クニンガンKuningan ジャワ島
1月17日。
正午ごろチルボンのホテル・カリスマをチェックアウト、クニンガンに向かう。
クニンガン行きのバス乗り場までアンコタで2000ルピア。かなり遠かったがそれ以上はとられなかった。
クニンガン行きのミニバスに乗る。1万ルピア。
坂を上って行き1時間くらいでクニンガンに着く。また標高の高いところに来た。クニンガンは涼しくのんびりした感じの町。近くには温泉もいくつかあるようだ。
クニンガンのアンコタの中では、ジルバブをした超かわいい女子高生が人なつっこく話しかけてくる。グループの中でいちばんかわいい女の子が話しかけてきて、そのあと車に乗っているあいだ目が合うたびににっこりしてかわいいお目目をぱちぱちさせるのだ。そういう感じの町である。
クニンガンはこれまでの町とはうって変わって人間の感じがやわらかいところである。同じジャワで狭い地域を回っているのにどうしてこんなに違うのか。人の顔立ちもチルボンとはかなり違うように見える。もっと「日本的」。顔立ちだけとって言うとタイ人みたいに見える人もいるが、人間の感じのよさはタイとは対極的で日本の田舎に近い。とにかく若い女の子たちが警戒心がないのか人なつっこい(女の子だけでなくオバサンもだが)。そして、驚くほど美人が多い。幼女から女子高生のお姉ちゃんまでかわいい子ぞろいである。
こういうところを桃源郷あるいは「幻の国」というのだろうかとさえ思ったが、それは大げさかもしれない。その辺にいるかわいい女の子を片っ端からヤレたら「幻の国」と呼ばれ得るのかもしれない。しかしそのときにはこの人なつっこさも笑顔も消えてこわばった表情とシカメッツラだけが残っているというのが人間性の法則だろう。タイがそうであるように。
町はわりとにぎやかで車の通りも激しいが、しつこくつきまとう車夫はいない。それがこれまでの町との大きな違いである。馬車もたくさん通っている。
食堂に入ってこれまた人なつっこいおばさんの話を聞きながら近い安ホテルの場所や名前や値段を聞き出す。そこにいる娘がかわいらしくてたまらない。小学生のような背の低さだが胸のふくらみや表情や話し方から高校生くらいと思われる。少女のころの安達祐実をやわらかくしたようなかわいこちゃんだった。
スーパーで買い物をしたあと(ミネラルウォーターなどスーパーが安い)、3時ごろ食堂で教えてもらったPurnamaというホテルの10万ルピア(水シャワー・エアコンなし)の部屋に入る。
この町では道端に一人で座り込んで何かを書いていても人に煩わされることがない。チルボンまでの町とは大違いである。決して寒村ではない。むしろ人々には市民的な雰囲気がある。人種が多少違うのかもしれない。あるいは、これが「スンダ」の原風景に近いのだろうか。豊かな人が多いのか高地にあるためか、飲食店も清潔で快適なところが多いようである。値段が高いわけでもない。
しかしアンコタ車夫(この町は坂があるためかべチャはない。アンコタと馬車のみ)がともすればぼろうとするのはどこも同じである。
車夫というのは国際的に見て、また歴史的に見ても、一般的に賎業といえるのかもしれない。人を乗せるものが下で乗るものが上であるというイメージは一貫している。特に東南アジアには、上客は歩くべきでなく車に乗るべきであるという観念があるように見える。とくにタイではインドネシアで言う「ジャランジャラン」などというものの価値はまったく認められておらず、少し金のできた人はちょっとの距離でも車に乗るようだ。是が非でも車に乗らずにおくべきかという感じである。なお、日本の社会党の始原は明治の初めに人力車夫が作った「車界党」だそうで、国鉄労組の源流も同じく車夫の組合だそうである。なお、「車夫」は日本では差別用語として放送禁止用語にリストアップされているという。「車夫」と言わなければ表現できないものがあるにもかかわらず、日本では人前でこの言葉を使うことができない。たしかに日本の表現の自由には多くの制約がある。表現の自由が十分に保障された国とはまだいえないかもしれない。「車界党」ができたきっかけは、マラソン大会で人力車夫が一番だったにもかかわらず、「プロ」の走り手だからという理由で優勝資格を剥奪されたという事件だと聞いた。いわゆるスポーツのアマチュア主義というやつである。生活のための労働から解放されている、自由な意思と分別を具えた自由市民、つまり働かなくても生活でき生活時間を自由な創造的活動のために捧げることができる自由市民にしてはじめて、さまざまな人間的徳性を健全に発展させることができるという考え方であるように思う。この「オリンピック精神」つまりアマチュア主義にのっとったフェラチオ競技大会なんてのもいいかもしれない。審査に人種差別がない限り日本の優勝は最初から決まっているようなものだが・・・。(旅行日記にそう書いてあるのでそのまま書いた。なぜフェラチオの話が出てきたかというと「クニンガン」が「クンニガン」に聞こえるので、最初クンニガン、クンニガンと言っていたのだが、それで地元の人やアンコタの運転手にも通じていたからである)。
クニンガンのスーパーGriya(ジョグジャYogyaと同じ)は、かばんを持ち込んでもうるさいことを言わず、係りの愛想も極めて良い。もちろん当然のようにインドネシア語のみ。
チルボンはガイドブックには中国系の住民が多いと書いてあるようだが、行ってみるとほとんどいなかった。しかしクニンガンには中国系の混じった人が多少いるように見える。中国仏教寺院があるが中国丸出しでなく、ローマ字でSatiyaなんとかとインド語を書いて「仏教」であることを強調している。
夜、マーケット付近にはマルタバク(Martabak)の屋台が立ち並ぶ。こちらのマルタバクはマレーシアのマルタバクのような揚げローティではなく、ふっくらとして甘いホットケーキそのものである。インドネシア人はパンの作り方が上手なようである。「シキシマパン」もある。
「シキシマパン」は愛国的な動機から「敷島」(日本)を社名としブランドにもしたのだが、近年、左翼および外国人からの攻撃を受け、クレームに弱い食品会社としてはやむを得ず「パスコ」のブランドを採用し「シキシマ」を表に出さないようにしたのだと聞いた(この情報はちょっと電波系である)。
で、屋台のマルタバクはいちばん安いのでも1万ルピアである。そんな屋台がずらっと立ち並んでいるのだから買う人も多いのだろう。このあたりはやはり金持ちが多いのかもしれない。
18日。
12時前にPurnamaをチェックアウト、チアミスCiamisに向かう。
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