s-mm.ロイムウェ

2006年1月 9日 (月)

チャイントーン(Keng Tung,景棟)、ロイムウェ ミャンマー

チャイントーン市内の風景。ミャンマー・シャン州。

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チャイントーンのマーケット。アカ族の人たちが普段着の民族衣装で買い物に来ている。頑丈な塀で囲まれた四角い市場。
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昼過ぎには店じまいが始まり、夕方には市場全体がロックされ、無人になる。ミャンマーの大きな市場はだいたいこの形式(モンラーの酒池肉林中国人マーケットを除く)。
城塞都市というのはもともとこういう市場から発達したのかもしれない、と思ったりする。

チャイントーンの目抜き通り。
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チャイントーンではパキスタン料理がおいしかった。日本人の口にも合う(少なくとも私の口に合う)カレーとたくさんの生野菜や香草がついてくる。鶏肉もよく血抜きがしてあり、味がしみこんでいておいしい。
その店には、ロンジの似合うきれいなパキスタン人(ムスリムインド系)の女の子がいた。お客の来ない時間に、ふだんはしないスカーフをつけてコーランの勉強をしている。

ミャンマーでパキスタン系だという人は多かったが、パキスタンという国ができてからパキスタンからミャンマーに渡った人なのか、インドとパキスタンが分裂する以前に渡ってきたイスラム教徒のインド人なのかは、よくわからない。もしかすると、インド領から来たムスリムのインド人が、「インド人」という呼び名を嫌がって「パキスタン系」と自称しているのかもしれない。

ロイムウェ。チャイントーン近郊の村。
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2005年12月22日 (木)

ロイムウェ ミャンマー

チャイントーン(Kyaintong;イギリス語Keng Tung)近郊のロイムウェという村で。

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2005年9月15日 (木)

2004年タイ、4月ミャンマー(チャイントーン、マンダレー、トーンジー、ヤンゴン)

2004年1月9日。ロイヤルネパールで、午前8時半カトマンドゥ発、午後1時半ごろバンコク着。タクシーでワットチャナソンクラムへ。Merry5にチェックイン。ウェートレスもフロントも前と同じ。
10日。船着場まで歩いてワットアルンを見学。塔の周りを逆(反時計回り)に回る白人。ワットプラケオを外から見る。
12日。タニヤ、パッポン見学。「有馬温泉」でタイマッサージ。
13日。メリー5に半日滞在。ホアランポーンから寝台車でチェンマイへ。
【チェンマイ】
14日。チェンマイ着。チェンマイに着くとファランだらけ。カンペンディン通りのコンコートホテルにチェックイン。350バーツ。
16日。Rama2に移る。Rama2は経営者が日本に行っていて。無愛想な管理人もいなくなっていた。テーブルもレストランも物干しもない。時々経営者の弟が来て見ている。広い部屋120バーツ。
18日。留守中にエルフがメッセージをゲストハウスにに残す。チェンマイに来たとメールに書いたが、どこに泊っているとは書かなかったのだが。
19日。エルフの部屋に泊る。ゲストハウスに帰るところでたまたま出会う。
20日。エルフの部屋に泊る。
21日。エアポートプラザの映画館でエルフと「ラストサムライ」を見る。一部タイ語の吹き替え。なぜか小雪の台詞は日本語のままだった記憶。
23日。エルフの希望で、ラストサムライをもう一度見る。エアポートプラザ。映画の間ずっとしゃべり続けている客がいる。映画のなかの日本人が何かしゃべるとそのたびに笑いが起きる。
25日。歯医者(サカラ)にいく。
26日。ラーマ2をチェックアウト。同じソイにあるVaranannゲストハウスに移る。広い部屋。ホットシャワーつきで150B。ファランが多い。

【チェンライ】
2月3日。ヴァラナンをチェックアウト。チェンマイアーケードまでトゥクトゥク50B。チェンライ行きのバスに乗る。
チェンライのトゥーリストインにチェックイン。200B。部屋は立派過ぎ。日本人の経営者は言葉遣いがなれなれしく、そのタイ人妻は無愛想。
4日。チェンライを出てメーサイまでバスに乗る。メーサイからメーチャンに戻り、乗り換え、チェンセンに行く。チェンセンゲストハウス180B。
5日。チェンセンゲストハウスの前からソンテウでメーサイに戻り、いつもの宿(川沿いの西の通りのスリラートレストラン)。
6日。午前中にミャンマー、タチレクに出る。ミャンマーはすこしネパールみたいなノリ。パン(噛む嗜好品)を売るスタンドがある。ミタパンだった。
午後チェンライに戻る。パムゲストハウス。
【チェンマイ】
7日。午後バスでチェンマイに向かう。ヴァラナンに入る。
8日。歯医者。
10日。毎日ロイクローのオープンハンドコーナーで食事。ダウ(フィム)の料理。
15日。歯医者
16日。自転車を買う。
25日。歯医者終了。ヴァラナンゲストハウスは不良白人の巣のようなところ。

3月1日。自転車をダウに預ける。
【チェンライ】
3日。チェンマイアーケードから正午のバスに乗る。3時、チェンライ着。ワットチェッヨッの隣のブーンブンダンゲストハウスに入る。きれいな部屋200B。
【メーサイ・タチレク】
5日。チェンライを出て、バスでメーサイへ。スリラートの向かいのゲストハウスに入る。窓がなく息苦しい部屋。タチレクに出てリクシャーを40Bで雇う。お寺で古いビルマ紙幣のセットを買う。本物かどうかはわからない。売っていたおばさんがちょっと観光案内のようなことをしてくれる。お寺の拝観の仕方など。
6日。昨日に引き続きタチレクに出る。タイ側のイミグレ役人が何をしに行くのかと聞くので観光だと答える。タチレク側のイミグレは感じが良い。日本人に親切。
タチレクのイミグレでミャンマーのアライバルビザを取れるようになったらしい。2週間と4週間。4週間のほうは飛行機でヤンゴンまでいける。(これは後に廃止)
タチレクのティーショップはのんびりできる。
バンブーゲストハウスに移る。よくない。
【チェンライ】
7日。メーサイを出て、チェンライへ。ブーンブンダンに入る。
16日。引き続きチェンライで生活。新聞や本を読むだけ。良い妄想は妄想に過ぎないが、悪い妄想は現実。良い妄想にとりつかれても幸福とはいえないが、悪い妄想にとりつかれたら確実に不幸。
18日。午前2時ごろ。タイマッサージ屋のアカ族の子マリが突然部屋に来た。以前友だちと二人で来たことがある。今度は一人で。アカ族と中国人の混血で22歳。英語を少し話す。現金のやり取りはなかった。が、すぐに月いくらくれるかという話になる。距離を置かざるを得ない。
チェンライのタイ人(タイ族)はチェンマイよりさらに感じが悪く、中国人は反日的。ゴーゴーバー街に近い中国茶店のオヤジは華字紙の「殺人魔」という見出しをわざわざ私に見せ、日本人はこれだという。
29日。別のマッサージ屋の24歳のアカ族の子ムイも中国人との混血。メーサロン出身。漢字名を持ち、自分の名前は書ける。黄玲梅(ホアリンムイ)という。阿梅(アムイ)とか梅花(ムイファ)とも呼ばれる。

【メーサイ・タチレク】
4月1日。ブーンブンダンゲストハウスをチェックアウト。チェンライバスターミナルより、メーサイ行きのローカルバスに乗る。3時ごろメーサイ着。スリラートレストランにチェックイン。リンカフェでネット三昧。林という日本語を話す中国人の経営するネット屋。
3日。タチレクに入る。カフェでインスタントコーヒー。タチレクのほうが落ち着けるし、人の感じも良い。ネパール人が経営する茶屋でチヤ。
【チャイントーン】
4日。KyaingTongチャイントーンへ。午前中にイミグレを出て、ミャンマーイミグレにビザを申請。4週間ビザが取れる(ただしスタンプと手書きのみ)。写真2枚要。25ドル。ミャンマーイミグレが車を呼んでくれる。ミャンマーイミグレのビザ係の女の人も親切。万田久子を若くして顔を小さくしたような美人(3ヶ月ほど後はいなくなる)。
ポンコツ車で3時間かけてチャイントーンへ。他に3人タイ人が乗っていたが、このときはさほどひどくなかった。車代500B。LonelyPlanetで見つけたノイイーホテルにチェックイン。コールドシャワー200B(5ドル)。
5日。ノイイーホテルは自家発電で、11時頃になると停電になる。蝋燭だけ。大きなマーケットに行き闇両替。1000チャットが48バーツ。1000バーツ両替。2万ちょっと。
角のお茶屋の隣にネパール人のミルク屋がある。ダヒ(ヨーグルト)200K。祖父が戦争のときグルカ兵でミャンマーに来てそのまま定着したらしい。二人姉妹と兄弟の三人でやっている。ネパールには一度も行ったことはないそうだが、ネパール語を話す。英語はあまりできない。若いネパール人の親戚が二人来ていた。一人はアーリア系でもう一人はモンゴロイド系。パキスタン人のインド料理屋で夕食。
ステージショーがあるというので行ってみる。500チャット払って運動場のようなところに入ると屋台などがいくつかあり、ステージでローカルポップを演奏している。別のネパール人のミルク屋がダヒの屋台を出していて、声をかけられる。メーサイに6年も不法滞在して働いていたとかでタイ語もできるが英語もよくできる。普段はマーケットに屋台を出しているという。
6日。朝9時半ごろマーケットに行くと、昨夜のネパール人はもう店じまいをしているところだった。後は外回りをするという。
MMB(ミャンマー・メイフラワー・バンク、五月花銀行)に寄って両替レートを聞こうとすると、ちゃんと制服を着た感じのいいお姉さんに、当店では両替はやっていないので(ブラック)マーケットに行けと言われる。ここではブラックマーケットが公認両替屋のようだ。
ヤンゴンエアウェイズのオフィス(小さな店のようで女の人が一人だけいる)に行き、マンダレー行きの飛行機を予約する。10日午後1時半発。89ドル。9日に支払えばいいとのこと。エアマンダレーのオフィスでも聞いたが同じ値段だった。ドル払い。
ドルを作るため、マーケットに行き、バーツをドルに両替。親切なムスリムインド人のオヤジに昨日とは別の両替屋のところに連れて行ってもらう。1ドル40バーツで500ドル買う。このインド人は親切で朝も道を教えてくれた。英語ができる。
7日。ミャンマー人は概して親切で、しかし媚びない。外国人に尻尾を振ることもない。タイ人のようにもったいぶったりせず、ネパール人のように腰が軽い。シャン族でも同じ。日本語のできるシャンが何人かいて、時々日本語で話しかけてくる。ネパールみたい。
ダヒ屋のネパール人を捜してマーケットを歩いていると、突然人に呼びとめられる。誰かと思うと女の子で、どこかで見た顔。チェンマイで行きつけだったタペー通りの喫茶店のウェートレスだった。女友達と二人で同じノイイーホテルに泊っているらしい。女友達がチャイントーンの人と結婚するのだとか。
【ロイムウェ】
8日。11時ごろマーケットのへんでバイタクを雇い、ロイムウェという村に向かう。4000チャット。マーケットのネパール人に教えてもらった、コ・トゥン・ルという人を訪ねる。ロイムウェには1時に着。ネパールの山村をこぎれいにして家のつくりをゆったりさせたようなところ。トゥンルの奥さんを見つけた。雑貨屋のような店をやっている。若くてきれいでニコニコしている。カヤ族の女性。ちょっとタマンみたいな感じで、うなずくときにエーエーというのも山のタマンみたい。突然訪ねてきた異邦人を店に入れて席を勧めてくれ、お茶まで出してくれた。トゥンルはアカ族で、この奥さんはカヤ州からこの村に嫁に来たという。カヤ州は鎖国状態。彼女はカヤの村とこの村しか知らず、町に出たことはない。しかし英語をかなり話す。悲しいかなクリスチャン。英語はカヤ州の村の教会で教わったのかもしれない。そうでなくてもミャンマーでは小学校でも英語を教えるので、小学校に行った人は少しは英語を話せることが多いようだ。この村がネパールと違うのは血や糞がころがっていないこと。こぎれいで、家が広々としていること。ロイムウェに着いてから夕立になった。トゥンルは技師で、テレビ塔の勤めに出ていて留守。会えず。雨が上がってから帰る。ロイムウェにも良いお茶屋がある。
9日。午前中ヤンゴンエアウェイズに行き、エアチケットを買う。89ドル。受付のシャン族の女の人がニコニコして親切。ミャンマー旅行に関するルート作りやらいろいろなことをくどくどと聞いてもうるさがらずに答えてくれる。同族でもタイ人とはえらい違い。タイ語とシャン語とではかなり違うところもあるようだ。お茶はタイ語でナムチャだがシャン語ではナムラ。ビルマ語ではラペイエ。
【マンダレー】
10日。12時半ごろノイイーホテルを出る。リクシャでチャイントーンのエアポートへ。チェックインカウンターにチャイントーンのヤンゴンエア事務所のお姉さんがいた。役人がうるさく荷物をチェック。ノーと強くいうと何もいわくなる。もういいだろという意味。賄賂を取る口実くらいのもの。プロペラ機でへーホー経由、マンダレーへ。
マンダレー空港に着くと、タクシー業者が寄ってくる。市内まで8000チャット(10ドルほど)だという。どうしても安くならない。マンダレー空港から市内までは45キロもある。ロンプラにあったトーンザラットホテルは満室。その向かいのサバイプユホテルにチェックイン(サバイといってもタイ語ではないらしい。サバイプユはビルマ語でハスの意味だとか聞いた)。5ドル。コールドシャワーにエアコンつき。トイレットペーパーがネパールでよくみた赤いやつ。
マンダレーは予想以上の大都会。巨大都会と言ってもいい。道も広く車も多い。どうせチェンマイくらいの町で、ミャンマーだから寂れてるのだろうと思っていたが、まったく間違っていた。
11日。マンダレーのホテルはどこもそうらしいが、部屋代が朝食込み。あまりうまくないトーストとフルーツとお茶。パンにはイギリスパンの面影がなくはない。タイのよりはいい。ホテルのフロントやレストランのウェートレスも白人に媚びるということがない。みんな英語がよくできる。
マンダレーのティーショップは、タチレクやチャイントーンと違い、注文しないものをテーブルに並べることはしない。屋根なしのサイクルリクシャ(トライショー)でマンダレーヒルまで行く。800チャット。マンダレーヒルには靴を脱いで登る。仏像にネオンサインがついていることがある。パチンコ屋のネオンみたいな動くやつが光背についていたりする。その前で小僧が跪いて祈る。
【タジ】
12日。10時過ぎに出て、バスでメイティラへ。バスに乗るのに一苦労する。3時ごろメイティラに着く。ここでタジThazi行きの乗り物をさがすのに一苦労。タジ行きソンテウ(のようなピックアップ)を見つけて乗るが、水祭りの猛攻撃を受け狙い撃ちに。タジに着いたのが4時過ぎ。ムーンライトゲストハウスというところにチェックイン。暑い部屋。4ドル。連泊することにして3ドルにしてもらう。タジは小さい何もない町だが、メイティラよりこざっぱりして水かけもすくない。祭りが終了するまでここに滞在することにする。マンダレーからメイティラまでバス代5000チャット。メイティラからタジまでソンテウ(?)300チャット。マンダレーでメイティラ行きのバスが出るのは「ハイウェーステーション」というところ。ここが始発らしい。
13日。宿の人はみんな英語はよくできる。アメリカ帰りという兄ちゃんがいる。宿で売っているロンジを一枚買う。はいてみると気持ちいい。女物はタメイという。作りは同じだが、はき方が違う。お茶屋を転々とする。
いちばん年寄りの婆さんがきれいな英語を話し、私に戦時中の日本軍の話をあれこれ言おうとしたのでさえぎった。英語がうますぎるので戦前にイギリス人の女だったのかもしれない、それで日本人に何か含むところがあるのかもしれない、などと想像した。
14日。アメリカ帰りの兄ちゃんは食事に来る白人客とさかんにしゃべっている。へらへらして白人客が食事中にうちわであおったりしていた。
【トーンジー】
15日。午前4時前にゲストハウスを出て駅に向かう。馬車馬がしゃがんで寝ていた。5時半ごろか6時ごろか、なんとか汽車は出た。眠っていて、気がついたら明るくなっていた。駅(小さな駅舎らしいものがあるだけ)にとまるたびに、少し水をかけに来るが、そんなにひどくはないし、窓ガラスがある。汽車がスイッチバック方式で坂を上る。これは初めて経験した。「アッパークラス」の列車に乗る。7ドル。オーディナリークラスは3ドル。どちらもツーリストプライス。
朝10時半ごろ、まだカラウに着く前に列車が脱線。動かなくなる。代替車か料金払い戻しを近くの駅の駅員に談判しても埒があかず。場所はカラウから6マイルも手前。他の人たちは歩いて散っていった。諦めが早い。ツーリストは私以外乗っていなかった。駅員が車を用意するからカラウまで行って待てという。車代はタダだという。しかしそれはみんなウソだった。車はホテルのもので、有料。カラウのセントラルホテルに泊ることにする。
16日。朝6時にバス乗り場でチケットを買い、ティーショップで食事。ホテルの朝食(料金込み)はまずい。カラウは開けた町でインド系も多い。私にはなんとなく魅力がない。ツーリストのための町という感じ。ローカルツーリストも多い。バスは7時半に来て、10時ごろタウンジ(トーンジー)のマーケットの近くに着く。
トーンジーはかなり大きな町で、大きな通りがある。標高が高いせいか肌寒いほど。カラウからトーンジーまでの道はでこぼこだった。トーンジーはかなり盛大に水掛をやっているが、被害はない。通行人には知り合い以外やたら水をかけないし、やめてくれと合図すればやめてくれる。不意打ちのようなことはカラウで一回あっただけ。ロンプラに載っていた大通りのKhemarat Hotelにチェックイン。トイレシャワー共同しかも水シャワーで5ドル。この町はインド系がいままでにまして目立つ。夜は半そででは寒いほど。夜、アジア女を連れた白人を一人見た。大通りにシーク教寺院。モスクもある。
17日。今日が新年。せっかくトーンジーに来たのに。マーケットなど閉まっている。(ミャンマーのマーケットは塀で囲まれた一種の城砦都市のようなもの。夜は無人になり門に鍵がかけられる)。外では商売をしている。モスクの近くであったインド系ミャンマー人の青年にいろいろ案内してもらう。カネも取られず、それどころかバス代まで出してくれた。カシミール人のような顔(ギリシャ系の顔)をしているし、会ったのがモスクの近くだったので、てっきりムスリムかと思っていたら、仏教徒だった。メインストリートの仏教寺院に入って、跪いて3度頭を地につける礼拝をしていた。
18日。マーケットは今日も休みだが、隣の横丁の市場はにぎやか。黒や紺の衣装のパオ族の人たちが目立つ。頭にカラフルなバスタオルをターバンのように巻きつけて、チベット風の(ネパール山岳民族風の)ショルダーバッグを提げている。ネパールのよりカラフル。女は黒か紺のロンジの下に細いズボンをはいていて、男はタイ族のようなゆったりしたスラックスだがこれも紺のみ。
19日。ヤンシュエまでソンテウでいく。インレー湖を見るためにはボートを借切らなければならない。外国人とミャンマー人とはまったく別のボート。ローカルボートには外国人は乗れない。ボートはあきらめる。ヤンシュエはひなびた観光地という感じ。白人が2、3人。インターネットにアクセスできるというところがあり(ミャンマーでは原則としてwwwにアクセスしていけないことになっているそうだ)、ホットメールのチェックもできるというが、30分2000チャット(ミニマム)。ヤンゴンとマンダレーに地下サーバーがあり、違法にやってるということだった。違法といっても看板も出しており(ホットメールとヤフーメールのチェックができるという)、半公認のよう。ヤンシュエは別に魅力もない。お茶屋もひどくぼってきた。ホテルは安い(多いから)。トーンジーは何があるわけでもないし、整備されすぎていて古い家など見当たらないが、観光地でないところが良いし、空気もすがすがしい。
21日。12時ごろ、トーンジーのエンパイアホテルの角をしばらく入ったところにあるピックアップ乗り場から、ピックアップのフロントシートに乗り、メイティラに向かう。3000チャット。荷台は2000チャット。メイティラについたのが夜8時ごろ。
メイティラについてからが大変だった。車を降りるとすぐにコミッション狙いの男たちにつきまとわれる。それをふりきってハニーホテルをさがすのにひと苦労。ハニーホテルは夜遅いのでこちらの足元を見て15ドルと吹っかけてくる。断ってそこを出て、荷物を持ったまま夜道をふらふらする。やけっぱちな気持ちで、いっそお寺に泊めてもらおうかと思って、境内に入ってみると、坊さんがヴィパッサナの立ち瞑想をしていた。最初はまったく気づかなかった。変なところに像があるなあと思って通り過ぎるようとしてはっと気づくと生きた坊さんだった。立ち瞑想のための場所がちゃんとあり、それがそこに身じろぎもしないで立っていた。こちらが近づいてもまったく無反応。そのあと寺の前の茶屋で、お茶一杯200チャットをふっかけられて腹を立てる。普通は100チャット。80チャットもある。チャイントーンの角のお茶屋は70チャット。捨て鉢な気持ちでふらふらしていると(どうしてそれほど捨て鉢な気持ちになったのか自分でもよくわからないが)、日本語で声をかけられた。15年前に日本にいたことがあるという、少し日本語を話すそのおじさんに事情を話すと、その人の家の向かいにある8ドルのモーテル(ゴールデンドリーム)を紹介してくれた。そこに泊る。
22日。午前11時ごろまでにピックアップ乗り場を自分でさがしあてる。ピックアップバスの後ろの長椅子にのり、ピンマナに向かう。砂ぼこりで全身が汚れる。道は悪くない。午後4時ごろピンマナ着。フェニックスモーテルにチェックイン。トイレシャワー共同の部屋が7ドルもする。ミャンマー人は2000チャット。メイティラでもトーンジーでもトライショーは見なかったが、ピンマナにはトライショーが多い。馬車もメイティラ同様に多い。フェニックスモーテルは発電機らしい音で夜うるさい。反対側に部屋を変えてもらう。
23日。24日発のバスチケットを買う。ヤンゴン行きエアコン2450チャット。ほとんど満席で23日のは売り切れ。一日歩き回る。
【ヤンゴン】
24日。夜行バスに無事に乗る。「エアコン車」だが、エアコンはなし。JRバスのお古で、フソー製だがエンジンはあまりよくない。途中でタイヤ交換。隣の席の若いミャンマー女がひっきりなしにゲロを吐いていた。袋が足りないようだったので、ビニール袋をやった。ちょっとインテリ風の感じだったがタメイをはいていた。
25日。午後5時半ごろヤンゴンのバスステーションに着く。市バスに乗り換えるが、どこに向かっているのかどこで降りればいいのかわからない。30分か40分乗っていると少し都会になって、たまたまロンプラに出ていたライライホテル(来来旅館)を見つける。すぐにその次のバス停で降り、行ってみるが、12ドルのシングルはフル。そこの感じの良い中国系の若者に、近いホテルを紹介してもらう。Full Wealth Hotel(大富華旅館)。10ドル窓なしの部屋にチェックイン(エアコンあり)。ライライホテルのある通りとと平行に走る大通り(アノーラータ通り)から、シュウェドンダンロードを北に少し入ったところにある。このあたりは中華街。しかしバンコクの中華街とはまったく違う。閑散として旅社もない。市バスは最高に古くて20チャット。床が板張り。
26日。スレパヤの傍らの旅行代理店で航空券を買う。タチレクまで買おうとしたが120ドルもする。ヤンゴンエアもエアマンダレーもこれは同料金。チェンマイまでは、エアマンダレーがプロモーション中ということで75ドルだった。チェンマイまで買う。
27日。夕方なんとなくヤンゴン川を大きな渡し舟で渡り、どこにいくかもわからないままバスに乗る。レココンビーチに行くらしいので乗っていた。終点まで行ったときはもう暗くなっていた。ホテルも帰りの車もない。茶屋の兄ちゃんにお寺に案内してもらう。坊さんに頼んでお寺に泊めてもらえることになり、坊さんに言われるまま水浴びをして出てきたら、警察がいっぱい来ていた。しつこい尋問を受けヤンゴンまで護送される。タクシー代12ドルを払わされたが、運転手でなく警察官のほうに払わされる。おそらくこのカネも運転手でなく警察官の懐に入ったのだろう。運転手は受け取ろうとしなかった。ヤンゴンに入ってからも、この私服(ロンジー)のいやらしい感じの警官がつきまとおうとするのでふりきった。
28日。夕方アノーラータ通りを歩いていると、すぐ後ろで日本語を話す声が聞こえたので、思わず振り返って声をかけた。おじさんと若い男。おじさんの方とそのあとしばらくぶらぶらする。このオヤジ昨夜ナイトクラブ「エンペラー」で売春詐欺にあい30ドルほど騙し取られたそうだが、全然怒っていないのに驚く。店に全額前払いして女の子を連れ出し自分のホテルの部屋に連れ込んだところ、女の子がおなかが痛いと言い出して帰すしか仕方がなくなったのだという。本当ならバカまるだし。会社をやっているというが頭が悪そうで声が下品。8時ごろ別れる。
【チェンマイ】
29日。朝9時ごろホテルの少年にタクシーを呼んでもらい空港へ。ヤンゴン空港はマンダレー空港よりずっと小さい。わかりにくいところで空港税を払いチェックイン。出国のイミグレで係員たちが少しもめていたようだった。タチレク発行のビザがスタンプと手書きだけだったからだろう。このあとファランの坩堝のようなところにいくと思うと気が重い。エアマンダレー。国際線だがプロペラ機。ミャンマーの12時半発、チェンマイに着いたのはタイの2時。約1時間のフライト。ヴァラナンゲストハウスにチェックイン。

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