s-id.チパナス

2007年2月 7日 (水)

チパナスCipanas 07年1月 その3 怪我

1月25日。

ポンドック・アジサカAjisaka最初の朝、室内で転倒。タイルの室内階段の角で後頭部を強打。

9時ごろ目がさめて寝ぼけ眼でトイレに入ろうとしたら、大家のオバサンがコーヒーを入れたといってノックしたので、出ようと振り返ってちょっと歩いたところの2段のタイルの階段ですべる。少しぬれていた。床も全部タイル。

階段から滑って床に着いた足も滑り、さらに滑って面白いように真後ろに転倒した。右手にコップを持っていたので、それを壊さないようにと気をつけたのが却ってまずかった。後頭部の骨の出っ張ったところがちょうど階段の角に当たる。

2,3分動けなかったが気は失わなかった。ぶつけた後頭部をさすった左手を見ると手のひらが血だらけ。どす黒い赤のねばねばした血ではなく朱色のサラサラした血だった。身を起こしてみると、そのへん血だらけだった。そんなに血が出ていると思わなかったので、やや仰天する。

ちょうど入り口まで来ていたアジサカのオーナーに連れられてアンコタで(自家用車でないところがつらい)ガルッGarutの診療所へ。プレハブというわけでもないが、雰囲気は「野戦病院」のよう。汚い感じのところで黒い処置台にうつぶせ、カーキ色の役人の制服を着た男女3人ほどに囲まれて処置を受ける。

すべてインドネシア語の説明。傷を水とヨードでよく洗ってくれる。局部麻酔らしき注射を打ち、次に「4(epat)針縫う」という。

仕事はさっさと片付けられて、あとは痛み止めと抗生物質をもらうだけ。これで78000ルピア(1000円くらいか)。

処置はそれだけ。レントゲン撮影や破傷風予防注射の接種もない。脳波の検査なんてあるはずもない。処置をしてくれた軍服(公務員の制服)の人たちは、いちおうゴム手袋をしているが、手袋をしたままペンを握り書類を作ったりしている。

もらった抗生物質は、あとでよく見ると「シプロフロクサシン」だった。アジア諸国で下痢から性病まで何にでも使われているようだが、効くのだろうか。最強の抗生剤というふれこみだったらしいが、数年前にネパールで下痢が続いたときには、これを飲んでもティニダゾールを飲んでもまったく効かなかった。気休めだが別系統のZithromaxも自分で飲んでおいた。

後頭部のため傷の状態を実検できないのがつらい。出血はやがて止まる。

ガーゼが糸で傷に直接縫い付けてある。ガーゼにヨードをしみこませてある。夜には歩きまわれるようになった。

首をやられなくてよかった。しかし、不注意でこんな怪我をしたことはショックである。いつ何がおきても不思議ではない。

3、4年前、タイのチェンマイのあるゲストハウスで、やはりぬれたタイルの階段で滑って転倒した時のことを思い出す。タイ人オーナーやスタッフたちはみんな座ったまま見ていて「ハ、ハ、ハ、イープン(日本人)、イープン(が転んだ)」といってせせら笑っていた。白人客の多い宿だった。血は出なかったがかなり派手に転び、猛烈に痛かったのである。そのときぶつけた肘の骨の痛みは最近まで消えなかった。もし転んだのが白人客だったら、彼らはただちに総出でかけよって助け自家用車で病院に運んでいただろう。タイ人とはそういう連中である。

一方、アジサカの人たちは私の怪我を知るとすぐに集まってきてそれなりの手当てをしてくれ、病院にも送ってくれた。クリニックでも英語はまったく通じないので、私に代わって事情の説明をしてくれた。

インドネシアは危険なところも多いし、医療施設もあてにならないが、人間は(白痴やキチガイは多いが)タイ人ほどは嫌な連中ではないといえる。

私の旅行は無意味なものだが、旅行をしているうちに精神的にタフになった面は確かにある。日本にいる間は自分の血を見ることはまずなかったが、近頃ではかなり大量の血を見てもうろたえなくなった。

Liaは今日も店を閉めたまま。

ロータリーの入り口のところにある別の店の女の子に傷を見てもらう。ガーゼが傷に直接縫い付けてあるのがなんとも変なので、これをはさみで切り取ってくれというと、いいよといって同じ店の雑貨売場から売り物のハサミを持ってきたが、ちょっと傷の状態をみて、これは「ベッソ」(明日)だと断言する。そして翌日もう一度頼みにいくと、約束通り売り物のハサミでガーゼだけ切り取ってくれた。

ところで、インドネシア等で中国人が嫌われているのは歴史的な理由からである。すなわち、インドネシアでいえば350年にわたるオランダの植民地支配を通じて、徴税などの現地人に嫌われる仕事を担当させるために中国本土から中国人が「誘致」され、一定の特権を与えられて利用されたという経緯からである。

もっとも、そのような歴史を通じて(近代)中国人の「体質」もまた形成されていったともいえるのだろう。白人とは真正面から対決しては損である、白人に媚びてむしろ利用されることにより、他のアジア人に対する優越的地位とカネを確保することができるという教訓を中国人は学んだのだろう。

だから、中国人の悪ごすい性格は直接にはこの白人による中国人利用に負うていると思う。近代中国人は、白人の茶坊主・徴税人として自己を確立した民族集団なのであり、近代中国人の「反日主義」の淵源が白人の反日主義・人種主義的反日意識にあることはこのことからも容易に推察される。華夷思想的中華思想は共産中国の成立後にむしろ「復古」されたものなのではないか?

そして、東南アジアで中国人がもっとも深く社会の隅々まで浸透しているのがタイである。あまりに深く浸透しているために、ここの中国系はすでにタイ化しているようであり、タイ人は中国化している。タイ以外の東南アジアの国々では(ベトナムは知らないが)、中国人と原住民との境界がはっきりしているがタイではそれがあいまいである。厳密に言語学的には諸説あるようだが、タイ語と中国語が実際に互換性の高い、互いに学びやすい言語であることは確かだろう。タイ人は中国語を容易に習得するし、中国人がタイ語を習得することもやさしいようである。

いわば、タイ人は、自らを東南アジア化したところの中国人なのであり、東南アジアに地方(じかた)役人、徴税人として土着した中国人の典型がタイ人(上層タイ人)に対応するのである。タイが白人の植民地になったかならなかったかはあまり意味がない。なぜなら、中国人にとって東南アジア諸国の「国境」にはあまり意味はなく、むしろ中国人内部の流派・氏族・血脈のほうが大きな意味を持つだろうからだ。

タイ人の白人崇拝の源泉の一つは、アジア全域のスケールにおいて白人の茶坊主、地下(じげ)役人、徴税人として自己同一性を確立し現地に土着した東南アジア中国人の白人崇拝に由来すると見ることもできると思う。本来卑屈な白人崇拝が、「独立王国タイ」においては、「由緒正しいタイ式文化」の一環としてのブランドを得て「制度化」され、タイの立派な国柄にさえなっているが、これも本質的には植民地徴税役人文化としての近代中国文化に固有の白人崇拝にタイ風味を加えたものにすぎないのかもしれない。

いずれにしても、タイ人と(白人の茶坊主・植民地役人として自己を確立した)東南アジア中国人とは、マレー人と中国人、インドネシア人と中国人、などに比べれば明らかに特別の因縁を持つのであり、「シナは嫌いだがタイはマンセー」などという2chあたりの低脳ウヨの滑稽さはあきらかである。しかし、この種の「日本的な脇の甘さ」、「性善説的妄想性」は、日本の現実の国益にとって深刻な問題を含むものであると思われる。

白人は聖書を読んでいる分、日本人よりも植民地支配が上手であることは確かであろう。聖書には異民族(ローマ人)がどうやってパレスチナの支配に成功していたか、その機微が表現されていると思う。福音書でもローマ人はキレイゴトしか言っていない。パレスチナ下層民(キリスト教徒を含む)の憎悪は直接の弾圧者であるユダヤ教官僚・法学者(パレスチナ上層民)に向けられるように仕向けられる。

毎日雨が降る。雨季のようである。

26日。

傷を治すために睡眠薬で夕方まで眠る。

ロータリーの入り口のところのレストラン(ガーゼをハサミで切り取ってもらったところ)に行くと、若い日本人ツーリストが入ってきた。猫背でおどおどきょろきょろとして色白で、店に入ってくる姿はまるで白痴まるだしである。へこへこしていちいち「テリマカシ」を連発する。

日本人は「堂々とする」ことの価値を、学校でも家庭でも教わらない。日本人が海外で馬鹿にされるのもある程度やむをえないのかもしれないと思ってしまった。

海外で日本人にかかわりあいになるのは現実に危険なことが多いから最後まで知らん振りをしていたが、金を払って出るときにちょっと声をかけてみたらやっぱり日本人バックパッカーだった。バンドゥンに帰りたいが帰り方がわからないから教えてほしいという。ここまで来ているのに「アンコタ」も知らない。「テリマカシ」は連発するがバンドゥンへの行き方を聞くインドネシア語は工夫できないらしい。

もっとも、私も旅行を始めたころはあんな感じだったかもしれない。初心のころは必ず日本人と当てられたが、そのうち中国人と間違われるようになり、近頃では韓国人にされてしまうことが多い。

日本は、孤立した文明、一国一文明の日本としての孤独な宿命をもつ。われわれはこの宿命を正面から引き受けていかなければならないと思う。それが日本人としての誇りでもあるはずだ。

決してどんな外国(文化)にも甘えたり、幻想を抱いたり、特定外国に対して個人的友情に比せられるような「友情」を抱いたりしてはいけないのである。外国というものは常に、われわれが主体となって「利用すべきもの」である。外国および異民族の利用の仕方を巧みにし洗練されたものにすることこそが「国際化」ということの本当の意味であるはずだ。日本は世界を相手にこれからも基本的には「孤独」に、闘い続けなければならない国家であり文明である。この日本の宿命を日本人ひとりひとりが忘れてはいけないと思う。

そういえば、チパナスでは乞食を見ない。ジャカルタを出てからこれまで通った町でも乞食はあまり見なかった。

28日。

われわれはいつか必ずみんな死ぬことはわかっているのだが、もしも仮に、いつか死ぬ人間と永久に死なない人間との二種類の人間がいて、自分がどちらに属するかわからないとしたら、どんなに恐ろしいことかと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

チパナスCipanas 07年1月 その2

1月22日。

朝、ポンドック・プサカPusakaに移る。2部屋借りて10万ルピア(1部屋なら7万5千)。

ガルッのジョグジャに行ってズボンを買う。

ポンビキが叫んでいる「ノーナー、ノーナー、ノーナー」というノナは「スンダ語」で「女」のことだそうである。未婚がノナで、既婚だとニョニャになるのだとか。

バンドレックやバジグールにもそれに対応するスンダ語があるという。これらも由緒ある飲み物のようである。

なお、インドネシア語で「おっぱい」はPayudaraパユダラーである。世の中にこれほど正しい言葉は無いように思う。

23日。

よぼよぼの毛唐オヤジがカナダ国旗のついた帽子をかぶってきょろきょろしながらチパナスのメインロードを歩いている。物欲しそうな青い目は若い毛唐とかわらない。毎日雨が降っていて特に平日はツーリスト自体が少ないが、たまにこういう毛唐が闖入する。

ジャワ人がしゃがみこんでタムロしている姿は、不潔というほかはない。どこまでも安易なほうへ、低きに流れる東南アジアの風土を象徴しているようで汚らわしい。

ああやってタムロするのを「ノンクロン」というそうだが、まともな人間が真似すべき風習ではない。

私が見た限りで言えば、「ノンクロン」は女がするものではない。女でノンクロンをしているのは売春婦だけである。売春婦がポンビキといっしょに座り込んでいる場合だけ。日本人女性が書いている「指さし会話帳」は「ノンクロン」を勧めているようだが、これはもう現地同化主義を超えた「土人化主義」「自己ヴァンダリズム」とでも言うほかない。日本女がノンクロンをしていたら、現地人には白塗り売春婦としか見られないだろう。

ノンクロンは、スマトラではあまり見た記憶がない。それほど気にならなかった。

ネパール人も同じようなことをするが、「ノンクロン」よりはもうすこしスガスガしさがあると思うのは私の偏見でもないだろう。ノンクロンとは趣が異なる。内容はともかく何か真剣に議論したり論じたりしていることが多い。ネパール人は黙って座っていることもあるが、黙っているときは本当に黙っている。東南アジア人のように、突然奇声をあげてわめいたり、狂ったように歌ったり、汚らしく笑ったりはしない。彼ら東南アジア人はほとんど内容のある話はしないようである。

しかし「文明がない」ということはこういうことなのだろう。ネパールは一応インド文明圏である。東南アジアは一部の敬虔なムスリムを除けばただの土人の群れといわざるを得ない。

ネパールの場合、外に座るにしても、みな同じ方向あるいは別々の方向を向いていることが多い。つまり菩提樹の下の休憩所(チョータラ)に木を背にして腰掛ける形が基本である。車座になるときは論争するときか、ばくちをうつ時かだろう。ネパール人は夜は家に入る。

ネパール人が座っている近くに座ったとしても、相手がツーリズム関係者でなければ何の問題もない。ただ空間を共有しているだけである。彼らは沈黙の意味も、距離を取ることの意義も、無関心のやさしさも、わきまえている。(ネパールについては2年行っていないので多少美化されているかもしれない)。

しかし東南アジアの未開人の間ではまったく異なる。彼らの近くに座ることは「空間を共有する」だけではすまされないことである。彼らに近づくことはそれだけで彼らの粘液的な人間関係に参入することを意味する。それはつまり、利用されるのでなければ敵としてひどい攻撃を受ける可能性を意味する。彼らに近づいて無関心をよそおうなら、それはただちに敵意の表明と受け取られるだろう。彼ら未開人(マレー人もそうだが、白人の植民地になるまで文字を書くことも知らなかったのだから未開人というほかはない)の近くに座って良いことがあるといえるのは、誰とでもセックスを楽しめる日本女くらいのものであろう。

「文明がない」ということは恐ろしいことである。いきなり他人の心の中にズカズカ踏み込むことも平気である。初対面の他人に何の用もないのにべたべたと触るのも挨拶である。彼らには「無意識の世界」がない。だからそれに対立すべき「意識の世界」もない。「全部」ダラダラと流れ出すに任せるのが常態だからである。夜中まで大騒ぎしても人迷惑ではない。そういう意識はまったくない。眠る連中はなにがあろうと犬が眠るように眠るだけである。だから、迷惑と感じることもない。

東南アジアの土人、未開人の素(す)の気持ち悪さは、体験してみなければわからない。ちょっと見ただけでもダメである。「旅行自体が新鮮な体験であるうち」はなかなか見えてこない。あの粘液性!「節度」という概念との無縁さ。境目のなさ。こういう連中と本当に楽しく付き合えるという日本人はすでに日本人とはいえないと思う。マトモな日本人ならあまりに徹底した気持ちの悪さにむしろ恐怖を覚えて逃げ出したくなるはずである。たとえば日本で風俗大好きな男がどんなに女とやりたいと思っていたとしても、ここの全身から粘液がにじみ出ているようなポンビキに覆いかぶさるように迫られたら、ギャッといって身をよけるはずである。やりたい気持ちもいっぺんに萎えてしまうだろう。これが正常な日本人の反応であって、そうでなければ日本人とはいえない。

(タイのずる賢さは、ポンビキを使わず、客の自由意志ですべてやらせようとするところだと思う。客は女にたどり着くまでのさまざまなプロセス(バービアetcからはじまり・・・)においても、擬似的探検を通じて好奇心の満足を得る。擬似恋愛もその一環である。これがタイ人の中国人との混血に由来する「悪ごすさ」といえる)。

東南アジアを楽しく旅する秘訣は、人間にあまり近づかないこと、「見る立場」に徹することである。

未開人というのは本当に何もしないでいられるのだ。一晩中、同じところにただタムロし、何をするということもなく、時に突然奇声を上げ、夜明かしすることができる。彼らの大半は日本の基準から言えば「白痴」である。

同じ小路の同じ近辺に何の用もないのに時おり奇声を上げながら、下水管の汚れがこびりついてとれないように、一晩中タムロしている。

とくに悪事をたくらんでいるわけでもなさそうである。トランプやチェスをやっているわけでもない。ただ「こびり付いている」のである。特に凶悪でもないがゆえに、なおさら汚らわしく感じる。人間の尊厳性と考えられているものが生じる以前の人類の動物的生態を見せ付けられているようである。時々意味もなく名状しがたい奇声を発するが、とくに狂っているというわけでもないようである。これが意識が生まれる前の、意識と無意識が分離する前のナマの生の姿というものなのかもしれない。とにかく、気持ち悪いことこの上ない。

この下水溜のような連中は理屈では理解できない。したがって、今危険でなさそうに見えるものが次の瞬間どんな行動にでるかも予測しがたい。どんな恨みを買うのか、なぜ恨みを買うのかも合理的には予測しがたいだろう。だから、防御の仕様がない。

ジーパンの尻を切られてだめにされるくらいはまだ良かったほうだと思わなければならない。いきなり血を見たりするよりは。あの男は自分がどういう動機でどういう感情からそれをしているのか、自分でもよくはわかっていなかったかもしれない。はっきりした理屈もなく、マグマが噴出するようにそれをしたのだろう。

悪いことばかり書くようだが、美女を見慣れてしまえば次には悪いことばかり目に付くようになるという、ありふれた顛末である。

24日。

この2,3日、Liaが店を閉めていて姿を見せなかったが、夕方とつぜんプサカの私の部屋に継ぎを当てたジーンズを持ってきてくれた。金は取らない。すそを切ってその布を当て、すそを短くまつってある。すそが短すぎる。Levis512のスタイルが奪われてしまった。512はいまはもう日本では売っていないと聞いた(マレーシアには売っていた)。

ここにも親切にしてくれる人はもちろんたくさんいる。ちゃんとした人もいる。しかし、マトモな人はたいてい女性である。男はほとんどクズばかり。野蛮人そのものといっていい。女もクズばかりなタイよりは、少しましな国といえるのかもしれない。

プサカが連れ込みとノンクロンとで一晩中うるさいので、ポンドック・アジサカAjisaka(Adysaka)に部屋を取る。4万ルピア。このへんでも一番安い。アジサカのキモチわるいおばさんはなんと家族もちだった。売春婦を30年続けてなお現役という雰囲気なのだが、若い亭主と中学生くらいの男の子(女の子でなかったのは本人のために幸いである)がいる。

プサカPusakaの方も継続。プサカの方が清潔だし風呂場は快適である(チパナスは何より温泉である)。一長一短あり。プサカは以前泊まったときよりもうるさくなった。シーズンオフにもかかわらず、否、シーズンオフだからいっそう、一晩中騒がしいことになる。ツーリストが来ない分地元の若者の連れ込みや売春貸しで稼ごうとしているかのようだ。

アジサカは奥まったところにある中庭式の宿なので、夜は静かなように見える。少なくともバイクが頻繁に出入りするということはなさそうに見える。アジサカは深夜は外から中庭に入る鍵を閉めてしまう。売春の濃厚な臭気が立ち込めたような一角だが、やっていることはプサカも同じ。

インドネシアの猫はMAU!となく。なくというより吼えているように聞こえる。体格の良いネコだけを交配していったら虎のようになるのだろうか。

Liaは今夜も店は閉めている。理由はよくわからない。スポーツをしに行くとか言っていたが、このところ精神的にも身体的にも参っているように見えた。

おそらくLiaは隣の店の白塗り女とトラブルがあったのではないかと想像する。隣の白塗りの若い女(Intan)はLiaの店に客が入ると大音響でステレオをかけ始める。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

チパナスCipanas 07年1月 その1

1月19日。

午前10時過ぎにガルッGarut着。アンコタを市内で一回乗り換えて、チパナスCipanasへ向かう。11時ごろチパナスCipanas着。

ポンドク・ムンターリーPondok Mentariに入る。週末のため6万ルピア。2階の二部屋を借りる。片方は5万。

ロータリーの食堂のリアLiaちゃん(ちゃんというにはお姉さんすぎるが)に、Bajigur(バジグール)という飲み物を教えてもらった。リアの店にあるのではなく、近くの高級ホテル、ティルタ・ガンガTirta Ganggaの残り物をこのへんの人にただで配っている。これも一種の薬湯。バンドレックBandrekほどの刺激はない(たんに生姜があまり入っていないということ)。

今回リアは顔色が悪く、頬がこけて元気がなさそうである。

いつも夜中じゅう店を開けていて、店のコンクリートの床にダンボールを強いて寝ていれば体を壊すのも無理はない気がするが。

いまもホテル・ティルタ・ガンガには日本人がたくさん泊まっていて、昨日は5人もリアの食堂に来たという。しかし私はまったく見ていない。

20日。

一人で来ているらしい毛唐がうろうろ歩いているのを見た。キョロキョロとスケベそうに覗き込み、通りがかる普通の女の子たちをジロジロ見ている。ポンビキたちにいちいち反応している。女目的のようである。こういうやつがアジアにエイズをまきちらすのだろう。

21日。

アンコタでガルッGarutの町に出てみる。あらためて見ると、ガルッは緑が多い良い町である。ジョグジャYogyaデパートに行きTシャツを買う。ガルッのジョグジャは荷物の取り上げもなくのんびりした雰囲気である。

ガルッの町を歩き回り聞きまわってインターネット屋を探し当てる。わかりにくいところにある小さなネット屋に入る。Linuxだった。日本語を書くことはできない。日本語の表示はできるが、サイトにより表示できたり出来なかったり。ココログの管理画面は「ごくたまに入れる」ようだが、操作はほぼ不可能。日が暮れるまで、たぶん3時間ぐらいネット屋にいた。アンコタでチパナスに帰る。

Liaの店に若い日本人グループが来ていた(しかしなんだか韓国人のようなキツイ目つきだったが。日本人も最近は茶髪をあきらめて黒髪にもどしたのだろうか。みんな黒髪だった)。チパナスで日本人を見るのは多分はじめて。

私は日本人がこういう新しい(?)リゾートにどんどん来て、日本人のためのリゾート環境が開発されていくことに基本的に大賛成なのだが、・・・・店の外にいたLiaに日本人だよといわれてちょっと覗き込み(目が合ったやつの目つきがキツかったこともあるが)思わず、見つからないようにという感じで逃げてしまった。

毛唐がたくさん来ることを思えばはるかに良いのだが・・・・。長く旅行しているうちにだんだん隠者体質になってきているのかもしれない。

部屋に帰ってみると、部屋の外に干しておいたリーバイス512の尻のところが真一文字に5センチ以上切り裂かれていた。

ここで働いている小間使いの男がやったのに違いないと思う。2階は2部屋とも私が借り切っていて、小間使いと大家と私以外誰も上がってこない。外部のものが、リーバイスを切り裂くために上がってくるということは考えられない。

この男とは以前からソリが合わなかった。直接には、私が自分の衣類を自分で洗濯をするのが気に入らなかったのだと思う。前回ここに来たときにも、この男は自分に洗濯をやらせろとといってきた。しかしかなり高いチップをやらなければならなかった。洗濯は毎日のことである。また、この男がしょっちゅう女を持ってこようとするのをいつも断っていたのも気に入らなかったのかもしれない。一回女を世話すれば彼らの収入から見ると大変な額が手に入るのだろう。夜中に突然「マッサージ」女がノックしてきたのもこの男が差し向けたのかもしれない。(トビキリいい女(町で見かける素人のかわい子ちゃんのような)を持ってくるなら別だが、こいつなどの持ってくる女はその辺にタムロしている見慣れた白塗りお化けの類である)。

彼はいつも自分を現実以上に偉そうに見せたがる男で、私が大家と何か交渉ごとしていると英語も一言も話せないのに口を挟もうと入ってくる(大家はすこし英語がわかる)。3,4人の妻を持っていること(養う甲斐性があるということ)をしきりに自慢する(バンドゥンの屋台の兄ちゃんでも3人妻がいるといっていた。通うだけなので要するに3人女がいる程度の意味だろう)。とはいっても、すでに中年なのにこんなところで掃除や洗濯の小間使いとして働いていて、夜は外の長椅子で寝ている。

明日は当然のようにこのポンドック・ムンターリーをチェックアウトする。ポンドック・プサカPusakaを予約しておいた。

若い日本人ツーリストたちが帰ったあとのLiaの店に行くと、Liaがしきりに日本人は英語が出来ないという。Liaの英語もむちゃくちゃなのだが、どこからか「日本人は英語が出来ない」という「日本人の弱点」を仕入れてきたらしい。

(先日このネット屋でアフリカ黒人から「英語を話せる日本人にはじめて会った」みたいなことを言われた。どれだけの日本人に会ったことがあるのか知らないが、私が日本人は彼らみたいにしゃべくること自体あまり好きじゃないからそう見えるんだろうとか言うと、「いやいや君は英語が話せる」とか何度も念を押してくれる。そういうとこっちが喜ぶと思っているようである。「日本人は英語が出来ない」だけでなく「英語ができないことにコンプレックスを持っている」というのも通説になって流布しつつあるようである)。

こういうくだらないことは言わない女だと思ったのだが・・・・、おそらくさっき来ていた日本人ツーリストたちが英語が出来ず、卑屈になって自分の「弱み」を強調して見せたのだろう。

しかし、土人に「弱み」をみせれば、それが本当に弱みであってもなくても、これ幸いとそこに押しかぶさってくるだけなのだ。

言葉の世界では、「通じないのは相手が言葉を知らないから」という原則を堅持できたほうが勝つ。つまり政治力。英語を母語とする国民には、英語が通じないのは非ネイティブの方がわかっていないからだという推定が働くから、それだけでも英語の世界では政治的に優位に立っている。この優位性は永久に変わらない。つまり、外国語の語学力を重視すれば重視するほど、非ネイティブは政治的に不利な立場に追いやられることになる。

Liaは今までわかっているフリをしていたようだが、私の英語もわからないという。「彼らはスチューデントか」と聞いたのがLiaにはまったく通じなかった。「ステューデント」でもダメ。結局、「ストゥーデント」でなければ通じない。Liaによれば、スチューデントやステューデントは「日本人英語」で、正しい英語は「ストゥーデント」だそうである。

「白人の英語がわからないのは自分のせいで、日本人の英語がわからないのは日本人のせいだ」というのが、国や民族を超えてアジア土人に共通な思考パターンになってきていることも注意である。

これは旅行上は結構大事なところ。土人国に行く人はよく押さえておいた方が良い点である。ここで卑屈な態度やひるんだ態度を見せるなら「それゆえに」待ってましたとばかりに押しかぶさってくるかもしれない。「それゆえに」見下され軽んじられるかもしれない。未開人にとって力は聖なるものである。(古代日本では「天子の徳」と書いて「スメラミコトのイキホイ」と読んだそうである)。

アジアの国々を旅していて普通に出会う英語話者は多かれ少なかれこの手の連中が多い。ちょっとまともな人間でも英語を学ぶと「奴隷同士」の上下を競い合う下司に成り下がる。この意味で、英語というのはそれを学ぶ人間を卑しくする言語であるといえる。そして、そうなった結果いちばん得をするのはもちろん英語国民である。

インドネシア語のような片言言語が国際共通語であったならこんなことは問題にならなかっただろうし、言語産業(この場合はインドネシア語産業)もふるわなかっただろう。インドネシア語は一応話すには簡単すぎるからである。

他民族にとって習得しにくい支配民族固有の民族言語を国際共通語として押し付けるためには政治力・軍事力が必要だが、帝国主義時代にいったんそれに成功してしまえば支配民族としてはこれほど都合のいいことはない。他民族はその支配言語を習得することだけのために知的精力の大部分を使い果たし、しかもカネも払ってくれるからである。支配民族の固有言語を習得するためには、支配民族の文化習慣やものの考え方も身につけなければならない。こういうことをやらせていれば他民族が固有の創造性を発揮して支配民族が思いも及ばないようなことを企てる知的余力は残らないだろうから、どこまでいっても言語支配民族の勝ちということになる。

アジアに長期滞在し国を転々としながら幼女姦や日本での「肉便器滞在」などを常習としている白人の多くが「英語教師」の肩書きでビザを取っている。貧しい国では彼らが落とす金のためにも周囲の者は英語を学ぶ必要がでてきて、ますます英語が必要とされ英語教師の需要は尽きることがない。

アジアで英語教師になるためには英語が出来るだけでは難しく、是非とも白人でなければならない。また、白人でありさえすればオーストラリアの中卒高卒でも可なのである。

日本の学校では週5時間も6時間も英語の授業をやっていたと記憶するが、この時間をすべて日本語の訓練に切り替えてシゴいていたなら、相当優秀な日本人が出来ていただろう。私の環境では国語教師は愚かで教授法も確立していないようだった。しかし本来なら、もっとも優秀な者が国語教師になるべきなのだ。

ロシア語やアラビア語を(インドネシア語はもちろん)大学で学ぶ人たちが、大学に入ってからの訓練でこれらをモノにしてしまうことを考えると、外国語は必要になったときに本気で勉強すれば必要な限りですぐに身につくものと思われる。50を過ぎてからタイにはまった買春オヤジが(必要と欲望に迫られて)タイ語の読み書きまでできるようになる例も少なくないのではないか?

50を過ぎてから買春旅行を始め、女遊びのためだけにタイ語とスペイン語(中米で遊んでいたらしい)をマスターしたと言う人に会ったことがある。バーで覚えたタイ語は素性がばれるとかそんなことはこの際どうでもいいことである。大阪で覚えた日本語は嫌われるといっているようなもの(その通りだろうが・・・しかしその人も「日本語ができる人」に分類されるだろう)。

義務教育でどうしても外国語を教えたいというのなら、インドネシア語を必修にするのも面白いかもしれない。マレー語などを含めれば世界の話者人口は英語ネイティブ人口に匹敵するだろう。週一回の授業で3年もやればかなり話せるようになるのではないかと思われる。

しかし、日本の義務教育から英語をはずすことは、アメリカの政治的な圧力により不可能なのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月22日 (金)

チパナスのラニちゃん

チパナスのラニちゃん。これもココログに載せられない写真。

http://kuantan.blog74.fc2.com/blog-entry-119.html

------------------------------------------------------------

こっちもよろしく。

http://ibrahim.blog49.fc2.com/blog-category-1.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月21日 (木)

バナナの花 チパナスで

バンドゥン近郊のチパナスで(たまたまチパナスで写真を撮ったというだけで、南方ではどこでも見られるもの)。

実るほど頭をたれる稲穂かな、というが、

バナナは、実りもしないのに頭下げっぱなし。

Imgp2898

紫色の花の根っこにちょこちょこっとついているのがバナナの実。

Imgp2891

バナナの花も野菜として生で食べられる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月10日 (日)

チパナスCipanas (バンドゥン近郊の温泉) その8

Cipanasでは、Pondok Mentariに3、4日いたほかは、ほとんど毎日、宿を変えていた。

・・・・Tirta Murta,Pursabari, Pusakaなど。

Pursabari(プルサバリ)という宿は、はじめ公共の宿かと思った。役所のようなフロントがあり、職員はそろいの制服を着ている。部屋は広いし、まあ清潔だが、宿代が高いわけではない。一泊10万ルピアくらい。

職員はほとんど英語が通じないが、聞いてみるとここは「パブリック」だという。てっきり、マレーシアの国営の宿のような公営の宿なのだと思った。しかし、あとでよく行くレストランの未亡人に聞いてみると、公営などではなく、たんにこの一体の有力な一族が経営しているだけだということだった。公私の観念がまだはっきり分離していないのかもしれない。

Pursabariは、悪党や売春婦の溜まり場のような広場の隣にある。夜更けなのに戸口に物売りが来て竹を鳴らす。

驚いたのは(公共施設だと思い込んでいたから驚いたのだが)、公共施設風の制服を来た職員が、夜中に部屋をノックし、「ノナ?ノナ?ノナは要りますか?」と注文を取りに来たこと。

特別に押し付けるわけでもなく、断るとすぐに行ってしまった。サービスとして親切心で、男一人の客の部屋に注文を聞いて回っていたようだ。ノナは「マッサージ」のことのようである。

Pursabariは見かけは立派なわりに壁が薄く隣の音が筒抜け。隣の人がマッサージを注文する様子も筒抜け。マッサージは時に変な声が出るもののようであった。

チェンガン(Ciengang、公衆浴場)の近くで小さな薬局をやっているきれいな奥さんは、ホテルPusakaの近くに住んでいた。けっこう立派なお屋敷だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月 9日 (土)

チパナスCipanas (バンドゥン近郊の温泉) その7

11・15  チェンガン(Ciengang、公衆浴場)の前の屋台で、バンドレック・スースー(Bandrek susu、コンデンスミルク入りバンドレック)を飲んでいると、屋台の番をしている若い男が英語で話しかけてきた。

英語を話す人はこのあたりでは珍しい。しかもかなり速く話せるようだった。

英語が話せる人がほとんどいない土地でかなりの英語を話す、そして何をしているかといえば、この小さな屋台の番をしている。このことだけでもこの男の性格はある程度規定されるだろう。それに気づくべきだった。アジアのいたるところで出会う下郎の一人だった。

私に「英語は話せるか」と聞いてくる。ここですかさず「No! Not at all!」と言うのが正しい答えだった。

私も少し、周りの人と言葉が通じない生活が続いていたことで孤立感を感じていたのかもしれない。

毎度おなじみのどうでもいい質問が続く。この男はまず、ただ英語を話したかっただけである。

そして私が日本人であることを確認する。ここからが彼らの勝負どころである。

「日本人よりは英語ができる」ことを確認するのがアジアのインテリのまず第一の慰めである。英語こそ成功の道、英語を覚えることが「教養」、と信じて英語をそれだけ覚えても、結局やっていることは公衆浴場の前のボロ屋台の番だとなればなおさらであろう。これは、より豊かな「アジア英語青年」にも多かれ少なかれ共通する感情であろう。

この男のなまった英語が1語聞き取れなかったのでそれを聞き返したところで、すかさずやってきた。

「お前は英語が話せないね。」とつめよってくる。

「アジア英語青年」のこの悲痛な叫びをこれまでに何度聞いただろうか。アジア各地で何人出会ったかわからない下郎、白人客相手にお茶汲みでもするほか能のない下衆たちの一人だった。

ええええ、確かに私は英会話は苦手。あまり話せない。

この男は、1年前に日本人ツーリストが来たと自慢げに言う。

日本人の知り合いがいることが自慢なのではもちろんなくて、鬱屈したアジア青年がこれを言う場合には、「俺は日本人の足元を知っているよ」という意思表示なのである。

おそらくその日本人が英語が苦手でそのことで卑屈に(「謙虚に」)構えていたのだろう。この卑屈さ(謙虚さ)は、日本人の作法のひとつでしかないのだが。

そこで私もちょっと気を引き締めて(私も気を引き締めると英語も少し話せるようになる)、「日本人ならこの村にはいつも来ているらしいよ。今も何人か来ているときいたし、泊まっているポンドクの人は一ヶ月前にも日本人が来たと言っていた。」とかなんとか、パッパッパと言ってみたら、たちまち通じなくなってしまった。「あんたは英語があまりできないね」と切り返してやったらやっぱり田舎の青年なのかオロオロして「自分の英語は中国系の英語だから・・・・」などと言い訳を始めた。

ちょっとムキになってしまったのは恥ずかしかったが、アジアのあらゆるところで出会うこの手の下郎はほんとにウザイ。

彼らは「日本人は英語ができない」ことを確認するためだけに、日本人に話しかけてくるのである。

このタイプのアジア人のネットリとした嫌らしさ、粘液的な表情や声、全身から染み出す日本(人)に対する嫉妬心は、アジア全土に共通のようである。インドネシアでははじめて見た。

----------------------------------------

ネパール人の場合はもう少し端的に頭が悪かった。「日本人は英語ができない。だから、日本人は頭は良くない。日本人はたんに技術で金持ちになっているだけだ」などと、私に面と向かって言うチェトリ(クシャトリアに相当)がいた。(「技術」はカースト的に低い者の生業でもあるのだろう)。

彼らが滑稽なのは、「英語ができる」ことが「教養」であり「頭の良さ」である、と本気で信じていることである。

彼ら「アジア英語青年」の教養観は、漢文ができることが知のすべてであった李氏朝鮮の役人のようなものである。実際、彼らアジアエリートがどんなに教育を積んだとしても、彼らは、白人世界に対しては、李朝のシナに対する関係と同様の限界を越えることはできない。

タイは当然ながら事態はもっとひどい。タイでしか通用しないタイ英語がタイ人以外のアジア人に通じないときには無条件に「自分は英語ができるが彼らはできない」と思い込み、白人に通じないときには大いにへりくだり、自分の英語はまだまだだがそれでも白人に相手をしてもらえたことを喜ぶという猿振りである。彼らが自分は英語ができると思い込む根拠は、白人が相手をしてくれていて何とか通じているからというものでしかない。

タイは、「自分は英語を聞くのは80パーセントでき、話すのは70パーセントできる」なんて大笑いなセリフを白人を集めて本気で言うバカが掃いて捨てるほどいる国である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

チパナスCipanas (バンドゥン近郊の温泉) その6

マスジッドの近くの路地を歩くのは楽しい。

この辺はカトマンドゥの旧市街に似ていなくもない。ただしもっとこぎれいで、家畜はあまりおらず、深夜まであちこちで音楽がなり、不思議さと不健全さに満ちている。

マスジッド正面の路地に近代的な普通の住宅に見える安宿兼売春宿があり、路地を歩くとすぐに若いポンビキが寄ってきてそこに連れて行く。覗くのはタダだが、あらゆる意味で良い所とはいえない。

白人がうろつかないせいか、外国人を嫌う雰囲気はない。ちなみに(イスラム系)インドネシアでの買春で有名なアラブ人も見かけない。

ポンビキは悪所だけでなく、普通の安宿も紹介してくれる。悪所を見せた直後に、ごく普通の健全な宿につれていったりする。小さなデイパック一つ持っていても今夜の宿を探している観光客だと思われるようだ。

狭い一帯なのですぐにワルイヤツらとも顔見知りになってしまう。小さな何かをそっと手渡す若者・・・・

このような話題は、この健全なブログにはふさわしくないのだが、ネパールやインドでのガンジャやチョコをめぐる雰囲気はもっと明いものがあったのに、東南アジアのドラッグをめぐる雰囲気はどうしてこんなに陰湿で犯罪的なのだろうか、などと思ってしまった。もちろん「種類」が違い「毒性」が違い、法規制も違うということがあるのだろう。しかし、どうして「種類」の違いが出てくるのだろうか。おそらく、「目的」が違うからなのだろう。

カトマンドゥに最初に行ったころは、その辺の道端に腰を下ろしてなんとなく時間をつぶしているだけでも楽しかった。ここでもそれに似た時間のつぶし方ができなくはない。しかし、もっと騒がしく駆り立てるものがある。

マスジッドの正面の売春宿では、住み込みの若い売春婦が一人でフロントの番をしていることもある。私は時々立ち寄って、このニコニコとしたカワイイ売春婦と片言のインドネシア語でカネのかからない時間をつぶした。男の番人が帰って来るとコソコソ出て行くほかないのだが。

「名前は何」「歳はいくつ」「村はどこ」というようなフレーズばかり数カ国語でポンポン出てくるという現象は、好ましくないことである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月 8日 (金)

チパナスCipanas (バンドゥン近郊の温泉) その5 Ciengang(チェンガン、公衆浴場)

チパナスでチェンガンCiengang(公衆浴場)を見つけてからは、毎日のようにそこに通うようになった。あまり清潔とはいえないが、表示によれば湯の温度は摂氏44.2度と高い。誰でも入れて無料。

これがけっこう癖になる。脚だけ入れていると熱くてたまらなくなるが、全身湯につかってしまうとそれほどでもない。子供が泳いだりして波が立つとまた痛いように熱い。

男女はもちろん別になっている。洗い場も別にあるが、そっちのほうは小便臭くて汚い。入浴はパンツをはいてはいるのが原則だが、全裸で入る若者もちらほらいた。

私が通っていたCiengangの場所は、Masjid Jamie At-Tamanのある路地をマスジッドを左手に見てまっすぐに歩き、突き当りを左に折れてしばらく歩くと左手にある。

チェンガンの近くにはコピやバッソの屋台が2,3出ている。

チェンガンの近くの薬局の若奥さんは臨月に見えたが、きれいな人だった。風呂上りはいつもそこでバンドレック(Bandrek)を淹れてもらって飲んだ。

チェンガンは、(ホテル)ポンドク・アジサカ(Pondok Ajisaka)からも近い。

ポンドク・アジサカはなんともおぞましいところだった。泊まったことはないが、一度部屋を見に行った。迎えてくれたのは、30年間売春婦を続けて50を過ぎてなお現役という感じの、バケモノ風のミニスカートのオバサンだった。

この人がこのポンドクのオーナーなのか管理人なのか専属売春婦なのか売春婦を束ねている人なのかはわからなかったが、村の若い売春婦たちを引き連れて歩いているのをよく見かけた。

ポンドク・アジサカ近辺は、得体の知れない安宿が密集し迷路のようになっている。隠微で猥雑な雰囲気が立ち込めた一角である。それでいてどこかちょっとおしゃれっぽい風味がなくもない。気力と体力と好奇心に自身のある若いツーリストならこういうところに沈没してドロドロになってみるのもいいのかもしれない。看板を出していないポンドクも多い。番人が誰もおらず部屋が開けっ放しになっている。覗いてみると、売春婦が3人4人集まって昼寝をしていることもある。幸い、こういうところでも毛唐は見なかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

チパナスCipanas (バンドゥン近郊の温泉) その4

11/7  Nugrahaをチェックアウト。Nugrahaは部屋がみな道路に面していた。部屋が2階のせいで温泉の出が悪い。湯の出が悪いと浴槽がぬるくなる。

Cipta Rasaというところに移る。Cipta Rasaも一泊10万ルピア。

ロータリーの周りの店にも英語が通じる人は少ないが、カタコトの英語と日本語を話す31歳の「未亡人」がレストランをやっていた。スラッとした感じで、日によってはおしゃれで、店の中もキレイにしている。

コーヒー(コピ)をくれと言ったら、すぐに「コピ・コソンか」と聞いてきた。

「コピ・コソン」(砂糖なしブラックコーヒー)は、マレーシアでは通じる言葉だが、インドネシアでは普通あまり使わない言葉だと思う。バンドゥンでそう注文してみたが通じなかった。ローカルな店で砂糖なしコーヒーを出すところはない。

この人は日本人が「砂糖なしブラックコーヒー」が好きだということも知っていた。

インドネシアでもマレーシアでも、コーヒーを頼めば何か食うか聞かれるのが普通だが、風邪であまり食欲がないとか言ったらすぐに、お粥はどう、と言って作ってくれた。

もちろん商売だが、このお粥も日本人客の注文で作ったのが始まりだという。もっとも、長粒米のご飯を煮て地元の味をつけたもので、日本のおかゆとは別物である。

11/8  Cipta Rasaは平屋の長屋式バンガロー。昼間は静かだが、夜は静かになるときがない。この村のバンガローは大体そんな感じである。部屋の前に駐車場のあるところは、夜になると車やバイクの出入りが昼よりも激しくなる。

安い宿は隣の部屋の売春営業が忙しいところもある。みんな地元の人ばかりだが、売春婦が部屋を借りて、一晩中いろんな男が出入りするという形式のようである。もちろんポンビキがすべてセットするのだろう。安宿は当然ながら「マッサージ斡旋」がうるさい。宿代よりもこちらが本業かと思うくらい。「ノーナー、ノーナー、ノーナー・・・・」と最初は何のことかと思ったが、ノーナーというのは「女」という意味のようである。マレーシアに帰ってから、「ノナとワニタは同じ意味か?」と聞いてみたが、中国系の人に聞いたせいか、「ノナは知らない」ということだった。インドネシアだけ、あるいはジャワだけの言葉なのかもしれない。安宿の前を通るとそっと寄ってきて「スラトス、スラトス」とささやき、付きまとう男が居る。スラトスとは単に100のこと。スラトスリブーで10万(ルピア)。

Cipta Rasaはこの点に関しては健全で明るい清潔な宿だった。湯もよく出て温度も高い。

しかしちょっといいバンガローは、物売りがうるさくやってくる。

朝4時か5時くらいから、ローカルスナックの行商やバッソ売り(練り物と麺などの入った軽いスープ。練り物のことをBasoというらしい)が戸口に来て、かんかんと竹をたたいてしつこく合図する。

その前に午前4時ごろ大音響でモスクのアザーンが鳴るのだが、その音で起こされるということはなかった。

前述の「未亡人」のお姉ちゃんは日本人常連客をたくさんもっているようで、いろんな人の名前を出した。今も滞在しているという。しかし私は、この小さな温泉村でぜんぜん日本人を見ない。

彼女が以前バンドゥンの会社で働いていたときの同僚にも日本人がいたという。

彼女の一族はロータリーの近くに高級とはいえないが広大なバンガローを所有しているが、彼女自身はあまり金がありそうな感じではなかった。

そのバンガローはLebur Kuringというところ。ほかのところと同じような形式で駐車場が広い(つまり車出入りが激しい)。部屋の内装はあまりよくない。勧められて翌日一泊する。

Lebur Kuringは一晩だけでチェックアウトし、次にAsriという宿に入る。

そこはちょっと変なところだということがわかったので、その日のうちにMasjid At-Tamanのすぐ近くにあるPondok Mentariという看板も出していない宿に移った。ここはしばらく居られたが、ここもちょっと変なところだった。

Asriに移ったと「未亡人」の姉ちゃんに言ったとき、それだけでもう、旦那がハジャイに行ったのを知ったマレーシア女のような目つきで、私を見た。たしかにAsri周辺は、ことのほかチンピラの溜まり場のようだった。

Pondok Mentari(ポンドク・ムンターリー)は、家族経営で清潔な宿で、小間使いが二人いて毎日掃除してくれる。快適なときは快適だった。一泊50000ルピア。温泉もよく出る。

ただ、ここも私が探していたような静かな宿ではなかった。

安いだけに、地元の若い連中がラブホテル代わりに出入りする。一晩中起きていて(寝ていて?)複数の客を取る売春婦も泊まる。そのたびに扉の開け閉めがあり、車が入る庭はないがバイクが突っ込んで来る。この土地の人はそういうことにはまったく寛容である。すぐ近くにはマスジッド(モスク)がある。

ポンドク・ムンターリーは看板もないが、日本人ツーリストもよく来るらしい。小間使いの男のひとりがバックパッカーらしい若い日本人の名前を挙げる。すこし英語を話す方の男はバタムで働いていたと言っていた。そこで日本語も少し勉強したようだが話せない。

英語をまったく話さないほうの小間使いの男は、なんとも貧乏臭い風采の上がらない小男なのだが、妻が4人いることを自慢していた。自分の妻たちの住んでいる家々を指差す。

隣の部屋で売春婦が終夜営業した日、この小間使いに「ジャカルタからすごくいい女が来て隣に泊まるから(買わないか)」と熱心に誘われた。スラトスだという。私を会わせてくれたが・・・・・どこがいい女なのか、、、ただ色が白いだけのふやけたような厚化粧の女。街で見かける超かわいい女の子たちとは正反対のタイプだった。しかし、このタイプがインドネシアの庶民男性の憧れなのかもしれない。

売春婦が終夜営業して入れ替わり立ち代り男が出入りしても、聞こえてくるのはバイクの音、扉の開け閉めの音、ひっきりなしにしゃべる声ばかり。かんじんのアノ声はぜんぜん聞こえてこない。ちゃんとやっているのだろうかと思ってしまった。

チパナスはよほど村はずれに行っても静かなところはない。

この土地の人々は早朝から大音響でロックをかけることを好む。早朝大音響でロックをかけることは一種の儀礼のようであり、周囲の人々へのサービスまたは挨拶のようでさえある。しかし、趣のある伝統建築の家から大音響のロックが響いてくるのは残念である。

民俗音楽とか伝統音楽らしいものは私はついに聴かなかった。

それでも田園風景は美しい。ジャランジャランと称して狭い路地やあぜ道を歩き回っていたらお墓にたどり着いて、そこから先に進む道がなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

チパナスCipanas (バンドゥン近郊の温泉) その3

チパナスのロータリーには屋台とレストランとがある。バラックにペンキを塗ったほうがレストラン。(これは私が勝手につけた区別)。

11/6 屋台のインドネシア語しか話さない、超かわいい17歳の女の子と話をした。彼女はKota(ガルーの市街)の学校から帰ってきてここを手伝うので、夕方から顔を見せる。私はインドネシア語はほとんど出来ないので会話には難儀をする。この辺ではホテル(ロスメン)では「タオル」の一言が通じない。

この女の子も、日本人客がいっぱい来ると言う。知っている日本人がいるというので、なんとなく男の話だろうと思っていたら、ハルカ○○○○○という日本人女性の名前を出してきた。その人はインドネシア語がよく話せるようだ。

しかし、チパナスみたいな、ホテルのボーイはポンビキばかりで助平そうな男に満ち溢れた場所に女ひとりで来て大丈夫なのだろうか。タイのある白人が日本人女はどこにでも一人で行くとあきれたように話していたのを思い出す。

とにかくその超かわいい女の子はニコニコして、こちらがインドネシア語がわからないのもお構いなしにどんどん話しかけてくる。ほとんど何もわからないので、ただ相槌を打っている。

こういうかわいい女の子は性格も良くていつもニコニコしているのであって、「私だから」ニコニコしてくれているわけではないというという点が重要である。

(逆に言えば、タイ女のシカメッツラや仏頂面に出会ったからといってあなたが悪いわけではなく、ほとんどの場合はタイ人の精神の貧困の表現にすぎないのである)。

ともあれ、先達のおかげで、この町の日本人のイメージはたいへん良いと感じた。

超かわいい女の子に「どこに泊まっているの」「センディリ?(ひとり?)」など、あれこれ聞かれるのであるが、ここはタイではないので特別な意味はない。

女の子に、"I love you"は日本語でどう言うのと聞かれて困った。これまでもいろいろなところで聞かれ、いつも返答に困る問いである。

「それにあたる日本語はない」というのが正しいと思うのだが、わかり易いところで「好き」というと答えると、彼女はちょっと変な顔をして「『愛してる』じゃないの?」と聞き返してきた。もう誰かに聞いていたのだ。

こういう変な日本語が海外に流布していることを残念に思った。(ちなみに「ジキジキ」を日本語だと思っている人もアジア各地に多い)。

私はちょっとあせって「スキ」はコピとか友達とかなんにでも使えるが、「愛してる」は男と女のときに使う、とか身振り手振りでかなりいい加減な説明をした。何とか理解してもらえたようだ。しかし、「男と女の」を表現したときに、この辺のポンビキが「ジキジキ」を表すときにする手振りを使ってしまったのは失敗だったかもしれない。

レストランでインドネシアのテレビを見ていると、ルポルタージュのような番組をやっていて、若い白人男が小さなアジア人児童の手を引いて夜の街を歩いている姿を映し出していた。言葉がわからないので、それがどこの国のどこの町なのかもわからないし、状況もわからないが、大都会の繁華街のようだった。ジャカルタだろうか。映されていた白人は不良白人丸出しで、カメラに向かって開き直ったような態度で手を振っていた。その番組には、街にたむろする子供たちがたくさん出てきていたので、ストリートチルドレンの問題を取り上げた番組のようだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バンドレック(Bandrek) バンドゥン

チパナスは標高が高いようである。バンドゥンからジャカルタにバスで帰ったときにはペットボトルが少しへこんでいた。バンドゥンで買ったペプソデントのチューブが、チパナスで使おうとしたときパンパンに膨らんでいたので「腐ったに違いない」と思って捨ててしまった。

そういうわけでチパナスは夜は冷える。昼は暑いし部屋の風呂場に常に温泉が湧き出しているので、バンガローの造りは「夏向き」になっている。あちこち隙間が作ってあって風通しが良い。蚊はそんなにいない。

昼と夜との温度差ですぐに風邪を引いてしまった。

そういうときに良いのがバンドレック(Bandrek)である。薬局でも売っているし、レストランでも出してくれる。

バンドレックは、要するに「黒糖の生姜湯」。「バンドレック・スースー」(コンデンスミルク入り)なんてのも屋台やレストランにある。どっちにしても、薬局で売っているパック入りの既製品をポットのお湯で溶くだけ。種類もいくつかある。

値段は薬局で1パケ1000ルピアほど。その場で淹れてもらうと1500ルピアとか。チパナスのロータリーのレストランなら3000から5000ルピア(スースー)。

バンドレックはバンドゥンにもある。ところがジャカルタにはまったくなかった。ジャカルタの薬局では「バンドレック」という名前も通じなかった。

バンドレックはバンドゥンの特産なのか?バンドゥン発だからバンドレックというのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月 7日 (木)

チパナスCipanas (バンドゥン近郊の温泉) その2

チパナスにはずるずると20日近く滞在してしまった。両替屋もATMもないのは不便だったが、小さなドラッグストアで日用品は用意することが出来る。屋台も多く、いろいろな料理が食べられる。空気も良いので、その意味ではバンドゥンなどより居心地は良い。

しかし、問題は騒音である。(私の見た)ジャワ島はどこに行ってもうるさいのだが、ここは決して「ひなびた温泉村」ではない。

私は静かでリーズナブルな宿を探してほとんど毎日のように宿を変えたが、結局静かなところは一泊35万ルピアのホテルくらいだった。しかしこのホテルTirta Ganggaは、シーツや枕の洗剤の匂いが強烈で目が痛くなるほどだった。それがどうしても耐えられず、その日はほとんど一晩中屋台を回ったり、その辺に腰を下ろしたりしてすごした。

私の泊まった宿は覚えているところをあげると、Cipanas Indah, Cipta Bela, Nugraha, Cipta Rasa, Lebur Kuring, Tirta Murta, Asli, Pondk Mentari, Hotel Tirta Gangga, Pusaka など。PondokとHotel以外はロスメン。

チパナスの治安は良い。ただ、女性の単独行には向いていないかもしれない。強烈にスケベ丸出しのチンピラ風で優しくてしつこい男がうじゃうじゃといて(やるにしてもやらないにしても)眠る暇がないと思う。

チパナスはローカル色の強いリゾートで、地元の趣味に合わせてケバケバしいところもあるが、店の人たちは外国人ずれしていなくてとても感じが良い。

ロータリーの周りの小さなレストランが並んでいる前を通ると、一人で店をやっているらしいかわいい女の子が寄ってきて呼び込みをする。まるでお兄さんミルダケミルダケみたいな感じだが、もちろんただの食堂である。

そのとき客は私だけだったので、そのかわいい女の子は私の前に座り(これは日本では風営法の届出が必要な行為である)、どこから来たの、名前は、などいろいろ聞いてくる。ビールは飲まないかというので、「あなたはスンナか?」と聞いてみた。すると普通に「スンナ」(ムスリム)と答える。ここではあまり関係がないらしい。

しかし、こんな素敵な場所も、いったん毛唐が来てしまえばそれで終わりである。

幸いチパナス滞在中、白人はあまり見なかった。たまにガイドに連れられた小グループがホテルに泊まるくらい。

チパナスのレストラン街(屋台)も英語が少し話せる人が何人かいる。チパナスに来るまでの道のりでは英語はほとんど通じない。

バンドゥンのホテルですら、英語が通じる人はフロントにひとりかふたりいるだけで、ボーイはまったく英語が通じないことが多い。夜になると、英語が通じる人間は誰もいなくなるということも。

言葉(英語)が通じないということは、白人旅行者、とくに白人個人旅行者にとってはもっとも大きな問題である

彼らは世界中どこにいっても(母国語かそれに近い)英語が通じる、ということに慣れきった上で、海外旅行をしている。

日本人のように、「海外では言葉で不自由する」ということを前提に、それを覚悟して旅行の計画を立てているのではない。

そして白人は、相手の「場」に入って身振り手振りでコミュニケーションするということが出来ない。プライドが許さないのかもしれないが、そういうアナログな発想が出来ないのかもしれない。

実は白人は、身振り手振りや表情でのコミュニケーションが出来ない。

これを読む人は意外だと思うかもしれないが事実そうなのである。

白人が身振りや表情が豊かだという人が(とくに日本人に)いるが、それは単に「白人の身振り」「白人の表情」を上からドーンと押し付けているだけのことである。

すでに確立されている文化的な上下関係を前提に、周囲を従わせ、相手に「推測」を強要し、立ち回らせているだけである。

それはつまり文化的な上下関係が確立しているところで初めて機能する「言語」なのである。したがって、白人文化が浸透していないところでは、それはまったく機能せず役に立たない。

私は日本人なので、ただの一言も言葉が通じない場所を旅しても何とかしのいでいけると思う。世の中には、ただの一言も、たとえば、「ウォーター」も「マネー」も「ボーイ」も「マン」も、英語が通じないところが多い。

そういうわけで毛唐はあまり来なかった。

日本人客が多く来るらしい。知っている日本人客の名前を何人も上げる子もいる。しかし私は、20日近くの滞在中、日本人かもしれないと思う人はひとり見かけただけだった。

小さな村なのに、滞在中日本人に会うということもなかった。

私はなぜか近頃、どこに行っても日本人に会わなくなった。3,4年前はよく会った。それなりに楽しいこともあった。学生や買春オジサン、それなりに魅力的な女の子など。

ところが、このところまったく日本人に出会わなくなった。日本人だとわかる人を見ること自体が少なくなった。

夜になると外は肌寒くなるが、部屋の中は温泉のせいでむし暑い。プールでは夜遅くまで家族連れが遊んでいる。

夜は肌寒いといっても、昼間のクソ暑いうちから革ジャンなどを着て冬の格好をしているひとがこのあたりには妙に多い。

このロータリー近辺の人々はみんなチヤホヤしてくれる。女の子だけでなくおばさんも。

以前はこういうことがあると本当にうれしくて「旅の励み(?)」にもなっていた。しかし今は、地元の人にチヤホヤされてもなんだか素直に喜べないようになってしまった。

白人が同じようにチヤホヤされて調子こいている姿を、多く見すぎてしまった。自分がチヤホヤされることでローカル客などが面白くない気持ちになっていることは大いにありうる。

(今私がいるネット屋のマレー人姉ちゃんは、アフリカ系黒人客の「嫉妬」につねに神経を使っている。過敏なくらいに気を使っている。もうひとりの中国人姉ちゃんも、マレー姉ちゃんほどではないがけっこう気を使っている。

黒人客はいつもディスカウントを要求していて、「他の客は負けてもらっている」などと強く主張する。たしかに、私はよく使うので、すこし負けてもらうことがある。

マレー人姉ちゃんは、黒人客がいるときといないときとでは、私に対する態度がまったく違う。

中国人姉ちゃんは黒人客がいるときに私に対して強い口調で正規金額を請求したが、口で言った金額と実際に取った金額とが違っていた。

しかし、こういう感情を馬鹿にしてはいけない。人間はだいたいこんなようなものであると思う。人間の嫉妬をナメてはいけない)。

しかしながら、若い女の子がチヤホヤしてくれるということは時を越えてうれしいことである。

このあたり、少女のころの安達祐実とか、同じく国仲涼子みたいな女の子はざらにいる。

ある食堂の女の子がまたチヤホヤしてくれて、カタコトの日本語で話しかけてくるので、ちょっと皮肉交じりに「どこで覚えたの?バタム?」と聞いてみると、意外にもここで覚えたのだという。

日本人ツーリストがたくさん来るらしい。

食堂の女の子が、今日は日本人客が何人来たとか、今たくさん来ているとかいう。しかし私にはどれが日本人なのか区別がつかない。

日本人バックパッカーなどが来ていたら、一見して日本人とわかっただろう。

チパナスに来ているという日本人たちは、ツアー客やバックパッカーではなく、インドネシアに勤務している人などが多いのだろうか。

それ以外の人々も、タイ北部の町に吹き溜まっている薄汚い日本人オヤジたちと違い、毎日群れて、弱みを探りあい、足を引っぱりあうといった変態生活を好まない人たちなのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

チパナスCipanas (バンドゥン近郊の温泉) その1

バンドゥン鉄道駅に近いアンコタ(ミニバス)ステーションに行き、チチャフウム(Cicaheum)バスステーション行きのアンコタがあるかどうか聞く。このアンコタステーションには座るところもなく、汚くて空気が悪い。

バンドゥンの下町の汚さは格別のような気がした。デリーとかカトマンドゥと比較にならない。

バンドゥンの汚さは残飯生ゴミ的な汚さ。

結局、チチャフムへ行くアンコタはなく、その辺の人たちの指図に従って、通りでダムリのシティバス(1番)を拾う。

チチャフウムまでのシティバスはエアコンつきでいいバスだった。

チチャフウムに着いてバスを降りるとすぐに、役人の格好をした男になぜか金をせびられる。断るとそれで終わり。その辺の屋台で番をしている男もなぜか役人のような格好をしている。

チパナス方面に行くバスはすぐに見つかった。ミニバスのようなバスでシティバスより小さくエアコンもない。バスの中でチケットを買う。このバスはガルッGarut行き。

バスが停車するたびに物売りが乗り込んでくる。しかし、タイなどのバスのような物売り然とた物売りではない。

綿棒のパケを乗客にひとつずつ手渡していく人がいる。最初は日本のティッシュ配りかと錯覚したが、もちろんそうではない。すぐに回収に来る。それまでに買うかどうかを決めるというシステム。買う人もいる。

新聞も、コーランの章句を書いたプラスチックの板も、ちょっとした菓子も、なぜか「ベルト」も、このやり方で勝手に人のひざの上や腕の上に置いていき、回収していく。

ガルーGarutまでのバス代は10000ルピア。

1時間ほど走ってようやく町を出る。Hazeのせいか風景はかすんでいて空気もあまりよくならない。

当然のことだが山焼きによるスモッグは山のほうがひどかった。いったいにかすんでいる。スマトラとボルネオだけでなく、ジャワでもやっていたのだ。当たり前のことだが。マレーシアの新聞を読んでインドネシアの山焼きはスマトラとボルネオだけのように思い込んでいた。新聞や本だけ読んで何でもわかったつもりになるということは危険なことである。

山を焼く臭いのすることもある。焚き火とはぜんぜん違う臭いである。

教えられたところでバスを降り、チパナス行きのアンコタに乗り換える。アンコタで温泉町の突き当たりの屋台に毛の生えたようなレストランが立ち並んでいるロータリーまで行く。アンコタを降りるとホテルの客引きが寄ってくる。

ロータリー沿いの、Cipanas Indahというロスメンにチェックインする。「デラックスルーム」で一泊20万ルピア。

どの部屋も常にお湯が出ている。プールもあり。日曜で、子供連れがたくさん遊んでいる。プールもお湯。ぬるま湯だが入っている分には快適。

部屋の浴槽は栓をしない限りお湯が出続けている。ただしシャワーはない。

プールには服を着て入る。

水着を着ているのは小さな女の子ぐらい。それもレオタードのような短パンのワンピース。

コマネチ式の水着を着ている人はひとりもいない。男も、上は裸の人もいるが下は普通の半ズボンだったりする。私もTシャツを着てプールに入った。

このあとチパナスに20日近く滞在することになる。その間、毎日のように宿を変えた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月 2日 (土)

ジャワ島で

ジャワ島で見たこと、思ったこと、あれこれ考えたこと。

私が今回見たジャワ島は、ジャカルタとバンドゥン、そしてバンドゥン近郊のチパナスという温泉村だけである。ジャカルタはほんの少しだけ、バンドゥンは少し見ただけだが、チパナスには2週間以上滞在した。

私が見たジャワ島にはジャワカレーがない。

グレ(Gule)という骨付きラム(Kambing)などが入ったココナッツミルク入りカレースープがあった。私が食べたのはラムだったのでケモノ臭かったが、チキンだったらもっとうまかったかもしれない。Sotoもカレー味に近いことがある(ただビーフンが入っていたりする)。

(日本で「スープカレー」などといって喜んでいるのは、外から見るとこっけいである。インド人の作るカレーは基本的に「スープ」だと思う。ダルやチャムが煮詰まってどろどろになることはあるが、最初からどろどろにするためにわざわざ小麦粉を入れるようなことはないのではないか?)。

インド人はたまに見るだけ、インド料理店は私は見なかった。「パダン(スマトラの町)料理」の店が、特徴的なスタイルとこぎれいな店構えと高い値段と澄ました接客でアピールしているが、見た目こぎれいな店でも猛烈にハエがたかってくることが多い。料理の作り置きをしているからのようである。

ジャワ島はどこまでも軟らかい。都会の汚いところの汚さは、湿気ていて本当に不潔感のある汚さだった。

ジャワ島の風土は私には肌が合わないかも知れないと思った。スマトラのほうが快適だった。スマトラはもっと硬質な、乾燥した感じがあった。

私が見た(以下同じ)ジャワ島は、女性がこの上なく魅力的なところだった。ジャワの女性はきれいでかわいくておだやかで、立ち居振る舞いも手足の先まで意識がよく通じているように感じられた。若い女の子はどこのお嬢さんかと思うようなやさしげな微笑をたたえた優雅な所作の子が多い。タイ女のツッケンドンな感じ、ポンポンとした所作、とは対照的。

とくにバンドゥン近郊の女性の所作には、手足までよく意識が通っている感じをうけた。これは女性を優雅にみせる重要な条件だと私は思う。ヴィパッサナ(仏教の基本的な修行:「観」「気づき」)は、タイにはまったく存在せず、イスラムに改宗したジャワには生きづいているのかもしれないと思った。

バンドゥン市内はそうでもないが、ガルッ、チパナスなど近郊になると、女の子の瞳が本当にキラキラと輝いている。星を描いても決してウソにはならないほどである。あの輝きはどこから来るのだろう。

本当にキラキラと光っているのである。日本人の瞳とは、「目の玉の出来」自体がまったく違うように感じられた。しかし、バンドゥン市内など都会になると(暗いわけでもないのに)この輝きが消えてしまうようなので、ますます不思議な現象である。

「どこそこにはいい女が多い」というと、ただちに買春ツーリズムだの女性蔑視だのと、あらゆる理由をつけて激しく論難するものが現れ、結局はそのヒステリックな声が優勢になって他を圧倒し黙らせるという言論環境が日本にはある。

日本には、何か立派な(ようするに左派的な)理論を装ったたんなる情動が、人々の低俗な感情をかき集め、優勢になれば事大主義に訴えて、彼らに対立する言論を封殺する風土がある。

このような風土がある限り、日本の本当の(「国境なき記者団」が発表するようなインチキではない)「言論の自由度」は高くはなりえない。

とかなんとか、難しげなことをこねまわしてみてもしかたがないので、はっきり言ってしまえば、そんなような難癖をつけているのは醜い女たちなのであり、あるいは、醜い女たちに政治的に媚びている連中なのである。

世の中には美しい女とそうでない女とがちゃんといる。

日本ではごまかされているが、バンドゥン近郊に行ってみればわかるだろう。

実に、日本ほど醜い女がのさばっている国は、アジアには少ないのではないか?醜い女はどこにでもいようが、醜いほどにいっそう偉そうにしている女が日本ほど多い国も少ないように思われる。すくなくとも私が旅している国にはそういう女は少ない。これも戦後の文化破壊の悲惨な帰結のひとつなのであろう。

ジャワの女性は一見して文句なく美しいことが多い。本当に魅力的である。日本の漫画に描いてあるとおりの瞳の星がキラキラと輝いている。

まるで生命の輝きそのものが瞳の中に見えているようである。これは否定しがたいことであり、この世に美しい人とそうでない人がいることも否定しがたい。

ところが不思議なことに、男のほうは、ヤクザかチンピラのような連中ばかりだった。

男たちはタバコと騒音が大好きである。ヤクザ風ならまだいいほうで、チンピラ以外の何者でもないような振る舞いと風体と容姿の者が非常に多かった。

ジャワ島の男の下品さはなんともいえない。なまじ豊かなせいか下品さが発酵して臭気を発しているような感じを受けた。カンボジア(ポイペトあたり)の男のほうが、突き抜けたスゴミのなかに、ある種の爽やかさがあったように思う。

本当に、同じ腹から生まれてくるのに男と女でどうしてこう極端に違うのかとても不思議である。

「無料」を口実に「恋愛」と称して開き直った醜悪なセックスツーリスト集団として、世界中の現地女性たちの顰蹙を買い、男たちの嘲笑の的になっている("yellow hole"など)日本人女性ツーリストたちも、このジャワの男たちとは遊ぶ気にはあまりならないかもしれないと思ったが・・・・

しかし、金を払えばセックスツーリズムだが「無料」なら何をやってもセックスツーリズムでないというのは変な理屈である。ある程度若い女ならセックスはどこでもだいたい無料で出来るのである。

私はまた「恋愛至上主義」にも疑問がある。「恋愛」には政治経済的な力関係がからむことは大人なら誰でも認めることだろう。私は、「恋愛ツーリズム」も「セックスツーリズム」に含めるべきではないかと思う。「恋愛ツーリズム」の意味については後にも述べる。

私が体験したジャワ島には「静かなところ」がほとんどなかった

静かなところでのんびりしたい人、ポカラに沈没するのが好きだという人にはジャワ島は向かないかもしれない

ジャワ人は音楽好きというより、騒音好きである。とにかく何かの音を立てることがサービスにもなると思っているようだ。音がないことが貧しさで、音があることが豊かさだと感じているようである。

工芸のセンスは良いようで、ホテルの内装など伝統的装飾が美しくいい雰囲気を出している。たとえばチパナスのティルタガンガとか。そんなホテルの雰囲気のいいロビーでも、巨大な日本製テレビのスイッチを入れてうるさくもてなしてくれる。

中級以上のホテルの部屋は、運がいいと静かになる。

マレーシアの新聞にも書いてあったが、インドネシアのホテルはマレーシアに比べると割高で、設備や環境もよくない。接客の愛想だけはいい。それも大切なことだが、絨毯がゴミだらけだったり、細かな配慮がいきとどかない。割と大きなホテルなのに電気掃除機がなく、絨毯を箒で掃除している。ルームメーキングをした後には必ずホッチキスの針が何本か絨毯の上に落ちているということもあった。そういうような細かいことで何か言っても、ティダッ・アパ・アパ(なんでもない)で終わりのことが多い。自分にとってなんでもなければ相手にとってもなんでもないという、東南アジア一円に広がる思想のようである。

温泉村・チパナスでも「シントー(神道)」がけっこう通じた

日本で「無宗教」の人は、外国で宗教を聞かれたときに「仏教」と答えてタイ人と同列にみなされるより、「神道」と答えたほうがいいかもしれない。(日本人である以上、主観的にどんな宗教に属していても「神道」を離れることは出来ないというのが私の考えである。これを離れたとき、ハレもケもケジメもなくなったとき、その人は日本人でなくなるのだろう)。

私は、マレー語でMandiというのは「ウンコ」のことだとばかり思っていたが、「水浴び」のことだったようである。(たしかにインドネシアの子供が川に入ってクソしている様子を見ると、クソするとは水浴びのことであると理解される)。

「ポカリスウェット」はここでもすっかり定着している。ブランドもデザインも日本とまったく同じ。

昔、「ポカリスウェット」を「正しくない」和製英語の代表のようにあげつらって糾弾していた英語屋がいたのを思い出す。「ブランド」の意味が理解できなかったようである。語学屋って本当に馬鹿が多い。

ジャワ島では本を読んでいる男を私は見なかった。

学校のテキストを見ている女子学生をときどき見ただけ。コーランの勉強をしている様子もジャワでは私は見なかった。

私が見たジャワ島には、敬虔なムスリムは少しはいるようだったが多くはなかった。ほとんどの住民は、アザーンがしつこく鳴り響いていても何の反応もせず、相変わらず、ポンビキ活動をしていたり、安宿の前で座り込んでタバコを吸いながら客待ちをしていたりする(チパナス)。

よりイスラム色の強いスマトラのメダンの屋台の姉ちゃんは、ムスリムはムスリムとしか結婚できないとはっきり言っていた。

ところがチパナスのレストランのある姉ちゃんは、ムスリム女性も改宗すれば日本人と結婚できるなどという。

ムスリムの棄教は大罪ではなかったか?そんなことを公言したら、石打の刑を受けてもおかしくないのではないか?

私はあせって、「ムスリムは改宗できないんだよ」と諭してしまった。

そんな風土である。しかもたまらなく魅力的な姉ちゃんたちがいっぱい。

10年若いときにここに来て、ドロドロに果てしなくのめり込んでぐにゃぐにゃになってみたかったと、いささか思わなくもない。しかし、ジャワの風土は私の肌にはどうしても合わないところがある。

---------------------------------------

バンドゥンの鉄道駅周辺は、夜になると売春婦の溜まり場になる。どこの町でも、中央駅周辺というのは寂れていかがわしい雰囲気をかもし出すものではないだろうか。ホアランポーンを出すまでもなく。市内の便利なところで収容しやすい場所ということになるとどうしてもイワクつきの場所になるのかもしれない(イワクに関しては日本特有の事情かもしれないが)。たむろしている女性たちの多くは白塗りお化け系だが、中には若くて小柄で出るところは出て、浅黒い肌もつややかなお目々ぱっちりのかわいこちゃんも散見せられた。日本の買春オヤジがどうしてタイにばかりこだわるのか、ジャワに来ないのかは不思議である。彼らは結局白人セックスツーリストのやっていることを真似しているだけなのだろう。白人オヤジがバービアに行けばバービアに行きおしかけ、ゴーゴーバーに行けばゴーゴーバーに行き、白人がレンタルワイフ遊びをすれば同じようにレンタルワイフを雇いたがる(ただしバカンスの長さや人生設計の関係で白人のようには行かない)。

白人がインドネシアのイスラム地域にあまり来ないのは、彼らにとって宗教問題がわれわれが想像する以上に深刻なことであるだけでなく、インドネシアの一般国民の反欧米感情がわれわれが日本で聞かされている以上に根深いことを知っているからなのだろう。

日本の「個人旅行」や「バックパック旅行」は、白人ツーリズムのマネっこにすぎない。そのキーワードは「個人」であったり「放浪」であったりするが、「個人」(という言葉)に特別な魔法でもあるかのように思いなした日本「個人主義」者の白人礼賛と自国批判とが、それに理論めいたものを与え、何十年か前の「カトマンドゥ」や「カブール」の伝説が「放浪」のイメージを美化し、そのような文学的な処理を経て、そもそも内実などない「個人」の概念に内実めいたものを付与しているように思われる。

カトマンドゥやカブールの「伝説」は、当時1ドル360円で、格安航空券もなく、月給数万円だった日本では多くの日本人にとっては海外など夢のまた夢でごく少数の「エリート」以外経験していないため、それだけにいまなお有効性を持つようである。

しかしながら、日本人がマネっこしている白人ツーリズムの本源は、十字軍ツーリズム、大航海ツーリズム、植民役人ツーリズムであり、その実相はまず持って、レイプツーリズムにはじまり、幼女姦ツーリズム、人買い・児童買いツーリズム、すなわちゴーギャン鬼畜ツーリズムを基本とするものである。

ゴーギャンこそ児童ポルノのパイオニアである

このように、白人ツーリズムは「セックスツーリズム」と不可分である

しかし、この「セックス」は本国におけるセックスと同じではない。「隠されたもの」を暴き出し、「未踏の地」を白人の30センチのビブラムソールで踏みにじり踏破する。目に付いた処女の脚を開かせてその日常における処女膜の様態を確認し、さらにその断裂の様態をも観察する。これもまた人種分類をうちたてた白人人類学に属する。

重要なことは、これら一連の破壊行為が白人にとってはたんなるエネルギーの消費ではないということである。彼らは「野蛮人」の文化の収奪、有色人種の文明的なエネルギーの収奪という意味を持つようなシステムを確立した上で、この破壊行為に及んでいるのである

実際のところ、日本の「個人旅行者」、「バックパッカー」がやっていることは概ね白人ツーリズムがすでに踏み固めた場所をしつこく往来しているだけのことにすぎない。

ツーリズムは多かれ少なかれ伝統文化の破壊を将来するが、白人ツーリズムの特徴はやはりその宣教師的な性格、すなわち、熱心な「破壊+宣教」活動にある

つまり、白人(セックス)ツーリズムは、「破壊」であると同時に「宣教」もあるのである。それは次のようなシステムを持つ。

白人ツーリズムはセックスツーリズムと不可分であるだけでなく、「男女関係」にかんする規範の破壊を必ず将来し、旧来の規範に変わる新しい規範を強要する(恋愛ツーリズム)。

ところが、この「男女関係に関する規範」こそ、あらゆる伝統文化の「形」を維持する堤防なのであり、文化の要(かなめ)なのである

白人ツーリズムによって「男女関係に関する規範」を破壊された土地は、いわば堤防を壊された「輪中」部落のようなものである。

そこには何の歯止めもなくなり、新しい規範たる白人消費文化と(キリスト教を含む)白人イデオロギーとが無制限に流れ込むことになる。

このように、白人ツーリズムは、たんなる「恋愛ツーリズム」によってさえ、白人世界による非白人ローカル文化の破壊と宣教、その文化的なエネルギーの収奪の尖兵となり、その文化破壊と「新規範の注入」を敢行していくのである。

日本のツーリズムが、白人ツーリズムのマネッコをしているかぎり、日本のツーリズムはセックスツーリズムから離れることは出来ない。白人ツーリズムの動因は今も昔も「セックス」(これは「破壊と宣教」でもある)だからである。この点を十分に肝に銘じる必要があると思う。

そして「まったく同じこと」をしていたとしても(実はそうでさえないのだが)、120パーセント非難されるのは常に日本であことも忘れてはならない。

われわれは、白人ツーリズムのマネッコとして現れた「個人旅行」ツーリズム・「バックパッカー」ツーリズムを越えていかなければならない。

どう越えていくかについてはむずかしいが、今思いつくことでちょっとだけ言うと、「日本」を輸出することに気後れしないこと。「日本人宿」、「日本人街区」、「日本人専門店」などを再評価し、これらに新しい意味を与えていくこと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

*「人種差別」に関する考え方 | 1.タイ国王戴冠60周年行事 | 2.ココログ写真検閲 | A-1.白人はなぜ白人か | A-2."Discrimination"、BBCの日本批判 | A-3.白人が増えることの脅威 | A-4.本来的な意味の「人種差別」について | A-5.「NYタイムズ日本たたき顕著」 | A-6.「白人コンプレックス」論 | a.インド | a.インドネシア | a.オーストラリア | a.カンボジア | a.タイ | a.タイ北部 | a.タイ深南部 | a.チベット | a.ネパール | a.マレーシア | a.ミャンマー | a.ラオス | p.すべての写真 | p.ソルクーンブ写真 | p.白人のいる風景 | s-cmbd.シエムレアプ | s-cmbd.ポイペト | s-dst.スンガイコロク | s-dst.タクバイ=プンカラン・クボール | s-dst.ナラティワト | s-dst.パタニ(パッタニ) | s-dst.ヤラー | s-id.インドラマユ | s-id.クニンガン | s-id.ジャカルタ | s-id.スバン | s-id.チアトル | s-id.チアミス | s-id.チパナス | s-id.チルボン | s-id.ドゥマイ | s-id.バンダ・アチェ | s-id.バンドゥン | s-id.パマヌカン | s-id.プカンバル | s-id.メダン | s-id.レンバン | s-mm.コートーン | s-mm.タジ | s-mm.タチレク | s-mm.タートン(ミャンマー) | s-mm.チャイントーン | s-mm.トーンジー | s-mm.バゴ | s-mm.ピンマナ | s-mm.マンダレー | s-mm.ミチナ | s-mm.メイティラ | s-mm.モンラ | s-mm.モーラムヤン | s-mm.ヤンゴン | s-mm.ロイムウェ | s-my.アロースター | s-my.イポー | s-my.クアラルンプール | s-my.クアラ・トレンガヌ | s-my.クアンタン | s-my.クタム島 | s-my.クラン | s-my.コタバル | s-my.シャーアラーム | s-my.スレンバン | s-my.バタワース | s-my.マレー鉄道 | s-my.ムラカ | s-np.イラム | s-np.カトマンドゥ | s-np.グファポカリ | s-np.ジャナクプル | s-np.ジリキムティ | s-np.ソルクーンブ | s-np.ダラン | s-np.チャインプル | s-np.チョウキ | s-np.ナラヤンガート | s-np.バサンタプル | s-np.バルパック | s-np.ヒレ | s-th.アランヤプラテート | s-th.イサーン | s-th.サラブリ | s-th.スラタニ | s-th.スーリン | s-th.チェンマイ | s-th.チェンライ | s-th.チュンポン | s-th.チョンジョム | s-th.ノンカイ | s-th.ハジャイ | s-th.バンコク | s-th.プラサート | s-th.プラチュアップ・キリ・カン | s-th.メーサイ | s-th.ラノン | s-th.ロッブリ | s.ビーチ | t.「オリエンタル」ホテル | t.「ミラー財団」 | t.「土人」とは何か。「土人」に関するテーゼ | t.「失踪白人女性症候群」 | t.「白人コンプレックス」論 | t.インド洋津波 | t.ゴーギャン | t.ジェマアイスラミア(JI) | t.タイ人の白人崇拝と人種差別 | t.タイ北部・山岳少数民族 | t.タイ王室ネタおよび『不敬罪』 | t.タイ航空(TG) | t.ミャンマー・エアウェイズ(MA) | t.リンク | t.三つ穴コンセントの対処法 | t.人種差別ネタおよび白人ネタ | t.児童買春(子供買春) | t.売買春・レンタルワイフ関係 | t.旅先のネット屋での日本語IMEの入れ方 | 「BBCニュース」 | 「アーリア人」ネタ | 「靖国問題」 | インテリジェント・デザイン論 | ウェブログ・ココログ関連 | ニュース | パソコン・インターネット | ブログ記者の取材源秘匿権 | ムハンマド風刺画事件 | 司法・憲法 | 心と体 | 旅行・地域 | 日記・コラム・つぶやき | 欧米の『日本たたき』 | 皇室および天皇制 | 経済・政治・国際 | 読書