s-mm.ヤンゴン

2006年1月 9日 (月)

ヤンゴン

ヤンゴンで取った写真はこれだけ。

えりこ。Aye Li Ko。(ちなみにTokyoはトーチョー。)
となりは「ダイマルストア」。
たぶんボジョク・マーケット。

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スーレーパヤ。

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マハーバンドーラゲストハウス。泊まったことはないです。

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2005年9月18日 (日)

2004年9月10月ミャンマー(マンダレー、ミチナ、ヤンゴン、バゴ、モーラムヤン)

2004年
【マンダレー】
9月9日。午後2時半ごろ、チェンマイ空港からエアマンダレーでマンダレーへ。マンダレー空港から以前と同じく8000チャットのタクシーで市内へ。5時半ごろ、前と同じサバイプユゲストハウスにチェックイン。サバイプユのフロントはフレンドリーで感じがいい。4月に泊ったとき、私が受付で並んでいると、白人客が横から割り込んでフロントに何かを聞こうとしたことがあったが、フロントの女の子は相手にしなかった。タイなら別の展開になっただろう。
10日。マンダレーは雨季。よく雨が降る。道路が川のようになり、ロンジのすそをたくしあげて水の中を歩かないとどこへもいけない。私は4月以来タイでもロンジをはいている。マンダレーはティーショップがあまりない。夕方の六時くらいに閉めてしまうところが多い。雨が降って道が川のようになるとティーショップはどこも閉めてしまう。
11日。川のフェロー乗り場を見に行く。以前と少し雰囲気が変わった。川沿いを歩くと変なにおいがする。
ホテルの同じ部屋に陣取っている中国人がうるさいので昨日部屋を変えてもらった。ドアを開けたまま十数人がひとつの部屋に集まり大騒ぎをしている。紙切れを細かく破って放り投げあたりに散らかすので、中国人の部屋の前はゴミだらけ。バクチかなにかしているようだ。エアコンの部屋なのにどうしてもドアを開けたいらしい。中国人と同じ階になってしまったら、部屋が離れていてもダメ。その階中響き渡る。インド人も泊っていて、やはりドアは開けているがおとなしく行儀は良い。中国人が泊っていないという別の階の部屋に移るが、運悪くそのあと別の中国人が同じ階に入り、同じように扉を開けたまま大騒ぎを始める。
【ミャンマーエアウェイズ(MA)】
12日。ミャンマーエアウェイズでミチナへ。ミチナへはミャンマーエアウェイズしか飛んでいない。空港のチェックインはスムーズ。チャイントーン空港より簡単で、荷物を開ける検査はない。X線のみ。ミャンマーエアウェイズはとっても良い飛行機だ。座席指定がない。自由席。みんな思い思いに座る。座席は廃車になった観光バスよりさらにぼろい感じ。飛んでいる間に食事用テーブルが留めがはずれて落ちてくる。英語アナウンスはない(ヤンゴン路線はある)。一応ジェット機でエアマンダレーの国際線より機体は大きい。その飛行機はヤンゴンから来て、マンダレーで客を入れ替えてミチナに向かう。ヤンゴンからマンダレーまでの客が食べた弁当の屑が、椅子の前のポケットに入ったまま。
ロンプラはこのミャンマーエアウェイズをキチガイのようにたたきまくっている。その理由は、「悪い」政府の経営する国営航空だからというもの。ミャンマーエアウェイズを使うと「悪い」政府にカネが入るからよくない、という小学校のクラス委員的な立派な理由である。その裏には、ミャンマーエアウェイズは、「ツーリスト」(=白人)の方を向いていない、媚びてくれない(「フレンドリー」でない)、というのもあるのだろう。
しかし私は、ミャンマーエアウェイズは、少なくともタイ航空(TG)なんかよりはずっと立派な航空会社だと考える。MAはミャンマーの辺鄙な町にも飛んでおり、ミャンマー国民の重要な足になっている。乗客はほとんどミャンマー人で、大きな荷物を客席に持ち込む人もいる。大きな竹篭に入った行商用らしき品々など。スチュアーデスは無愛想だがよく見ている。困っている人がいると表情も変えず手を差し伸べる。赤ん坊を連れた客が入ってくると、混んでいる客席のなかで子供を寝かせられるような席を見つけてやる。
【ミチナ】
空港付近は兵隊が厳重に警備していてあらためて軍事政権を実感する。
空港からオートリクシャで800チャット。YMCAにチェックイン。ロンプラの記述に反してシングルルームあり。バストイレ共同の広いこぎれいな部屋。7ドル。部屋には無料のインスタントコーヒーとお湯が用意され、毎日換えてくれる。インスタントコーヒーは小袋に入った砂糖入りネスカフェ。こちらにはブラックコーヒーを飲む習慣はない。ここも雨。YMCAには一人汚い感じの白人がいて、YMCAで勉強してるらしい地元の女の子たちに囲まれてしゃべっている。
14日。ミャンマーエアウェイズのオフィスを聞き出し、プータオにいけるかどうかを聞く。パーミットがあるガイドが一緒でないといけないようだ。そしてパーミットはヤンゴンでないと取れないらしい。ミチナのイミグレーションオフィスにも行って頼んでみる。イミグレの役人と一対一で対面し、なんとか行けないものだろうかと聞く。パーミットがないからダメだというので、あなたがパーミットを出してくれるわけにはいかないのかと聞くと「自分はオーソリティがないから」ということだった。賄賂も示唆したつもりだったがムリのようだった。そのときはどうしてもプータオまで行ってヒマラヤに近づきたい気持ちだった。
16日。ミャンマーエアウェイズのオフィスまで行きヤンゴン行きチケットを申し込む。ヤンゴンまで165ドル。つり銭はくれないというので、5ドルまできっかり払う。ドル札の番号を一枚一枚控えていたのに驚いた。午後一時もう一度オフィスに行きチケットを受け取る。
YMCAの「ボス」にドルをチャットに両替してもらう。ミチナはマーケットでも両替してくれない。一ドル900チャットだった。マンダレーよりずいぶんいいレート。「ボス」によるとヤンゴンでは910チャットくらいらしい。
ミチナに日本人が寄進したらしい巨大な寝釈迦大仏がある。新しいものだがミャンマー人の仏教徒が跪いて礼拝している。その敷地の隅に、日本人が立てた招魂碑がある。静岡県の人が寄進したらしい。ミチナでも多くの日本兵が玉砕した。日本兵とともに最後まで闘い玉砕したビルマ人兵補のことを忘れない、とあった。日本軍が強い間は日本軍と一緒になって英領ビルマ(チャイントーン)に進駐したりし、日本軍が劣勢になると手のひらを返したように連合軍に付いたタイ人たちとは対照的だと思った。戦争の是非でなく人間の質の話。
ミチナはカチン州の州都だが、民族衣装はほとんど見ない(ビルマ族のロンジを除く)。ロンプラによれば、カチン州は戦前からキリスト教のミッショナリーが集中攻撃して宣教したところだかららしい。そういうこともあって、少数民族の伝統を守る人が少ないようだ。北タイやミャンマーでのミッショナリーのやり方は、少数民族の固有の文化や伝統を野蛮なものとして一切捨てさせるというもので、その結果、キリスト教徒の子供は本来の名前を持たずクリスチャンネームのみとなる。祖先崇拝や自然崇拝などの宗教的伝統を一切捨てさせる。
山岳少数民族の中には祖先の名前を何十代も暗証するのが習慣になっているところもある。そういう文化を野蛮なものとして一切否定し捨てさせるのがキリスト教ミッショナリーのやり方。(キリスト教徒自体、マタイ伝の系図を暗記してたりするのだが)。
ミチナの人々がミャンマー人にしては冷淡に見えるのはキリスト教徒が多いからかもしれないなどと思った。
17日。空港までオートリクシャで700チャット。ミチナの空港の建物は木造で村の小学校という感じ。発着ロビーのほうは鉄筋で少しいい。11時チェックインとあったが午後2時まで待たされる。白人女が2人乗った以外はアジア系ばかり。マンダレーまではローカル線という感じ。マンダレー-ヤンゴン間はお菓子と薄いミルクコーヒーが出た。お菓子は弁当のような紙箱に入っていたが、小さなカステラとビスケット。マンダレーを出たときスチュアーデスが酸素マスクの使い方を初めて簡単にやっていた。
【ヤンゴン】
ヤンゴンに着くとき英語アナウンスがあった。ヤンゴン空港から4000チャットで4月に泊った大富華旅館へ。一泊10ドル(以前と同じ)。窓のないエアコンの部屋(どの部屋も同じ)。
18日。宿の中国人のオヤジに人民元をチャットにしてもらう。100元10000チャット。モンラに行った時にチャイントーンで買った人民元がたくさんある。このオヤジは華人だがロンジをはいていてビルマ語も話す。しかしやっぱり中国人の猛烈さはある。
19日。タチレクのビルマ人チョーチョー(Kyaw Kyaw)さんから紹介されていたチョーチョーさんのお姉さんのところに朝電話をかけて訪ねる。ドー・キン・タン・ミンというおばさん。草木染の工場を経営している。ヤンゴンの郊外の公営住宅のようなところに住んでいる。工場はメイティラだという。工場を見学できると思っていたが商品が少しあるだけ。老眼鏡をかけたおばさんだが日本に4年ほど留学していたそうで、日本語はかなりできる。漢字も読めるようだ。お茶とラスクのような質素なミャンマーのお菓子がでる。ミャンマーのお菓子だと言ってしきりにこれをすすめてくれた。食パンを乾燥させたような、甘くないラスクみたいなもの。この人も日本からミャンマーに帰るとき、タイのイミグレでやばいことになりそうになったという。バンコクはトランジットだけだったが、間違えて団体客に混じって外に出てしまったそうだ。タイ人役人の嫌がらせをうけるのは必至なので、乗ってきた大韓機のオフィスに行き、付き添ってもらってなんとか事なきを得たとか。チョーチョーさんも、日本でオーバーステイをして送還されるとき、バンコクのイミグレ役人に3万円要求されたという。
行きはタクシーで1500チャット。帰りはキン・タン・ミンさんの娘(か使用人の女の子)と一緒にバスで市内に戻る。バス代は20チャット。えらい違い。ボジョクアウンサンマーケットの近くで降りる。
毎日インド人街の屋台でダヒ(ヨーグルト)を食べる。一人だけ露骨にぼるババアがいるがあとはいい人が多い。
20日。午前中にインド大使館にビザ申請に行くが、日本大使館のリコメンデーションが必要と言われる。日本大使館に電話をすると今日(敬老の日)もやっていた。日本大使館に行きリコメンデーションの書類を作ってもらう。
ミャンマー日本大使館の職員は守衛まで日本語をよく話す。チェックは厳重ですべてガラス越しの会話だが、概してすごく親切。特に中の窓口の人は、日本語が良くできるミャンマー人でいろいろな質問に丁寧に答えてくれる。わからないことはわざわざ調べて教えてくれた。地図まで書いてくれる。日本人職員は見えるところにはいないようだった。待合室にはミャンマー人がちらほら。インド大使館にもどるが、開いているのは午前中だけ(9:30~11:00)で今日は申請できない。
Bogyoku通りの西の端のほうにあるBahosiクリニックに行く。最初ヤンゴンジェネラルホスピタルに行くと職員が親切に、ここは国立で(外国人は)ドル払いで高いからといってBahosiクリニックを紹介してくれた。
21日。午前中にインドビザ申請。金を払う。「4仕事日」待てといわれる。来週の火曜日までヤンゴンから動けない。(パスポートがないとホテルに泊れない。ツーリストが民家などに泊るのはご法度)。
23日。スーレーの近くのエアマンダレー代理店に行き、チェンマイ行きを予約。20ドル払う。総額75ドル。
24日。スーレーから東に行ったところのバス停で218番のバスに乗り、タンリインへ。小さな町。マーケットがある。シャンヌードルのようなものも。バスの番号はビルマ文字だけだが、少しわかるようになった。
大富華旅館近辺はチャイナタウンで中国人施設が多い。「江氏家族会」「戴氏家族会」「陳氏敬愛会」などの立派なビルがある。特に江氏のが大きい。華人は氏族のつながりが強いのか、そういう名の秘密結社のようなものか・・・・。
25日。昨日とは別のルートのバスでなんとなくまたタンリインに行ってみる。すぐに帰ってくる。20K×2。
26日。バゴ(ペグ)に日帰り旅行。アノーラタ通りの西の端の公園(ターキンミヤThakhyin Myaパーク)にあるバスステーションから、バゴ行きのバスに乗る。Phyo Express。400チャット。バゴは客引きが多かった。日本語を話すサイカ(トライショー)の運転手兼ガイドが日本語で話しかけてきた。モンMon族地区に近い寝釈迦大仏のある寺でも日本語を話す物売りの女の子がたくさん寄ってくる。帰りはソンテウのようなピックアップバスしか捕まらない。これも400チャットで行きの「エアコンバス」(例によってエアコンは動かない)と同じ。ヤンゴンに着いて48番の市バスでスーレーへ。行きのバスはちょうど2時間、帰りのピックアップは3時間くらいかかった。
27日。空港への行き方を調べる。空港への市バスは、スーレーの南のマーチャントストリートを西に入ったところから51番のバスで、ピヤイロードを通って「10マイルズマーケット」(セマイルズゼイ)まで行き、そこからピックアップで行くか、歩く。10マイルズマーケットは終点ではないので注意。金色の門を通り過ぎたらすぐ。
【バゴ(ペグ)】
28日。午前インド大使館に行きインドビザを貼ったパスポートを受け取ってから、大富華旅館をチェックアウト。
ターキンミヤ公園のバスステーションからPhyoエキスプレスでバゴ(ペグ)行きに乗る。正午発。バゴに着き、エンペラーモーテルにチェックイン。6ドル。狭い部屋。エアコンは夜だけ。スコール。
インド人のトライショー運転手に頼んで、モンMon族の集落を案内してもらう。バゴのまちからそれほど遠くないところに高床式の集落があり、昔ながらの機織を営んでいる。そのひとつをお願いして見学させてもらった。木造の古い織機に女性たちが一本ずつヒを飛ばして絹の生地を織っていく。商品も売っているがどれも一枚布ばかり。女性のロンジ用が主流のようだった。そういう家内工場のある家がいくつかあった。いまもモン語を話す。しかし、インド人の話では、モン族は貧しいのだという。(Mon族はタイ中部にも分布する。しかしタイのモンがどれだけ民族的なアイデンティティを保持しているかは疑問。モン語を話せるモンがタイにもいるのだろうか。なおラオス等のHmongはまったく別の民族)。
29日。エンペラーモーテルをチェックアウト、右斜め向かいにあるサンフランシスコホテルに移る。同じく6ドル。広い部屋。ただしエアコンはPM11:00以降のみという。ファンはある。サンフランシスコホテルのスタッフは、チェックインのときはいい顔をしていたが、そのあとがらりと態度が変わって悪くなる。変な感じ。電気も深夜になると切れ、エアコンなどまったくのウソ。広くて窓が多いわりに蒸し暑かった。エンペラーモーテルの下の切符売り場でチャイティオ行きのバスを予約する。1500チャット。
【タットンThaton】
30日。9時半、エンペラーモーテルの前からバスに乗り、Thatonに行く。チャイティオは通過。タートンでトライショーにBlue Cloudゲストハウスというところに連れて行ってもらう。昼からエアコンがあるが、バストイレ共同の部屋で8ドル(言い値は10ドル)。タートンは小さな町だが立派なパヤがある。町が小さいだけにすばらしく大きく見える。

【モーラムヤンMawlamyaing】
10月1日。タートンを出る。正午ごろのピックアップでモーラムヤンMawlamyaingに向かう。500チャット。3時ごろ埠頭に着き、外国人料金1ドルを払ってフェリーに乗る。ピックアップはさほど混みあわず、後ろの席でもわりと快適だった。フェリーはモーラムヤンのHpa-an Jettyに着く。着く頃にひどいスコールになる。4月にロイムウェーで夕立にあったときに買ったビニールをまとうがびしょぬれに。川沿いを右にしばらく歩き、Breezy Rest Houseにチェックイン。途中、親切な人がバイクに乗せてくれた。乗っている間いくら請求されるかはらはらしたがタダだった。いろいろあると善意を受けるのもだんだん心苦しくなってくる。
Breezy Rest Houseのだだっ広い2回の部屋に入る。一泊8ドル。2泊15ドルにしてもらう。ほんとうにだだっ広い部屋。このBreezyは、植民地風のつくりというのだろうか、床は板張りで柱や壁はコンクリートと木造のミックス。
部屋の壁に隙間があるらしく、夜のあいだこうもりのような小さな動物が、部屋の中をすごいスピードで飛びまわる。真っ暗だから鳥ではない。正体を見極めようとしたがすごいスピードで部屋の壁の端から端へと飛ぶのでわからなかった。この部屋は天井も高くがらんとした空間。ベッドに蚊帳がつってあるので、この動物に噛まれることはないだろうと思っておそるおそる寝る。
2日。朝遅く起き出すと部屋の前のホールに朝食が出された。すぐに出せるように用意されてあった。小さい食パンのトーストとオムレツと「コーヒーミックス」(ミルク砂糖入りインスタントコーヒー)とオレンジジュース。
バスチケット売り場を教えてもらい、ヤンゴンへのナイトバスのチケットを買う。セイジョーというバスステーションから出る。2700チャット。昼、果物ばかり売っているマーケットでドリアンを半分買う。1500チャット。高いが色も濃くてうまかった。
3日。正午にチェックアウトし、マーケットやティーショップ、ゲストハウスの下のロビーなどで時間をつぶし、3時45分ごろモスクの近くのチケット売り場の前まで歩き、セイジョー行きのピックアップを拾う。セイジョーまで30分ぐらい。100チャット。
バスは日本製でゆったりした新しいもの。一応エアコンが働いている。しかし時々停車して車輪か車軸かにさかんに水をかけていた。
タットンThatonまでは来たときと同じく3時間で行く。タットンからがのろのろで長くかかった。時々検問もある。ほとんど全員おろされた。それでも降りない人もいる。ネパールほど高圧的ではないが、人の顔を見ているようで調べる人は念入りにチェック。しかしタイほどいやらしい感じはしなかった。服装や人種でどうこうというやり方ではないようだ。逆に言えばもっと高度なチェックをしているということになる。ミャンマー人にしかわからないサインがあるのかもしれない。
【ヤンゴン】
4日。午前5時過ぎ、12時間かかってヤンゴンに入る。その間、食事休憩二回と故障らしきこと一回。初めて停車するバスターミナルで降ろされる。マハーバンドーラ通りをずっと西に行ったところで、バスターミナルらしさがまったくない場所。そこから市バスでマハーバンドーラをスーレーのほうに行き、ライライホテルが見えたところで降りる。シュウェトンダンロードを北に歩いて、大富華旅館にチェックイン。市バスの中に山岳少数民族と思われる女性が三人はだしで乗っていた。一人は若く、短いスカートをはいていた。バスに裸足のまま乗る人ははじめて見た。表情を見る限り悲惨でも不幸でもなさそうだった。周りの人も気にしない。
昼過ぎまで眠ってからエアマンダレーオフィスに行き、チケットを受け取る。
7日。10時までにエアポート。エアポートまでは、大富華旅館近くのバス停から51番のバスで10マイルズ(セマイルズ)まで行く。バスの中でシャン族の太った女の子が親切に荷物をひざに乗せてくれた。英語教師で日本語も少し話せた。
チェックインは非常にわかりにくい。人に聞いてもあそこここといいかげんな答えしか返ってこない。最初は指示されてドメスティックロビーの方に行かされた。
【チェンマイ】
飛行機は時間通りにチェンマイに着く。チェンマイ空港からはるばる歩いてコンコートホテルまで行く。350バーツでエアコン付の部屋。一時間以上歩いた。
夕方、ナイトマーケットの近くの「デパート」のノースフェイス代理店と、カドスアンケオ(セントラルデパートなど)をまわり、カドスアンケオの方でアディダスの小さなショルダーバッグと「スポーツジャンクション」でノースフェイスの大き目のショルダーバッグを買う。
8日。銀行でドル札を買う。チャイントーンのブラックマーケットとレートはさほど変わらないが、札が汚いし古いのがある。変えろといってもでかい態度で「無い」という。ミャンマーなどでは札がきれいで新しいことは重要だ。特にドル札の場合、古かったり汚れていたり破れていたりすると受け取ってもらえないことがある。タぺー通りのクルンタイバンクで1000ドル(レート41.55バーツ)とカシコーンバンク(かつてのタイ農民銀行)で200ドル(レート41.56バーツ)買う。とくにクルンタイは態度が悪かった。

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2005年9月15日 (木)

2004年タイ、4月ミャンマー(チャイントーン、マンダレー、トーンジー、ヤンゴン)

2004年1月9日。ロイヤルネパールで、午前8時半カトマンドゥ発、午後1時半ごろバンコク着。タクシーでワットチャナソンクラムへ。Merry5にチェックイン。ウェートレスもフロントも前と同じ。
10日。船着場まで歩いてワットアルンを見学。塔の周りを逆(反時計回り)に回る白人。ワットプラケオを外から見る。
12日。タニヤ、パッポン見学。「有馬温泉」でタイマッサージ。
13日。メリー5に半日滞在。ホアランポーンから寝台車でチェンマイへ。
【チェンマイ】
14日。チェンマイ着。チェンマイに着くとファランだらけ。カンペンディン通りのコンコートホテルにチェックイン。350バーツ。
16日。Rama2に移る。Rama2は経営者が日本に行っていて。無愛想な管理人もいなくなっていた。テーブルもレストランも物干しもない。時々経営者の弟が来て見ている。広い部屋120バーツ。
18日。留守中にエルフがメッセージをゲストハウスにに残す。チェンマイに来たとメールに書いたが、どこに泊っているとは書かなかったのだが。
19日。エルフの部屋に泊る。ゲストハウスに帰るところでたまたま出会う。
20日。エルフの部屋に泊る。
21日。エアポートプラザの映画館でエルフと「ラストサムライ」を見る。一部タイ語の吹き替え。なぜか小雪の台詞は日本語のままだった記憶。
23日。エルフの希望で、ラストサムライをもう一度見る。エアポートプラザ。映画の間ずっとしゃべり続けている客がいる。映画のなかの日本人が何かしゃべるとそのたびに笑いが起きる。
25日。歯医者(サカラ)にいく。
26日。ラーマ2をチェックアウト。同じソイにあるVaranannゲストハウスに移る。広い部屋。ホットシャワーつきで150B。ファランが多い。

【チェンライ】
2月3日。ヴァラナンをチェックアウト。チェンマイアーケードまでトゥクトゥク50B。チェンライ行きのバスに乗る。
チェンライのトゥーリストインにチェックイン。200B。部屋は立派過ぎ。日本人の経営者は言葉遣いがなれなれしく、そのタイ人妻は無愛想。
4日。チェンライを出てメーサイまでバスに乗る。メーサイからメーチャンに戻り、乗り換え、チェンセンに行く。チェンセンゲストハウス180B。
5日。チェンセンゲストハウスの前からソンテウでメーサイに戻り、いつもの宿(川沿いの西の通りのスリラートレストラン)。
6日。午前中にミャンマー、タチレクに出る。ミャンマーはすこしネパールみたいなノリ。パン(噛む嗜好品)を売るスタンドがある。ミタパンだった。
午後チェンライに戻る。パムゲストハウス。
【チェンマイ】
7日。午後バスでチェンマイに向かう。ヴァラナンに入る。
8日。歯医者。
10日。毎日ロイクローのオープンハンドコーナーで食事。ダウ(フィム)の料理。
15日。歯医者
16日。自転車を買う。
25日。歯医者終了。ヴァラナンゲストハウスは不良白人の巣のようなところ。

3月1日。自転車をダウに預ける。
【チェンライ】
3日。チェンマイアーケードから正午のバスに乗る。3時、チェンライ着。ワットチェッヨッの隣のブーンブンダンゲストハウスに入る。きれいな部屋200B。
【メーサイ・タチレク】
5日。チェンライを出て、バスでメーサイへ。スリラートの向かいのゲストハウスに入る。窓がなく息苦しい部屋。タチレクに出てリクシャーを40Bで雇う。お寺で古いビルマ紙幣のセットを買う。本物かどうかはわからない。売っていたおばさんがちょっと観光案内のようなことをしてくれる。お寺の拝観の仕方など。
6日。昨日に引き続きタチレクに出る。タイ側のイミグレ役人が何をしに行くのかと聞くので観光だと答える。タチレク側のイミグレは感じが良い。日本人に親切。
タチレクのイミグレでミャンマーのアライバルビザを取れるようになったらしい。2週間と4週間。4週間のほうは飛行機でヤンゴンまでいける。(これは後に廃止)
タチレクのティーショップはのんびりできる。
バンブーゲストハウスに移る。よくない。
【チェンライ】
7日。メーサイを出て、チェンライへ。ブーンブンダンに入る。
16日。引き続きチェンライで生活。新聞や本を読むだけ。良い妄想は妄想に過ぎないが、悪い妄想は現実。良い妄想にとりつかれても幸福とはいえないが、悪い妄想にとりつかれたら確実に不幸。
18日。午前2時ごろ。タイマッサージ屋のアカ族の子マリが突然部屋に来た。以前友だちと二人で来たことがある。今度は一人で。アカ族と中国人の混血で22歳。英語を少し話す。現金のやり取りはなかった。が、すぐに月いくらくれるかという話になる。距離を置かざるを得ない。
チェンライのタイ人(タイ族)はチェンマイよりさらに感じが悪く、中国人は反日的。ゴーゴーバー街に近い中国茶店のオヤジは華字紙の「殺人魔」という見出しをわざわざ私に見せ、日本人はこれだという。
29日。別のマッサージ屋の24歳のアカ族の子ムイも中国人との混血。メーサロン出身。漢字名を持ち、自分の名前は書ける。黄玲梅(ホアリンムイ)という。阿梅(アムイ)とか梅花(ムイファ)とも呼ばれる。

【メーサイ・タチレク】
4月1日。ブーンブンダンゲストハウスをチェックアウト。チェンライバスターミナルより、メーサイ行きのローカルバスに乗る。3時ごろメーサイ着。スリラートレストランにチェックイン。リンカフェでネット三昧。林という日本語を話す中国人の経営するネット屋。
3日。タチレクに入る。カフェでインスタントコーヒー。タチレクのほうが落ち着けるし、人の感じも良い。ネパール人が経営する茶屋でチヤ。
【チャイントーン】
4日。KyaingTongチャイントーンへ。午前中にイミグレを出て、ミャンマーイミグレにビザを申請。4週間ビザが取れる(ただしスタンプと手書きのみ)。写真2枚要。25ドル。ミャンマーイミグレが車を呼んでくれる。ミャンマーイミグレのビザ係の女の人も親切。万田久子を若くして顔を小さくしたような美人(3ヶ月ほど後はいなくなる)。
ポンコツ車で3時間かけてチャイントーンへ。他に3人タイ人が乗っていたが、このときはさほどひどくなかった。車代500B。LonelyPlanetで見つけたノイイーホテルにチェックイン。コールドシャワー200B(5ドル)。
5日。ノイイーホテルは自家発電で、11時頃になると停電になる。蝋燭だけ。大きなマーケットに行き闇両替。1000チャットが48バーツ。1000バーツ両替。2万ちょっと。
角のお茶屋の隣にネパール人のミルク屋がある。ダヒ(ヨーグルト)200K。祖父が戦争のときグルカ兵でミャンマーに来てそのまま定着したらしい。二人姉妹と兄弟の三人でやっている。ネパールには一度も行ったことはないそうだが、ネパール語を話す。英語はあまりできない。若いネパール人の親戚が二人来ていた。一人はアーリア系でもう一人はモンゴロイド系。パキスタン人のインド料理屋で夕食。
ステージショーがあるというので行ってみる。500チャット払って運動場のようなところに入ると屋台などがいくつかあり、ステージでローカルポップを演奏している。別のネパール人のミルク屋がダヒの屋台を出していて、声をかけられる。メーサイに6年も不法滞在して働いていたとかでタイ語もできるが英語もよくできる。普段はマーケットに屋台を出しているという。
6日。朝9時半ごろマーケットに行くと、昨夜のネパール人はもう店じまいをしているところだった。後は外回りをするという。
MMB(ミャンマー・メイフラワー・バンク、五月花銀行)に寄って両替レートを聞こうとすると、ちゃんと制服を着た感じのいいお姉さんに、当店では両替はやっていないので(ブラック)マーケットに行けと言われる。ここではブラックマーケットが公認両替屋のようだ。
ヤンゴンエアウェイズのオフィス(小さな店のようで女の人が一人だけいる)に行き、マンダレー行きの飛行機を予約する。10日午後1時半発。89ドル。9日に支払えばいいとのこと。エアマンダレーのオフィスでも聞いたが同じ値段だった。ドル払い。
ドルを作るため、マーケットに行き、バーツをドルに両替。親切なムスリムインド人のオヤジに昨日とは別の両替屋のところに連れて行ってもらう。1ドル40バーツで500ドル買う。このインド人は親切で朝も道を教えてくれた。英語ができる。
7日。ミャンマー人は概して親切で、しかし媚びない。外国人に尻尾を振ることもない。タイ人のようにもったいぶったりせず、ネパール人のように腰が軽い。シャン族でも同じ。日本語のできるシャンが何人かいて、時々日本語で話しかけてくる。ネパールみたい。
ダヒ屋のネパール人を捜してマーケットを歩いていると、突然人に呼びとめられる。誰かと思うと女の子で、どこかで見た顔。チェンマイで行きつけだったタペー通りの喫茶店のウェートレスだった。女友達と二人で同じノイイーホテルに泊っているらしい。女友達がチャイントーンの人と結婚するのだとか。
【ロイムウェ】
8日。11時ごろマーケットのへんでバイタクを雇い、ロイムウェという村に向かう。4000チャット。マーケットのネパール人に教えてもらった、コ・トゥン・ルという人を訪ねる。ロイムウェには1時に着。ネパールの山村をこぎれいにして家のつくりをゆったりさせたようなところ。トゥンルの奥さんを見つけた。雑貨屋のような店をやっている。若くてきれいでニコニコしている。カヤ族の女性。ちょっとタマンみたいな感じで、うなずくときにエーエーというのも山のタマンみたい。突然訪ねてきた異邦人を店に入れて席を勧めてくれ、お茶まで出してくれた。トゥンルはアカ族で、この奥さんはカヤ州からこの村に嫁に来たという。カヤ州は鎖国状態。彼女はカヤの村とこの村しか知らず、町に出たことはない。しかし英語をかなり話す。悲しいかなクリスチャン。英語はカヤ州の村の教会で教わったのかもしれない。そうでなくてもミャンマーでは小学校でも英語を教えるので、小学校に行った人は少しは英語を話せることが多いようだ。この村がネパールと違うのは血や糞がころがっていないこと。こぎれいで、家が広々としていること。ロイムウェに着いてから夕立になった。トゥンルは技師で、テレビ塔の勤めに出ていて留守。会えず。雨が上がってから帰る。ロイムウェにも良いお茶屋がある。
9日。午前中ヤンゴンエアウェイズに行き、エアチケットを買う。89ドル。受付のシャン族の女の人がニコニコして親切。ミャンマー旅行に関するルート作りやらいろいろなことをくどくどと聞いてもうるさがらずに答えてくれる。同族でもタイ人とはえらい違い。タイ語とシャン語とではかなり違うところもあるようだ。お茶はタイ語でナムチャだがシャン語ではナムラ。ビルマ語ではラペイエ。
【マンダレー】
10日。12時半ごろノイイーホテルを出る。リクシャでチャイントーンのエアポートへ。チェックインカウンターにチャイントーンのヤンゴンエア事務所のお姉さんがいた。役人がうるさく荷物をチェック。ノーと強くいうと何もいわくなる。もういいだろという意味。賄賂を取る口実くらいのもの。プロペラ機でへーホー経由、マンダレーへ。
マンダレー空港に着くと、タクシー業者が寄ってくる。市内まで8000チャット(10ドルほど)だという。どうしても安くならない。マンダレー空港から市内までは45キロもある。ロンプラにあったトーンザラットホテルは満室。その向かいのサバイプユホテルにチェックイン(サバイといってもタイ語ではないらしい。サバイプユはビルマ語でハスの意味だとか聞いた)。5ドル。コールドシャワーにエアコンつき。トイレットペーパーがネパールでよくみた赤いやつ。
マンダレーは予想以上の大都会。巨大都会と言ってもいい。道も広く車も多い。どうせチェンマイくらいの町で、ミャンマーだから寂れてるのだろうと思っていたが、まったく間違っていた。
11日。マンダレーのホテルはどこもそうらしいが、部屋代が朝食込み。あまりうまくないトーストとフルーツとお茶。パンにはイギリスパンの面影がなくはない。タイのよりはいい。ホテルのフロントやレストランのウェートレスも白人に媚びるということがない。みんな英語がよくできる。
マンダレーのティーショップは、タチレクやチャイントーンと違い、注文しないものをテーブルに並べることはしない。屋根なしのサイクルリクシャ(トライショー)でマンダレーヒルまで行く。800チャット。マンダレーヒルには靴を脱いで登る。仏像にネオンサインがついていることがある。パチンコ屋のネオンみたいな動くやつが光背についていたりする。その前で小僧が跪いて祈る。
【タジ】
12日。10時過ぎに出て、バスでメイティラへ。バスに乗るのに一苦労する。3時ごろメイティラに着く。ここでタジThazi行きの乗り物をさがすのに一苦労。タジ行きソンテウ(のようなピックアップ)を見つけて乗るが、水祭りの猛攻撃を受け狙い撃ちに。タジに着いたのが4時過ぎ。ムーンライトゲストハウスというところにチェックイン。暑い部屋。4ドル。連泊することにして3ドルにしてもらう。タジは小さい何もない町だが、メイティラよりこざっぱりして水かけもすくない。祭りが終了するまでここに滞在することにする。マンダレーからメイティラまでバス代5000チャット。メイティラからタジまでソンテウ(?)300チャット。マンダレーでメイティラ行きのバスが出るのは「ハイウェーステーション」というところ。ここが始発らしい。
13日。宿の人はみんな英語はよくできる。アメリカ帰りという兄ちゃんがいる。宿で売っているロンジを一枚買う。はいてみると気持ちいい。女物はタメイという。作りは同じだが、はき方が違う。お茶屋を転々とする。
いちばん年寄りの婆さんがきれいな英語を話し、私に戦時中の日本軍の話をあれこれ言おうとしたのでさえぎった。英語がうますぎるので戦前にイギリス人の女だったのかもしれない、それで日本人に何か含むところがあるのかもしれない、などと想像した。
14日。アメリカ帰りの兄ちゃんは食事に来る白人客とさかんにしゃべっている。へらへらして白人客が食事中にうちわであおったりしていた。
【トーンジー】
15日。午前4時前にゲストハウスを出て駅に向かう。馬車馬がしゃがんで寝ていた。5時半ごろか6時ごろか、なんとか汽車は出た。眠っていて、気がついたら明るくなっていた。駅(小さな駅舎らしいものがあるだけ)にとまるたびに、少し水をかけに来るが、そんなにひどくはないし、窓ガラスがある。汽車がスイッチバック方式で坂を上る。これは初めて経験した。「アッパークラス」の列車に乗る。7ドル。オーディナリークラスは3ドル。どちらもツーリストプライス。
朝10時半ごろ、まだカラウに着く前に列車が脱線。動かなくなる。代替車か料金払い戻しを近くの駅の駅員に談判しても埒があかず。場所はカラウから6マイルも手前。他の人たちは歩いて散っていった。諦めが早い。ツーリストは私以外乗っていなかった。駅員が車を用意するからカラウまで行って待てという。車代はタダだという。しかしそれはみんなウソだった。車はホテルのもので、有料。カラウのセントラルホテルに泊ることにする。
16日。朝6時にバス乗り場でチケットを買い、ティーショップで食事。ホテルの朝食(料金込み)はまずい。カラウは開けた町でインド系も多い。私にはなんとなく魅力がない。ツーリストのための町という感じ。ローカルツーリストも多い。バスは7時半に来て、10時ごろタウンジ(トーンジー)のマーケットの近くに着く。
トーンジーはかなり大きな町で、大きな通りがある。標高が高いせいか肌寒いほど。カラウからトーンジーまでの道はでこぼこだった。トーンジーはかなり盛大に水掛をやっているが、被害はない。通行人には知り合い以外やたら水をかけないし、やめてくれと合図すればやめてくれる。不意打ちのようなことはカラウで一回あっただけ。ロンプラに載っていた大通りのKhemarat Hotelにチェックイン。トイレシャワー共同しかも水シャワーで5ドル。この町はインド系がいままでにまして目立つ。夜は半そででは寒いほど。夜、アジア女を連れた白人を一人見た。大通りにシーク教寺院。モスクもある。
17日。今日が新年。せっかくトーンジーに来たのに。マーケットなど閉まっている。(ミャンマーのマーケットは塀で囲まれた一種の城砦都市のようなもの。夜は無人になり門に鍵がかけられる)。外では商売をしている。モスクの近くであったインド系ミャンマー人の青年にいろいろ案内してもらう。カネも取られず、それどころかバス代まで出してくれた。カシミール人のような顔(ギリシャ系の顔)をしているし、会ったのがモスクの近くだったので、てっきりムスリムかと思っていたら、仏教徒だった。メインストリートの仏教寺院に入って、跪いて3度頭を地につける礼拝をしていた。
18日。マーケットは今日も休みだが、隣の横丁の市場はにぎやか。黒や紺の衣装のパオ族の人たちが目立つ。頭にカラフルなバスタオルをターバンのように巻きつけて、チベット風の(ネパール山岳民族風の)ショルダーバッグを提げている。ネパールのよりカラフル。女は黒か紺のロンジの下に細いズボンをはいていて、男はタイ族のようなゆったりしたスラックスだがこれも紺のみ。
19日。ヤンシュエまでソンテウでいく。インレー湖を見るためにはボートを借切らなければならない。外国人とミャンマー人とはまったく別のボート。ローカルボートには外国人は乗れない。ボートはあきらめる。ヤンシュエはひなびた観光地という感じ。白人が2、3人。インターネットにアクセスできるというところがあり(ミャンマーでは原則としてwwwにアクセスしていけないことになっているそうだ)、ホットメールのチェックもできるというが、30分2000チャット(ミニマム)。ヤンゴンとマンダレーに地下サーバーがあり、違法にやってるということだった。違法といっても看板も出しており(ホットメールとヤフーメールのチェックができるという)、半公認のよう。ヤンシュエは別に魅力もない。お茶屋もひどくぼってきた。ホテルは安い(多いから)。トーンジーは何があるわけでもないし、整備されすぎていて古い家など見当たらないが、観光地でないところが良いし、空気もすがすがしい。
21日。12時ごろ、トーンジーのエンパイアホテルの角をしばらく入ったところにあるピックアップ乗り場から、ピックアップのフロントシートに乗り、メイティラに向かう。3000チャット。荷台は2000チャット。メイティラについたのが夜8時ごろ。
メイティラについてからが大変だった。車を降りるとすぐにコミッション狙いの男たちにつきまとわれる。それをふりきってハニーホテルをさがすのにひと苦労。ハニーホテルは夜遅いのでこちらの足元を見て15ドルと吹っかけてくる。断ってそこを出て、荷物を持ったまま夜道をふらふらする。やけっぱちな気持ちで、いっそお寺に泊めてもらおうかと思って、境内に入ってみると、坊さんがヴィパッサナの立ち瞑想をしていた。最初はまったく気づかなかった。変なところに像があるなあと思って通り過ぎるようとしてはっと気づくと生きた坊さんだった。立ち瞑想のための場所がちゃんとあり、それがそこに身じろぎもしないで立っていた。こちらが近づいてもまったく無反応。そのあと寺の前の茶屋で、お茶一杯200チャットをふっかけられて腹を立てる。普通は100チャット。80チャットもある。チャイントーンの角のお茶屋は70チャット。捨て鉢な気持ちでふらふらしていると(どうしてそれほど捨て鉢な気持ちになったのか自分でもよくわからないが)、日本語で声をかけられた。15年前に日本にいたことがあるという、少し日本語を話すそのおじさんに事情を話すと、その人の家の向かいにある8ドルのモーテル(ゴールデンドリーム)を紹介してくれた。そこに泊る。
22日。午前11時ごろまでにピックアップ乗り場を自分でさがしあてる。ピックアップバスの後ろの長椅子にのり、ピンマナに向かう。砂ぼこりで全身が汚れる。道は悪くない。午後4時ごろピンマナ着。フェニックスモーテルにチェックイン。トイレシャワー共同の部屋が7ドルもする。ミャンマー人は2000チャット。メイティラでもトーンジーでもトライショーは見なかったが、ピンマナにはトライショーが多い。馬車もメイティラ同様に多い。フェニックスモーテルは発電機らしい音で夜うるさい。反対側に部屋を変えてもらう。
23日。24日発のバスチケットを買う。ヤンゴン行きエアコン2450チャット。ほとんど満席で23日のは売り切れ。一日歩き回る。
【ヤンゴン】
24日。夜行バスに無事に乗る。「エアコン車」だが、エアコンはなし。JRバスのお古で、フソー製だがエンジンはあまりよくない。途中でタイヤ交換。隣の席の若いミャンマー女がひっきりなしにゲロを吐いていた。袋が足りないようだったので、ビニール袋をやった。ちょっとインテリ風の感じだったがタメイをはいていた。
25日。午後5時半ごろヤンゴンのバスステーションに着く。市バスに乗り換えるが、どこに向かっているのかどこで降りればいいのかわからない。30分か40分乗っていると少し都会になって、たまたまロンプラに出ていたライライホテル(来来旅館)を見つける。すぐにその次のバス停で降り、行ってみるが、12ドルのシングルはフル。そこの感じの良い中国系の若者に、近いホテルを紹介してもらう。Full Wealth Hotel(大富華旅館)。10ドル窓なしの部屋にチェックイン(エアコンあり)。ライライホテルのある通りとと平行に走る大通り(アノーラータ通り)から、シュウェドンダンロードを北に少し入ったところにある。このあたりは中華街。しかしバンコクの中華街とはまったく違う。閑散として旅社もない。市バスは最高に古くて20チャット。床が板張り。
26日。スレパヤの傍らの旅行代理店で航空券を買う。タチレクまで買おうとしたが120ドルもする。ヤンゴンエアもエアマンダレーもこれは同料金。チェンマイまでは、エアマンダレーがプロモーション中ということで75ドルだった。チェンマイまで買う。
27日。夕方なんとなくヤンゴン川を大きな渡し舟で渡り、どこにいくかもわからないままバスに乗る。レココンビーチに行くらしいので乗っていた。終点まで行ったときはもう暗くなっていた。ホテルも帰りの車もない。茶屋の兄ちゃんにお寺に案内してもらう。坊さんに頼んでお寺に泊めてもらえることになり、坊さんに言われるまま水浴びをして出てきたら、警察がいっぱい来ていた。しつこい尋問を受けヤンゴンまで護送される。タクシー代12ドルを払わされたが、運転手でなく警察官のほうに払わされる。おそらくこのカネも運転手でなく警察官の懐に入ったのだろう。運転手は受け取ろうとしなかった。ヤンゴンに入ってからも、この私服(ロンジー)のいやらしい感じの警官がつきまとおうとするのでふりきった。
28日。夕方アノーラータ通りを歩いていると、すぐ後ろで日本語を話す声が聞こえたので、思わず振り返って声をかけた。おじさんと若い男。おじさんの方とそのあとしばらくぶらぶらする。このオヤジ昨夜ナイトクラブ「エンペラー」で売春詐欺にあい30ドルほど騙し取られたそうだが、全然怒っていないのに驚く。店に全額前払いして女の子を連れ出し自分のホテルの部屋に連れ込んだところ、女の子がおなかが痛いと言い出して帰すしか仕方がなくなったのだという。本当ならバカまるだし。会社をやっているというが頭が悪そうで声が下品。8時ごろ別れる。
【チェンマイ】
29日。朝9時ごろホテルの少年にタクシーを呼んでもらい空港へ。ヤンゴン空港はマンダレー空港よりずっと小さい。わかりにくいところで空港税を払いチェックイン。出国のイミグレで係員たちが少しもめていたようだった。タチレク発行のビザがスタンプと手書きだけだったからだろう。このあとファランの坩堝のようなところにいくと思うと気が重い。エアマンダレー。国際線だがプロペラ機。ミャンマーの12時半発、チェンマイに着いたのはタイの2時。約1時間のフライト。ヴァラナンゲストハウスにチェックイン。

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