s-id.バンドゥン

2007年2月 8日 (木)

バンドゥン 1/30

午前10時ごろチパナスCipanasのポンドック・プサカPusakaをチェックアウト。アンコタでガルッGarutのアンコタターミナルのようなところまで行き、そこでバスターミナルに行く別のアンコタに乗り換える。

バスターミナルで降りるとすぐにバンドゥンのチチャフゥムCicaheumバスターミナル行きのミニバスが見つかる。

バンドゥンへ行く途中、チビルCibiruという町を通る。いろいろなところをまわっていてなかなかバンドゥンに着かない。

午後1時ごろようやくチチャフゥム・バスターミナルに着。ジャラン・ガルドゥジャティGardujatiに行くという06番のアンコタに乗る。しかし、ガルドゥジャティだといって降ろされたところはガルドゥジャティではなく、結局もう一度乗り換えることに。

午後2時過ぎ、Jl.ガルドゥジャティのホテル・チトラCitraにチェックイン。

Citraのおっちゃんの車(ぼろぼろのダイハツのミニバン)でJl.Sundaにあるマレーシア航空の事務所まで乗せてもらい、KL行きの航空券をリコンファームする。ここはホテル・イスタナやナリパンからなら歩いて行ける。

その後、Citraから歩いていけるところにある新しく出来た私立病院Santosa Bandung International Hospitalに連れて行ってもらう。この病院は鉄道駅の近く。

頭の傷の糸を抜いてもらう。Garutの診療所では確かに4針と言っていたが、糸は3本だった。

Santosaはとても清潔で近代的な病院。KLのパンタイ・メディカル・センターなどよりずっと清潔で設備もよさそうに見える。

夜、チトラのロビーで30歳くらいに見える日本女に会う。インドネシア人の平均から見てもかなり色黒な日本語を話す若いインドネシア人男を連れている。

一緒に旅行しているが「カップルではない」という。確かにそのようだ。

女のほうはバリ島在住の日本人だという。タバコをすぱすぱ吸い、「インドネシア語も英語もしゃべれない」と平然と言う。これには驚いた。

私が一人で旅行しているのをよほどすごいことのように言い、目を見張るようにして「英語はなせるの?」と聞く。「いやいやぜんぜん」と答えるほかない。

バリ島に「日本人社会」があって、その中にどっぷり漬かってその中だけで生活しているのだろうか。

私は在外日本人社会には肯定的だが、そのことはともかくとして、インドネシアに住んでいるのにインドネシア語がほとんどできず英語もダメというのでは、自分の利益も自分で守れないのではないか?トラブルが起きたら全部、今日連れていたような日本語の出来るインドネシア人や日本人仲間にお任せするのだろうか。

敗戦まではアジア各地に日本人社会があり、それらは日本民族の財産だったはずだが、敗戦とともにほとんど消滅してしまった。いろいろな理由があるのだろうが、しかし、たとえば在外中国人社会やインド人社会は、中国やインド本国が破綻したり国家滅亡の危機に瀕したりしたからといって消滅することがあるだろうか。まずあり得ないだろう。この対比から教訓を学ぶ必要はあるのではないか?

私は、はっきり言って、この女のような日本人女のシマリのなさが気持ち悪くて仕方がない。

インドネシア男のほうは、肌だけは白いこの女といつかヤレルかもしれないし日本に行ったり日本人ネタで金を稼ぐチャンスもあるかもしれないと思って、こんなつまらない女と一緒に「カップルでない」旅行をして面倒を見てやっているのだろうか。

確かに部屋も別々でカップルではないようで、ガイドとして金を払って雇っているのでもないようで、ただの「お友達」のようである。そのあとこの男がロビーなどでひとりで待たされているのをしばしば見かけた。女といるときと一人でいるときとでは表情から何から違う。日本人女がいるときには明るい表情を作って私にも話しかけてきたりするが、一人でいるときはふてくされた顔をして私を見ても一言も口をきこうとしない。

インドネシアを旅行するには、少なくともインドネシア語をしゃべる意志・学ぶ意志は必須であろう。これはタイにおけるタイ語の比ではない。

金も払わずヤラセもせず、通訳も全部おまかせして、ただの「お友達」として困ったときに利用だけして一緒に旅行できるという考えでやっているらしい。

私はこれは、戦後日本固有の空想的自由主義、空想的個人主義の実践以外のなにものでもないと思う。学校教師などが教え込んでいる、あいまいな個人主義と「性善説」とが奇妙に都合よく結びついた空想的な人間関係観をそのまま妄信し、実践しているだけのものと思われて仕方がない。

このような都合のよい人間関係が現実的であるはずもなく、いつかその「借り」を返さなければならない時が来るだろう。本人が手ひどい目にあって現実に直面し「借り」を返すことになるというのなら良い。しかし問題は、日本人全体が、あるいは日本全体が、量産されたこの種の空想家たちの妄動の「借り」を返さなければならないことになる恐れがないとはいえないことである。

海外で見かけるこの手の日本女の特徴をひとことで言ってしまうと、「中途半端に××(2字伏字)なこと」である。○○(2字伏字)は現実に財になるから論ずるに値する。もっとハッキリと××(2字伏字)だったらもうすこしマジメな生き方を模索するかもしれない。この程度の女でも日本人女なら海外ではそれなりにいい思いが出来るのだろう。

31日。

駅の北にあるバンドゥン・インダ・プラザ(ジャラン・アチェから北に入ったところ)の隣にあるインターネット屋に行く。いろいろ聞き歩いて探し当てた。しかしここも日本語IMEのインストールは出来ず、日本語表示は出来るが書けない。非常に遅くて不安定。

ネット屋にいるとたまたま昨日の日本人女が入ってきた。ここはチトラからは遠く離れたところで、宿の人も知らなかったところなのだが、どうやって見つけてきたのか。偶然である。バンドゥンは大きな町なのだが。

夜、宿に帰ると今度は毛唐である。禿げた白人オヤジが来ていた。白人は必ずロビーで自己の空間を主張しようとする。しかし、スタッフは英語は一言も話せない。ローカル客もだいたい同じようなもの。結局うろうろとしただけで誰にも相手にされず部屋に引き下がって行った。こういうところは白人ガイドブックでは「フレンドリーでない」「ツーリストに不親切」などの評価が下される。

2月1日。

昼過ぎまで寝て下に降りると、例の白痴女がインドネシア男とロビーに陣取っていた。白痴女に対するインドネシア人男の気の使いようは大変なものである。外で食事と買い物をして戻る。まだそこにダラッと溜まっていたが、コンビニAlfa Martで買ってきたアイスクリームを食べたかったのでちょっとそこに座る。

聞けば、昨日のネット屋も全部このインドネシア男に聞いてもらい見つけてもらって行ったらしい。この女は本当に、インドネシア語も英語もぜんぜん出来ないようだ。チトラのおっちゃんがインドネシア語の初級文法的なことを教えてやっていた。

確かにこういう男を連れて歩くのは便利なわけだ。しかし、世間の人は「肉便器」などというハシタナイ悪口を言うが、そういう悪口はよくないのである。この女はヤラセもしないで、途上国の男を利用しコキ使っている。これはサクシュではないのか?

こんなことができるのはもちろん、この白痴女がたまたま先進国に生まれて、日本国の威光を背負っているからにほかならない。

ITB(工科大学、イ・テ・ベ)に行ってみることにした。大学の近くにはネット屋があるかもしれない。ダゴDago行きのアンコタでITBに向かう。

ITBの学生が、大学の近く(キャンパスの北側の道を右に行ったところの左手)のK100というネット屋に案内してくれた。日本語IMEが使えた。ブログの更新などをする。

ネット屋に夜11時ごろまでいた。遅くなりすぎて帰るアンコタがない。通りがかるのは郊外に行くのばかりで、スタシオン(鉄道駅)方面に行くアンコタはもうないという。

仕方がないので数キロの道を歩いて帰ることにする。しばらくあるくとスタシオンまで行くというアンコタが見つかる。しかしこういうのは貸切タクシーになりがちである。他に客も乗っていたが。

鉄道線路を右に渡ったジャラン・ブラガBragaの近くで降りる。やっぱり、アンコタ運転手が遠回りしたといって1000ルピア余分に取る。最初は4000ルピア取ろうとしたが3000にさせた(普通は2000)。夜遅かったし実際助かったのであまり争わなかった。バンドゥンの町はずれの夜道は必ずしも安全ではないと聞いていた。

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2007年2月 1日 (木)

バンドゥン 1/8

やはり日本語を話すアジア人は、しばらくしゃべっているとしまいにくだらないことを言い出しがちなものである。

外国語をしゃべる人は、自分がしゃべる内容よりも、「しゃべること自体」に意義を見出しがちなので、自分の語学力を確認するためにもどうでもいいことを際限なくしゃべり続けることになり、やがて必然的に?くだらないことをしゃべってしまうということもあるのかもしれない。

「日本が攻めて来なかったらバンドゥンは(オランダの引きで)インドネシアの首都になるはずだった」「バンドゥンはジャワのパリ(バリではない)と呼ばれていた」

ジャラン・ガルドゥジャティのホテルCitraのおっちゃんの弁。この人決して感じの悪い人ではないのだが。

「日本が攻めて来なかったら」・・・・・インドネシアはまだ十分にオランダの植民地だろうが・・・・・

なんて言ったら怒るだろうか。しかし、「フレンチポリネシア」なんて例もある。いまだに欧米の植民地であることに満足しきっているということだって現実にあるのだ。ハワイだってグアムだって・・・。

「日本が攻めて来なかったら」・・・・アメリカに移管されているくらいが関の山。あるいは分割されていろんな白人諸国の植民地になり、インドネシア全域がバリやタイのようになっていたかもしれない。統一して独立したインドネシアなんて夢のまた夢。

・・・・・と私は思うのだが。

わざわざ分厚いバンドゥンの歴史の本を持ってきて見せてくれた。インドネシア語の本だったが、日本軍の写真なども載っている。日本兵が整列して体操している写真とか。

今バンドゥンでは白人はめったに見ない。外国語もめったに通じない。ラオスやカンボジアと違って、オランダ語を話している学生とか若者なんてのは絶対に見ない。(ラオスではネット屋で高校生がフランス語できゃっきゃとしゃべくっていた。カンボジアにも英語はまったくだめだがフランス語が話せると言うレストランのおじさんがいた。)

鉄道線路の北の緑が多い地域は昔はオランダ人居住地区だったという。インドネシア人は主に線路の南に住んでいたという。しかし、いまは線路の南にいってもデパートの中のマクドナルドなどを覗かない限り、白人を見かけると言うことはめったにない。

インドネシア人は独力でオランダとかけあって、線路の北の緑多い地域に気持ち良く住み着いていたオランダ人たちを追い出すことができたとでもいうのだろうか?

このおっちゃんは長く日本人相手の仕事をしていて、日本語ガイドとしてボロブドゥールに千回登ったというから、日本人のことを良く知っているのだろう。日本人の多くは、過去の戦争の話をして日本軍を批判してやると、恐縮するだけでなく却って感心し、喜びさえし、畏まる、と言うことを十分知った上でやっていることだろう。

日本人客のほうもおそらく深い考えはなく、どう接していいかよくわからない外国人とのあいだの気まずい「間」を埋めるために、手っ取り早く共通の共感できる話題を引っ張り出そうとし、戦後の学校で習った「日本軍の罪」の話をとにかく持ち出したりするのかもしれない。あるいは、外国人の機嫌をとるために(これは見下すことでもあるのだが)、オランダ植民地だった=西洋文化がある=おしゃれ、といったいかがわしい図式を持ち出して、日本軍は×、オランダの植民地支配は○、という式でバンドゥンのオランダ遺物を称揚したり、半ば本気になってインドネシアを持ち上げたりするのかもしれない。

9日。

ホテルCitraをチェックアウト。レンバンLembangにむかう。

レンバンに向かってみたのは、以前CipanasのレストランのLiaちゃんがレンバンは静かなところだと言っていたのを思い出したからである。

12時過ぎに下に降りてみると、日本語のおっちゃん(チュチュというような名前らしい。ちょっと白人が混じっているような顔だが実は半分中国系で教会に行かないカトリックだとか)がいて話につき合わされる。ジャワ原人はソロSolo(Surakarta)だがバンドゥンの博物館にあるのだとか・・バンドゥン自慢。

1時ごろ鉄道駅南のアンコタ(ミニバス)ターミナルに向かう。Lembangと書いてあるところでアンコタを拾う。

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バンドゥン工科大学(ITB、イ・テ・ベ)

今日、バンドゥン市の北郊にあるバンドゥン工科大学の近くで、ようやく日本語が書けるインターネット屋を見つけた。はじめから日本語が入っているのでコントロールパネルの操作だけで日本語IMEを使うことができる。ただし、遅かったりは当然する。

ジャラン・ガルドゥジャティ(Jl.Gardujati、ホテル・チトラCitraやキングガーデンのある通り)から入ったところの小さなネット屋は、バンドゥンではアクセスが速いほうで、以前は店主に頼んでIMEを入れてもらえば日本語が書けたが、ウィンドウズがバージョンアップしたのに伴ってか、日本語表示できるようにすることはできるがどうしてもIME が出せないようになってしまった。何もしなければ日本語の表示もできない。

マレーシアのネット屋はわりと勝手にウィンドウズXPのCDを使ってIMEを入れられるところが多かったが、ジャワ島でたまに見つけられるネット屋はすべて厳重に管理されていて勝手なことはできないところばかり。頼んでもやってくれない、あるいはできない。

バンドゥン工科大学近辺は緑が多く、散歩をするのに気持ちのいいところ。ただし今は毎日雨。駅などバンドゥン中心部からはかなり離れる。

キャンパスの中を歩くと白人の学生も見かけるが、かもし出している雰囲気が白人風でない。

「毛唐」というものはやはり何か由緒のある特殊のイデオロギーであって、その理念、内在的論理、固有の評価的な表象・・・などを自らの人格に体現し、社会的に表現している者のみが真の「毛唐」と言えるのだろうか、、、などとも思ったりもしたが、しかし、今の現実の世界のルールは、彼ら自身の主観的な条件にかかわらず、彼らを「白人」として白人らしく扱っていくから、この「白人風でない」白人学生たちにしても、彼らが外に出て行けば結局は「いかにもな毛唐」と同じようになっていくのだろう。

すがすがしいキャンパスを歩きながら、育ちのよさそうなインドネシア人の学生さんたちにインターネット屋の場所を聞いて歩く。みな一様に親切。当然ながら英語も話せる人が多い。

最初に教えられて行ったのは、キャンパス内にあるComlabsという研究所だった。そこでインターネットができると言うから行ってみたが、当然と言うか、学外者は使えないということだった。

そのあとまたまた親切なインドネシア人の学生に案内されてこのKIOO(K100か?)というネット屋にたどり着く。

大学というところには、「大学病院」以外では本当に久しぶりに来た。

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2007年1月 7日 (日)

バンドゥン 1/6

バンドゥンは特に面白いという町ではないが、ツーリストが少ないのは魅力である。近代的な旅行生活もできるし、どこがどこへつながるのかわからない狭い迷路をさまようこともできる。迷路はいたるところにあったりなかったりするので、どこが迷路かということは難しいが、駅の近くやホテルキングガーデンの裏手あたりには、たぶん安全な迷路があるようである。

初めてバンドゥンに着いたらまずどうすべきか。とにかくアンコタ(ミニバス)を拾い、カラパKalapaかスタシオンStatsion(鉄道駅)に着いてから身の処し方を考える、というのが良いと思う。駅近くにはホテルが多いし、カラパの近くにもホテルがあった。

バンドゥン中心部の地理を掴むためにおさえておくと良い大通りは、ジャラン・アジアアフリカ(アジアアフリカ会議の遺物が立ち並んでいる近代的な大通り)と、ジャラン・オットー・イスカンダルディナタ(Jl.Otto Iskandardinata)。

ジャランアジアアフリカは東西の通りで、途中で通りの名前は変わる。名前が変わったほう(西のほう)に銀行(ATM)や両替屋がめだつ。

ジャラン・オットーイスカンダルディナタは駅の南口近くから南にまっすぐ伸びる大通り。途中にパサルバルPasar Baru(デパートのようなコンプレックス)がある。ジャランアジアアフリカとの交差点の南にGolden Money Changerという有名な両替屋がパチンコ屋のようなでかい看板を出している。

ホテルパレムやホテル(ニュー)ナリパンはアンコタの運転手も知っているので便利なランドマークではあるが、そのアンコタがそっち方面にいかない場合は頼んでも無理。それぞれのアンコタに路線がある。外国人だからといってとくにぼられるということもないように思う。タイのソンテウとはシステムも性格も違う。

ホテル(ニュー)ナリパンは、隣に両替屋も旅行代理店(とても親切)もあるので最初の晩に泊まるには便利かもしれない。私の経験からいえば、部屋によってお化けが出るかも知れない。

旅行代理店は鉄道駅の北側に多いようである。

インドネシア、とくにジャワの飯はうまい。長粒米だがご飯だけでも結構食べられる。ただ、バンドゥン郊外の田んぼを見るとよく油が浮かんでいて用水も必ずしもきれいとはいえない。この適度の汚染がいいのか、ほかの国の長粒米よりも味が濃くておいしいように思う。

マレーシアの飯はうまくない。マレーシアにいるときは「ナシゴレン」を食べたいと思うことはほとんどない。

マレーシアにはインド料理屋がたくさんあるので、毎日カレー。三食インド料理で耐えられる。毎日三食ナーンとダルカレーとテーだけでOK。たまにナシゴレンを食べてみるととてもまずい。

マレーシアの中国人レストランではコーヒーしか飲まない。コーヒーだけは中国人食堂のが濃くてうまい。

タイの飯はさらにまずい。タイ料理でうまいといえるのはもち米だけ。甘いもち米も悪くないが、プレーンのもち米を手で掴んでナンプリックという辛いのにつけて食べるというのが最高のタイ料理である。あとは糞。

スマトラのメダンの屋台ではひどいナシゴレンを食わされたことがある(私はどんなまずい飯でも残さないが、それだけは3口以上食えなかった)。しかしジャワのナシゴレンはまったく違う。

ここでは飯は炊くのではなく、甑で蒸している。弥生方式である。ブリキの甑に米をそのまま入れて蒸したり、専用の布を使ったりいろいろである。

マレーシアではまったく感じないことだが、ジャワに来るとナシゴレンが食べたくなる。ナシゴレンは所詮は焼き飯である。うまいもまずいもないようなものなのだが、インドネシアのはうまかったりする。

ジャワでも高いレストランのナシゴレンはたいていうまくない。汚い屋台のがうまいことが多い。所詮焼き飯でしかないのに気取って作ると本来の味が抜けてまずくなるのだろう。

ホテルチトラCitraの日本語を話すおっちゃんは、以前10年もボロブドゥールで日本語ガイドをやっていたのだという。わりとちゃんとした会社(JTBや近畿ツーリストと契約があり日本人が社長の会社だという)の専属ガイドだったが、最近は日本人ツーリストがめっきり減ったのでやめてしまったということである。バンドゥンに来てチトラに泊まる日本人も少ないので、今は日本語を使う機会もないという。このおっちゃんはカトリックだそうで、このとき周りにいたローカル客やスタッフ連中もみんなプロテスタントやカトリックだった。バンドゥンの何とかという大学にインドネシアでいちばん古い日本語学科があり、そこで日本語を学んだという話である。先生もインドネシア人だったというからそれなりに伝統もあるところなのだろう。日本語を話す外国人にしては割とまともな感じの人で、夜遅くまで話し込んでしまった。

この人のようにまあまあの日本語を話しちゃんとした態度を崩さない人には、タイなどで出会うことはない。ネパールもだめ。ミャンマーにはたまにいる。同じく日本での不法就労経験者であってもネパール人とミャンマー人とでは人間の出来が違うように感じるのはなぜか。(もちろんミャンマー人が上)。

1階ロビーで話していたので一回の部屋で寝ている人の迷惑になったかもしれないと思いながら2階の部屋に引き上げると、2階は2階で十分騒いでいた。

おっちゃんのお勧めのジャワの町はSurakarta(Solo)だった。古くて静かな町だそうである。ジョグジャカルタの向こうにある。

このおっちゃんの意見では、消息不明のスラバヤ発マナド行きアダムエア機もテロで落ちたのではないかということだった。西洋人客は3人しか乗っていなかったが、乗客のほとんどはキリスト教徒だったはずだということである。

その場にいた中国系インドネシア人客(漢字まったくできず)によれば、一回目のバリテロでやられたディスコは、オーストラリア人専用のディスコで、オーストラリア以外の国の人間はアジア人はもちろん白人でもなかなか入れないところだったという(アジア女・売春婦は入れたのだろうが)。麻薬の温床にもなっていて悪名が高いところだったそうである。まあ、やられてもしかたがないようなところ、やられたほうがいいところだったということだろう。

午前4時近く、のどが渇いて外に出る。近くの屋台はまだやっていた。コーヒーを飲む。そのあと迷路をさまよう。あてどもなくさまよっていると時に奇妙な空間に行き当たる。不思議な空間から若い女の子が日本語で声をかけてきた。少し話をする。かなり上手な日本語である。例によって「バタムで覚えたの?」と聞く。違うという。バンドゥンで覚えたというので、ここには日本人が来るのか?と聞くと、来ないと答える。まだ若いし化粧の趣味は悪い。日本人男と付き合ったことがあるようには見えない。どうやって覚えたの?と聞くと、本だけで覚えたという。バンドゥンで日本のテレビやラジオは聞けるのかと聞くと、まったく聞けないという。ほんとうに「本だけ」で覚えたらしい。それでもかなり筋の良い日本語を話す。なぜ日本語を勉強したの?と聞くと、ただ勉強したかったから、だそうである。

スンガイコロクに、「私はバタムで日本語を覚えたから日本語ができる」といっているタイ女がいたが、まったく日本語になっていなかった。タイ人や中国人に日本語は無理である。自分のほうから日本語で話しておきながら、わからなくなると日本語で話すほうが悪いという態度で開き直るのがこいつらの特徴である。

ホテルCitraのおっちゃんが貸してくれた97~98年版「地球の歩き方、バリとインドネシア」は10年前のだがまだピカピカだった。

「地球の歩き方」も昔は本音の話も書いていたようである。ただ、ナイーブなアジア賛美や頭の悪さをことさら誇示するような文章、同化主義的な現地志向は今よりひどい。

次のような記述がある。

エッチはやめよう  インドネシアでは既にエイズウィルスが発見されている。・・・・会ったばかりの他人とのエッチは避けること」

(ちょっと親切にされると「他人」に思えなくなって股を開くというのが大方の日本人(素人)女性ツーリストだろうからこういう忠告はあまり意味がないように思われる)

痴漢&性犯罪   バリ島クタ&レギャン、サヌールでは、日本人女性が痴漢にあうことが多い。おもに風俗関係で働く日本人女性が男遊び目的にバリを訪れていて、現状では日本人女性はその種の人であるとの認識が一般的になっている。」 (女の側の金払いが悪いとレイプされやすいともある)

これは正しい見方なのだろう。最近の版では、「一部開放的な日本人女性が・・・・」などというインチキな記述になっていたと記憶する。

男の買春を非難する者が、女のセックスツーリズム、「恋愛ツーリズム」を「開放的」などという立派な言葉でごまかすのは理解しがたい理屈である。金を払えば買春で金を払わなければ恋愛だ、というのが現在の言葉の定義であるというだけ。たいていの若い女はたいていの男とタダでやれるというのが生理的な法則だから、よほどすごいことをしようとしない限り買春にはなりえない。

したがって、「健全タイマッサージ」の女と「流れ」でやってしまっても、開き直って金を払わずにバイバイすれば買春ではない。

(「健全タイマッサージ」「古式タイマッサージ」においては頻繁に経験する事例である=女のほうから挑発してきたり抱きついたりしてくるからお互いの欲求(=自由恋愛)だと思い込んでいてもはあとで金を請求されるのが普通だが、不慣れなために金のことを言いそびれる女もいる)。

こういう場合には金を払わずに逃げてしまうことのほうが道徳的に「より正しい」だろうか。しかし、金を払えば「買春」と規定されてしまうだろう。

そのリアリティにおいてはより悪質な行為のほうが、「恋愛」の格付けを得て堂々と、より正しい行為としてまかり通っているということに注意すべきである。

「売春」の問題を一般的に、無限定的に考えるのは難題である。しかし、ツーリズムとの関係において考えることはより容易である。近代ツーリズム(>白人ツーリズム)自体が「覗き見」性をもち、(世俗的な意味での)非日常感覚を求めるものである。しかし実は売春(買春)の本領もこの「非日常感覚」にある。女日照りの学生がバイトしてためた金で風俗に行き早漏を笑われてしゅんとして帰るというのは売春(買春)の本領ではない。

近代ツーリズムがこの「非日常感覚を求める覗き見性」を本質とするとすれば、買春ツーリズムと恋愛ツーリズムとを区別する理由はないと思われる。

「非日常感覚」を求めるというこの共通の一点において、近代ツーリズムと「買春」とは元来親和性があり、ツーリズムが買春ツーリズムに直ちに転化することにはある必然性があると言わなければならない。つまり、近代ツーリズムはその出発点においてすでにある種の「買春ツーリズム性」を帯びているといわざるを得ない。

日本独特の旅行文化と思われる「現地同化ツーリズム」は、ツーリズムのこの「覗き見性」につきまとう「うしろめたさ」を、アジア主義的な(あるいは現地が欧米なら欧化主義白人崇拝主義的な)「同化」によって乗り越えようという、いかがわしくも安易な動機に出たものに他ならない。

「現地同化ツーリズム」は、たとえば現地がタイなら「タイヲタツーリズム」として現れるし、バリであれば「第二夫人志願型ツーリズム」として現象するであろう。

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2007年1月 5日 (金)

インドネシアへ  バンドゥンBandungに直行

クアラルンプルからジャカルタへ。そして当日にバスでバンドゥンに直行。

ジャワというところは本当に、私の体質に合わない。生まれ育ちに根ざした私の謹厳で禁欲的な美意識とは対極をなす土地柄である。育ちが良く、清潔で静かなところが好きで悪い遊びが嫌いな、私のような人間にとっては耐えられない風土である。またあんなところに行くのかと思うと本当に憂鬱になるのだが、なぜか行くことになってしまった。

飛行機のチケットを買うときにちょっと行きたいかなと思ったからであるが、なにより、ジャワは比較的白人が少ないということが最大の魅力である。今の時期イランは寒そうである。

1月4日。

午前10時、KLパサルスニの楽安酒店をチェックアウト。プトラLRTでKLセントラル駅へ。ここでKLIAエクスプレスに乗り換えてKLIA(クアラルンプル国際空港)へ。KLIAのスターバックスのコーヒーはまずい。前回はそれほどでもなかったがこの日はまずかった。

旅行客は白装束のムスリムが多く、この時期インドネシアに向かう白人は少ない。

マレーシア航空MH721は15分遅れで14時10分ごろ出発。今日は特に客室乗務員の要領の悪さ段取りの悪さが目立った。飯の準備にやたら時間がかかる。2時間のフライトであと30分くらいのときにようやく飯を持ってきた。1時間ぐらいばたばた準備をしているように見えた。エコノミークラスに飲み物を出さない。コーヒーのみ。私はオレンジジュースが楽しみだったのに、飯を配ったとき以外一度も飲み物を持って回ってこなかった。その上ワゴンをいすにぶちつける。この飛行機はガルーダとの共同運航便だった。(日本を出たときはANAとの共同運航便のマレーシア航空で、日本人スッチーの美人さとマレーシア人スッチーのフテたような暗い表情との対比が目立っていた)。

この方面は今気流が悪いらしく、飛行機はよく揺れた。窓から右にエンジンの口が見える。なかなか魅力的な造形物であるが、ぶっ壊れそうに揺れてときどきすごい音を突然出したりしていて怖かった。翼がブリキのようにぶるぶると震えて吹っ飛びそうである。羽根がぺらぺらなのはいつものことだが、インドネシアで飛行機事故がおきたばかりなので今日はあまりいい気分がしなかった。

搭乗のとき席に着くときに、毛唐オヤジとアジア人客とが席の取り合いでトラブルになっていた。ダブルブッキングだろうか。毛唐が英語で大声でいきまいていた。クルーが一生懸命をなだめて、ビジネスクラスにその毛唐のための席を作って移動させたようである。私の視界から毛唐が消えたことはよかった。飛行機に乗っていた毛唐はその男だけくらいだった。薄汚いなりをしたやつでインドネシアに何をしに行くのかわかったものではない。本気で幼女買春する白人はインドネシアを目指すという。よく逮捕されてもいる。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/12/4_fb50.html
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/10/post_56af.html

今回はアライバルビザを取るときにしつこくあれこれ聞かれた。どこへ行くのかというので、バンドゥンと正直に答えたのがまずかった。友達がいるのか、とか余計なことをあれこれ詮索する。バリにも行くと言ったバリはいいところだとか何とか言って納得したようだった。

最初からバリに行くと言っておけばもっとスムースにすんだかもしれない。バリなんぞ糞くらえだが。

外務省の海外安全情報では、たとえばタイのページを見ても、安全のため「欧米人の集まるところにはなるべく近づかないようにしましょう」とある。これはまったくもって尤もなこと、正しい定見である。われわれは欧米人ではない。欧米人とは歴史的な立場も違う。だから、白人ツーリズムのマネッコをすべきではない。欧米人の集まるところに行きたいのなら欧米に行けばいいのであって、アジアで白人ツーリストがことさらに集まり白人の植民地主義の延長である白人ツーリズムを展開する場所にわざわざ乗り込む必要はないのである。

イミグレでも帰りの航空券を提示させられた。いずれも前回(ほんの2ヶ月ほど前)はなかった厳しさである。

空港に入るとすぐに下に降り、タクシーを拾う。ブルーバードグループのタクシーでカンプンランブータンバスターミナルに向かう。メーターだがそれ以外にSurchargeなるものが9000ルピアかかり、有料道路の支払いが3回あってそれも合計10000ルピアくらいになる。有料道路もやや渋滞する。

カンプンランブータンに近づくと信号待ちで子供たちが物乞いに来ることがあったが、決して乞食のような汚い格好はしていない。むしろこぎれいな服装をしている子供たちだった。

2時間近く走ってようやくカンプンランブータンバスターミナルに着く。結局タクシー料金はメーターで12万ルピアほど、その上にサーチャージ9000と有料道路のトール、全部で14万ルピアにもなった。

バス停に着くとまた、いろんなところでいろんな金を払わされる。タクシーが着いたところで2000ルピア、バス停構内に入るのに500ルピア。

バンドゥン行きのバスはすぐ見つかった。1時間ほど中で待ち、午後5時50分ほどようやくバスが出る。

バンドゥン行きのバスは何種類もありどのバスに乗るかは客の選択だが、「客引き兄ちゃん」の客の取り合いも激しい。自分で適当によさそうなバスを選んで乗る。

今回のバスはちょっと良いバスだった。冷房車でガラス窓が大きい。客が少ないのでいすを倒して広い夕空を眺めることができる。マレーシアにいたときには感じることがなかった開放感に浸れる。演奏家は入ってこない。物売りもそれほど多くはない。その分バス代は高く4万5千ルピア。安いバスは3万ルピアくらいから。

夜9時ごろにバンドゥンに入る。

バンドゥンに入ると長髪の「吟遊詩人」が乗り込んできた。普通のしゃべり方で挨拶をした後、歌うのではないが抑揚をつけて通る声で「語り」始めた。詩のようであるが、演説なのかもしれない。内容はイスラム教に関するもののように思われた。政治的な演説なのかもしれない。2,3分語ったあと、また普通の声で挨拶をして金を集めていく。前回ジャカルタの市バスでみた演説家のはただの政治演説という感じだったが、今回見たのは風采も含めてあれよりはロマンチックな雰囲気があり吟遊詩人のように思われた。

夜9時10分、バンドゥンのルウィ・パンジャン・バスターミナル着。すぐにアンコタ(ミニバス)に乗る。バンドゥンの夜は安全だと思う。

鉄道駅に行くかと聞いて「スタシオン」に行くというアンコタに乗った。「スタシオン」が鉄道駅のことかどうかわからない。マレーシアでは「ステセン」だったと思う。オランダ語でスタシオンというのだろうか。

このアンコタはカラパKalapaまでだった。カラパのアンコタターミナルである。どこで泊まってもいいのだが、鉄道駅近辺に行くためにはここで乗り換えなければならない。

アンコタの向かいに座っていたたいへんな美青年が英語を少し話し、しかも親切に乗り換えのアンコタを見つけてくれた。たいへん控えめで、小さな声で話し、人見知りをするような青年だった。たいていの日本女ならこのままこの美青年と宿探しをしてこの晩か遅くとも翌日の晩にはやってしまうところだろう。

「スタシオン」はやはり鉄道駅のことだった。アンコタは鉄道駅の北側についた。このあたりに来るのは初めてだ。その近くにもホテルが何件かあったが高そうだったので、地理に覚えのある駅の南側に移動する。

ホテルパレム、スラバヤ、前回泊まったホテルキングガーデンなどの近くにあるホテルチトラCitraにチェックイン。ここも前回見た。日本語を話す人が一人いる。この日案内されたのは2階の部屋で前回見た部屋よりちょっといい部屋だった。9万ルピア。ホットシャワーはない。

ホテルチトラは構内が広々していてそんなに悪くない。キングガーデンよりはかなり雰囲気が良い。夜も、静かとはいえないが、大通りに面した部屋でなければそれほどひどくないだろう。

5日。昼過ぎまで寝て、チトラに連泊を決める。

鉄道駅の北口にATMがありVISAカードが使えるが、一度に引き出せる金額は25万ルピアだけ。これでは3000円くらいである。

ホテルチトラやキングガーデンの通りを南に少し行ったところにあるPermata銀行のATMはシティバンクの銀行カードも使えて一度に150万ルピアまで引き出すことができる。その向かい側にも別の銀行のATMがある。

なお、インドネシアでは「エイティーエム」はあまり通じない。オランダ式を今でも使っているらしく、「アーテーエム」。すべてこの調子。ドイツ語を勉強したことのある人ならすぐに覚えられる。Cはツェーではなくチェ。Jもヨットではなく、Yもイプシロンではないと思ったが、忘れた。Liaという女の子の綴りはエル・イー・アー。

チトラの部屋は扇風機もついていないが冷房が入っているようにひんやりとしている。水シャワーだけなので昼間でも水浴びはちょっと寒い。夜は冷える。今が冬だからではない。ここは南半球である。

チトラに毛唐ツーリストが来た。こいつら本当に嫌である。泊まるのかどうかはわからない。この時期、毛唐ツーリストが来ない国というのは世界中でイラクくらいしかないだろうか。

チトラの日本語のできるおっちゃんにインターネットの場所を教えてもらう。わかりにくいところにあるとても簡素なネット屋。バンドゥンの大通りでインターネットの看板は見たことがない。

最初、日本語は表示すらできなかった。コントロールパネルを開こうとしたが、小さな店なのに中央制御になっていて勝手に開けないようになっている。CDのアダプターも客のほうにはない。しかし店の兄ちゃんは親切で、設定を変えてコントロールパネルを出してくれ、私が持ち歩いているウィンドウズXPホームエディションのCDを中央から入れてIMEをインストールさせてくれて、一台だけ何とか日本語を書けるようにすることに成功した(ここはすべてホームエディションだった。私はプロフェッショナルのCDも持ち歩いている)。

ここも含めて多くのネット屋の人は、日本語のディスプレイができるということと、日本語ワープロが使えるということとの違いが理解できない。

多くの人は日本語が表示できればそれでいいのだろうと思ってしまう。日本語IMEを入れたいといってもなかなか通じないことが多く、何か変な設定の変更をしようとしているのではないかと警戒して相手にしてくれなくなることもある。しかしこのネット屋の兄ちゃんはこちらがやりたいことを理解しようとしてくれたので、頼めばまたやってくれるだろう。このネット屋の場所はホテルCitraで教えてくれる。

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2006年12月22日 (金)

バンドゥンの少女

ココログには載せられない写真

http://kuantan.blog74.fc2.com/blog-entry-118.html

この写真のデジカメの画像を見せたら、女の子は明らかにがっかりした表情を見せた。

実際、実物とはぜんぜん違う。こんなに汚くない。

ぜんぜんかわいくてピカピカと光っていた。

伝統舞踊の発表会でもあったらしい。

女の子はどんなに幼くても、おめかしをして晴れの場所に立つと、すっかり大人になってしまうようだ。

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2006年12月10日 (日)

バンドゥンBandung (帰り) インドネシア

11/22  

11時過ぎ、ホテルPusakaをチェックアウト。ロータリーからアンコタ(ミニバス)でガルッ(Garut)へ向かう。

ガルッ(ガルーと聞こえたが)はかなり大きな都市だった。アンコタで隣り合わせた女子学生にバンドゥンへのバス乗り場を教えてもらう。運転手もすぐに反応。バス乗り場にはバスステーションらしい施設はない。アンコタを降りるとすぐに「案内人」が寄ってきて、バンドゥン行きの(アンコタよりは大きい)ミニバスに案内される。バンドゥンまで15000ルピア。

バンドゥン市内に入って、バス運転手にどこに行くのかと聞かれる。「ホテル・イスタナ」といっても通じない。

困っていると、バスに同乗していたスカーフ(ジルバブ)をした女の人が早口の英語で話しかけてきて、道案内してくれるという。

その女の人と一緒に鉄道駅のような形をしたバスターミナルで降り、その構内にお金を払って入る。お金は女の人が何も言わずに払ってくれた。

そして、「ホテル・イスタナ」方面に行く市バスを見つけてくれて運転手に「ホテル・イスタナ」と言ってくれた。そこで女の人とは別れる。そこまでは良かった。

ところが、市バス運転手は「ホテル・イスタナ」をまったく理解しておらず、私にも変と思われるような遠くまで行ってしまう。「イスタナはまだか」と何度聞いても、もっと先だと前を指差すだけ。

バスの中で英語の出来そうな女子学生を見つけて聞いてみたが、ホテルイスタナは知らないという。

そんなことをしていると、隣のおばさんがインドネシア語で「クマナ・・・」(どこへ・・・)と聞いてきたので、「イスタナ」と言うと、車掌に「イスタナ」と言ってくれた。車掌はイスタナを知っていて、車内がちょっとした騒ぎになった。とっくに通り過ぎていることがわかった。

バスで行く目的地は、運転手にも車掌にも、周りの人にも言っておいた方がよさそうである。

なんとか「イスタナ」に着き、「スーパーデラックス」にチェックイン。絨毯が敷いてある部屋。30万ルピア。静かではある。

水は汚く、ホットシャワーは出る出ると言いながら出ない。絨毯もチリが目立ったので掃除をさせる。もちろんチップは必要である。

インドネシアでチップをケチるのはただの「くだらない人」だと思う。タイではない。なんでも安くあげることに価値があると考えて、少し高く取られたらすぐに「ボラレタ、ボラレタ」と騒ぐのは、毛唐ツーリズムの「野蛮人の土地での遊びのルール」から発した特殊文化である。

このあたりは食べるところが少ない。コンビニもないし、チパナスにたくさんあった雑貨薬局(ドラッグストア)もあまりない。屋台は日が暮れると店じまいをしてしまう。

仕方がないので、夕食はベーカリーRasa Cafeで菓子パンとコーヒーとデザート。3万7千ルピアほど。パンもコーヒーも悪くない味。とくにパン生地は日本のパンとあまり変わらない。

Rasa Cafeにはインドネシア料理もあるが、ナシゴレンのようなものに何万ルピアも払う気にはならない。屋台で7000ルピアぐらいで食べてもけっこううまいところがある。どっちみち、焼き飯。

11/23  

イスタナの(無料の)朝食は、ただのナシゴレンとコーヒーだった。ナシゴレンは屋台の方がうまい。

イスタナをチェックアウトし、ホテル・ナリパンに行ってみる。「ナリパンデラックス」など高い部屋しかない。高いだけで大通りに面してうるさく、それほどいい感じがしない。

結局またイスタナに舞い戻り、前日と同じ部屋(127)に入る。

この部屋は静かで広いが、ホットシャワーが出ない。フロントに交渉して晩にお湯が出る他の小さな部屋のシャワーを浴びさせてもらうことにする。このこともフロントのボスらしいその人が同意しただけで、夜の係りには伝わらないだろうとは思ったが、一応一番偉そうな人の同意を取っておく。

帰りの航空券をリコンファームしておこうと思い、フロントの女性にマレーシア航空のバンドゥン事務所の電話番号を聞く。ところが、その白痴女は、ただただ困ったような顔をして、女の子のように、知らないわからない、とインドネシア語で繰り返すばかり。

マレーシア航空のジャカルタ事務所の番号はわかっていたので、それを見せて、ジャカルタに電話をかけてくれ、と言って見ると、電話のトラブルでジャカルタにかけられないなどと見え透いたウソを言う。それじゃ公衆電話から自分でかけるからこの近くの公衆電話を教えてくれと言うと、バンドゥンからジャカルタへの電話はいまトラブルでつながらないのだ、などという。

この辺で私のいらいらはむくむくと募り、破壊的な衝動に駆られ始めた。こんなのを相手にしていても仕方がないのだが食い下がってみる。

だったら、バンドゥン市内ならかけられるんですね、ということで、バンドゥンのイエローページはないのかと聞くと、あると言って出してきた。それでマレーシア航空のバンドゥン事務所を調べてくれと頼んでもまったく動こうとせずニヤニヤしている。まったくの白痴。仕方がないので自分でイエローページを繰っていると、奥に居たらしいフロントボスが出てきてジャカルタにかけられるという。私の航空券を取ってまた奥に引き下がる。奥の電話でジャカルタに掛けてリコンファームもしたてくれたらしいが、この男も話がよく通じず、あまり信用できない。ジャカルタには電話がつながらないと言う話はどこから出てきたのか。フロントにおいてある電話は飾りなのだろうか。

ナリパンも似たようなものかもしれないが、ここはまったくホテルの機能を果たしていない。

電話を掛けた男はすぐに電話料金9000ルピアを請求してきたので、ひとまず後払いにさせた。チェックアウトのときにさらに交渉してタダにさせる。これはちょっと譲れなかった。チップは景気よく取るくせに細かいカネはよく計算してがめつく請求する。

このあとナリパンホテルの隣の旅行代理店にも行ってみた。最初からここにくればよかった。本当にリコンファームされているかどうかも心配だった。この代理店はマレーシア航空を扱っていなかったが、親切に地図を描いてマレーシア航空の事務所の場所を教えてくれた。アンコタで向かう。

マレーシア航空はJL, Sunda(ジャラン・スンダ)のYogyaデパートの近くにある。大きな看板を出していたのですぐにわかった。

アンコタ料金はナリパンから1500ルピア。正直に500ルピアの釣銭をくれた。

マレーシア航空の事務員はスッチー(女性客室乗務員のことである)と同じ制服を着ていて、トゥドゥンもつけていた。手早くパソコンを操作してすぐに紙を出し、チケットのケースにホッチキスでとめてくれた。

晩。予想通り、夜のフロント係には別室でシャワーを借りたいという話は伝わっていなかった。夜のフロントにも英語が少しだけ通じるものが一人だけいたが、基本的な単語の意味を知らないことが多く、何度説明してもこちらの言いたいことが伝わらない。

①自分の部屋のホットシャワーが壊れていて出ない、②他の部屋でシャワーを浴びたい、③その部屋のカギを貸してほしい。

この三つの意味を、私なりにわかりやすくひとつずつ説明する努力を続ける。やけくそな気分で続ける。

「ホットシャワーが壊れている」までは通じる。そうすると、すぐに修理しようかという話に流れる。それは昨日もやったこと。直った直った、出ている出ているといわれたが、何も直っていなかった。これをまたやらせてしまうと、とにかくのろい仕事につき合わされ結局何もできずにいい加減なところでごまかされて疲れるだけなので、ぜひとも避けなければならない。

なんでもいいから「他の部屋のカギを(貸して)くれ」というと、今度は私の部屋のカギを探し始める。そして「ない」という。私の部屋のカギは自分で持っていたのでフロントには当然ない。

この同じやり取りを、3回くらいまったく同じように続ける。それでも彼らは平気である。何度同じやり取りを繰り返したら、彼らが別の反応をするのか、何かに気づくなり、怒り出すなりするのか、私は興味があった。

きっと何か別のことを言っているのだろうと想像力を働かせるということがまったくない。率直に言って、本当に頭が悪いとしか言いようがないが、それでもニコニコしているだけ、同じく無能な上にシカメッツラのタイ人よりはマシかなと思った。

この国にも「ビジネスの精神」というものはないようだ。これが東南アジアの原風景なのだろうか。

東南アジアにはもともと「接客」の文化はないのかもしれない。これに比べると、ネパール人は(言葉がよく通じることもあるが、同じく言葉の通じるタイ人と比較しても)はるかにてきぱきとしていてよく働き、ビジネスの精神も接客文化もあるように思われた。(もっともしばらく行っていないのでそう思うだけかもしれない)。ネパール人は仮に言葉が通じなくても、相手の立場に立って頭を働かせるということをしてくれる。

マレーシアの新聞には、インドネシア人メードを雇った時のトラブルとして、テーブルの上を拭くことも掃除の仕方も知らなかった、というような例が挙げられていた。日本と比較することは無意味だが、マレーシア人の目から見てもかなりひどいのだろう。「白痴」にしか見えない人がホテルのフロントなどの仕事をしていることがあるのは確かである。(マレーシアにも「ただ座っているだけのマレー姉ちゃん」はいる)。

11/24 

ATMがないこと以外は、チパナスのほうが便利である。バンドゥンでは石鹸を買うにもスーパーマーケットまで行かなければならなかった。

ホテル・イスタナのすぐ近くにある小さなスーパーは、マレーシアのスーパーより洗練されていた。

マレーシアのスーパーで連想するものはただただ警備員である。その警備員が警察よりも偉そうにして入る客のみならず、前の歩道を歩く市民にも立ちはだかる。それだけでもうマレーシアのスーパーには入る気がしなくなる。スーパーに入るときには荷物を預けなければならない、それをちゃんと保管するのならまだしも歩道に面した外の棚に置くだけというところもある。パスポートやお金の入ったかばんも預けろといわれればひと悶着にならざるをえない。

もちろん白人客にはそんな要求はしない。中国人の犯罪が多いこともあるのだろうが、こういうときに白人と有色人種との扱いの違いが出るのは日本以外、世界共通のようである。近頃はますますその傾向が強まっているようである。「テロとの闘い」もあって、白人国では役人が「俺はレイシストだ」と開き直って堂々と人種差別をすることが認められる時代になっているので、今後ともこの傾向は強まることはあっても弱くなることはないだろう。

人種や民族はあまり交じり合わずに別々に滞在することのほうが、お互いにとって快適であるし、憎悪を抑制し、異質な文化への相互の尊敬を涵養するためにもかえって良いのである。現代では互いのことを知ることは「その気さえあれば」ほかにいくらでも方法があるだろう。

またマレー人は店内に入った客に露骨に付きまとい、万引きを監視する。

この点、バンドゥンのスーパーは洗練された接客をしていた。女の子が少しはなれた目立たないところにたってそっと見ている。

正直言って、「白痴」と「野蛮人」の集まりのようにも感じることもあるジャワだが、繊細な感受性を持っている人も多い。とくに若い女の子がそうである。

広いいレストランで、ウェイトレスが遠くにいても、こちらが何か要求しようとしてちょっと目配せすると敏感に察して向こうからやってくることが多かった。

カフェやレストランの接客はおおむね感じがよく(味も悪くない)、マレーシアより洗練されている感じがする。

客の注文をとるときに自分が馬鹿で聞き取れなくても「ハアア?」とシカメッツラをするのがタイ式接客で、タイの悪影響らしくマレーシアでもたまにそういうのに出くわすことがあるが、バンドゥンあたりでは私の見た限りそういうのはまったくなかった。つねにやわらかい接客である。

ナリパンホテル近辺の夜の屋台はかなり良心的。コピ・ヒタム1000ルピア。ナシゴレンは鶏肉入り6000ルピアと安い。鶏肉もよく血が抜けていて旨かった。卵、生野菜、せんべいもちゃんと乗ってくる。(ナシゴレンはナシゴレンなので、特に旨いとか不味いとかいうものではない。メダンの屋台では2口ぐらい食って気持ち悪くなったのもあったが)。バンドレックを出すコピ屋台もある。

ところが、この近辺の昼の屋台はぼるようである。時間帯によって出る屋台が変わる。

11/25

イスタナに連泊。予約があるといって追い出されそうになった。マレーシアなら素直に追い出されていたかもしれない。

ようやくのんびりしていたところで、また宿を探し歩くのが嫌だったので、まずは泣きつき、次に癇癪を起こして見せて、なんとか同じ部屋を継続する。

結構大きなホテルが本当に満室になることなんてあるのだろうか。

イスタナの近くのBakery & Cafe Rasaのパンはいつ行っても結構おいしい。日本のパンとほぼ同じような味。しかし、フィリングのほうは難しいようである。タイのコンビニに売っているニセ日本風パンよりはずっとおいしい。

白人風の顔のインドネシア人がよく来ている。毛唐か、嫌だな、と思ってみるとインドネシア人のようである。白いアラブ系なのかもしれないし、ポルトガルなどの混血なのかもしれない。ここは高い店なので、やはり白人系は金持ち階級なのだろう。

11/27    イスタナをチェックアウト。ルウィ・パンジャン(Leuwi Panjang)・バスステーションに向かう。

バンドゥンは一方通行の道が多いので、駅の近くの道まで歩いていき、そこで通りがかったルウィ・パンジャン行きの市バス(表示がある)をたたいて止めて乗る。

ルウィパンジャンでバスが車でかなり待たされる。バスに乗ってからも出発まで1時間ぐらい待つ。毎度のことだが、その間にもひっきりなしに物売り、乞食、ギターと太鼓のロックグループ、などが乗り込んできて昼寝などする暇はない。長距離バスが出発しても、市内を走っている間はずっと乗っていて演奏を続ける。帰りは別のバスで演奏をして帰るのだろうか。

バンドゥンからジャカルタまでのバス代は3万ルピア。

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2006年12月 8日 (金)

バンドレック(Bandrek) バンドゥン

チパナスは標高が高いようである。バンドゥンからジャカルタにバスで帰ったときにはペットボトルが少しへこんでいた。バンドゥンで買ったペプソデントのチューブが、チパナスで使おうとしたときパンパンに膨らんでいたので「腐ったに違いない」と思って捨ててしまった。

そういうわけでチパナスは夜は冷える。昼は暑いし部屋の風呂場に常に温泉が湧き出しているので、バンガローの造りは「夏向き」になっている。あちこち隙間が作ってあって風通しが良い。蚊はそんなにいない。

昼と夜との温度差ですぐに風邪を引いてしまった。

そういうときに良いのがバンドレック(Bandrek)である。薬局でも売っているし、レストランでも出してくれる。

バンドレックは、要するに「黒糖の生姜湯」。「バンドレック・スースー」(コンデンスミルク入り)なんてのも屋台やレストランにある。どっちにしても、薬局で売っているパック入りの既製品をポットのお湯で溶くだけ。種類もいくつかある。

値段は薬局で1パケ1000ルピアほど。その場で淹れてもらうと1500ルピアとか。チパナスのロータリーのレストランなら3000から5000ルピア(スースー)。

バンドレックはバンドゥンにもある。ところがジャカルタにはまったくなかった。ジャカルタの薬局では「バンドレック」という名前も通じなかった。

バンドレックはバンドゥンの特産なのか?バンドゥン発だからバンドレックというのだろうか。

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2006年12月 7日 (木)

バンドゥンBandung (往き) インドネシア

11/3 Primajasa社の「エアポートリムジン」バスで、スカルノ=ハッタ空港からバンドゥンに向かう。

バンドゥンに直行したのは、初めての大都会に入るのが少し怖かったからでもある。

バス代は6万ルピア。普通の長距離バスなら2,3万ルピアだと思う。しかし、スカルノハッタ空港から出るのはこういうのしかないようである。

400円程度のカネをケチって暑い中重い荷物を担いで彷徨するよりは、素直にこれに乗ったほうが良いと思った。私もケチりたい衝動に駆られることがあり、そういうときには暑い中何キロも彷徨することがある。

1時に出て、ちょうど4時ごろバンドゥン着。3時間しかかからない。

バンドゥンはバスから見る限りはこぎれいな町だった。

「エアポートリムジン」は、バスステーションには見えないきれいなコンプレックスの前に止まる。

そのコンプレックスのオープンカフェにひとり毛唐がいた。クズ白人丸出し。若ハゲで首が本当に赤い。Redneckとはこのこと。不必要に肌を露出してタバコ。毛唐はどんなに醜くても、アジアではオープンカフェに身をさらすことが本当に好きである。彼らはアジア人を観察対象としか見ていないので、「見られる」ということはそもそも念頭にない。

その辺の人にアンコタ(ミニバス)が出るところを聞いて回るが、要領を得ないのでタクシーに乗る。ホテルパレムに向かう。パレムは満室。近くの安宿Citra(チトラ)をのぞく。かなり上手な日本語を話す人がいた。しかし、9万ルピアでホットシャワーなしの薄暗い安宿。「1000円ぐらい」と説明していたが・・・。

アンコタを拾ってホテル・ニュー・ナリパンへ向かう。アンコタ代は3000ルピア。

バンドゥンのアンコタは特別「ボル」ということはない。1000ルピアくらいは高くなっていることがあるかもしれないが、そのくらいのカネはチップの範囲である。(ホテルのボーイでも1000ルピアではあまりいい顔をしない)。

アンコタが赤信号でちょっと停車する間に、新聞売りはまだしも、アンコタの狭い入り口で半身になってギターを弾き帽子を差し出す人がいる。ほんの10秒ぐらいの演奏である。

こういう沙汰が好きだという人には、ジャワはたまらなく楽しいところということになる。確かに上手だと思うのもいる。適当に太鼓をたたいてがなっている乞食とは違う。しかし、私はどっちも好きにはなれない。

「ニューナリパン」といってもホテル・ナリパンとしか看板は出していない。ジャラン・ナリパンという通り沿いにある。一番安い部屋が22万ルピアくらい。かなりしけた感じ。床がタイルばりの狭い部屋というのはあまり好きではない。結局、デラックスルームに入る。32万ルピアぐらい。ここもしけているが、いちおう絨毯が敷いてある。

ニューナリパンのあたりにはレストランが見当たらない。高いベーカリーカフェがあるくらい(しかしここRasaは悪くなかった)。ローカルレストランらしきものをまったく見ない。たまに焼き鳥の屋台がある。

ホテルニューナリパンは夜少し気持ちが悪い。金曜日の晩なのに泊まる人が少ない。

私が泊まった部屋は気持ちが悪かった。とても静かなのはいいのだが、部屋のあちこちからいろいろな音が聞こえてくる。夜は涼しいせいか、背中がゾクッとする。

11/4 近頃朝寝坊なのでたいていそうなるが、無料の朝食は捨てる。

午後2時過ぎにチェックアウト。ここは立派なホテルなのに、清算後レシートを出そうとしなかった。レシートをくれと頼むと、手打ちタイプライターで打ち始めた。手動タイプライターしか書類を作るものがないようである。うら若い女性が片手でバシバシと打っていた。

ロビーは落ち着いた雰囲気だった。これで手際さえ良ければ手動タイプもひとつの風情なのだが、そういうわけには行かず、時間がかかった。

ナリパンが用意したタクシーでホテルパレムに向かう。途中、幼い現地少女を連れて歩いている白人男を見かけたが、写真は撮れなかった。その少女はたいへん幼く見えたが、実年齢まではわからない。

進歩的で発展的な白人男の中には、インドネシアで遊ぶためにイスラム教に改宗するものもいるようだ。スカルノハッタ空港でも、長くひげを伸ばしたあきらかな西洋白人を見た。イスラム教に改宗しカネさえあればインドネシアで怖いものはないだろう。タイでも近頃はなかなか出来にくいような相当エグイ遊びも出来るはずである。現にアラブ人はジャカルタ近郊のある村にあつまり、数日、時に数時間で結婚と離婚を繰り返すということをしており、インドネシアの大臣が数ヶ月前にこれについて「何の問題もない。ツーリズム振興になる」と発言して物議をかもしたことがある。数日でも数時間でも、結婚・離婚のたびにウラマーやモスクにカネが落ちるということのようである。


ナリパンが呼んだタクシーはメーターだが、6000ルピアのところ10000ルピア札を出すと釣りを払おうとしない。理屈を言って10000ルピア取ろうとする。

10000ルピア札を取り返し荷物を持ってとにかく車から外に出る。

こういうときのために(どの国でも)荷物をタクシーのトランクに入れさせないことが大切である。

懲罰として一銭も払わずに逃げてやろうかとも思ったが(インド圏なら私もやりかねないが)、思い直し、ホテルパレムのフロントで両替してもらい6000ルピアだけ払う。

このタクシーは目的地に着いてもメーターを止めないので、もめている間にもメーターが上がっていたが、着いたときに表示された金額だけ払う。(良心的な運転手はメーターを止める。後に乗った「ブルーバードグループ」の運転手はとまるとすぐにメーターを止めた)。

ホテルパレムはこの日の満室。その後も毎日満室だった。ほとんど予約で埋まるらしい。昨日Citraの日本語の出来る人が教えてくれた、近くの「キングガーデン」という中国系のホテルのビジネスルーム16000ルピアに入る。中国系といってもタイの旅社はもちろんマレーシアの旅店・酒店とも趣が異なる。

土日は銀行だけでなく両替商も閉まってしまう。ATMだけがあいているが、クレジットカードやシティバンクのキャッシュカードが使えるところは少ない。PERMATAというところでは両方使えた。べチャ(リクシャ)で行く。

この国のリクシャは客席が前にあり運ちゃんが後ろから押す形になっているが、なぜそうなっているのかがわかった。排気ガスをもろに浴びるのをいくらかでも避けるためだろう。車道の車の中を走るので、前の席の方が排気ガスを浴びる。確かに一日中あれを浴びていたらすぐに体を壊すだろう。その代わりに客が排気ガスを浴びる。

「キングガーデン」の冷房はあまり効かない。通りに面していることもあり、一晩中うるさいし、空気もよくない。

バンドゥンといえばいうまでもなくバンドゥン会議のバンドゥンである。しかし私は、実はこのアジアアフリカ会議の話にさして興味がなく、その「遺跡」にもまったく訪れずに終わった。

健全で知的でまじめな旅行者たる私としては、初めてバンドゥンに来たからには、バンドゥン会議の復習をしなければならないのではないか、などと思ったことも事実である。しかし、このころかなり疲れていた。疲労は必ずしも過労から来るものでなく、周期的に表れるようである。

バンドゥンは「学園都市」だと聞いていたので、清潔で適当に近代的でネット屋などがたくさんあるのかと期待していた。学校の多いパッタニのように。しかしそういうわけにはいかなかった。

最初車から見たときはこぎれいに見えたバンドゥンの町だが、歩いてみたら相当汚い町だった。インドネシア全域を覆う山焼きによるスモッグのほかに車の排気ガスもひどい。

今日はネット屋にしつこく毛唐が来る。死にやがれ。タイから出てくるな!Rednecks Go back to Thailand!


駅の周辺などひどく汚い。メダンよりひどいかもしれない。どこまでも柔らかく不潔なバンドゥンの下町よりはメダンのほうがすがすがしさがあるように思う。

今までに見たインドネシアの町では、スマトラのドゥマイが天国のようにきれいだった。

マレーシアのコピ・オにあたる砂糖だけ入ったブラックコーヒーを、コピ・ヒタム(黒いコーヒー)という。

漉すものは使わず、挽いた豆の粉と砂糖をグラスに入れてその上から湯を注ぎかき混ぜるだけ。これがローカル標準。

一杯分の挽いた粉と砂糖を混ぜたパックも売られている。一見すると「ネスカフェ」や「コーヒーミックス」などインスタントコーヒーの袋かと思ってしまうが、そうではない。

屋台でコピ・ヒタムを注文するとそのパックをやぶって中身をグラスにいれポットのお湯を注いで出すだけ。コーヒーの粉が下に沈殿するのを待って飲まないと口の中が粉だらけになる。

ホテル・キングガーデンの近くに派出所があり、制服を着た警察官の溜まり場になっている屋台がある。そこから5、6メートル歩いたところにある路地の入り口にはいつもオヤジが立っていて、さかんに声をかけてくる。「ドゥア・ラトゥス・リブー」(2・100・1000)とか。

路地の奥に売春宿があるらしい。しかし、路地を覗く限りただの住宅地に見える。

呼び込みのオヤジは日本の刑事ドラマの脇役にでも出てきそうな怖い顔だった。それだけでも十分引いてしまう。この国ではきっと、女が客引きをすることは違法なのだろう。

ホテル・キングガーデンは、夜中までとおりの騒音がうるさいだけでなく、空気も大変悪い。人気のパレムはどうか知らないが、このあたりの宿は似たりよったりなのではないだろうか。

11/5 土曜の晩だったせいか早朝4時に目を覚ますとまだ表で人が騒いでいた。

午前9時半ごろ、ボーイがわざわざ無料の朝食の注文を取りにきてくれる。部屋まで持ってきてくれた(普通は、朝食は自分でカフェに行かなければそれで終わり。持ってこさせると朝食代がかかると思う)。注文といってもナシ(ご飯)かミー(麺)か、お茶かコーヒーかぐらいのこと。ミーはうまかった。

1時半ごろチェックアウト。チパナスを目指す。

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2006年12月 2日 (土)

ジャワ島で

ジャワ島で見たこと、思ったこと、あれこれ考えたこと。

私が今回見たジャワ島は、ジャカルタとバンドゥン、そしてバンドゥン近郊のチパナスという温泉村だけである。ジャカルタはほんの少しだけ、バンドゥンは少し見ただけだが、チパナスには2週間以上滞在した。

私が見たジャワ島にはジャワカレーがない。

グレ(Gule)という骨付きラム(Kambing)などが入ったココナッツミルク入りカレースープがあった。私が食べたのはラムだったのでケモノ臭かったが、チキンだったらもっとうまかったかもしれない。Sotoもカレー味に近いことがある(ただビーフンが入っていたりする)。

(日本で「スープカレー」などといって喜んでいるのは、外から見るとこっけいである。インド人の作るカレーは基本的に「スープ」だと思う。ダルやチャムが煮詰まってどろどろになることはあるが、最初からどろどろにするためにわざわざ小麦粉を入れるようなことはないのではないか?)。

インド人はたまに見るだけ、インド料理店は私は見なかった。「パダン(スマトラの町)料理」の店が、特徴的なスタイルとこぎれいな店構えと高い値段と澄ました接客でアピールしているが、見た目こぎれいな店でも猛烈にハエがたかってくることが多い。料理の作り置きをしているからのようである。

ジャワ島はどこまでも軟らかい。都会の汚いところの汚さは、湿気ていて本当に不潔感のある汚さだった。

ジャワ島の風土は私には肌が合わないかも知れないと思った。スマトラのほうが快適だった。スマトラはもっと硬質な、乾燥した感じがあった。

私が見た(以下同じ)ジャワ島は、女性がこの上なく魅力的なところだった。ジャワの女性はきれいでかわいくておだやかで、立ち居振る舞いも手足の先まで意識がよく通じているように感じられた。若い女の子はどこのお嬢さんかと思うようなやさしげな微笑をたたえた優雅な所作の子が多い。タイ女のツッケンドンな感じ、ポンポンとした所作、とは対照的。

とくにバンドゥン近郊の女性の所作には、手足までよく意識が通っている感じをうけた。これは女性を優雅にみせる重要な条件だと私は思う。ヴィパッサナ(仏教の基本的な修行:「観」「気づき」)は、タイにはまったく存在せず、イスラムに改宗したジャワには生きづいているのかもしれないと思った。

バンドゥン市内はそうでもないが、ガルッ、チパナスなど近郊になると、女の子の瞳が本当にキラキラと輝いている。星を描いても決してウソにはならないほどである。あの輝きはどこから来るのだろう。

本当にキラキラと光っているのである。日本人の瞳とは、「目の玉の出来」自体がまったく違うように感じられた。しかし、バンドゥン市内など都会になると(暗いわけでもないのに)この輝きが消えてしまうようなので、ますます不思議な現象である。

「どこそこにはいい女が多い」というと、ただちに買春ツーリズムだの女性蔑視だのと、あらゆる理由をつけて激しく論難するものが現れ、結局はそのヒステリックな声が優勢になって他を圧倒し黙らせるという言論環境が日本にはある。

日本には、何か立派な(ようするに左派的な)理論を装ったたんなる情動が、人々の低俗な感情をかき集め、優勢になれば事大主義に訴えて、彼らに対立する言論を封殺する風土がある。

このような風土がある限り、日本の本当の(「国境なき記者団」が発表するようなインチキではない)「言論の自由度」は高くはなりえない。

とかなんとか、難しげなことをこねまわしてみてもしかたがないので、はっきり言ってしまえば、そんなような難癖をつけているのは醜い女たちなのであり、あるいは、醜い女たちに政治的に媚びている連中なのである。

世の中には美しい女とそうでない女とがちゃんといる。

日本ではごまかされているが、バンドゥン近郊に行ってみればわかるだろう。

実に、日本ほど醜い女がのさばっている国は、アジアには少ないのではないか?醜い女はどこにでもいようが、醜いほどにいっそう偉そうにしている女が日本ほど多い国も少ないように思われる。すくなくとも私が旅している国にはそういう女は少ない。これも戦後の文化破壊の悲惨な帰結のひとつなのであろう。

ジャワの女性は一見して文句なく美しいことが多い。本当に魅力的である。日本の漫画に描いてあるとおりの瞳の星がキラキラと輝いている。

まるで生命の輝きそのものが瞳の中に見えているようである。これは否定しがたいことであり、この世に美しい人とそうでない人がいることも否定しがたい。

ところが不思議なことに、男のほうは、ヤクザかチンピラのような連中ばかりだった。

男たちはタバコと騒音が大好きである。ヤクザ風ならまだいいほうで、チンピラ以外の何者でもないような振る舞いと風体と容姿の者が非常に多かった。

ジャワ島の男の下品さはなんともいえない。なまじ豊かなせいか下品さが発酵して臭気を発しているような感じを受けた。カンボジア(ポイペトあたり)の男のほうが、突き抜けたスゴミのなかに、ある種の爽やかさがあったように思う。

本当に、同じ腹から生まれてくるのに男と女でどうしてこう極端に違うのかとても不思議である。

「無料」を口実に「恋愛」と称して開き直った醜悪なセックスツーリスト集団として、世界中の現地女性たちの顰蹙を買い、男たちの嘲笑の的になっている("yellow hole"など)日本人女性ツーリストたちも、このジャワの男たちとは遊ぶ気にはあまりならないかもしれないと思ったが・・・・

しかし、金を払えばセックスツーリズムだが「無料」なら何をやってもセックスツーリズムでないというのは変な理屈である。ある程度若い女ならセックスはどこでもだいたい無料で出来るのである。

私はまた「恋愛至上主義」にも疑問がある。「恋愛」には政治経済的な力関係がからむことは大人なら誰でも認めることだろう。私は、「恋愛ツーリズム」も「セックスツーリズム」に含めるべきではないかと思う。「恋愛ツーリズム」の意味については後にも述べる。

私が体験したジャワ島には「静かなところ」がほとんどなかった

静かなところでのんびりしたい人、ポカラに沈没するのが好きだという人にはジャワ島は向かないかもしれない

ジャワ人は音楽好きというより、騒音好きである。とにかく何かの音を立てることがサービスにもなると思っているようだ。音がないことが貧しさで、音があることが豊かさだと感じているようである。

工芸のセンスは良いようで、ホテルの内装など伝統的装飾が美しくいい雰囲気を出している。たとえばチパナスのティルタガンガとか。そんなホテルの雰囲気のいいロビーでも、巨大な日本製テレビのスイッチを入れてうるさくもてなしてくれる。

中級以上のホテルの部屋は、運がいいと静かになる。

マレーシアの新聞にも書いてあったが、インドネシアのホテルはマレーシアに比べると割高で、設備や環境もよくない。接客の愛想だけはいい。それも大切なことだが、絨毯がゴミだらけだったり、細かな配慮がいきとどかない。割と大きなホテルなのに電気掃除機がなく、絨毯を箒で掃除している。ルームメーキングをした後には必ずホッチキスの針が何本か絨毯の上に落ちているということもあった。そういうような細かいことで何か言っても、ティダッ・アパ・アパ(なんでもない)で終わりのことが多い。自分にとってなんでもなければ相手にとってもなんでもないという、東南アジア一円に広がる思想のようである。

温泉村・チパナスでも「シントー(神道)」がけっこう通じた

日本で「無宗教」の人は、外国で宗教を聞かれたときに「仏教」と答えてタイ人と同列にみなされるより、「神道」と答えたほうがいいかもしれない。(日本人である以上、主観的にどんな宗教に属していても「神道」を離れることは出来ないというのが私の考えである。これを離れたとき、ハレもケもケジメもなくなったとき、その人は日本人でなくなるのだろう)。

私は、マレー語でMandiというのは「ウンコ」のことだとばかり思っていたが、「水浴び」のことだったようである。(たしかにインドネシアの子供が川に入ってクソしている様子を見ると、クソするとは水浴びのことであると理解される)。

「ポカリスウェット」はここでもすっかり定着している。ブランドもデザインも日本とまったく同じ。

昔、「ポカリスウェット」を「正しくない」和製英語の代表のようにあげつらって糾弾していた英語屋がいたのを思い出す。「ブランド」の意味が理解できなかったようである。語学屋って本当に馬鹿が多い。

ジャワ島では本を読んでいる男を私は見なかった。

学校のテキストを見ている女子学生をときどき見ただけ。コーランの勉強をしている様子もジャワでは私は見なかった。

私が見たジャワ島には、敬虔なムスリムは少しはいるようだったが多くはなかった。ほとんどの住民は、アザーンがしつこく鳴り響いていても何の反応もせず、相変わらず、ポンビキ活動をしていたり、安宿の前で座り込んでタバコを吸いながら客待ちをしていたりする(チパナス)。

よりイスラム色の強いスマトラのメダンの屋台の姉ちゃんは、ムスリムはムスリムとしか結婚できないとはっきり言っていた。

ところがチパナスのレストランのある姉ちゃんは、ムスリム女性も改宗すれば日本人と結婚できるなどという。

ムスリムの棄教は大罪ではなかったか?そんなことを公言したら、石打の刑を受けてもおかしくないのではないか?

私はあせって、「ムスリムは改宗できないんだよ」と諭してしまった。

そんな風土である。しかもたまらなく魅力的な姉ちゃんたちがいっぱい。

10年若いときにここに来て、ドロドロに果てしなくのめり込んでぐにゃぐにゃになってみたかったと、いささか思わなくもない。しかし、ジャワの風土は私の肌にはどうしても合わないところがある。

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バンドゥンの鉄道駅周辺は、夜になると売春婦の溜まり場になる。どこの町でも、中央駅周辺というのは寂れていかがわしい雰囲気をかもし出すものではないだろうか。ホアランポーンを出すまでもなく。市内の便利なところで収容しやすい場所ということになるとどうしてもイワクつきの場所になるのかもしれない(イワクに関しては日本特有の事情かもしれないが)。たむろしている女性たちの多くは白塗りお化け系だが、中には若くて小柄で出るところは出て、浅黒い肌もつややかなお目々ぱっちりのかわいこちゃんも散見せられた。日本の買春オヤジがどうしてタイにばかりこだわるのか、ジャワに来ないのかは不思議である。彼らは結局白人セックスツーリストのやっていることを真似しているだけなのだろう。白人オヤジがバービアに行けばバービアに行きおしかけ、ゴーゴーバーに行けばゴーゴーバーに行き、白人がレンタルワイフ遊びをすれば同じようにレンタルワイフを雇いたがる(ただしバカンスの長さや人生設計の関係で白人のようには行かない)。

白人がインドネシアのイスラム地域にあまり来ないのは、彼らにとって宗教問題がわれわれが想像する以上に深刻なことであるだけでなく、インドネシアの一般国民の反欧米感情がわれわれが日本で聞かされている以上に根深いことを知っているからなのだろう。

日本の「個人旅行」や「バックパック旅行」は、白人ツーリズムのマネっこにすぎない。そのキーワードは「個人」であったり「放浪」であったりするが、「個人」(という言葉)に特別な魔法でもあるかのように思いなした日本「個人主義」者の白人礼賛と自国批判とが、それに理論めいたものを与え、何十年か前の「カトマンドゥ」や「カブール」の伝説が「放浪」のイメージを美化し、そのような文学的な処理を経て、そもそも内実などない「個人」の概念に内実めいたものを付与しているように思われる。

カトマンドゥやカブールの「伝説」は、当時1ドル360円で、格安航空券もなく、月給数万円だった日本では多くの日本人にとっては海外など夢のまた夢でごく少数の「エリート」以外経験していないため、それだけにいまなお有効性を持つようである。

しかしながら、日本人がマネっこしている白人ツーリズムの本源は、十字軍ツーリズム、大航海ツーリズム、植民役人ツーリズムであり、その実相はまず持って、レイプツーリズムにはじまり、幼女姦ツーリズム、人買い・児童買いツーリズム、すなわちゴーギャン鬼畜ツーリズムを基本とするものである。

ゴーギャンこそ児童ポルノのパイオニアである

このように、白人ツーリズムは「セックスツーリズム」と不可分である

しかし、この「セックス」は本国におけるセックスと同じではない。「隠されたもの」を暴き出し、「未踏の地」を白人の30センチのビブラムソールで踏みにじり踏破する。目に付いた処女の脚を開かせてその日常における処女膜の様態を確認し、さらにその断裂の様態をも観察する。これもまた人種分類をうちたてた白人人類学に属する。

重要なことは、これら一連の破壊行為が白人にとってはたんなるエネルギーの消費ではないということである。彼らは「野蛮人」の文化の収奪、有色人種の文明的なエネルギーの収奪という意味を持つようなシステムを確立した上で、この破壊行為に及んでいるのである

実際のところ、日本の「個人旅行者」、「バックパッカー」がやっていることは概ね白人ツーリズムがすでに踏み固めた場所をしつこく往来しているだけのことにすぎない。

ツーリズムは多かれ少なかれ伝統文化の破壊を将来するが、白人ツーリズムの特徴はやはりその宣教師的な性格、すなわち、熱心な「破壊+宣教」活動にある

つまり、白人(セックス)ツーリズムは、「破壊」であると同時に「宣教」もあるのである。それは次のようなシステムを持つ。

白人ツーリズムはセックスツーリズムと不可分であるだけでなく、「男女関係」にかんする規範の破壊を必ず将来し、旧来の規範に変わる新しい規範を強要する(恋愛ツーリズム)。

ところが、この「男女関係に関する規範」こそ、あらゆる伝統文化の「形」を維持する堤防なのであり、文化の要(かなめ)なのである

白人ツーリズムによって「男女関係に関する規範」を破壊された土地は、いわば堤防を壊された「輪中」部落のようなものである。

そこには何の歯止めもなくなり、新しい規範たる白人消費文化と(キリスト教を含む)白人イデオロギーとが無制限に流れ込むことになる。

このように、白人ツーリズムは、たんなる「恋愛ツーリズム」によってさえ、白人世界による非白人ローカル文化の破壊と宣教、その文化的なエネルギーの収奪の尖兵となり、その文化破壊と「新規範の注入」を敢行していくのである。

日本のツーリズムが、白人ツーリズムのマネッコをしているかぎり、日本のツーリズムはセックスツーリズムから離れることは出来ない。白人ツーリズムの動因は今も昔も「セックス」(これは「破壊と宣教」でもある)だからである。この点を十分に肝に銘じる必要があると思う。

そして「まったく同じこと」をしていたとしても(実はそうでさえないのだが)、120パーセント非難されるのは常に日本であことも忘れてはならない。

われわれは、白人ツーリズムのマネッコとして現れた「個人旅行」ツーリズム・「バックパッカー」ツーリズムを越えていかなければならない。

どう越えていくかについてはむずかしいが、今思いつくことでちょっとだけ言うと、「日本」を輸出することに気後れしないこと。「日本人宿」、「日本人街区」、「日本人専門店」などを再評価し、これらに新しい意味を与えていくこと。

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