s-np.カトマンドゥ

2008年6月 6日 (金)

ブログ終了のお知らせ

2005年7月開設以来3年になろうとしているこのブログ「日付のある紙片」ですが、このたび事情により終了することにしました。

このブログは一貫して匿名ブログとして運営してきましたが、匿名ブログ筆者としての人格の維持が困難になったからです。

ただし、閉鎖ではありません。コメントは受け付けています。もちろん承認したもののみ表示となります。

このブログは、ブログ所有者の個人的な事情や背景はなるべく書かず、筆者が経験したこと、感じ方、考え方、価値観などを出来る限り率直に表現し、実名や顔出しでは(主観的に)なかなか言えない微妙なこと(「人種差別」にまつわることなどはほとんどそうですが)も書いていく、という方針で運営してきました。しかし、そのような方針を継続させていくことが事情により困難になりました。

その事情というのは、一部で実在の筆者つまりブログ所有者である私が特定されたことです。

理解力があり信頼できる人になら特定されてもかまわないのですが、私にとって最悪の場所にいる、私の目には最低にくだらない部類の男に特定されてしまったからです。

その男というのが、私もよく訪れるアジアのツーリスト基地の、日本人の溜まり場になっているような店で接客業に従事している、たいへん口が軽く、なんでもぺらぺらとしゃべってくれる男であるため、アジア旅行記を軸としたこのブログをこれ以上匿名ブログとして継続していくことが主観的に困難になりました。

そういうわけでブログ「日付のある紙片」は終了することにしました。

この男が私に詰め寄った経緯については次の記事をご参照ください。

このブログは匿名ブログです
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2008/06/post_0c81.html

この男が私のブログをどうしたかったのかは分かりませんが、筆者を特定した後おそらく記事の訂正か差し止めを要求したかったのだろうと思います。

彼が問題にしていた記事は、(実に天下国家とはまるで無関係ですが)次の記事。

「ロータスレストラン」 タメル カトマンドゥ
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2008/04/post_a2fb.html

この記事の特に「カマル」について書いた箇所です。

つまりこの男が崇拝しているロータスレストランの日本人オーナー(サウジ)が溺愛するネパール人青年カマルについて私が書いた内容が気に入らない。それで義憤に駆られてか、記事を潰そうとしてきたということのようです。

カマル(日本人の耳には「コモロ」と聞こえるネパールではありふれた男の名前。「蓮」すなわちロータスを意味する)について補足しておくと、

ロータスレストラン近所に住むネパール人のなかにはカマルをひどく嫌っていて「たいへんな悪人」とこき下ろす人もいた。

一方、ロータスのサウジ(日本人オーナー)の評判は、カマルを嫌うネパール人にも良い。

私もカマルには良い印象は持っていない。陰険な雰囲気だからというだけでなく、サウジがいるときは卑屈にニコニコして丁寧に振舞うが、サウジがいないとさらに陰険かつ尊大な態度で投げやりな接客をするところが私は好きになれない。

私が書いたことはこの限りのことです。

「そうでない」と思う人は、そうでない、そう思わない、私は好きだ、と自分のブログにでも書けばよいのだと思います。

タメルの日本人の間ではこのロータスレストランの日本人サウジがたいへんな威光を放っていて、このサウジが養子のように育てて溺愛しているカマルの悪口だけは、誰も決して言えないという雰囲気があるらしい。

それで、このサウジを崇拝するあの小僧が紅衛兵よろしくシャシャリ出て匿名ブログ記事の取締りにまで手をつけようとしたようである。

しかし、接客業に従事していて「その世界」で名前も顔も売れている人に毀誉褒貶があるのはむしろ自然なことではないか。

ネット上であれこれ言われるのも覚悟すべきでしょう。

むしろ、接客業者の評判や接客の感想をインターネット上で自由に書けないということのほうがおかしいのではないか?

それ以上のことは民事または刑事の法律問題として処理するということにならざるをえないと思います。しかしそれは第三者が口を出すべきことではない。(民事についてはいうまでもない。日本法では名誉毀損罪や侮辱罪は親告罪、すなわち被害者の告訴がなければ問題にならない。信用毀損罪の場合は「虚偽の風説の流布」が要件になる)。
  

このブログを書いてきた者がどんな人間かどうしても知りたいという人は、カトマンドゥ、タメル地区にある“Cha Cha Cafe”(ちゃちゃかふぇ)に行って聞けば、何でもぺらぺらとしゃべってくれることでしょう。
 

「日付のある紙片」というブログ名は、いうまでもなくサルトルの小説「嘔吐」の冒頭にでてくる「日付のない紙片」をもじったもの。しかし、Kuantanはロカンタンをもじったというわけではないです。
  

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2008年6月 3日 (火)

“Cha Cha Cafe”(ちゃちゃかふぇ) カトマンドゥ

ロータスレストラン」と並び、カトマンドゥ・タメル地区で日本人が経営し、常駐している店のひとつ。

イタリアンスパゲッティを主体にしている店で、味はやや中途半端な感じもするが値段を考えるとまずまずといえる。

コーヒーの味はカトマンドゥレベルでいえばかなり良い。「ロータス」はもちろん近頃の「ちくさ」よりも良いと思う。

ネパール人従業員の態度や仕事ぶりは「ロータス」の連中より良いように見える。

場所はロータスレストランが以前あったところ。つまり、「おふくろの味」(かつて「味のシルクロード」があったところ)のわきからジャータJyatha通りに抜ける横丁にある。この小路は便利な抜け道である。(いま「ロータス」はこの小路をジャータ通りに抜けた角にある)。
 

こういう場所ではやむをえないところもあるのだが、この店の問題もまずはそこに集まる「お客さん」であるようにみえる。

カトマンドゥ在住日本人、沈没日本人などの溜まり場になっていて、朝覗いても昼覗いても晩覗いても同じ日本人がカウンターにずっとへばりついているという光景を見ることがある。

常連は、JICAの日本人、日本語教師、そのほか長期滞在日本人ツーリスト、たとえば英語もネパール語も一言もしゃべれない日本では「土方」をやっているという沈没滞在者・・・・とか。

これだけ書くとおぞましいところだと思うかもしれないが、この程度をおぞましがっていてはアジアのツーリスト基地で生活することはできないかもしれない。

日本人同士仲良くすること自体が悪いことだというのではない。外国で日本人同士仲良くしていることを悪いことだともカッコ悪いことだとも私は思っていない。むしろ逆である。日本人は外国でも足を引っ張り合う傾向があるが、白人同士はアジアでは国籍を越えて助け合うことが多い。この点は白人を見習うべきだと思う。
 

それにしても、あの「土方」さんは超うざかった。

私はコーヒーが好きなのだが、本当にいつ覗いてもこの人がへばりついていて仕切っていた。「中卒」という感じの人で、実に内容のない話をどうしてそんなにしゃべれるのかと不思議になるような勢いでしゃべり続ける。日本人客を囲い込んでいる。

なんでも、嫁さんが中国人だとかで、ときに聞き飽きたような「反日」風発言を口走ったりもする。

体が大きく存在感がある分なおさらうざかったのだが、彼にとってみれば私みたいなのが一番ウザかったかもしれない。
 

こういう人が集まるのは、その店の日本人オーナーに「声の大きい人」に阿るようなところがあるからでもあるだろう。

どういう成り行きだったか今でもぴんとこないのだが、私は以前このかふぇのオーナーの「指図」でその「土方」さんに詫びを入れさせられたことがある。

小さいことだったが、ちょっと腑に落ちないところがあった。なぜオーナーが口を出す・・・ということである。

このオーナーはネパールで商売しているにもかかわらずネパール語はまったくできないらしく、ひとこともしゃべろうとしない。

ネパール人に対しても英語を好んで使うが、英語を話すとなると声まで変わり、人格が入れ替わったようなパフォーマンスを見せたがる、という典型的な日本人。

日本には英語を話すときは声が変わるのは当然だと思っている人もいるかもしれないが、そうでもない。

ネパール人、インド人は英語を話しても声が変わるということはない。マレーシアでは英語、中国語、マレー語を自在に操る人をたくさん見たが、みんな「自分の声」「自分の言葉」で自由自在に使い分けていた。

英語を話す段になるとまるで新劇俳優のようになってしまうのは、日本独特のNOVA的「英会話文化」ではないかと思われる。

   
ただ、この「場所」自体に、どこか良くないところがあるのかもしれない。

というのは、数年前「ロータス」がこの場所にあったときもやっぱり変な日本人客がへばりついていたからである。

カトマンドゥで「繊維の商売」をしてるとかいうタイヲタオヤジで、タイに批判的なこと‐といってもこのブログに書いているような重いことでなくもっと軽い断片的なこと‐をちょっと言うと、「タイのことは俺がいちばん知っている」という感じで猛烈に叩いてくる人だった。

ロータスがあそこにあった間、季節を問わずいつ通っても見かける人だったが、いまはどうしているだろうか。

オカルト的になるが、そういう人が集まりやすい土地(?、一角)というのがあるのかもしれない。
 

オーナーはまた、ここで日本のヤクザに絡まれたことがあるなんて話もしていた。

日本ネパール混血のヤクザに付きまとわれて命も危ないほどになったが、カトマンドゥの有力者のコネで収めたのだとか。

どこまで本当の話かわからないが、一見物柔らかで謙虚に見えるが下手(したて)に出ている者にはジリジリ態度がでかくなり、からみついて来るような粘っこい雰囲気のある人なので、ヤクザの恨みを買うこともあったのかもしれない。そういう人間と縁ができるかどうかは人によるのだろう。

一般的に言って、飲食店経営は簡単な仕事ではないと思う。日本ではちょっとした喫茶店を始めるのもたいへんなことである。採算はもちろん、客層も考慮して計画しなければならない。

ネパールには衛生基準もなく飲食店営業それ自体には何の規制もないので、ビジネスビザさえ取れれば素人の日本人でも簡単に始められるところがあるようだ。

そういう夢のある人には良いチャンスといえるが、落とし穴もあるかもしれない。 
 

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2008年6月 2日 (月)

このブログは匿名ブログです

匿名ブログの是非についての考え方はいろいろあるかと思いますが、このブログは開設以来3年近く一貫して「匿名ブログ」として運営しています。

つまり、実名や顔出しでは「主観的に」恥ずかしくて言えないような本音もたくさん盛り込んでいるということ。

私はここで論じているような内容を口に出して話すほうではないので(よほど信頼できて理解力のある人間になら別だが)、その意味ではこのブログは顔出しでは「恥ずかしい」内容がほとんどだとも言える。

しかし、だからといって表現する意味がまるでない内容だとも思わないので、こうして公表しているわけです。

したがって、「身近な読者」にお願いしたいことは、このブログの書き手、つまり「この私」が誰であるかということをあえて推知し特定しようとしないでいただきたいということです。

あえて推知し特定しようとしないでいただきたい、という意味は、具体的に言えば、たとえば仮に「この私」がネットカフェでこの管理画面と格闘しているところを見かけてこのブログの管理人が「この私」であることを知ることになったとしても、私をつかまえて「あなたがあのブログを書いているんですね」「あなたはこんなことを書いていましたね」「どうしてそんなことを書くんですか」などと言ったりしないでいただきたいということです。ヤクザじゃないんでしょうからね。

(そんな野暮なことをする人がいるのか、と思う人もいるでしょうが、実際いたんですね)。

これ以上のことを要求することは私には現実に不可能であるし、人の口を封じることができないこともわかっている。

しかし、単に「あの匿名ブログはあの人が書いている」と知られているということと、面と向かって「こう書いただろ」といわれることとでは、質的な違いがある。

繰り返して言うと、このブログはあくまで「匿名ブログ」として運営しているものです
 

この機会に匿名ブログに対するありうべき批判について少し考えておこうと思う。

まず、匿名ブログと「匿名掲示板」とは違う。匿名掲示板はそのとき限りの書き殴りが可能で、そのような書き込みが優勢になることが多いものである。

匿名ブログは、フィクションながら「ブログ人格」とでもいうべきものを設定した上で、その人格に同一性、継続性を持たせて運営しているものである。

さらに、「言論の責任」という観点から匿名ブログへの批判がありうる。

「法的な責任」について言えば、このブログの作成者はブログ提供会社であるニフティには完全に身元が知られているので問題にならない。これは有料ブログでもあり、毎月私の口座からお金が落ちるのである。

しかし、「言論活動に固有の社会的責任」ということになると、言論を評価する仕方についての考え方によって意見が分かれると思う。

言論を評価するときに、①その言論の内容(言っていること)自体を重視するのか②その言論を行っている人が誰であるか、その人の経歴や業績、社会的地位を重視するのかによって、「匿名ブログ」(というもの)の評価はまったく分かれることになると思う。

私の社会的地位や経歴を詮索しそれらを公表しろなどというコメントを書いてくる人は、明らかに後者を重視する人である。

日本の言論の風土はいまでも後者重視であるように思う。だからこそ逆に、日本では匿名ネットメディアが繁盛しているのでもあろう。

現実の日本人の社会において、このブログを作っている私がどういう経歴でどういう風体の人間かということを公表すれば、多くの野次馬の関心は私が論じている内容自体よりも私がどんな人間かの方に集中することになるだろう。

そしてこのブログのコメントも他での評判も、「私が『そういう人間だから』そんな考え方をするのだ」式の低次元の非難で埋め尽くされることになろう。

今でもこのブログを批判する人たちのコメントはほとんどそういうものばかりである。いちばんありふれた例を挙げれば、「お前がタイを批判するのはどうせタイ女に振られたからだろう」という類のつっこみである。

日本の環境には残念ながら、そういう低級で単純な言論のほうが力を持ちやすいところがあるようである。多くの人がそういう卑俗で「わかりやすい」理屈に迎合し、それ一色になる傾向があると思う。

だから、どんな人間がこんなブログを作っているかを少しでも公表すれば読者の関心はそちらに集中し、記事の内容自体に注意を払う者はほとんどいなくなるに違いない。

私自身は当然のように、言論はその思想内容自体によって評価されるべきである、と考えている。の立場に立つ。もしそうでなければ匿名ブログなどやらないだろう。

つまり、これを書いている「この私」が重要なのではなく、書いてある内容、事実と論理、が重要なのであり、それに注意してほしいと思って書いているのである。
 

いまさらこんなことをわざわざ書くのは、カトマンドゥ在住のある日本人との間で次のようなやりとりがあったからである。

男 (突然)「ちょっと聞きたいんですが、ブログもってますか」 (私はこれまでこの男にブログの話などしたことがないのだが・・・・)

私 「もってますよ」

男 (いきなり)「ロータスレストランについて何か書きました?」

私 「書いてません」

この男は「ロータスレストラン」の当事者でもないのだが、ロータスのオーナー(日本人)の心酔者らしく、私がロータスについて書いた記事が気に入らなかったようである。

下調べをして「この私」をほぼ特定したあと、紅衛兵よろしく「取り締まり」に出たもののようである。

私がブログで「ロータスレストラン」について書いている記事はおよそ次の3つ。

「ロータスレストラン」のカキ氷

「ロータスレストラン」 タメル カトマンドゥ

英語が得意な日本人

一般的に言って、飲食店の客がその店についての率直な感想をブログに書くことが悪いことだとは思われないので、これらの記事に問題があるとは私には思われない。

接客業に従事している(「その世界」でかなり有名な)個人にたいする個人的な感想を書くことも言論の自由に属するだろう。

「そう思わない」という人は、「そう思わない」という言論を展開すれば良いのである。

ただ、当事者からの直接の要求があり、その主張に合理性があると認められる場合には、記述内容について再検討することもありうる。

しかし当事者でもない第三者にあれこれ指図される理由はない。

この男‐白うるりのような小僧だが‐、人の噂を何でもよくしゃべってくれる人なので、その口に封をすることは不可能だろう。

ただ、カトマンドゥの日本人社会(どんなものか私は知らないが)のなかで何を言おうと勝手だが、私に面と向かって「あのブログはあなたが書いているんですね」「あなたはこんなことを書きましたね」・・・と詰め寄ってくるようなことはしないでもらいたいと思う。
 

どうせ誰が書いてるかわかってしまったんだからいいんじゃないか、って?

それでは、

「あなたの胸は大きいですね。サイズはいくつです。輪郭が見えてるんだからサイズを言ってもいいじゃないですか。ついでに出して見せなさい」

と言っているのとあまり変わらないように私には思われる。

このブログには顔出しでは決して(私は)言わないような微妙なことも書いているからである。
 

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2008年5月31日 (土)

峠から カトマンドゥ盆地

街道の峠からみたカトマンドゥ盆地。ここを越えると急に都会になり、あっという間に市内に入る。
カトマンドゥにいると田舎に行きたいと思うが、ここを越えて市内に入るときにはいつも懐かしいようなホッとしたようななんともいえない気持ちになる。いまは魅力の少ないろくでもない町になっているが・・・・。

Imgp5683

ここは重要な地点なので当然武装警察が配置されているが、いまはそれほど厳重ではない。

ちょっと前AFPの日本語訳者がKathmandu Valleyを「カトマンドゥの谷」なんて訳していたが、どう見てもこれは「谷」ではなくて「盆地」。
 

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2008年5月 1日 (木)

「ロータスレストラン」のカキ氷

うまくないぞ!
それに危ないかも。

そもそもネパール人にカキ氷なんか作らせることに無理がある。ネパール人に限らないが、日本でカキ氷を食べたことのない者に作らせるのは無理だろう。

一昨日ロータスで、「小倉+アイスクリーム」というのを食べた。

小倉もアイスクリームも合格だが(これらは日本人のサウジが作っているのだろう)、盛り付けがカキ氷になっていない。

まず氷が少ない。氷をケチっていてはカキ氷にならないだろう。氷は惜しみなく大盛りにしないと。

そしてシロップが氷にかかっていない。小倉とアイスクリームの上にちょっと何かかけてあるだけ。

因果関係を証明することはできないが、昨日から下痢だ。近頃めったなことで下痢などしないから、おそらくあれだと思う。

山村でもカトマンドゥでも、ドラム缶などに汲んだ「きれいな飲料水」を手桶でくみ出し、その手桶を土足で歩く土間に直に置いたりしている。水がめの蓋などを普通に地べたに置くが、逆さにして置くという配慮もない。きれいな面を地べたに置いてしまう。

しかしそういう生水を普通にごくごく飲んでも下痢などしない。

途上国ではだいたい食用の氷は汚い地面に直に置いて滑らせたりしているもの。そういう場面はマレーシアでもよく見た。表面を洗って溶かせば無問題という理屈らしい。

氷は水よりあたりやすいのだろう。細心の注意が必要なことをネパール人に任せるのはどうかと思う。

前記事:

「ロータスレストラン」 タメル カトマンドゥ 

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2008年4月 3日 (木)

ネパールビザの延長

ネパールは、空港で60日のアライバルビザが取れる。これが30ドル。延長する場合は一回30日で30ドル。3回まで延長できるそうである。つまりツーリストとして年間最長5ヶ月ほど滞在できるらしい。最初の60日はネパール滞在料一日半ドル、その後は一日1ドルということになる。(たとえば11月に入国して60日のビザを取り翌年にまたがって滞在した場合も、その後の延長ビザは30日づつしか取れない。延長ビザは常に30日のようである。いったん出国してまた入国した場合は不明)。

以前はタメルから遠くないカンティパトの辺にビザ延長の手続きをする窓口があったが、いまは遠くまで行かなければならない。

いまは「Impact」という、役所なのか公証人役場なのか弁護士事務所なのかよくわからないようなところで延長手続きをしている。

「イミグレーションオフィス」ではビザ延長手続きはやっていないようなので注意が必要。

Impactの場所は、まずラトナパークを越えてシンハダルバール(政府官庁)の前まで行く、その通り沿いに南に歩く。しょぼい最高裁判所Supreme Courtの建物を左に見ながらさらに歩いていくと、通りが二股に分かれるところにくるので左の道を選ぶ。少し行って左手の小さな通りを入るとImpactという看板が見える。その建物の2階に役所風の窓口がある。

数日前に延長手続きをしたが、30ドルと言っているのに米ドル札は歓迎されなかった。米ドルを出したら、みんなが寄ってきて透かしてみたりしていた。偽札を疑っているようだった。

タメルから歩いて50分くらい。タクシーの運転手はほとんど知らないので、知っているというのを真に受けて乗るとまったく違うところに連れて行かれるかもしれない。

午前10時ごろに行くのが無難かも。午後は早い時間に閉まってしまうようである。写真一枚必要。手続きをして午後にパスポートを受け取る。
 

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The North Faceのショールーム トリデヴィマルグ カトマンドゥ

カトマンドゥ、タメルの町で売っている「ブランド物」は、どんなにそれらしい正札がついていてもすべて偽物だと思う。

「すべてフェイクだけど・・・(いいクオリティだ、ジッパーが壊れることなどない、などなど)」と言って売ってくれる良心的な店もあるが、いまだにオリジナルだと強弁するところもある。お客の出方次第かもしれない。

たとえば、The North Faceの商品のオリジナルを売っているのは、タメルの横のホームレス少年たちがたむろするトリデヴィマルグという大通りにある「The North Faceショールーム」だけらしい。

トリデヴィマルグにはノースフェイスのほかにも、オリジナル商品らしいものを売っているきれいな店が何件かならんでいる。しかし「Go Go Bar」というネオンサインを掲げているいかがわしいダンスバーもできている。

私はこのノースフェイスショールームで何度か買い物をしたことがある。3年以上前はここはたいへん感じの良い店だった。模範的な英語をゆっくり話す店員が丁寧に接客していた。

ところが3年ぶりに来てみると、このノースフェイスショールームは完全に「タイ」になっていた。

有色人種客など客ではないという態度。店に入るとき、商品を見ているときに無視してくれるのはむしろ良いが、何か聞こうと思って店員を呼んでもほとんど無視、不機嫌そうな顔をしてなかなか来てくれない。説明もまるで怒っているようである。3年以上前にここにいた店員たちのようなグラマーの教科書のような英語などしゃべるはずもない。今回も2、3度ここに行き買い物もしたのだが、何度行ってもいつもどの店員もそんな態度である。

ところが白人客が店に入ってくると態度がまったく変わる。店員たちがキャーに近い感じで白人に駆け寄る。もちろん接客態度は180度違う。一人の店員だけがそうなのではなく、全体がそういう感じ。

白人客たちは例によって無駄話をし、だいたいサロンのソファにだらっと座って長居してるだけのようである。白人客が商品を買うかどうかは関係がない。

これはタイでは普通の風景だが、ネパールでこういう光景を見ることは以前はあまりなかった。

気のせいか、このノースフェイスショールームの店員は土人顔が多くなったように見える。ひょっとするとタイ人を店員に雇っているのかもしれない。

この近くの「ゴーゴーバー」といいタメルに蔓延する「(タイ式)マッサージ」といい、ネパールのタイ化、タイ式腐敗は急速に進んでいるように見える。

タイ式奴隷文化が、日本を含むアジアのあらゆる白人密集地域に深く根を下ろし、アジア全体を侵食しつつあるように思われる。

タイ式奴隷文化は、支配者白人文明と対をなす人種的被支配階級の奴隷文化であり、アジアの身売り文化である。

なおThe North FaceショールームのならびにあるYoung Oneという店は、似たような構えの店だが、いまもたいへん感じのいい丁寧な接客をしている。かつてのノースフェイスショールームの店員を思い出すネパールらしい接客で、店員も丁寧な英語をゆっくりと話す。売っているのはあまり有名ではないブランドだが一応オリジナル商品だと思う。
 

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2008年4月 1日 (火)

英語が得意な日本人

昨晩「ロータスレストラン」で見かけた日本人女性は英語がとてもよくできる人だった。「まるでネイティブみたい」。

私は人のオーラを読むことができる。というのはウソだが、旅行をしていると、しゃべる前に人間が醸し出している「雰囲気」に敏感になる。

その女性は別に変な人ではなかった。それほど親しいわけではない知り合いといった日本人男性と二人で入ってきたが、その瞬間から私はイヤーな感じがした。

カウンターの私のすぐ隣にドシンと腰を下ろす。隣の人間との間で「自分の空間」を加減する気配が感じられない。

そしてきわめて流暢な英語でカウンターの前にいる料理人に話し始めた。まず注文だが、それも一言や二言では終わらない。

「ペラペラしゃべれる」というのはこういうことなのだろう。しかし私なら、仮に外国語がよくできても注文を出すだけにこれだけの単語は費やさない。日本語でならなおさら。

しかしすでにその段階で料理人には通じていなかった。ここの料理人たちの多くは英語はそれほど話せないと思う。第一彼女の英語はこの辺で普通に使われる英語とは違う。アメリカの英語のようだった。

次に、さらに流暢かつ高速の英語で料理人に向かって「ミスターササキ」(ロータスレストランのサウジ)について質問をし始めた。もちろん通じるわけがない。

この女性は一緒に来た日本人男性とは普通の日本語で会話していた。英語はとてもよくできていたので、NOVAで仕込んだとかでなくて、アメリカに長く住んでいたかアメリカの学校に行った人なのだろう。

しかし、自分の言葉がいくらすばらしく模範的であるとしても、現に通じていないということはすぐにわかるはずではないだろうか。

どうして彼女はもう少し「別の英語」で話してみようとはしないのだろうか。

もしも彼女が、(私が話すような)日本で普通に教わる学校英語でしゃべっていたら、彼らにも通じたかもしれない。本当を言うと、日本語と同じ順に単語を並べるだけでもここではよく通じるのだが・・・・。

それに、通じていないとわかったなら、なぜシャベリの速度だけでも少し落とそうとしないのだろうか。立派な語法と発音を維持したままでも速度を落とすことはできるはずだろう。

しばらくしてからこの女性は、ミルクティーを飲みながら本を読んでいた私の横で、私のすぐ脇のカウンターに叩きつけるように自分の荷物を「ドン」と置いた。

怒っているわけでも嫌がらせをしているわけでもなく、それが彼女の「文化」でありごく自然な普通の振る舞いのようであった。

私はその瞬間に店を出ることにした。「こうなっちゃうともう日本人とはいえないね」と思いながら。

英語文化というのはわれわれにとって危険な文化だと思う。日本人を「得体の知れない東洋人」(=世界では三流四流の存在、もちろんネパール人以下)に変えてしまう力を持っているように見える。

ネパール人やインド人は英語がいくらよくできてもネパール人たることまたはインド人たることをやめない。日本人は特にこの種の感化に弱いようである。
 

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「ロータスレストラン」 タメル カトマンドゥ

今朝日本語が使えたネット屋の同じPCを今使おうとしたら、日本語IMEが消えてなくなっていた。そして、その代わりにEnglish(Australia)なる言語 が入っていた。

もちろん、これを入れたからといって日本語をリムーブしなければならないわけではない。この言語を入れて日本語をリムーブしたのは悪意によるものと見て良いだろう。当然この変な言語はリムーブしておいたが。
 

ロータス・レストラン」は、日本人のおじさんが経営し一応常駐している「日本式カレー」中心のレストランで、味に関しては評判がいい。

たまに白人も殴りこんでくるようだが、見たところネパール人客が多く次に多いのが日本人客。

私は3年以上前このレストランが別の場所にあったときはときどき食事もしたが、最近はたまにミルクティーを飲むくらい。

そのころは今のCha Cha Cafeがあるところ(小さな土産衣料品店「サイババ」の隣)にあり、小さなカウンター式の店だった。

私は外国で日本食を食べる趣味はないし、どうしても日本食を食べたいとも思ったこともない。

ネパールでもマレーシアなどでも、うまいローティと上手に入ったミルクティーまたはコーヒーがあれば上出来である。しかしそれがなかなか手に入らないのが残念だが。

ロータスレストランのミルクティーはいま15ルピー。このあたりのツーリスト向けレストランのミルクティーとしてはたいへん安い。味も上出来とはいえないが悪くはない。

ロータスレストランが「サイババ」の隣(いまのCha Cha Cafeの場所)にあったころ、この店に通ったのは日本式カレーを食べるためではなく、コーヒーやミルクティーを飲みながら日本人オーナーのおじさんと雑談するためだった。

当時はこのオーナー(サウジ)が自分で丁寧にコーヒーやお茶を入れてくれていて、今とは比較にならないほどおいしかった。

このオーナー(サウジ)は一目見るだけでも面白い風貌の人だが、なかなか奥の深い人だった。黙っていても非常に存在感のある人で、人の心を見透かすようなちょっと怖い感じのある人でもある。

話してみると面白かった。どうでもいいような微妙な話の中に個性と洞察と見識とがにじみ出る人といったら褒めすぎかもしれないが、役に立つ話をするよりもどうでもいい話に味の出る人だと思った。

実際このオーナー(サウジ)はタメルの日本人の評判はいまもすこぶる良い。面倒見がよく曲がったことの嫌いな人格者ということで、たいていの日本人の尊敬を受けているようである。

サウジは、私のようにお茶しか飲まない客に対しても恐縮するくらい丁寧な挨拶をしてくれる人である。

しかしロータスレストランは現在の場所に移転して店も大きくなり従業員も客も増えて忙しくなり、いまはなかなか店でサウジ(主人)をつかまえてどうでもいいような話をするという雰囲気ではなくなった。サウジがいないことも多い。

そして私が特に苦手なのは、何を隠そう、この日本人のサウジが愛情を注いでいるらしい「義理の息子さん」のほうである。

「義理の息子さん」というのがいいのかどうか分からないが、少年の頃にネパールのどこかでサウジが「ピックアップ」したというグルンの青年で、「コモロ」と呼ばれている。多分「カマル」の日本語訛りなのだろう。

数年前に見た頃から暗い感じではあったが、それなりに愛想も良かったりした。今でもサウジがいるときはそれなりニコニコするのかもしれない。

私がたまにこの店に来て15ルピーお茶を飲むのはサウジが帰ってから、夕食時がすんで店が多少すいてきてからである。

サウジがいないときにはこの青年「コモロ」がサウジ(主人)然として座っている。どうしても顔をあわせるのだが、その発している雰囲気はなんとも陰険かつ尊大。

日本語もよく話せるが、日本人の尊敬を集めるサウジの絶対的寵愛を受けている自分は貧乏っくさい日本人ツーリストなんぞより偉いんだ、という感じで投げつけるように「15ルピー」と言い、カネを払っても挨拶ひとつしない。

幼いときからずっとあの厳しいサウジと一緒に生活していて日本のシツケを受けているはずなのだが・・・・

サウジは優しい人だが厳しい人でもあるようである。

ロータスレストランが今の場所に移って店が大きくなり使用人が増えてからも、物の洗い方など細かいことを厳しく指図した。ネパール人の使用人たちはそれに反発して、一時「バンドハ」めいたことにもなったらしい。「サウジはサウジらしくしていてほしい。細かいことは自分たちに任せて黙っていてほしい」というのが従業員の言い分らしく、職場放棄するものも出たとか。その後、サウジも折れてあまり口出ししないようになり、細かいことは従業員に任せるようにしたという。その結果、主力でないコーヒーやお茶は話にならないほどまずくなり、ぬるいのを平気で出したりようになってしまったようでもある。(以上の経緯は人の噂であり、直接サウジに聞いたわけではない)。

コモロ青年の評判は近所のネパール人の間でも相当悪い。これは私が直接近所のネパール人から聞いたことである

ロータスレストランが「サイババ」の隣から今の場所に移ったのも、コモロが「サイババ」のネパール人女主人との間におこしたトラブルが理由のひとつだったようである。屋上タンクの水をめぐるちょっとした諍いだったようだが、コモロが「サイババ」の人たちに非常に居丈高な態度をとっていたという。

サウジがコモロに出会ったのはコモロが13歳くらいのときだったらしい。そのときコモロはツーリストなど来ない山村のグルンの少年だったということ。おそらく貧しい家庭の子だったのだろう。

一方当時サウジは50過ぎのバックパッカーだった。サウジは以前、コモロにめぐり会ったのは「縁」だと思うと語っていた。

その後のことは詳しく聞いていないが、サウジはコモロ少年を寒村から「拾い出し」、一緒に旅をし始めたようである。

今だったら、男の子とはいえ児童虐待ないし人身売買の疑いを向けられるような状況である。もちろんサウジにそんな趣味があるわけでは決してない。

サウジは独身だった。いまもきっとそうだろう。何か考え方があったようである。

数年前私には、自分が子供のとき何で自分は生まれてきたのかなんで自分を生んだのかを親に聞きたかったが、いまもし自分が子供を作って同じ質問を受けたとしても自分は答えられないから、、、と語っていた。しかし自分の財産などを遺す相手は見つけたいからコモロを選んだのだとも言っていたと記憶する。

そういうわけで、サウジはコモロには英語、日本語、絵画(タンカ)などの教育を十分に受けさせ、それらを習得させた。自分がいなくなっても生活に困らずタンカ画修行が続けられるようにとロータスレストラン(タンカギャラリー付)を始めたということである。

サウジがコモロに会ってからコモロに対してやっていることはすべて正しいといえる。

しかし、コモロの目にそれがどう映るかはわからない。

自分がなぜこんな僥倖を得ているのか、本当は理解できないだろう。そしてそれを聞くこともできない。サウジが「縁だ」というのはわれわれには十分理解できる。しかしコモロに理解できるかどうか。多くの自分と同じような境遇の少年たちが山村に留まり、教育の機会も受けられず、自分がしているような生活など経験もできずに同じような生活を続けている。自分だけがなぜか偶然によって(それが縁なのだが)特別な環境と機会とを与えられた。自分は彼らからは孤立している、嫉妬や敵意から疎外感を感じているかもしれない、しかし同時に、そのような特別な縁を得られた自分はどこかで選ばれた人間だという気持ちもその半面で強くなるのではないだろうか。現に日本人たちからも「人を見る目がある」と尊敬を集めているサウジに自分は選ばれたのである、自分は選ばれている、と。以上はもとより私の勝手な推測である。

ネパールの貧しい村にいる筋の良い(才能がある、向学心がある、頭がいい、精神的な面で輝いている)少年少女をピックアップして理想的な人間に育ててみたい、というのはひとつの誘惑である。独身で子供もおらず多少カネのある放浪者の陥りやすい誘惑といっても良いと思う。私は自分がそういう器でないことが十分わかっているのであえてやらないが、自分の人格に自信があり余裕のある旅行者にはそういうことを真剣に考える機会もあると思う。

私だって、12歳のサンドラカラをピックアップして最高に「調教」してみたいと妄想しないでもない。

しかし仮にそうしたときに、どんなに理想的な教育を施したとしても、いま私を魅了するサンドラカラの輝きは私の手を加えることによって確実に失われることが手に取るようにわかるので、現実にやりたいとは感じないのである。サンドラカラが輝いているのはサンドラカラのいまの環境においてなのであり、その輝きの時間も最初から限られたものなのだ。
 

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2008年3月 6日 (木)

ダルバール広場 カトマンドゥ

写真はお寺の台座から。

ダルバール広場(旧王宮前広場)は、数年前世界遺産に登録されるまでは外国人も無料で自由に入れることができた。そのころはカトマンドゥにいる間、毎日のようにここにやってきて寺の台座に座って何をすることもなく時間をつぶしていた。ヨガとかヴィパッサナとかに凝ってたころだったので、何もしないで座っていると自動的に瞑想に近い状態になっていくのが楽しかった。当時のカトマンドゥの人たちは今よりずっと無邪気でフレンドリーで白人にも日本人にも幻想を抱いていて、しばらく座っていれば必ず誰かが話しかけてきた。多くは客を探しているガイド(売春婦ではない!)だったが、外人や日本人などと話すこと自体が楽しい、あるいは話しをしたい、という感じだった。今はそういう人はあまりいない。

右側が旧王宮

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ガルーダの像

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奥に見えるのがカスタマンダップKasthamandap寺院
ここでいちばん古いお寺。他の寺院と作りが違い、吹き抜けになっていて日本の寺社を連想する。「カトマンドゥ」の語源はカスタマンダップだという。

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この広場でいちばん高いお寺

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バサンタプルを望む

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今回のネパール旅行ではじめて牛を見た。タメル近辺ではまったく見なくなった。

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段ボール箱であやされている物売りの子供の写真を撮る白人ツーリスト。
この辺の小商人、屋台、物売りなどの写真を片っ端から撮っていた。

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下の茶髪の白婆(毛唐)もローカル住人をまったく物としか思っていない。
ここで商売している人たちは自分たちが観察して写真に撮るために供されている物だくらいにしか思っていないようだ。この女も小さな商店や屋台の人たちの写真を片っ端から撮っていた。

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ジョッチェン カトマンドゥ

今日は「シヴァラートリー」のお祭りだったが、今日になるまで知らなかった。子供たちが家を回ったり道に紐を張って関所を作ったりしてお金をねだる。

子供たちが「・・・シヴァラートリー!」という掛け声で金をねだって歩くのはいろんな国に似たようなものがありそうな祭りである。

ただ大人たちが喜んでカネをくれるとは限らない。小銭を渡す人もいればまったく無視する人もいる。怒り出して紙つぶてを投げつける人もいた。

関所を作っているガキのなかには「ファイブルピー」など要求してくるのもいる。今日はいつもにもまして傍若無人な白人ツーリストが多いなと思っていたが、祭り目当てに来るやつもいるようだ。
 

今回のネパール旅行で初めて今日ジョッチェンを歩いた。カトマンドゥに来たら一度はジョッチェンを歩かないとという感じがある。

「フリークストリート」という名前がついた60年代を知るわけもないが、10年以上前に初めて来たときには、なるほどそうかもしれない、と思う雰囲気があったと記憶している。

数年前でもそこそこになにか残っていたように思う。今ではまったく何の痕跡もない。これがジョッチェンだったっけと思うほど何の面影も趣も残していない。

"Budget"という旅行代理店の看板が目立つ。インド方面はここが安いという人もいる。

喫茶店「スノーマンSnow Man」に入り、お約束「クリームキャラメル」を食べる。

ずっと同じ味。黄色いカスタード(?)に砂糖を煮詰めて作ったらしいカラメルをたっぷりかけたのが、崩れかかって出てくる。普通のカスタードではないようだがどうやって作るのだろう。

「スノーマン」の兄ちゃんは白人に近い容姿のアーリア系だったが、物腰が柔らかく愛想も良い。タメルあたりではもう見られない雰囲気である。

私が店に入ったとき、ちょうど白人客が入ったところで何か話しかけていたのに、一見のアジア人客である私のほうに十分な注意と笑顔を向けてくれたのは、やはりちょっとうれしかった。

アジアの後進諸国でこういう経験をすることは少ない。

以前は「スノーマン」も薄暗い隠れ家的な「フリーク」な雰囲気があったと思ったが、今はすっかり明るく普通な感じになっている。健全そうな若いネパール人たちに愛用されているように見える。

バサンタプルの方からダルバール広場にコソーリと入る。番屋はあるが、こちら側はいちいち監視していないようである。数年前に世界遺産に登録されてから、外国人がダルバール広場に入るときにはかなりの大金を取るようになった(定期券のようなものを発行する)。インドラチョークの方から入ろうとすると今でも取られるはず。

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2008年3月 5日 (水)

カトマンドゥ、タメルの必ずしも薦められない安宿

カトマンドゥに来るといつも宿を転々とする。チェンマイでもそうだった。

クアラルンプールではずっと同じ宿にいた。

いい宿を探して転々とする場合でも、大きな荷物、生活用品一式を預けておける信頼できる宿を確保しておくと便利になる。私は3年前に預けた荷物を受け取ることができたが、それは運がよかったから。しばらく来なければ勝手に開けて使えるものはパクッて捨ててしまうところもあるはず。オーナーが変わったり改築したりしたときにはストアに預けた荷物はたいてい処分されてしまうだろう。タイではツーリストが預ける荷物に関して一日いくらの料金を取るところもあるらしい。そういうところに何年も荷物を預けて旅行している人もいた。

自分で見たことと人から聞いた話を総合して、今の時点であまり薦められない宿をあげておく。あくまで一旅行者の見解なので、これに不満がある人は反論すればいいと思う。訴訟起こしたいなら日本まで来てもらわないと。

Fuji ホテル」  昔はFuji Guest Houseといっていたところ。高いわりに内容がない。旅なれない日本人をカモにする雰囲気。ネパールの悪いところと日本の悪いところを融合させたような押し付けがましい親切感がたまらない。近くにダンスバーができたため。そちら側の部屋はいくら高い部屋でも深夜までやかましいはず。このホテルには白人も泊っていた。こうなるとさらに悪いことになる可能性がある。経営者が日本人の気弱さ、控えめさに付け込み日本人客を邪険にし日本人を搾取しながら、一方で白人客を優遇することによって店の格を高めようとする動きに出る可能性がある。経営が軌道に乗るまでは「日本人用」の看板を掲げて何とか切り抜け、経営がある程度安定してきたら白人優先へと方向転換して格を高め商売を大きくしようと考えるものが多い。(たとえばチェンマイの「バナナ某」、チェンライの「ツーリスト某」などもその典型だろう。昔バナナに泊った人はバナナに泊るのは日本人しかいないようなことを言うが、数年前に私が泊ったときは白人客のほうが多かった。白人好みのボランティアなどに関係してロンリープラネットもべた褒めである。日本人客はクレームをつけないし多少つけてもやりこまれてしまうので、利用し搾取するにはいいカモだといえる)。

Holy Land Guest House」  今回は泊まっていないが部屋が狭い。若いバッカパッカーがグループで来たりするので、そういうのが嫌いな人には向いていない。噂によれば、よくドロボーが出るということ。それも夜中寝ているときにに堂々と入ってくるという。女の子には向いていない。

Holiday Kathmandu Inn」  昔は「ホテル・カトマンドゥ・ホリデイ」という「親日的」な雰囲気の宿だった。カトマンドゥホリデイには若いタマンやグルンのボーイが何人もいて、日本人のほとんど英語を話さない女の子たちに大人気だった。ホテル内でやれた話もボーイから聞かされたっけ。でもダラッと滞在するにはいい宿だったと思う。サントスというグルンの男(ベルキャプテンという肩書きで当時二十歳くらいだった)は英語が良くでき、ネパールに関する知識をいろいろと教えてくれた。悲しいことにネパール語より英語のほうがよくできる(そのくらいネパール語は苦手)という人だった。母語はグルン語なのかもしれないが、一番できる言語は英語ということだった。彼は腰が軽くややこしいことを頼んでも「マネッジする」と言って引き受けてくれる人だった。時計を買うのが値段交渉などで面倒くさいので全部頼んで買ってきてもらったこともある。日本人を重視していて、信頼できる男だった。もちろん今はいない。外国に行ったとか。カトマンドゥホリデイでは毎年のように顔を合わせる日本人ツーリストもいた。もちろん変なやつである。当時は良い部屋でも一泊250ルピアくらいだった。今は経営者が変わって別のホテルになったが、建物のつくりは前とまったく同じ。同じ部屋にテレビなどを入れて料金も倍(500上)。アーリア系の感じ悪そうなボーイがいてフレンドリーな雰囲気はない。ネパール人客、インド人客目当ての宿になっている感じ。

Sweet Dreams」  Holy Landの通りにある。ドミ風の部屋。チェックインの時にはボイラーがあり湯はいつでも出るといっていたが、後でボーイに聞くとソーラーだけだった。当然冬の時期満足なお湯は出ない。ウソ平気なアーリア系の宿。

Lucky Star」  ボイラーがあるらしくお湯はよく出るほう。しかし部屋が湿っていてたまらなく寒い。夜遊びしていたネパール人客が夜中に入る宿。どの宿も深夜はシャッターを閉めるが、ここはブザーを鳴らせば嫌な顔もせずに開けてくれる。つまり深夜いろいろ出入りがあるということ。

Hotel Prince」  ここはまた最悪。周りをナイトクラブで囲まれている。しかし、バーは昼間はほとんど目立たない。昼間見る限り静かそうな一角にあるが、夜は1時過ぎまで大音響。横並びの部屋で、両側からナイトクラブの大音響の挟み撃ち。料金は高め。しかもデポジットを要求する。そして「静かな部屋」に案内してくれる。昼はそんなにうるさくないし、快適な部屋だが夜眠るのには向いていない。デポジットを要求する理由は、夜にならないとわからない酷さがあり、しかも料金が高いからだろう。暖かいシャワーを浴びて静かに眠りたいと思って少し高いホテルを選んだ人にとっては最悪の宿である。カネを返せ、半額にしろという抗議が跡を絶たなかったからだと思われる。夜になってからこの宿を捨ててどこか眠れる宿に移ろうとすると「タメルはどこでもこんなふうだ」とウソをいう。初心者をだます手口。「静かな部屋」のことで文句を言うと、「あの部屋がうちでは一番静かな部屋だ、ウソは言っていない」と開き直る。

Imperial」  Fujiホテルの近く。ジャータから外側へ入る横丁を左のほうに奥まで行ったところにある。宿泊者はおそらくほぼ100パーセント韓国人。フロントのネパール人がはっきりと韓国人用の宿だというが、頼めば日本人も泊めてくれるらしい。3年以上前、若い日本人の女の子が、コリアンの友達に教えてもらって泊っているが安くて最高だ、と言っていた。韓国人が好きな人向きの宿だといえる。日本人の女の子はもてるようだが、日本人の男が韓国人の女の子に相手をしてもらえる可能性は低い。日本人女とのセックス自慢のネパリも、韓国人は嫌いだ、「スマート」だから、韓国人女はやらせてくれない、と愚痴を言っていた。韓国人女も白人にはやらせるのだろうが、日本人女のほうがネパール人男には親切のようである。けっきょく後進国の人間が日本が好きとか嫌いとかいう理由はカネと女のみ。

Cherry Guest House」  ここはバウン経営だが、かつてはのんびりしたいい宿だった。オーナー家族が隣に住んでいるのであまり荒れた雰囲気にはならない。かつて、「日本人宿」を毛嫌いしている日本人ツーリストからは、日本人の溜まり場というような批判を受けていた宿である。ところがいつの間にかゲストハウスの奥に韓国料理店ができていた。それ以来、韓国人客が増え続けたようである。韓国人たちがロビーを占領するようになり、ソファーに横になったり、怖い顔で一人で何か演説していて他の韓国人たちが黙って拝聴していたり、とにかく日本人ツーリストがロビーでだらっとする雰囲気ではなくなった。今はだいたい7割くらいは韓国人客だそうである。

数年前このゲストハウスで泥棒にあったことがある。2回か3回の部屋で暑い時期に夜窓を開けていたら、突然若い男がカーテンをめくって覗き込んできた。電気もついていた。男が泊っていたと思っていなかったのか、目が合うと一目散に逃げ出した。私は大声を上げ何とか捕まえたかったが、中庭向きの窓の桟を伝ってすごいスピードで逃げていった。

廊下の本棚に残された大量の日本語の文庫本が「日本人宿」だったころの面影を忍ばせる。韓国人ツーリストが多いわりに韓国語の本は少ない。韓国人は英語の本ばかり読むのだろうか。

韓国人が嫌いでなく多少の無作法も気にならないという人には今でも悪くない宿。ただしホットシャワーは、かつては電気ボイラーがあったがいまはソーラーのみ(寒い時期はホットシャワーなしということ)。バウンのオーナーは日本人客には日本式に頭も下げる。しかしバウンはやはりバウン。あるネパール初心者の日本人の女の子は、なにかクレームをつけるたびに「ここはネパールだから・・・」といういつもの言い訳を繰り返されて何も聞いてくれなかったと言っていた。「ここはネパールだから」というのもバカな日本人がわざわざ彼らに教えてやったような言い訳だろう。そういえば日本人は黙る。タイヲタが「だってタイなんだもん」とか「マイペンライ」でタイに擦り寄って得意になってるようなものである。

チェリーに以前いた夜番の男(チェトリ)は白人ツーリストには高い料金を要求してなるべく泊めないようにしていたが(番人にとっても毛唐は気配りがなく厄介だからだろう)、最近は同じ料金で泊めているようだ。夜番に今どんな人が泊まっているかと聞くと「アメリカ人7人、韓国人2人、日本人ゼロ」などということも。

いったん泊って顔なじみになれば他の宿に移ってからも行っていろいろ話を聞くことができる雰囲気。バウンだから助けてくれるのはあくまで情報面だけだが、ネパールの基本的な知識を仕入れるには良い。バウンだから腰を動かす仕事は極力しないと思う。(以上、チェリーゲストハウスの話)。

その他。

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2008年3月 3日 (月)

モンゴロイドは卑屈。ほとんど「遺伝的」に白人に媚びずにいられない。日本のネトウヨの類も同類

モンゴロイドは卑屈で、ほとんど遺伝的に白人に媚びずにいられない。

色が黒くなり、土人的、または北方モンゴリアン丸出しの容姿になるほど白人に媚びたがる。

彼らは他の有色人種との関係で相対的に優位に立とうとするが、白人の絶対的な優越性を何の抵抗もなくうけいれて醜く白人の周りを回って媚びまくる。

彼らにとって重要なのは、自分がいかに白人にかわいがられているかである。それ以外の尺度はない。白人に愛され一目置かれれば、それでアジアでは勝ちだというのである。彼らが本国でいくら「国際人」を気取ったとしても彼らの世界は結局「アジア」ないし自分の国に限られる。

ネパールでいろんな人種=民族≒カーストを比較しながら見ているとそれが良くわかる。

ある意味、モンゴロイド(非白人非黒人のアジア人)はもともと謙遜な人々といえる。しかしいくら謙遜でも生き延びていかなければならない。これに対してコーカソイド、とくにアーリア系はおそらくその人種集団としての形成の過程において高慢な刻印をほとんど遺伝子レベルで獲得している。高慢というのもプライドが高いというのもも同じことである。卑屈も謙遜も同じ意味だ。

日本のネトウヨなどのチョンコ叩きも、結局は、タイやマレーシアやモンゴロイド系ネパール人の土人が、ことさら白人に媚び、ことさら日本人などを引き下げ邪険に扱うことで溜飲を下げているのと、精神的なレベルはまったく変わらない。恥ずかしい土人の姿というほかない。

バウン(アーリア系)は口先だけで本当に腰が重い。使えない人々である。昨日、バウンとグルン(モンゴロイド系)がいるところであるレストランの場所を聞いた。

どちらの男も知らなかったがバウンの方は知らない知らないというばかりだった。このバウンは何度も話をしたことのある感じのいい男である。毛唐に必要以上に媚びることもなく客を平等に扱う。

しかし、何かを頼みごとをすると、何とか結果を出そうと考えるのではなく、「なぜそれができないか」の理由をまず考える。ホテルのボーイでも使用人でも同じである。「できない理由」を巧みに説明すること(といってもネパールの田舎ものなのであれこれ知ってる英語を立て続けに並べるくらい)こそ知識と知恵によって上位に立つバウン(ブラーマン)の証だと思っている。

一方、そこに居合わせたグルンの男はまったくの初対面だった。彼もそのレストランを知らなかったが、何も頼んでもいないのに一緒に外に出てくれて、その辺の人間にレストランの場所を聞き回って一緒に探してくれて、ついに目当ての場所を見つけ出してくれた。そこまで一緒についてきてくれたが、まったく見返りを要求しようとしない。サンキューというとウェルカムというだけで、それ以上何も私に言わせず、恩を着せるようなネットリした目で見ることもなく、むしろすべてを避けるように何の屈託も残さずサッと去っていった。

ここまで話すと、グルンはすばらしい人々だと思うだろう。確かにグルンは私の好きな人々である。

モンゴロイド系の方がバウン(アーリア系)より親切だと思うのは自然である。確かにそれは一面当たっている。モンゴロイド系カーストのほうが働くし(というよりでバウンは極力働かないことを高貴なものの証と考えているように見える)、雇うなら使いやすいことは確かある。

しかし、この場面には白人が絡んでいなかった。

この関係に白人が介入するとどういうことになるかわからない。

ここにいったん白人が絡むようになれば、彼らの卑屈なまでの親切はもっぱら白人に集中するのみならず、人間なら誰もが感じるはずの卑屈な振る舞いに伴う鬱憤や嫉妬が、非白人にもかかわらず自分たちより豊かなあるいは国際的に上位にいる日本人などにはけ口を求めることは十分にありうることだろう。

もっともネパールではタイのように嫉妬・妬み・ヤッカミや「ランケー」や「トーレー」が確立した制度として定着しているというわけではない。カーストがあまりにも複雑に細分化されていてタイのように絶対優位の一民族が文化を作り出しているという国ではないからである。

日本人はどうだろうか。

日本人も非白人のアジア人という意味で「モンゴロイド」である。ネパールのアーリア系は日本人も中国人も韓国人も一緒にして「セイム・モンゴリアン・フェイス」などという。

日本人が白人に媚びる文化を容認している限り、決して白人とは対等になれない。白人と対等になれないということは、経済的にも2流以下にしかならせてもらえず、政治的軍事的には3流以下にしかならせてもらえないという意味である。

日本にとって政治的に最も脅威なのは脅威は、いうまでもなく中国である。

しかし政治的な脅威が中国だということの意味は、日本はいつでもアメリカに捨てられる可能性のある国だという意味である。日本は政治的軍事的にもちろんアメリカの保護国にすぎない。しかしいつでも捨てられうる保護国だと思う。アメリカ経済にとって日本が必須だといっても、日本は経済しか頼るものがないのだから、経済でアメリカを振り回すことなどできるはずもない。

アメリカが部分的にでも日本の保護を放棄し始めれば、その部分で直ちに中国がヘゲモニーを取るだろう。チョンコなど最初から脅威ではない。

中国がモンゴロイド特有の卑屈さで、世界支配など夢にも志していないこと、東アジアだけで満足するということを説得しアメリカの信任を得るならば、アメリカは安心して中国の日本に対するヘゲモニーを認めるだろう。

中国が世界の中華の志を捨てて、(モンゴロイド特有の卑屈さで)白人様には勝てないし逆らうつもりもないが有色人種の盟主にならせてください、有色人種の問題はわれわれに任せてください、白人様の権益とアジアでの手前勝手な振る舞いはすべて容認します、と提案したら、アメリカないし白人世界はそれを拒否する理由はもうなにもないだろう。

中国を監視する駒としてアメリカはすでに北朝鮮を手に入れているはずである。日本はまったく必要がない。

日本の右翼勢力が韓国叩き、チョンコ叩きにうつつを抜かしていることを、中国もアメリカもほくそえんでいる(かやっぱり12歳だったと思っている)に違いないと思う。
 

否定的な話ばかりでもなんなので、ポジティブな話もするとすれば、日本人は日本人をある種の独自の「カースト」として確立するほか生き残る道はないのではないかと私は思う。それはいわば世界の「神官カースト」である。もちろん(主観的に)最高位のカーストでなければならない。やはり独自の宗教の体系も必要だろう。和の心では不十分で、厳格な律法が必要だと思う。律法といっても特殊なものではなく当たり前のことと日本独自の習慣の基本的なものを厳格に行うということで十分だろう。それに外れている連中は日本人であろうがチョンコと同視してカースト外の者とする。日本が生き延びるためには「日本教」がぜひとも必要である。この言葉が奇異に聞こえるという人は世界を知らない人だと思う。ヒンドゥ教、ユダヤ教、すべて民族の名を冠した民族の宗教である。旧約聖書の神はなにより「イスラエルの神」であり、ユダヤ人の神である。ユダヤ人にとって異教の神々でない「われわれの神」こそが、人間と世界を作った唯一最高の生ける神であると彼らは信じるのである。外国の神を外国の習慣とともに崇め奉り祭り上げている日本の宗教(キリスト教など)は本物の宗教ではないことはいうまでもないだろう。本物の宗教がいまの日本の土壌からは生まれそうにないところがなんとも残念である。

 

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2008年2月29日 (金)

仏塔と共産党 カトマンドゥ

マオイストのバナーと仏塔を供養する人。

マオイスト(マオバディ)はネパールの「いろいろな共産党」の中のひとつ。ネパールの政党の大部分が共産党のようで、今も議会の過半数は「いろいろな共産党」が握っているということ。4月に行われる選挙でも「いろいろな共産党」が過半数を占めることはほぼ間違いないらしい。

ストゥーパ(仏塔)が赤いのは共産党が荒らしたからではなくて、「供養の痕」。

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デジカメのメモリーがウィルスに感染し開けなくなってしまった。

タメルのネット屋でデジカメやUSBメモリーなどを使う人は要注意。

パソコンに詳しいあるネット屋(「ちくさ」のはす向かいのネット屋)でウィルス除去してもらったが、すでに撮った写真は開けず、メモリーもフォーマットしないともう使えないようだった。

結局フォーマットすることにし、かわいい女の子たちの写真もブログに上げたもの以外は消えてしまった。この4枚の写真はカメラ本体に残しておいたもの。

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2008年2月28日 (木)

Now available "Foreigners in Japan" カトマンドゥの本屋にて

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どんなことが書いてある本なのかまったく知りませんが、この手の本には日本にとっていいことは書いてないんでしょうね。

日本ネタなら中傷と歪曲と嘲笑で固めれば白人は喜んで読み、他のアジア人(タイ人などを含むことに注意)も満足する。そうなってないとかえってあちこちから苦情が殺到するという仕組み。
 

ところが「タイ」が相手の場合、白人の言論の態度はまったく変わる。

経済を含むあらゆる場面で白人優先主義の接待を全身にたっぷりと受けて多少は後ろめたさを感じるのか、下半身の恩を受けすぎているせいか、なにより東南アジアの野蛮な後進国としてはるか下方に見下しているからか、白人はタイに関しては外国人に「フレンドリー」で「自由」なすばらしい「微笑の国」ということしか書かなくなる。
  

ネパールやタイだけ行って「アジア」を「理解」してしまうという白人が非常に多い。

「ロンリー・プラネット」などの影響力も決して馬鹿にできない。若い白人ツーリストの大部分が持ち歩いているガイドブック。

こういう本屋に並ぶ本から白人のアジア観、日本観が形成されて行くと考えてしまっても、あながち的外れなことにはならないと思う。

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2008年2月27日 (水)

日本人専用インターネット屋の必要性

日本人は日本にいる限りはわざわざ六本木のネット屋などに行って不快な時をすごす必要はないが、海外では別である。インターネットにアクセスするためにどうしても「六本木のようなところ」のネット屋にいかなければならないことが少なくない。

私がここカトマンドゥでよく利用するネット屋はなかなかフレンドリーなところである。大きなところと違い、いろんなトラブルや問題に時間をかけて親切な対応をしてくれる。接続の状態が悪いときも考えられる原因をひとつずつチェックして(プラグのほんのちょっとの傾きで接続状態が変わったりと手作業的な部分が多く、山仕事的な勘がものをいうこともあるらしい)プロバイダーに電話をかけたり、できる限りの対応をしてくれる。

ボスの男はチェトリだが、いつも私を格別の笑顔で迎えてくれて、一見の外国人客が一時間30ルピー払うところを私には25ルピーにしてくれている。(もっともネパール人の友達などはただでやっていくのでその辺はネパールの感覚である)。

ところがその下で働いているバウンのような男はつっけんどんだった。しかもちょっと疑問のある接客をしていた。

このネット屋はPC6台の店だが使用者が2人を超えると「ビジー」な状態になる。2人くらいまではネパールとしてはかなり快適な接続である。

そういうわけで私はしばしばこの使用人の男に追い返されてきた。白人客が2人ほどいるときにはビジーだといって入れてくれない。

ところが昨日店に私一人しかいなかったときに、白人客が3人4人と押しかけてきた。彼が私に説明していた原則からいえばビジーだからといって2人を超える人数は追い返すべきだった。

白人客たちが入ってから出て行くまで50分ほどの間、ココログの管理画面の操作がまったくできなくなった。

ヤフーコムやマイクロソフトなど欧米の大きなサイトには容易につながる。彼らがやっているヤフーメールやホットメールは動いている。(ただグーグルのgmailは重かったりするようだ。そういう時白人は大げさに騒ぐのですぐにわかる)。

ココログの管理画面が動かないのでログアウトもできない。白人が出て行くまでそのPCにへばりついて待つしかない。

50分ほどして白人が3人消えるとすぐに見事に良くつながるようになった。

白人が消えるのを待っている間、その使用人の男に談判をしていた。

「お前のやってることはダブルスタンダードだろう。俺にはいつもビジーだといって追い返していたじゃないか。こいつら(白人たち)が入ったおかげでまったくつながらなくなった。ログアウトもできない。いまはまったく時間を無駄にしているだけだ・・・・」。

使用人の男は私の話をかなり神妙な顔で聞き、少し考え込んでいるようだった。白人たちの勢いに負けて(実際白人の「勢い」は狂気じみている)なんとなくそうしていたのかもしれない。ネパールのネット屋に来る白人は本当に幼稚園児のような白痴っぽいのが多い。日本人も白痴っぽくないとはいえないかもしれないが奇声まではあげない。

このあたりはタイをはじめとする東南アジアとの大きな違いである。こういう問題を神妙に考える人はタイはもちろん東南アジアにはまずいない。

白人たちにも私の話が聞こえていたはずだが彼らにはまったく気にならないらしい。幼稚園児のようにはしゃいでいる。

結局、白人が入ってからの時間分の料金はとらず、その前も1時間以上使っていたと思ったが、1時間分の25ルピーにしてくれた。白人たちは50分で30ルピー払っていたので、まあまあの結果ではある。
 

インターネット屋というのは、種々のツーリスト施設の中でもとくに白人至上主義的な傾向のある場所である。アジアには、インターネットは白人による白人のための道具だという観念がある。もちろんそんな考えはナンセンスである。それをいうなら紙は中国人のもの、有価証券を発明したのも中国人だから紙幣も株も中国人のためのもの、ということになってしまうだろう。

ネパールのネット屋は日本語の読み書きの環境はよく整っているほうだが、回線のインフラはもちろん悪く、欧米の大きなサイトにはつながっても日本のサイトにはまったくつながらない状態になることが少なくない。

たとえばヤフーコムは動かせているがヤフージャパンにはまったくつながらないということもある。回線が重くなると自動的にそういう状態になるらしい。

大きなネット屋だと、白人客がみんな使えているというのを見せて、つながっていないのはお前だけだからお前の責任だといって開き直り、ほとんどなにもできなかったとしてもカネだけはしっかり取る。途中からそういう状態になる時が一番厄介である。メールをサインアウトすることもできない。

海外に存在すべき「日本人のための施設」の第一は、日本人が安心して快適に泊れる(毛唐があまり来ない)日本人のための宿だが、第二は日本人用のインターネットだと思う。(日本食は私はどうでもいい。3食チャパティとカレーとお茶で十分)。

既出のロジナちゃんが働いている「チェリーゲストハウス」に数年前いたあるスタッフは、白人客は最低一泊500ルピー出さなければ泊めないと公言していた。(日本人は200とか。安い部屋なら125くらいから)。白人客は働いているネパール人にとっても厄介だという意識がその人にははっきりとあるように見えた。ところが今の「チェリー」は白人客も日本人客と同じ値段で泊めてるようだ。

日本語が表示できない、書けないPCばかりというインターネット屋も日本人があまり行かない場所には多い。欧米の大きなサイトへの接続と日本のサイトへの接続とでは回線の条件も変わる。

日本人専用のネット屋を作るのはもっと簡単である。PCのスタートメニューを全部日本語のみにして勝手にやれといっておけばだいたいOKだろう。

ドコモなどが海外でもパケホーダイを使えるようにし、iModeがネパールなどでもちゃんと使えるなら別かもしれないが。
  

(ここからは別の話)

ネパールは日本に一番援助してもらっている国である。もっと多くの日本人がネパールを旅行してよく見ておくべきだと思う。

いろいろな場面で日本人が正当に扱われているかどうかを確認することは(ネパールに限らないが)大切なことではないだろうか。

政情不安定といっても、不便ではあっても危険ということはない。ドンパチやっているとしても、風土とか歴史とか文化というものは生きて働いている。

(ただ今のタライ平原の騒乱はネパールの文化から外れているかもしれない。犯罪集団的な色彩が濃く、よりインド的な少数民族の分離主義的な運動のようでもある。カトマンドゥや普通にツーリストが行くようなところは安全だと思う)。

政府とマオイストが武力闘争をしていた時でさえ、マオイスト支配地域に一人で歩いていっても何の危害を受けることもなかった。→「バルパック
 

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ネパールのネット屋に乗り込んできて「サワディカッ!」と叫ぶバカ白人

今、ハゲ白人オヤジがネット屋に乗り込んできてスタッフに向かって「サワディ・カッ」とのたまいやがった。

こいつはまだタイにいるつもりらしい。

白人がいかに「アジアはひとつ」だという観念に凝り固まっているか、彼らがいかにタイによってのみ「アジア」を知り、タイを基準にして「アジア」を解釈しようとしているか、が伺われようかと思う。
 

実に白人の日本に対する不満は、要約すれば、「日本がタイのようにしていないこと、日本人が白人に対して、完全にタイ人のように振舞っていないこと」に尽きる。

日本を誉めそやすような白人にも気をつけたほうがいい。

日本のことを良く言う白人たちのほとんどは、日本のいちばん「タイ化」した土人売春婦的な部分にどっぷりと浸って満足しているに過ぎない。彼らによる称賛は日本にとって何の名誉でもないばかりか、奴隷化の証でさえある。
 

バンコク=カトマンドゥ間に直行便が飛んでいてクズ白人が往来するために、どんどんネパールのタイ化が進んでいく。

接客にも現れている。

かつて感じたネパール人のカーストや人種を超えた日本に対する「尊敬」の感覚が薄れつつあるように見える。

それと並行するようにタイ式の白人絶対優先接客が浸透しつつあるように感じる。
  

そのうえ今ではタイ人までがネパールやブータンを荒らしに来るようになっている。

おとといネット屋でタイ土人売春婦数人と糞掃衣を着た腐れタイ坊主を見た。

恥ずかしげもなく外国にまで来てタイ語を話している。

タイ人であることが恥ずかしくないと言うのだから本当の「恥知らず」である。

ここに来ている外国人はたいてい「タイがどんな国か」、どんな恥ずかしい土人売春国家かを知っている。白人はアジアの基本はアレ(タイ式)だと思い込んだうえで、ネパールはちょっと精神的な国だくらいに思っているのである(その根拠を「アーリア人」の存在に求める白人も多いはずだ)。

タイ人がタイで恥知らずな行為を際限なく続ける時の言い訳は、「ここはタイだ、タイに来たらタイの流儀に従え」と言うものだった。

しかし、いま「ここ」はタイではない。
 

タイ人など海外旅行をすべきではないのだ。

タイ人は中東にでも行って土方とメイド売春でもしていればいいだろう。

本国でムスリムをはじめ白人以外のあらゆる異民族を虐待している報いで、中東で虐待されてもやむを得まい。カルマが落ちたというものである。

タイ猿は海外に出ても毛唐に媚びるという。

海外の接客の場面で働いているタイ人には不快な思いをさせられると言うことを聞いたことがある。

つまり、タイ人は世界中どこで働いても、タイ式の白人最優遇、「人種差別(白人優先)=ホスピタリティ」主義接客を売りにするのである。

この「差別をつけて(上客を上げる以上に被差別者を引き下げることで)ホスピタリティを表現する」というタイの接客観、歪んだしかも(下げればいいだけだから)安上がりな「ホスピタリティ」の観念が、ネパールをも汚染しつつあるのではないかと懼れる。

タイ女とタイ坊主だけは排除しなければならない。

タイの売春とタイ仏教タイ坊主とは昔から深い関係があるのだ。
 

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ストリートチルドレン カトマンドゥ

タメルの横のトリデヴィマルグで。

Imgp3830

10年以上前始めてネパールに来たとき、夜カンティパトなどの歩道で数人の子供が犬と一緒に固まって寝ているのを見て新鮮な驚きを感じた。そのころも堂々とアンパンやりながらその辺歩いている子供は見た。

しかし当時はなぜか不潔感は感じなかった。あまり臭わなかったように思う。ネパールの乞食は日本のホームレスよりきれいだと思ったものである。そのころは家があっても本当に襤褸をまとってるような子供をカトマンドゥでも普通に見た。

当時に比べると、ホームレスの子供が汚くなったように思う。この辺を通るだけで日本のホームレスとまったく同じ強烈な臭いがしてくる。逆に家のある子供はまったくこぎれいになった。

小学生中学生くらいの子供がタバコの火を借りに前記事の茶店にやってくる。

あのディディ(お姉さん)も平気でろうそくの火を渡す。

 

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2008年2月26日 (火)

ローティを焼くバウンの女性 カトマンドゥ

ローカル茶屋でチャパティ(種無しパン)を焼くバウニ。

ローティを焼くバウンの女性 カトマンドゥ
ローティを焼くバウンの女性 カトマンドゥ

ここでは撮れなかったが、しゃべり始めるとどんどん自分の世界に入っていく感じでやたら面白い。

容姿はバウンの典型、見るからにバウン、という感じ。

前記事のロジナちゃんもそうだが、横顔はもっと「原始彫刻的」で、インドの女神像のような古典的な雰囲気がある。

バウンはプライドも高い。バウンやチェトリなどアーリア系は使用人としては使いにくいと聞く。私はバウンよりチェトリの際限のない言いわけ、屁理屈の方が苦手。

しかし、ネパールのブラーマンはどこか抜けてる感じもある。

インドに行くとバウンであろうがモンゴロイドであろうが、ネパール人はみな犬畜生のように扱われるのだとか。

日本人そっくりの色白のグルンの男が日本人の友達と一緒にインドに行ったが、ネパール人だとわかった時点でホテルに泊めてもらえなかったという話も聞いた。

「ローティ」というのは(マレーシアでもそうだが)インド系世界で「パン」一般のこと。(タイやカンボジアでは「ル・パン」と言っていた)。

何で焼こうが「種無しローティ」は「チャパティ」。

首を横にかしげるしぐさもインド世界共通。マレーシアのタミル系インド人も使う。「肯定」の意味を表す。マレーシアでもインドレストランばかりに通っていたので私もほとんど身についてしまった。

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2008年2月25日 (月)

バウンの女の子 カトマンドゥ

カトマンドゥ、タメルの「チェリーゲストハウス」の昼のフロントの女の子。以前いた別のバウンの女の子は日本人の男と結婚してしまったということ。
バウニかどうか確認したわけではないが、典型的なバウニだと思う。この宿のオーナーはバウンで、働いているのも(掃除などは別だろうが)バウンばかりのよう。

①私の名前はロジナです。
②バスンダラに住んでいます。
③日本語が少しわかります。
④日本に行きたいと思っています。

というような意味。

この宿は数年前までは「日本人宿」と言われ、「旅慣れた」日本人たちには見下されているようだったが、どういうつもりか同じ敷地内に韓国料理レストランを作ってしまったため、今ここに泊る客の大部分が韓国人になってしまった。

バウンの女の子 カトマンドゥ ネパール
バウンの女の子 カトマンドゥ ネパール
  

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2008年2月23日 (土)

「ふる里」 タメルの日本料理屋 カトマンドゥ

私は海外でとくに日本料理を食べたいとは思ったことはない。マレーシアに何ヶ月かいた間も日本食は一度も食べなかった。中国料理も嫌いなので、マレーシアではインド料理のみ。(「マレー料理」と言うほどのものが存在するのかどうか私は知らない)。

しかしカトマンドゥでは昔からよく「ふる里」に立ち寄る。それは単に、タメルでは(私の知る限り)ここだけ日本の新聞(タイ発の読売新聞)が半日遅れで来ているからである。

3年以上前は、タメルの日本料理屋の中ではましなほうだと思っていたが、今回はそうでもなかった。安心して食べられるのは親子丼と味噌汁くらいか。

どこかの情報ノートに「ふる里」のすき焼きがうまかったと誰かが書いていたので先日ためしに食べてみたが、大変まずかった。(ネパールにある情報ノートは日本語のできるネパール人がチェックしていることが多いのだとか。自分の店の批判やゲストハウスでの日本人被害事件に関する書き込みを切り取ったりするという噂。店の宣伝もするかもしれない)。

以前はミルクティーだけで新聞を読んでいても嫌な顔をされなかったが、最近はどうやらそれが気に入らないらしい。

どうせ席はがら空きなのに、金を支払う段になってうちは本当はお茶だけは出さないんだなどとわざわざ念押ししてくる。

お茶だけの客が嫌なら注文した段階で断ればいいのに。

3年以上前はもう毎日のようにお茶だけで新聞を読んでいたが、そういうことをいわれたことはなかった。人が変わったからかもしれないが。カトマンドゥ全体の雰囲気も確実に変わっているようだ。

以前15ルピーだったミルクティーは少なくまずくなって20ルピーに。ブラックティーも20ルピー。ネスカフェは25ルピーだという。

とにかく読売新聞がおいてあることだけがこの店の長所。

日本人客が多いが、ヨーロッパから直行便でネパールに来て、ネパールで「アジア」をすべてわかってしまうつもりでいるような感じの白人が殴り込んでくることもある。中国語をしゃべる客も来る。若い韓国人のグループが座敷に立て膝で座り込み箸で鉢をたたいて騒いでいたこともある。

味や清潔さでいえばやはり日本人が経営し駐在している店(「ロータス」など)が安心だと思う。オーナーが日本人でも日本人が駐在していないところは安心できない。

お茶が高くなっている原因にはガスの問題がある。

世界的な原油高騰で燃料が一般的に高くなっているだけでなく、ネパール南部のタライ平原の政情不安のためにインドからの交通が遮断され、ガスボンベがカトマンドゥに届かなくなっていることによるという。タライ平原の政情不安はマオイストではなく、もっと犯罪者集団的なギャングコミュニティによるものだということ。

数年前は茶店やローカル食堂は手押しで圧力をかける石油コンロを使っているところが多かったが、いまはほとんどの店がガスボンベを買って使っている。しばらく前は数百ルピーだったガスボンベが今年になって1200ルピーになり、いまではどうしても手に入れようとすると5000ルピーも出さなければならなくなっているとか。この数日は店を閉めるローカル食堂が増えている。お茶だけ値上げしている店もある。

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白人よりは韓国人のほうがよほどマシであるという事実

このタイトルでネットに流せばバカどもがいっぱい食いついてくるだろうということは容易に想像できる。いまここで話題にするのは、直接的にはツーリストの振る舞い、白人ツーリストも韓国人ツーリストも多いこのカトマンドゥで私が見ている限りでのツーリストの水準についてである。

なぜ韓国人を取り上げなければならないかというと、今のネパールには韓国人ツーリストが本当に多いからである。

ネパールに限らず南アジア全体で、東アジア系のツーリストといえば韓国人ばかりのようになっているところが多いようである。

韓国人ツーリストがウザイという声ももちろんあり、それもよく理解できる。日本人ツーリストの平均に比べれば、騒々しい、共用トイレなどの使用法が悪い、日本人女にしつこく付きまとうなどの苦情が日本人ツーリストの間でひそかに語られていることがある。

ただ、ネパールに来る日本人ツーリストの「層」は、タイの売春バービアで韓国人と女の取り合いをやっている日本人タイヲタや2ちゃんねらーとは多少異なるようである。

まず、関空からの直行便が飛んでいるせいか、特に若いツーリストに関西出身者が多い。関西の人間は他の地域の人間に比べれば韓国人慣れしているようである。

看板に韓国の国旗のデザインが入っているようなゲストハウスに泊まることは、東京出身者にとってはちょっと抵抗のあることだが、大阪出身者には平気なようだ。

数年前までは日本人ツーリストが多かった宿など、今は韓国人に占領されていることが多い。かつて「日本人宿」といわれていたところに韓国国旗のついた看板が出ていることもある。

ただ、そういうところでも日本人が駆逐されているというわけではない。韓国人ツーリストが激増しているのに対して日本人ツーリストはどんどん減っているらしく、また日本のガイドブックに紹介されている宿に韓国人が泊まりたがる傾向があるようで、その結果そういうことになってきているようである。

さまざまな先入観や偏見を排除して、できるだけ客観的に見て、白人と韓国人とどちらが共存しにくい迷惑な連中かと観察してみると、やはり白人のほうが迷惑な連中だというのが、私の今のところの所感である。

そもそも、異人種・異民族というものはなんであれウザイものである。異民族はウザイのが自然である。この前提を無条件に否定してきたから変なことになっているのだと思う。

異民族がぜんぜんウザくないという人は、相手を完全に見下しているか、それともはるかに見上げて卑屈に構えているかのどちらかだと思う。

アジアの旅行先で、白人はいいが韓国人はウザイという人は、アジア旅行さえ白人とのおしゃべりが目的で行く=白人とのおしゃべりが「国際交流」だという、アホ日本人女が白人に囲まれてはしゃいでいる英会話学校の広告ポスターそのままのような人か、あるいは実はもともと親韓派で、最初から韓国人を対等に見ていて、韓国人も日本人も同じようなものに違いないなどと思い込んでいたが、ある時点でその期待が裏切られたというのでウザイウザイと騒いでいる人かのどちらかだろう。

後者のような善良な連中に比べれば、私などはもともとかなりタチの悪い「差別主義者」といえるかもしれない。私にはもともと、「韓国人なんて・・・・に決まっている」という大前提が、嫌韓廚が騒ぎたてるよりはるか以前からはっきりあったことを告白しなければならない。
 

具体的に見ていくと、まず、韓国人はそれなりに道を譲るが、白人が前から来る有色人種に道を譲ることは非常に少ない。

ローカルであれツーリストであれ有色人種の方が道を譲るのが当然だというのが白人の態度である。白人ツーリストは、「アジア人はすべて哀れむべきローカル」とみなしてことさらわざとらしくフレンドリーにする場合以外、アジア人人間として見ることはない。自ら人間をよけていく臆病な犬か、そうでなければ生き物でもない歩く障害物くらいにしか見ていない。

ゲストハウスやホテルで、韓国人も日本人よりは騒々しいが、白人は明らかにさらに騒々しく迷惑である。

彼らは白人世界の掟にはそれなりに従っているのかもしれない。しかし、その掟にはアジアでは何をやってもいい、アジア人は人間ではないという条項も含まれているのだろう。

韓国人もトイレの使い方が汚いといわれるが、白人も同じかそれ以下。白人には共用トイレで大をしてまったく流そうとしないのが少なくない。

白人の夜の騒ぎ方はさらにひどい。カトマンドゥのゲストハウスにはたいてい門限がある。11時ごろには鍵をして夜番は玄関あたりで眠る。夜番といっても昼も働いていたり学校に行っていたりする連中で本当に夜は眠る時間なのである。

白人はそういうこともまったくお構いなしに、夜中何度でもエントランスを開けさせる。門限時間を聞かされていても必ず遅れて帰ってくる。門が閉まった後に鍵を開けさせて出かけ、朝方の3時4時に帰ってくるのも平気である。(さすがにネパールはタイと違い、売春婦をゲストハウスに連れ込むという者は人種を問わず少ないようだが)。夜中に門の開け閉めがある度に、ガラガラギーギーという大きな音が家中に響き渡り、白人が帰ってくると時間を問わず昼と同じ大声で廊下で喋りまくり、しかも白人の場合は必ずそれが長引く。自分の大きな足音を気にするなどということはさらにまったくありえない。ドアを昼間と同じように思いっきり開け閉めし大音響を立てる。共同の部屋に泊まっていればトイレに行くたびにバタバタバシンバシンと同宿者をたたき起こすことになる。白人はほかの人間に「配慮する」ということがまったくない。これに比べれば韓国人ツーリストのほうが幾分か周囲への「配慮」という観念があるように見える。

宿泊客の80パーセントくらいが韓国人であとは日本人、というゲストハウスに泊まっていたことがある。そこは以前は「日本人宿」とよばれていたところである。

韓国人も深夜帰ってくるのはいるし、声も大きいが、多少配慮していることは感じられる。夜中に廊下で話していたので「ここで話すな!」と文句を言うとおとなしく引き下がったのは意外だった。怖そうな面構えのいかにも朝鮮という感じの男だったので一悶着あるかと思った。

しかし白人が有色人種客からこういうクレームを受けて素直に受け入れるということはまずない。完全に無視することもあるし、侮蔑的に互いにニヤニヤして無視する、良くても口だけでソーリーくらい言って行いはまったく変えようとせずそのまま同じように続けていることもある。野蛮人による「そのような不当なクレームに従わないこと」が、「文明」的価値の中核たる個人の自由を守ることであり、正しい権利の主張であり正義である、くらいの考えからだろう。

その宿にたまに2,3人の白人が泊まると、その夜は騒々しさが普段とまったく違う。どんな時間でも平気で出入りする、廊下でしゃべる、扉を全力で閉める・・・・。

韓国人もうるさいと思っていたが、白人よりは相当マシだと実感した時である。

白人のうるささは常に特有の政治的な嫌味を伴うものである。ゲストハウスでもレストランでもインターネット屋でも、「ホストとの関係で自分たちが有色人種客よりも上客であることを有色人種客の前でホスト側に確認させる」、という白人特有の「承認儀式」がさらにその空間を嫌らしく騒がしいものにする。彼ら白人はどうしてもその儀式をホストに要求しないではいられない。自分たちの「空間支配」への承認、その空間における白人の優先権をホストに承認することを要求するために、大声を上げ、笑いたて、余計なことをまくし立てる。やんちゃをわざわざやり、それが承認されていることをいちいち確認することで、自分たちのヘゲモニーを確認する。これらはアジアのツーリスト地域でどこでも見られる白人の振る舞いである。このようなことも白人特有の迷惑さであって、アジア人ツーリストには見られない。

韓国人ツーリストは、かかわり合うと面倒なことが多いかもしれない。日本人女なら大変面倒なことになるだろう。しかし、極力かかわりあわないようにしてい る限り、無視していても、韓国人のほうからちょっかいを出してくるということはまずない。

この点も白人との大きなちがいである。白人はつねに、その場所における 自己の承認を求めて、いちいちちょっかいを出してくる。互いにかかわり合わないということを許そうとしない。

排除さるべき野蛮人として睨み付けてくるか、憐れむべき後進人種と見てことさらフレンドリーに擦り寄ってくるか、出方はいろいろだろうが、必ずちょっかいを出してくる。

彼らは「無視は敵意だ」という教条に則っているので、本当に無視していたら白人はいきなり突き飛ばしてくるか殴りかかってくるだろう。

彼ら白人にはもともと静寂の価値を自然に理解する能力はない。静寂は無であり、無は無価値であり、無価値は人間にとって反価値だという教条から、どこにいても常に騒がしく承認を求める政治闘争を展開するのである。彼らはどこにいても政治的に行為しようとする。空間占有の承認を求めてつねに誰かにちょっかいを出す。彼らにはそれ以外の人間の存在の仕方が想像もできないからだ。

もっとも、中国人ツーリストとの比較ということになるとまたまったく別の世界の問題になってしまうかもしれない。
 

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2008年2月18日 (月)

白人フリーの場所を!

数日、悪い風邪をひいていた。たぶんインフルエンザ。インドでは鳥フルがはやってるそうなのでもしそれだったら免疫ができてよかったが。

体調が悪くなれば精神的にも弱くなる。そういう時はますます毛唐にだけは近づきたくない。日本人専用といわなくても、毛唐だけは来ない場所でじっとしていたい。

カトマンドゥには韓国人専用の場所はいくつもある。イスラエル人用の場所ももちろんある。しかし、日本人用の場所はほとんどないといって良いと思う。

日本人がオーナーの喫茶店はあるが、白人客が多く店員は白人の方を歓迎する雰囲気である。

白人とは、たとえば喫茶店で人が読書をしているときに、いきなり「そこどけ俺たちが座るんだ」、というようなことを平気で言ってくることのできる人種である。こういうことは日本にい る人にはあまりわからないかもしれない。彼らは店主もそれを拒否できず白人の意向に従って取り計らうことを知った上でそういうことをするのだ。そして争いになれば先に暴力を振るってくるのも白人であ り、アジアでも白人国でも警察は常に白人の味方であることをよく知った上で彼らは暴力を振るう。私はこれらを全部体験している。(少なくとも大阪民国以外のア ジアではそうであろう)。

だから、「まともな店」には白人は入れてはいけないのである。

本来ならば、「外国人お断り」でなく、「白人お断り」とはっきり書くべきである。

どんな店もその雰囲気を売り物にするものだ。それが「安っぽさ」であってもいい。店(や旅店)には客層を選ぶ権利がある。それはどの国でも当然のことだ。客も自分にふさわしい店を選ぶのがマナーである。

白人が喉の奥から出すゲロを吐くような声が生理的にダメだという人がいて悪いだろうか。だから白人を消してしまえなどと一言でも言っただろうか。

白人とわれわれとは、基本的に別々の場所に滞在し、通じ合う部分で交流すれば良いだろうと言っているだけである。

しかし白人はそれを断じて認めない。アジアの、アジア特有の、もっとも柔らかく壊されやすいところを捜し求めて蹂躙することに特別な喜びを感じ、そういう行為を制限なく行うことを「権利」だ主張するのが白人である。

庭に積もった雪を眺めて楽しみたいという人と、新雪を自分の靴で踏みつけて勝利感を味わいたいという人種とでは、最初から共存し得ないのである。

内外の旅行関係業者はもう一度考え直してほしいと思う。いまどき毛唐とお喋りしたいために海外に行くような日本人は下流な連中であり、金も落とさず評判だけ落とす連中ばかりである。

日本人のためのサービス、日本人のための場所、少なくとも白人がめったに来ない場所を世界の各都市に作るということを考えてほしいと思う。レストランなら日本語と現地語だけの看板を掛けるようにすればいいのである。それでもアルドウ某のような毛唐が荒らしにくるなら完全に看板なしの「秘密クラブ」にするほかない。ネットだけで知りうるような店である。

もちろん事実上白人専門の店は世界各地にいっぱいある。それもいいことである。もっとあってもいいくらいだ。

私はタイでネット屋を経営してみたいと思うことがある。日本人経営というのは絶対に伏せて、白人(とアジア女)しか事実上入れないネット屋にする。(とはいってもタイ人は入れざるを得ないだろうが)。アジア男が入っても店員は完全に無視する。PCはスタッフが開かないと使えないようにしておく。だからアジア人客はへどもどして立ち去るしかない。それだけではなく、このネット屋にはサロンがついている。そして、なぜか若い女子学生のスタッフが5,6人いる。みんな現役の女子学生で、ファランとお喋りして英会話を上達したい「向学心豊かな」ボランティアのような女の子ばかり。。。ネットの合間に彼女たちと白人客たちとがサロンでまったりし英語で交流できる「英会話喫茶ネット」。これなら多少料金は高くても白人客がいっぱい集まってくるのではないか?

白人専用の場所をもっともっと明確な形で打ち出して行くことによって、白人フリーの場所も確保することができる。
 

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2008年2月11日 (月)

バウンの男 カトマンドゥ

一見してバウンBahunとわかる男。バウン以外の何者でもない顔。この顔ならバウンかチェトリかなどと迷うこともない。日本人女が結婚したがるのもこの手が多い。

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小さいころから親や周囲に言い聞かされているので(われわれは最高位カースト・ブラーマンであり浄である、それ以外は不浄である、と)特権意識が大変強い。もったいぶった振る舞いをしている。この人は英語はあまり話せない。しかし、チェトリもそうだが、英語が話せるとまた別の意味で厄介なことになる。必要以上に理屈っぽく、「いちいちくどい言い訳」をさんざん聞かされるからである。

彼らは「言い訳」の理屈を上手にこねることこそ、優れた頭脳ゆえに高位カーストに位置づけられているアーリアン(高貴な者)の証だと思い込んでいるようである。この辺はアーリア人の末裔であるらしいヨーロッパ白人の発想と一脈通じるところがあるかもしれない。

Imgp3796 

しかしこの人言っては悪いが頭のほうはまったく空のようだった。

ネパール人なのに、なんと、「国王の所属カースト」を知らなかった!

私はちょっとこずるい方法だが、自分が知っていても何も知らないような風に質問を始めていく。

まず「バウンとチェトリは違うの?」と聞いてみた。即座に違うという答え。どう違うのと聞くと、英語は出てこず身振りで「バウンのほうが上」という意味らしいしぐさをする。

そこで「国王はチェトリだよね?」と聞いてみると。

なんと「いやバウンだ」という答え。

さらに、「国王のカースト(ジャティ)は“サハ”だよね?サハはチェトリじゃない?」と突っ込んでみたが、よくわからないという顔をするばかり。

要するにこの人は「偉い人はみんなバウン」だと思ってたようである。

今まで私が出会ったバウンはあまり尊敬できないようなのが多いが、国王がバウンだと思っている人はさすがにいなかった(と思う)。

なんか自信がなくなってきたが、現王室は「サハ・タクリ」のはず。だから4分類で言えばチェトリのはず。そもそも国王は武家なのだからクシャトリアであるのが当然。

ネパールのカースト秩序は非常に複雑怪奇だが、私の知識でいうと、アーリア系のカーストは、バウン、チェトリ、バイシャ、スードラ、に大きく分類され、近世になってネパールを征服したアーリア人の支配階級がバウンやチェトリに納まり、モンゴロイド系の諸民族やカトマンドゥの先住民ネワール(ビルマ語系だという)は基本的にバイシャに位置づけられた。しかし、ネワールのカトマンドゥ盆地における権威もクマリなどの形で存続している。ネワール内部の司祭カーストも、アーリア系のバウンのような特権意識を持っているように見える。バジラチャリア、カルマチャリアなどという苗字が有名。ネパールでは苗字を聞けばカーストがわかってしまう。モンゴロイド系山岳諸民族の中にも複雑なカーストがある。グルン内部にも細かいカーストの区別があるようで、お互いに自分たちのほうが上だと思っているようだ。モンゴロイド系山岳民族はたいてい仏教系だが、マガルはヒンドゥ教色が強いといわれる。プライドも強いらしい。同じくモンゴロイド系のライ族は、長くマガルの隷民だったとか。しかし、いずれにしても、アーリア系から見れば、「ティン」(よくわからないが第三階級という意味か?)とか「ボテ」(チベット人)で一括のようである。

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2008年2月10日 (日)

女子高生たち カトマンドゥ

左の子はマガル族。右の子はネワールだという。(右の子は私の抱いていたイメージではネワールとは思えなかった)。ここで「族」というのはすべて民族でもありカーストでもある。

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左の子のかわいい表情を見せるために右の子を犠牲にしてこの写真を選んだ私の如何わしい心根を、このブログの読者は理解してくれるものと思う。
  

次の二人はグルン族。私はチェトリかと思った。

この子の名前はラクシミ。このグループのリーダー的な存在らしく、みんなが何かあると「ラクシミ」と呼びかけて、この子中心にまわっている感じだった。他の子の名前が呼ばれるのを聞かなかった。

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この子はラマ(タマン)。

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最初、顔立ちから判断して「タマンか?」と聞くと、強く否定してラマだと答えた。タマン族内部の上級カースト(僧侶カースト)ということなのだろう。
 

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タマン族の少年とグルン族の少女 カトマンドゥ

チェトラパティのチベット食堂で働いているタマンの少年とグルンの少女。

タマンの少年。実物はもっと少年風。これでもすごくポーズを作っている。

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(下)グルンの少女。写真に撮るとおばさんに見えるがまだ20歳ぐらいの少女。
タマンの少年とは対照的で、照れて動き回るので何枚撮ってもいいのが決まらなかった。

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先に少年の方を撮っていたのでこの後で少年の写真を見せると、うらやましそうな顔をして「カスト・ラムロ!」と言っていた。

今まで出会った人たちの印象から言うと、タマンはふにゃふにゃした感じで志があまり高い印象を受けないが、グルンの方が骨がある感じはする(どうしょうもない馬鹿や、政治家になっていて権力を振り回したがる男もいたが・・・・国会議員だが私のようなツーリストと話す機会があったのだから、まあネパールはのどかな国というか、こじんまりした国)。



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2008年2月 9日 (土)

今日はLhosar ネパール

「ロサル」だが「ノサル」に聞こえることも。チベット仏教のお祭り。
その辺のネパール人に聞いても、ある人はチベット人とタマンの祭りだといい、ある人はブータンの祭りだという。

今日はカトマンドゥも春らしい陽気になった。

2、3日前からタメルの街にはチベット仏教の旗(?、チベット仏教に限られないのかもしれない)がかけられている。

タメルチョーク付近

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下もタメル。
昔「味のシルクロード」があった通り。
「味シル」はさすがに潰れて、「おふくろの味」という日本料理店になった。
(この道をまっすぐ北に行った右側にある「ふる里」とオーナー(ネパール人)は同じなのだという。しかし料理人が違うので味が違うと断言する。「ふる里」と同程度なら外国の日本料理店としてはまあまあではないかと思う。ふる里で働いていたビジェイという男はいまは「おふくろの味」にいる)。

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ここを先に進むとタメルチョーク、左にずっと行くとチェトラパティ。うしろに行くとタヒティ。

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2008年2月 8日 (金)

茶店で働くタマン族の少年 カトマンドゥ

12歳ぐらいだろうか。この子はネパールでもちょっとかわいいほうだが、珍しい美少年というわけではない。
モンゴロイド系の仏教徒カースト、タマン族の少年。
この店の子ではなく、児童労働である。この店のオーナーはタパ(アーリア系、チェトリ)。
タマンにはこういう女性的なやわらかい感じの少年が多いと思う。
こういう美少年(もう少し成長したの)を目当てに日本人女性セックスツーリストがネパールに殺到する。

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ネパール人と結婚したがる日本女性はアーリア系のバウンやチェトリを好むようだが(ネパール人がそう言っていた。ニヤニヤしながら、「何で俺と結婚したがるのかわからない、でもこれですぐに日本に行ける、この鼻がいいらしい」とはっきり言うバウンの男にも会ったことがある。古典ギリシャ彫刻風の顔立ちだった)、日本女性のセックスフレンドにはかわいくて優しいタマンの男が人気のようである。

昨日会ったタマンの男は片言の日本語で「恋人が日本人」と言っていた。その恋人はネパールにいるのかと聞くと、日本にいるという。去年ちょっと来てちょっとセックスをしただけの間柄を「恋人」と言っているようだった。

ポカラ方面に多いグルン族もモンゴロイド系カーストだが、もっと男性的なごつい感じが多い。

ダージーリン出身のインド国籍のタマンにもカトマンドゥで会ったことがある。インド国民はノービザで自由にネパールに入ってほとんど制約なく働けるようだ。

タマンはやわらかいが卑屈な感じを受けることがある。

モンゴロイド系のネパール人はヒンドゥ教色が弱くなるほど(仏教色が強くなるほど)卑屈になるように見える。

日本人はリンブー族に似ているというネパール人がいた。その後、東部のほうでリンブーを何人か見てがっくり来た。体が小さく顔がちまちました感じでどこか貧相で印象の薄い人が多かった。あるアーリア系ネパール人によると私はグルン風だそうである。しかしグルンから見るといかにも日本人的に見えるらしい。

ネパール通の日本女性の中には、ネパール人の悪いところをいっぱい知っている人がいて、いろいろ聞かせてくれたりする。昔会ったある人はネパール人の悪いところを散々並べた上で「・・・でも子供がかわいいから」と締めくくっていた。

さすがに日本人の男性には男児目当ての買春旅行をするのは少ないと思うが、白人男の場合、アジアの児童に対しては子供の性別を問わず目がないので本当に油断も隙もない。

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2008年2月 7日 (木)

Pussy Cat Dance Bar with Shower, Thamel

Pussy Cat Dance Bar私は英語屋ではないのでこの言葉の語感まではわかりませんが、なんか淫らな感じがするんですが。with showerまでついている。

この場所はタメルに近いジャータJyatha通りの外側。3年前に来たときは、ここを入ったところにネパール人専用の質素な「キャビンレストラン」があった。基本的に外人は入れないところだった。

ところが政情不安でツーリストが少なかったはずの3年の間に、タメルのあちこちにこの手のいかがわしいDance Barが林立するようになった。普通のツーリストは減ったがアジアの国の政情不安に付け込むような目的を持った特殊なツーリストは増えていたのだろうか。あるいは少なくなったツーリストから多くの金をもぎ取るための工夫だろうか。

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いずれにしてもこれがゴーゴーバーの真似であることは明らかだろう。タイの腐敗堕落文化が、ネパールの政情に関係なくアジア全体に拡散浸潤している証拠だと思う。

タイ人が一昨年のタイ国王戴冠60年式典に来たブータン皇太子が色白なのを見てブータン旅行に押しかけているというニュースがあった(現場では白人でもない小国の皇太子をたいへん粗略に扱っていたのだが)。タイ人がこちらの方面への旅行に興味を持った結果がこの腐敗文化の拡散なのかもしれない。

このようなプロセスを経て白人がアジアを欲望処理の手段とし、さらにアジア人を下位身分に位置づけて見下すためのシステムが、この国にも植えつけられていく。

風俗店に外人を入れない、特に白人を入れない、ということは、まじめな国際政治的な意味で非常に重要なことである。

そういう小さなことがアジアの国にとっては死活問題になることを忘れてはならない。。

外国人による性の搾取は精神の深奥の搾取であり国民の文明的な力の根本を破壊するものである。

それは、「第一チャクラ」=ルートチャクラ=生命力のチャクラの収奪だといっても過言ではないと思う。

そして混血はさらに危険なことで、国民のアイデンティティの崩壊を来たす。

イギリス人は特権意識が強すぎて現地人との混血を好まなかったことは、マレーシアにとって幸いだったといえるだろう。

フィリピンや中南米のように国民全体が白人混血のようになり、白人遺伝子濃度によって階級が分かれるような国になってしまうと、もはや民族としてあるいは国民として誇りを持って立ち直る力はなくなってしまう。
 

ところで今朝、タメルの中心で格別ひどい白人を見た。

大男でもういいオヤジだったが、ネパール人にレストランのビラを差し出されると、それを払いのけるというよりも大げさでな痙攣的な動作で殴りつけるように差し出された手をはたきつけていた。

現地人に対してこんなことをする人間をネパールで見るのははじめてである。

いくらタメルだといってもこれはひどすぎる。アジア系ツーリストがこんな振る舞いをするのを見たことはない。

その白人が何人かはわからないが私の勘ではドイツ人のように思われた。

一瞬のことだったのでビデオに撮ることはできなかったが。

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2008年2月 6日 (水)

幼女を連れ歩く白人男 カトマンドゥ

どういう事情かは知りません。いろいろと事情はあるのでしょう。孤児と遊ぶボランティアというのは普通にあるようだし。
この男が白人で女児の方がモンゴロイド系のネパール人であることはほぼ確か。白人男の方はこざっぱりしていたが少女の方は薄汚くて身なりもみすぼらしかった。つまりまだ知り合って間がないということだろう。

今日はこのほかにもう一人タメルのど真ん中で白人にべったりくっついた小学生くらいの色黒の児童をみた。性別ははっきりしなかった(どっちにしてもかわいい子だった)。近くに警官がいたので追いかけて動画を撮る勇気が出なかった。アジアでは警官は常に白人の味方だからである。

タクシーに乗ろうとしているところ。

Imgp3750

動画に設定しているつもりで撮っていた。

Imgp3751

Imgp3749_2

 

白人がアジアですることは昼夜を問わないということは、このブログの読者の方々は理解していると思う。

ネパールでは児童の人身売買は昔から盛んだったが、おもにインドに売られるといわれていた。しかしこういう市場に白人が食い込む余地はもちろんある。

東南アジアに比べれば監視の目も厳しくない。(貧しすぎ汚すぎて普通の感覚からは少女たちに性的魅力が感じられないことがあるかもしれないが、児童性愛者にとってはどうでもいいことだろう)。
「ボランティア」の中にも児童性愛目的がたくさんいる、ミッショナリーならなおさら、という前提で警戒し疑わしい事象を監視する必要があると思う。立派なことをしていて監視されて悪いことをしているわけではないなら何の問題もないだろう。

動画を撮っているつもりで追跡してみたがカメラを風景写真設定にしていて失敗。
  

ところで昔はどうだったのか記憶があまりないが、ネパールでもはっきりとタイ的な人種差別接客をするところが増えてきた。

「カトマンドゥゲストハウス」から東に入ったところの右手、「フォーシーズンレストラン」のグランドフロアにあるインターネット屋は大変感じが悪い。

この店は速いこともあるのだが、いつもいるネワールらしい女主人(風の女)は、アジア系の客はほとんど無視で口も利こうとせず、賎民でも扱うような接し方をする。白人には元気に挨拶。アジア系客には一言も声を出さない。挨拶はもちろんしない。店に入ってきても無視していて、どれを使えという指示さえろくにしない。その上アジア系客が気に入らない場所に座ると、口さえ利かず、代わりにいらだったようにテーブルを指先でカンカンたたいて他に移らせる。まるで犬でも追い払うようである。彼らは乞食にももっと丁寧に接するだろう。白人客に対しては、まったく打って変わって、来るときも出るときも「ナマステ」「シーユー」「サンキュー」を笑顔で連発。

ネワールは一般的には外人に心を開かない感じだが、もともと東南アジア系の民族なのか、白人ずれしたやつの媚び方はタイ人に近い。人種序列意識も似かよっているのかもしれない。

感じは悪いが、そこまではまだ我慢できる範囲かもしれない。しかしどうやらこの店は、アジア人客を調子の悪いPCに誘導し、調子の良いPCを優先的に白人に使わているようだ。私など何度も来ているのに、写真の吸い上げがうまくいかないPCにちゃんとできるといって座らせた。結局30分以上無駄遣い。

私が写真吸い上げを試みている間、韓国人客らしい若い男がずいぶん怒って何か抗議していた。

確かにいま韓国人客は多いし、無礼でうるさいのも多く、私も苦手だが、それでは白人ツーリストが行儀が良くて現地感情を重んじ静かにしているかというとまったくそんなことはない。

チョンコが嫌われていい気味だとか、チョンコがいるから迷惑なんだとか、チョンコに間違えられたんだろとか、そういう2chネトウヨ、タイヲタウヨ的な自慰妄想は、まったく見当はずれで有害なタワゴトである。

あの店はほとんどが白人客ばかり。ネパール人客も少ない。白人が多くなれば必然的にああいう店になる。店は客の求めるものを提供しようとするのであり、白人がアジアで求める「フレンドリーな接客」とは白人の白人ゆえの優先優遇だからにほかならない。

白人だって上等な連中は、オーストラリア人、オランダ人、ドイツ人などを快く思っていないのが多いだろう。しかし彼らが、ある白人が白人であるがゆえに有色人種から不利益を受けたということを聞いたなら、その白人が豪人であろうとオランダ人であろうと黙ってはいないだろう。無条件に徹底抗議し「人権問題」にするのである。彼らが有色人種との関係でそういう努力を怠らなかったからこそ白人世界全体が現在力を維持できているのだと思う。

日本が負けたとき、小笠原にいたドイツ系日本国民は特別に優遇されアメリカ移住の選択も許された。日本国民でドイツ人なら、理屈から言えば二重に適性種族のはずだが、白人世界の論理はそういうふうにはなっていないということである。
 

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2008年2月 4日 (月)

【写真】カトマンドゥ

マレーシアに何ヶ月かいても風景写真など撮ってブログに載せようという気にはなかなかならない。タイも同じ。幼女虐待現場の告発写真ぐらいか。
ネパールにはもう何度も来ていて写真もたくさん撮っているが、まだまだ写真を撮って日本にいる人たちに見せてみたい気持ちになる国である。

国際空港

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タレジュー寺院

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まだたくさんありますが、停電があるほか、ネット環境自体が非常に悪く吸い上げに大変時間がかかるのと、ネット屋が毛唐だらけで気分が悪いので今日はこの辺で。あまりネット屋には来たくないですね。

海外に日本人専門の場所があることを悪いことのように言う日本人がいますが、現実にはそういう場所はぜひとも存在すべきです。

いま実際そういう場所はどんどん少なくなってきていまする。日本人目当てでできた店でも良いところには白人がどんどん入って来て必然的に白人優先の場所になります。韓国人ツーリストが大声で騒ぎ立てたりしてるのも、ネパールに来るような日本人が求めるリラックスの感覚とは違いますね。

どこの国の人たちも外国で自分たちの文化にどっぷり漬かってホッとできる場所を外国には用意してるものです。日本人はこういう観点から海外に日本 人専門の場所を作ることを怠って来たように思います。(駐在員が日本の企業文化の延長で振舞える場所のようなところは多いんでしょうが)。
 

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2008年2月 2日 (土)

カトマンドゥでの生活

寺院に礼拝する人々 カトマンドゥ
寺院に礼拝する人々 カトマンドゥ

 

どの国のときでもそうだが、他人が旅先でこんな生活をしていた(あるいはしている)という話をすると、その生活の仕方、旅行の仕方がいちいち気に入らないという人が出てくるものである。そんなのは邪道だ、贅沢だ、ぼられてるよ、あるいは、「ぼられたぼられたなんていうのが間違っている」など、何をしていても文句を言う人が出てくる。

最近は少ないかもしれないが飛行機に乗るのは邪道だという人もいた。「(あいつは)飛ぶぞー、飛ぶぞー」などといって揶揄する。この人は日本からネパールまで歩いて来たのだろうか、バスで来たのだろうか、と思ったが。

なぜこういうことになるのかわからないが、おそらく日本には、ツーリズムは「思想」とか「生き方」とか「世界観」と結びつくべきものだという観念が伝統的に?あるのだろう。

伝統といっても日本人が海外に個人旅行に行くようになってからのことだが。

日本では、海外を「放浪」するようなことは、日本での堅気の生活を捨てて非日常の世界に入っていくことだというような感覚があったのかもしれない。

「外国に行ったら現地の人々の習慣に従い、現地の人を最優先させなければならない」という教条もその種の「思想」に基づくものだと私は思う。

現実には、そんなことをいっていたらやがてなめられて、最優先されるのは白人、次が現地人、さらに韓国人など、そして最後に日本人というシステムが全世界に確立してしまいかねない。

「金持ちの卑屈な態度」は鼻持ちならない傲慢さと見られることもあると思う。

私は、日本のツーリズムによくある「現地の習慣に従え、現地に溶け込むようにせよ」という教条は、悪い意味で「日本的」な「ムラ思考」の延長であって、外国の現地人を自分が作り上げた「仮想のムラ」に当てはめているだけだと思う。

この掟に忠実に従うなら、ムスリム、シーク教徒、ユダヤ教徒、その他の厳格な戒律に従う人々は、自分の宗教を捨てなければ異教地域に旅行してはいけないといっているようなことになる。

現地の習慣を「尊重する」、までは結構なことだろう。ネパールで神像や仏像を左手で触ったりすることはよくない。(今朝はここで地元のおばさんが「左手」でヒンドゥ神像に触ってご利益を受けているのを見たが、現地人にはそういうことも許されても外国人が神像に触るのは穢れだという意識はありうる)。

行く場所によってはそうしなければ身に危険が及ぶこともあるだろう。

しかしこの「日本の掟」はさらに、現地人同様の生活をし、現地人と同じような思考をし、現地の感覚にどっぷり漬かり、できる限り現地人と同一化すべきだという教条にさえ発展する。

「地球の歩き方」などによく書いてある「両替レートなど考えないで現地の金銭感覚を身につけよう」などというたわごともその一種だと思う。現地の金銭感覚といっても、日本ほど貧富の差がなくてみんなが同じようなもの同じ値段でを買っている国はないので、普通に貧富の差がある以上、人それぞれだと思う。現地人すら客によって値段が変わることがある。金の使い方はそれぞれの自由。ネパールにも日本の普通の金持ちよりずっと贅沢をしている者がいる。平均所得1万円ちょっとのベトナムでも金持ちはカンボジアのカジノに出かけていって一晩に何百万円もかけたりする。

結局「現地の金銭感覚を身に着けよう」という教えは、日本のムラ感覚を外国にも輸出して仮想のムラで生活しましょうといっているに等しい。

私が今泊まっているゲストハウスは一泊200ネパールルピア(だいたい300円ちょっと)でシャワートイレ付ツインベッドの部屋。湯はほとんど出ない。

食事にかかる費用は高いコーヒーやミルクティーを飲むので150Nルピアぐらい。

あわせても一日の出費1000円以下。

マレーシアにいたときは一日4000円相当は使っていたのでかなりの出費の違いである。

マレーシアでは高い航空券も言い値で買っていたが、ネパールにきたらなんとなく2ルピア3ルピア(5円とか)を値切るようになった。

3年前はタメル近辺でも5ルピアのミルクティーがあったが、もうこの辺にはない。安いところでも6ルピア。7ルピアのところが多くなっている。以前はローカルな店に入るとローカル値段が普通だったが、いまはそういうところでも10ルピアを吹っかけてくることがある。石油やガス(ボンベ)の高騰が原因だとは思う。しかし近代化と外国人ずれも着実に進んでいると思う。

ツーリストは少なくなっているのに変なツーリストずれは進んでいる。

以前からあったが、タイ料理店や「タイマッサージ」の看板は不愉快なものである。タイとネパールを行き来するツーリストが多いので、そういう悪い需要も出てくるのだろう。タイ人でもネパールくらいなら旅行できる者が多いかもしれない。

3年以上前、ネパール人の友人に「キャビンレストラン」というところに連れて行ってもらったことがある。当時は外国人は入れなかったが特別に入れてもらった。個室のテーブルに若い女の子が着く。連れのネパール人はしきりに「連れ出し」を勧めたが、店の主人が許さなかった。外国人にそういうことはさせないという方針のようだった。

そのキャビンレストランがあったところに派手なネオンの「ダンスバー」とかいうのができている。ビキニの女の子の絵が掲げてある。まさにタイの「ゴーゴーバー」のようだ。

日本人などがタイを甘やかしているうちに、タイの腐った文化がアジア中に拡散していく。アジアの人々がタイ式文化にからめとられていくことで同時に、身体の深奥まで白人に捧げ尽くすタイ式白人植民地システムも受け入れていくことになる。

ゲストハウスの人間は、ソーラーシステムだから今はぬるいお湯しか出ないといっていたが、白人客が入った晩にはちゃんとしたお湯が出た。ソーラーだけでなくボイラーもあったようだ。こういうことはよくある。日本人の若い女の子が入ってもちゃんとしたお湯が出るだろう。格別美しくなくても日本人の若い女の子ならネパールでは相当楽しい思いができるかもしれない。

アサン

アサンAsanの風景 カトマンドゥ
アサンAsanの風景 カトマンドゥ

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2008年2月 1日 (金)

カトマンドゥ Kathmandu その2

今月のカトマンドゥ、タメル地区停電時間表(当局発表の時間表に口コミによる修正を加えたもの。随時変更アリ)

日 03:00 - 07:00   17:00 - 21:00
月 08:00 - 12:00   18:00 - 22:00
火 01:00 - 13:00   21:00 - 01:00
水 05:00 - 09:00   12:00 - 16:00
木 06:00 - 10:00   15:00 - 19:00
金 終日電気あり
土 00:00 - 04:00   17:30 - 20:30

 

タメルの風景

タメルThamel カトマンドゥ
タメルThamel カトマンドゥ

水場

タメルThamel 水場
タメルThamel 水場

 
タメルではチベット服を着ている毛唐を時々見かけるが、カッコだけである。チベット服というより、チベット仏教の僧服をファッションとして着ている。

たとえば非ムスリムがハジ帽をかぶったりしたらムスリムは怒るだろう。

しかしチベット仏教僧たちは、仏教徒とはいえないような毛唐がファッションとして僧服を着て観光中心街をうろつくことに怒らない。

さきほどチベット服を着た毛唐がネット屋の隣に座っていた。コートを翻して出て行ったが、翻ったコートで私の顔を張っていった。

自分の振る舞いの一つ一つにちゃんと気づいているということが仏教の修行の基本だと聞いている。そうだとすると、チベット僧服をファッションとして着ているこの毛唐は、仏教にはあまり縁がないと言えそうである。

中国との関係におけるチベット人の立場にはもちろん大いに同情するが、チベット人はチベットを一歩出ると白人に媚びまくるのも事実。

毛唐の同情を買ってドーネーションをたっぷり出させて結構いい思いをしているというのが現実だと思う。

私はダライラマにすこしも尊敬を感じない。彼らは「目的」たるべきものを「手段」として使うことが平気だからである。

ダライラマの「精神的指導」の下にある彼らは、本来神聖な道具であるものや神聖な教えや神聖な体験めいたもの(疑似体験)を観光客の好奇心に訴えて金儲けの材料にさせていることに何の抵抗も感じていないようである。

ネパールの諸カースト(人種民族氏族集団)のなかで、白人にいちばん媚びるのはチベット人およびシェルパだろう。

ソルクーンブのシェルパは媚びる媚びない以前にひどいものだが、数年前ネパールからチベットツアーに行ったときについたチベット人ガイドの白人客への媚びようはタイ人そのものだった(ネパールからチベットに入るにはツアーに参加しなければならなかった)。

大乗小乗を問わず、仏教という宗教には、いつの間にそうなったのかは知らないが、共通して西洋人に媚びまくる体質が備わっているようである。

もっと言ってしまうと厳しいことだが、アジア人には、あるいはモンゴロイドには、いつの間にそうなったかはわからないが、全般的に「奴隷体質」が染み付いているようなところが確かにある。

だから日本人は決して「他のモンゴロイドと同じ、他のアジア人と同じ」であってはならないのである。

日本人の第一の敵は白人だが、だからといって他の「親日」そうなアジア人に擦り寄るようなことがあってはならない。タイヲタのやってることも中国ヲタ・チャイナスクールのやってることもこの意味で同じである(中国はどう見ても親日とはいえないが、チャイナスクールの妄想の中では「必ずいつか分かり合える兄弟」なのではないか?)。

日本人はあくまで日本人であって、特別な存在だと考えるべきである。このようなアイデンティティが孤独なものであることは確かだが、日本人はアジア人でもモンゴロイドでももちろんコーカソイドでもない「日本人」であることに「絶対的な」「無条件的な」誇りを持つべきだと思う。

アーリア系ネパール人、とくにバウン(ブラーマン)は、ネパールにいる限り絶対的なプライドを持っていると思う。(それでもインドでは「ネパール人」であるがゆえに賎民のような扱いを受けるそうだが)。

ツーリズムにいるバウンやチェトリ(クシャトリアに相当)が白人との関係で日本人などを見下す態度をとることはあるが、それは自分たちを白人と同列の位置にあるものとみなして「ボテにすぎない」日本人を蔑む態度をして憂さを払うという(かなり苦しい)心理的な試み、といったところだろう。
 

2日ほど前にある日本食レストランで見た白人客はひどかった。私が日本食レストランに行くのは食事のためでなく、少しましなコーヒーやミルクティーを飲むためである。私は海外にいて日本食を食べたいと思ったことはない。

その毛唐はカップルで来ていてドイツ語をしゃべっていた。自分たちが並んでカウンターに座りたいからといってカウンターで飯を食っている日本人客をよけさせる。まともに口を利いていない。まるで土人を払いのけるかのように手で指図して席を開けさせていた。カウンターに座ると狭苦しいのが気に入らないといった様子で、今度は初めからあいていた後ろの座敷席に移っていった。その後も、カウンターの日本人客の頭を掠めるようにメニューをかざして客の耳元で料理人にあれこれ食い物の質問をしたり注文をしている。毛唐はいつもそうだがそれが長引く。そしてその間、カウンターにいた日本人は卑屈な態度ですべて毛唐に譲っていた。

アジアで見かける日本人ツーリストには、どこへ行っても白人と現地人に対してはこのように卑屈に振舞うことが日本人として正しいマナー、日本的な美徳だと思い込んでいるのが多いように思う。しかしこういう外人の筋の通らないヤンチャに対して卑屈に振る舞い譲歩することが本当に本来の日本的な態度といえるのだろうか。

私はそうではないと思う。相手が誰であろうと筋の通らないことには屈しない、原則に従って対応する、というのが日本人の伝統的な姿だったのではないかと思う。明治時代の人、戦前の人はそういう風に行動していたか、少なくともそのように行動することが正しいという共通認識を持っていたのではないだろうか。

その後にも日系レストランに乗り込んできて大声で一人舞台を演じる白人女を見た。店にいたのはネパール人客と日本人客ばかりだった。その白人女も自分だけが客だという感覚だったのだろう。大声を出してどうでもいいようなことをあれこれ聞き、店内あちこち風を切ってうろつきまわっていた。

今はツーリスト自体は少ない。白人ツーリストも数は少ないのだが、3年前に比べて毛唐密度、白人遭遇危険性はかえって増大しているような気がする。

そう感じるのは、ツーリストが減ってタメルで働く人が少なくなったせいか、ローカルレストランが少なくなったからだと思う。以前通っていたローカルなお茶屋が軒並み消えている。白人なんかまず来ない穴倉のようなところだが、私にとっては隠れ家のようなお気に入りの御茶屋が何件かあった。味もまずまずだった。毎日のように通っていて食事もしていたが、ほとんど潰れていた。改築されて英語メニューのあるツーリスト向けのカフェになっているところもある。

この数年の間に韓国の影響もますます強くなっているようである。いわゆる日本人宿だったところも韓国人宿泊客の方が多くなっていることが多いという。

韓国人客が増えることで日本人客が離れるかどうかは、ネパールのツーリズムは2chでもタイでもないので、定かではない。しかし中国人が入るようになるとその宿はほぼ終わりであろう。

チェトラパティのほうにあるお気に入りだったローカルチベット食堂はかろうじて残っていた。しかし今回はトゥクパを注文するとキムチがついてきた。以前はそういうことはなかった。いまはアジア各地でこういうことがある。たとえばカンボジアの屋台の蒸した孵化卵にもキムチがついてくることがある。ここ3年ぐらいの変化だと思う。
 

ネパールは政変でツーリズムは打撃を受けていたはずで、現にツーリストの数は減っているが、カトマンドゥの近代化の勢いは止まらないようである。ようするに、援助経済だから、ツーリストが来なくても国に入ってくるカネ自体はそれほど変わらないということなのだろう。分配の問題だけである。

ツーリズムが唯一の産業の国でツーリストが来なくても近代化だけは進んでいる。

近代化を支えている援助経済の援助の主体は日本などである。日本が援助したカネで欧米の物を買い、欧米企業に落札させる。日本は援助はするが入札には弱いだろう。アメリカがイラクでいくら市場を独占してもそのこと自体は批判されることはないが、日本がちょっとひも付き援助をすれば内外から声高に批判される。

日本人の税金がネパールなどを通して欧米企業に流れているだけということではないのだろうかとふと思った。

あるネパール人に、王政廃止になったら国王はどうするんだろう、外国に亡命でもするんだろうかと聞くと、「ネパールに残ってブラックビジネスマンを続けるだけだ」と言っていた。今までもやってきたヤクザ稼業を民間人として続けるだけだと言うこと。

10年前に初めてネパールに来たときのことを思い出すと、この辺もまったく変わってしまった。古い建物がどんどん壊されていく。3年前には残っていたチェトラパティからカスタマンダプに向かう道沿いの古い町並もほとんど壊されている。

早朝タメルの町を歩いてみたが、祈る人の姿がまったくない。以前はタメル近辺でもいろいろなところで礼拝する人の姿を見た。暗いうちから道端に献物をして蝋燭を立てて礼拝する人など。そういう人もまったく見ない。

そういう習慣もなくなったのかと思って宿の男に聞いてみたら、早朝道端に献物をして祈るのはネワール人だけの習慣で、ネワール人の老人が死んだ後1年間だけやるのだということ。ネワール人は死者の霊が死んだ後しばらく町をさまよっていると信じているからということだった。それを聞いて少し安心した。

どの国でも古い習慣、とくに宗教的な習慣を守っていくことは、「独立」を守るために無条件に重要なことだと思う。他国の人に理解される必要はない。むしろ中途半端に解釈されない方がいい。「わかってしまった」ことは「卑近」なことになる。そういう「非合理的」で外の人にはよく理解できないことを厳しく守っているからこそ尊敬にも値し、いいかげんに扱ってはいけないと思わせるのである。そういうことがなくなると本当に魅力のない人間たちに見えてくると思う。

チベット人が西洋人を味方につけるためにチベット仏教を通俗的に説明してパンフレットをばら撒いたのは失敗だったと思う。

この辺でチベット僧服を着て風を切って大またで歩いている毛唐たちが「ゾクチェンとは・・・・わかっちゃった」、という感じで得意になって白人の仲間に説いて回ったりしているのだろう。そういう「わかりやすい」解説書がいっぱい出ているのだから仕方がない。こういうことになってしまった以上、チベット文明は、内では中国に弾圧され、外では白人に消費されて、やがて消えていかざるを得ないだろうと思う。
 

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2008年1月31日 (木)

カトマンドゥ Kathmandu その1

3年ぶりのネパール。

1月29日。

相変わらず露天降りのトリブヴァン国際空港に降りる。

飛行機から出たとき、いつもならその瞬間に感じるあのネパールの匂いがしなかった。私の鼻が鈍くなったのか、ネパールの匂いが薄れてしまったのか。
閑散とした空港。中国人客目当ての客引きが目立つ。

3年前まではゲストハウスの客引きがタメルまでただで乗せてくれたが、今回はゲストハウスなどはそういうサービスはもうやめているようだった。
以前は目当てのゲストハウスの名前を叫ぶだけで誰かが寄ってきた。宿からコミッションを取っていたのだろうが、それでいつもタダだった。
今回はどうしてもそういうわけには行かず、タメルまで定価400ルピー、相乗りなら200など。
相乗り客を10分ほど待ち、200ルピーでタメルまで行く。相乗り客は前払いをしたらしかった。いくら払ったかもわからなかったし、あえて聞かなかった。
渋滞だと言う口実でタメルチョークの手前で降ろされる。一瞬地理がまったくわからなくなった。しばらく歩いているうちにだんだん思い出してきた。

カトマンドゥは今よく冷えている。震え上がるほど寒い。風もよく吹いている。薄いセーターを一枚持って着てよかった。体の芯からガタガタ震える体験は久しぶりだ。水は昼間から手が痛くなるほど冷たい。

ネパール人は東南アジア人に比べれば親切で感じが良い。今回はそれを強く感じた。

どこでもそうだが、白人ツーリストが多いところはどうしても「土人式」になる。

とはいってもネパールの場合、そういう金になる場所で働いているのはバウンやチェトリが多く、顔が白人に近かったりすることもあって、土人式へつらいの白人崇拝というよりはカースト意識からくる同族意識に近いものを感じているのかもしれない。

アムステルダムやウィーンあたりから直行便で来るやつはひどい白人が多いだろう。そういうのを中心に相手している業者も多いはずである。ドイツ系には「アーリア人は優秀だからインドやネパールでも上位カーストなのだ」というような理屈を喜ぶ者も多いようだ。そういうことをアーリア系のネパール人から言ってもらったり、言いあったりして喜ぶのであろう。(「アーリアン」という表現はネパールでは普通に使う英語である)。ドイツ系の人間で仏教やヒンドゥ教に関心を持つ者の動機には、アーリア人至上主義や反ユダヤ主義が潜んでいることがある。ドイツ人が書いた「イエスは仏教徒(でアーリア人)だった」という趣旨の本が日本でも翻訳出版されているが、これらの動機がにじみ出ていた。

しかし、タメルThamelからジャータJyatha、アサンAsanなどを久しぶりに歩き回って感じたことは、やはりカトマンドゥの強さ。

カトマンドゥはこれだけ観光に依存し(実は日本などからの援助が第一収入源だろうが)大量の白人ツーリストを集め、誰もが英語を話せるにもかかわらず、決して毛唐力に負けてしまうということはない。毛唐力に負けない強さを持っていると思う。

もちろん毛唐にこびるやつは大いにこびているし毛唐の茶坊主のようなのはツーリズムにはいくらでもいるが、それでも全体としてみるとカトマンドゥは独立していると感じる。東南アジアのように全体として毛唐に身も心も捧げてしまっているということはないと思う。

3年前に出たときと同じゲストハウスに入った。

驚いたことに、3年前にゲストハウスのストアに預けて行った荷物をそのまま保管してくれていて、受け取ることができた。キャリーバッグとビニールバッグ。

3年間音沙汰なし、電話もメールもしたわけではない。まず無理だろうと思って半ばあきらめていた。ちょっと信じられないことだった。

失くしてしまうには惜しい本などを入れていたキャリーバッグは、鍵もかけておかなかったがまったく荒らされていなかった。ビニールバッグの方はネズミに食い荒らされて中がネズミの糞だらけだった。こちらは衣類などだったので全部捨てた。

ゲストハウスのボーイと話をした。この男はバウンで、トリブヴァンに通っていて英語はもちろん良くできる。マレーシアに出稼ぎに来ているネパール人たち、飛行機で一緒だった連中の話をすると、「マレーシアなどに行くネパール人やインド人は教育がない人たちで、教育がある人たちは欧米や日本やオーストラリアに行く。だからマレーシアのネパール人は差別されるのだ」などと言っていた。「オーストラリア」は余分だと思ったが。

空港

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2008年1月30日 (水)

マレーシアを出る

マレーシアはいろいろな意味でタイよりは良い国である。しかし、「タイより良い」ということは「最悪ではない」という程度の意味でしかない。

マレーシアにはタイのようなセックスツーリズムはないが、セックスツーリストたちはタイからはみ出して来る。タイのようにあからさまに人種差別・白人崇拝を売り物にすることはないが、「普通の白人崇拝」はもちろんある。

タイが「白人に見せるための人種差別」を売りものにしている国だとすれば、マレーシアはキレイゴト好きな白人、偽善好きのイギリス紳士などに見せるために、一見人種差別がないように装っているだけの国ともいえる。白人の目のないところではハッキリと人種差別をするし、かなりひどいこともしている。(たとえばインド系やネパール人の扱い)。

1月14日、バンダラヤのいつものインド系旅行代理店「MSスター&トラベル」に行くが、滞在期限が切れる30日までのカトマンドゥ行きチケットは売り切れていた。

仕方がないのでブキビンタンに向かう。ハントゥア(Hang Tuah)でLRTからモノレールに乗り換えるとき、モノレールのホームで暴力毛唐と遭遇。もう少しで大怪我をするところだった。警察はもちろん駅員すらいない。誰も止めるものもなく、なされるままである。毛唐がその気になればKLの電車の駅ではレイプすら可能だろう。

Hang Tuahからモノレールでブキビンタン、スンガイ・ワン・プラザへ。「安全旅遊」でカトマンドゥ行きチケットを申し込む。カードで支払う。

カトマンドゥ片道1100リンギ(カード支払い+33リンギ)。言い値で払う。バンダラヤの店の言い値は1050リンギだった。

今(1月30日)カトマンドゥの毛唐だらけの店でこれを書いている。

隣に日本人の若い女が来た。ネパール人の男のヒモがピッタリくっついている。

こういう日本人女「セックスツーリスト」がネパールに(限らず)多いことは憂うべきことである。

男のセックスツーリストは金を払うから、形式的にも売春である。しかし女のセックスツーリストは形式は恋愛にすることが常に(若い女なら、よほどの事情がない限り)可能である。つまり若い女性はそれだけである種の「位置エネルギー」を持ってしまっているという事実がある。「エントロピー」といってもいいのかどうか。最初から高いところにある石を低いところに転がすのは簡単である。だから若い女性セックスツーリストはカネの代わりにその「位置エネルギー」を使って買春しているのである。

そういう理屈以前に女が簡単に股を開くということは、どんな理由があっても、その国および国民の評価を低めるものである。

ところでその女が使っていたPCはその前に使っていた毛唐がPCの調子が悪いと言って他に移った直後のだった。しかもネパール人店員はその日本人女にそのPCを指図したのである。案の定というべきか、女は10分ぐらいで出て行った。ほとんどページが開けなかったようである。

ここはタメルのカトマンドゥゲストハウスの近く。このあたりはネパールの中でももっとも人心の荒廃したところではないかと思う。白人ツーリズムの中枢だからだ。ただしネットはネパールの割には速い。値段は二倍。ココログ管理画面を操作するにはここが良い。

ネパールは今しょっちゅう停電。一日に電気が来る時間が10時間ぐらいなのだろうか。もちろんネットは遅い。

1月22日。ブキビンタンの安全旅遊に行きようやくチケットを受け取る。出発は29日午前7時35分。深夜の電車で空港に行き空港で夜明かしすることになる。

航空券を見ると「ロイヤル・ネパール」は早々と名前を変えてNepal Airlinesになっていた。

11月28日。午後10時半過ぎ、定宿に荷物を預けて出る。預けている荷物はどんどん大きくなっていく。KLセントラル11時過ぎ発のKLIAエクスプレスに乗る。

静かで冷房の聞いた車内で気持ちよく本を読んでいると、突然耳元で毛唐客ががなりたててきた。大声でExcuse me.Do you have a pen?とどなりかけてくる。お前は幼児英会話の先生か。読書の気分ぶち壊しである。もちろんNo!と言う。すると何も言わずに引き下がる。

その男は若造ではなかった。妻らしい白人女を連れていた。いったい世の中に自分がペンを使いたいからといって、静かに読書している人間の耳元でいきなりペン持ってるかと大声でがなる者がいるだろうか。そしてNoといわれると無言で引き下がるだけである。Sorryの一言もない。ペンなんか人に貸すのは嫌なものである。ましてや毛唐。

相手が有色人種の場合、自分が人の邪魔をしたなどという意識は毛唐にはまるでない。

白人の平均的道徳水準である。そうでなければ自分の理屈を嘘と知りながらアフガンやイラクに殴り込み、全部バレたあとも恬として恥じずまだ善行をしているような顔を続けていたり、20世紀になってからもアボリジニを「ハンティング」と称していまカンガルーを殺しているように楽しんで殺したり、つい1970年代まで黒人国民に参政権を事実上認めていなかったのに他国の民主主義や人権状況を批判したりランキング評価したりといった恥知らずなことはできないだろう。

「白人は危険な野蛮人である」。

この認識を早く十分に広める必要がある。取り返しのつかないことにならないように。ボケボケしていると日本人がアボリジニの運命をたどる可能性も十分にあるのだ。

深夜のKLIAは薄暗いがごく普通の様子だった。RNのチェックインはAカウンター。そのあたりに一見してネパール人とわかる人たちが集まってベンチに座っていた。黒川紀章が設計したこのピカピカの空港にはちょっと場違い感のあるスポットではあった。その一人に話しかけてみる。ネパールのネパール人のようなエネルギーはまったく感じられず疲れきって脱力している感じだった。

KLIAの物価は成田より高いと思う。ファストフード店のセルフサービスのコーヒーが9リンギもする。

Aカウンター周辺は一晩中ネパール人だらけ。私もその辺で夜明かしをする。バウン(ブラーマン)のような連中はあまり見かけない。チェトリがちょっといるかどうかという感じ。明らかにボテ(モンゴロイド系)という感じの人も少ない。私の印象では被差別カーストによくある顔立ちの人が多いように思った。

チェックインも手間取る。並ばせてから延々と待たされる。昼の便ではあまり経験しないこと。とくに日本行きなどでは経験しない。

そこに並んでいるのはほとんどネパール人である。マレーシア人がネパール人をいかに見下しているかということを、一つ一つの手続きの端々に実感する。

マレーシア航空のチェックイン係もイミグレ役人もどちらも女だったが大変感じが悪かった。

マレーシア航空のチェックイン係が私に「何しに行く」とか「働きに行くのか」などと見当はずれなことを聞いてくる。まったく余計なことである。「リターンチケットは持っているか」と聞くので「私はネパールには何度もワンウェイチケットで行っている。それにそれはお前のビジネスじゃないだろ。ネパールのビジネスだろ」と言うとようやく黙った。

マレーシアイミグレはさらに悪かった。いきなり、マレーシアで働いているのか、長い滞在だ、ホテルに泊まっていたのかなどと聞く。そういうことをグチャグチャ言うのなら、最初から90日間のパーミットを出さなければいい。

もしそう思うなら逮捕しろ、お前らマレー土人みたいな貧乏人じゃないんだよ、といってやればよかったのだが、機転が利かなかった。

どちらも白人客に対しては絶対にしない態度であることは言うまでもない。

彼らマレーシア入管役人もタイイミグレ役人と同じで、不法就労の後進国人から賄賂をせびり取っているのである。そのことは後でネパール人から聞いた事実である。その習性がネパール人の群れに混じった日本人の前でも出てしまったということだ。そしてここに晒されることになる。マレーシアは一見キレイそうに見せている汚い国。ただキレイそうに見せていることを私は相応に評価したいと思う。

飛行機の搭乗口ではさらにひどいものを目撃した。ネパール人がまるで犯罪者のように両手を上げさせられてしつこく身体検査されていた。私が飛行機を待つ間しゃべっていた貧相な男だった。

次が私の番だった。

トゥドゥンをしたチビデブのマレー豚女役人が非常に無礼な態度で、いきなり私の腕や胸を左手でバタバタ叩いてきた。このマレー女役人は私をネパール人だと思ったのだろう。私が消えかかっているような待機線を一歩ほど越えたからといっていきなり叩いてきたのである。まるで犬でも扱うような態度だった。

マレー人は「言語」というものになじみがないらしい。人間よりもオランウータンに近い動物なのだろうか。

周りはみんなネパール人だったのでこのマレー豚女に「ジャウ!ダリット」と大きな声で言ってやったら面白かったかもしれない。「触るな。お前の手は汚い」くらいは言うべきだった。

その後、私の前のネパール人をしつこく身体検査していた男の役人は私のパスポートに気づいたらしく、身体に触れもせずに顔パスで私を通した。

土人を図に乗らせるほど愚かなことはない。

日本の伝統的な(戦前以来の)「対土人政策」は根本的に誤っていた。

土人に対しては、「線引き」をハッキリさせることのほうが重要だったのだ。日本人は最高位のカーストであって彼らは下位カーストであるという洗脳をすべきだった。

そういう秩序は土人には容易に受け入れられるのである。逆に、土人は対等平等な関係、対等なルールは理解できない。土人は図に乗るかひれ伏すかのどちらかしか選択を持たない。だから土人はあくまでひれ伏させておくのが正しい。

マレーシア人にとっては今でもイギリスが近代化と発展の模範であり続けている。イギリスに支配されたことは幸いだった、その遺産を大切にしなければいけないと、官報のような御用新聞が平気で書いている国である。

今回の搭乗は今までになく不愉快なものだった。白人客がその辺におらず、つまり「白人の目」がなかったために、マレー人の東南アジア人共通の嫌らしい人種主義が表に出てきたという形だろう。

白人の前でわかるように白人を上げて喜ばせる、というのがタイ式である。つまり白人の最低の本音と欲望に正面から応えるというのがタイの流儀である。

これに対して、マレーシアが意識しているのはキレイゴト白人、偽善白人たちなので、白人の目のあるところでは「人種平等」のフリもするのがマレー人でありマレーシアである。

イギリス人がキレイゴトに訴えられて喜ぶ連中だったからだろう。つまりご主人様が飛び切りの偽善白人だったからである。

白人の目のないところでやってることはタイと変わらない。

マレーシア時間8時半ごろ離陸。

乗客はほとんどネパール人。スチュワーデスももちろんネパール人。いつものようにアーリア系のスッチーはサリーの制服を着て、モンゴロイド系のスッチーはチベットエプロンのついたワンピースの制服を着ている。

隣に座っていたネパール人(タクリ)と少し話をする。3年ぶりに帰るネパールだと言っていた。マレーシアの中国の企業で3年間不法就労していたということ。不法就労のための手続き(?)はすべて中国の会社が手配してくれたという。逮捕されて強制送還されたわけではない。予定通りの満期帰国ということだった。役人公認の不法就労である。帰る前に役人に罰金を3000リンギも払ったという。10万円強である。

この飛行機いっぱいのネパール人の大部分が、あるいはほとんどが、こういう形で公認の不法就労をしていて、無能なニセムスリムのマレー人役人が汚い金で豚のように太っているという構図である。

私は日本で不法就労していたことのあるネパール人やミャンマー人と話したこともあるが、彼らが共通して言っていたことは、日本の警察や役人が親切だったということと、役人が不法就労者から賄賂を取らないのに驚いたということだった。

私が知っているあるミャンマー人は日本で不法就労していて強制送還された。日本を出るまでは良かったが、トランジットで立ち寄ったバンコク、ドンムアンのタイ役人から「日本での不法就労」を口実に3万円の賄賂を要求されたという。結局1万円払って見逃してもらったということだった。

しかし、これはタイによる日本の主権侵害ではないか?また日本当局もこのミャンマー人安全にミャンマーまで送り届けるべきだったと思う。

ネパール航空はなかなかいい感じだ。疲れたネパール人でいっぱいだったが穏やかな雰囲気だった。

飛行機が着陸態勢に入って揺れていても歩き回る人、トイレに立つ人があとをたたず、スッチーもとめようとしない。スッチーの一人は乗客となにやらネパール語で話し込んでいたり。ネパール人乗客は無心に景色に見入っている。曇っていて山は見えなかった。

マレーシア時間午後2時ごろカトマンドゥ着。

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2007年2月15日 (木)

カトマンドゥで63年ぶりの降雪 ― 昨日

昨日(2/14)ネパールの首都、カトマンドゥで63年ぶりの降雪があった。

降雪は2,3分続いただけだが、子供たちは喜んだ。

当局によればこの降雪は、「西風の擾乱」westerly disturbanceの結果であるという。

カトマンドゥでは1944年1月以来、雪が降ったことはなかった。

(New Straits Times)

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2005年11月19日 (土)

プジャ・グルン カトマンドゥ

友人のプジャ。                                                   
グルン族。

この子と喫茶店に入ったら、ネパール人の店員(チェトリ)が「日本人の女の子かと思った」と言っていた。                                                              

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シャンティ・サハ カトマンドゥ

友人のシャンティさん。                                                     
サハ・タクリ(ジャーティ名)。 

大きく分ければチェトリと同じだと思うが、チェトリは「タクリのほうが下だ」と言い、タクリは「チェトリのほうが下だ」と言っていた。                                                   

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2005年11月18日 (金)

インドラチョーク カトマンドゥ ネパール

Pict0105 インドラチョークの店。                                                             

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タレジュー寺院 カトマンドゥ

タレジュー寺院。                                               
カトマンドゥ・カスタマンダップ地区の由緒あるヒンドゥ寺院。 
一般観光客は(たぶん)入れない。                                      

Pict0109

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2005年11月17日 (木)

カトマンドゥ旧市街・アサン近辺 ネパール

カトマンドゥの旧市街の中心、アサンチョーク近辺。                                 

Pict0097

Pict0100

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2005年9月13日 (火)

2003年4月~04年1月ネパール(周遊・トレッキング)

2003年
【タイ】
1月1日、チェンマイ着。                                                  
20日メーサイ~タチレク、デイリターン。
2月17日メーサイ~タチレク、デイリターン。
3月2日、夜行チェンマイ発。
3日、バンコク着。
【日本】
3月5日帰国。

【タイ】                                                 
4月14日日本発、CX香港経由、バンコク着。台北旅社。                     
16日バンコク発。寝台車。                                             
17日チェンマイ着。Rama2ゲストハウス泊。                                    
27日チェンマイ発。寝台車。                                               
28日バンコク着。台北旅社。                                                                                                                                   

【タメル】                                                                 4月30日バンコク発。RA。カトマンズ着。ホテルカトマンドゥホリデイ泊。                                             

6月23日ビザ延長。(6/29~7/28)                                                              

7月12日、カトマンドゥホリデイチェックアウト、ムスタンホリデイインへ。                                      
16日、ビスワバサキャンパス開講。スタディビザ取得のため。                           
31日、夕方、日本料理店「ふる里」に行く。奥の座敷を若い韓国人グループが占領し、箸をテーブルにたたきつけて大騒ぎ。その箸もよく使えないらしく次々にスプーンを注文。片膝立ては普通らしいが、両膝立てて犬食いする者も。なぜ好んで日本料理店に来るのか疑問。                                                          

9月1日、タメルの本屋で買ったアンリトロワイヤ「イワン雷帝」を読む。   
2日、兵隊や武装警察が目立つ。                                               
7日、ムスタンホリデイインをチェックアウト、カトマンドゥホリデイに戻る。                     
8日、ホテルを変えただけで朝のタメルがまったく違ったように見える。                   
10日、プレムとディスコへ。なんとも低調な盛り上がりだが、彼らは踊るのが楽しいらしい。               
                                                                               【ジャナクプル】                                                          
9月13日、朝カトマンドゥホリデイをチェックアウト。カンティパトからバスでナヤバスパークへ。バスでムグリンへ向かう。マチャプチュレゲストハウスというローカル用のこぎれいな宿。 
14日、ナラヤンガートへ。プルチョークの「フィッシュテイルロッジ」泊。去年も泊った宿。       
16日、ナラヤンガート発、ヘトウダへ。「ダウンタウン」というホテル泊。150NRs。爆弾テロがあったらしく音が聞こえた。一時騒然。戒厳令。
17日、ニジガル方面行きのバスに。12時ごろニジガルで降り、ジャナクプル行きのバスに。3時ごろジャナクプル着。「ホテルウェルカム」100NRs。
18日、リクシャでクワ村へ。商店は表向きはすべて閉店。
19日、ストでバス動かず。
21日、ジャナクプル発。バスで、イタハリ乗り換え、ビラトナガルへ。バスパークの前の「ダンクタロッジ」泊。140NRs。                                              
【イラム】
22日、ビラトナガル発。ビルタモードでジープに乗り換え、1時過ぎにイラム着。ジープは3時間ぐらい。検問3回。グリーンビューゲストハウス泊。250NRs。
23日、茶畑の道を散歩するくらい。空気はとてもいい。いるだけで気分がいい。
24日、一日中雨が降ったりやんだり。立ち居振る舞いが日本人そっくりのシェルパ族の女性の店でチョウメンを食べたり、リンブーの夫とバウンの妻の店でお茶を飲んだり。
25日、このグリーンビューゲストハウスは、留守中にボーイが勝手に鍵を開けて部屋に入り、水差しを換えたり電気を消したりする。
26日、朝、泊っていた白人客がでた。いままで高踏的な態度だったボーイが急になれなれしくなる。
27日、朝のバスでビルタモードまで4時間。2回検問。ビルタモードでダラン行きのバスに乗り換え。ダラン着、都会。モンゴロイド系が他より目立つ。「プリンス」泊。           
【ヒレ】
28日、ダラン発。2回検問。11時前にヒレに着く。「ホテルヒマーリ」の広い部屋。150NRs。
29日。ホテルヒマーリには水道らしいものがない。シャワーも洗濯も洗面も、あまりきれいとはいえない汲み置き水。朝、身体を洗い、洗濯するが、水をあまり使うなといわれる。チベット人の一家。左半身の不自由な長い髪の美しい娘が英語を話す。ネパール人が数人泊りうるさい。
30日、アーミーキャンプの向こうの丘に登る。霧ばかりで何も見えない。良いところだが、軍のチェックがある。無視して行ったら後ろからしきりに呼んでいた。追ってこないし、銃も撃たない。そのあと土砂降り。                          

10月1日、あいかわらず曇りがち。板張りのロッジで音が筒抜け。うまいお茶屋もない。この宿はとげとげしい。宿の前ではガキがサイコロ賭博。
2日、ヒマーリをチェックアウト。水が足りない。Gajurに移る。水は豊富。
3日。Gajurはヒマーリ以上にうるさかった。この町のロッジはどこも簡素な板張りの部屋なので、隙間や節穴がある。Gajurはネパール人のラブホテルのようになっていた。この日、隣の部屋のカップルは、小さな寝台が1つしかない窓もないシングルの部屋で、夜8時ごろと12時ごろと朝方4時ごろ、元気に3回戦。すべての音がありありと聞こえ納得。
4日。ダサインだそうだが気配もない。道のお供えくらい。ヒンドゥの習慣がこの町にはないようだ。ゴンパではチベット僧が朝読経。
5日。昨日なんとなく知り合った16歳のタマンの女の子のいる町外れの店で、女の子の家族からティカを受ける。チキンやスクティをご馳走になる。タダ。
7日、Gajurをチェックアウト。ゴンパの隣、ヒマーリの真向かいのGumbaロッジに移る。こぎれいな広い部屋。100NRs。どこも汲み置き水。
8日。夜は静か。
9日。一日中強い雨。Gumbaロッジのオーナーは隣のゴンパのオーナーで坊さん。娘が三人、使用人二人。2番目の娘(17歳)がダサインの休暇でカトマンドゥの学校から帰っている。この辺で「ホテル」というのはレストランのこと。                       
【バサンタプル】
11日、午前9時過ぎ、Gumbaロッジをチェックアウト。9時半のバサンタプル行きのバスに乗る。バサンタプルはヒレよりさらに奥の町(カトマンドゥのバサンタプルではない)。ひどい悪路。11時ごろバサンタプル着。木造の汚い3階建て家屋が目立つ寒村。ホテルYak。125NRs。
12日。昼は夕べ知り合った近所のライ族(キラト)の店でダルバートのタダ飯をご馳走になる。ただで食べると却って行きづらくなる。夕方、トゥーテー・デウラリという寒村へ。30分くらい歩く。トゥーテーもよいところはアーミーキャンプ。
13日。午後1時ごろから、歩いてトゥーテーの先、テリンジュレへ向かう。そこからフェディを通り、チョーキChaukiというところに5時ごろ着。遅くなったのでここで泊る。
14日。ショルダーバッグひとつで来たので洗面道具もない。ここは標高2000メートルくらいでかなり冷える。ティンジュレは3000メートル。泊ったのは「ラリグラス」というロッジ。テルトムというところへ向かう。ジリキムチというところで休む。ここまで2時間。「ラリグラス」のムナとプジャという娘についていく。二人とも英語をよく話す。ムナはラリグラスの長女でタマンだが白人のように白く、ヨーロッパの田舎娘のよう。歩いて上気するとピンク色の肌になる。長い髪が美しい。穏やかな性格のようであまりしゃべりたてない。やや太っているのが難だが、ネパール女性の25歳としてはとても若く見える。プジャはチェトリの14歳の娘。親が医者だとか。英語をよく話す。歩いている間ひっきりなしに話しかけてくる。こんなに長く一緒に歩いたのだから自分をヘルプしてほしいなどとわけのわからないことを言ってくる。チェトリは嫌いだというと、自分もチェトリは嫌いだ、タマンが好きだからタマンの男と結婚するとか言っていた。テルトムで二人と別れる。彼らはよいところのように言っていたが、なんでもないところだった。ひとりでジリキムチに戻り、そこからラスネLasuneまで行ったところで夕暮れ。バッティ(山村の宿場の泊れる食堂)のような宿に泊る。50NRs。
15日。朝2時間くらい歩いてバサンタプルに戻る。バサンタプルの近くで毛唐のグループとすれちがう。ドイツ語を話す感じの悪い連中。自分たちは身軽な格好でどんどん先を歩き、ポーターたちが彼らの巨大な荷物を担いでぞろぞろと後れてついて来ていた。バサンタプルのYakホテルに戻る。洗濯。
16日。洗濯物が乾くのを待つ。
17日。朝9時ごろのバスでヒレに向かう。2時間ほどで着。ヒレはバサンタプルに比べてずいぶん暖かい。
20日。11時ごろのバスでダランに向かう。Gumbaロッジのおばさんがバスを拾ってくれる。2時ごろダラン着。すぐにビラトナガル行きに乗り換え。4時近く、ビラトナガル着。ダンクタロッジ泊。
21日。8時半ごろのバスに乗り、夕方5時ごろビールガンジに着く。客引きがすごい。シュリーなんとかというホテルのシングル。125NRs。虫が多い。                    
【ナラヤンガート】
22日。7時半のバスでビールガンジを出る。9時半ごろにはヘトウダ。12時半ごろナラヤンガート着。検問もそれほど時間はかからなかった。フィッシュテイルホテル泊。
23日。昨日ナラヤニ川の川原で出会ったバウンの男の村に「招待」される。バウンの村なんて気が進まなかったが両親も歓迎すると言ってしきりに誘うのでついて行った。ナラヤンガート近郊の村。案の定、家には一歩も入れてもらえず、父親もこちらを見ようともしない。離れの納屋のようなところで一人で飯を食わされる。それだけ。「穢れ」とみなされている。小学校に行こうとしきりに誘う。この男のバウンの友人たちが教師をしているらしい。この男も高等教育は受けているようだが無職。教師をしている友人たちに外国人の知り合いが入るのを見せびらかしたかったのだろう。うんざりしたので断って帰る。
25日。ティハールらしく、子供たちが店をまわって掛け声をかけ、何かもらっている。早朝暗いうちから川原に人が集まり灯篭を流したり歌を歌ったりしている。
27日。ティハール最中なのか、川辺に並んでいる茶屋のうちいくつかは閉まっている。橋のたもとに堡塁を築いている武装警官も今日は休みのようで、誰もいない。
28日。真夏の陽気。ネパールガンへ向かうナイトバスのチケットを買う。マヘンドラナガル行きで、コハルプルまで。バスに乗る。                               
【ネパールガンジ】
29日。朝8時か9時にコハルプルに着き、そこでローカルバスに乗り換え、10時半ごろマヘネパールガンジに着く。マチャプチュレホテルに入る。100NRs。ネパールガンジにはお茶の代わりにミルクを煮て売っているところがある。
30日。チヤは4ルピーが多い。3ルピーもある。エクライニバザールを散歩。閉まっている店が多く閑散としている。
31日。リクシャでボーダーを越えてみる(インド領へ)。リクシャ30NRs。帰りは馬車で8NRs。オープンボーダー。行きはまったくチェックなし。帰りはチェックがあった。

11月1日。ネパールガンジは砂埃がひどい。細かい砂が道ばたにいっぱいたまっている。空から砂が降ってくる感じ。どこにいってもチャイニーズといわれる。
2日。バスパークは本通りからかなり入ったところ。マヘンドラナガルへのナイトバスはなく、デイバス(早朝発)のみ。ミタパン(甘いパン)。                             
【マヘンドラナガル】
3日。早朝5時半のバスでネパールガンジ発。13時過ぎ、マヘンドラナガル着。マヘンドラチョーク前。アーナンダゲストハウスに入る。150NRs。バスの中での武装警官の検問が不愉快。農村風景は東より美しい。緑が濃い。
4日。マヘンドラナガルは全体に良いチヤを出すところが多い。ジンジャーが効いている。ただし、インド人の店はミルクが薄くてまずい。夜は冷え込む。
5日。昨日タルーの村の近所で会ったネパール人の男とまた出会う。黒いがバウンだった。ウパデヤ。パハリとも言っている。調子のいい野郎だった。タルーの村の近くにバウンの村がある。やはり「招待」されて懲りずに行って見るが家には入れてもらえない。庭先でチヤとラッシーを飲ませてくれただけ。
6日。白人がちらほら自転車に乗っている。彼らは顔パスでチェックなしだからどこに行くのも気楽なものだ。
7日。マヘンドラナガルは人間の感じが悪い。
8日。ホテルアーナンダをチェックアウト。午後12時半のナラヤンガート行き。ナイトバス。curfewのため、夜は走れない。コハルプルで停車しそのまま車内で眠らされる。乗客はまばら。インド人など。ほとんど眠れず。
9日。早朝から兵隊の検問の嵐。3人兵隊が来て、何でバッグを開けないんだと詰め寄られる。ブトワルあたりから警戒がゆるくなり、ナラヤンガートに入るときは特にチェックなし。午後2時半ごろナラヤンガート着。26時間ほどのバス移動。フィッシュテイルホテルに入る。
10日。朝6時半のバスでナラヤンガートを出、午後1時過ぎバラジューで降りる。2ヶ月ぶりのカトマンドゥ。カトマンドゥホリデイ401号室に入る。ミンはいなくなり別の少年が下働き。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
11月13日、タイ行き航空券を買う。
22日、Vaishali(旅行代理店)で、ルクラまでの片道航空券を買う。90USD

【ソルクーンブトレッキング】
11月25日。ルクラへ。6時半前に空港へ。8時半ごろようやく離陸。乗客はなんと2人だけ。SkylineAir。サンダル履きでルクラからのろのろ歩き3時ごろチュモア。「ソルクーンブロッジ」に入る。150NRs。
26日。朝8時ごろに出て4時間ぐらいノロノロ歩く。ナムチェへ。小さな町。良い所は白人に占領されて入る余地なし。物価は高い。「トゥクトゥクロッジ」にチェックイン。450NRs。
27日。朝、シャンポチェに登る。エベレストが低く見える。ローツェの方がきれい。
28日。朝もう一度シャンポチェに登る。
ナムチェに一軒だけ良心的なローカルレストランを見つけた。チヤ10NRs。バフモモ30NRs。山のチヤはどこも粉ミルク。ナムチェを出る。道に迷い、3時近くになってキャンジュマに着く。ボロい方のロッジに入る。
29日。10時半ごろタンボチェ着。休憩。
1時半ごろパンボチェ着。ゴンパの近くのゴンパロッジに入る。
30日。8時ごろ出て、11時ごろディンポチェ着。ピースフルロッジに入る。ナガルツァンのピークの近くまで登る。

12月1日。10時ごろからチュクンを往復。3時間半くらい。ピースフルロッジに戻る。ここの兄ちゃんは日本語がうまい。
2日。8時ごろディンポチェを出て、12時半ごろロブチェ着。端っこにあるぼろいロッジに入る。50NRs。臭い。above the cloudという名前。
3日。8時ごろロブチェを出て、10時半ごろゴーラクシェプに着。ヒマラヤロッジに入る。狭くて臭くて高い。午後2時少し前、カラパタールに登頂。少し恐い。はだしとサンダルでOK。
4日。8時前にゴーラクシェプを出て、ロブチェ、トゥクラ、ディンポチェを経て、午後5時ごろチュクンに着く。トゥクラで日本人のオヤジと話しこんで遅くなる。チュクンに行くところで道に迷う。チュクンのアマダブラムロッジに入る。
5日。9時ごろから、ショルダーバッグだけでチュクン・リをめざす。どこがチュクン・リかわからない。
6日。チュクンを出て、ディンポチェを経て、昼ごろパンボチェで食事。ポルツェを目指すが、道に迷い、山の中をさまよい怖い思いをする。パンボチェに戻り、ゴンパの隣のマカルーロッジに入る。
7日。8時ごろパンボチェを出て、午後1時ごろようやくポルツェに着く。急な山の斜面につけられた恐い道だった。
8日。7時半ごろポルツェの不快極まりない宿を出て、午後2時半ごろようやくトーレ(Thore)までたどりつく。ここまで茶屋ひとつなく何も食べていなかった。トーレのシェルパロッジに入る。ここはシェルパの若い女の人が一人でやっていた。客も一人。シェルパのわりに親切でブランケットを余分に貸してくれたがそれでも寒い。
9日。トーレで1000ルピー近く使う。腹が減っていた。昼ごろNaのぼろロッジで昼食。しっかり高い。昼過ぎにパンガのロッジに入る。ライの青年がいて、シェルパの悪口で盛り上がる。
10日。8時ごろにパンガを出て12時過ようやくゴーキョに着く。「レイクサイドロッジ」に泊る。
11日。ゴーキョピーク往復。疲労と酸素不足で2、3歩いて休みまた歩くというのがやっと。往復に6時間もかかる。午後ゴーキョを出てマッチェルモへ。一番手近なところに入ったが、ブランケットを余分にくれというと非常に嫌な顔。客は一人だけ。シェルパは銭ゲバのうえに底意地が悪い。白人にへつらう姿が情けない。
12日。マッチェルモを出る。下りの道を見つけるのに7時間。迷い歩いた。暗くなってようやくナムチェに辿り着く。前と同じCamp de baseトゥクトゥクロッジに入る。今度は400ルピーにしてくれた。タマンの男。
13日。ナムチェ。
14日。昼ごろナムチェを出る。下りだが足が痛いのでゆっくりしか歩けない。夕方パクディンの手前のザンプテというところまで来てロッジに入る。ここもナムチェ並みに高い。シェルパのロッジ。
15日。スルキヤというところ(ルクラの近く)まで歩く。足が痛くてもう歩けないので、泊ることにする。タムセルクロッジ。ここまで来ても物価はナムチェと変わらない。
16日。一日歩いてカリコーラというところまで来る。マガルの経営する店に入る。値段はナムチェより多少安い程度。
17日。一日歩いてようやくマニディンマに着く。シェルパのロッジばかりが並び、ナムチェ並みに高い。
18日。一日歩いてソールンまで。タクシンドゥ峠のチーズファクトリーはなくなっていた。ソールンのとても簡素なロッジに入る。部屋もない。オヤジは日本語を少し話す。
19日。日が暮れるまで歩き、ふらふらになってセテに着く。今夜の宿も少し日本語を話すオヤジ。
20日。4時ごろバンダルのロッジに入る。レストランとだけ書いてある。ネワールの経営する店。セテからガレ場の下りがきつかった。雨になる。
21日。長い道を歩き、5時近く、ジリに辿り着く。かなり開けた町。バザールもある。久しぶりにホットシャワー。ナムチェ以来。ジレルの宿に泊る。初めてジレルに会う。モンゴロイド系のカースト。
ナムチェからジリまでの間一人で歩いたがマオイストには声もかけられなかった。山であった白人女性は、ジリからルクラまで歩く間にマオイストに会い、500ルピー「ドーネーション」をして1000ルピーの領収書をもらったと言っていたが。
22日。宿の男にバスチケット(エクスプレス)の手配を頼んでおいたが、取れなかったのでもう一泊。ジリのローカルレストランは良い。
23日。朝7時発のバスに乗り、午後4時ごろカトマンドゥ着。
問題がおきる。カトマンドゥホリデイが留守中に閉鎖。金やTCもはいっているバッグをストーリッジに入れたまま。オーナーのチャンドラ・グルンは開き直っているようだ。
マルシャンディホテルに泊る。一泊20ドル。

【カトマンドゥホリデイ閉鎖】
(当時の)ホテルカトマンドゥホリデイのオーナーは国会議員のチャンドラ・グルンだが、建物のオーナーはネワールの金持ち。チャンドラ・グルンが長く家賃を滞納していたため、ネワールの家主がついにホテルを閉鎖してロックしてしまった。
私がトレッキングに行っている間の出来事。
ベルキャプテンのサントスはポカラに帰っていてカトマンドゥにはいない。ボーイのプレムは頼りない。
家主を捜すが、何処かに行っているようで見つからない。

12月26日。カトマンドゥホリデイの家主が見つからないので、午前中にツーリストポリスに行く。Complaintを書いて提出。
28日。マルシャンディホテルをチェックアウト。
ホテルヴィクトリアに移る。330NRs。
29日。午前中ツーリストポリスにラジェンドラという宝石ブローカー男と一緒に行く。チャンドラ・グルンも来ていたが、偉そうな態度で酒に酔っているようだった。ラジェンドラによれば私が抗議したとき、警察官たちの前で「俺は偉いんだ、こんな日本人はいつでも刑務所にぶち込める」などと言ってたらしい。
そのあとようやくカトマンドゥホリデイが開くことになる。
白人ツーリストが同じコンプレイントを出していた。
警察立会いの下で、プレムが鎧戸の南京錠をのこぎりで切る。
警察官の態度が不愉快。同じ苦情を出していた白人客に対する態度と私に対する態度とがまったく違う。
ヴィクトリアをチェックアウト、チェリーゲストハウスに移る。
30日。ラジェンドラを連いてきてもらい日本大使館に行きナンバー2の人に昨日のことを報告する。チャンドラ・グルンはカネには困っているようだが、いまも政治家であり権力者なので、彼を怒らせたことがすこし怖くなった。

2004年1月3日。ナビルバンクNabilBankに自分のドル口座を作っていたが、預金をドル現金でおろすことができない。アメックスのTCにして出してもらう。

1月9日ロイヤルネパールでバンコクへ。

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