バンドゥン 1/30
午前10時ごろチパナスCipanasのポンドック・プサカPusakaをチェックアウト。アンコタでガルッGarutのアンコタターミナルのようなところまで行き、そこでバスターミナルに行く別のアンコタに乗り換える。
バスターミナルで降りるとすぐにバンドゥンのチチャフゥムCicaheumバスターミナル行きのミニバスが見つかる。
バンドゥンへ行く途中、チビルCibiruという町を通る。いろいろなところをまわっていてなかなかバンドゥンに着かない。
午後1時ごろようやくチチャフゥム・バスターミナルに着。ジャラン・ガルドゥジャティGardujatiに行くという06番のアンコタに乗る。しかし、ガルドゥジャティだといって降ろされたところはガルドゥジャティではなく、結局もう一度乗り換えることに。
午後2時過ぎ、Jl.ガルドゥジャティのホテル・チトラCitraにチェックイン。
Citraのおっちゃんの車(ぼろぼろのダイハツのミニバン)でJl.Sundaにあるマレーシア航空の事務所まで乗せてもらい、KL行きの航空券をリコンファームする。ここはホテル・イスタナやナリパンからなら歩いて行ける。
その後、Citraから歩いていけるところにある新しく出来た私立病院Santosa Bandung International Hospitalに連れて行ってもらう。この病院は鉄道駅の近く。
頭の傷の糸を抜いてもらう。Garutの診療所では確かに4針と言っていたが、糸は3本だった。
Santosaはとても清潔で近代的な病院。KLのパンタイ・メディカル・センターなどよりずっと清潔で設備もよさそうに見える。
夜、チトラのロビーで30歳くらいに見える日本女に会う。インドネシア人の平均から見てもかなり色黒な日本語を話す若いインドネシア人男を連れている。
一緒に旅行しているが「カップルではない」という。確かにそのようだ。
女のほうはバリ島在住の日本人だという。タバコをすぱすぱ吸い、「インドネシア語も英語もしゃべれない」と平然と言う。これには驚いた。
私が一人で旅行しているのをよほどすごいことのように言い、目を見張るようにして「英語はなせるの?」と聞く。「いやいやぜんぜん」と答えるほかない。
バリ島に「日本人社会」があって、その中にどっぷり漬かってその中だけで生活しているのだろうか。
私は在外日本人社会には肯定的だが、そのことはともかくとして、インドネシアに住んでいるのにインドネシア語がほとんどできず英語もダメというのでは、自分の利益も自分で守れないのではないか?トラブルが起きたら全部、今日連れていたような日本語の出来るインドネシア人や日本人仲間にお任せするのだろうか。
敗戦まではアジア各地に日本人社会があり、それらは日本民族の財産だったはずだが、敗戦とともにほとんど消滅してしまった。いろいろな理由があるのだろうが、しかし、たとえば在外中国人社会やインド人社会は、中国やインド本国が破綻したり国家滅亡の危機に瀕したりしたからといって消滅することがあるだろうか。まずあり得ないだろう。この対比から教訓を学ぶ必要はあるのではないか?
私は、はっきり言って、この女のような日本人女のシマリのなさが気持ち悪くて仕方がない。
インドネシア男のほうは、肌だけは白いこの女といつかヤレルかもしれないし日本に行ったり日本人ネタで金を稼ぐチャンスもあるかもしれないと思って、こんなつまらない女と一緒に「カップルでない」旅行をして面倒を見てやっているのだろうか。
確かに部屋も別々でカップルではないようで、ガイドとして金を払って雇っているのでもないようで、ただの「お友達」のようである。そのあとこの男がロビーなどでひとりで待たされているのをしばしば見かけた。女といるときと一人でいるときとでは表情から何から違う。日本人女がいるときには明るい表情を作って私にも話しかけてきたりするが、一人でいるときはふてくされた顔をして私を見ても一言も口をきこうとしない。
インドネシアを旅行するには、少なくともインドネシア語をしゃべる意志・学ぶ意志は必須であろう。これはタイにおけるタイ語の比ではない。
金も払わずヤラセもせず、通訳も全部おまかせして、ただの「お友達」として困ったときに利用だけして一緒に旅行できるという考えでやっているらしい。
私はこれは、戦後日本固有の空想的自由主義、空想的個人主義の実践以外のなにものでもないと思う。学校教師などが教え込んでいる、あいまいな個人主義と「性善説」とが奇妙に都合よく結びついた空想的な人間関係観をそのまま妄信し、実践しているだけのものと思われて仕方がない。
このような都合のよい人間関係が現実的であるはずもなく、いつかその「借り」を返さなければならない時が来るだろう。本人が手ひどい目にあって現実に直面し「借り」を返すことになるというのなら良い。しかし問題は、日本人全体が、あるいは日本全体が、量産されたこの種の空想家たちの妄動の「借り」を返さなければならないことになる恐れがないとはいえないことである。
海外で見かけるこの手の日本女の特徴をひとことで言ってしまうと、「中途半端に××(2字伏字)なこと」である。○○(2字伏字)は現実に財になるから論ずるに値する。もっとハッキリと××(2字伏字)だったらもうすこしマジメな生き方を模索するかもしれない。この程度の女でも日本人女なら海外ではそれなりにいい思いが出来るのだろう。
31日。
駅の北にあるバンドゥン・インダ・プラザ(ジャラン・アチェから北に入ったところ)の隣にあるインターネット屋に行く。いろいろ聞き歩いて探し当てた。しかしここも日本語IMEのインストールは出来ず、日本語表示は出来るが書けない。非常に遅くて不安定。
ネット屋にいるとたまたま昨日の日本人女が入ってきた。ここはチトラからは遠く離れたところで、宿の人も知らなかったところなのだが、どうやって見つけてきたのか。偶然である。バンドゥンは大きな町なのだが。
夜、宿に帰ると今度は毛唐である。禿げた白人オヤジが来ていた。白人は必ずロビーで自己の空間を主張しようとする。しかし、スタッフは英語は一言も話せない。ローカル客もだいたい同じようなもの。結局うろうろとしただけで誰にも相手にされず部屋に引き下がって行った。こういうところは白人ガイドブックでは「フレンドリーでない」「ツーリストに不親切」などの評価が下される。
2月1日。
昼過ぎまで寝て下に降りると、例の白痴女がインドネシア男とロビーに陣取っていた。白痴女に対するインドネシア人男の気の使いようは大変なものである。外で食事と買い物をして戻る。まだそこにダラッと溜まっていたが、コンビニAlfa Martで買ってきたアイスクリームを食べたかったのでちょっとそこに座る。
聞けば、昨日のネット屋も全部このインドネシア男に聞いてもらい見つけてもらって行ったらしい。この女は本当に、インドネシア語も英語もぜんぜん出来ないようだ。チトラのおっちゃんがインドネシア語の初級文法的なことを教えてやっていた。
確かにこういう男を連れて歩くのは便利なわけだ。しかし、世間の人は「肉便器」などというハシタナイ悪口を言うが、そういう悪口はよくないのである。この女はヤラセもしないで、途上国の男を利用しコキ使っている。これはサクシュではないのか?
こんなことができるのはもちろん、この白痴女がたまたま先進国に生まれて、日本国の威光を背負っているからにほかならない。
ITB(工科大学、イ・テ・ベ)に行ってみることにした。大学の近くにはネット屋があるかもしれない。ダゴDago行きのアンコタでITBに向かう。
ITBの学生が、大学の近く(キャンパスの北側の道を右に行ったところの左手)のK100というネット屋に案内してくれた。日本語IMEが使えた。ブログの更新などをする。
ネット屋に夜11時ごろまでいた。遅くなりすぎて帰るアンコタがない。通りがかるのは郊外に行くのばかりで、スタシオン(鉄道駅)方面に行くアンコタはもうないという。
仕方がないので数キロの道を歩いて帰ることにする。しばらくあるくとスタシオンまで行くというアンコタが見つかる。しかしこういうのは貸切タクシーになりがちである。他に客も乗っていたが。
鉄道線路を右に渡ったジャラン・ブラガBragaの近くで降りる。やっぱり、アンコタ運転手が遠回りしたといって1000ルピア余分に取る。最初は4000ルピア取ろうとしたが3000にさせた(普通は2000)。夜遅かったし実際助かったのであまり争わなかった。バンドゥンの町はずれの夜道は必ずしも安全ではないと聞いていた。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


最近のコメント