「ファランとはヨーロピアンのこと」だと断言していた。プーケットで働いていた男がそういうのだからそうなのだろう。

なお「外人」は外国人一般を指すものであって白人に限定される言葉ではない。また日本語の「外人」には差別的なニュアンスはない。

差別的あるいは嫌悪のニュアンスのある言葉としては「毛唐」と言う立派な言葉があることを毛唐は知るべきである。

白人はタイ人に「ファラン」と呼ばれることはまったく気にならず、自らも「ファラン」様だと開き直っているのだが、日本人に正当に「外人」と呼ばれることは気に入らないらしい。

この兄ちゃんは日本人のことも知っているようだった。「日本には3つ宗教がある」とか言っていた。

「お前の宗教は何だ」と聞くので「シントー」だと答えたが、知っているようだった。そうかシントーかトラディショナルな宗教だ、とか言っていた。イスラム教徒に「無宗教」だと答えるのは一番まずいと思われる。

「お前は英語を話すが、普通の日本人は英語は話さない」とも言っていたが、バカにしたような風ではまったくなかった。

私が「たぶん彼らも英語を知ってはいるけど話したくないだけなんだろう」と言うと、「たぶんそうだろう」みたいに納得して相槌を打っていた。

タイには珍しい人だった。私の言ったことは事実である。

タンヨンホテルに付設されているディスコが深夜1時半まで大音響を鳴らす。週末の故か。

フロントにこれはいつまで続くんだと聞くと、深夜1時半までとはっきり答えた。そのとおり、正確に深夜1時半に終わったようである。

それまでの間とても寝ていられないので外を歩く。深夜のナラティワトの街は平穏そのもの。開いている食堂もある。警察官等の姿も見えない。

ホテルに戻ったのが深夜1時半。ちょうどディスコが閉まったところで、客が出てきた。10人もいないくらい。売春婦としか見いえない女たちもいる。

何の目的か、銃を構えた武装警官が数人、ホテルの敷地に入っていた。警官を見たのはこのときだけである。ディスコの客が暴徒化するとでも思うのだろうか。

こういうホテルのディスコなどで爆発事件が起こることはあるかもしれない。しかし、ディスコ営業中はまったく警察の姿を見なかった。ディスコの中にいたのか。

ディスコの客はローカルの客ばかりのよう。

スカーフをしていない女が非ムスリムとは限らないが、このへんではスカーフをしている女としていない女とでは、表情がまったく違うように見える。

スカーフをしていない女は、すでにタイ人そのもので、わけもなくシカメッツラをする。

スカーフをしている人は本当にニコニコしている人が多い。かわいい子でもニコニコしているのだが、スカーフをしていない女はブスの癖にもったいぶったシカメッツラをしがちである。

タイ女のシカメッツラはやはり一種のファッションで、シカメッツラをすると洗練されて見えるように思い込んでいるのだろう。

シカメッツラなど世界中どこに行っても美しいものではないのだが、シカメッツラが美しいと妄想し、そういう思い込みが定着しているところに、タイの文化の「鎖国性」の一端があらわれていると私は思う。

多くのクズ白人やカス日本人などが集まってくるだけに、外に出て外の世界を見なくても世界のことをわかったような気持ちになり、ますます妄想は再生産され、鎖国性を強めていくのだろう。

itvで最近「野ブタをプロデュース」をやっている。くだらない番組ばかり翻訳して日本文化として紹介し、喜んでいるようだ。

まともな日本人で「愛国者」なら、「タイで日本文化やマンガがはやっている」などと喜んでいてはいけないはずである。

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日本では「愛国者」と自称することさえはばかられる。愛国心教育が否定される。

その点では確かにタイ以下である。しかしこれは敗戦の後遺症でありこれが敗戦という事実の重さでもある。

そういうところも、タイ人はよく観察していて、自分たちは日本人の「弱み」を知っていると思っている。つまり彼らは日本をバカにするネタにしているのである。

イサーンの田舎で出会った女子大生が、「日本に軍隊がない」ことを知っていて、それを嘲笑するような言い草をしていた。いうまでもなく、彼らにとって自国の強い軍隊は無条件の誇りである。

タイ人の外国人を嘲笑するネタ探しの情熱は大変なものがある。あれだけ公式に持ち上げられている白人だが、タイ語のわかるある白人の体験によれば、レストランの隣のテーブルでけちょんけちょんにけなされていたことがあったそうである。白人がタイ語がわかるとは思わなかったようだ。

白人でもこのとおり、日本人ならなおさらである。タイ人は「格上」の者を無条件に尊敬するように教育されており、白人は有色外国人より無条件に格上であるとも教育されているからである。

いくら公式場面で日本(人)が持ち上げられても、タイに限っては陰でどんな汚いことを言われているかわからないことに注意すべきである。

焦土と化しても日本が戦争をしたことは正しかった

外交によって戦争を回避するということは、結構豊かになっても自国民の娘を白人のレンタルワイフにどんどん差し出して白人のご機嫌をとることを国策にしているタイのような国に成り下がることを意味しただろう。

当面のメルクマールは、天皇陛下ご訪問に際して、タイ国王がちゃんとドンムアンにお迎えに上がるかどうかであろう。ここに注視する必要がある。

もし迎えにも来ないなら、この外交はまったくの朝貢外交の形になる。タイは小中華帝国なのだということを忘れてはいけない。

しかし、ドンムアンのような薄汚い場所に天皇陛下がランディングなさるとは。それだけでもいい気持ちがしない。

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次の町はパタニ

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2006年5月 6日 (土)

スリ・トゥージュー・ビーチ クランタン州 マレーシア Pantai Seri Tujuh, Kelantan

一日目。

マレー鉄道トゥンパッTumpatの駅からタクシー5リンギで、スリ・トゥージュー・ビーチ(Pantai Seri Tujuh)の公営リゾートに着く。付近には個人経営の宿もある。

「スリ・トゥージュー・ビーチ・リゾート」は立派な門のある公営リゾート。客はほとんどマレーシア人でマレー人が多いように見える。平日は客は少なく閑散としている。

公営リゾートのエアコン付シャレーに入る。定価一泊75リンギのところを平日ということで65リンギに負けてもらう。

ビーチといっても日本の太平洋岸の海水浴場のような遠浅の浜があるわけでない。

海の生臭い匂いがするのは、海だから仕方がない。

海に近いシャレーに入ったので、歩いて5分で浜に出られる。海岸に出てみると思ったより遠浅だった。砂もある(それほど細かくはない)。

平日昼間のビーチには人っ子一人いない!これはすばらしいこと。

せっかくなのでパンツ一丁になり、少し泳いでみる。水は生ぬるく、濁っているが、汚いという感じはしない。油も浮いていない。

どこまで歩いても、水かさが深くならない。海水はとても辛かった。

ビーチに毛唐がいないということは本当に良いことである。このビーチには毛唐が一人もいない。

白人はなぜか、特にビーチに来ると、その人種主義的本性をあらわにする。クロヌラビーチの事件に象徴的なように、「白人だけの場所」あるいは「売春婦と従僕以外は白人のみ」という環境を作りたがる。「ビーチは白人のもの」という意識が、植民地主義時代以来の彼らの文化的伝統になっているようだ。

ここには今のところ毛唐も売春婦もいない(売春婦がいないのは当然だが)。それにしてもここは暑い。

ここからいちばん近いタイ国境は、Pengkalan Kubor(プンカラン・クボール、プカラ・コボー)で、表通りから43番のバス。

コタバル行きのバスは27番。(しかし、バスは少ないし、飛ばしていて止まってくれないこともある。)

タイ国境はここから3キロしか離れていないという。

夜の砂浜は明かりひとつなく、人っ子一人いない。この海は日本のほうに続いている、などと感傷に浸ることもできる。

深夜1時近くリゾート内のまだ開いているレストランで、「フマキラー」はないかと聞く。「モスキートーコイル」とかいうより、フマキラーとかバイゴンとか商品名を言うほうが通りやすい。2軒目の人が、すぐにバイクでどこかに買いにやらせてくれた。そして実費しか取らなかった。

蚊はあまりいないが、蟻は多い。

二日目。

未明4時ごろ、リラックスしすぎたのか、変な夢を見て怪我をした。

俺の部屋の中を白い車が通っていく。変だなと思ってみると、部屋の真ん中に隣の部屋の奴の車の通り道ができている。隣との間の壁に車の出入り口があるのに気づかなかった。

出入り口はちょうど車が通れるくらいの大きさで、白いペンキを塗ったコンクリートともプラスチックともつかない枠があり、枠には溝がついていて上から鉄扉でも下ろせるような形になっている。

その出入り口から隣の部屋のほうに自分の書類などがはみ出していたのであわてて回収する。

車の男は2人で、ひとりはまだ子供のようで、大きいほうの若い男はニヤけた奴だった。

そこで、そんな出入り口は閉めるようにと、大きいほうの男を捕まえて説教したが、その若造が生意気に反抗するので、両手を捕まえて思い切りケリを入れてやった。

気がつくとベッドの横のコンクリートの壁に本当に思い切りケリを入れていて、泣きたくなるくらいに痛い。右足のつま先にケガ。親指の爪が黒くなってぐらぐらしている。足の指三本の甲から出血。指の付け根の関節も痛めていて、痛くて歩けない。

ケリを入れたりする前には、それが現実なのか夢なのかよく考えなければいけないと思った。現実ならいいが、夢の中だとあぶない。ひどい怪我をするかもしれない。バンドエイドを持っていてよかった。

夢を見ているときは、脳が活発に働いている一方で身体は休んでいると聞いていたが、身体もちゃんと夢のとおりに動くことがあるようだ。

私は生来温和な性格でケンカなどしたこともないのに、眠っていながらケリが入れられるとは思わなかった。

このあと一週間足を引きずることになる。今も痛い。

リゾートの滞在を延長するが明日は予約が詰まっているという。週末は一週間前から予約が入っているようだ。足が痛くてまともに歩けないが、どこかに移らなければならない。

このリゾートに予約なしに来るなら、平日のみということになる。

大通り沿いのリゾートの門のすぐ隣に宿を見つけ、明日入る約束をする。口約束。「シャレー」といっているが、タイなどにもよくあるような長屋式のコンクリートのゲストハウス。

プンカラン・クボール(Pengkalan Kubor)からタクバイ(Tak Bai)

せっかく近くに国境があるのでちょっと越えてみることにした。国境を越えてもマレー人の町だろうし、国境の町というのはどこでもそれなりの魅力がある。みんなのそわそわした気持ち、期待感、文化の隔絶間などが国境の町の独特の雰囲気を作るのだろう。

大通りからタクシーでプンカラン・クボールPengkalan Kubor(プカラ・コボーみたいに発音している)のイミグレのところまで行く。カメラを持ってくるのを忘れたので、引き返し、もう一度で直す。片道5リンギ(4リンギまでは負けてくれる)。

タイ側の町はタクバイTak Bai

プンカラン・クボールのイミグレはマレー語表示のみ。簡単に手続きを済ませ、はしけで川(河口)を渡る。はしけは1リンギ。

タイ側に上陸するとすぐに市場がある。閉鎖されたイミグレはなく、このまま入国手続きをしないで国内に入っていくことも物理的には可能(バスなどで必ず警察のチェックがあるだろうが)。

市場を通り抜けて、少しはなれたところにあるイミグレオフィスまで出向く。このときはまだ、この町の名前を知らなかったので、タイのイミグレ役人に聞いた。

タクバイのイミグレはごく簡素なものだが(ピブーン・マンサハンとかと同じような)、顔を写すカメラと光で指紋を読み取る機械がおいてある。

多くのマレー系の人々(国籍はわからない)が行列していて、その機械に指を押し付けられている人もいる。全員ではない。タイだからどうせ「見た目」で決めているのだろう。タイ側では待たされた。

しかし、全体としてタイにしては控えめなボーダーだと思った。タイ国旗もそれほど目立たない。

メーサイのように「タイ王国」の権威を全面に押し出した感じではない。この地域でそんなことをしたら本当に多数派住民の反感を買うだろうし、こちらのほうが豊かな人が多いからかもしれない。というより、メーサイが背後に、より深刻な矛盾、より苛酷な抑圧を抱えているからこそ、ああいう派手な演出をして、毎日国歌を流して忙しく働いている人々を立ち止まらさせたりしなければならないのだろう。

この町の会話はマレー語が基本。

タクバイの市場のごちゃごちゃした雰囲気はタイそのものだが、マレー語の表示が目立つ。アラビア語も。

国境を越えただけで、急に、貧しい国に飛び込んだという感じがする。

レストランでは、「コピ・オ」は何とか通じるが、「テー・タリク」は通じない。「テー」は何とか通じるが発音条件がより厳しくなるようだ。マレーシアのような泡立たせたテータリクはなく、「テー・スースー」になる。「テー・スースー」は通じた。

言葉が通じなくても、マレー人の女の子は、タイ人のように「ハアー?」とはやらず、しかめっつらもせず、ニコニコしている。

タクバイからいちばん近い大きな町はナラティワトで、30キロくらい離れている。地図で見るとスンガイ・コロクも同じくらいの距離に見えるが、町の人に聞いても役人に聞いてもナラティワトが近いという。

一時間ちょっとぶらぶらして、飯を食い、コピやテーを飲んだりしてから帰る。帰るとき、ムスリム女性のガイドを連れた毛唐女が一人上陸してくるのにかち合った。

タイ出国のときのイミグレ役人は気持ちの悪い典型的なタイ男だった。恫喝するような口調でWhere you stay?と聞く。その後も、ネチッとした感じで何度も私の名前を読み、「ジャパン、ジャパン、、、」とネチネチいつまでも言っていた。

あの変な屈託に満ち満ちたタイ土人のネチネチ感は、タイを経験した(タイヲタ以外の)人ならピンと来るのではないかと思う。

タイに悪いことはいろいろあるが、タイにどれだけ耐えられるかを最終的に決めるのは、あの粘液感にどこまで耐えられる人間かということではないかと私は思う。

タイに滞在していてマレーシアに出てデイリターンでもするものと思っているようだった。「スリ・トゥー・ジューだ」と答えたが、意味が理解できないか、その名前も知らないかのどちらかのようだった。マレーシアに滞在して、タイにデイリターンというのも楽しいものだと思った。

マレーシアのイミグレは実務的で、何ヶ月滞在するかと聞くので、1ヶ月くらいと答えると、何ヶ月欲しいのかと聞きなおされたので、3ヶ月にしてもらった。エンバークメントカードは機械で作ってくれる。

パスポートのどこにスタンプを押して欲しいのかも聞いてくれた(これはよく国境を越える人にとっては結構重要な問題)。

タイ役人は、他の国が整然とスタンプを押してスペースを節約してくれているにもかかわらず、残り少ないページのど真ん中にバチっと押したりする(そうすることで「タイ王国」の威光を表現しているつもりなのか、単に頭が回らないだけなのかどうかはわからないが)。

タイは、罰当たりにも、日本国のスタンプにかぶさるように汚い青いスタンプを押してくることさえある。そのくせ、タイのスタンプが重なり合うことは異常に嫌う。

マレーシアはマレーシアスタンプが重なり合うことをいとわず、スペースを節約するような押し方をしてくれる。インドネシアは入国印のほぼ真上に重ねて出国印を押してくれた。タイ人の屈折した感情がスタンプの押し方にも表れているように見える。

あとでタイのイミグレが押したスタンプを見ると、入国期日の年度が2005になっている。滞在期限の年度は2006。よく見ると、2005の方は手書きで6に訂正している。出国のスタンプも2005を押した上で手書きで訂正している。

タクシー5リンギでスリ・トゥージューに帰る(4リンギでも可)。

タクバイの市場で完熟マンゴを4個買った。たった1.5リンギ(15バーツ)。「シップハー・バーツ」(15バーツ)というタイ語はまったくわからないフリをした。

「サットゥ・リンギ・リマプロー・セン」というのを聞き取ろうとしたが、クアラルンプールなどとは発音が違うようで、ちょっと難しかった。

彼らもマレー人なので、私がタイ語がわからなくても嫌な顔はしない。

マンゴはシャレーに持ち帰って、手で皮をむいてがつがつと食べる。エアコンに結び付けてちょっと冷やすとよい。よいマンゴだった。

タクバイの市場では、ライフルを抱えた兵隊がパトロールしていた。

コタバルからいちばん近いタイへの入り口はこのプンカラン・クボールということになる。タクバイからいちばん近い都市はナラティワト。ナラティワトから近いのはパッタニ。パッタニに近いのはヤラー。ここまでは健全な地域である(昨年一月ごろ)。ハジャイまで行くと売春婦連れの毛唐もいる。それでも北タイよりはずっとまともな地域。

夕方、ビーチに出る。地元の子供たちや家族連れが水浴びをしている。子供たちの歓声も波の音に消されて静か。本当に、海を見て立っているだけで気持ちがよい。海は嫌いだと思っていたが、必ずしもそうではなかった。

毛唐のいないビーチは、静かな「浜」に戻る。

KLCCのコーヒーショップなら、毛唐が「多いか少ないか」で雰囲気が変わるが、ビーチの場合には、「いるかいないか」、毛唐が存在するかしないかによって、その性質が根本から変わってしまう。

明日(週末)は釣り客がたくさん来るという。今日も中国系の女子学生らしいグループを見た。中国系の客がたくさん来ると、それはそれですごいことになるのかもしれない。

夜は7時過ぎまで明るいのに、朝は7時ちかくまで暗い。これはマレーシア時間のせいだろう。マレー半島だけから見ると、時間がちょっと早すぎる。マレー半島だけなら、タイより1時間早くする意味はない。チベットでは夜9時ごろまで明るかった記憶がある。北京時間を使わされていた。

「バカンス」という言葉にふさわしい、本当に何もしない生活。ただ、自分で痛めた足の養生に努めなければならない。

人も少ないリゾートでのんびりとすごしていると、ふだん表に出ないイメージや感情が湧き出してくることもある。ただ、精神分析が言うような性的なものはまったく表に出ない。

湾(河口)に面したリゾート内のオープンレストランで食事をしていると猫がたくさん寄ってくる。

チキンの骨を投げてやる。するといつも大きくて強い猫が取ってしまう。

弱い猫や若い猫はテーブルから落ちるパンくずにもなかなかありつけない。

少しはなれたところにいたやせた小さな猫のまえに、肉や軟骨のついた大き目のチキンの関節を投げてやった。その小さな猫は、その関節としばらく格闘しているが、不器用なのか力がないのか、食べきることができない。猫のくせにと思うほど、もどかしいほど力がない。

ちょっと目を離したあと、もう一度猫の様子を見てみると、変なことになっていた。

その小さな猫が自分の顔を前足でしきりに拭いている。猫が顔を拭くことはよくあるが、普通の拭き方ではない。しきりに拭き続けてやめようとしない。ふらふらとさまようように歩きながら、一心に顔を拭きつづけている。

目を移すと、骨を投げてやったところには大きな猫が鎮座して、私が小猫のために投げた関節を悠々と咀嚼している。

この大猫が小猫を襲って骨を横取りしたのだ。

私はカチンと来たので、この横着な大猫の無駄に太った横腹に、渾身のケリを入れてやろうかと本気で思ったが、周りのマレー人の目があるのでやめた。狂った日本人が猫を虐待しているとしか見えないだろうから。

やせた小猫はまだつらそうに顔をなで続けている。この痛みはどれだけ続くのだろう。猫の短い一生から見て、その長さはどれだけのものか。小猫はしばらくしてどこかに消えてしまった。

私が下手な情け心をおこして骨を投げてやったばかりに、この小猫は災難にあった。飢えよりもつらい痛みを受けることになった。

しかし、こういうことはいつものことである。これがこの世の中のルールなのだろう。

結局はみんな死ぬのだが、そこに至るまでの境涯はそれぞれに異なる。ある者はいい思いを見る。強いやつはますます強く、威を張るだろう。弱いやつは持っているものも奪われ、さらに痛い思いをさせられて追いやられていく。

強い者はなぜ強くなったのか。強い素質をもち、そのような位置に生まれたからでもあろう。その帰趨を決めるのは、結局は「偶然」としか言えないものである。

三日目。

今日は移らなければならない。足はますます痛く、まともに歩けない。11時ごろ、きのう予約した門の隣の長屋式の「シャレー」に移る。60リンギ。怪我した足を休ませるため、なるべく出歩かないように決心。

通りをはさんでこの宿の向かいにある何でも屋で、パンやマンゴを買う(この「何でも屋」の人たちには本当に親切にしてもらった)。「ブミプトラ」パンというパサパサしたサンドイッチ用のコッペパンがかえってうまかったりする。何でも屋のおばさんは申し訳なくなるほど愛想がいい。外国人ツーリストがめったに来ないからだろうが。

こちらの宿は海から遠くしょぼい感じがするせいか、週末の今日も満室にならない。狭い窓からは一応「湾」(川)がすこし見える。

宿の名前はSaujana Gulf View Resortという大げさなもの。設備は一応そろっているが、公営リゾートのシャレーのような広々さはない。

スリ・トゥージュー・ビーチには、全体として中国色がまったくない。漢字を見ない。インド色もない。純粋にマレー系のリゾートのようだ。

四日目。

出歩かないようにし、足の養生に努める。通りに面したローカルな茶店はコピ・オ50銭。味も悪くない(変化はある)。純粋マレー系の店だが、カレーの味はちゃんとしていた。

向かいの「湾」では網で漁をしている人もいる。

公営の「スリ・トゥージュー・リゾート」のレセプションに行き、前と同じシャレーを予約する。月曜日からしかない。シャレーにはそれぞれマレー語の名前がついている。自分が泊まったシャレーの名前はクネラKenerat。

五日目。

Saujana Gulf Viewの方の宿の主人はケチな感じのマレー人で、最初に来たときには、何日泊まるのかあらかじめ聞いて前払いを要求した。それは断ったが、きのう部屋代を払ったときもあと何日泊まるかと聞いてきた。公営リゾートのほうがあいたらそっちに戻るからというと「あっちはフルだ」と断定する。

六日目。

Saujanaを出て、予約しておいた公営リゾートの前と同じシャレー「Kenerat」に戻る。料金も前と同じで65リンギ。

この「スリ・トゥージュー・ビーチ・リゾート」は、Tumpat Local Councilとかいう地方公共団体らしいところが運営している。

七日目。

エアコンを入れなくても、朝はかなり冷え込む。タオルケット一枚しかない。

足の養生のため滞在をあと3泊延長して予約する。まだ少し引きずる。

リゾートのレセプションのおばさん(お姉さん)も親切で、車で通りかかったときに乗せてくれた。

表通りの何でも屋のおばさんは、よいマンゴを選んでくれたり、新しいパンを選んでくれたりする。

この辺の人は本当によい人が多いように感じる。内陸線(マレー鉄道東海岸線)沿いの人よりも穏やかな感じ。漢字が見当たらないことと平行している。内陸線は漢字が多かった。

リゾートはまたのどかな平日に戻ったが、来週末はもう予約で埋まっている。

夕方3時ごろから再びタクバイTak Baiに向かう。

表通りの何でも屋の前でバスを待つが、バスもタクシーも来ない。何でも屋の主人が見かねてポンコツのバイクでプンカラン・クボールPengkalan Kuborのイミグレの前まで送ってくれた。本当に親切にしてくれる。

手続きを済ませタイに入り、タクバイのジェティの前でバイタク(バイクタクシー)を拾って「タクバイ」の町に言ってみる。どんなところか見ておこうと思っただけ。ボーダーのマーケットのあるところは本来のタクバイの町ではない。

バイタクに「ここがタクバイだ」というところに連れて行ってもらったが、商店が2,3軒あるくらいで何もないところだった。その近くのモスクの写真だけ撮って帰る。結構長い道のりを片道2リンギ。

このマレー人のバイタク運転手に、最初にマレー語で話しかけたらその後ずっとマレー語で話されて困ってしまった。

タクバイのレストランのニコニコしたムスリムの姉ちゃんに「テリマカシー」というと「サマ・サマ」と答える。

スマトラのプカンバルのレストランの姉ちゃんも同じように「サマ・サマ」と答えてくれたのを思い出した。

マレー語・インドネシア語はとても国際的な言葉だと思う。

ただし、タクバイでは「パナス」(ホット)というときの最後のSをほとんど発音しない。これはタイ式の発音なのかもしれない。スマトラでは「パナース」という感じではっきり発音していた。マレーシアでも最後のSは発音すると思う。

タイのスタンプは本日も2005年のまま。

レストランで、私がマレー語で注文していたら、タイ語を話している下品な感じの若者グループの男たちが、「KL(クアラ・ルンプール)だKLだ」と騒ぎ始めた。

その中の一人が私に向かっていきなり、「どこから来た」と英語で聞いてきたので、期待に応えてKLからだと答える。さらに、KLのどこだと聞くので、でまかせに「ジャラン・スルタン」だというと、中国人かと聞く。それはさすがに勘弁してほしいので、日本人だというと、今度は東京かと聞く。

そこで、KLに住んでいる日本人だとウソをついておいた。ここではなんとなく、東京よりKLのほうが格上なように感じたので、ミエを張ってみただけ。

するとその汚らしい感じのタイ男はすかさず、「俺の友達はシンガポールに住んでいる」とか、KLよりさらに格上の町の名前を出してきた。

これはいかにもタイ人らしい反応だと思った。KLの人間はシンガポールに対して複雑な感情を持っているといわれる。そこをついたつもりなのかもしれない。

粘液を固めて作った人間の表面に汚れがついているような、実にタイ人らしい汚らしい男だった。

タクバイのジェティの前にはミニバスもあり、ナラティワトまで4リンギ。

スリ・トゥージュー・リゾートは官製リゾートで、本当に酒は置いてないようである。酒を飲んでいる人を見たことがない。敷地内に立派なイスラム礼拝所がある。

八日目。

昼から雨。雨が多くなってきた。

平日にもかかわらず多くの人がリゾートに来ている。中国語でしゃべっているグループも。

夜、激しい腹痛と下痢。きのうタクバイであれこれ食べすぎたのがよくなかったのか。

ゴキブリを追いかけていたら、横着にも俺のバックパックの中に隠れた。しばらくバックパックをかき回していたら出てきたので、さらに追いかけ、バスルームの足拭きでしとめた。

腹痛と下痢は、クラヴィットとイモジウムを飲んだら1時間ぐらいでおさまった。痛みがひどいときにイモジウムで下痢を止めることがよいのかどうかは問題。

夜になるとリゾート内をひっきりなしにバイクが走り回るようになった。人が増えている。最初は人っ子一人いなかった海岸の方でも、深夜までバイクらしい明かりが動いている。

足は完治には遠く、びっ子を引くような歩き方になる。

九日目。

なかなか本当に静かな穴場というところは少ない。

しかし、このリゾートで、毛唐は一人も見なかった。

深夜に重々しい音の雷雨になる。

十日目。

11時ごろチェックアウト。表通りに出ていつものローカル食堂で食事。

何でも屋のおじさんがお別れに冷えたペプシを一本くれた。この店の人たちは本当に親切だ。

バスは来ないので、タクシーを拾いトゥンパッTumpatのバス停まで行く。4リンギ。

トゥンパッのバス停に来ていたバスに乗り、コタバルへ。2.3リンギ。結構時間がかかる。

タクシーでコタバルまで行くと20リンギだという。コタバルまでは行かないというタクシーもある。

午後1時過ぎ、バスがコタバルのバスステーションに着く。コタバルの町は整然としている。町に見覚えがないが(一年以上前に一度来たことがある)、バスステーション付近はなんとなく記憶にある。

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オランダは日本の敗戦後、インドネシアの再植民地化をはかるが、「国際世論の非難」もあって失敗する。

なぜそのような「国際世論の非難」が起こったのか。それまでは平然と、正当なこととしてやっていたことを、もう一度やり始めようとしただけである。それにオランダは「戦勝国」の一員である。

日本が「白人支配からのアジアの解放」を掲げて戦争をし、その理念に一定の説得力があり、それに同調する人々がインドネシアにも多かったからに他ならない。

このような主張に対して、日本は戦争を始める前から「アジアの解放」を掲げていたわけではないと反論する人が多い。

しかし、戦争を始める前からその理念を掲げる必要がどうしてあるのだろうか。日本は米英の経済封鎖によって、息の根を止められ、米英の期待に応える形で戦争に追いやられていっただけである。そのような経済封鎖は現在北朝鮮に対しても行われていないものである。

戦争は戦争である。革命ではない。問題は、現に行わざるを得ない戦争にどういう意義を見出していくかである。また、日本は、戦前から人種差別反対を国際社会に訴えていたが、それはまったく受け入れられなかった。

大東亜戦争の理念は、アメリカによって追いやられた対米英戦争・対白人戦争の実践の中で、実践的に学び取られ、明確に自覚するに至ったものである。

開戦以前にその理念を掲げていなかったといって大東亜戦争の意義を否定するのはまったく子供じみた観念論でしかない。

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